今日は冬至。一年で一番昼が短い日です。
それと同時に、かのじょの実母の命日でもあります。
子供のころにかのじょと妹と弟の三人の子供を捨てて出ていった人は、結局すべての愛に見捨てられ、一人ぼっちのアパートで孤独に死んでしまいました。
かのじょたち3人の兄弟は、警察の遺体安置室のようなところで、硬い台の上に横たわる実母の遺体と会ったのです。
母の死の知らせを聞いたとき、妹は、「そんな人もいたんだ」などと、興味もなさそうなことばを、少し悲しそうな顔で言っていましたが、実母の遺体を見たとたんに激しく泣き出しました。弟は何も言わず黙っていた。
かのじょは、母親の顔に向かって、ただ、落ち着いて言った。
産んでくれてありがとう。もうそれだけで充分だよと。
恨み言の一つも言えばよかったのかもしれない。でも、もう死んだ人に何を言ってもしょうがない。つらいことはあふれるほどあったが、そんなことはもうどうでもいい。やさしいことを言ってくれる人は、だれもいないだろう。子供としてできるだけのことはしてあげよう。
かのじょは、実母が死んでも何も感情が起こらない白い気持ちの中に、自分でそういう心を書きこんでいったのです。
たぶん誰も覚えていない母の命日を、かのじょだけは覚えていた。1に、2が3つの日。じゅうにがつにじゅうににち。
墓参りをするにも、墓もない。母の遺骨を受け入れてくれるお寺を探してみたが、どこも受け入れてもらえなかった。お金がなければ、死んでもゆくところがない。結局母の遺骨は、弟が見つけたある遠いお寺に、無縁仏として引き取られるしかなかったのです。
さみしい思い出は、魂の中の愛の火を燃やして、ほほえみを起こして温めていきましょう。
許すという心は、愛の心の中で涙を燃やしてできてくる。
もういいんだよ。苦しいことは、終わったらもう苦しくはない。