僕の好きな唄シリーズ・第2弾。
フォーククルの「イムジン河」
作詞 朴世永
作曲 高宗漢
日本語詩 松山猛
補作曲 加藤和彦
イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥自由にむらがり飛びかうよ
我が祖国 南の地 おもいははるか
イムジン河 水清く、 とうとうと流る
北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を 二つにわけてしまったの
誰が祖国を わけてしまったの
イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ おもいを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも 忘れはしない
イムジン河 水清く、 とうとうと流る
このCDが発売されると、すぐに購入した。今、初めて歌詞カードを、見たのだが、松山猛さんのメッセージが載っていたので、チョイ長いが全文載せます。
僕が”イムジン河”という歌を初めて耳にしたのは、京都で育った中学生の頃のことだ。
その頃朝鮮系の生徒と日本の若者は、ことあるたびにケンカばかりしているという現実をなんとかしたいという、純情な動機を胸に、サッカーの対抗試合を提案に出かけた時、当時銀閣寺近くにあった朝鮮中高等学校の、どこからか聴こえてきたコーラスが”イムジン河”だったのだ。
それから数年、十代の終わり頃にザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦に、ステージで歌ってみたらとその歌をつたえた。
あの頃京都はアマチュアによるフォークソング・ブームの只中であり、そしてアジアの一画ヴェトナムでは、終りのなさそうな戦争が続いていたのだ。
戦争で傷つく人や破壊される文化や暮し、そして政治的対立による国家の分断。そんなことはもうごめんだし、早く世界が希望にあふれた人間の棲家となれるようにとの、願いをこめて詩を書いたのだった。
ザ・フォーク・クルセダーズのアマチュア時代の自主制作レコード”ハレンチ”が、思いがけなくも世間の注目を浴び、”帰って来たヨッパライ”に次ぐ、シングル・カット第2弾として用意された”イムジン河”は、あまりに政治的問題の種にされやすいと、発売を目前に、東芝レコードが発売を中止するとの判断をしてしまった。
以来三十余年、この歌は封印されてしまったにもかかわらず、多くの人の魂の中で歌い継がれてきたのだった。当時ラジオ番組で数回ながされただけだと言うのに。
イムジン河はそれから、僕にとっても幻の流れとなりそうだったのだが、今から五年前に、在日韓国系の知人が、松山さんにはあの河を見る責任もあると言われ、彼と共に朝鮮半島三十八度線への旅をしたのだった。
厳寒の一月、凍てつく大気のもと、イムジン河周辺は白氷におおわれていたが、雪溶けが始ると、機雷が浮かぶとその日に聞いた。
発売中止から三十年以上の時が流れたが、朝鮮半島には事実上の国境と言うべき軍事境界線が今もあり、また世界の各地では民族や宗教の対立による紛争が、ますますエスカレートするばかりの現実がある。
イムジン河は、地理のうえの河ではなく、実は人間と人間のあいだにも流れる、心のへだたりでもあるかも知れないと、僕は大人になって考えたのだ。
二〇世紀に生み出された、イデオロギーの対立、そして経済の世界の南北問題、この世はこれからも複雑で在り続けるだろうけれど、自らの魂の窓を大きく開いて、他者を見つめその言葉を聴き、相手の文化に敬意を払うことから、僕たちは生き続けていかねばならないのだ。
今回、封印をとかれた”イムジン河”から、それぞれが乗り越えなくてはならぬ何事かを感じ、未来への希望の種を、多くの人に発見してもらいたいとこの一文を記した。
以上、松山猛さんのメッセージでした。
松山猛さんのふらっと(人権情報ネットワーク)多民族共生問題を考えるのページにリンク。http://www.jinken.ne.jp/kyousei/matsuyama/
CDとカバーの写真
二木紘三さんのWebサイト・「イムジン河」のページにリンク。http://www.duarbo.jp/versoj/v-folksong/imujingawa.htm
YouTubeの「イムジン河」サイトへのリンク。http://youtube.com/watch?v=M6I7byV5Zu8
フォーククルの「イムジン河」
作詞 朴世永
作曲 高宗漢
日本語詩 松山猛
補作曲 加藤和彦
イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥自由にむらがり飛びかうよ
我が祖国 南の地 おもいははるか
イムジン河 水清く、 とうとうと流る
北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を 二つにわけてしまったの
誰が祖国を わけてしまったの
イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ おもいを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも 忘れはしない
イムジン河 水清く、 とうとうと流る
このCDが発売されると、すぐに購入した。今、初めて歌詞カードを、見たのだが、松山猛さんのメッセージが載っていたので、チョイ長いが全文載せます。
僕が”イムジン河”という歌を初めて耳にしたのは、京都で育った中学生の頃のことだ。
その頃朝鮮系の生徒と日本の若者は、ことあるたびにケンカばかりしているという現実をなんとかしたいという、純情な動機を胸に、サッカーの対抗試合を提案に出かけた時、当時銀閣寺近くにあった朝鮮中高等学校の、どこからか聴こえてきたコーラスが”イムジン河”だったのだ。
それから数年、十代の終わり頃にザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦に、ステージで歌ってみたらとその歌をつたえた。
あの頃京都はアマチュアによるフォークソング・ブームの只中であり、そしてアジアの一画ヴェトナムでは、終りのなさそうな戦争が続いていたのだ。
戦争で傷つく人や破壊される文化や暮し、そして政治的対立による国家の分断。そんなことはもうごめんだし、早く世界が希望にあふれた人間の棲家となれるようにとの、願いをこめて詩を書いたのだった。
ザ・フォーク・クルセダーズのアマチュア時代の自主制作レコード”ハレンチ”が、思いがけなくも世間の注目を浴び、”帰って来たヨッパライ”に次ぐ、シングル・カット第2弾として用意された”イムジン河”は、あまりに政治的問題の種にされやすいと、発売を目前に、東芝レコードが発売を中止するとの判断をしてしまった。
以来三十余年、この歌は封印されてしまったにもかかわらず、多くの人の魂の中で歌い継がれてきたのだった。当時ラジオ番組で数回ながされただけだと言うのに。
イムジン河はそれから、僕にとっても幻の流れとなりそうだったのだが、今から五年前に、在日韓国系の知人が、松山さんにはあの河を見る責任もあると言われ、彼と共に朝鮮半島三十八度線への旅をしたのだった。
厳寒の一月、凍てつく大気のもと、イムジン河周辺は白氷におおわれていたが、雪溶けが始ると、機雷が浮かぶとその日に聞いた。
発売中止から三十年以上の時が流れたが、朝鮮半島には事実上の国境と言うべき軍事境界線が今もあり、また世界の各地では民族や宗教の対立による紛争が、ますますエスカレートするばかりの現実がある。
イムジン河は、地理のうえの河ではなく、実は人間と人間のあいだにも流れる、心のへだたりでもあるかも知れないと、僕は大人になって考えたのだ。
二〇世紀に生み出された、イデオロギーの対立、そして経済の世界の南北問題、この世はこれからも複雑で在り続けるだろうけれど、自らの魂の窓を大きく開いて、他者を見つめその言葉を聴き、相手の文化に敬意を払うことから、僕たちは生き続けていかねばならないのだ。
今回、封印をとかれた”イムジン河”から、それぞれが乗り越えなくてはならぬ何事かを感じ、未来への希望の種を、多くの人に発見してもらいたいとこの一文を記した。
以上、松山猛さんのメッセージでした。
松山猛さんのふらっと(人権情報ネットワーク)多民族共生問題を考えるのページにリンク。http://www.jinken.ne.jp/kyousei/matsuyama/
CDとカバーの写真
二木紘三さんのWebサイト・「イムジン河」のページにリンク。http://www.duarbo.jp/versoj/v-folksong/imujingawa.htm
YouTubeの「イムジン河」サイトへのリンク。http://youtube.com/watch?v=M6I7byV5Zu8