乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

子供はどう育てたらいいか

2017-07-05 22:14:34 | 私は霊力の証を見た M・H・テスター著
たいていの親は自分に出来なかったことを子供に叶えさせてやりたいと思うものである。

より立派な教育を受けさせてやりたいと生活費を切りつめ節約する。

大学へ行かせてやろうと、何かと心を砕き努力する。

卒業と同時にこんどはいい職業に就かせようと、あの手この手の策をめぐらす。

いよいよ一人前の社会人になると、こんどは〝わが子に相応(ふさわ)しい〟結婚相手を探し求める。

そして晩年は全ての財産を子供に譲って自分たちは質素でつつましい生活に甘んじる。

私の治療室にはこの種の親が大勢やって来る。

訴える病気は関節炎、動脈硬化、不眠症、潰瘍、偏頭痛、背痛、ちょっと拾っただけでもこんなにある。

このうちのどれかを抱えた人を毎日のように治療している。

一見したところ、そんな病気で苦しんでいるとはとても見えない。

ローザ夫人の例をみてみよう。

年齢は三十八歳。きちんとした身なりで、なかなか魅力ある婦人である。

自分が素敵なご主人と快適な家に恵まれていることを自ら認める。

経済的には何の苦労もないことを認める。

そして三人の子供も健康であるという。

なのに自分は重症の病気をかかえている。

なぜか。

夫人としては三人の子供にぜひ大学まで行ってもらいたい。

ところが長男は女の子に、娘はドレスのことで夢中である。

そのことがまず夫人の頭痛のタネである。

しっかり勉強してくれないと大学へ行っても奨学資金が貰えないかも知れないのです、と言う。

それがなぜ悩みなのだろう。

何が何でも大学へ行ってくれなくては、と思うこと自体がおかしい。

大学を出なくても立派に成功した人は幾らでもいる。

息子が女の子ばかり追っかけているというが、それがなぜいけないのだろうか。

男の子が女の子を好きになるのは当たり前ではないか。

息子に好きな男が出来たというなら、これは大変である。

親は大いに心配していい。娘がドレスにあれこれやかましくなったと言う。

着るものに夢中というのであれば、あのココ・シャネルだって服装に夢中になっていたではないか。(ココ・シャネル―フランスの世界的な女性服飾デザイナー。香水でも有名)

親は子供の人生にまで関与してはならない。

自分に叶えられなかったことを子供にさせようとする考えも許されない。

子供には子供の人生がある。

その人生には成功もあれば失敗もある。

がそれも子供にとって大切である。

伸び行く人間には苦痛も必要である。

よろこびと挫折、勝利と敗北、成功と失敗、こうした体験が養分となって子供は成熟していくのである。


もう一人紹介しよう。

スミザスン夫人は肩の結合組織炎を患い、激しい痛みに苦しめられている。

始終イライラし、カッとなり易く、たまらなくなるとベッドに横になる。

それほどの激痛を伴う病気が実は心因性だった。

その原因というのは二人の息子を父親の出身校のパブリックスクールに行かせるための学費のやりくりだった。

(英国のパブリックスクールは莫大な学費がかかる。パブリックといっても公立ではない)

そこで私は尋ねてみた。

「息子さん自身は次のどっちをよろこぶとおもいますか。

いつも金がない金がないグチをこぼす病気の親のもとでストレスを背負いながら名門のパブリックスクールに通うほうがいいか、それとも、いつも笑顔の絶えない両親のもとで金銭の苦労もなく気楽に近くの公立へ通うほうがいいか」答えは明白である。

では親は子供に何をしてやればよいのだろうか。

親の責任とは何だろうか。

親はまず物質的に適当な充足感を与えてやらねばなるまい。

まず家がいる。

冬は暖房設備もいるだろう。

食べものを用意してやらねばならない。

身体をいつも清潔に保ってやらねばならない。

人並みの衣服がいる。

そして大切なのは、家の中に家族の一体感を味わわせる雰囲気が漂うことである。

が、これだけではまだ十分ではない。

愛情がいる。

問題児が生まれる最大の原因は愛情の欠如である。

最近では医学的にも子供の成長にとって愛情が最大の、そして唯一の刺激となっていることがわかってきた。

赤ん坊は抱っこされ、頬ずりをされ、あやされることによって成長を促進されている。

スキンシップの重要性が見直されているわけである。

その因果関係はまだ十分には解明されていないが、人間は、互いに合わずにいるより日に何回も顔を見合わせる間柄のほうが人間関係に親しみが増すということは紛れもない事実である。

疑問に思われる方は実際に試してみられるとよい。

身近な人の誰かの肩でもどこでもよいから、顔を見合わせるごとに軽く手を触れてみることである。

触れずにいる時よりはずっと親しみを覚えるはずである。

そのほかにも愛情の表現方法はいくらでもある。

子供の悩みごとに理解を示し、同情し、親身になって一緒に考えてやるのも愛情だ。

さらに親は子に教育の機会を与えてやらねばならない。

だから学校に行かせる。

それはいいのだが、学校へ行ったからといって全てを学んで帰るわけではない。

親から学ばねばならないことも沢山ある。

人を思いやり親切を施すこと、人の欠点を見ずに善い面だけを見るようにすること、妬みや怒り、憎しみ、怨み等は相手だけでなく自分も傷つけること等々を教えてやらねばならない。

人間はどこからこの世にやってきたのか、何のために生まれてきたのか。

そして死んだらどうなるのか。

こうしたことも教えてやらねばならない。

正しい霊的真理を教えてやらねばならない。

背後霊の存在、心霊治療、健康の本質、それに清く正しい生き方とその価値を教えてやらねばならない。

善悪のけじめも教えてやらねばならない。

自分が人からして貰いたいと思うように人にしてあげることの大切さも教えてやらねばならない。

動物と人間との密接なつながりを教え、生命や愛情や笑いの方が物質的財産よりはるかに価値があることを教えてやる必要がある。

それだけ教えたら、あとは好きに生きさせることだ、余計な口を出さず、求められた時だけ援助の手を差しのべればよい。

それが親としての責任の限界である。

それ以上のものを押し付けてはいけない。

余計なおせっかいは却って障害となる。

これであなたの家庭の平和は盤石のものとなるはずである。


私は霊力の証を見た M・H・テスター著




私には思春期の娘がいる

久しぶりに、子育て問題勃発!

霊的真理を学んでいても、理想通りにはいかない。

これも、私の学びだな。

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