出版社の広告メッセージによれば、『まいまいつぶろ』の完結編。
『まいまいつぶろ』は第九代将軍家重とその小姓大岡忠光を中心にした小説。徳川吉宗の嫡男・長福丸が母親の難産のゆえに身体障碍者として生まれた。身体の右側は麻痺し、左の手も震えがあり文字を書くことができない。長福丸の話す言葉を誰も聞き取れない。頭脳は明晰だった。ただ一人、小姓として仕え始めた大岡兵庫だけがその言葉を解し、長福丸の通辞を務める。元服し、長福丸は家重と名乗り、兵庫は忠光と名乗る。長期間にわたる廃嫡問題の揺れ動きの果てに、遂に家重は、父吉宗の決断で第九代将軍を継承する。その苦しみの渦中の姿と、父吉宗の改革を引き継いでいく過程を描いた小説だった。
それに対して、本書は家重が第九代将軍を継承できるまでのプロセスと、将軍職を継承し全うするまでの過程を、異なる視点からエピソード風にとらえた短編連作集である。いわば、舞台裏を多面的に描き出していく。『まいまいつぶろ』のストーリーでは語られなかった側面を描き出すことで、ストーリーの奥行きを広げ、また、『まいまいつぶろ』のその後を明らかにする続編であり、完結編となる。
「小説幻冬」(vol.85~vol.89)に連載されたのち、今年、2024年5月に単行本が刊行された。
本書は紀州藩主時代の徳川吉宗に見いだされ、青名半四郎と名乗り、表向きは御徒頭として仕え、実は御庭番として吉宗の密命を遂行する別名万里が、この短編連作の黒子的役割を担う。最後に万里自身が主人公になる短編も含まれる。
ここに描き出された側面は、隠密の万里が耳にし目にした内容という位置づけである。それ故に耳目抄。『まいまいつぶろ』との併読で相乗効果を発揮する短編連作集となっている。
本書には5つの短編が収録されている。各短編について、簡単なご紹介と読後印象を記したい。
< 将軍の母 >
吉宗の母、浄円院は紀州・和歌山城から江戸城に移ってきて、初めて長福丸はじめ孫たちと対面する。浄円院を迎えに行き、道中を付き添うのが青名半四郎。半四郎は吉宗から密命を受けていた。
浄円院が孫の長福丸(家重)を思う心と浄円院の行動が描き出されていく。家重の心を理解して支えたおばあちゃん!
< 背信の士 >
吉宗の片腕となり、吉宗の改革を推進した老中松平左近将監乗邑の行動を描く。改革には邁進したが、彼は最後まで家重廃嫡の立場を崩さなかった。その松平乗邑の顛末譚。
「乗邑はたとえ明日のことは疑っても、忠光が伝えた家重の言葉を否定したことはなかった」(p108) この一文に乗邑のスタンスが凝縮されているように感じる。
< 次の将軍 >
家重の嫡男竹千代は元服して家治と改名する。後の第十代将軍である。吉宗は幼少の孫竹千代を可愛がり、彼の聡明さを見抜く。そして竹千代に父家重の聡明さに気づき、その姿から学ぶように導いていく。一方、家重は家治に祖父吉宗から学ぶようにという。
家重の将軍職継承において、家治の果たした役割がこの短編の眼目といえる。
また、家重と家治の間で、家治の母、幸のことに関して気まずさが生まれる経緯が、もう一つ、ここで家重の心理に一歩踏み込む描写となる。
日本史の年表を確認しての余談だが、家治が第十代将軍になるのは1760年。1765年から田沼時代が始まる。吉宗が改革に着手し、家重がそれを継承・推進した。だが、家治は祖父・父の推し進めた改革とは方向を異にした政策を選択したことがわかる。
< 寵臣の妻 >
奥小姓として家重のもとに出仕し、家重の口となり通辞に専心してきた大岡忠光。忠光は、通辞一筋で、はた目から見れば、小姓頭、側衆、御用取次と出世を重ね、禄高五千石に至る寵臣となる。その忠光自身の家庭はどうだったのかを描く。
夫忠光が禄高五千石に出世した翌年、志乃と嫡男で13歳の兵庫の母子二人は、大岡越前守忠相の役宅に初めて招かれる。この時初めて、志乃と兵庫は、忠光が江戸城内でどのような働きをしているかを知る。
忠光から何も知られされないままで、厳しい不文律を課された家において、妻志乃と嫡男兵庫がそのような思いで生きてきたかをこの短編は描き込んでいく。
ふと、志乃の立場に耐えられ女性がどれほどいるだろうかと思ってしまう。
元服し改名した忠喜が単独で将軍家重に拝謁できるという場面が描かれる。この拝謁の場で、忠喜は父が家重に仕える真の姿に出会う。この場面がいい。
この拝謁の場への先導・案内を務めるのが万里である。
< 勝手隠密 >
3つのテーマが扱われている。1つは、田沼意次の登場とその手腕。宝暦8年(1758)4月、目安箱に二度にわたり同じ内容の訴状が投じられていた。これに端を発して、問題事象の解明と解決に意次が手腕を発揮する様を描く。
2つ目は、忠光が家重の通辞役を退隠する決意をしたとき、将来への伏線として為した最後の行動。
3つ目は、吉宗の隠密として生きてきた万里自身の晩年。吉宗の死後も、勝手隠密と自称して、事の成り行きを見つめてきた万里自身が描かれる。
宝暦10年(1760)に退隠した忠光が亡くなる。この年、家重は嫡男家治に将軍職を譲る。それから10ヵ月ほど後、宝暦11年6月に家重がみまかる。『まいまいつぶろ』の時代が終わる。
つまり、この短編が『まいまいつぶろ』の時代の完結を告げる一編となる。
浅草箕輪の寺社町の一隅に仕舞屋を借りて晩年を過ごす万里の姿でエンディング。この終わり方に家重と忠光の生きた時代が無事に終わったという余韻が残っていい。
『まいまいつぶろ』と本書をセットで読まれることをお勧めしたい。
これら二書は、第九代将軍徳川家重と大岡忠光いう人物像をフィクションとして見事に造形している。
一方で、徳川家重の実像はどうだったのだろうか・・・。そんな思いが湧いてくる。
ご一読あありがとうございます。
補遺
徳川家重 :「コトバンク」
大岡忠光 :「コトバンク」
徳川家重 :ウィキペディア
第9代将軍徳川家重 :「刀剣ワールド」
徳川家重の家系図・年表 :「刀剣ワールド」
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『まいまいつぶろ』 幻冬舎
『まいまいつぶろ』は第九代将軍家重とその小姓大岡忠光を中心にした小説。徳川吉宗の嫡男・長福丸が母親の難産のゆえに身体障碍者として生まれた。身体の右側は麻痺し、左の手も震えがあり文字を書くことができない。長福丸の話す言葉を誰も聞き取れない。頭脳は明晰だった。ただ一人、小姓として仕え始めた大岡兵庫だけがその言葉を解し、長福丸の通辞を務める。元服し、長福丸は家重と名乗り、兵庫は忠光と名乗る。長期間にわたる廃嫡問題の揺れ動きの果てに、遂に家重は、父吉宗の決断で第九代将軍を継承する。その苦しみの渦中の姿と、父吉宗の改革を引き継いでいく過程を描いた小説だった。
それに対して、本書は家重が第九代将軍を継承できるまでのプロセスと、将軍職を継承し全うするまでの過程を、異なる視点からエピソード風にとらえた短編連作集である。いわば、舞台裏を多面的に描き出していく。『まいまいつぶろ』のストーリーでは語られなかった側面を描き出すことで、ストーリーの奥行きを広げ、また、『まいまいつぶろ』のその後を明らかにする続編であり、完結編となる。
「小説幻冬」(vol.85~vol.89)に連載されたのち、今年、2024年5月に単行本が刊行された。
本書は紀州藩主時代の徳川吉宗に見いだされ、青名半四郎と名乗り、表向きは御徒頭として仕え、実は御庭番として吉宗の密命を遂行する別名万里が、この短編連作の黒子的役割を担う。最後に万里自身が主人公になる短編も含まれる。
ここに描き出された側面は、隠密の万里が耳にし目にした内容という位置づけである。それ故に耳目抄。『まいまいつぶろ』との併読で相乗効果を発揮する短編連作集となっている。
本書には5つの短編が収録されている。各短編について、簡単なご紹介と読後印象を記したい。
< 将軍の母 >
吉宗の母、浄円院は紀州・和歌山城から江戸城に移ってきて、初めて長福丸はじめ孫たちと対面する。浄円院を迎えに行き、道中を付き添うのが青名半四郎。半四郎は吉宗から密命を受けていた。
浄円院が孫の長福丸(家重)を思う心と浄円院の行動が描き出されていく。家重の心を理解して支えたおばあちゃん!
< 背信の士 >
吉宗の片腕となり、吉宗の改革を推進した老中松平左近将監乗邑の行動を描く。改革には邁進したが、彼は最後まで家重廃嫡の立場を崩さなかった。その松平乗邑の顛末譚。
「乗邑はたとえ明日のことは疑っても、忠光が伝えた家重の言葉を否定したことはなかった」(p108) この一文に乗邑のスタンスが凝縮されているように感じる。
< 次の将軍 >
家重の嫡男竹千代は元服して家治と改名する。後の第十代将軍である。吉宗は幼少の孫竹千代を可愛がり、彼の聡明さを見抜く。そして竹千代に父家重の聡明さに気づき、その姿から学ぶように導いていく。一方、家重は家治に祖父吉宗から学ぶようにという。
家重の将軍職継承において、家治の果たした役割がこの短編の眼目といえる。
また、家重と家治の間で、家治の母、幸のことに関して気まずさが生まれる経緯が、もう一つ、ここで家重の心理に一歩踏み込む描写となる。
日本史の年表を確認しての余談だが、家治が第十代将軍になるのは1760年。1765年から田沼時代が始まる。吉宗が改革に着手し、家重がそれを継承・推進した。だが、家治は祖父・父の推し進めた改革とは方向を異にした政策を選択したことがわかる。
< 寵臣の妻 >
奥小姓として家重のもとに出仕し、家重の口となり通辞に専心してきた大岡忠光。忠光は、通辞一筋で、はた目から見れば、小姓頭、側衆、御用取次と出世を重ね、禄高五千石に至る寵臣となる。その忠光自身の家庭はどうだったのかを描く。
夫忠光が禄高五千石に出世した翌年、志乃と嫡男で13歳の兵庫の母子二人は、大岡越前守忠相の役宅に初めて招かれる。この時初めて、志乃と兵庫は、忠光が江戸城内でどのような働きをしているかを知る。
忠光から何も知られされないままで、厳しい不文律を課された家において、妻志乃と嫡男兵庫がそのような思いで生きてきたかをこの短編は描き込んでいく。
ふと、志乃の立場に耐えられ女性がどれほどいるだろうかと思ってしまう。
元服し改名した忠喜が単独で将軍家重に拝謁できるという場面が描かれる。この拝謁の場で、忠喜は父が家重に仕える真の姿に出会う。この場面がいい。
この拝謁の場への先導・案内を務めるのが万里である。
< 勝手隠密 >
3つのテーマが扱われている。1つは、田沼意次の登場とその手腕。宝暦8年(1758)4月、目安箱に二度にわたり同じ内容の訴状が投じられていた。これに端を発して、問題事象の解明と解決に意次が手腕を発揮する様を描く。
2つ目は、忠光が家重の通辞役を退隠する決意をしたとき、将来への伏線として為した最後の行動。
3つ目は、吉宗の隠密として生きてきた万里自身の晩年。吉宗の死後も、勝手隠密と自称して、事の成り行きを見つめてきた万里自身が描かれる。
宝暦10年(1760)に退隠した忠光が亡くなる。この年、家重は嫡男家治に将軍職を譲る。それから10ヵ月ほど後、宝暦11年6月に家重がみまかる。『まいまいつぶろ』の時代が終わる。
つまり、この短編が『まいまいつぶろ』の時代の完結を告げる一編となる。
浅草箕輪の寺社町の一隅に仕舞屋を借りて晩年を過ごす万里の姿でエンディング。この終わり方に家重と忠光の生きた時代が無事に終わったという余韻が残っていい。
『まいまいつぶろ』と本書をセットで読まれることをお勧めしたい。
これら二書は、第九代将軍徳川家重と大岡忠光いう人物像をフィクションとして見事に造形している。
一方で、徳川家重の実像はどうだったのだろうか・・・。そんな思いが湧いてくる。
ご一読あありがとうございます。
補遺
徳川家重 :「コトバンク」
大岡忠光 :「コトバンク」
徳川家重 :ウィキペディア
第9代将軍徳川家重 :「刀剣ワールド」
徳川家重の家系図・年表 :「刀剣ワールド」
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
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『まいまいつぶろ』 幻冬舎