きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

きょうの教会ごはん スペシャルバーション/ゴスペルブランチ!

2014年06月22日 | 羊のお出かけ


日本から旧友が来ていたので、皆さんを誘ってゴスペルブランチへお出かけとなりました。House of Blues(ハウス・オブ・ブルース)には何度か行ったことはありますが、ブランチは初体験。南部風のバフェのお料理とカーク・フランクリンのゴスペルで、あっという間の2時間でした。楽しかった!もう少し安ければ、気軽に行けるのですが。。。それだけが小さな不満かな。


南部風の感じ、私の好みです。




メニューは、サラダ数種類、BBQチキン、フライドチキン、
朝食用の一般メニューで玉子とベーコン&ソーセージ、
他に南部料理のグリッツ、ジャンバラヤ、ナマズのソテー、
更にローストビーフとハムの切り分けサービス、
オムレツステーション完備!
ペイストリーとデザートはちょっと甘目、
とまあ、なかなかゴージャスな品揃えでした。


お向かいの黒人ファミリーは、当然のように
ワッフルと苺、生クリーム、そしてフライドチキン?
これが定番メニューなのでしょうね。








きょうの教会ごはん、スペシャルバージョンの報告でした。



7月8月はえんぢぇる牧師訪米予定です。特別集会も予定しています。あなたのところにも参上します。ご希望の方はご連絡ください。

ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。一緒にご飯を食べましょう。心の食べ物も用意しています。えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を受け取ってほしいのです。 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



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ゴスペルブランチ in House of Blues

苦痛の夜、恵みの朝

2014年06月19日 | 羊、朝の一声


先日、突然の歯痛に襲われました。人生初のことです。私がお腹にいる間、母がカルシウムを一生懸命摂ってくれたおかげで、歯と骨は丈夫!でした。しかし、この痛み。。。とうとう、私も虫歯かぁ、と覚悟を決めて歯医者さんへ行くと、虫歯ではありませんでした。ハレルヤ!神様と、神様から預かった私を大切にしてくれた母に、心から感謝した一瞬でした。

とにかくクリーニングだけしてもらい、原因不明のまま、何だったのかなーと思いつつ過ごしていました。最初の時のようなひどい痛さはありませんでしたが、なんとなくシクシク、キリキリと痛む感じが続き、痛いのは歯なのか耳なのか頭なのか、よくわからないすっきりしない気分を過ごしていると、ある夜、それはもうビックリする痛みに突如襲われました。人生初の歯痛より100倍は痛い、それはもうビックリする人生初の激痛。ちょうど少し前に読んだ詩編22章が浮かびました。

口は渇いて素焼きのかけらとなり 舌は上顎にはり付く。(詩編22:6)

これはイエス様が十字架に架かっていらっしゃる時のご様子でもあり、とってもとっても畏れ多いことなのですが、同じような感じに思ったのです。右頬から首筋が痙攣するような痛みで、引きつりこわばって動くことができず、唾液や息をするだけで喉が干乾びて、何かチリチリする痛いものを飲み込むように感じるのです。これが続いたら朝は来ないな、とさえ思いました。ほんとうに信じられない激痛なのですが、その痛みの中で詩編を思い起こしたり、終わりを考えて祈ったり、そんなことをすること自体が終わりの印ようにも思いました。

でも、神様はそんな私を生かし続けてくださり、翌朝、目覚めることができました。夢だったのかと思うくらい、すっきりした目覚めでしたが、かすかに鈍痛が頬に残っていました。そしてその時、神様が痛みから守り切ってくださったことがはっきりと分かったのです。

しばしば、想像を絶する苦難の中、祈ったら天使が周囲を固めて守られた、とか、光が取り巻いて守ってくれた、というお証しを記事や本で読みます。奇跡そのものは信じていても、天使や光が守るなんてなー、と思っていた私でした。でも目覚めと共にわかったのは、私が眠る間、神様が痛みと闘って防いでくださった、ことを確信したのです。言葉に出すこともできなかった痛みの中の祈りに応え、私の横で見守っていてくださったのです。

見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。 (詩編121:4)

確信が更に固まったのは、痛みの原因を調べた時のこと。症状と周囲の状況から神経の痛みだろうと「顔面神経痛」で調査すると、以下の記事がありました。

三叉神経痛(顔面神経痛)の知識 Tic Douloureux チック・ドロロ
フランス語で三叉神経痛のことを Tic Douloureuxといいます。douloureuxというのは,dolorosaというラテン語に語源をもちます。苦しみ,痛み,悲しみという意味です。via dolorosaというのは,via(道)ですから,苦難の道という意味です。キリストがゴルゴダの丘の処刑地までを歩いた道と言われています。フランス人の神経学者は,三叉神経痛がそれほどひどい痛み(キリストが十字架を背負った痛み)であるということを表現したくて Tic Douloureuxと名付けました。Tic Douloureuxは人間が感じられる最も過酷な痛みであるとも言われています。


ここにイエス様の十字架のこと、苦難の道(ヴィア・ドロロサ)を見て、やっぱり、と知ったのです。VIA DOLOROSAは、先日工藤篤子さんが歌ってくださって心に響いていた曲であり、この痛さはイエス様の十字架を思い起こすためのものであり、目覚めは神様の恵みを思い出すものでした。物事に偶然はありません。ひとつひとつのことを通して、神様は「今」知るべきこと、しなければならないことを教えてくださいます。私に教えられたことは、自分の痛みを通して他人の痛みを知ること、そしてそれを祈ること。

何かを心に決めて、歩みを進める時、いつも神様は特別なギフトをくださっていました。今回は、工藤さんから教えられて詩編を毎日黙想するようになって約10日。だからこそ、この痛みを受けとめられ、痛みを通して賛美ができました。神様はいつも側にいて、必ず助け出してくださることを、確かに知った恵みの朝でした。この朝を、あなたも知ることができるよう、痛みの中にある人を覚えて祈ります。イエス様は、呼べば答えてくださる神様です。




ヴィア・ドロロサは「悲しみの道」
ほふられる小羊として来られたキリスト
王、わが主
それは彼ご自身が願ったことだった
あなたへの愛のため、そして私への愛のため
ヴィア・ドロロサを通って
カルバリの丘でその命をささげるために

きょうの教会ごはん (父の日編)

2014年06月14日 | 羊のご飯
きょうの教会ごはんは、父の日を祝ってガッツリメニューのビーフシチュー!実は、教会の「父」は宣教中なので、「将来の父」しかいませんが、イベント企画好きの作り手の気分と、そして何より、教会には私たちの真の父、「天のお父さん」がいらっしゃるからです。

イエス様の公生涯の最初、洗礼を受けられた時、「天のお父さん」は聖霊様と共に、「愛する子」を祝福してくださいました。そして、イエス様はその後絶えず、父である神様との交わりを持ち、私たちに「天のお父さん」のことを教えてくださいました。以前、三位一体のメッセージで聞いたように、この父なる神様と、子なるイエス様、そして助け手の聖霊様の関係が、完全なる愛の関係を示しています。イエス様が、山上の垂訓で、また主の祈り、そして生涯すべてを懸けて私たちに教えてくださったのが、この愛の関係なのです。

イエス様の洗礼後すぐに、サタンがその関係を壊しに誘惑しました。またイエス様の「父」についての教えはこれまでにないもので、民衆はビックリして思わず引いたほどでした。当時のしゃちこばった律法主義は強い拒否反応を示し、これを理由にイエス様を十字架につけました。しかし、イエス様は最後まで「天のお父さん!」と叫んで、完全な信頼を貫かれました。

先週はペンテコステでしたが、二千年前、イエス様はこの「天のお父さん」との関係を完全に全うして天に帰られました。そして、教会に「助け手」である聖霊様を送ってくださったのです。ですから、今、この愛の関係と完全な信頼は、地上の教会に与えられています。だから、毎週私たちは「天のお父さん」との会話を楽しみにして集まっているのです。あなたもこの「天のお父さん「とのお食事会にいらっしゃいませんか。




7月8月はえんぢぇる牧師訪米予定です。特別集会も予定しています。あなたのところにも参上します。ご希望の方はご連絡ください。

ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。一緒にご飯を食べましょう。心の食べ物も用意しています。えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を受け取ってほしいのです。 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



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中国宣教レポート(2) 迫害や収監さえも“福音を伝える好機”と考える人々

2014年06月12日 | 羊、朝の一声

 中国には政府公認の教会と、未公認の「家の教会」の2種類の教会しかなく、欧米や日本では当たり前になっている教派や教団といったものが存在しません。カトリック系の教会もありますが、ローマ教皇による叙任権の管轄外にあって教皇庁側からは認められていないのです。

 河南省だけでおよそ3千万人のクリスチャンがいると言われていますが、少なくともその10人に1人が、前述した「家の教会」のリーダーに教えられた人か、間接的に教えに触れた人と考えられ、単純計算しても彼は300万人のリーダーなのです。

 実は20代や10代の若者でも、数千人の信徒リーダーであることは普通です。中国では信徒数を数えることにあまり意味はありません。千人規模で驚かれる日本の教会とはまったく次元が異なる世界です。一言で言うと、中国の教会は「初代教会そのものの姿」なのだと思います。



(都市部で華々しい開発が進む一方、郊外や地方では変わらない街並みが。こうした路地裏に多くの「家の教会」が生まれている)


 中国の「家の教会」、つまり「地下教会」の彼らは、公安にいつ摘発されるかわからないなかで礼拝を続けています。単に人との交流や食事などが目的で 来ている人は一人もいませんでした。また、私は彼らから中国政府に対する悪口や恐れに関する話を一言も聞いたことがありません。

 家の教会のリーダーたちは歯ブラシとタオルを常時携帯し、いつ収監されてもいいように備えています。年端のいかない神学生たちも、監獄は“最高の神 学校”であるという意識を持っています。彼らは迫害や逮捕を正面から受け止めているだけでなく、それさえも“福音を伝える絶好の機会”と考えているので す。

 ちなみに、中国のインフラや農村の住環境は、日本人の想像を絶するものです。高速道路沿いの宿でさえ、シャワーのお湯は出ない、ゴミだらけ、ノミも泥棒もいて当然。留置所や刑務所の食事やトイレの状況などは推して知るべしの世界です。

 彼らも、教会も、宣教師訓練所もみな、貧しいです。日本ではメッセージをした者が謝儀を受け取るのが普通ですが、中国では私たちが彼らに献金を置い ていきます。彼らは私たちに野菜や果物をたくさん持たせようとしてくれますが、それが謝儀の代わりです。中国ではそれが普通のことなのです。


(さびれた路地の奥に地下教会や神学校が開かれている)



■ 彼らには恐れがなく、迫害には神の助けがある

 「家の教会」のリーダーが開いている神学校の学生たちのレベルは驚くほど高く、日本や欧米では諸々の神学論争に発展しているような難しいことを、18歳の女の子がサラリと明確に答えるのを見て、私はとても驚きました。

 講義中でも「アーメン!!」の応答の連続で、非常にアクティブで元気いっぱいです。「地下教会」と聞くと、ひっそりと隠れて小声で話し合っているイ メージを持つかもしれませんが、彼らが小声で賛美をしているのを聞いたことがありません。確かに彼らには「恐れ」がないのです。「愛」の対局が「恐れ」で あることを思い起こさせられます。

 若者たちは、わずか9カ月間で4つの獄中書簡をすべて暗記してしまいます。でなければ卒業できないのです。このことは、私たち日本人クリスチャンに は信じられないことですが、事実です。彼らは明日にも投獄されるかもしれないことを想定し、聖書がなくても伝道することができるよう訓練を受けているので す。


(高速道路のゲート。インフラは進んでいるようでもあるが・・・)



 激しい迫害に対しては、このような神の力と助けがある。迫害とリバイバルは裏と表。中国の地下教会の姿は、正に初代教会の姿ではないかと思います。中国に限らず、おそらくインドや北朝鮮などの迫害下にある教会は、同じような状況にあるのでしょう。

 私が日本での活動において、「聖書の原点に戻れ!」と主張しているのは、このようなリバイバルの現実を見ているからです。日本のリバイバルは、特定の教派や教団からではなく、人間的な壁を越えた、「家の教会」などの現場から起こると私は思っています。

 それまで20人程度だった教会に突然、「どうしたらクリスチャンになれるのですか?」という人たちが数百人も来るようになる。それがリバイバルで す。今までリバイバルが起きた国ではすべてそうなっています。では、本当にそうなった場合、そういった状況に対応できる教会が、いったい日本にどれくらい あるでしょうか?

 リバイバルと謳う教会はあっても、実際にリバイバルの準備をしている教会は、私の知る限りほとんど日本には存在していないのではという印象です。で すから今のうちから、「家の教会」においても、地域教会においても、聖書を人々に正しく伝えることができる人材を一人でも多く育てていく必要があると私は 示されています。

 私は中国の地下教会のリーダーたちを日本に呼んで、日本の教会でメッセージをしてもらったり、温泉に連れて行ってもてなしてあげたいと心から思います。ですが、それはこの世においては残念ながら不可能です。

 中国の貧しい農民がパスポートを手にすることはほとんどありません。パスポートを持てる中国人は、全体からするとかなり裕福な人たちです。なにより 中国政府はクリスチャンを反政府主義者としてみなしていて、パスポートを発行しません。彼らは中国国内から出ることができないのです。(続く)---5/30/2014 Christian Today---


※ 日米中3カ国の「家の教会」を巡るミッションを続けている「Good News Station」の創設者で巡回伝道師の田中啓介牧師による中国宣教レポートをお届けしています。


■ Good News Station
http://goodnewsstation.com
http://goodnewsstation.com/ienokyokai.html(家の教会を始めよう!)
http://goodnewsstation.com/lets-cell-list.html(Let's Cell)
http://bit.ly/1qMtAsE (YouTube)







きょうの教会ごはん (TO GO編)

2014年06月10日 | 羊のご飯


今週はペンテコステ!教会のお誕生日を祝う礼拝です。礼拝後、コンサートなどのお誕生日イベントが続いていて、ゆっくりランチをしている時間がなかったので、途中で食べられるよう、おむすびを用意しました。炊き込みご飯のおにぎりです。

教会には、最高のお誕生日プレゼントが与えられました。聖霊様です。そして、イエス様は「聖霊を受けよ。」とおっしゃいました。教会に繋がることで、このプレゼントのご相伴に与るのです。祈り、聖書の御言葉を聞き、共に励まし合って、神様を礼拝する時、教会は成長します。リバイバルが来ます。イエス様に会うのです。その大宴会に共に集う仲間を探しています。土曜日の朝はグレンデールへ!

7月8月はえんぢぇる牧師訪米予定です。特別集会も予定しています。あなたのところにも参上します。ご希望の方はご連絡ください。 213-324-6942 / Mutsumi


小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ12:32)


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アナハイムセルチャーチ ホームコンサートwith 工藤篤子さん

2014年06月04日 | 羊、朝の一声
今週はアナハイムセル(家の教会)に行きました。ドイツ在住の音楽伝道師、工藤篤子さんがホームコンサートとお証しの時を持ってくれると聞き、信仰の大親友、のお勧めに引き寄せられました。素晴らしい時間でした。お証しも、お歌も。特に、スペイン語で歌われた、「もしも私がそこにいたなら」に泣かされました。スペイン語から離れて四半世紀が過ぎ、意味もはっきりわかるほどではありませんが、「もしも私がそこにいたなら、私がイエス様を十字架につけたのだ」という言葉が、心に波のように押し寄せました。以下、教えていただいた歌詞を書いておきます。


「もしも私がそこにいたなら」

  もしも私がそこにいたなら、あの群衆の中に
  あなたの死を願い、
  十字架につけた人たちと一緒にいたなら、
  認めざる得ないことだが、私も一緒に
  十字架に打ち付けたのだ、
  わがイエスの御手を。
  もしも私がそこにいたなら。

  よく考えてみれば、
  私もそこにいたのだ。
  私があなたに唾を吐き、脇腹を傷つけた。
  よく考えてみれば、
  私がいばらの冠をかぶせた、
  わが主なるお方の頭に。
  もしも私がそこにいたなら。

  もしも私がそこにいたなら、
  十字架の足元で
  孤独の極みに父なる神に叫ぶ声を聞きながら
  認めざるを得ないことだが、私も同じように
  息絶えるのを待っていたのだ、
  あなたの苦しむ姿を眺めながら。
  もしも私がそこにいたなら。





頼まれて動画を撮りましたが、撮っておいてよかったぁ!と神様に感謝。(音があまりよくなくて、ごめんなさい。)日曜日の午後2時半から、ガーデナのGOSPEL VENTURE教会でコンサートがあります。入場無料!生の歌声は、鳥肌モノですよ!ぜひ、お出でください。

Gospel Venture International Church
17811 S Western Ave. Gardena, CA 90248
Tel (310)279-9444
http://www.gospelventure.com/

ノアの箱舟工事中?

2014年06月02日 | 羊、朝の一声


ほのぼのしていい感じ?いやいやいや、こんな和んでないから、ほんとうのノアは。ま、宣伝には良いとして。


創世記6章から、ほんとうのノアのお話。

これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。
ノアは神と共に歩んだ。 ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。
この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。

神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。

神はノアに言われた。
「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。
 見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。(略)
 見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。
 地上のすべてのものは息絶える。
 わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。
 また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。
 それらは、雄と雌でなければならない。
 それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。
 更に、食べられる物はすべてあなたのところに集め、あなたと彼らの食糧としなさい。」

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。



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