世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

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長い髪のシリク⑤

2016-07-26 04:21:59 | 夢幻詩語

  5

やがて、ヴァスハエルと二人の天使たちが、白い袋をいっぱいにふくらませて、車に戻ってきました。天使たちは、人間の嘘の影で満たした大きな袋を、トランクにしまい込むと、ドアを開けて、車の中に戻って来ました。

「ほら、こんなものがあったよ」
とセロムが言いながら、シリクに小さな緑色の石を差し出しました。シリクはありがとう、と言ってそれを受け取りました。石は、菊の花のようなきれいな文様があって、耳を澄ますと、かすかな声で歌っていました。

「みんな悲しんでいた。苦しみに満ちていた」
「助けてあげようね。きっとまた、やって来て、人間たちのためにいいことをたくさんしてあげよう」
二人の天使は、シリクを抱きしめて、言いました。ヴァスハエルは舵を取って、車を動かしました。シリクは石を握りしめました。

車はしばらく、人間世界の上を飛びました。天使たちは、人間世界の様子を眺めながら、心の中でこれから何をしていけばいいのかを、考えていました。シリクは、運転席のヴァスハエルの方を見て、唇をかみしめました。そして、思い切って、尋ねました。

「お上、なぜわたしは、外に出てはいけなかったのですか。わたしも、人間のために、働きたかったのに」

するとヴァスハエルは、かすかにため息をつき、しばし沈黙を噛んだ後、言ったのです。

「おまえはまだ、悪いことをしたことがないからだ」

シリクは驚きました。天使というものは、悪いことというのも、勉強しなければならないのです。つらくても、それができなければ、悪いことをする人間たちを助けることが難しいからです。しかしシリクは、悪いことをするのがとてもいやで、悪いことの勉強をすることを、ずっと避けてきたのでした。

シリクは抗議しました。

「そんなことはありません。わたしは、コオロギを踏んだこともあるし、神の鏡を砂で汚してしまったこともあります」

ヴァスハエルは深いため息をつきました。
「そんなことは悪いことには入らないのだよ。悪いことというのは、もっと難しいのだ」

ほかの二人の天使たちは顔を見合わせました。彼らは、悪いことを教えてくれる教室に行って、勉強をしたことがあるからです。でもシリクだけは、絶対にそこには行きたくないと言って、絶対に勉強しなかったのです。

「おまえは変わった子だ。悪いことは絶対にしたくないと言って、よいことばかりをする。それを悪いことだとは言わないが、とても苦しい道だ。おまえはすべてを助けてやりたいと言って、よいことばかりを頑固なまでやり続けるが、それは本当におまえを苦しめるだろう。そういうおまえは、今はまだ、ゲルゴマキアのようなところに行ってはいけないのだよ。そんなところに行けば、おまえはあまりのことにショックを受けて、消えてしまうかもしれない」

「なんとおかしなことを。魂は消えてしまうことはありません」

「そうだとも。だが、消えてしまうと同じ事が、おまえの身に起こるのだ。今はまだおまえにはわからない。勉強しなさい」

そういうと、ヴァスハエルは、舵を上にあげました。車は高く飛び上がって、人間世界を離れていきました。

天国に戻ると、三人の天使たちは、ヴァスハエルの館について行って、そこの厨房で真実の薬を作る手伝いをしました。ヴァスハエルの作った真実の薬は、金色の真珠のような形をしていて、見るとため息が出そうなほどに美しいものでした。しかしそれを、天国の水で薄めた影の中に入れると、見る間に光が衰えて、小さくなってしまうのです。

シリクはあまりのことに、小さな悲鳴を上げました。しかし、真実の薬が、完全に溶けてしまわないうちに、ヴァスハエルは芥子粒のようにかすかな銀の毒を入れました。シリクは驚きました。なぜならそれは、天使にとってはとても悪いことだったのです。真実の薬に毒を入れるなんて、シリクにはすぐには信じられませんでした。でもその銀の毒のおかげで、真実の薬はみなまで溶けてしまわずに、小さな光は残ったのです。

ヴァスハエルはそれを確かめると、それにきれいな麦粉を混ぜて、柔らかなパンの生地にしました。天使たちは、それを小さくちぎって丸め、清らかな火で焼き上げ、かわいい菓子をこしらえました。

「これを、人間たちに食べさせるのだ。百万個のパンの中に一個の割合で、混ぜるのだよ。そうすれば、人間たちの魂は、少しずつ真実に気付いて、正しい道に戻っていく」
ヴァスハエルは言いました。

「ああ、それはとてもいいことです」
「すばらしいことです」
天使たちは口々に、喜びの声をあげました。シリクは銀の毒のことが少し心に引っかかっていましたが、何も言わずに、みんなと一緒に喜びました。

仕事が終わると、天使たちはあいさつを交わして、それぞれの仕事場に戻っていきました。シリクも、自分の花園に戻って、ひなぎくたちにただいまと言いました。

「お上のもとで、とてもよい仕事をしてきたよ。わたしもいつか、人間世界に行って、人間たちを助けてやりたい」

そうすると、花園のどこかから、コオロギの声が聞こえました。

「ああ、あのコオロギだ。足は具合がいいだろうか。幸せにしてあげることができたのだったら、いいのだけど」
シリクがそう言うと、ひなぎくたちが、少し悲しげに笑って言ったのです。

「シリク、あなたはもう少し、影を勉強しなければ」

「ああ、同じことをお上にも言われたよ。でも、できないものはできないんだ。やりたくないものはやりたくないんだよ。わたしは、悪いことをするのは、いやなんだ。ああなぜ、お上はあのすばらしいお菓子に、銀の毒など入れたのだろう。そんなことをすれば、人間が苦しいことになるかもしれないのに」

するとひなぎくたちがまた言いました。
「真実を知るためには、人間は苦しいことも味わわねばならないのよ」
「ああ、そうだとも。でもわたしなら、毒をお菓子に入れることなんてできない。でも、お上にはできるんだ。それが人間のためなんだね。でも…」

シリクがくちびるをかみしめて黙ってしまうと、コオロギが驚いたように、愛の歌を高く奏でました。シリクが、今にも消えてしまいそうに見えたからです。でもシリクは消えませんでした。シリクはコオロギの心に気が付いて、信じられないほどきれいな笑顔で、答えてくれたのです。

「ありがとう、コオロギよ。…ねえ、こんなわたしは、君たちを悲しませてしまうのだろうか。でもわたしは、どんなに無理をしても、こんな自分しかできない。やっぱりわたしは、みんなの幸せのために、これからもよいことばかりをたくさんしていくんだ」

シリクはまた目を明るくして、言いました。コオロギはほっとしたように、歌を低めました。ひなぎくたちは笑って、もう何も言いませんでした。

かわいいシリクの長い髪が、また一層長くなっていることに、シリクが気づくのは、もう少し後のことでした。


(おわり)





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