今日は母の日です。日本では、カーネーションを贈ったり飾ったりして、お母さんに感謝を伝える日ですね。
でもかのじょには、母の日にはいい思い出がありません。
幼いころに実母に捨てられ、二番目のお母さんには愛されず、母と慕った叔母さんには、言葉の虐待を受け続け、要するに、母親の愛情には、ほとんど恵まれずに育ったのです。なんだか踏んだり蹴ったりですね。
そういう経験をしてきた人ですから、母という言葉には、一種冷めた感情を持つ人でしたね。お母さんに感謝したくても、感謝したくなるようなことはほとんど何もしてもらえなかった。そんな子供時代のさみしさ、心の寒さは、大人になったかのじょにも、大きな影響を与えていました。
自分の子供には、同じ思いをさせたくない。大人になって結婚し、母となったかのじょは、一生懸命に子供を愛しました。
夫と心の行き違いがあっても、夫婦別れはしなかった。親が離婚した子供が、どんな思いをするか、深く知っていたからです。
女の子は、自分の母親をモデルにして、母親業をやるものですが、そんなモデルはなかったので、手探りで母親をやっていましたね。世間の母親をまねしながら、自分なりの母親をやっていた。
満点のお母さんではなかったけれど、一生懸命にやっていました。
子供時代に、あたたかなお母さんの思い出がないということは、苦しいことですよ。大人になっても、心にいつも寒い隙間がある。
お母さんというものは、子供の心を作る、あたたかなお日様なのです。