12. 神と宗教
世界にはキリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教など様々な宗教がありますがこれらの大元は同じものです。
それはこの大宇宙を創造、支配している原理であり、言い方を変えれば大自然の摂理なのです。
天地自然の法則、神の法則と言い換えてもいいでしょう。
その法則をインスピレーション(霊示)を通して感じ取ったものをそれぞれの開祖が独自に体系付けたものが今地上にある宗教ということになります。
それはそれぞれに違う事を教えているように見えますが根本は共通です。
民族の気質や気候条件によって宗教の個性というものが出来上がっています。
昔から宗教の対立が戦争に発展してきましたが、本当は違う事を教えているわけではないのです。
仏教が発生したのは 2500 年前、キリスト教は 2000 年前、イスラム教の少し後です。
その時代から比べて人類はどれ程進歩したのでしょうか。
釈迦がいた頃は教えを書き記す紙さえありませんでした。
それよりさらに後の時代でさえ人は地球を中心に他の天体が回っていると思っていたし、船でどこまでも航海を続けていけば地の果てに到着し、そこは滝になっていて落ちてしまうと考えていました。
今や地球人類は宇宙船を使って他の天体にまで到達できるようになりました。
乗り物が発明され人は地球上をどこへでも移動できるようになりました。
インターネットや携帯電話が出来て世界の誰とでも瞬時に情報交換が出来るようになりました。
医療技術も飛躍的に進歩し昔は不治の病と言われたものでも治せるようになりました。
我々は今そういう時代にこの地球上で生活しているのです。
そこで今ある宗教というものを振り返ってみれば仏教にしろキリスト教にせよその当時から進歩というものが止まってしまっているのです。
その宗教が説いているものは今でも間違っているわけではありません。
しかし人類の知識の量と質はその宗教が出来た当時に比べて飛躍的に進歩しています。
今の人類の求めるものははるかに高度なものになっているわけです。
何かの疑問に対し小学生なら満足できるようなレベルの回答でも大人はそれでは満足しません。
いわゆる伝統宗教というものはその伝統と格式にこだわるあまり新しい知識の吸収を拒んできたのです。
死後人間はどうなるのか?
人は何のためにこの世に生まれてくるのか?
なぜ人生に苦しみがるあるのか?
それに的確に答えられる宗教はありません。
宗教も人類の進歩とともに進歩していかなければならないのです。
基本は正しい事を言っているのですからその上に新しい知識を付加していかなければ時代から取り残されてしまうのです。
実は20世紀に入ってから霊界から人類の意識改革の為に地上の世界に向けて啓示が降ろされるようになってきました。
それは霊界の上層部で綿密な計画が立てらてた大掛かりなものです。
すでにそれらは書籍として発売されてその気になれば誰でも読むことができます。
「シルバーバーチの霊訓」はその代表的なものです。
その特徴はこれまでと違って一人の教祖が現れて教えを説くのではなく私達一人ひとりに直接もたらされるようになっています。
魂に受け入れ準備が出来た人から一人ずつ真実に目覚めるようになっていきます。
目覚めてくれば自然にそういう書物に巡り合うように導かれていきます。
また霊感のある人には直接啓示が入ってきます。
一人一人が進化向上をしそれが世界規模で広がり全人類が成長、進歩していくように計画を立てられています。
今やその教えは静かに世界中に広まりつつあります。
決して目立つことなく少しずつではありますが確実に人の心の中に育ってきつつあるのです。
この冊子はこの霊界からの教えを基にして私自身の人生体験を通じて実証された誰にも分かり易いものを取り上げて編集してみました。
ここに書かれていることはその教えのほんの一部にすぎません。
生前のお釈迦様や弘法大師の教えは絶対的なものでしょうか?
残念ながらそうではありません。
彼らが活躍した時代においては先鋭的で偉大な人物でした。
しかし彼らが活躍した時代の知識レベルに相応したものでした。
時代が進んで人間が進歩してくるとさらに進んだものが求められるようになります。
すると新しい時代に応じた知識が霊界から啓示されるようになります。
それはその時代の人々の理解力より少し進んだものになります。
進み過ぎたものは人間には理解出来ないのです。
例えば釈迦や弘法大師の霊はこの世に再生していなければ霊界にいるでしょう。
彼らは現在、霊界で当時に比べて飛躍的に進歩しているはずです。
彼らは地上の人達が今も尚、当時の姿の自分を崇拝しているのを見てどう感じるでしょうか?
いい加減で真実に気づいてくれよと思っていないでしょうか。
人類は永遠に進化向上していきます。
それは終着駅のないものです。
これで終わりというものはありません。
宇宙は際限のない進化向上を目指しているからです。
その機構を作ったものが神ということになります。
神とは人間の理解力をはるかに超えた無限の叡智です。
目には見えず触れも出来ず、すべてのものに顕現し、人間の一つの細胞から巨大な天体まで、そして全宇宙のものを支配、統制しているのです。
そして私たちが真に信仰の対象とすべきものは個々の偉人ではなく、ここに表現されている存在であり、それが唯一神と呼べるものなのです。
世界にはキリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教など様々な宗教がありますがこれらの大元は同じものです。
それはこの大宇宙を創造、支配している原理であり、言い方を変えれば大自然の摂理なのです。
天地自然の法則、神の法則と言い換えてもいいでしょう。
その法則をインスピレーション(霊示)を通して感じ取ったものをそれぞれの開祖が独自に体系付けたものが今地上にある宗教ということになります。
それはそれぞれに違う事を教えているように見えますが根本は共通です。
民族の気質や気候条件によって宗教の個性というものが出来上がっています。
昔から宗教の対立が戦争に発展してきましたが、本当は違う事を教えているわけではないのです。
仏教が発生したのは 2500 年前、キリスト教は 2000 年前、イスラム教の少し後です。
その時代から比べて人類はどれ程進歩したのでしょうか。
釈迦がいた頃は教えを書き記す紙さえありませんでした。
それよりさらに後の時代でさえ人は地球を中心に他の天体が回っていると思っていたし、船でどこまでも航海を続けていけば地の果てに到着し、そこは滝になっていて落ちてしまうと考えていました。
今や地球人類は宇宙船を使って他の天体にまで到達できるようになりました。
乗り物が発明され人は地球上をどこへでも移動できるようになりました。
インターネットや携帯電話が出来て世界の誰とでも瞬時に情報交換が出来るようになりました。
医療技術も飛躍的に進歩し昔は不治の病と言われたものでも治せるようになりました。
我々は今そういう時代にこの地球上で生活しているのです。
そこで今ある宗教というものを振り返ってみれば仏教にしろキリスト教にせよその当時から進歩というものが止まってしまっているのです。
その宗教が説いているものは今でも間違っているわけではありません。
しかし人類の知識の量と質はその宗教が出来た当時に比べて飛躍的に進歩しています。
今の人類の求めるものははるかに高度なものになっているわけです。
何かの疑問に対し小学生なら満足できるようなレベルの回答でも大人はそれでは満足しません。
いわゆる伝統宗教というものはその伝統と格式にこだわるあまり新しい知識の吸収を拒んできたのです。
死後人間はどうなるのか?
人は何のためにこの世に生まれてくるのか?
なぜ人生に苦しみがるあるのか?
それに的確に答えられる宗教はありません。
宗教も人類の進歩とともに進歩していかなければならないのです。
基本は正しい事を言っているのですからその上に新しい知識を付加していかなければ時代から取り残されてしまうのです。
実は20世紀に入ってから霊界から人類の意識改革の為に地上の世界に向けて啓示が降ろされるようになってきました。
それは霊界の上層部で綿密な計画が立てらてた大掛かりなものです。
すでにそれらは書籍として発売されてその気になれば誰でも読むことができます。
「シルバーバーチの霊訓」はその代表的なものです。
その特徴はこれまでと違って一人の教祖が現れて教えを説くのではなく私達一人ひとりに直接もたらされるようになっています。
魂に受け入れ準備が出来た人から一人ずつ真実に目覚めるようになっていきます。
目覚めてくれば自然にそういう書物に巡り合うように導かれていきます。
また霊感のある人には直接啓示が入ってきます。
一人一人が進化向上をしそれが世界規模で広がり全人類が成長、進歩していくように計画を立てられています。
今やその教えは静かに世界中に広まりつつあります。
決して目立つことなく少しずつではありますが確実に人の心の中に育ってきつつあるのです。
この冊子はこの霊界からの教えを基にして私自身の人生体験を通じて実証された誰にも分かり易いものを取り上げて編集してみました。
ここに書かれていることはその教えのほんの一部にすぎません。
生前のお釈迦様や弘法大師の教えは絶対的なものでしょうか?
残念ながらそうではありません。
彼らが活躍した時代においては先鋭的で偉大な人物でした。
しかし彼らが活躍した時代の知識レベルに相応したものでした。
時代が進んで人間が進歩してくるとさらに進んだものが求められるようになります。
すると新しい時代に応じた知識が霊界から啓示されるようになります。
それはその時代の人々の理解力より少し進んだものになります。
進み過ぎたものは人間には理解出来ないのです。
例えば釈迦や弘法大師の霊はこの世に再生していなければ霊界にいるでしょう。
彼らは現在、霊界で当時に比べて飛躍的に進歩しているはずです。
彼らは地上の人達が今も尚、当時の姿の自分を崇拝しているのを見てどう感じるでしょうか?
いい加減で真実に気づいてくれよと思っていないでしょうか。
人類は永遠に進化向上していきます。
それは終着駅のないものです。
これで終わりというものはありません。
宇宙は際限のない進化向上を目指しているからです。
その機構を作ったものが神ということになります。
神とは人間の理解力をはるかに超えた無限の叡智です。
目には見えず触れも出来ず、すべてのものに顕現し、人間の一つの細胞から巨大な天体まで、そして全宇宙のものを支配、統制しているのです。
そして私たちが真に信仰の対象とすべきものは個々の偉人ではなく、ここに表現されている存在であり、それが唯一神と呼べるものなのです。