9. 霊界への旅立ち
恐れられている死というものは実際は新しい世界への誕生である事を述べました。
新しい世界とは一体どういう世界でしょうか?
霊界という言葉はすでに知られていると思いますがいきなり霊界に進んで行く人は少数です。
何故なら霊界はある程度以上悟った人でなければその環境に順応することが出来ないのです。
この世の煩悩を卒業し霊的に成長した人でないとそこで生活することは苦痛になってくるのです。
そこでその一つ下の段階の幽界というところに行きます。
幽界は何から何までこの世とそっくり、この世にあるものは殆ど何でもあります。
幽界はこの世の垢を落とすところです。
ですから中には自分が死んだことを自覚できない人たちがいるのです。
食べ物や飲み物も揃っていてあまりにこの世とそっくりなので自分が死んだことに気が付かない人も多いのです。
仕事をしなくていい、お金も要らない、自分の好みの家もありそこでゆっくり過ごす事が出来ます。
確かに幽界での生活は快適ですが、努力しなくても何でも手に入るような環境にいると人は退屈になってしまうのです。
人は誰にも向上心があり現状に満足できなくなってくるのです。
あたかも極楽のように思えた場所もしだいにつまらなくなってきます。
そうなると次の上のレベル、つまり霊界に自動的に入っていくようになります。
霊界には無数のレベルがあり、それがお互いに重なり合っています。
人は向上するたびに上のレベルに上がっていきます。
霊界の上の方は人間の想像を超えた世界であり、住民は互いに助け合い、愛と豊かさと喜びのなかで暮らすようになります。
あるいは私たちの祖先のなかにはそういうところで暮らしている人もいるかもしれません。
通常そういうところのいけるレベルに達するには長い年月を要します。
観音様とかその他の仏様と言われるのはそういうところの住民を意味するのかもしれませんが、仏様は人間の想像の産物であり実際にいるわけではありません。
それからも進歩というものは際限なく続き、もうこれで終わりという終着駅はありません。
全宇宙のものは常に進化向上を目指して成長するように方向付けされているのです。
恐れられている死というものは実際は新しい世界への誕生である事を述べました。
新しい世界とは一体どういう世界でしょうか?
霊界という言葉はすでに知られていると思いますがいきなり霊界に進んで行く人は少数です。
何故なら霊界はある程度以上悟った人でなければその環境に順応することが出来ないのです。
この世の煩悩を卒業し霊的に成長した人でないとそこで生活することは苦痛になってくるのです。
そこでその一つ下の段階の幽界というところに行きます。
幽界は何から何までこの世とそっくり、この世にあるものは殆ど何でもあります。
幽界はこの世の垢を落とすところです。
ですから中には自分が死んだことを自覚できない人たちがいるのです。
食べ物や飲み物も揃っていてあまりにこの世とそっくりなので自分が死んだことに気が付かない人も多いのです。
仕事をしなくていい、お金も要らない、自分の好みの家もありそこでゆっくり過ごす事が出来ます。
確かに幽界での生活は快適ですが、努力しなくても何でも手に入るような環境にいると人は退屈になってしまうのです。
人は誰にも向上心があり現状に満足できなくなってくるのです。
あたかも極楽のように思えた場所もしだいにつまらなくなってきます。
そうなると次の上のレベル、つまり霊界に自動的に入っていくようになります。
霊界には無数のレベルがあり、それがお互いに重なり合っています。
人は向上するたびに上のレベルに上がっていきます。
霊界の上の方は人間の想像を超えた世界であり、住民は互いに助け合い、愛と豊かさと喜びのなかで暮らすようになります。
あるいは私たちの祖先のなかにはそういうところで暮らしている人もいるかもしれません。
通常そういうところのいけるレベルに達するには長い年月を要します。
観音様とかその他の仏様と言われるのはそういうところの住民を意味するのかもしれませんが、仏様は人間の想像の産物であり実際にいるわけではありません。
それからも進歩というものは際限なく続き、もうこれで終わりという終着駅はありません。
全宇宙のものは常に進化向上を目指して成長するように方向付けされているのです。
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