きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

神に触れる

2008年01月29日 | 羊の群れ
 さて、いよいよ「御声を聞く部屋」の真髄とも言えるところに入って参りました。今回のテーマは「神に触れる」。最初に2つの質問がありました。

 ①私が神様と交流する時、主はどこにおられるのだろう?
 ②私のどの部分が神様と交わるのだろう?

 「天にいらっしゃる愛するお父様、…」、多くの祈りをこんな風に始めませんか。しかし御言葉は、神様は私たちから遠く離れておられるのではなく、私たちの「内に」、ごく近くにおられるとあります。祈りの時、私たちの内なる人が神様と交わっており、心を明け渡すことで主との交わりが深められます。そんな神様との関係作りは、それをどれだけ大切に思うか、どれだけ優先するか、そのためにどれだけ時間を割くか、に従って強められていきます。

 「愛する」とは「大切に思う心」と、ある宣教師さんが仰いました。「愛するお父様」を大切に思うなら、その方との時間も同じように大切なはずです。また、「愛する」ことの始まりは、相手の必要を知ること、そしてその必要のために力を注ぐこと、と私の先生が仰いました。神様は私たちを愛してくださっていて、その必要もご存知で、そのために力を注いでくださっています。対する私たちは何ができるでしょう?御声を聞くこと。すべてはこれから始まります。

 実に信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(ローマ10:17)

 テキストに記されていた神様の声の特色です。
(1) 私たちの最も深い領域で語られています。
(2) 自分の普段の考えと違うことがあります。
(3) 内側から自然と溢れ出てきます。
(4) 極めて個人的な特別なメッセージです。
(5) それが自分の思いからではないと、自覚できます。
(6) 神様のご臨在を感じ、主の力を知ります。

 加えて、以前GNSの田中先生より聞いた神様から与えられた思いの特徴として、継続的であること、聖書的であること、人のためになるものであること、などがありました。神様に触れること、御声を聞くこと、どちらもその状況や感じ方は様々で、ひょっとしたら上記以上のこともあるかもしれませんし、曖昧と言えば曖昧です。が、そのためにすべきことは決して曖昧ではありません。神様との時を大切にし、御声を聞く姿勢をいつも持つこと。神様の声と気付かなかったサムエルに神様は何度も語ってくださいました。そうとわかるまで幾度も。だから私たちはサムエルのように願いましょう、「どうぞお話しください、僕は聞いております。」と。



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祈りの力

2008年01月22日 | 羊の群れ
 今回の「御声を聞く部屋」は、スケジュール変更を考えました。遠方から友人が来ていて、ぜひ会いたかったので、翌日に変えようかと思ったのです。しかし、「神様とのコミットメント」を大切にすることを思い、少しの時間だけでも行うことを決めました。ところがその日に限って集まりが悪い。。。今回から核心部、「神に触れる」テーマに入るため、中途半端に進められず、結局ちょっとした証しと簡単なプロローグだけで終りかな、と思った時、一人の方が仰いました。「Mさん(私)のために、お祈りしたい。」

 祈りは力だ、と感じました。時間に押され、スケジュールに押され、雑事に押されている私たちが守るべきは、神様との心の交流、それが「祈り」です。それこそが、「神様とのコミットメント」なのだと知らされました。御言葉は語っています。『また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。(マタイ18:19)』

 私たちは、日々の祈りを大切にしているでしょうか。以前教えられたことですが、すべての祈りは聞かれています。そして、すべての祈りに応えが返ってきているのです。

(1) Yes!:神様からのOK。GOサイン!
(2) No!:残念ながら、今はダメ、という神様からのお返事。
(3) Wait!:まだ早い。今はその時ではない。もう少し待て。
(4) 求めているものと違うものが与えられること。自分にとってより必要で、より正しいものを神様がくださる。

 祈りの応えは、どれかの形で返ってきています。ただ、私たちはどうしてもすべてにYes! を待ち望み、あるいはそれしかない!と妙に思い込み、他のお返事が届いているのに、見ようとせず聞こうとしません。そこにお返事があるのに、気に入らないからという理由で無視して、尚も求め続けることがあります。神様は、神様だけは私たちにほんとうに必要なもの、ほんとうに大切なものをご存知です。

 牧師先生のお話ししてくださった喩えです。

息子が野球をしたい、と言い出した。
それは賛成。
ところが、そのためにプロ選手が使う最高級バットが欲しい、と言った。
それはダメ。
XXX…
まずは子供用のお手軽バットで練習させる。
.....
ほんとうに必要になった時、どんな高級なバットでも与えてあげる。

神様の祈りの応えもこれと同じです。

 そんな神様を知りたい!と思う方、次回はいよいよ「神に触れる」が始まります。「御声を聞く部屋」にいらっしゃってください。毎週火曜日午後5時半から、トーランスのスタバで待っています、神様と共に。



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聖霊の力

2008年01月15日 | 羊の群れ
 前回、「聖霊を受けること」と「しもべとして生きること」がひとつに繋がると学びました。「聖霊に満たされることを願うのは、主の力が私たちに注がれる時に、さらに有効に人々に仕えることができるからです。」とテキストは始まり、前回の内容を確認します。今回の聖書箇所には、霊の賜物についてこのように記されています。

一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです(Ⅰコリント12:7)

 賜物を祈り求めるのも必要ですが、先ずは主との交わりをリラックスして楽しむこと、ただ、主のためにお役に立ちたいという気持ちを持って交わり続けることです。この『御声を聞く部屋』も、そのような“時”を大切にして、お互いを建て上げること【オイコドメオ】に重点を置いていこうと思います。

正に絶妙と言えるタイミングで、今週の礼拝後の学びの時間に、『聖霊様の働き』について、とても大切なポイントを牧師先生から教えられました。今回の『御声を聞く部屋』は、そのことについてのおさらいです。

 「聖霊様」とは御霊のことであり、イエス様は「助け手(原語でパラクレートス)」と呼ばれました。クリスチャンになると、この聖霊様が降って、私たちの内に住んでいてくださいます。どこか遠いところでふわふわしていると思ったら大間違い。私たちの心の中心から、頼りない私たちを日々導いてくださっているのです。さて、聖霊様の働きは大きく3つに分けられることを学びました。それは・・・

1) その人の傍らにいて、罪の自覚を生じさせ、イエスが主であることを知らせる

2) その人の内にいて、その人を罪から離れさせ、クリスチャンとしての言動に導く

3) その人の上から降り、主の力強い証し人となる力を与える

 クリスチャンの内には、聖霊様が内在してくださっています。それは、からし種サイズから山ほどの大きさまで実に様々で、その人に対する聖霊様の影響力は、本人が聖霊様にどれだけ自分の心を明け渡しているかと言う、その人の霊の状態に応じて変わります。そしてその「状態」は他の誰でもありません。私たち自身が作っているのです。

 だからこそクリスチャンは皆、聖霊様の力が及ぶ範囲、霊の領域を広げて、少しずつ増やすように考え、実行して行くことが必要です。これが所謂『聖化の段階』と呼ばれる状態です。ここで気付くのは、前回学んだ「置き換えの法則」。自分が今持っている悪いものを捨てない限り、新しい良いものは得られず、何時までたっても、聖霊様のスペースは広がらないと言うことです。

 牧師先生は、聖霊様の働きは一言で言うと、『イエス・キリストを証しする力』と、仰いました。その力はダイナマイトの語源でもある『デュナミス』と原語で記された爆発的な神様の力です。この力から、私たちは以下のような特別な霊による力を得ることが出来るようになります。

主の御心を知る福音理解力

殉教をも恐れない宣教力

主の愛に生きる愛による一致の力

 私たちはこの爆発的な力を、十分に働かせているでしょうか!? 礼拝後の学びの中でも、聖霊様によって授けられる霊の賜物は、決して自分のものではなく、神様からの借り物であることを忘れてはならない、と教えられました。また、テキストにも「聖霊の賜物を本来の目的から切り離して考えては、何の価値もなくなる、その活かし方に焦点を合わせること。」とありました。

 すべての動機は、御霊の実の最初にあり、最上の霊の賜物でもある「愛」=神様=聖霊様から溢れてくるはずなのです。神様との交わりを楽しみたい方、聖霊様に満たされたと願っておられる方は、毎週火曜日の夕方5時半、トーランスのスタバに是非、いらっしゃってください!http://goodnewsstation.com/schedule.html



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神様からのギフト

2008年01月08日 | 羊の群れ
 2008年の「御声を聞く部屋」は、聖霊に満たされる、というテーマから始まりました。「聖霊のバプテスマ」「霊の満たし」は、多くのキリスト者が願い求めるものです。それは間違いではありませんが、この『人生の山頂を目指して!』テキストの第5週「御霊に満たされる」は実はサブタイトルで、メインタイトルは「しもべの生き方」とあることに気付きます。

 一見、まるで別のことのように思えるこの2つ、聖霊としもべが自分の中でしかと繋がる時、目が開かれるのだと思います。私もまだまだわかっていない、受け取っていない、と知ってがっくり来ると同時に、共に学ぶ仲間からのの言葉で励まされました。それは、その人に内住する聖霊様の力ある言葉でした。

 テキストに「聖霊の満たしとは、主のいのちが絶えずあなたのいのちに流れ込んでいること。」とあります。イエス様を信じて、新しく霊に生まれたキリスト者は、主のいのちと共に生きています。受け取っていない、流れ込んでいないと思うなら、「十字架のもとに行って受け取る」こと。 私たちは、ほんとうに心から受け取ろうとしているでしょうか。求めるその時、十字架のもとへ立ち帰っているでしょうか。

 更に心にグサリとくる「置き換えの法則」を学びます。聖霊に満ち溢れたいのであれば、先に持っている中身を捨て去らなければ、新しいもので満ちません。自分自身を吟味すること。「充満」を望む一方で、決して手放さない何かを、まだ内に握り締めていないかどうか、またその動機が愛と神様に根ざしてるかどうか。長年持ち続けていた大切だと思っていたものを離すのは辛いことです。苦しさ、悲しさもあるでしょう。だから、今日の私のように、目の前の仲間が手を差し伸べてくれるのです。励ましてくれるのです。霊の家族こそが「神の恵みの仲介者」として目の前にいてくれます。これは、何よりの神様からのギフトだと思いませんか。

 ギフトをまだ受け取っていないと思う方は、ぜひ御声を聞く部屋にいらしてください。神様に不可能なことは何ひとつないのですから。


そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」 (ルカ11:9-13)

イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。 (ヨハネ7:37-39)


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