きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

聖霊の風吹くコンサートで

2011年01月29日 | 羊のお出かけ
癌との闘病中であっても、自分に与えられた賜物、歌を作ることに精一杯の力を注ぎ、その成果を神様に献げて癒しをいただいたハワイの中村裕二牧師のコンサートに出かけてきました。彼の歌も、お証しメッセージもすばらしいものでしたが、何よりも語られたのは、「(いつでも)主を覚える」ということ。

ゴスペル・シンガー、カーク・フランクリンの曲で、親友の死に寄せて作られたものがあります。それは決してメソメソ暗い感じではなく、喜びにあふれた元気の良い歌。何故?天国に入り、イエス様と永遠に一緒にいられる喜びがあるから。天国で私たちは「完全」になれる、そんな歌を聴きながら、今失っているものの大きさ、あるべきそれがない切なさがグッと胸に迫ってきました。そこで目に入ってきたのは、礼拝堂演壇に掲げられた言葉、「IN REMEMBARANCE OF ME (わたしを覚えつつ)」。

中村師のメッセージでも、病気の苦しさの中でしがみついた御言葉「主が共にいる」に力を得た、というお証しを聞きました。私たちはいつでも神様の存在、神様が共にいてくださることを覚える時、聖霊の力によって力を得ます。賛美とメッセージから教えられた、聖霊の風に満たされたコンサートでした。





善きサマリア人

2011年01月26日 | 羊の声
今週のメッセージは、「善きサマリア人」の喩え話から。

イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った

ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」


誰でも道端で人が倒れていたら、助けてあげたい!と思う。しかし実際、その人の側に近寄って抱き起こしてあげられるか、というと、頭でYES!であっても、専ら体はNO,NO,NOだ。トヲル師も数週間前、同じような経験をして、思わず通り過ぎようとしてしまったことを証ししてくださった。思い直して抱き起こしたは良いが、倒れていた人の汚物が手についてしまった、とも聞いた。助けてあげたい!でも、自分には何もできないかもしれない、下手に関わっても嫌な思いをするかもしれない、汚れるかもしれない、傷つけられるかもしれない、そんな思いに囚われて、結局私たちはだれも助けられないのではないだろうか。そして多くの場合、道の向こう側を通って行くのだ。

しかし、近寄って介抱して下さる方がいた。たぶんそれも夕方だったように思う。日が落ちて、夜が迫り、ボコボコにされて倒れたいた人もいよいよ死を覚悟したその時、もうだめだと思ったその時、誰かが近寄ってきて助けてくれた。自分の危険を顧みず、自分が乗っていたロバのスペースを譲り、自分の持ち物をどれだけでも使って助けてくれる方がいた。それがイエス様だ。そうと信じる信仰だ。とすると、、道の向こう側を通って行ったのは、自分というより、金銭、権力、事なかれ主義、損得勘定、自己中心、そんなものとは言えないだろうか。日頃なければならない!と固守していても、いざという時に命を救えないもの。「あなたの隣人は誰か?」その答えに生きる道が確かにある。




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私にとってのイエス様

2011年01月18日 | 羊の声
今週の礼拝メッセージが心に残りました。

ある夜、異様な気配を感じて目を覚ましたJくん(15歳)は、家が火事になっていることに気付き、急いで外へ飛び出します。「助かった!」とホッと一息つく彼の耳に、まだ赤ちゃんの弟の鳴き声が家の中から聞こえてきました。「あの子はまだ中にいるんだ!」、と知った彼は、消防車到着を待つことなく、一目散に炎の燃え盛る家の中に戻っていきます。やっとの思いで弟の部屋にたどり着き、自分のガウンで彼が火傷しないように大切にくるみ、外へ向かいますが、その時には周囲一面炎の海。体中に火がまとい付き、髪の毛のこげる匂い、焼け付く熱さが彼を襲います。彼は火だるまになりながらも、弟だけを守り抱きかかえながら、やっとのことで外へ逃げ出すことができました。

月日が経ち、あの時、ガウンに包まれて助け出された弟は18歳になりました。彼の容姿はすれ違う人が皆振り返って見るほど、非常に麗しく、町一番の美青年に成長しました。どこへ行っても、誰もが彼に好感と憧れの眼差しを向け、誰もが彼とおしゃべりがしたいと近づいてきます。そして同時に、彼の横にいる人間とは思えない風貌の男に、嫌悪と蔑みのような目を向けるのです。不躾に問い質す人は稀でしたが、どの人の目も一様にこう尋ねていました。「こんな美青年のあなたと、この化け物のような男といったいどんな関係があるのですか?」

その時、美青年は何ら臆することなく、横にいる兄、Jの手を尊敬と愛情と信頼を持って取り、興味津々の人々に答えます。「彼に何があったのか、喜んでお知らせします。すべての方々にぜひにも知って欲しいことだからです。ただ、きちんと時間をとってください。僕は、彼の身に何があったのか、僕と彼との関係を余すことなくどなたにも知っていただきたいのです。」



JESUS(イエス様)は私を美しく、誰の目にも好ましく映るように願って、そうあるためにご自身を醜く、嫌悪しか持たれない様な姿に貶めてくださいました。それがイエス様が私にしてくださったことです。イエス様の十字架によって生かされている私は、十字架の意味を、イエス様の身を挺した愛を、余すことなくすべての方々に伝えていく使命があるのです。そんな思いを新たにいただいた素晴らしい聖餐の時でした。神様からの何物にも代えられないプレゼントです。このプレゼントはすべての人に、あなたにも用意されています。取りに来るのを忘れている方、ぜひ日曜日には教会へいらっしゃってください。教会にはあなたへのプレゼントが置かれているのです。



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2011年01月15日 | 羊、朝の一声
先週お誕生日の朝、夢を見ました。小さい私が、ちょうどこの絵の羊状態でイエス様に抱きしめられている夢。しかし、ただほんわりした夢ではありませんでした。MU羊がかすかに見えるイエス様の背後には、イエス様を鞭打ち続けるローマ兵が見えたのです。イエス様はMU羊をしっかりとその胸に抱え、命を懸けて守ってくださっていました。夢はその1シーンだけ。目覚めた時は、その意味があまりよくわかりませんでした。その後の礼拝で、「人の痛みを自分の痛みとする信仰」について教えられた時、ハッと気付きました。MUは、守ってくださっているイエス様のぬくもりも、その血の熱さも、真摯な思いも、全然わかっちゃいない、ただ守られてのほほんとしている「羊」に過ぎないことを。

ショックでした。夢だから温度は感じなかった、と言えるかもしれません。でも、私の信仰がまさに「絵に描いた餅」であることを突き知らされたようで、ショックでした。今もなお。多くの方から温かいメッセージやプレゼントをいただいたお誕生日に、神様がくださったこの夢のプレゼントは、「人の痛みを自分の痛みとする信仰」へ踏み出させるもののように感じています。イエス様が、私を守って鞭打たれ、しかもそれは私がしでかした罪のためであり、その流された血によって私の罪は赦された。まずはこのイエス様の痛みを自分の痛みとして知り、そして人の痛みを自分の痛みとすること求めていくように示された新しい1年の幕開けでした。

今日の一枚:夕焼け

2011年01月13日 | 羊の声
天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても
その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。
そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。


みみた様のブログによると、日本はかなり寒いらしい。この冬は、インドでもヨーロッパでも大寒波に襲われている。あくまでも個人的感覚だけど、LAも例年に比べて寒いと思う。今週に入ってから、かなり暖かくなって、ちょっとホッとしている。そんな天候の変化も影響するのか、今日の夕焼けも素晴らしい色合いだった。思わずカメラを持って外へ飛び出る。ピシリと指示する師匠は遥か寒い日本の空の下だが、何気に教えられた技は何気に上達しているように感じる、、、のは傲慢?教会の外から見た今日の夕焼けです。

至福の誕生日

2011年01月10日 | 羊の声
先週は、MUのお誕生日でした。嬉しかったこと、たくさんプレゼントとしていただきました。



一番最初にお祝いしてくれたのは、何とAちゃん。
前週の内に手作りプレゼントを作ってくれました。


神様への感謝を込めて、私自身も私にHAPPY BIRTHDAY!
お誕生日当日のお弁当メニューは、やっぱりから揚げ!


当日夜には、お友達がバースディお好み焼きを作ってくれました。
どことなく、ケーキみたいで、GOOD IDEA!


更に、ホットプレートで“タコ焼き”を作るのに挑戦。
テレビ番組でやっていたそうです。
さすがJちゃん、あなたの冒険心には頭が下がる。。。

 
翌日には、ニューポートビーチのお友達お宅で、ケーキをいただきました。

 
更に翌々日もお祝いは続きます。
教会ではケーキとお花をいただきました。


更に更に、夕方の礼拝でも別のケーキが。。。
ありがとう、王子!(ケーキの王子様?)




メッセージもたくさんいただきました。私は、その辺りナマケモノで、面倒くさがりで、愛がないので、クリスマスカードも年賀状も今回まったく手をつけられなかったのですが、そんな私に、「愛を伝えること」の素晴らしさを教えてくれたたくさんの友がいました。イエス様をはじめとして。この感謝の心を大切にして、この1年は「愛を伝えること」に熱心になろう!と思っています。先のお誕生日の方、どしどしお知らせいただいて、このナマケモノの熱心を試してやってください!

かき揚げの失敗に学ぶこと

2011年01月06日 | 羊のご飯
教会には、美味しいお食事が絶対不可欠!これがMUの持論です。私自身、教会へ行く度に美味しいものを食べさせてもらい、そこで聖書のお話を聞き、そして遂にはクリスチャンになったので、「お食事不可欠」は経験に基づいた知識。もちろん、「家の教会」でもお食事不可欠!今日はがんばってかき揚げを作ってみました。レギュラーレパートリーではないので、事前に本やサイトでレシピをチェック。「まとまらずに失敗してしまいました。」「かき揚げをうまく揚げるには?」というフレーズは見るものの、「ふーん」と鼻で笑って適当に作り始める私。結果は、まとまらなくって失敗。

失敗の要因は、タネが十分でなかったこと。揚げ油の中、お箸で一生懸命まとめようとするも、牛蒡は牛蒡、玉葱は玉葱、エビはエビと各自勝手にまとまって分裂してしまう!それを見ながら、「何か教会事情みたい。。。」なんて呑気なことを考えてしまいました。まとめるのに必要なのはたっぷり十分な「生地」。そして教会をまとめるのに必要なのは、たっぷり十分あふれるほどの「神様の愛」!

まとまりきれなかったかき揚げメニューは、急遽「かき揚げ丼」に変更。こんな失敗作でも、「美味しいね!」って食べてくれるのも教会の家族なら。そんな励ましに応えたいから、今度は失敗しないよう、しっかり生地と愛に満ちたかき揚げを作るぞ!美味しいお食事を楽しみながら、聖書のお話ができる「家の教会」は食仲間を募集中。あまり高価ではないご希望メニューと共に、MUまでご連絡ください。(213-324-6942/CEL)




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2011年の抱負

2011年01月03日 | 羊の声
 三が日が終わり、いよいよ2011年も本格的にスタート!ですね。とはいえ、私は10月に職を失って生活が変わり始め、11月から教会のことを引き継ぎ、12月からは突然の臨時アルバイトでまたまた生活スタイルに変化があり、いやもう、バタバタの数ヶ月です。日々の作業だけに追われて、クリスマスのプレゼントもご馳走も、お正月のお料理もご挨拶も、まったく考えることができません。本来、「あー、できなかった。。。ダメな私。」と落ち込むところですが、落ち込む時間すら与えられないグルグル状態。これは「虚しい人生」の究極だな、って考えてしまいます。何とか立ち直りたいのですが、嵐の渦の真ん中にいる時、もう自分でコントロールすることもできないのですよね。逃れる術をご存知の方、ぜひ教えてください。

 いや、ひとつ確かな解決方法があるのです。それは神様に祈ること。まず祈れ!!、、、クリスチャンの仲間に相談したら、100人が100人そう言うでしょう。私もそう思います。が、目の前のたくさんの雑事を見ると、祈りが何となく短くなって、何となく省略してしまっている情けない私がいるのです。あーあ、どうしましょう。

 もちろん、そんな風なのでNEW YEAR'S RESOLUTIONなどまだ受け取っていません。敬愛するみみた様のブログでは、こんなアドバイスをいただいています。

 神様の前に、聖霊様の助けをいただき、悔い改めの祈りをして、聖書を前にして、神様に真摯な心で祈り求め、神様とのふか~い(深い)、のぉ~こぅ~(濃厚)な時間を費やすと、その年(この場合、昨年)の反省点が出てきて、年の瀬になると、心に響く聖書の箇所が与えられます。それをいくつか書き出して、祈ると、「これだ!」と言う確信が与えられる聖書の箇所「聖句」がいただけます。

 静かな気持ちで神様に祈ることができるよう、皆さんも助けの祈りをしてやってください。また、あなたの今年の御言葉、目標、VISIONは何をいただきましたか?ぜひ教えてくださいね。

2011年始まりました。あけましておめでとうございます。

2011年01月01日 | 羊、朝の一声
あけましておめでとうございます。

あれよあれよという間に、2010年は過ぎ去り、新しい年が始まりました。ブログも、心機一転更新を努めてまいります。(何度目の悔い改めでしょう。。。)覚悟して大好きなぺんぎんさんを離れ、戒めのつもりで「ナマケモノ」デザインを選びました。「ナマケモノ」デザインだけど、「ナマケナイ」ブログになる祈りをこめて。

2011年は、セルチャーチ=「家の教会」の活動様子を中心にレポートしていきます。お家で仲間と集まって、ご飯を食べて、神様の言葉を学び、共に祈る場所。まだまだ詳細を求め中ですが、これが私が今ここにいる使命の一つと思い、追い求めて参ります。本日の御言葉、「(一人でも多くの)救いを獲得するために」!「ナマケナイ」ブログのためにお祈りください。

2011年があなたにとって祝福に満ちた時になりますように。