クロスバイクで元気

念願叶った定年退職の身は、先立つ物は細く時間は太くの狭間。
歩いて、自転車に乗って感じたことを、気ままに書き続けます。

「孫だから話せるここだけの話」は、楽しいトークでした

2022年04月10日 18時28分54秒 | 郷土生れの女傑花子、市川房枝、三岸節子
楽しいトークでした。今日、一宮市三岸節子記念美術館で行われたトークライブ「孫だから話せるここだけの話」。話す人は、三岸好太郎さんと節子さんのご令孫三岸太郎さん。司会、ならびに二人の画業についての解説役が、美術館学芸員の長岡昌夫さんです。

今日まで日本の札幌、砺波、神戸、一宮と4ヶ所で巡回されてきた「貝殻旅行―三岸好太郎・節子展―」(所謂、夫婦展)の最終日を飾る三岸太郎さんの爆弾トーク。二人の画家の孫だから知る実話を、思い入れを込めての90分。

まずは、祖父好太郎さん。
生まれは『北海道厚田村ルーウィン16番地』と語っていた。ルーウィン岬はあるのだが、そんな地名は無くて、ほんとは、札幌すすきのの豊川稲荷札幌別院の近くの生まれとか。ルーウィンを名乗ったのは、祖父のロマンチシズムのせいでは。
自分のことしか考えない嘘つき野郎。奥さん(節子さん)と一緒に居ても、きれいな女性がいると声を掛ける男。
絵の為、芸術のため見えるものは、女しかない男。
『(愛人が)一緒に居ないと死ぬと言ってるから1週間だけ愛人の所に行かせてくれ』と言って、1週間経っても帰ってこず、節子さんは子供3人を連れて愛人宅に乗り込み、好太郎さんの顔をガリガリガリと、思いっきり引っ搔いたとか。

次いでは、その舌鋒を祖母の節子さんに向けます。
庭に出た時には、『画家にとって目が大事』と言って目の運動。でも祖母のは、首を上下左右にぐるぐる動かすので、目ではなく、首の運動だった。
美白に良いと言って、レモンを半分に切って、顔に塗りたくっていた。
肉が好きで、朝からステーキとか、一日中肉、肉、肉のことも。
日光浴と言いながら、裏庭をスッポンポンになって、駆けまわっていた。
と、散々の体。
でもいいことも。
『絵描きというのは、尻が腐ってもアトリエに座っていないといけない』が節子さんの口癖だったが、節子さんの心を『一日中、安定した明るい場所に居たかった』のではないかと思いやります。
コメント
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