きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

霊と身体で知った“ABC”

2010年08月26日 | 羊の声
昨日の記事で書いた「Procrastination」の原因は、5つ挙げられていた。

1. 決断できない心
2. 完璧を目指す思い
3. 恐れ
4. 怒り
5. 怠惰

何かを始められないこと、進められないこと、続けられないことにはそれなりの理由がある。立派な理由、しかし実は非常に個人的な。私もまた「Procrastination」している幾つかのことがあり、上記のいずれか、あるいは複数ミックスの理由を堂々と掲げていた。でも、やっぱりそれは個人的な理由だった。それを知ったのは、礼拝のアプリケーションから。


始めるべきは、過ちを見過ごさないこと、過ちを過ちと認める力を求めること。まさに「Aあたり前のことをBバカになってCちゃんとする。」こと。聖霊様は私たちの傍で「罪」を自覚させてくださる助け手です。この御方に頼る時、私が一元に生きる一歩を踏み出すことができる!そして一元に生きることを、霊で知っていくことができるのだ、と示されました。(クリスチャンのABCのアプリケーションから)


礼拝アプリケーションを「Procrastination」しながら、自分では平気の平左で真逆な内容を記しるところに、個人的な理由=言い訳だと発見した。御言葉に教えられて、痛いけれど確かなアプリケーション!御言葉の力ってやっぱりスゴイ!そしてそれを神様は先週から語り続けていてくださった、私の目に留めさせてくださっていた。今になってその導きに驚き、気付かなかったバカさ加減が情けなかった。

「言ってることとやってることに辻褄合わせろ!」 師の教えであり、当然、真理である。この基本的な真理を、Aあたり前のことをBバカになってCちゃんとしよう。

カラダで覚える英単語、『PROCRASTINATION』

2010年08月25日 | 羊の声
先週のサドルバックからのディボーションに「Procrastination」という言葉を見た。よくわからなかったので辞書で意味を調べると「延引」とあり、日本語もよくわからない。でも要は「ぐずぐずしていること」「後回しにし続けること」だ。心理学的用語の現代語だそうだ。何よりこの写真で覚えると、もうバッチリ!

私にとって問題は、言葉を覚えるかどうかではない。リック・ウォレン先生は、Procrastinationは問題を引き起こし、機会を失わせ、人を傷つけると書いていらっしゃった。私がこの言葉に目を留めたのは、それなりの意味がある。私自身の問題に、神様が注意を促しているのだ。そのことを知ったのは、しばらくしてからのこと。続きは明日。

2010年08月23日 | 羊の声
。。。という、やや大それたタイトルをいただいてお証ししました。えんぢぇる師からの事前アドバイスは、

(起)導入:未信者の注目を引く一般的話題から
(承)変えられる前の自分:御言葉の意味
(転)変えられた後の自分:御言葉の働き
(結)奨励:慰め・励まし

 を大切にすること、そして「何故あなたは変えられたのか。」という皆が知りたいポイントを明確にすること。基本であり、あたり前だけど、結構アタマ抱えてしまいました。評価については神様にお任せしますが、嬉しかったのは、お証しにも登場したお友達が聞きに来てくれたこと!当人目の前に話すのは、やや気恥ずかしく、緊張もありましたが、でも、思わず涙ぐんじゃうくらい、嬉しかった。

私は「礼拝に来てね~」って軽く言うことができず、手に汗握り締めて、思わずどもっちゃったりして、聞く側にはきっと「何ごと?」みたいな風にしか誘えないのです。今回も少なからずそうだったはず。でも来てくれた。嬉しかった。ありがとう!

そしてわかったのは、誘えば来てくれるんだ、ってこと。私が誘わなければ、神様も連れて来れない、ってこと。どんなに祈っていても、礼拝があるよ、お証しをするよ、ってことを伝えなければ、祈りの力は発揮されないこと。まだまだ手に汗かいちゃうかもしれないけど、どもっちゃうだろうけど、もっと誘って、もっと嬉しさをもらおう。そんなちょっと欲張りモードになるほど舞い上がっている私です。ついでに文字を大にして言いましょう!

GNS礼拝は日曜日朝10時から!来てね!





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あれは三年前。。。

2010年08月21日 | 羊の声
礼拝として、最初にお証しをしたのは2007年10月。約3年を経て、明日はお証しです。タイトルは、早々に神様から与えられたのですが、内容がなかなか来ない!まとまらない!結局、今日土曜日ほぼ丸一日PCとにらめっこでした。

のお証しは素晴らしかったもんな~とか、ちょっとコンプレックス入っていると、彼女のブログで応援してくれていた。感謝!たとえ差が付いているとしても(神様には関係ないけど)、私には私にしか伝えられない人がいる。その人のために精一杯の希望を伝えることができるといいな。神様、明日は助け手を送ってください。お祈りしています。


アプリケーションってなんぞや?

2010年08月18日 | 羊の声
GNSでは、礼拝後のアプリケーションを行うことを常としている。「御言葉はアプリケーションできて、何ぼ!の世界」は、えんぢぇる師の常套句。アプリケーションとは「適用」であり、「御言葉の実践」だと教えられたものの、私はこの意味がよくわからなかった。礼拝の感想を言う、心に響いた御言葉を分かち合う、疑問な部分を尋ねてみる。そんな風にお茶を濁しながら、何となく過ごしてきたアプリケーションだが、心のどこかで「これはアプリケーションと違う。」と思っていた。

昨年7月から、教会のみんなでLIVING LIFEを共同購入し、毎日それをつかって御言葉の黙想を行った。以前、同じLIVING LIFEをトライしたことはあったが、一人でしていたこともあって、ほとんど続けることができなかった。しかし今回は、教会の仲間でシェアリングし、励まし合うことができたためか、先月無事に1年間を完了した。1年続けた時、神様は私にご褒美をくださった。「アプリケーション」の意味を教えてくださったのだ。

礼拝の感想を言う、心に響いた御言葉を分かち合う、疑問な部分を尋ねてみる、これらは皆、「私が」思うこと、考えること、わからないことだ。「アプリケーション」というのは、この礼拝で受けた「御言葉が」私に、また私の生活にどう働くか、それを見ることだ。まさにパラダイムシフト。これを知った時は、飛び上がるくらい嬉しかった。これまでもやもや頭を取り巻いていたベールが、さっと剥がされて視界が明るくなった感じ!

しかし、それから約一月経って、依然「自分が!」アプリケーションもどきを続けていることに気付いた。まさに今週の礼拝、ABCの如く、わかっているつもりでもほんとうにわかっていなかった、心に刻んだつもりでも刻んでいなかった、そんなショッキングな自己発見。でも同時に、だからこそ訓練していく、絶えず歩む方向をチェックしながら成長を願う。神様がくださった(一般的には)小さな、しかし私にとってはかけがえのないご褒美を、大切にしてそれを「適用」させられるか。それが私の今のアプリケーションだ。

神様、ステキなご褒美、ありがとう。大事に、そして上手に使ってあなたに「適用」を見せたいと願います。




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あたり前のことをバカになってちゃんとする

2010年08月16日 | 羊の声
今週の礼拝は、「クリスチャンのABC」。大失敗を仕出かした。(いつものこと?)

「ABC」とは

  A(あ)たりまえのことを
  B(ば)かになって
  C(ちゃ)んとやる!

こと。これがGNSの標語であるというのは初耳だけど、このメッセージは聞いた事があるし、ABCの上の意味はしっかり私の内に刻まれているものと思っていた。で、思わず「古いネタ」と口走った。御言葉を語る牧師に。。。口は災いの元。そして、しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。(マタイ15:18)

更に、調べてみると「あたり前のことをバカになってちゃんとする」が語られたのは、2007年4月。自分自身が書き込んだコメント欄を見ると、嗚呼、恥ずかしい!その時と今と、全然変わっていないていたらく。

先日のQTセミナーで、「信仰が停まっていると自分が思うなら、それは実は、気付いていないだけで落ちているよ。信仰は絶えず成長しているものだから。」という講師の先生自らが指摘されたことのある言葉を分かち合ってくれた。それってまさに、私!?三年前のメッセージからわざわざ再確認してくださった牧師の忍耐と寛容を、そしてメッセージでも語られた神様の成長を願う愛をここでも知った。

と言う事情で、元気がない私(自業自得だ。)に、当時のコメントに書いてくれたミミ先生の言葉がしみ込んでくる。自分では内に刻んだと思い込んでいたにも関わらず、私の霊には届いていなかったのだ。今度こそ刻めるだろうか。半分でも、ほんとうの意味で知りたいと願っている。足りないところだらけの私を支えてくれる神様の家族に感謝。そして、赦してくれた牧師先生の大感謝。この場を借りて「ごめんなさい」と言います。


こんな、小さく、何もできない私を神様が用いてくださるのですよね。私たちは、キリストの身体です。神様は、私たちに足りないところを創って、この世に送ってくださいました。なぜなら、その足りなさゆえに神様を知るため、そして、愛する神の家族と協力するため。時々、「こうでなければならない!」と思ってしまう私がいます。でも、それは、「ほんとう?」とイエス様は、語りかけてくださいます。間違えていたら、まず、神様にそして、迷惑かけた人にあやまれるようになりたいです。そして、神様から力をいただいて神様の御心を知り、実行していく時、この世で神の御国を見ることができるのだと思います。少しずつではありますが、一歩一歩確実に、励まし合い、協力し合い、赦し合って歩んでいきましょう!(By ミミ先生)



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エデンの回復

2010年08月14日 | 羊のお出かけ
今月3回に亘って行われる「QTセミナー」に行って来ました。最初に教えられたことは、「QT= QUIET TIME」とは、エデンの回復の時間であること。

神様は人間が生きる場所として「エデンの園」を創られました。しかし神様に背き、罪を犯した人間はエデンの楽園から追放されます。そしてクリスチャンとなったその時から、それぞれの生活にエデンを回復させて行くのです。神様といつも一緒にいるエデンでの生活を。それが、私たちクリスチャンの使命。

そのために、毎朝、静かな神様との語らいの時、神様の声を聞く時を持ち、一日かけてその御言葉を「適用」させるのです。それによって生活が変化し、人生が成熟していくのです。これは「訓練」なのだと教わりました。集まったみんなと実際にQTをしてみて、今まで自己流で行って不十分だった点、できていなかった点がわかり、QTの魅力が一気に倍増!最近、ダラけてしまっていた分、感激もひとしお。朝の時間が楽しみの今日この頃です。

人生が変わる秘訣、QTを知りたい方、ぜひGOOD NEWS STATIONの礼拝へお越しください。必ず、100%、あなたの人生が輝き始めます。



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LTGって素晴らしい!

2010年08月12日 | 羊の声
毎週火曜日はLTG、LIFE TRANSFORMATION GROUPの日。と始めて3ヶ月が過ぎ、私にとっては「なくてはならない!」恵みと癒しの時となっている。

前日にはTCSのカウンセリングセミナーで感じたこと、知ったことの分かち合いを実践もしてみた。同じ学びをしていても、同じ礼拝メッセージを聞いていても、それぞれの心に入ることは結構違う。前日のミラーリング練習では、同じ言葉を繰り返される中で、自分の言葉に見ていなかった部分を再発見する経験をしたが、今日のLTGでは、違う言葉の内に、異なる視点で見えたことを教えられることがあった。共に学ぶことの喜び、恵みを感じられた。

さて、今週のLTGで感動したことは、なかなか祈れない日が続いている最近、祈りの課題は、私の信仰。もっと神様と近く、キリストの内にあって祈ることができるように、と祈ってもらった時、心に響いたことは、「小さき者の祈りをも主は喜ばれる。精一杯祈りなさい。力を尽くして、主なる神を愛しなさい。」ということ。この私にはと同じようには祈ることはできない。でも、私にしかできない祈りがあり、それを一生懸命祈ることを神様は望んでいらっしゃる、とわかった。

LTGがこんなに祝福されるのは、この場で私たちは自らの心を砕くこと、頑なさにひび入れることをしているから。悔い改めは必要だ。霊的成長のためにも、そしてまた人生を豊かにするためにも。


LTGの本が今月発売です!(私も欲しい!)


神様の“声”とは?

2010年08月08日 | 羊の声
今、加藤常明先生のメッセージを聞いている。敬愛するがくださったもの。先生が牧会していらした鎌倉雪ノ下教会のサイトでは、これまでにもたくさんのことを学ばせていただいたし、お会いしたことがないけれども、名人と言われる先生のメッセージを聞いてみたい!とは常々思っていた。それが叶ったのは、神様の恵みと、そんな私の思いを知って尽力してくれたの愛。感謝して拝聴している。

さて、職場関係でどうにも怒ってしまう出来事があった。「あなたの仕事のやり方がなっていないのよ!」と叫びたくなるようなこと。とばっちりを受けて、私はとても不愉快、不機嫌、不満足。ふと前を見ると、御言葉カレンダーが目に入る。

怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。(エフェソ4:26)

と思うものの、「怒っていないよ、ただ不機嫌なだけ。あ~、あとで祈ってもらおう。」と無視を決め込む。仕事を終え、何となく不快な気持ちのまま帰路へ着く。車のCDから加藤常明先生のメッセージの御言葉が語られる。

何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。(フィリピ2:3-4)

.....「これは教会の中のことだよね。職場では仕事できない人はできない人だもん。私より優れているなんて、、、ねぇ。。。」歯切れ悪くなりつつも、自己弁護を続ける私。そして、LTGの場所に到着し、テキストを開いて追いついていない部分を読み出すと、そこに書かれていたのは、

まことのクリスチャンの、一番決定的なしるしは、赦すことです。

もう何も言えない。追いかける神様の声に降参するしかない。神様の“声”は、決して直接耳に入らないかもしれない。(もちろん聞こえる人もいるけれど。)しかし、聖書を通して、人の言葉を通して、祈りの時を通して、いつでもどこにでもそれはある。それら、自分にとって都合の悪いこと、従いたくないことには耳を閉ざし、「神の声が聞こえない!」と言うのは大きなマチガイ。神様はどんな時でも、私を見てくださっている。見つめ、守り、導きを様々な形の“声”で語ってくださっているのだ。それを感じたひと時だった。次は、それに従うことが課題。そんな私に、更に神様は語られる。

待った機従順を通して、日々、霊的に成長する8月となりますように。

語ってくださる神様に感謝。

フランチェスコ「平和の祈り」

2010年08月05日 | 羊の声
もうひとつ、お祈りをご紹介。



主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに愛をもたらす人に、
争いのあるところに許しを、疑いあるところに信仰を、
絶望あるところに希望を、闇あるところに光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらす人にして下さい。
主よ、慰められるよりも慰めることを、
理解されることよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを求めることができますように。
私たちは、人に与えることによって多くを受け、
許すときに許されるのですから




Lord, make me an instrument of your peace;
where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon:
where there is doubt, faith ;
where there is despair, hope
where there is darkness, light
where there is sadness, joy
O divine Master,
grant that I may not so much seek to be consoled as to console;
to be understood, as to understand;
to be loved, as to love;
for it is in giving that we receive,
it is in pardoning that we are pardoned,
and it is in dying that we are born to Eternal Life.
Amen.



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