遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『禁断の国史』  宮崎正弘   ハート出版

2025-01-17 20:39:45 | 歴史関連
 新聞広告で本書を知った。書名の「禁断」という冠言葉に興味を抱いたためである。
 「禁断」という語句は「絶対にしてはならぬと堅く禁じられていること(行為)」(『新明解国語辞典 第五版』三省堂)という意味だから、日本史を語るのに、敢えてこの語句を付けるのはなぜか? 何か思い切った見解でも述べるのだろうか・・・・。まあ、そういう好奇心から。地元の図書館の蔵書本を借りて読んだ。
 本書は、2024年8月に単行本が刊行された。

 サブタイトルがおもしろい。「英雄100人で綴る教科書が隠した日本通史」。
 「序章 日本の英雄たちの光と影」で著者は記す。「歴史とは物語である。英雄の活躍が基軸なのである」と。そこで、著者は一人の英雄(時折、複数)を取り上げて、その人物が日本の歴史にどのように関わったのか。人物のプロフィールと行動を描く形で、歴史年表の項目になっている史実に触れていく。英雄たちをつないでいく形で、日本通史の語りを試みる。私にとっては、今まで読んだことのないスタイルの通史本の面白さとともに、視点の異なる史実解釈に接する機会となった。

 序章の3ページを読むだけで、著者が現在の歴史学者の見解を批判する歴史観のもとに本書を記していることの一端がわかる。
 要約すると、著者はまずこの序章で次の観点を指摘する。
*歴史の始まりにある神話を現在の歴史教育は無視する。日本人は自らの先祖の物語を忘れ、神々を信じなくなった。神話の実在性を裏付ける地名、遺跡の存在に歴史学者は知らん顔である。
*今の歴史書には自虐史観の拡大と外国文献の記録を事実視し正史とする誤断がある。
*史実については、後世の史家の主観の産物(見解)が押し付けられているところがある。

 そして、序章の次のパラグラフで、本書の意図を述べている。
”この小冊が試みるのは、「歴史をホントに動かした」英傑たち、「旧制度を変革し、国益を重んじた」愛国的な政治家、「日本史に大きな影響をもった」人たちと「独自の日本文化を高めた」アーティストらの再評価である。時系列的に歴史的事件を基軸にするのではなく、何を考えて何を為したかを人物を中軸に通史を眺め直した。従来の通説・俗説を排しつつ神話の時代からの日本通史を試みた。”と。(p3)

 本書の構成とその章で取り上げられた英雄たちの人数を丸括弧で付記しておこう。
   第1章 神話時代の神々           ( 8)
   第2章 神武肇国からヤマト王権統一まで   (13)
   第3章 飛鳥時代から壬申の乱         (12)
   第4章 奈良・平安の崇仏鎮護国家      (24)
   第5章 武家社会の勃興から戦国時代     (20)
   第6章 徳川三百年の平和          (21)
   第7章 幕末動乱から維新へ         (19)

 例えば、第2章と第5章で、著者が誰を英雄たちとして取り上げているか。その人名だけ列挙してみる。この時代の通史として、あなたのイメージにこれらの人々が想起されるだろうか。
【第2章】 神武天皇/ 崇神天皇/ 日本武尊/ 神功皇后/ 応神天皇/ 雄略天皇/
      顕宗天皇/仁賢天皇/ 継体天皇/ 筑紫君磐井/ 稗田阿礼・太安万呂

【第5章】 平清盛/ 木曽義仲/ 源頼朝/ 後鳥羽上皇/ 亀山天皇/ 親鸞/ 後醍醐天皇
  足利尊氏/ 光厳天皇/ 楠木正成/ 北畠親房・北畠顕家/ 日野富子
ザビエル/ 織田信長/ 明智光秀/ 正親町天皇/ 豊臣秀吉/ 石川数正
黒田官兵衛
 私の場合、第2章では、想起できる人名が数名、第5章では想起できない人名が数名いた。
 
 本書に登場する英雄たちの中に、今までまったく意識していなかった人物が居る。また、過去の読書や見聞から、多少は知識として知っていても、本書で知らなかった側面を知らされる機会になった。ほとんどが2ページという枠に納めて日本通史に絡める論述なので、かなり断定的な記述にもなっている。そのため、そういう側面や事実があるのか・・・・という受け止め方になりがちだった。本書により問題意識を喚起されたというのが、本書のメリットと感じる。
 例えば、豊臣秀吉が行った朝鮮への二度にわたる出兵は、ポルトガル、スペインによる日本侵略に対する先制予防戦争の原型(p159)。秀吉によるキリシタン追放の意図は背景に宣教の陰に隠れた闇商売の問題事象がからむ(p177)。勝海舟が蘭学修行中に、辞書を1年かけて2冊筆写した(p235)。など、他にもいろいろと知的刺激を受けた。つまり、「そういう側面や説明」の指摘については、一歩踏み込んで史資料で確認するというステップを踏んで、理解を深めるステップがいるなという思いである。歴史認識への刺激剤。

 一方で、筆者の筆の滑りなのか、編集・校正ミスなのかと思う箇所もある。例えば、紫式部の項の「夫の越前赴任により現在の越前市に住んだことがある」(p118)は明らかに父の越前赴任のはず。「光る君へ」でもそうだった。親鸞の項目の「『歎異抄』『教行信証』などは親鸞の弟子たちがまとめた」(p136)。この箇所、『歎異抄』は弟子の唯円がまとめたと言われているが、『教行信証』は親鸞自身が晩年まで本文の推敲を重ね続けたと見聞する。引用文の形では意味が変化するように思うのだが・・・・。

 いずれにしても、ここで取り上げられた英雄たちについて、まったく名前すら知らなかった人びととが取り上げられている。名前は見聞したことがあっても、日本通史の中で重要な位置づけとしてとらえていなかった人々がいる。知らなかった側面に光が当てられた人々もいる。
 そういう意味で、知的刺激を結構受けた日本通史本である。

 著者の視点・見解も含めて、我が国の過去の歴史に一歩踏み込んでみたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。
コメント
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