
今日のテーマは、「重荷を捨てて!」。最初の難関、といったところ。御国への歩みに、神様の声を聞くために、妨げになっているものがある。私たちの過去の人生から持ち込んだ「重荷」であり、この学びでは「要塞」とも言われる。
テキストにあった「重荷」リストをチェックして、心が痛んだ。

確かに私はまだ重荷を負っている。捨てるべき古い荷物を持ち続けていたりする。そして感じた。私はそんなヤツなんだ、だから助けて欲しいんだ、とさらけ出すことができる仲間への感謝を。目の前で受け止めてくれている霊の家族の大切さを。
いい年になると、取り繕うことばかり上手になる。でも、それは決して解決にならない。「赦すには意志が必要だ。赦すことは、あきらめることではない。」今週の礼拝で受けたメッセージをシェアしながら、他人を赦すことはもちろん、自分をも赦していくことを学んだ。それが重荷を手放していく。癒していく。できないところは、霊の家族が祈り、励ましてくれる。そしてどうしてもできないところは、神様が取り去ってくださる。難関を経て、恵みを得た思いだった。

しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。(エフェソ2:4-6)
でもまた、伝えることの難しさ、自分の未熟さも知った。神様がこのスモールグループにくださる恵みをもっともっといただくことができるよう、私が言葉で伝えられなかったことが御声となって届きますよう、サポートのお祈りをお願いします。