遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『じんかん』    今村翔吾   講談社

2024-12-15 15:32:57 | 今村翔吾
 この歴史時代小説を読もうと思ったのは、先月(11月)著者の『戦国武将を推理する』(NHK出版新書)を読んだのがきっかけ。『戦国武将を推理する』の読後印象はご紹介済み。この新書の最後に取り上げられていたのが、松永久秀。
 本書は、「小説現代」2020年4月号に掲載後、大幅に加筆・修正され、2020年5月に単行本が、2024年4月に文庫本が刊行されている。

   文庫表紙

 この『じんかん』はその松永久秀を主人公にして、松永久秀像のコペルニクス的展開を試みた小説と言える。

 松永久秀は若い頃、九兵衛と称した。天台宗の本山寺に世話になっていた時、寺の住職宗慶和尚から三好元長のことを聞く。そして、三好元長様に合ってみたいと宗慶に乞う。このときに、少し端折るが次の会話が交わされる。
 「お主は何を知りたい」
 「人は何故生まれ、何故死ぬかを」
 「それは途方も無いことよ・・・・未だかって誰一人として辿り着いた者はいないだろう。そもその答えなど無く、人は死にたくないから生きているだけやも知れない」
 「三好様の夢が叶えば、死は有り触れたものではなくなるはずです。その先に人は何たるかの答えがあるのではないか。そう思うのです」
 「お主のその性質は、僧にむいていると思うのだがな・・・」
 「和尚に申し上げるのは憚れますが・・・・私は福聚金剛より、遍照金剛の生き方に心惹かれます」
 「実践・・・・か」
 「この目で確かめとうございます」
 「人間(じんかん)の何たるかを知る・・・・か」
 この会話の続きに、”人間。同じ字でも「にんげん」と読めば一個の人を指す。今、宗慶が言った「じんかん」とあh人と人とが織りなす間。つまりはこの世という意味である”と本文がつづく。(p113-114)

 本書のタイトル「じんかん」はここに由来する。三好元長に会い、元長の宿願を聞いた九兵衛は、その宿願に共鳴して、戦国の世において己もその宿願の実現に協力しようと決意し行動する。久兵衛は松永久秀と名乗り、徐々に戦国大名に成り上がっていく。

 織田信長は、徳川家康に松永久秀を評して、人がなせぬ大悪を一生の内に三つもやってのけた男だと説明した。著者はこの小説の導入部でこう記す。一つは、三好元長の死後、嫡子長慶に取り立てられて重臣となったが、長慶の死後三好家への謀反により、権勢を高めるに至った。二つ目は子の久通に指示し室町十三代将軍足利義輝を殺害した。三つめは、三好三人衆との戦いの折に東大寺大仏殿他を焼き払った。天下の悪人。特に大仏殿を焼き払った悪人として世間に流布している。
 だが、このストーリー、それは久秀を貶めるための虚像だという風に久秀の生涯を語りあかしていく。実に興味深い進展となるところが読ませどころ。松永久秀のイメージをポジティブな方向に推し広げていく。松永久秀のイメージ形成に一石を投ずる小説である。

 本作は7章で構成される。第1章 松籟の孤児/ 第2章 交錯する町/ 第3章 流浪の聲/ 第4章 修羅の城塞/ 第5章 夢追い人/ 第6章 血の碑/ 第7章 人間へ告ぐ
導入部は、小姓頭の一人である狩野又九郎が安土城の天守に居る織田信長に松永久秀謀叛の知らせを伝えに行く場面。信長の気性を熟知する又九郎は信長の怒りを諸にぶつけられることを恐れ緊迫感を抱きつつ、久秀からの二通の書状を伝える。
 傍に控える又九郎の前で、楼下を見下ろしつつ、嘆息交じりに「奴は進めようとしているのだ」と発するところからこのストーリーが具体的に始まっていく。

 ストーリー構成として面白い点がある。松永久秀が信長に降伏、恭順した後、信長は直接、久秀の過去・来歴を語られた機会があると又九郎に言う。そして、又九郎を壁として、信長は松永久秀のこれまでの人生を語り始める。上記の7章構成は、信長が語る久秀の来歴であり、久秀の立場に立って語る内容となっている。そのため、各章の冒頭には、天守に居る信長が又九郎に対して久秀について語る様子がまず描かれる。その後に久秀の来歴が語り続けられる。二重構造という設定は勿論意図的である。

 このストーリー、久秀が語る己の火鴉壺・来歴を、聞き取った信長が己の内に受け止めた松永久秀像を、信長の視点というフィルターを介在させて久秀を語るという形になっている点のおもしろさにある。
 松永久秀を3つの悪を成した大悪人と建前では語りつつ、久秀の思考と信条、スタンスを基本的に信長は是とし、ポジティブに受け止め共感すら抱いている側面がああると、私は感じた。そこが、いい。

 信長の語りを聞き終えた又九郎は、信貴山城の久秀の謀叛に対して、信長の使者となるように命じられる。この時、又九郎は久秀に是非とも会ってみたいという高揚した状態に至っている。久秀と面談し、己の使命に尽力していく。

 このストーリー、出自不明とされる久秀の少年期から始まり、三悪を働くに至った経緯や信長に二度謀叛を働くに至る経緯などが、久秀の人生の時間軸に沿って進展していく。 三大悪を重ねた松永久秀像という一般的なイメージが、次々に覆されていく進展が興味深く、惹きつけられるところとなっていく。
 例えば、堺が堺商人「会合衆」によって自主的に運営される自治都市になるにあたって、三好元長の信念・宿願が起点となり、それに久兵衛改め松永久秀が協力していくというっストーリー展開は実に興味深い。我々は、堺が会合衆の運営により、高い自衛力と経済力を持った自治都市であり、環濠都市であったことを史実として学んでいる。だが、自治都市への転換がどのようにして実現したのかは不詳。このストーリーでの語りに裏付けがあるのかどうか、私は知らないが、そこにフィクションが織り込まれているとしても、自然な流れてであり、楽しめる。さらに、この自治都市への転換という理念が、松永久秀の信念・宿願につながっていくのだから、おもしろいのだ。
 

 最後に、本作から印象深い箇所を引用し、ご紹介したい。
*「平蜘蛛にそのような過去があったとは、考えたこともございませんでした」(又九郎)
 「世に出た後のことだけを見て、その前のことには興味を示さぬ。それは人も同じこと
  よ」(信長)p249 → 茶道好きにとってはおもしろい箇所かも
*「世には幾万の嘘が蔓延り、時に真実は闇へと溶けてゆくものよ・・・・
  結局は声の大きさであろうな」(信長)  p384

*「馬鹿な・・・・義継は久秀がいなければあ滅ぼされていたのです。十二万石でも十分
 過ぎるほどではありませんか」(又九郎)
「感謝など喉元を過ぎれば忘れ、妬心を抱けば、やがて憎悪へと変わる。ひととはそ

 のようなものよ」(信長)  p436

*人間にある見えぬ人の意思が、人々が神と名付ける何かが、常に己の足を引いているこ
 とはずっと感じている。
 だが、それでも九兵衛はまだ諦めない。彼らのように支援してくれる者もいる。この得
 体の知れぬ力に抗える、己が歩んできた軌跡、その中で関わってきた人々との縁ではな
 いか。人間に潜む意思に目鼻があるとすれば、己が一向に諦めぬことに顔をゆがめって
 いることだろう。 (松永久秀の心理)  p448-449

*たった一人のために命を燃やすとは、何と清々しいことか。ただそれまでに漫然と生き
 ていては味わえぬ。一生の中で多くの出逢いと別れを繰り返したからこそ、尊いと思え
 るのだろう。
 「なるほど、そういうことか」 
 ふと人の一生が妙に腑に落ちた。  p509
→九兵衛の最後の心境の描写である。
    「たった一人のために」とは、誰のためにか。お読みいただき味わってほしい。

 読者は、ここに描きこまれた松永久秀に親近感をいだくに違いない。

 ご一読ありがとうございます。



補遺
インターネットで既に紹介されている人物群像と本書に描き出された人物群像を対比してみるのも面白いと思う。本書はあくまでフィクションではあるが・・・・。

松永久秀   :ウィキペディア
三好元長   :ウィキペディア
三好長慶   :ウィキペディア
三好三人衆  :ウィキペディア 
足利義輝   :ウィキペディア
足利義昭   :ウィキペディア
細川氏    :ウィキペディア
筒井順慶   :ウィキペディア
堺の歴史   :「堺観光ガイド」
貿易都市として栄えた堺  川﨑勝俊 :「財務省」
武野紹鴎   :ウィキペディア
多聞山城   :ウィキペディア
信貴山城   :ウィキペディア

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