花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に
『百人一首』に採録されたこの歌を知らない人はほとんどいないだろう。たぶん古文の授業に『百人一首』が組み込まれているだろうから。少なくとも小野小町という名前は良く知られていると思う。ならば、小野小町のプロフィールが知られているかと言えば、生没年不詳と解説されておしまいが殆どである。つまり、謎多き歌人。
本書はその小野小町の生涯を描き出した小説であり、フィクションである。当初、前篇「花の色は」が「ハルメク」(2021年9月号~2023年3月号)に、後篇「我が身世にふる」が「すばる」(2023年4月号)にそれぞれ発表された。今年、2023年5月に一冊にまとめて単行本が刊行されている。
脇道に逸れる。江戸時代後期の学者尾崎雅嘉(1755~1827)が『百人一首』の註釈書『百人一首一夕話』を書いている。岩波文庫の古川久校訂の上巻を開くと、次のように記している。
「父祖詳かならず。古説に参議篁の孫なりといひ、小野良実の女といひ、また常澄の女当澄の女などといふ説あれど、いづれも確かならず。古今に小野貞樹と詠み交わしたる歌あれば、この貞樹の親族にてやありけんと契沖はいへり」(p101)と。
また、『百人一首』の解説書がたくさんあるが、その中で、『百人一首』(全訳注 有吉保、講談社学術文庫)は、「生没年・伝未詳。仁明朝(833~850)ごろの女流歌人。六歌仙・中古三十六歌仙の一人。『古今集』に安部清行・小野貞樹・文屋康秀との間の贈答歌を残しているのが、唯一の確実な資料である。参議篁の孫、出羽郡司良真の女説は所伝に過ぎない。後世、多くの『小町物』を生んだ。家集『小町集』、『古今集』初出」(p49-50)と作者解説の項で記す。手許にあるいくつかの解説本の中ではかなり具体的に解説している方である。
つまり、小野小町の実像は、生年を含め殆ど何もわかっていない。ただ、残された歌と、様々な伝承があり、能の演目を含め「小町物」が数多く残るという状況である。
では、この『小説小野小町 百夜』はどうなのか?
作者は「あとがき」(p375-381)で本書執筆のスタンスを明確にしている。創作の背景となる考え方が明確に理解できる、私なりに要点をまずご紹介しよう。
*小野小町の実像は「あはれなるようにて、真(マコト)はつよい」ととらえる。
男に対して気丈であり、鼻っ柱がつよく、自我を貫く「つよさ」を持つ。
*自らの感性に正直。それ故、この時代の女性としては生意気に見えるかもしれない。
*小町物(能・伝説等)は、千年を超す男中心の社会で作られた、美女を貶める物語にすぎない
*小野小町のイメージの修復、名誉回復をなし遂げ、その時代の紀貫之の賛辞を取り戻したい思いが創作のモチベーションになっている。
*「小町集」に伝わる百首を超す歌は、全てが真に小町作かどうかは明確ではない。
*小町の実作と信じられるのは、古今和歌集の十八首のみである。(編者・紀貫之を信じる前提でのこと)
*小町の人生を通して、平安の世の実相を読者に知ってほしい思いがベースにある。
「平安という時代の不自由さもまた、小町とともに実感していただければ」と記す。
*本作の本文を「独特な雅文」で綴る。「流れるように声に出して読んで頂けるなら、それで良し」と記す。声に出して読まれることを前提にしている。(この点、読み通してみて、そういう意図があったのか・・・・ナルホド)
著者は、小野小町の歌を拠り所にして、小町の生涯を描き出していく。
ストーリーは10歳の小町が、都に帰る国司の次官・出羽介の小野良実一行に同行して、出羽国の国府の置かれた井口から京の都に上るという経緯から始まる。小町の母大町は、多賀城までは小町に付き添い、そこで別れとなる。いわば、これが小町にとって、母との生き別れなのだ。小町の父は小野篁だと、母大町から聞かされている。その証拠は篁が大町に託した高麗笛という。小町はその高麗笛を携えて父と聞かされてきた篁の許へ赴くのである。別離の悲しみという状況から小町の人生が動き出す。
それまで、小町は出羽国の雄勝城で、母大町に慈しみ育てられ、歌を学び、文を学び成長してきた。今、その世界から切り離されることになる。
小町に会った小野篁は小町の美しさと才能に気づく。そして、小町は裳着を終えた後、仁明帝の御世に、後宮の麗景殿に住む女御綱子の許に出仕する。ここから小町の宮廷内での生活が始まっていく。
仁明帝と女御綱子の関係性が小町にどのように影響を及ぼしていくか。
小町の才能が宮廷の中でどのように花開き、どのように受容され評価されていくか。
仁明帝の覚えがあつく近侍する吉岑宗貞は、帝の思いを小町に伝えるメッセンジャーの役割を担う立場になる。だが、その宗貞と小町との間に互いに通いあう思いが芽生えていく。そこに公私の葛藤が生み出されていくことに・・・・。二人の関係性の変遷が一つのハイライトとなる。吉岑宗貞は仁明帝の崩御後に出家する。後の僧正遍昭である。
小町の人生に生涯大きなインパクトを与える出来事が唐突に発生する。このことが、このストーリーでのもう一つのハイライトになっていく。
天皇の代替わりと父篁の宮廷内での処遇が小町の人生に影響を及ぼしていく。
本書のタイトルに「百夜」とある。百夜の経緯がさらにハイライトになる。
この物語では、小町が雲林院を訪れた後、都を去り、出羽国の雄勝に発ち、多賀城に着くまでを描く。
小町の生き方に平安の世の実相が反映していく様を著者は雅文で綴っていく。
一つ触れておきたい。大抵の人は、「百夜」というと深草の少将の百日通いを連想することと思う。私もタイトルを読んだときにまず、深草の少将を連想した。しかし、このストーリーでは、「深草の少将は、弘仁三年に卒去なされておりますのに、何としたことかと」(p298)として、小野小町の生きる時代とは異なることを明記している。つまり、深草少将義宣の名を騙る者を登場させることになる。その人物との関わりが、このストーリーの中では上記の通り、ハイライトになる。お読みになると、実に巧みな構成になっていることがわかることだろう。弘仁3年は西暦で812年。仁明帝崩御が850年。小町が山科の邸に住むようになるのは、もっと後になってからである。これ以上はネタバレにつながると思うので記さない。事の成り行きと当事者の心情を味わっていただきたいと思う。
小野小町の歌が、このストーリーの経緯に沿って、どのような順番で織り込まれていくのか。この関心から文脈から小町の歌と判断したものを順に抽出してみた。どこに出てくるかを付記した。(判断ミスをしているかもしれないので、読まれたらご確認を・・・)
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ
夢と知りせば覚めざらましを p49 夢と知りせば、p80 麗景殿、
p233 熾火
秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば
ことぞともなく開けぬるものを p109 衣の川
あはれてふ言(コト)こそうたて世の中を
おもひはなれぬほだしなりけれ p128 あはれてふ
いとせめて恋しきときはむばたまの
夜の衣を返してぞ着る p126 綾錦
かぎりなきおもひのままに夜も来む
夢路をさへに人はとがめじ p162 新嘗祭
夢路には足もやすめず通へども
現(ウツツ)に一目見しごとはあらず p162 新嘗祭
めづらしき人を見むとやしかもせぬ
わが下紐の解けわたるらむ p169 月と雲
うたたねに恋しき人をみてしより
夢てふものは頼みそめてき p172 月と雲、p371 ひさかたの空
ちはやふる神も見まさば立ちさはぎ
天の戸川の樋口開けたまへ p179 慈雨
ことわりや日(ヒ)の本(モト)ならば照りもせめ
さりとてはまたあめが下とは p180 慈雨
花の色は移りにけりないたづらに
我が身世にふるながめせしまに p202 花ひとひら、 p351 花吹雪
色みえでうつろふものは世の中の
人の心の花にぞありける p212 うつろふもの
今はとて我が身時雨にふりぬれば
言の葉さへに移ろひにけり p218 鄙の月
秋風にあふ田の実こそかなしけれ
わが身むなしくなりぬと思へば p229 稲穂
人に逢はむ月のなきには思ひおきて
胸走り火に心焼けをり p236 熾火
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす
我は堰(セ)きあへずたぎつ瀬なれば p243 下出雲寺
見る目なきわが身をうらと知らねばや
かれなで海人(アマ)の足たゆく来る p282 海松布
海人のすむ里のしるべにあらなくに
浦見むとのみ人の言ふらむ p296 懸想文
わびぬれば身を浮き草の根をたえて
誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ p302 誘ふ水
海人のすむ浦こぐ舟のかぢをなみ
世をうみわたる我ぞかなしき p310 浦こぐ舟
熾火(オキ)のゐて身を焼くよりもかなしきは
都島べの別れなりけり p347 白髪
岩の上に旅寝をすればいと寒し
苔の衣をわれにかさなん p355 石上寺
歌以外の痕跡を殆ど残さない小野小町。それ故に想像力をかき立てられる存在になるのだろう。本書を読み、ますます小野小町の存在にロマンを感じる次第である。
ご一読ありがとうございます。
補遺
平安の女流歌人 小野小町 について :「随心院」
小野小町 :ウィキペディア
小野小町 平安時代の重要語 :「刀剣ワールド」
雄勝城 :「コトバンク」
多賀城 :ウィキペディア
小野篁 :ウィキペディア
小野篁とは :「六道珍皇寺」
仁明天皇 :ウィキペデキア
遍昭 :「コトバンク」
石上寺 :「コトバンク」
下出雲寺跡 :「コトバンク」
雲林院 :「京都観光Navi」
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『百人一首』に採録されたこの歌を知らない人はほとんどいないだろう。たぶん古文の授業に『百人一首』が組み込まれているだろうから。少なくとも小野小町という名前は良く知られていると思う。ならば、小野小町のプロフィールが知られているかと言えば、生没年不詳と解説されておしまいが殆どである。つまり、謎多き歌人。
本書はその小野小町の生涯を描き出した小説であり、フィクションである。当初、前篇「花の色は」が「ハルメク」(2021年9月号~2023年3月号)に、後篇「我が身世にふる」が「すばる」(2023年4月号)にそれぞれ発表された。今年、2023年5月に一冊にまとめて単行本が刊行されている。
脇道に逸れる。江戸時代後期の学者尾崎雅嘉(1755~1827)が『百人一首』の註釈書『百人一首一夕話』を書いている。岩波文庫の古川久校訂の上巻を開くと、次のように記している。
「父祖詳かならず。古説に参議篁の孫なりといひ、小野良実の女といひ、また常澄の女当澄の女などといふ説あれど、いづれも確かならず。古今に小野貞樹と詠み交わしたる歌あれば、この貞樹の親族にてやありけんと契沖はいへり」(p101)と。
また、『百人一首』の解説書がたくさんあるが、その中で、『百人一首』(全訳注 有吉保、講談社学術文庫)は、「生没年・伝未詳。仁明朝(833~850)ごろの女流歌人。六歌仙・中古三十六歌仙の一人。『古今集』に安部清行・小野貞樹・文屋康秀との間の贈答歌を残しているのが、唯一の確実な資料である。参議篁の孫、出羽郡司良真の女説は所伝に過ぎない。後世、多くの『小町物』を生んだ。家集『小町集』、『古今集』初出」(p49-50)と作者解説の項で記す。手許にあるいくつかの解説本の中ではかなり具体的に解説している方である。
つまり、小野小町の実像は、生年を含め殆ど何もわかっていない。ただ、残された歌と、様々な伝承があり、能の演目を含め「小町物」が数多く残るという状況である。
では、この『小説小野小町 百夜』はどうなのか?
作者は「あとがき」(p375-381)で本書執筆のスタンスを明確にしている。創作の背景となる考え方が明確に理解できる、私なりに要点をまずご紹介しよう。
*小野小町の実像は「あはれなるようにて、真(マコト)はつよい」ととらえる。
男に対して気丈であり、鼻っ柱がつよく、自我を貫く「つよさ」を持つ。
*自らの感性に正直。それ故、この時代の女性としては生意気に見えるかもしれない。
*小町物(能・伝説等)は、千年を超す男中心の社会で作られた、美女を貶める物語にすぎない
*小野小町のイメージの修復、名誉回復をなし遂げ、その時代の紀貫之の賛辞を取り戻したい思いが創作のモチベーションになっている。
*「小町集」に伝わる百首を超す歌は、全てが真に小町作かどうかは明確ではない。
*小町の実作と信じられるのは、古今和歌集の十八首のみである。(編者・紀貫之を信じる前提でのこと)
*小町の人生を通して、平安の世の実相を読者に知ってほしい思いがベースにある。
「平安という時代の不自由さもまた、小町とともに実感していただければ」と記す。
*本作の本文を「独特な雅文」で綴る。「流れるように声に出して読んで頂けるなら、それで良し」と記す。声に出して読まれることを前提にしている。(この点、読み通してみて、そういう意図があったのか・・・・ナルホド)
著者は、小野小町の歌を拠り所にして、小町の生涯を描き出していく。
ストーリーは10歳の小町が、都に帰る国司の次官・出羽介の小野良実一行に同行して、出羽国の国府の置かれた井口から京の都に上るという経緯から始まる。小町の母大町は、多賀城までは小町に付き添い、そこで別れとなる。いわば、これが小町にとって、母との生き別れなのだ。小町の父は小野篁だと、母大町から聞かされている。その証拠は篁が大町に託した高麗笛という。小町はその高麗笛を携えて父と聞かされてきた篁の許へ赴くのである。別離の悲しみという状況から小町の人生が動き出す。
それまで、小町は出羽国の雄勝城で、母大町に慈しみ育てられ、歌を学び、文を学び成長してきた。今、その世界から切り離されることになる。
小町に会った小野篁は小町の美しさと才能に気づく。そして、小町は裳着を終えた後、仁明帝の御世に、後宮の麗景殿に住む女御綱子の許に出仕する。ここから小町の宮廷内での生活が始まっていく。
仁明帝と女御綱子の関係性が小町にどのように影響を及ぼしていくか。
小町の才能が宮廷の中でどのように花開き、どのように受容され評価されていくか。
仁明帝の覚えがあつく近侍する吉岑宗貞は、帝の思いを小町に伝えるメッセンジャーの役割を担う立場になる。だが、その宗貞と小町との間に互いに通いあう思いが芽生えていく。そこに公私の葛藤が生み出されていくことに・・・・。二人の関係性の変遷が一つのハイライトとなる。吉岑宗貞は仁明帝の崩御後に出家する。後の僧正遍昭である。
小町の人生に生涯大きなインパクトを与える出来事が唐突に発生する。このことが、このストーリーでのもう一つのハイライトになっていく。
天皇の代替わりと父篁の宮廷内での処遇が小町の人生に影響を及ぼしていく。
本書のタイトルに「百夜」とある。百夜の経緯がさらにハイライトになる。
この物語では、小町が雲林院を訪れた後、都を去り、出羽国の雄勝に発ち、多賀城に着くまでを描く。
小町の生き方に平安の世の実相が反映していく様を著者は雅文で綴っていく。
一つ触れておきたい。大抵の人は、「百夜」というと深草の少将の百日通いを連想することと思う。私もタイトルを読んだときにまず、深草の少将を連想した。しかし、このストーリーでは、「深草の少将は、弘仁三年に卒去なされておりますのに、何としたことかと」(p298)として、小野小町の生きる時代とは異なることを明記している。つまり、深草少将義宣の名を騙る者を登場させることになる。その人物との関わりが、このストーリーの中では上記の通り、ハイライトになる。お読みになると、実に巧みな構成になっていることがわかることだろう。弘仁3年は西暦で812年。仁明帝崩御が850年。小町が山科の邸に住むようになるのは、もっと後になってからである。これ以上はネタバレにつながると思うので記さない。事の成り行きと当事者の心情を味わっていただきたいと思う。
小野小町の歌が、このストーリーの経緯に沿って、どのような順番で織り込まれていくのか。この関心から文脈から小町の歌と判断したものを順に抽出してみた。どこに出てくるかを付記した。(判断ミスをしているかもしれないので、読まれたらご確認を・・・)
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ
夢と知りせば覚めざらましを p49 夢と知りせば、p80 麗景殿、
p233 熾火
秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば
ことぞともなく開けぬるものを p109 衣の川
あはれてふ言(コト)こそうたて世の中を
おもひはなれぬほだしなりけれ p128 あはれてふ
いとせめて恋しきときはむばたまの
夜の衣を返してぞ着る p126 綾錦
かぎりなきおもひのままに夜も来む
夢路をさへに人はとがめじ p162 新嘗祭
夢路には足もやすめず通へども
現(ウツツ)に一目見しごとはあらず p162 新嘗祭
めづらしき人を見むとやしかもせぬ
わが下紐の解けわたるらむ p169 月と雲
うたたねに恋しき人をみてしより
夢てふものは頼みそめてき p172 月と雲、p371 ひさかたの空
ちはやふる神も見まさば立ちさはぎ
天の戸川の樋口開けたまへ p179 慈雨
ことわりや日(ヒ)の本(モト)ならば照りもせめ
さりとてはまたあめが下とは p180 慈雨
花の色は移りにけりないたづらに
我が身世にふるながめせしまに p202 花ひとひら、 p351 花吹雪
色みえでうつろふものは世の中の
人の心の花にぞありける p212 うつろふもの
今はとて我が身時雨にふりぬれば
言の葉さへに移ろひにけり p218 鄙の月
秋風にあふ田の実こそかなしけれ
わが身むなしくなりぬと思へば p229 稲穂
人に逢はむ月のなきには思ひおきて
胸走り火に心焼けをり p236 熾火
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす
我は堰(セ)きあへずたぎつ瀬なれば p243 下出雲寺
見る目なきわが身をうらと知らねばや
かれなで海人(アマ)の足たゆく来る p282 海松布
海人のすむ里のしるべにあらなくに
浦見むとのみ人の言ふらむ p296 懸想文
わびぬれば身を浮き草の根をたえて
誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ p302 誘ふ水
海人のすむ浦こぐ舟のかぢをなみ
世をうみわたる我ぞかなしき p310 浦こぐ舟
熾火(オキ)のゐて身を焼くよりもかなしきは
都島べの別れなりけり p347 白髪
岩の上に旅寝をすればいと寒し
苔の衣をわれにかさなん p355 石上寺
歌以外の痕跡を殆ど残さない小野小町。それ故に想像力をかき立てられる存在になるのだろう。本書を読み、ますます小野小町の存在にロマンを感じる次第である。
ご一読ありがとうございます。
補遺
平安の女流歌人 小野小町 について :「随心院」
小野小町 :ウィキペディア
小野小町 平安時代の重要語 :「刀剣ワールド」
雄勝城 :「コトバンク」
多賀城 :ウィキペディア
小野篁 :ウィキペディア
小野篁とは :「六道珍皇寺」
仁明天皇 :ウィキペデキア
遍昭 :「コトバンク」
石上寺 :「コトバンク」
下出雲寺跡 :「コトバンク」
雲林院 :「京都観光Navi」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)