もう3週間近くも前のことになりますが、タイのバンコクで開催されたアシュタンガ・ヨガのワークショップに参加してきました。
まず、驚いたのがこれ。
参加費が2日間通すと日本円でおよそ2万円。タイはこのくらいの月給でも暮らしていける国なので、私はてっきりタイ在住を含めた外国人が多いのだろうと予想していました。
が、予想に反して参加者のほとんどがタイ人。彼らはいわゆる富裕層なのでしょうが、それにしても、こんなにもたくさんの“タイ系アシュタンギ”がいるとはまったくの予想外。
ちなみに2日目には足を頭の後ろにかける何度の高いアーサナに挑戦したのですが、私の視界に入る20人ほどのタイ人ヨギの全員が難なくクリアでさらにビックリ。
これができない私とだんなは思わず顔を見合わせ「なんじゃ、こりゃ!?」と目で合図。
でも、大丈夫。講師は私の大好きな、あのデヴィッド・スウェンソン先生ですから。
ここに写っているマットの所有者がズラリと揃って足を頭の後ろに。壮観です。
デヴィッド先生とは昨年9月に東京で受けたティーチャートレーニング以来ですので、およそ半年ぶりの再会です。休憩時間に挨拶に行ったら満面の笑みで「やぁ、また会えたね」とハグをしてくれました。
世界各地で何百人、いや何千人という人々に指導をしている大先生なので、覚えてもらえてるかどうかの確信がなかったのですが、私たちの合言葉「Sababa」も忘れてなかった!(「Sababa」とはデヴィッドがイスラエルで覚えたスラングです。)
このワークショップは週末の2日間にわたり、アシュタンガヨガの基礎、実践、哲学に触れるものでした。
一昨年の冬にイスラエルで受けたのとほぼ同じ内容でしたが、それでも手応えは充分。なぜなら、練習を積み重ねて少しばかり成長もしているし、同時に、人に教えるという立場になって初めてのワークショップでもあるため、当然、以前とは違う視野で物事を見聞きしている私がいるからです。
一度学んだことをもう一度学び直してみるって大事だなと、当たり前の事をごく素直に思いました。
今回も色々と学びを深めたのですが、改めてしみじみと感じたことに、デヴィッド先生の教え方の上手さがあります。これはやはり、私自身が人に教えるという立場に立ったために際立って見えたのかもしれません。
とにかく、ワークショップにしろ、ティーチャートレーニングにしろ、一つ一つのプログラムの構成も然ることながら、デヴィッド先生はセットアップが非常に上手く、得意のユーモアで瞬く間に参加者の心を一つにしてしまいます。
笑いだけでなく、聞かせるところはしっかり聞かせるので緩急の塩梅も素晴らしく、“流れ”という観点では、まるでアシュタンガヨガのシークエンスのよう。
「あー、この人はヨガの分野じゃなくても、間違いなく、多くの人を魅了してたんだろうなぁ」と、つい想像してしまうほど。
私は彼を“天性のエンターテイナー”だと評してみたくなりました。
無駄がないのだけど、なぜかとても豊かな内容になるのは、ひとえに彼の人柄であろうと思います。
デヴィッド先生は決して難しいことを言ったりすることがありません。むしろ、簡単な言葉や例えに置き換えて説明してくれるので、ヨガにおいて、はたまた人生において本当に大切なことが誰にも等しく理解することができます。
その中にはおそらく、彼自身が長年のヨガの修練を通してやっと得たものというのもあるのでしょうが、それすらも惜しみなく目の前にいる私たちに手渡してくれる。
そんな姿勢に私たちは何かを感じずにはいられない。
『大切なこと』というのは本来そうあるべきなのだろうと私は彼の姿勢から学びます。
『大切なこと』は、より多くの人に共有されることによって、その力が社会の中で輝いてくる。それはすなわち一人ひとりにとっての豊かさにも繋がるのではないかな、と。
今回のワークショップでも再び励まされ、そして私自身もヨガを教える中できちんと伝えたいことだと再確認したデヴィッド先生の言葉。
すでにヨガをしている人、始めてみたいけど躊躇している人、すべての人に。
「優れたヨギというのは、体が柔らかくて難しいアーサナができる人のことを指すのではありません。もしそうであるのなら、なぜ人々はサーカスで曲芸を披露する人や体操の選手の元に赴いて教えを乞わないのかということになる。人々は、身体能力と生きる知恵とがイコールではないことを知っているのに、ヨガをやり始めると体が柔らかい人の方が優れたヨギだと勘違いしやすい。僕の考える優れたのヨギというのは、その存在がその場により良い状態、より良いバイブレーションをもたらす人のことです。」
この2日間で一体私はどれほど笑い、そして心打たれたことか。
プログラムの最後にデヴィッド先生は胸の前に手を合わせ、参加した一人ひとり全員の目を見て「ありがとう」の気持ちを伝えてくれます。
こんな風に。
毎度のことですが、その時に私は、デヴィッド先生との出会いに対する感謝の思いが込み上げてきて、自然と幾粒かの涙を頬に伝わせてしまいます。
でも、今回心を打ったのはデヴィッド先生の教えのみならず。
タイの人々の優しさについても次の記事でしっかりとお伝えしたいと思います。
会場のエントランス。
参加者全員で集合写真。
ナマステ&サワディー
Nozomi
まず、驚いたのがこれ。
参加費が2日間通すと日本円でおよそ2万円。タイはこのくらいの月給でも暮らしていける国なので、私はてっきりタイ在住を含めた外国人が多いのだろうと予想していました。
が、予想に反して参加者のほとんどがタイ人。彼らはいわゆる富裕層なのでしょうが、それにしても、こんなにもたくさんの“タイ系アシュタンギ”がいるとはまったくの予想外。
ちなみに2日目には足を頭の後ろにかける何度の高いアーサナに挑戦したのですが、私の視界に入る20人ほどのタイ人ヨギの全員が難なくクリアでさらにビックリ。
これができない私とだんなは思わず顔を見合わせ「なんじゃ、こりゃ!?」と目で合図。
でも、大丈夫。講師は私の大好きな、あのデヴィッド・スウェンソン先生ですから。
ここに写っているマットの所有者がズラリと揃って足を頭の後ろに。壮観です。
デヴィッド先生とは昨年9月に東京で受けたティーチャートレーニング以来ですので、およそ半年ぶりの再会です。休憩時間に挨拶に行ったら満面の笑みで「やぁ、また会えたね」とハグをしてくれました。
世界各地で何百人、いや何千人という人々に指導をしている大先生なので、覚えてもらえてるかどうかの確信がなかったのですが、私たちの合言葉「Sababa」も忘れてなかった!(「Sababa」とはデヴィッドがイスラエルで覚えたスラングです。)
このワークショップは週末の2日間にわたり、アシュタンガヨガの基礎、実践、哲学に触れるものでした。
一昨年の冬にイスラエルで受けたのとほぼ同じ内容でしたが、それでも手応えは充分。なぜなら、練習を積み重ねて少しばかり成長もしているし、同時に、人に教えるという立場になって初めてのワークショップでもあるため、当然、以前とは違う視野で物事を見聞きしている私がいるからです。
一度学んだことをもう一度学び直してみるって大事だなと、当たり前の事をごく素直に思いました。
今回も色々と学びを深めたのですが、改めてしみじみと感じたことに、デヴィッド先生の教え方の上手さがあります。これはやはり、私自身が人に教えるという立場に立ったために際立って見えたのかもしれません。
とにかく、ワークショップにしろ、ティーチャートレーニングにしろ、一つ一つのプログラムの構成も然ることながら、デヴィッド先生はセットアップが非常に上手く、得意のユーモアで瞬く間に参加者の心を一つにしてしまいます。
笑いだけでなく、聞かせるところはしっかり聞かせるので緩急の塩梅も素晴らしく、“流れ”という観点では、まるでアシュタンガヨガのシークエンスのよう。
「あー、この人はヨガの分野じゃなくても、間違いなく、多くの人を魅了してたんだろうなぁ」と、つい想像してしまうほど。
私は彼を“天性のエンターテイナー”だと評してみたくなりました。
無駄がないのだけど、なぜかとても豊かな内容になるのは、ひとえに彼の人柄であろうと思います。
デヴィッド先生は決して難しいことを言ったりすることがありません。むしろ、簡単な言葉や例えに置き換えて説明してくれるので、ヨガにおいて、はたまた人生において本当に大切なことが誰にも等しく理解することができます。
その中にはおそらく、彼自身が長年のヨガの修練を通してやっと得たものというのもあるのでしょうが、それすらも惜しみなく目の前にいる私たちに手渡してくれる。
そんな姿勢に私たちは何かを感じずにはいられない。
『大切なこと』というのは本来そうあるべきなのだろうと私は彼の姿勢から学びます。
『大切なこと』は、より多くの人に共有されることによって、その力が社会の中で輝いてくる。それはすなわち一人ひとりにとっての豊かさにも繋がるのではないかな、と。
今回のワークショップでも再び励まされ、そして私自身もヨガを教える中できちんと伝えたいことだと再確認したデヴィッド先生の言葉。
すでにヨガをしている人、始めてみたいけど躊躇している人、すべての人に。
「優れたヨギというのは、体が柔らかくて難しいアーサナができる人のことを指すのではありません。もしそうであるのなら、なぜ人々はサーカスで曲芸を披露する人や体操の選手の元に赴いて教えを乞わないのかということになる。人々は、身体能力と生きる知恵とがイコールではないことを知っているのに、ヨガをやり始めると体が柔らかい人の方が優れたヨギだと勘違いしやすい。僕の考える優れたのヨギというのは、その存在がその場により良い状態、より良いバイブレーションをもたらす人のことです。」
この2日間で一体私はどれほど笑い、そして心打たれたことか。
プログラムの最後にデヴィッド先生は胸の前に手を合わせ、参加した一人ひとり全員の目を見て「ありがとう」の気持ちを伝えてくれます。
こんな風に。
毎度のことですが、その時に私は、デヴィッド先生との出会いに対する感謝の思いが込み上げてきて、自然と幾粒かの涙を頬に伝わせてしまいます。
でも、今回心を打ったのはデヴィッド先生の教えのみならず。
タイの人々の優しさについても次の記事でしっかりとお伝えしたいと思います。
会場のエントランス。
参加者全員で集合写真。
ナマステ&サワディー
Nozomi
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