out of curiosity #2

二つ目のブログに突入~!
ホッケー&山歩きで日光周辺に出没ちぅ!

行くよ、東北 #1

2015-09-09 23:31:40 | travel

2015年9月5日~6日

 上は宮城県は松島。 ホテル松島大観荘のレストラン「潮騒」から望む松島湾。 お天気が今ひとつですが、すばらしい眺めでした! お食事もおいしく大満足!!

 今回私は仕事仲間の皆さんと年に一度の研修旅行に出かけてきました。 研修旅行はその都度幹事の好きなようにして良いのですが、今年の幹事は何とわたし。w 
 今まで「週末まで仕事に携わるのはごめんだ」という気持ちで一回も出席したことのなかった研修旅行でしたが、何かの折に「東北支援などしてみたい気持ちはあるけど、がれきの撤去ができるとは思えないし、一人で行くのは不安だし。 せめて復興支援バスにでも乗って、カキの食べ放題とか行ってみたいよね。」などと漏らしたのが運のつき。 「それを研修旅行に取り上げるべきだよ」と。(;´д`)

 いやこれ、もともと私の考えではなくて、仕事仲間の友人が提案したことを「そういうのに行ってみるかもしれない」と他の人に言っただけで私がまとめるとは一言も言ってなかったのだけど。。。
 でも、「みんなが行きたいならまとめますか」と。 集まった人数なんと19名。 東北では現地の同業者も集まり、ランチは25名!

 大変なこともありましたが、終わってみればやっぱりやって良かった。 私のように東北に行ってみたい、行くべきだ、と思っていてもなかなか行くきっかけが作れなかった人がいたんだな、と改めて感じたりもしたのでした。 色んな意味で有意義だったと思っています。 そしてそれに満足して終わらせることはできない何かも残った。

 「東北に行った」のではなく、これからも「行くよ、東北」 そんな決意も新たにブログアップ。

 9月5日(土)。 東京および大宮から東北新幹線に乗り一路仙台へ。 仙台からは今年5月にようやく全線開通した仙石線に乗り「松島海岸駅」へ向かいます。 電車に乗りしばらくすると見えてくる海。 今までとは違う気持ちが少しこみあげてくる。
 けれど町は何事もなかったかのように美しく賑やかで、ホテルからのシャトルバスも時間通りに来て、「ここがあの震災があった場所なのか」とさえ思う。 美味しい料理と仲間たちとのおしゃべりでそのような気持ちも薄れてゆく。


食事の後は松島湾の島巡り。 大型船仁王丸の船旅は快適!



 変わった形の仁王島。 しかし調べればこのように普通に営業している背景にはもちろん大きな努力があったわけです。 
 松島はたくさんの島により津波の被害が少なかった、と言われています。 それでも商店街を歩いていれば「ここまで波が来ました」と書かれた紙が入口の私の顔の高さ辺りに貼ってありました。 あれから4年も経っているのです。 すっかりもとのようになった場所もあります。 けれどこの後「4年たったのに」と思わざるを得ない場所も見ることになります。


さて、松島湾クルーズ。 現在カモメに餌をあげるのは禁止ですよ~!


千貫島。 伊達正宗がこの島を城に持ってきたら千貫を与える、と言ったとか言わなかったとか。w


約50分の船旅は案外あっという間でした~! 五大堂を見て桟橋に戻ります。


 この後一行は再び仙石線で仙台にもどり、夜の宴。w しかし翌日はJRびゅうの復興バスに乗るので、そんなに大騒ぎや夜更かしはしませんでしたよ。


 9月6日(日)。 朝は6時半に起き7時からの朝食をいただきました。 ブッフェで食べる朝食はついつい食べ過ぎちゃうのですが、朝からずんだ餅をいただく! さすが東北!
 びゅうのバス集合時間は仙台駅東口に9時50分だったので、朝食後小一時間のお散歩タイム。 せっかくなので、広瀬川を見に行く。 広瀬川~、流れる岸辺~♪、と歌いながらね。w 写真は東北大学。 広瀬川の写真は事情により無し。w


 そしてようやく復興支援バス乗車。 「石巻・女川復興応援号」です。 ガイドさんが付きます。 途中女川で震災の「語り部」さんが乗ることになっていたので、このガイドさんは名所の説明だけなのかと思っていたのですが、とんでもない。 本当に心を打つ話が次から次へと。。。 朝9時50分から夕方の6時まで、飽きることなく聞き入ってしまいました。

 また同じ話をする職業の私から見て、このガイドさんは話のプロとしてとても尊敬できる方でした。 準備といい、話し方といい、何もかも。 良いバスに乗れたな~、と思いました。


 バスは三陸自動車道に乗り石巻へ向かいます。 乗って程なくすると右手に工場とその煙突が見えてきました。 日本製紙石巻工場です。 この辺すでに海沿いです。
 日本製紙と言えばアイスホッケーのクレインズの親会社です。 あの時日本のアイスホッケーも無くなるかなぁ、と心配しました。 こちらの工場も甚大な被害を受けたそうですが、今でもアイスホッケー部あって良かったなぁ。。。

 この高速道路を境に進行方向右側は海まで2~3Km といった感じです。 津波が来た時には高さ約6mある高速道路を境に海側の地域が水没したそうです。 ちょうどそのころ万が一津波があれば高速道路に上がれるように階段やはしごをつけてほしい、という話し合いが行われていたそうです。が、それはまだ決まっておらず、地域住民がはしごを掛けたり、金網をよじ登ったりして難を逃れた人もいた、という話を聞きました。 現在は避難用の階段が取り付けられてあります。

 家々は水浸しになり、畑も塩害でしばらく作物は作れなかったそうですが、もう田んぼが見えますね。


 こちらは進行方向左側です。 こちらは津波の被害はなかったものと思います。 が、高速道路下にも道路などあるでしょうから、まったく被害がなかったわけではないかもしれませんね。
 田んぼが広がる中に、濃い緑色の作物が植えられています。 これは大豆なんですね。 若いうちに採ると枝豆ですね。 そしてずんだの原料です。 そうですよね~。 このくらいたくさん植えないとですよね~。w


 高速道路を下り、「道の駅上品の里」(じょうぼんのさと)に来ました。 地域の農産物、加工品から、地域の物でないものまでw、美味しいものがそろっています。 また、温泉施設もあるのですよ。 ここでトイレ休憩、そしてお土産を買ったり、アイスクリームを食べたりもしました。 もちろんずんだアイス。w


北上川を渡り下流に向かいます。 どんどんとより被害の大きな地域に入って行くと言う事です。
 


 見えてきた橋は北上川最下流にかかる新上北大橋です。 こんなに頑丈そうな鉄の橋の4分の一くらいが流されてしまいました。 未だ復旧工事中です。



 その橋の近くに見える建物が大川小学校です。 全校児童108名のうち78名が死亡、行方不明となりました。 見ての通り学校のすぐ裏には山があります。 どうしてそこに逃げなかったのか。。。いろいろな考えや心配や事情があったのでしょうが。。。
 悲しく辛いことではあるけれど、事実を知ることが今後の安全の糸口に、そして無くなった方々の供養になるかもしれない。 そんなことしかできないから。 そんな風に思ったりします。


 学校は万が一の場合の避難場所に指定されていたそうです。 が、水の高さはあの水門の上、中央のプレートの位置まで来たのです。 15m ほど、でしょうか。 学校の屋根まで水が被ったのだそうです。