彼、試練の天使も、かのじょのまねはかなり上手ですが、わたしはもっと上手です。
感性が、かのじょと似ているからです。
花や星や、赤子や子猫、空の虹や夕焼けなど、心に染みるものを見る時に、匂い立ってくる情感が、かのじょとわたしはよく似ているのです。
だからこうして、かのじょの甘いやさしさに似せて、ことばを紡ぐこともできるのです。
双子という存在は、魂の世界にはありません。みな、ひとりひとり、ちがいます。
地球生命には、ときに双子という存在が生まれますが、顔はそっくりでも、中に入っている魂は全く別の人間です。どんなに似ていても、別の個性をもった別の人間です。
だからわたしとかのじょも、似ていても、全然ちがいます。わたしはかのじょのように、愛しさの前に簡単に自分を折ってしまうような、女性のような優しさは持っていません。かのじょよりは、ずっと、男です。だから痛いことをするお馬鹿さんには、きついお目玉をあげることもあります。
人間はこういうわたしが、苦手なのですよ。ずいぶんとかのじょと似ているのに、きついことをするからです。
このように、かのじょとわたしは似ていても全然違う。けれども、愛と言うものは、人にいろいろなことをさせてしまいます。自分の自分らしさを少し眠らせて、かのじょに心を一歩近づけて、かのじょのかのじょらしい愛を表現してみたくなる。
あの美しくも甘い飴を作ってみたくなってしまうのです。
それは、もういなくなってしまった美しいあの人が、あまりにも惜しいからです。