二週間ほど前、事故に遭った。通勤渋滞中のフリーウェイで、止まりきれなかった後続車に追突された。相手は白人のオネエさん。彼女は、開口一番、「ごめんなさい、私が悪かった。前をよく見ていなかったの。修理費は全額払うわ。」と実に潔く、素直に謝ってくれた。そして1週間後、「あなたの親切に感謝しています。」という一言メモと共に、支払いを送ってきてくれて、スムーズにケースクローズした。
今回、クリスチャンになって初めての事故だったが、学んだこと、得たことがたくさんあった。まず、神様の守りがあると実感した。私はいつも車間距離を十分に置かず、ブレーキもかなりぎりぎりなので、同乗者を恐れさせる愛のない運転をしている。つまり、玉突きにならなかったのは、ほとんど奇跡。私の運転を知る人は皆、間違いなくこれに同意するはずだ。また、追突された位置が良く、ほんとうにバンパーだけの被害で済んだ。普通はトランク部分にまで響くとか、タイヤを痛めるとか、電気系統をやられるとか、二次的被害が起きるもの。追突した車とサイズが同じくらいだったのが幸いした。
そして何よりも、主の祈り「わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように わたしたちの負い目を赦してください。」が成ったことを私自身が感謝して受け取った。衝突されたことは決して嬉しいことではないけれど、彼女の素直な謝罪の前にして、彼女を快く赦すことができた。その時、私たちの間には怒りや後悔は消え去って、お互いがお互いを思いやる親切が生まれた。たとえば私側には、会社を遅刻した、事故処理の時間を取られた、むちうちなどの後遺症の心配もある、、、などなど怒りの理由はいくらでもある。しかし、そこに留まっていたら事はすんなり行かない。前進しないし、怒りが怒りを生む。彼女をすんなりと赦せたのは、私自身が神様から赦された経験を知っているから。しばしば教会のメッセージで聞く言葉を実体験し、自分のものとすることができた。赦されていることを、あらためて感じることができた今回の事故だった。
また、最高に嬉しかったことは、事故直後に処置に知恵を拝借しようと教会に連絡したのだが、その後、教会のみんなに連絡されて祈りの輪ができていたこと。知らないところで、私のために祈ってくれる人々がいる。何よりもイエス様は絶えず取り成しの祈りをしていてくださる。一致の祈りの威力を感じられたのも、この事故があってこそ。苦難を経て、私たちはより強くやさしくなり、愛を現すことができるようになるのだ。主に感謝。
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