遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『源氏物語』  秋山 虔   岩波新書

2023-09-16 19:01:07 | 源氏物語関連
 著者が編者の一人である『源氏物語図典』(小学館)と『源氏物語必携事典』(角川書店)は、身近な書棚にあり事有るごとに参照してきている。掲題の本は何時購入したのか記憶がないほど以前から、本箱に眠っていた。奥書を見ると、1968年1月に第1版が刊行され、手許の本は1994年6月第39刷である。源氏物語関連ではロングセラーの1冊だろう。調べてみると、著者は2015年11月に91歳で逝去されていた。合掌。

 本書は、源氏物語全帖の概説を主軸にしながら、1967年当時までの学会における源氏物語研究の成果や論点を踏まえて、研究者視点での論点提示と読み解きが加えられている。第1版が出版されてから、55年の歳月が経過しているので、研究者視点の論点を含め、本書はもはや准古典的な書になっているかもしれない。しかし、瀬戸内寂聽訳『源氏物語』を通読し、その後で本書をやっと読んだ一読者としては、論点も含め新鮮な思いで興味深く読めた。

 本書構成のご紹介に併せて、読後感想を記してみる。
<Ⅰ 光源氏像の誕生>
 「光源氏の不足ない資性は、いわばその生存の根本的な不安を前提として惜しげもなく与えられたものである」(p7)という箇所で、まずナルホドと感じた。それだからこそ、あの長編を書けたとも言えるなと。その続きの「かれは物語の世界に敷設された宮廷社会の現実と、深くあいわたる人間として真実性をはらんでいる」という指摘は頷ける。
 賜姓源氏についての歴史的意義の説明は役に立った。

<Ⅱ いわゆる成立論をめぐって>
 翻訳版源氏物語を通読している時にほとんど考えていなかったことの一つは、源氏物語の構成である。鈴木日出男編『源氏物語ハンドブック』(三省堂)で、全五十四帖が大きくは三部構成になっているというのを知っていたくらいだった。ストーリーの組立として、第一部(「桐壺」~「藤裏葉」)において、紫上系と玉鬘系という二系列が存在することや、執筆の順序がどうだったかなど、源氏物語成立論が仔細に論じられていることを本書で知った。論議の経緯がわかっておもしろい。半世紀が過ぎた現在、学会レベルでは定説ができているのだろうか?

<Ⅲ 宿命のうらおもて>
 著者は、「桐壺」巻から始め、光源氏の宿運が実現していく道程に着目して大筋をまず解説する。この道程に直接関わらない巻は後回しにしていく。「須磨」巻の光源氏26歳の春までの光源氏の道程が浮彫にされる。後読みなので通読時のおさらいをしている気分になる。

<Ⅳ 権勢家光源氏とその展開>
 「澪標」巻、光源氏28歳の冬から、34歳の秋の六条院造営まで。光源氏が権勢家へと顕著な変貌を遂げる様に焦点があてられる。光源氏の後宮政策のたくみさをここで再認識した次第。著者は清水好子氏の論文を踏まえ、「絵合」巻では紫式部が、天徳内裏歌合を念頭において、物語を書いている点に触れている。
 紫上が光源氏の意図にそって物語上に登場してくる。その描写が「現実感にみちた物語の世界の進行からは浮き上がらざるをえない」(p63)という側面を指摘している。一方で、「紫上は、あらゆる場合に、さまざまの段階において、あるべき理想性を発揮すべく枠づけられていたからである」(p63-64)と評しているところが興味深い。
 六条院の造営が、光源氏の超絶した能力の証となる。

<Ⅴ 別伝の巻々の世界>
 Ⅲで後回しにされた「帚木」から「夕顔」巻へのつながりが別伝として持つ意味を著者は考察する。「夕顔」巻が「その中心部に三輪山式説話の型にそうている面が顕著である。また宇多天皇と京極御息所とが河原院で左大臣源融の霊におそわれたという、江談抄が伝える怪異談も下敷になっているらしい」(p77)と指摘する。そして、「皇子であり左大臣家の婿であるという息ぐるしい身分から、軽やかに解き放たれ、一個の女そのものと純粋な愛をもって相対しうる男でありうるという意味をもっているのであろう」(p77) と解釈している点が興味深い。通読しているとき、そんな見方を考えてもいなかった。
 「蓬生」巻の末摘花、「関屋」巻の空蝉、「澪標」巻の明石君の意味を語る。
 「初音」「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」と連なる巻々が、光源氏36歳の1年をこきざみに描き出している。著者は「自然と人為とが相互に媒介して織りなされる季節の秩序の、それ自体完結した美しさ」(p81)を指摘している。
 光源氏の年齢で全く触れない空隙もあれば、一方で多くの巻を費やして1年というスパンを濃密に描くという時間軸の取り上げ方があることを再認識した。ここらあたりも、源氏物語のおもしろさかもしれない。
 この後、著者は玉鬘に光を当てて論じて行く。玉鬘十帖と称されるストーリーの流れである。光源氏と玉鬘との関わり方。玉鬘十帖について研究者の諸説を紹介し論じているところに関心が向く。いろいろな論点があるものだ・・・・と。

<Ⅵ 紫式部と源氏物語>
 「源氏物語は、なぜ紫式部によってかかれたのだろうか」という一文から始まる。この問いかけから始まるところがまずおもしろい。
 左大臣冬嗣から始まる「紫式部略系図(尊卑分脈による)」が載っていて参考になる。
 なぜという問いに対する著者の考察は本章をお読みいただきたい。
 2点だけ覚書を兼ね、引用しておこう。
*実人生で受動的に生かされる立場から、能動的に生きよみがえる術法としてこの虚構世界が造り成されたのである。  p106
*紫式部が、物語の創作とは別にこのような物語論を語りうる場はなかった。物語の世界で光源氏の玉鬘へのたわむれ言をきっかけにして、・・・・そのようなものとしてのみこの物語論が語られえたことの意味は深長である。 p113

<Ⅶ 「若菜」巻の世界と方法>
 「若菜」巻だけが、上、下と二帖になっている。著者の説明によれば、源氏物語全体の10%という長大な分量を占めるという。上下はほぼ等分量。上巻のほぼ4分の1が、明石関係の内容に割かれていると説明する。著者は、「明石君および明石一族に托する作者の問題意識には、きわめてしつこいものがある」(p130)とその点に着目している。
 「若菜 上」巻は、第2部の始まりとなり、女三宮の降嫁問題が光源氏に突きつけられてくる。それが、紫上、明石君と光源氏の関係性に新たな展開をもたらす。
 女楽の条の描写と紫上の発病が、光源氏の世界の崩壊への道となる。その状況分析が読者にとってわかりやすい。

<Ⅷ 光源氏的世界の終焉>
 「柏木」巻から「幻」巻に至る物語の展開が論じられていく。柏木の死、女三宮の出産、そして紫上の死。光源氏の世界が終焉を迎えるまでの経緯を明らかにする。
 「夕霧」巻の位置づけと、第二部の各巻がどの順に書き継がれたかという研究者視点の論議が取り上げられている。この点もまた通読していて全く意識していなかったことなので、興味深い。

<Ⅸ 結婚拒否の倫理>
 いよいよ第三部に入る。「匂宮」巻から「宿木」巻にかけての物語が概説される。その主題は、父八宮の訓育を受けた長女大君の結婚拒否の倫理とそれを基盤とした心理描写を中心に、薫と匂宮の競い合いと心理のプロセスが分析されていく。そして、その渦中で翻弄される中君の存在。
 著者は「作者の筆が自在に躍動し、そこに作者の精神が全的にに移転しうる世界を掘り起こすことができた」(p171)と評価する。「いかにも新しい、時代の浄土教ムードに適合した恋物語が開始した](p175)とすら記す。
 「宇治十帖が書かれる頭初、浮舟の登場ということは作者の構想のなかに無かったことである」(p191)と論じているところが興味深い。

<Ⅹ 死と救済>
 「東屋」巻に着目し、「宮廷的貴族的な世界の伝統的価値基準をもっては測りきることのできぬ人間関係のひしめく世界}(p195)を登場させることを背景に、浮舟が描き出されていく。著者は浮舟の登場、彼女の自主性を奪い、その運命を翻弄し、死に追い込んで行くプロセスと後の救済を概略する。そこには、「水も洩らさぬ緻密さをもって仕組まれた客観的情勢の矛盾がそのまま彼女の運命をもつむいでいくのである」(p205)と著者は読み解いている。
 浮舟を自殺行為に走らせ、その後の顛末を描くという展開に対して、著者は記す。
「彼女を地獄に送ることに堪えなかった作者は、彼女をしてなお生きることを課した。死なねばならぬほどの不幸な人生から解かれて救われる道はないか。この課題を、作者は浮舟に、というより、浮舟を死に導いた自己に課したのであった」(p206-207)と。
 
 ⅨとⅩは、源氏物語の第三部を掘り下げて読む恰好のガイドとなるように思う。

 半世紀前に書かれた源氏物語の概説書。当時の研究者たちの問題意識と論点も垣間見えてくる。源氏物語解釈の広がりは奥が深いと感じさせる。未だ色褪せることなく源氏物語への誘いとなる一冊である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
玉鬘十帖  :ウィキペディア
 
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院
『紫式部考 雲隠の深い意味』   柴井博四郎  信濃毎日新聞社
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 11冊


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『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院

2023-04-03 15:59:44 | 源氏物語関連
 3月2日に、地元の宇治市源氏物語ミュージアムが主催する連続講座で、「明石の御方-『花も実も』ある人生-」という演題での講義を聴講した。講師が本書の著者山本淳子さんである。元々は2022年8月18日の講座開催だったのだが延期となっていた。受講再募集に応じてお陰で聴講できた。この時、この講座の演題に記された「花も実も」あるというのは「橘」のことであり、光源氏が明石の御方を「花も実も」ある橘に喩えたことをテーマにして、明石の御方の人生を解き明かす講座だった。『源氏物語』「若菜下」巻に出てくる光源氏が明石の御方に感じた「五月待つ花橘の、花も実も具して押し折れる香りおぼゆ」という思いについてが話の中心となった。「花も実も」の実態や「五月待つ」の意味、並びに「橘の古代史」などが具体的に説きあかされた。
 この講座の中で、著者近著の本書で「橘」を取り上げているという点に触れられていた。そこから関心を抱き、読んでみた。2023年1月に単行本が刊行されている。

 本書は、古典の中に出てくる「モノ」そのもの、「平安時代の物にスポットライトをあて」(p4)た内容である。著者は、「はじめに」において、「記録や作品を横断して、物たちが登場する場面を拾い上げ、説明を施すとともに、その物たちが負っている意味や思いについて考察」(p5)していくと記す。いわば、古典に記された背景や環境の一部となっている物や道具、あるいは脇役的存在のモノを、本書で主役にした。そのモノ自体を記録や作品を広範囲に渉猟し、先人の諸研究を踏まえて、縦横に解き明かしていく。
 なぜ、モノに光をあてたのかにも触れている。「記録や作品の中に物や道具が現れる時、それらは、一つには場面の主役とはなりにくいこと、一つには時代を経てしまってわかりにくいことから、えてして読み飛ばされがちではないでしょうか。が、立ち止まって読んでみれば、『枕草子』の瓜や『伊勢物語』の墨書盃のように、ささやかではあれそれぞれに記録や作品の世界の一角を構成し、時には欠かすことのできない大きな存在として描かれていることもあります。それは著者や作者たちがそれら物たちと共に暮らし、使い、心を託していたからです」と。脇役であるモノについて丹念に調べ、その存在の意味を明らかにしていく作業が本書である。それが逆に主役についてより一層理解を深めることにつながっていくという逆転の発想になっている。
 その一例が、冒頭に触れた「橘」について認識を深めることで、一層明石の御方の人生を鮮やかに理解できる契機となるのだ。モノが主役に連鎖する。

 本書には、8つの「モノ」が取り上げられている。その8つの「モノ」について、2つの視点から読者に対して「語り」かけている。一つの視点が一章で扱われて行く。取り上げられた「モノ」とその視点をまずまとめてみよう。
    牛車      走る・争う
    築地      囲む・呼び込む
    橘       実る・待つ
    犬       集う・呼ぶ
    泔(ゆする)  整える・手こずる 
    御帳台     護る・侵す
    扇       あおぐ・託す
    物への書き付け 切羽詰まる・遺す
全16章で構成されている。こららの「モノ」は古典作品に記されていても、ほとんど気に掛けていない脇役である。『源氏物語』にこれらのモノが記されていても殆ど意識せず、場面描写の背景としてストーリーを読み進めていたように思う。
 尚、「ゆする」というのは「米のとぎ汁」のことで、平安時代には、洗髪や整髪のために、シャンプーや整髪料として使ったモノである。「物への書き付け」は、上記の引用を含めて言えば、装束の一部を引き破り紙の代用にする、土師器(はじき)の盃や皿に文字や絵を書き付ける、瓜に顔を描くなどが具体例となる。

 私は章ごとに読み進めたが、こういう構成でそれぞれ独立した形で内容がまとめられているので、読者は一章単位でどこからでも読める内容になっている。
 
 各章は、そのテーマに関連して、様々な記録や作品からそのモノに関した記述箇所の原文が引用され、その続きに著者による現代語訳が併記される。引用箇所を踏まえ、先人の諸研究の成果と著者の所見を織り交ぜて、平安時代においてそのモノがどのように位置づけられ、意味づけられていたか、人々と関わっていたかなどが解き明かされていく。脇役としてのモノが鮮やかに浮彫にされてくる。記録や作品からの引用を縦横に組み立て、そのモノへの認識をクリアにしていく。そこが読ませどころとなる。

 本書末尾に「引用作品概要(50音順)」として解説文がある。ここを読むと、『和泉式部集』から始まり『能宣集』まで、25作品から引用されていることがわかる。日記、物語、歴史物語、説話集、和歌集、和文集、日本書紀・権記・小右記などが網羅されている。文献の渉猟範囲が広い。

 例えば、「第1章 牛車1/走る」では、「牛車の風景」の引用から始まり、牛車の車種や供人という基本的な説明がまずある。先人の研究を踏まえ、牛車内の乗り方の配置図も載せてある。車副が藤原道長を叱咤激励したエピソードや、清少納言が卯の花を使って奇抜な花車を走らせたという装飾牛車のエピソードが出てくる。この花車を現代ならイルミネーションで飾り立てた「トラック野郎」相当と喩えているのがおもしろい。
 「第2章 牛車2/争う」では、「車争い」の牛車が具体的に説明されていく。『うつほ物語』『落窪物語』『枕草子』に記述された牛車の争いが具体的に引用・解説される。その上で、『源氏物語』「葵」巻で有名な「車争い」の場面の具体的な状況が分析的に説明されていく。そこで、紫式部が『源氏物語』で描き出した車争いと『うつほ物語』『落窪物語』に描かれた車争いとのコントラストが明らかになる。紫式部が車争いのモチーフを『源氏物語』に採り入れたことに対して先例があったことをまず示す。その一方で、紫式部は、車争いという騒動の状況描写だけではなく、そこから「六条御息所にぴたりと寄り添い、その目と耳と心を語る」(p35)次元へと車争いの場面を「人の思い」に転換していく。『源氏物語』の場面を引用し、その車争いの場面の採り入れ方の鮮やかさを論じている。

 「心とは何と面倒なものなのだろうか。愚かなものなのだろうか。揺れ、泣き、また弾む。様々な心がいつも糸のように絡み合い、泥のように混ざり合っている。それが心なのだ。『源氏物語』は、人の心の手に負えなさに残酷なまでに向きあっている」(p41)これは第2章末尾の印象深い一文である。

 脇役である「モノ」に光をあてた本書から、初めて知ることが多かった。それが『源氏物語』の理解を深める上で学習教材になっていく。『源氏物語』とのリンクが本書を通読する楽しみに加わった。紫式部が先例、文献から如何にヒント、モチーフを得て、それらを換骨脱退し源氏物語の創作に採り入れているかの一端を知る機会になった。
 「橘」を取り上げた二章は、冒頭に記した連続講座での講義と重ね合わすことで復習を兼ねる上でも役だった。また、文化勲章は橘がデザインされているということを本書で知った。今まで文化勲章の形を意識していなかった。内閣府のホームページによれば、「その悠久性、永遠性は文化の永久性に通じることから、文化勲章のデザインに採用されたと言われています」(p77)とか。

 「犬」の二章を読んでいて、認識をあらたにしたことがいくつかある。要点をご紹介する。詳しくは本書をお読みいただきたい。
*犬は都の汚物処理係。その雑食性により排泄物の処分をしてくれたのだとか。 p111-114
*『大鏡』には犬の法事を執り行った飼い主の事例が記されている。それも高名な僧・清範(962~999)が説経の講師を行ったという。  p119
 ペットの葬式・・・・現代に始まったことじゃなかったのだ!
*藤原道長に対する呪詛に道長の飼い犬が神通力を示した説話がいくつかの説話集に記録されている。だが、それらの記述における時系列の整合性を分析すれば事実ではないと判明。古典文献の読み方には要注意ということだろう。呪詛話としてはおもしろいけれど。  p122-125

 各章には興味深いことがいろいろ引用紹介されているが、もう一つだけ触れておこう。「扇」の章に帰された『源氏物語』「夕顔」巻に出てくる夕顔の扇に絡んだ話である。
 光源氏が五条界隈に住む乳母の病気見舞いに行った。この時隣家の住人、夕顔を知るきっかけになる。光源氏は女から夕顔の花を載せた扇を受け取る。そして扇の扇面に「そこはかとなく書き紛らわしたる」歌を読む。
   心当てに それかとそ見る 白露の 光添へたる 夕顔の花
この和歌の解釈について、18世紀末に本居宣長が唱えた説により、歌意の理解の仕方が混迷するようになったと言う。それ以来過った解釈が行われてきた。だが清水婦久子著『光源氏と夕顔』(2008年)により、やっと正しい解釈に収まったそうである。『源氏物語』を現代語訳で通読しただけなので、夕顔の扇に記された和歌一つにそんな論議があったことを知らなかった。源氏関連の各種講座でもこの論議を聞く機会がなかったので、実に興味深く読めた。(p228-232)

 最後に、著者の所見として記された文から印象深い箇所をいくつか引用しておきたい
*荒れた家は妄想をかきたてさせ、男心をくすぐる。 p19
*他者の些細としか言えない行為が、人生の大きなつまづきを呼ぶことがある・・・・ 
 いや、それが巡り合わせというものなのか。              p167
*物言わぬ道具が、人に迫り人を追い詰める。そうさせるのは結局、モノではなく自分の心である。   p173
*貴族社会において女房とは、情報を拡散する存在だから  p187
*古代の考え方では、何かをひらひらと振ることは、魂の活動を奮い立たせ邪気を払う行為だった。そこで人々は誰かのために何かを振って、相手の幸せを祈ったのだという。p210
*一つの扇の上に、人々の思いが交錯する。扇がコミュニケーションツールであった p236
*人はたとえ命尽きても、遺された者の記憶の中で生き続ける。  p275

 古典に現れるモノは数多い。このモノ語りの第二作を期待したいと思う。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。著者の本の読後印象記も含みます。
『紫式部考 雲隠の深い意味』   柴井博四郎  信濃毎日新聞社
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 11冊
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『紫式部考 雲隠の深い意味』  柴井博四郎  信濃毎日新聞社

2023-02-28 20:53:31 | 源氏物語関連
 U1さんのブログ記事を拝読し本書を知った。地元の市立図書館の蔵書になっていたので借り出して読んでみた。「あとがき」を最後に読み、その末尾のパラグラフでなるほどと思った。「私は科学者として、自然が隠した神秘を探り当てることを仕事としてきた。が、紫式部が隠した秘密を探りあてる作業も、実にエキサイティングで楽しいことであった。このレポートを自費出版し、できるだけ多くの図書館に寄贈し、100年後あるいは200年後に理解してくれる読者がいてくれることを夢見ている」(p415)と締めくくってある。自費出版本だったので、書名を目にする機会がなかったようだ。本書は2016年1月に出版されている。

 本書の興味深いところは、紫式部の創作した「源氏物語」を、アガサ・クリスティの推理小説のように、推理小説仕立てになっているという視点で捉えていることである。著者は、「源氏物語」のストーリー全体の構造を分析し、紫式部が仕掛けたヒントを情報収集していく。そして、紫式部が「源氏物語」を創作した動機・意図がどこにあったかを追究していく。
 「外観は平安貴族の通俗小説を装い、当時の王朝貴族に喜んで読んでもらいながら、人と社会の真実を物語に潜ませている。紫式部は、人とその社会に関する彼女の観察と考察を、膨大な物語の中から発見してほしいとまち望んでいる」(p16)と著者は記す。
 著者は、「源氏物語」のストーリーに散りばめられたヒントを見つけだし、収集し、論理的に分析・推理してこのレポートを書いている。農芸化学分野の研究者である著者が、「理系的人間理解」という形で紫式部の観察と考察を読み解いていく。

 著者は「源氏物語」の読み方は人により様々であり、解釈も千差万別である状況を各所に織り込んで説明している。その事例も紹介している。その上で、著者自身の仮説をレポートとしてまとめ、紫式部の観察・考察に一石を投じたと言える。

 通俗小説的に読めば、「『源氏物語』は性欲を抑え切れずに、男も女もこの爆弾を爆発する物語である」(p17)。一方で、「『源氏物語』における紫式部の人間観察は、聖書における人間考察を現実化したものだと言える。してはいけないと知っていながら、やってしまう人たちの物語である」(p18)と言い、この立場で読めば「『源氏物語』は倫理的・道徳的な読み物となり、『でもやってしまい、責任回避』の立場で読めば、はかなく弱く、悲しくあわれな人間の物語であって、本居宣長が言うように『もののあわれ』の物語となる」(p19)と記す。
 様々な解釈がなされるところに、「源氏物語」が1000年を超える不朽の作品として生き残ってきたのだろう。また、紫式部が「源氏物語」の中に、執筆動機をあからさまに書き込んでいれば、すぐに貴族たちに没にされてしまっていただろうとも記す。つぶされるのを回避するために、紫式部は執筆動機となる部分を、ヒントとしてストーリーに埋め込んだと著者はみている(第2章 紫式部の執筆動機)。そのため、今まで紫式部の意図は解明されてこなかったという。

 そこで著者は、「源氏物語」に埋め込まれた推理小説的要素を抽出し整理分析し推理していく形で、己の仮説をここにレポートしている。
 本書の論証の進め方、その基本スタイルはわかりやすい。論証点が章のタイトルとなっている。その論証するために「項」を立て、項の中に論点として「節」を立てる。その「節」においては、<あらすじ>と題して、「源氏物語」の記述の中から論点を明らかにできる記述情報を抽出・列挙し、補足説明を加える。その後に「解説と考察」が述べられる。そのため、章の構成内容がわかりやすい。
 著者の狙いは、「源氏物語」のストーリーの構造を明らかにして、紫式部が主に当時の宮廷貴族社会を観察・考察し、物語を執筆したその動機と意図を解明することにある。
 
 著者は「第3章 発端としての<桐壺>」を分析の起点とする。そして、このストーリー全体の中で、「空蝉と藤壺の相似性」(第4章)と「桐壺帝と朱雀帝の相似性」(第5章)という構造を明らかにする。空蝉の行為と思考、空蝉に対する源氏の思いを読み込んでこそ、記されていない藤壺の思いが深くわかってくると説く。桐壺帝と朱雀帝の帝としてのスタンスを知ることにより、源氏のことが一層クリアになると説く。
 内容が書き残されなかった「雲隠」(第5章)の位置づけを明確にし、その帖で紫式部が意図した内容は何だったかを推論していく。
 「作者が<雲隠>で書こうとしたことは、・・・・源氏が、嵯峨の院で経験する心の移り変わりでしかありえない」(p345)と著者は言う。そのヒントが「匂宮」~「夢浮橋」の帖を読み進める中に隠されているという。それが「浮舟の死と再生」(第6章)だと論じる。源氏の「雲隠」は、「浮舟の死と再生」と照応する関係にあると説く。この論証の積み上げが如何になされるかが読ませどころの一つと言える。

 理系の研究者として、著者は熱力学第二法則を思考の背景に据えている。「自然に起こる現象はすべて混乱と無秩序をもたらす」(p21)という法則である。
 紫式部は「秩序ある人間社会は、時が経つと秩序を失った混乱の人間社会へと変貌していく」(p332)という様相を冷徹な目で観察し、「平安時代の朝廷貴族社会でゆっくりと確実に進行しているさまを、『これこそ人間の正体なのだ』」ととらえて、「源氏物語」に仕立てたのだと著者は論じて行く。それが「人徳の高い桐壺帝から、混乱と無秩序の曾孫、匂宮と薫への物語でもある」(p332)という。記述情報の詳細な列挙で論証が進められている。本文を詳細に読み込まれていることを痛感した。

 「紫式部が描いた宮廷貴族社会の退廃と停滞は、フランス革命前夜における宮廷貴族社会のそれと相通じるものがある」と述べ、「紫式部が徹底してヒューマニズムの視点に立っていたからこそできた人と社会に関する観察と考察」(p414)であると論じている。
 また、「『源氏物語』の主題は、『仏の道における死と再生』とも言える」(p297)と結論づけている。

 本書で考察されている興味深い視点をいくつかご紹介しておこう。
*「源氏物語」の基本線として「秘密は隠せない」という考え方が貫かれている点。p126
*「源氏物語」の背景に、「末は劣る」という末世思想があるとみる点。  p235
*紫式部は人の遺伝現象を観察・考察していたとする。匂宮と薫にその反映をみる。
 皇族に多い近親結婚の弊害も描き込んでいる。 p361-362
 一方、環境因子に着目し、玉鬘と浮舟にそれを見て「気高い」と形容する。p210,245
*浮舟と玉鬘の相似性もまた論じられている点 p229
*横川の僧都の哲学は、紫式部自身の哲学であると著者がとらえている点 p322

 本書は、これらの論証がどのようになされていくか、その推論のプロセスが読ませどころと言える。

 さて、最後に一つ疑問点を掲げておきたい。
 著者は「あとがき」の中で、一つの原文について、解釈により主語の解釈が180度変わっている事例として、様々な現代語訳例を列挙している。p410 には、原文としてまず次の一文が記されている。これは「総角」に記された一文。
 原文
 御かたはるなるみじかき几帳を、仏の御方にさしへだてて、かりそめにそいしたまへり。

 手許にある『源氏物語 5』(新編 日本古典文学全集 小学館)を参照すると、
 原文
 御かたはらなる短き几帳を、仏の御方にさし隔てて、かりそめに添ひ臥したまへり。

 この違いは、底本が異なるということだろうか。この疑問を抱いた。

 いずれにしても、私は現代語訳で一度通読しただけなので、「推理小説仕立て」の発想すら思い浮かばなかった。それ故、本書はけっこう「源氏物語」の読み方に対する刺激材料になった。「源氏物語」の解釈として、たしかにエキサイティングな部分を含みおもしろい。お陰でまた一つ考える材料が増えたことがありがたい。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
                 2022年12月現在 11冊
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『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

2023-02-23 16:02:15 | 源氏物語関連
 鈴木日出男編『源氏物語ハンドブック』(三省堂)は事典扱いの参照本としてかなり以前に購入した一冊である。その中の「『源氏』学の変遷」を読んでいた時に、次の一節に目が留まった。”池田亀鑑(1896ー1956)は『源氏物語』の諸本を、青表紙本、河内本とそのいずれにも属さない別本の三種類に分類して、徹底した調査を進めた。これは、『源氏物語』の諸注集成の作業の途中で、『源氏物語』自体にさまざまな本文が存在することが判明したために、そこから本文の研究へと方向転換したものである。・・・・・やがてその成果は『校異源氏物語』に結実する。これは戦後索引や資料を増補して、『源氏物語大成』となり、源氏研究のもっとも基礎的な文献のひとつとなっている。”(p104-105)
 これを読んで、あるとき標題の[新版]がたまたま古書店で目にとまり、いずれ読もうと購入していたことを思い出した。『源氏物語』を三種類に分類整理した研究者が書いた源氏物語入門書という点に俄然関心が湧いたことによる。
 奥書を読むと、この[新版]文庫が刊行されたのが2001年4月。初版は1957年8月に刊行されている。著者は「1956年東大文学部教授在職中に、死去」されたので、その翌年に、文庫版初版が刊行されていることになる。
 出版からかなり歳月を経ているが、その内容は語り口調の雰囲気があり読みやすく、得るところが多い。『源氏物語』の全体像を捉えるうえでは、コンパクトにまとめられていて、基本書として有益である。必読書の一冊になると思う。

 この点は本書の構成からうかがえることと思う。まずその要点をご紹介しよう。
<書名> 
 源氏物語の本来の呼び方、実際にあった別の呼び方について説明する。

<巻数と巻名>
 五十四帖ではなかったかもという説、巻名の由来について説明する。

<作者とその像>
 作者についての異説を紹介。著者が論考を加え、やはり著者は紫式部だと判断する。

<成立の時期>
 出典を明示し諸説を紹介したうえで、著者の持論を加えている。
 著者は、紫式部が一応源氏物語を夢浮橋まで完成させた後に、中宮彰子の家庭教師と
 して道長一家に招かれたとする。
 次の指摘はなるほどと思う。
 ”人物の配置にしても、事件の発展にしても、およそ500人の人を動かし、4代80年の長期間を扱いながら、それが年次的にも性格的にも、また宮仕えや事件などの関係においても、前後の矛盾や破綻をみせることが少しもないのです。いくら記憶がよいといっても、もし十数年もかかっていたら、はじめの方はぼんやりしてしまうかもしれませんし、大体作者の興味がそんなに長くは続くまいと思います。” (p44-45)

<物語の梗概>
 65ページのボリュームで、五十四帖のあらすじを解説する。著者は源氏物語を三部構成
 として説明する。それぞれに主要人物系図をまとめている。三部構成は次の通り。、
 「第一部 桐壺~藤裏葉」「第二部 若紫~幻」「第三部 匂宮~夢浮橋」

<構想と主題>
 三部構成ととらえたその構想について説明する。著者は主題について次のように記す。
 ”源氏物語の主題は--まとめて言ってみれば--人間の真実に対する強い憧憬によって、青春の光明、老後の寂寥、そして死後の宿命と、こういった三つのものを、世にも珍かな貴公子の、運命的な恋愛生活において描こうとした、暗示的な意欲--とでも言ってはどうでしょうか。仏教でいう生老病死の苦悶と、それをこえるものとに、形を与えているようなものです。” (p120)
 その続きに、物語は虚構(フィクション)だが、”人間のとらえ方や人生の方向としては、あくまで真実であるという意味です。”(p120)と述べている。

<女主人公の点描>
 「源氏物語 主要登場人物系図」を掲載した上で、女主人公を抽出し描写します。
 ここに取りあげられているのは、紫の上、藤壺、明石の上、葵の上、六条御息所、
 空蝉、夕顔、末摘花、朧月夜、朝顔、玉鬘、雲井の雁、女三の宮、浮舟の14人である。
<モデル論>
 源氏物語の研究には、古くから準拠説(モデル論)が盛んだったと述べ、その状況を
 概説する。従来のモデル説を一瞥してまとめている。

<後世文学への影響>
 源氏物語が後世文学にどれだけの影響を及ぼしているかを概説する。驚嘆の一語。

<諸本とその系統>
 冒頭に引用した三種類の系統について、著者自身がわかりやすく説明を加えている。

<鑑賞>
 源氏物語から、10の主題を取り上げ、それらを示す最適な場面を抽出している。
 10の主題とは、もののまぎれ、母性愛、名残、怪奇、拒絶、幼き恋、中年の恋、嫉妬
 死、求道である。
 その原文を提示した上で、原文の大凡の意味を説明し、鑑賞ポイントを説明する。
 いわば、ちょっとした事例研究解説である。 
 たとえば、「その九 死」は「総角」に描写された大君の死の場面を取り上げている。
 その事例説明の末尾に、次の文が記されている。現代語訳を通読した時に、私には考え
 も及ばなかった視点である。
 ”亡き人の顔を灯火(ともしび)の光で見ることは、「御法」の巻にもあるのですが、その上に髪の匂いを点じたところに「総角」の描写の美しさがある。「匂い」こそは宇治十帖の本質なのだ。それは「光り」に対照される世界のものだ。”(p217)

<研究史及び研究書目>
 源氏物語が学問研究という立場から扱われてきた経緯を概説する。玉石混淆を指摘。
 私には現代語訳についての指摘が印象的だった。
 ”たった一つの文章を訳すにしても、現代語のもつ一つの助詞、一つの助動詞のつかいかたで、ニュアンスがちがってくるのです。現代語訳は結局は訳者の創作的行為です。その人がいかに源氏物語を享受したか、それを正直に語るものです。”(p230)

 最後に、本書出版時点までにおいて、源氏物語の研究書目の主要なものを分類し、一覧
 にしてある。註釈書、秘事・秘伝・難義の解説書、辞書、梗概・解題・翻案、有職故実
 年表・系図、論評・書史、と分類されている。
 その後に「『源氏物語』を読むと」題し、編集部作成の一覧が分類し併記される。
 その分類は、現代語訳、原文を味わう[校注]、随想・研究・事典・美術ほかである。

 『源氏物語』をまず多角的に捉えていくうえで役立つ入門書と思う。

 この入門書で、紫式部及び、紫式部と源氏物語の関係について、著者が所見を記している部分をいくつか引用しご紹介しておこう。
*彼女の憧憬は、常に奥深いものの中をさまよう。孤愁とでもいいましょうか、無限の憂愁と永遠の寂寥、それが式部の生きた人生であったと思われます。p37
*より高い人格をたえず求めるために、衆愚にくみしない潔癖さで、人間や人生を批判しました。その心は、自己の内部に向けられたときに、もっとも峻烈でした。 p37
*とくにあの明石の上など、やはりわたしは作者の自画像だと思いたいのです。 p38
    ⇒ p142 でも著者は再度掘り下げて論じている。
*藤原氏は、同族兄弟あい争って、娘を入内させることに狂奔しました。そういう時代に、源氏物語は、三代にわたる皇族出身の后の冊立をもくろんだのです。どうしてそのような大胆なことができたのでしょうか。しかも紫式部自身、藤原貴族の恩顧によって生きた人なのです。
 これはよほど作者の腹の底に、高邁な精神が宿っていた結果とみなければなりません。権勢のかなたに、個人の自由と解放を望み、その理想を、超藤原氏的な広大な人間社会に求める、そういう世界観が、源氏物語の根底に流れていると思うのです。 p169
*作者は浮舟という女性をとおして、あまりにも迷いの多い、溺れ、そして求める心の強い人間の姿を描いた。それは実は作者自身の内部に巣くう、人知れぬ苦悩そのものではなかったか。明石の上や花散里のような女性の生き方を理想としながら、藤壺や紫の上のように人知れず悩みつづけ、やがて女三の宮や浮舟のように身をほろぼしてゆく女人の懊悩と哀愁を、作者はわれとわが心の中から分析して、それをひとつひとつ、この大きな物語の、とりどりの女性に分け与えたのではなかろうかと、私は考えずにいられないのです。 p221

 ご一読ありがとうございます。

補遺
池田亀鑑  :ウィキペディア
池田亀鑑  :「コトバンク」
池田亀鑑(いけだ きかん) :「鳥取県立図書館」
源氏物語大成 :ウィキペディア
青表紙本   :ウィキペディア
河内本    :ウィキペディア

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「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
                  2022年12月現在 11冊

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遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2022-12-29 18:22:12 | 源氏物語関連
ブログ「遊心逍遙記」を開設して以降、読み継いできた作品を一覧にまとめました。
お読みいただけるとうれしいです。  12冊掲載

[源氏物語への誘い] 

『源氏物語』全十巻   瀬戸内寂聴訳  講談社文庫

= ビギナーの友に =
『源氏物語の京都案内』  文藝春秋編   文春文庫
『源氏物語解剖図鑑』 文 佐藤晃子 イラスト 伊藤ハムスター X-Knowledge
『初めての源氏物語  宇治へようこそ』  家塚智子  宇治市文化財愛護協会
『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 紫式部日記』 山本淳子 角川ソフィア文庫
『知識ゼロからの源氏物語』 鈴木日出男(著) 大和和紀(協力)  幻冬舎

= 教養書 =
『平安人の心で「源氏物語」を読む』  山本淳子  朝日選書
『私が源氏物語を書いたわけ』  山本淳子  角川学芸出版

= 小説・エッセイなど =

『カラダで感じる源氏物語』 大塚ひかり  ちくま文庫
『源氏五十五帖』  夏山かおる  日本経済新聞出版
『新・紫式部日記』  夏山かほる  日本経済新聞出版社
『月と日の后』 冲方 丁 PHP  
   ⇒ 一条天皇の中宮となった藤原彰子を主人公にした小説。
     紫式部により『源氏物語』が紡ぎ出される時代背景として関連する。
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