これはヤエルとシセラですね。女が男のこめかみに釘を打っている。女が男を殺す図のテーマとしては、ユディトが先に浮かびますが、これもよく描かれているようです。
旧約聖書の士師記に出てくるエピソードです。イスラエルとカナンが戦をしていた頃、敗れたカナンの将軍シセラはヤエルという女性の家に逃げこむが、そこでヤエルにこめかみに釘を打たれて殺されるのです。
かくまってくれると思って油断して熟睡していたからだそうだが、人を殺すやり方としては、少々変っていますね。何も釘でこめかみをうたなくとも。本当にそんなことをしようとしたら、途中で男に目を覚まされてしまいます。聖書にあるように、一撃で頭を貫くなんてことは女性の力では無理だ。
同じ理由で、泥酔している男の首を斬るなんてことも、女性の力では無理ですよ。どちらの話も、創作です。作家がおもしろく書いたのでしょう。
男を殺すには、刃物はいりません。色気もいりませんよ。もっといい方法がある。
愛ですべてをやったあと、何もいらないといって、ほほ笑んで死ねばいいのです。
それだけで、男は死ぬのです。いえ、死よりも恐ろしいものが待っている。馬鹿というものです。
女が、いらないというだけで、男がやったすべてのことが、何の意味もない馬鹿になるのです。
怪しいまでに知恵と力をふんだんに発揮して作った、大いなる居城も、命と体をはってやった戦争も、高い文明をうたい上げた国も、男がなしたことが、すべてブタになるのです。
何の意味もない。
なぜならすべては、あの美しい女に、いいと言ってもらうためにやったのですから。
すばらしいことをして、あまりにもいい男だと、あの女に目を見張って見てもらうために、やったことなのですから。
愛に、認めてもらうためにやったことなのですから。
わかるでしょう。あなたがたはその実例を見た。かのじょはあらゆる努力をして救済をした。そして、ほかには何もいらないと言って消えた。
それだけで、人類史がまるごと馬鹿になったのです。
人類の男がやってきたことは、すべて女をだますためだったのだと、あまりにも恥ずかしいブタになってしまったのです。
美しい女とは、恐ろしいものなのだ。あふれるほど嘘をついてでも、欲しいと思うのに、よってきてくれない。あらゆる謀略を尽くして、手にいれようともがいても、まるで追えば追うほど逃げていく月のように、捕まえることができない。
あんな女に負けてたまるかと、男の知恵と力を総動員してやったのに、結局最後まで逃げられる。そして、死なれる。
生き残った男はどうすればいいのか。
これが、死よりも恐ろしい、馬鹿というものです。男は、永遠に、この汚名を着ていきていかねばならないのです。