ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

<パン屑>  ペトロの手紙(1)3:8

2008-10-31 19:44:03 | バン屑
愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。(1ペトロ3:8)

この部分は、文語訳聖書ではこう訳されています。「愛する者よ、なんじらこの一事を忘るな。主の御前には、一日は千年のごとく、千年は一日のごとし」。「この一事を忘るな」という厳かな表現が大好きです。この畏まった言い方により「一日は千年のごとく、千年は一日のごとし」という言葉が印象深く心に残ります。
ところで、神においては「一日は千年のごとく、千年は一日のごとし」という思想はすごい。「千年は一日のごとし」だけなら、神の大きさを表す平凡な思想にすぎませんが、「一日は千年のごとし」という言葉が並べられることによって、神の時間と人間の時間との関係が生々しく表現されています。
この思想を誰が発見した(思いついた)のかはわかりませんが、これに類似した言葉は詩編90:4にも見られます。そこでは「千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません」とある。これは一種の詩的表現であり、神の偉大さを言い表した言葉にすぎません。
時間についての議論において、「ゾウの時間ネズミの時間」(岩波新書)という非常に面白い本があります。人間は時間というものを全ての動植物に同じようにあてはまるものと考えているが、実は動物のサイズによって機敏さや寿命が違い、要するに時間の長さがそれぞれ異なる、というのです。ゾウにはゾウの時間があり、ネズミにはネズミの時間があり、人間には人間の時間があります。人間にとって、「のろい」と感じたり、「速い」と感じてもそれはあくまでも人間の時間感覚からの話で、その動物にとってはそれが普通のことなのです。
同じように、神の時間もある、というのがこの思想のライトモチーフです。
神にとっては、人間の一日は千年のようであり、人間の千年は一日のようである、という。これを計算すると、初代教会以来現在までの約2000年は、神の時間によれば2日ということになるし、もう一つの計算によれば1000年は365,000日ですから、約70万の1000倍年という天文学的数字になります。要するに計算してもしょうがない、ということです。じつは、このテキストでは「時間」を忍耐の長さにおいて論じています。

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