ご無沙汰しております。あっという間に4月が過ぎてしまいました。ブログ背景にふさわしいナマケモノになり下がったMUですが、今朝ふとすばらしいことに気付き、ぜひお知らせしたいと思って戻ってまいりました。
今朝の聖書箇所は、先週から続いてきたヤコブの手紙の最後。ひとつの御言葉に目が留まりました。
だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。(ヤコブの手紙 5:16)
これはLTG (LIFE TRANSFORMATION GROUP)のための御言葉です。クリスチャンは祈ります。それがクリスチャンの力であり、呼吸だからです。しかし祈っても、自分の内にある「罪」をそのままにしていては、神様からの祈りの応答がまっすぐに入ってこないのです。それは、神様からの助けの御言葉を受け取ることができない、ということ。「罪」を悔い改めることはもちろん大切ですが、習慣化している「罪」を手放すには時間がかかることもあります。だからまずは、「告白」。信仰の友に自分の内にある「罪」、こんな汚いもの持っていたくないはずなのに、何故か愛着があって手放ずにいる罪があることを告白し、祈ってもらうのです。それが私たちが毎週欠かさず行っているLTGというもの。
実際これまでにも幾度も、LTGで告白して祈りあうことで、答えをいただく、見えていなかったものが見える、解決の祝福を受ける、ということがありました。私にとっては、信仰を持って以来、ずっと守り続けてきたLTGであり、「祈りは聞かれている」ことを体験する場です。だからこそ、今日もこの箇所を見て「LTGの御言葉だ」と心を寄せたのですが、更にふと考えてみると、今日5月4日はとLTGを始めて1年目のアニバーサリィと気付きました!
偶然でしょうか?いえいえ、神様の成される時に偶然はありません。神様は、私たちのLTGを喜んでくださっており、1年経ったその祝福と励ましに、LTGの核となるこの御言葉をくださったのです。神様はいつも私たちを見守っていてくださいます。そして、御心に従って歩む時に、こんな祝福を忘れずにくださるのです。神様の時は遅れることは決してありません。
そんな大きな神様の励ましをいただき、毎日いただく神様からのプレゼントを記していきたいと願い、再度ナマケモノからの脱出を試みてみます。ご声援のほど、よろしくお願いいたします。
今朝の聖書箇所は、先週から続いてきたヤコブの手紙の最後。ひとつの御言葉に目が留まりました。
だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。(ヤコブの手紙 5:16)
これはLTG (LIFE TRANSFORMATION GROUP)のための御言葉です。クリスチャンは祈ります。それがクリスチャンの力であり、呼吸だからです。しかし祈っても、自分の内にある「罪」をそのままにしていては、神様からの祈りの応答がまっすぐに入ってこないのです。それは、神様からの助けの御言葉を受け取ることができない、ということ。「罪」を悔い改めることはもちろん大切ですが、習慣化している「罪」を手放すには時間がかかることもあります。だからまずは、「告白」。信仰の友に自分の内にある「罪」、こんな汚いもの持っていたくないはずなのに、何故か愛着があって手放ずにいる罪があることを告白し、祈ってもらうのです。それが私たちが毎週欠かさず行っているLTGというもの。
実際これまでにも幾度も、LTGで告白して祈りあうことで、答えをいただく、見えていなかったものが見える、解決の祝福を受ける、ということがありました。私にとっては、信仰を持って以来、ずっと守り続けてきたLTGであり、「祈りは聞かれている」ことを体験する場です。だからこそ、今日もこの箇所を見て「LTGの御言葉だ」と心を寄せたのですが、更にふと考えてみると、今日5月4日はとLTGを始めて1年目のアニバーサリィと気付きました!
偶然でしょうか?いえいえ、神様の成される時に偶然はありません。神様は、私たちのLTGを喜んでくださっており、1年経ったその祝福と励ましに、LTGの核となるこの御言葉をくださったのです。神様はいつも私たちを見守っていてくださいます。そして、御心に従って歩む時に、こんな祝福を忘れずにくださるのです。神様の時は遅れることは決してありません。
そんな大きな神様の励ましをいただき、毎日いただく神様からのプレゼントを記していきたいと願い、再度ナマケモノからの脱出を試みてみます。ご声援のほど、よろしくお願いいたします。