今回の人質事件でも、また「イスラム国」についても、そして戦後の現代世界情勢についても、わかっていたつもりで何もわかっていないことに気付いた。つまり、ほんとうの意味で「エルサレムのために祈れ」なんてことができていない私のことだ。祈りの方向性が曖昧で、非常に漠然としたものだった、ということだ。これで良いはずがない。これが「祈り」であるはずがない。「祈りは具体的に!」これは師も常々口にする祈りの秘訣なのだから。
パレスチナを取り巻く状況は複雑に見える。イスラム国の呼び方が複数(英語報道ではISISとISILなど)あるようだし、アルカイダ、タリバン、ヒズボラ、ハマスなどとの関連性はさっぱり理解できない。元々、中東情勢の基本すらわかっていないのだから、理解できるはずもない。しかし、これがまさに今回の事件の縮小型だ、とメッセージにあった。「中東社会についての的確なアドバイザを持たず、遠い他国の出来事と関わりを避け続け、世界情勢に対する認識の甘さによって生じた躓き」。同じことが私個人でも言えている。えんぢぇる師に言わせれば、「平和ボケ中東オンチの川村睦美」ということだ。そして、事件は最悪の結末を迎えた。人の命が失われた。
だから今すべきことは、「分析」だけでなく、また「感想」ではなく、これからどうするのか、というアプリケーション。わかりにくいからと言って、事情を知らないままでは私自身の目の前に“危機”が迫った時、口を挟むことはできない。つまり、何もできないままだ。祈るために、ほんとうの「祈り」にするために、「理解」も必要なのだ。危機管理は、発生してしまったことへの対処法ではなく、起こるかもしれない“危機”に備えること。このポイントを肝に銘じよう。
生活を維持するための優先順位を認識。
どうしてもやっておかなければならないことだけは、必ずする。
無理はしない。
できない時にヘルプしてくれる仲間、人間関係づくり。
信頼に値するものを持つ。これは見つかっている!
聖書の理解と、世界情勢の学び。そしてそのための聖霊様の力。
神様が与えてくださった使命に忠実に生きることが、クリスチャンにとっての最大の危機管理になる。それが福音、GOOD NEWS、私の命を支えるものだ。その霊から湧き出る信念を見つめ、手に取り、心に刻んで実践し、「真の祈り」に変えることができますように。
適応のない人に御言葉は留まることはない。
この真理は変わりません。
引き続き継続することを願っています。