今月5日にかつてのドラゴンズの名二塁手の井上登さんが亡くなられました。
私の小学時代にはドラゴンズの3番のスラッガーとして、4番森徹さん、5番江藤慎一とクリーンナップを組んでいました。
新聞の報道によると 「 日本一の三塁打 」 の見出しがあります。
1954年(昭和29年)11月7日(日)の西鉄ライオンズとの日本シリーズ第7戦。
0対0でむかえた7回裏1死1塁で、高校を卒業して2年目の7番バッターの井上さんが、ライオンズの河村投手からシュートを狙い打ちしたレフトオーバー三塁打が決勝打となり、ドラゴンズは歴代で唯一の完全優勝を達成。
この試合では、杉下茂さんが、3安打無四死球で完封勝利、シリーズ3勝目をあげています。
さすがに当時4才の私には、そこまでは記憶にありませんが、ベストナイン5回、オールスターに4回出場した名選手の活躍は、ラジオのアナウンサーの声とともに昨日のことのように覚えています。
ドラゴンズが生んだ名二塁手の井上登さんのご冥福を祈ります。
私の小学時代にはドラゴンズの3番のスラッガーとして、4番森徹さん、5番江藤慎一とクリーンナップを組んでいました。
新聞の報道によると 「 日本一の三塁打 」 の見出しがあります。
1954年(昭和29年)11月7日(日)の西鉄ライオンズとの日本シリーズ第7戦。
0対0でむかえた7回裏1死1塁で、高校を卒業して2年目の7番バッターの井上さんが、ライオンズの河村投手からシュートを狙い打ちしたレフトオーバー三塁打が決勝打となり、ドラゴンズは歴代で唯一の完全優勝を達成。
この試合では、杉下茂さんが、3安打無四死球で完封勝利、シリーズ3勝目をあげています。
さすがに当時4才の私には、そこまでは記憶にありませんが、ベストナイン5回、オールスターに4回出場した名選手の活躍は、ラジオのアナウンサーの声とともに昨日のことのように覚えています。
ドラゴンズが生んだ名二塁手の井上登さんのご冥福を祈ります。
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