癌との闘病中であっても、自分に与えられた賜物、歌を作ることに精一杯の力を注ぎ、その成果を神様に献げて癒しをいただいたハワイの中村裕二牧師のコンサートに出かけてきました。彼の歌も、お証しメッセージもすばらしいものでしたが、何よりも語られたのは、「(いつでも)主を覚える」ということ。
ゴスペル・シンガー、カーク・フランクリンの曲で、親友の死に寄せて作られたものがあります。それは決してメソメソ暗い感じではなく、喜びにあふれた元気の良い歌。何故?天国に入り、イエス様と永遠に一緒にいられる喜びがあるから。天国で私たちは「完全」になれる、そんな歌を聴きながら、今失っているものの大きさ、あるべきそれがない切なさがグッと胸に迫ってきました。そこで目に入ってきたのは、礼拝堂演壇に掲げられた言葉、「IN REMEMBARANCE OF ME (わたしを覚えつつ)」。
中村師のメッセージでも、病気の苦しさの中でしがみついた御言葉「主が共にいる」に力を得た、というお証しを聞きました。私たちはいつでも神様の存在、神様が共にいてくださることを覚える時、聖霊の力によって力を得ます。賛美とメッセージから教えられた、聖霊の風に満たされたコンサートでした。
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ゴスペル・シンガー、カーク・フランクリンの曲で、親友の死に寄せて作られたものがあります。それは決してメソメソ暗い感じではなく、喜びにあふれた元気の良い歌。何故?天国に入り、イエス様と永遠に一緒にいられる喜びがあるから。天国で私たちは「完全」になれる、そんな歌を聴きながら、今失っているものの大きさ、あるべきそれがない切なさがグッと胸に迫ってきました。そこで目に入ってきたのは、礼拝堂演壇に掲げられた言葉、「IN REMEMBARANCE OF ME (わたしを覚えつつ)」。
中村師のメッセージでも、病気の苦しさの中でしがみついた御言葉「主が共にいる」に力を得た、というお証しを聞きました。私たちはいつでも神様の存在、神様が共にいてくださることを覚える時、聖霊の力によって力を得ます。賛美とメッセージから教えられた、聖霊の風に満たされたコンサートでした。
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