遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『夜消える』  藤沢周平  文春文庫

2023-03-23 18:12:30 | 藤沢周平
 ゆっくりしたペースで、藤沢周平の作品を読み継いでいる。文庫本末尾の「解説」(駒田信二)は冒頭で次のように述べている。
「ここに収められた七篇は、出世作『溟い海』(略)以下今日までに書かれた九十篇に垂(なんな)んとする藤沢さんの市井物の短編小説群の中で、最も制作年代の新しい一群であって、いずれも単行本未収録のものである。」(p226)
 続きの解説によれば、最初の六篇が「週刊小説」(昭和58年~平成2年)に発表され、最後の一編「遠ざかる声」が「小説宝石」(平成2年10月号)に発表されたものという。
 
 ここに収録された短編はいずれも、江戸の市井に住む男女の日々の暮らしに現れる哀感とほんの一時の歓びや人情の機微をすくい取り、描き出している。一局面の切り取り方に、著者の静かな眼差しがみえるように感じる。
 各編にそって、読後印象を含めて、簡単にご紹介する。

<夜消える>
 第1作の短編のタイトルが文庫本のタイトルにもなっている。
 おのぶは雪駄問屋藤代屋に通いで勤めている。亭主の兼七は腕のいい雪駄職人だったが、三十を過ぎてから酒に溺れてしまう。40歳のおのぶがまだ30歳になっていない手代の友蔵からそのへんで飯でも喰いませんかと誘われる。一度は断るが、二度めには断らなかった。女ごころの揺れと心理がそこに描かれる。
 娘のおきみには大工の新吉と所帯を持つという話が進む。おきみは父を新吉には知られたくない難点と感じていた・・・・。
 幸せと不幸は対なのか・・・。「おきみのしあわせは、兼七の失踪で購われたのある」という一文が重い。そこに家族個々人の思いが重層化している。

<にがい再会>
 畳屋の源次と傘問屋の新之助は幼馴染みで今も遊び仲間。二人とも親の稼業を継いでいる。源次が新之助におこまが帰ってきたと知らせにくる。おこまは7年前に姿を消した。源次は団子屋のおきくから聞いたという。さらにおこまは岡場所にいたという噂も源次は新之助に伝える。新之助も源次も、おこまに夢中になった時期があったのだ。
 新之助とおこまの再会を描く。おこまは新之助に30両を貸してほしいと持ちかける。
 新之助の心理の変転を中心に再会のプロセスが描かれる。ありそうな展開、にがい記憶の1ページとなるところに庶民感覚が表れていて説得力がある。

<永代橋>
 端切れ屋の前を通った菊蔵は、店先にいた女が別れた女房おみつだと気づく。甘酒屋で二人は近況を語り合う。そこから、なぜ二人は別れたかの回想が始まる。上方から戻って来た兄貴分の喜八と再会し、菊蔵は話の中である事実を知ることに・・・。
 己の嘘が招いた結果の再認識によって、人生再出発を決意する菊蔵の行動を描く。
 次の展開としての続編を期待したくなる短編。

<踊る手>
 裏店の露地の住人だった小間物売り・伊三郎の家族が夜逃げした。原因は伊三郎の博奕にあったという。だが、寝てるだけの状態の老婆が置き去りにされた。計画的な夜逃げだった。ならず者の借金取りの出現、食事を摂ろうとしない老婆、残された老婆の世話にやきもきする信次の母・・・子供の信次の視点から顛末譚が描かれる
 「ばあちゃん、うれしぞうだな」と信次が感じ、読者をほっとさせる結末。「踊る手」というタイトルになるほどと思う。「ほとぼりがさめた頃に」というフレーズを連想した。

<消息>
 娘を育てながら裏店に住むおしな。夫の作次郞は5年ほど前に突然姿を消してしまった。それはほんの1年ほど所帯を持った後に起こった。
 近所のおすえがおしなに、以前裏店の住人だったおきちが作次郞を見かけたという話を伝える。おしなの許には大工の龍吉が出入りしていて、男女の関係が生まれていた。だが、おしなはおきちの目撃情報から作次郞の行方を探す行動をとり始める。その結果、作次郞が姿を消した真相に近づいて行くことに・・・・。
 生き方の選択を迫られるおしなの心情が描き込まれていく。おしなは娘に言う。「あのおとっつあんは、目をはなすとすぐいなくなるひとだから、そばにいてやんないと」(p160)と。おしなの決断の揺るぎなさがいい。一方、奉公先での柵にからめとられて姿を消す決断をした作次郞の哀れさが際立ってくる。そこには義理人情の軋轢が・・・・。

<初つばめ>
 姉のなみと弟の友吉の間での意識のズレがテーマとなっている。なみは親の借金返済や弟の面倒をみるために、水商売の世界を転々とした。今は通いの女中として小料理屋に勤める。なみの弟思いは強い。
 友吉は奉公に出て商人への道を進む。その友吉が縁談の相手を姉に会わせたいという日がくる。だが、それは二人の間での意識のズレを曝す場に転じて行く。友吉は己の縁談の場に姉を近づけたくはないのだった。友吉の縁談の相手は表店・八幡屋利兵衛の娘だった。彼らの意識のギャップの描写にすごくリアル感がある。
 幼馴染みの滝蔵が、友吉に依頼されたと言って、なみの家に飛んでくるという展開に進展する。そこに人情話のオチが生まれて行く。読者に一つの可能性を抱かせて終わらせるところがうまい。

<遠ざかる声>
 新海屋喜左衛門は、棒手振に毛の生えたような行商時代に女房はつに死なれた。運が向いて来て小体ながら太物屋の店を構えるに至った。だが、これまで幾度も縁談話があったのだが、いずれも縁がなかった。そこには亡妻はつが邪魔をしてきたと喜左衛門は思ってきた。新たな縁談話が持ち込まれる。両国で茶漬屋を営む菊本夫妻がもんという女を後添いに世話をしようとしている。喜左衛門も乗り気。37歳の喜左衛門は、仏壇の前で亡妻はつと縁談の邪魔をしないように交渉するというおもしろい設定で話が進展する。亡妻はつは「もんというひとは悪い女だからね。よく調べるといいよ」と差し出口を残した。はつは新海屋に子連れで住み込む寡婦、有能な婢(はしため)だが醜婦のまさを示唆する・・・・。すこしコミカルさを漂わすおもしろい短編である。

 人は誰しも己を中心にまず考えて、周りの人々と関わりあっている。そこから軋轢が生まれ、また人情の機微が生み出され、波紋が広がって行く。そんな人間の関わり合いの過程からキラリとした局面が巧みに切り出されている。読みやすい短編集である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日暮れ竹河岸』  文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 12冊
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『日暮れ竹河岸』  藤沢周平   文春文庫

2023-01-07 22:30:47 | 藤沢周平
 本書は短編小説集である。「あとがき」に著者は、「江戸おんな絵姿十二景」を掌編小説と称し、「広重『名所江戸百景』より」に収録された7編を「枚数は多少ひかえ目ながら、一般的な短編小説にちかく」と区別している。掌編小説の方は「一話が、大体原稿用紙十二、三枚という分量ではなかったかと思う」と記す。そして、著者自身は「広重『名所江戸百景』より」(短編小説集)の方が、「江戸おんな絵姿十二景」(掌編小説)の苦労はなく仕上がっていると明記している。興味深いところだ。
 「江戸おんな絵姿十二景」は「文藝春秋」(1981年3月号~1982年1月号)に、「広重『名所江戸百景』より」は「別冊文藝春秋」(194号~214号)にそれぞれ掲載され、1996年11月に単行本として刊行され、2000年9月に文庫本化されている。

 辞書を引くと、掌編は「ごく短い文学作品。コント」(『日本語大辞典』講談社)、「コント」(『新明解国語辞典』三省堂)と説明されている。
 逆に、「コント」を引くと、「①機知・諷刺のきいた短い物語。②短編小説」(『日本語大辞典』講談社)、「①諷刺と機知に富んだ、小説。②人を笑わせることだけを目的とする、滑稽な寸劇」(『新明解国語辞典』三省堂)と説明されている。

 収録されている作品について、ごく短く印象等をご紹介したい。

=== 江戸おんな絵姿十二景 ===

<夜の雪>
 おしづに繰り返し縁談話を持ち込む政右衛門。だが、おしづは突然に店を辞めて去った新蔵にその思いが向いている。一途で秘やかな女心が鮮やかに切り取られる。

<うぐいす>
 おしゃべりが因で子を死なせ無口になったおすぎ。「親方の世話で鑑札をもらうことになった。・・・やり直しだ」その後の夫・勝蔵のひと言がおすぎの心を甦らせる・・・。

<おぼろ月>
 縁談の決まったおさとは、駆け落ちしてまで所帯を持ったおきくに逢いに行く。
 遅くなった帰路での思わぬハプニング。おさとの心の変化をシャープに描く。

<つばめ>
 簪を盗んだことがきっかけで、おきちは錺職人巳之吉と約束ができる。だが、その約束が反故となる。うきうき感を裏切られた女心を巧みに切り取っている。

<梅雨の傘>
 女郎にとり小金を持つ男かどうかが判断基準。縁ぎりと縁づくりの手練手管を描き込む。同輩を出し抜くのも手段のうち。ここにも厳しい世渡りが。

<朝顔>
 夫の忠兵衛から貰った朝顔の種子。おのうは朝顔を育てて楽しむ。だが、その出所を知ると・・・おのうの心情が逆転する。朝顔こそ哀れ。

<晩夏の光>
 小料理屋に勤めるおせいは客の一人に妾話を持ちかけられる。心のふんぎりをつけたいと、捨て去って行った男・伊作を探し歩く。「これがあたりまえさ」とつぶやくことに。文末は「ひとつの季節の終わりが見えた」の一文。余韻が残る。

<十三夜>
 図々しくもすすきをもらいに来る隣りの女房。お才は会話に気分を害する。腕いっぱいにすすきを抱えて帰ってきた夫・菊蔵との会話で日常が戻る。一言が気分を変える機微を描く。

<明鳥>
 吉原の大籬大黒屋の花魁播磨に入れあげたうえ、別れを言って去った新兵衛を播磨の視点から思い描く。新兵衛の生き様がおもしろい。

<枯野>
 紙問屋山倉屋清兵衛は中風で死ぬ。妻のおりせは、夫の女遊びの後始末をする羽目に。同業の戸田屋仙太郎にその交渉を依頼する。おりせの心の変化を描く。火遊びの予兆。

<年の市>
 例年通り、浅草寺の市で買物をするおむらは、息子の宗吉が家を出て行った妻のおきくと一緒に居る姿を目撃する。その経緯の顛末譚。姑の心理が鮮やかに・・・。

<三日の暮色>
 年賀の挨拶回りから戻って疲れているおくに。店先には門付け芸人や物もらいが訪れる。物もらいがとなえごとを繰り返している。おくにはその声に聞き覚えがあることを感じた。そして、自らの今の自分のしあわせを再認識することに。めぐり合わせの妙か。

=== 広重「名所江戸百景」より ===

<日暮れ竹河岸>
 商売の失敗で、明日の催促に対する借金の工面に走り回る信蔵の姿を描く。奉公していた頃の同輩六助から金を借りられてしのげるようになっるのが日暮れの竹河岸。「河岸の空に月が出ているのに、信蔵ははじめて気がついた」の一文に信蔵の心理が凝縮されている。

<飛鳥山>
 桜の名所で庶民の行楽地。女はかわいい女の子に目をとめる。花見客の一団から商家の下女が迎えにやって来る。その下女はその子をゆきちゃんと呼び、捨てぜりふは「人さらいにさらわれるからね。それでもいいの」。一団の花見描写がつづく。ゆきの境遇が見えて来る。女はゆきを連れ去っていく。そこに過去の記憶が二重写しになる。
 女と一緒にゆきが去る。その女に「おっかちゃん」とささやく点にゆきの心情はが溢れている。

<雪の比丘尼橋>
 50代の鉄蔵が昔の手間賃を何とか得て、それをふところに、比丘尼橋傍で、荷を担いできたおでん屋の酒を飲む。橋を渡りきったところで、猪鍋屋に立ち寄り、一騒動起こす羽目に。老境に入る鉄蔵のやるせない、かつふてくされた心情が描出されている。

<大はし夕立ち少女>
 店に奉公するさよは外にお使いに出るのが好き。そのさよが知らない町へお使いに出る。その往復の様子が綴られていく。帰路に大橋を渡る頃雷鳴とどろき、夕立に遭う。二十過ぎと思われる男に傘に入れと誘われるエピソードがさよにとっての初体験になる。好奇心旺盛な12歳の少女の行動が生き生きと描き出されている。

<猿若町月あかり>
 下駄雪駄鼻緒問屋相馬屋の奉公人が店の戸を閉めようとした時に、主人善右衛門のもとに、甥の富蔵が現れる。5両の借金依頼である。善右衛門は話を聞くが追い返す。だが、その後、3両の金を包んで富蔵を追いかける。善右衛門の心理の変化が巧みに描かれていく。善右衛門が行う己の心理の変転の振り返りが興味深い。自分中心に物事を考えてしまう様子が巧みに織り込まれている。そうだよな・・・と共感する。

<桐畑に雨のふる日>
 ゆき10歳の時に父由松が失踪した。そして9年が経つ。ゆきは駿河屋に通いで勤めている。ゆきが父の消息を知ることと、ワタリ修業を済ませた24歳の大工豊太と夫婦になると決心するまでの過程がゆきの父親への思いを軸に描かれて行く。豊太っていい奴という気がする。

<品川洲崎の男>
 小間物屋の店先で白粉を選んでいたみちは、半年前にふっつり消息を絶った男が通り過ぎるのに気づいた。ひとの女房となっていたみちが、所も名前も明かさないという条件でつきあい陶酔した男だった。みちは偶然にも男の素性を知ることになる。過去の経緯の回想、錺職人の亭主との関係状況などが描き込まれていく。そして、みちは大胆な行動に出る。みちの気性がはっきりとみえる落としどころがいい。

 人の心の襞を見事に切り取って描き出した小品集と感じる。
 これが作者生前最後の作品集となったという。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
歌川広重の『名所江戸百景』 全118枚  :「ネット美術館『アートまとめん』」
名所江戸百景  :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在 12冊
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「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2022-12-29 18:31:02 | 藤沢周平
ブログ「遊心逍遙記」を開設して以降、読み継いできた作品を一覧にまとめました。
お読みいただけるとうれしいです。 12冊掲載

『逆軍の旗』  文春文庫
『玄鳥』  文春文庫
『暗殺の年輪』  文春文庫
『三屋清左衛門残日録』  文春文庫
『蝉しぐれ』  文春文庫
『決闘の辻 藤沢周平新剣客伝』  講談社文庫
『隠し剣孤影抄』  文春文庫
『隠し剣秋風抄』  文春文庫
『人間の檻 獄医立花登手控え4』  講談社文庫
『愛憎の檻 獄医立花登手控え3』  講談社文庫
『風雪の檻 獄医立花登手控え2』  講談社文庫
『春秋の檻 獄医立花登手控え1』  講談社文庫
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