遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『北斎まんだら』  梶よう子  講談社文庫

2023-08-13 11:40:54 | 梶よう子
 本書のタイトルが示すとおり、葛飾北斎を扱った小説である。だが、うしろに「まんだら」とある。まんだらに直接触れる箇所は本文になかったように思う。読後に気づいたことが「まんだら」は「曼荼羅」で仏教語から借りているということだ。曼荼羅は大日如来を中心に多くの仏や菩薩を体系的に配置して描き上げた図である。この小説は葛飾北斎を中心にして、肉親、弟子、版元、仕事で交流を深めた人々、ライバルとみなす絵師、浮世絵師群など、様々な人々との人間関係を描き出す。その中でその時代と北斎を浮彫にしていく。そういう趣向なのかと。
 本書は2017年2月に単行本が刊行され、2019年8月に文庫化されている。

 北斎を扱うが北斎がこのストーリーの主役であるとも言いがたい。なぜか。
 高井三九郎が浅草明王院地内五郎兵衛店に住む北斎を訪ねるというところからストーリーが始まる。高井三九郎は北斎に弟子入りしたい目的で、北斎の住まいを訪ねた。
 三九郎は信州小布施では誰もが知る豪商、高井家の惣領息子。豪商の高井家は、周辺の松代藩、須坂藩、上田藩とも昵懇の間柄で、京の九条家の御用を賜っている。三九郎自身、15歳の時に京に遊学し、書画、詩歌を学んで11年に及ぶ。京では岸駒(がんく)を師匠として絵を学んでいた。
 三九郎が家業をほうりだして江戸に出て来たのは28歳の時。彼は北斎を小布施に招きたいという目的を抱いていた。師匠と弟子という関係で、小布施に北斎を迎えて、小布施で画を描いてほしいという目論見である。
 北斎は「おめえ、面白ぇ物を持っていそうだ」と三九郎に言い、あっさりと弟子入りを認める。北斎は娘のお栄に「おめえが見てやれ」と語り、お栄は「やなこった」と即座に返答した。少し宙ぶらりんな弟子入り状態から始まる。そして、このストーリーは、三九郎の希望を受けて、北斎が信州小布施行きに合意するあたりまでを描く。

 この小説のおもしろい所を列挙してみよう。
1.絵師北斎の行状や思考を、三九郎の視点をフィルターとして、描き出していく。
 どういう状態で北斎が画を描くのが日常的な姿だったか。北斎と娘のお栄が暮らす住まいの状態がどのようであったか。北斎が他の絵師、内心ライバルとみなす絵師をどのように考え、意識しているか、などである。
2.北斎と同時代の絵師たちの状況を時代背景として織りこんで行く。特に北斎がライバル意識を持った絵師について具体的に描いている。当時の絵師群像を知るのに役立つ。
 「一昨年版行された歌川広重の『東都名所』もそこそこ売れたと聞いている。だが、広重のそれは、そこに止まる名所そのものの美しさにある」(p40)という記述がある。広重が「東都名所」を手がけたのは天保2年(1831)広重34歳の時なので、このストーリーは、天保4年(1833)に三九郎が北斎を訪れた時点から始まっていることになる。北斎70歳代前半を描いていることになる。
3.北斎の住まいを訪れたとき、娘のお栄が三九郎にまず応対した。お栄の画号は応為である。この時、お栄は枕絵を描いていた。これが発端となり、枕絵を描くお栄と枕絵に絡んだ話材が一貫して、あたかも一つのサイドストーリーとなっていく。そこに、池田善次郎が関わってくる。美人画を得意とする町絵師の渓斎英泉である。北斎も勿論枕絵を描いている。北斎には「あの名は、善次郎にくれてやった」(p20)と言わせている。あの名とは「紫色鳫高(ししきがんこう)」という枕絵に記す陰号である。
 善次郎は北斎の住まいにしばしば訪れるし、お栄との関わりを持っている。勿論枕絵の仕事では共同する側面もある。
 三九郎は善治郎に誘われて吉原通いをする羽目にもなっていく。それだけに留まらず、枕絵のモデルまでやらされる羽目に・・・・ということで、これが面白い展開となる。
4.勿論北斎が己を語る場面がある。だがそれはわずか。娘のお栄が父北斎について三九郎に語るという形で、北斎の人間関係、人物像の一側面がストーリーに織り込まれていく。例えば、北斎と式亭馬琴との関係がそれである。
5.北斎には孫がいた。北斎関連で読んだ本には、北斎は孫に手を焼いていた事実が記されていた。ここでも孫の重太郎に絡むサイド・ストーリーが後半に加わり、大きな流れに転じていく。北斎画の贋作問題が発生する・・・・。その解明にお栄・三九郎・善治郎が取り組むことになる。
6.善次郎が三九郎に次のように語る場面がある。
 「北斎先生の中じゃ、もう錦絵や絵本は終わっている。肉筆に移るって、おれは考えているんだ。肉筆は遺るよ。だから北斎の名も、画も遺る、とおれは信じているんだ。・・・・・」(p279)と。つまり、この小説は北斎の画境の変わり目あたりに焦点が当てられていることになる。
7.父娘である。北斎とお栄。一方で、絵師北斎と絵師応為との関係が点描されている。

 最後に、印象的な箇所をいくつか引用しておこう。
*北斎の画は、丸と四角の組み合わせで形を取り、対角線や点、相似形を使い画面を構築する。緻密な構成があるのだと、お栄はいう。  p210
*髪の生え際、鬢の彫りなどがそうだ。絵師の描く版下絵は、髪型や輪郭だけで髪の毛を一本一本描くことはない。髪の毛や生え際はすべて彫師に任されている。一分(3ミリ)ほどの間に十五本ぐらい彫る。緻密さを極めた彫りだ。(付記:毛割についての説明)p234
*安心しなよ、三九郎。眼に見えていることは、皆、まやかしだよ。人の眼ってのはね、真実が見えないようにできているんだとさ。親父どのがいってたよ。真が見えたら、皆、絶望するか、卒倒しちまうとさ。  p250
*いま見えてる物の姿は、本物だって誰がいえるんだい。富士を眺めていたって、時はそこに流れている。止まっている瞬間なんかないんだよ。  p252

 三九郎は北斎から、「高井鴻山」という画号を授けられる。そして北斎は江戸を飛び出し浦賀に旅立つ。そこでこのストーリーは終わる。
  このストーリー、枕絵を描く絵師たちの舞台裏の知識が読者にとって、一つの副産物となる。至って真面目な絵画知識である。そこがおもしろい。
 
 ご一読ありがとうございます。

補遺
葛飾北斎 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
歌川広重 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
没後160年記念"広重 月の名作撰"コラムVol.1 :「浮世絵のアダチ版画」
渓斎英泉 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
浮世絵春画(枕絵)の歴史と絵師による特徴 :「いわの美術株式会社」
高井鴻山 :ウィキペディア
高井鴻山記念館  :「小布施町」
高井鴻山の「妖怪図」初公開 晩年に没頭した妖怪画集め、小布施の記念館で展示 
       2023.7.28   :「信濃毎日新聞デジタル」
晩年の高井鴻山、北斎ら旧友重ね描く妖怪 小布施で作品展 :「北陸・信越観光ナビ」
酒宴妖怪図 高井鴻山筆 :「文化遺産オンライン」
高井鴻山書       :「文化遺産オンライン」
信州小布施 北斎館  ホームページ

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『父子ゆえ 摺師安次郎人情暦』  角川春樹事務所
『いろあわせ 摺師安次郎人情暦』  時代小説文庫(角川春樹事務所)
『お茶壺道中』   角川書店
『空を駆ける』   集英社
拙ブログ「遊心逍遙記」に記した読後印象記
『広重ぶるう』 新潮社
『我、鉄路を拓かん』 PHP

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『風間教場』  長岡弘樹  小学館

2023-08-12 10:41:06 | 諸作家作品
 『教場』(2013年刊)、『教場2』(2016年刊)、『教場0 刑事指導官・風間公親』(2017年)、『教場X 刑事指導官・風間公親』(2021年刊)と読み進め、『教場X』を読んだ後で、本書が刊行されていたことを知った。本書は、「STORY BOX」(2018年8月号~2019年11月号、3ヵ月間隔)に連載された後、2019年12月に単行本となった。2020年12月に文庫化されている。表紙は単行本、文庫本ともに同じようだ。

 先行して読んだ上記の4冊がそれぞれ短編連作集であることに対して、本書はこのシリーズ初の長編小説である。第102期短期課程(期間6ヵ月間)の学生37人を風間公親が担当する。これがタイトルの風間教場である。
 いずれ読むつもりの『新・教場』も少し調べてみると短編連作集である。
 なぜ、本書だけが長編なのか? 少し不思議に思いつつ読み進めてすぐに、なるほどと気づいた。それは今春の異動で県警交通部の参事官から警察学校校長になった久光成延(しげのぶ)が重要な方針を打ち出したことによる。久光は落伍者ゼロの教場を作るという目標を風間に課したのである。「一週間の仮入校の間に辞めていく者はそれでいい。ただし正式に入学式を終えた直後からは一人も許さん。いいな。もし一人でも学生が辞めることになったら、どうなるか分かるか」(p12)。教場の責任者となる風間も辞めてもらうと久光は宣言した。落伍者が出た場合は校長の権限を発揮して、風間を警察学校から他の職場へ人事異動させるという意味だろう。そして、「今期のきみは、学生たちを篩にかける鬼教官である必要はないはずだ。その反対だよ。」(p12)と言う。風間は「辞めたいと望む学生を辞めさせない鬼教官でいろ」という課題を与えられたものと解釈した。
 つまり、短編の形式ではこの目標を扱うのにはちょっと適さないだろう。学生37人を総体として描いて行くことが前提となるから。短編的要素をベースにしても、それらを巧妙に織り込んで行き、学生37人を常に捉えていくことが背景となる。
 これがスタートライン!! 今までとは視点が逆転する。さて、どのような展開になることか・・・・読者は関心を抱かざるを得ない。

ストーリーの構成として織り込まれて行く興味深いところをご紹介しておこう。
1.『教場』において第98期短期課程の学生として登場した宮坂定が登場する。彼は現在K署の地域課に勤務している。風間は宮坂に第102期の学生たちの最初の1週間、仮入校期間中に学生たちの「世話係」として手伝うように手配していた。
 その宮坂が第102期生の卒業直前にも、再び重要な役割を担う立場になっていく。その役割を果たすプロセスで、彼は風間のある変化に気づく。
2.平優羽子(たいらゆうこ)は『教場0』に登場した。過去にD署から風間道場に入門し、風間の指導を受けた刑事である。彼女は風間が右眼を失う現場に立ち合う経験をしていた。その優羽子が自らの希望で、警察学校に異動してきていた。
 優羽子はこの第102期短期課程<風間教場>の助教の役割を果たす。風間のサポートとして活躍する。『教場0』で刑事平優羽子を知る読者には一層興味深いことと思う。
3.第101期短期課程<風間教場>の学生だった紀野理人(まさと)はK署地域課所属で交番勤務だった。三丁目の交差点の信号機故障の折に交通整理に従事しているのを平優羽子は出勤の途中で目撃していた。その紀野が死亡した通知が掲示板で伝えられる。それはある事象に関わる重要な背景要因だった。その通知は、ある事象の解明にあたり風間の推理に繋がっていく。
4.第102期の学生37人は、仮入校期間に脱落することなく、正式に入校式を終えた。37人全てが一通りこのストーリーに現れるわけではない。ここに登場して来る学生は、脱落するかも知れない要注意人物とその周辺の学生に焦点が当たっていく。今までなら、それらが個別の短編作品となっていただろう。だが、ここでは風間教場から脱落者を出さないために対処すべき対象要素となる。相互に絡み合う人間関係を総合的とらえた上で、どのように風間が対処するかが、このストーリーの読ませどころとなっていく。
 ここで浮上してくる学生について、ネタばれにならない範囲内で少し触れておこう。
 漆原透介:仮入校の受付締切時間ぎりぎりに駆け込んでくる。教場への入室もぎりぎり
      という行動をとった。最初から問題行動が目立った。
 兼村昇英:風間との面談で、兼村は将来警察で広報をやりたいという。マスメディアの
      記者という仕事に関心を抱いている。

 伊佐木陶子:警察一家の一人娘。父と叔父が県警幹部。ある時点から成績が低迷する。
 比嘉太偉智:大学時代に柔道界で活躍した猛者。直情径行型。女子に甘えたがる傾向
       「注意報告」に友人のこととして、恋愛のことについて平助教に相談相手
       になってほしい旨、実名入りで提出してきた。茶道クラブに所属。
 杣利希斗:警察一家の子。母親が警察組織の幹部。掴みどころがない学生。
      鋭い観察力を発揮する。心に屈託を抱く。茶道クラブに所属。
 「注意報告書」から、助教の優羽子は、さきがけ第三寮の倉庫からの紛失品を列挙し報告した内容と、女子学生中何人かの喫煙行為の可能性を示唆する内容の2件を気にする。
 このストーリーはこれら要注意人物たちと風間が人間関係を深めていく。また、授業中にさりげえなく情報収集に繋がる話や実習のさせ方をしていく。その上で問題事象を回避する道を鮮やかに拓いていく。そのプロセスが読ませどころとなる。
5.”警察一家”の学生の入校は、常に一定割合ある。これがどういう意味合いと影響をもつか。この点が織り込まれている。この要素が与える影響の側面が描かれる。
6.今回は、風間教場で、風間は今までより多く教授科目を担当することになる。このストーリーでは、風間が学生に教授する場面が頻繁に出て来る。その講義内容は読者にとっても、有益な副産物になる。例えば他の学生の身長を予測させる。その予測値の持つ意味。
 風間は、「地域警察」「拳銃操法」、国語。勿論、ホームルームを担当する。学生のクラブ活動にも目配りする。一人の教官がこれだけの科目を兼任するのは異例中の異例という。そんな状況に風間は投げ込まれることになる。
 これはある意味で長編としてのストーリー内容の幅と奥行きを広げる上で大きくプラスに作用していると思う。

7.風間は教場で気づいたことがあれば「注意報告」を提出するように課題を与えた。
 学生たちが提出する「注意報告」は風間にとって学生と警察学校内のことについての重要な情報源となっていく。風間にとり脱落者を出さないための推理と対処法を考える材料となる。
8.校長の久松は、独自の情報網を確立しているのか、風間教場の様子を良く把握している。時折、風間に己の意見、助言を示唆的に語る機会を持つようになる。
 風間がその示唆にどう対処していくかも興味深い。
9.久光校長は、風間に「学生だけでなく助教を育てることも教官の仕事だからな」とさらに課題を与えた。これもまた、それ以降のストーリーの展開の伏線が敷かれたことになる。当たり前のことじゃないかとさらりと読み進めたが・・・・。後で意図が理解できた。

 このストーリーの最後の一行が重要な意味を秘めている。
 私には意想外の一行、エンディングだった。
 だが、それが逆にこの風間教場の余韻を深めることになっている。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしです。
『教場X 刑事指導官風間公親』   長岡弘樹  小学館
『教場0 刑事指導官風間公親』    長岡弘樹  小学館
『教場 2』  長岡弘樹   小学館
『教場』    長岡弘樹   小学館

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『ヤギと少年、洞窟の中へ』 池澤夏樹・黒田征太郎 スイッチ・パブリッシング

2023-08-10 10:19:54 | 池澤夏樹
 本書は朝日新聞に掲載された池澤夏樹へのインタビュー記事を読み、著者が絵本を出していると知り、読むきっかけとなった。読後の第一印象は、絵本であって絵本ではない。そんな異彩を放つ絵本ということ。本書は、2023年6月に刊行されている。

 本書を読み終え、最後に奥書を読んだ時点で、著者にとっては、イラストレーターの黒田征太郎との共著として、本書が絵本第二弾であることを知った。

 第1作の絵本は知らないので、本書だけでの読後印象である。
 この絵本の主軸は「ダイアログ」という冠語を付けた「ヤギと少年、洞窟の中へ」というお話にある。洞窟内での少年の体験がストーリーとなっている。冒頭の表紙が表すように、洞窟の闇、黒が基調になる。だが、読後印象として、「黒」には別の意味合いが幾重にも重ねられていると感じる。イラストが黒を基調とするのは頷ける。

 少年と彼がビンキと名付けたヤギが主人公。繋がれていた綱から抜け出たビンキを少年が追いかけ、ヤギが入って行った岩の間の穴に少年も導かれるようにして入る。入ってすとんと落ちたところからヤギを追いかけ、そこが大きなガマ(洞窟)であるとわかる。少年はガマで女の人に出会うという不思議な体験をする。「わたしは三年前の戦争の時にこのガマで死んだの。・・・・」とその女性が語り始める。
 ガマ(洞窟)・・・そう、場所は沖縄である。少しファンタジィックな要素を加えてあるが、洞窟での少年の体験をフィクションという形で描き出していく。どのページも黒が基調のイラストなので、白抜きの文字で語られている。女性が少年に語る話は、実に重い。 最後の見開きのページは、ビンキに導かれて少年がガマから出るシーン。「外は眩しかった」で終わる。黒から白・黄色への転換。一瞬ほっとした。
 だが、ガマの闇の中の話。具体的には知らなかった。詳しくは知らされていなかった。いや、ごく表層的に知っていた側面はある。だが、その先へ更に踏み出す思考が欠落していたことに気づいた。

 本書が異彩を放つと冒頭に記した理由を説明しよう。
1.上掲の絵本としてのお話は、凡そ本書のページ数の半分ほどである。
 読後にページの表記がないのに気づく。ページ数を数える気がしないので正確には語れない。
2.絵本の後に「用語解説」が付いている。これはこの絵本を子供に伝えるための大人へのガイドという形になっている。いや、実はこの絵本、大人のための大人に読んでほしいという意図を持つ絵本ではないか。
 用語解説の見出し語は、「ガマ」「沖縄戦」「ひめゆり学徒隊」「アブチラガマ(糸数壕)」「遺骨収集」である。この用語解説、ぜひ、内地(本土)の大人には読んでほしい。読んで、己への情報とし、さらに子供に伝えるために。
3.「さらに書いておくべきこと」という見出しで、著者の思いが3ページにまとめられている。ここで、著者自身が「ダイアログ」の絵解きを少し記している。「アブチラガマ(糸数壕)」を参照例の一つにしたが、「『ダイアログ』について、これがフィクションであって史実とは異なることをお断りしておく」と。いくつもの事例をフィルターにかけて、そのエッセンスをフィクションという形でお話に統合したものと述べている。
4.「戦争で死んだ少女たち」が最後のセクションとして載っている。
 ここには、「沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等学校の生徒たちの名簿」総計211名の氏名と死亡の場所が死亡の日付順に記録されている。
 著者は記す。「小さいながら紙碑のつもりだ。一人一人に黒田征太郎さんが花を捧げられる」と。名前と死亡の場所が明記され、次の行には花のイラストが描かれて行く。
 著者は断ずる。彼女たちの死は「難死」(小田実の造語)に当たるものだ。要するに彼女たちは軍によって死の世界へ放逐されたのだ、と。

 史実としての「沖縄戦」は終わった。だが、「沖縄戦」の結果は終わってはいない。現在もその結果・影響が継続している。遺骨収集調査の手が入っていないガマが未だたくさんあるという。知らなかった事実の一端を本書で知った。「最近になって、遺骨を含む沖縄本島南部の土砂を辺野古の埋め立てに使うという政府案が浮上した。・・・・ひとまずは撤回されたらしい」と言う記述がある。沖縄戦は過去の歴史ではない、結果は未だ現在進行形なのだ。

 アブチラガマ(糸数壕)は沖縄県南城市に所在する。読谷村(ヨミタンソン)には、チビチリガマとシムクガマという対照的な歴史を辿ったガマが存在することを知った。
 本書の最後に載る「紙碑」を著者の助言通り、一人また一人と読み上げて行った。亡くなった場所が「伊原第三外科壕」が38人、「伊原第一外科」が7人、「摩文仁村伊原付近消息不明」が11人、という人数の多さ・まとまりが特に目に止まる。伊原という地名は糸満市にある。伊原第三外科壕跡は「ひめゆりの塔」が建立されている場所だと知った。

 本書によって、今まで沖縄について無知なままでいた側面を自覚させられることになった。まず本書は、私にとって「大人の絵本」の役割を果たしてくれた。
 本書で『旅のネコと神社のクスノキ』という第1作を知った。近々読んでみようと思っている。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
糸数アブチラガマ案内センター  :「らしいね南城市」
ひめゆりの塔 ひめゆり平和祈念資料館 ホームページ
ひめゆりの塔  :「沖縄観光チャンネル」
沖縄本島(糸満・ひめゆりエリア)-伊原第三外科壕跡- :「OKINAWATRIP」
魂魄の塔          :「県営平和祈念公園」
平和の礎(いしじ)     :「県営平和祈念公園」
戦没者遺骨収集情報センター :「県営平和祈念公園」
沖縄での戦没者遺骨収集について  :「PEAK+AID ピーク・エイド」
遺骨収集ボランティア・ガマフヤー代表、具志堅隆松さんインタビュー  YouTube
沖縄・辺野古埋め立て計画から、戦没者の遺骨を守る物語【ドキュメンタリー】遺骨~声なき声をきくガマフヤー~(2021年・沖縄テレビ)  YouTube
遺骨収集ボランティア 子どもや年寄りの遺骨 遺族のもとへ(沖縄テレビ)2022/2/24
     YouTube
沖縄県の10地域で収容された戦没者遺骨のDNA鑑定の申請受付について
                :「厚生労働省」
戦没者遺骨のDNA鑑定の実施について(令和3年10月1日から受付開始) :「沖縄県」

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『また会う日まで』   朝日新聞出版

[遊心逍遙記]に掲載
『アトミック・ボックス』  毎日新聞社
『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』   小学館
『すばらしい新世界』  中央公論新社
『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 写真・鷲尾和彦 中央公論社
『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館

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『ボタニカ』  朝井まかて  祥伝社

2023-08-07 15:07:22 | 朝井まかて
 NHKの朝ドラ「らんまん」は人気があるらしい。朝ドラは見ていないので内容は知らない。NHKのウエブサイトを見ると、連続テレビ小説であり、「春らんまんの明治の世を舞台に、植物学者・槙野万太郎の大冒険をお届けします!!」の後に、「高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルとしたオリジナルストーリー」だと記されていた。 本書は、2021年の『類』に続いて、牧野富太郎その人の植物研究人生を綴った伝記風小説である。史実にフィクションを織り込んだものと思うが、牧野富太郎その人の風貌と生き様のエッセンスはこの作品の中軸としてしっかり捉えられているように感じた。
 世間的な物差しでみれば、やはり奇人変人の部類につらなる一人なのだろう。植物と語り合い、植物研究の為にはお金のことなどお構いなしに己の思いを貫き進んで行く。まず研究ありき。事情、状況がどうであろうと、それを結果的に貫けたという人生はなんと恵まれた人だったのか・・・・・そんな思いが第一印象に残る。

 著者はこの小説を次の文章で結んでいる。(p494)

   惚れ抜いたもののために生涯を尽くす。かほどの幸福が他にあるろうか。
   この胸にはまだ究めたい種(ボタニカ)が、ようけあるき。
   ゆえに「どうにもならん」と「なんとかなるろう」を繰り返している。

   富さん、ほら、ここよ。 
   富さん、私のことを見つけてよ。
   一緒に遊ぼうよ。

 本書のタイトル Botanica(ボタニカ)は、ラテン語で「植物の」という意味という。
英語で botanical になるのだろう。ネット検索すると、ラテン語では、植物(botanica comes)、植物学(botanicae)と説明されていた。
 本書の最終章が「十三 ボタニカ」で、その中に上掲の「種」にボタニカとルビがふられている。本書タイトルはここに由来するのだろう。
 本書は月刊『小説NON』(2018年11月号~2020年11月号)に連載後、加筆・訂正を加え、令和4年(2022)に刊行された。

 植物学者で絵の巧みな牧野富太郎という名前はどこかで見聞していたが、それ以上に踏み込んで考えたことがなかった。小説という形ではあるが、本書で初めて牧野富太郎という人物の全貌をイメージでき、一歩近づけた気がする。
 文久2年(1862)土佐(高知県)佐川村の牧野家に生まれた。屋号を「岸屋」と称する造り酒屋を生業とし、江戸時代には名字帯刀を許された家。地方の素封家である。ものごころがついた頃には両親を亡くしており、祖母に育てられた。このストーリーは明治6年富太郎が数え12の時から書き出されていく。塾では抽んでて優秀、村での遊びにおいてはおのずから大将になる。野山を巡り植物を愛でる。植物に不思議を感じ、植物に惚れ込んでいく素地はこの少年期に形成されたようだ。
 祖母は祖父の後妻であり、富太郎とは血がつながらない人であるが、「岸屋」を継承し富太郎に「岸屋」を継承させるために育て見守った。富太郎のやることをまさに見守ることに徹し、彼の行動に釘をさすようなことはしなかった。それが富太郎を植物学の世界にのめり込ませ、自由奔放に行動できる環境を培ったようである。何事もそうだが、植物を研究するにも金がいる。研究するための情報源である書物を入手し、読まねばならない。富太郎が少年期以降、まず恵まれていたのは、金について心配を一切しないという立場を貫けたということだ。勿論後年に金について苦労があったとはいえ、気にせず己の行動を貫いていく。植物の研究について資金面で挫折して終わりということがなかった。
 富太郎が研究のために東京に居住するようになってからも、祖母に金を送ってほしいといえば、金が届けられた。祖母は富太郎の従妹にあたる3歳離れた「お猶」を引き取り養女として育てていた。祖母の目論見どおりに、後に富太郎は猶との祝言を上げる。だが、それは名前だけの夫婦であり、富太郎は研究の便宜性から東京を拠点とした生活に入る。祖母の死後は、土佐の猶に金送れと連絡を入れるだけ。やがて、東京でスエという女性を見初めて一緒に住むようになる。つまり、当初はいわば現地妻である。富太郎には実質的な妻であり、東京での家庭を築く。富太郎はスエの存在を猶に告げている。猶が己を取り乱すことなく、そのことに対応するというのも明治という時代感覚なのだろうか。現代では考えられない状況と思う。富太郎が「岸屋」の身代をつぶし、猶と離婚した後は、東京での金の工面は正妻となったスエが陰で担うことになる。それは借金という形での自転車操業なのだが。
 富太郎は金の入手源について頓着しないのだ。研究には金が要るものと思うだけ。そのことからだけでも、まず世間的には奇人の部類に入るだろう。だが、それが結果的にまかり通った人生なのだからびっくりするとともにうらやましさすら感じてしまう。

 富太郎は全く完全な在野の研究者ではなかった。東京を拠点にするようになったのは、研究を継続するためには、当時の東京帝国大学植物学教室への出入り、研究のための蔵書の閲覧利用や最新情報に接することが不可欠と判断したからである。植物学教室への出入りがどのようにして可能になったのか。その経緯が興味深い。
 それは富太郎が20歳で土佐から上京することから始まる。独学で研究する富太郎が会いたかった博物局の小野先生を訪ね、そこで天産部長の田中芳男先生にも会う。そこから『泰西本草名疏』の著者小野圭介先生を小石川の植物園に訪ねることになる。その人間関係が植物学教室の扉を開けることになっていく。興味深いのは、富太郎が大学に入り、植物学の学位をとるという方向に一切興味を示さなかったことである。富太郎は文献情報や資料にアクセスでき、疑問を問える相手がいれば、独学で十分研究できるという信念を培っていた。少年期から実行してきた植物の咲く現場で植物に接し、採取し、研究するということが本道であると。誰にも負けない植物を描く才能も開花させてきた。
 植物学教室の出入りを許され、教室での手伝いをする。教授との軋轢で植物学教室の出入り禁止となったり、一方で東京帝国大学農科大学の教室への出入りが可能になる。その後、帝国大学理科大学植物学科助手になる。更に紆余曲折をへて、講師になった時期もある。不思議な立場を歩んだ人である。この経緯がおもしろい。

 史実に基づいているのだろうが、本書によれば富太郎の人生で大きくは2回、己の借金を肩代わりし清算してもらう経緯があったようだ。勿論、それができたのも、牧野富太郎という在野の植物学者の非凡な才能を有識者が認識していたからである。この借金清算の紆余曲折がストーリーではいわば山場になっていく。読者はどうなることか、富太郎の研究はこれで頓挫か・・・と一層引き込まれていくことになる。
 このストーリーには、富太郎がどのような研究をしていたのかがきっちり書き込まれていく。その実質的な業績と彼の知識レベルにより、富太郎の才能を認識し、彼を支えようとする人々に恵まれていたとも言える。

 なぜ、富太郎が莫大な借金を抱えるに至るのか。
 研究のために必要な本なら購入資金のことを考えずに、どんどん購入してしまう。
 研究した成果を本にまとめて出版する。自費出版である。その費用がかさむ。自ら印刷機を購入するという手段さえとる。石板印刷の技術を実地に学ぶことすら行った。
 富太郎は、山野に分け入り、植物を採取し、それを克明に描画し、植物標本を作成するという現場主義を植物研究の本道と考えている。そのため、しょっちゅう日本全国の山野に赴くことになる。月単位での現地踏査に及ぶ。
 活動資金のことを考慮せずに、思いつくままにそれらを実行するのだから・・・・・。
 だが、そこにはそれを結果的に許す環境があったのだ。たとえそれが、「岸屋」を破産させ、また巨額な借金を作ったとは言え。

 昭和32年(1957)1月、齢94歳で没する。牧野富太郎、稀有な人生を駆け抜けた人。
 凡人には思い及ばない生き様。ある意味、うらやましいなぁ・・・・・。
 その生き様には己への自負と気概があり、輝きを感じる。
 植物学の世界において、花に触れ、花を愛で、その不可思議を研究し続けた人。
 日本における植物学を日本人が確立する!我ここにあり・・・・スゴイ人が実在した。

 最後に、印象的な記述個所を引用してご紹介しておこう。
*教えること、すなはち一方的に伝えることではない。教えることは、自らで何かに辿り着く瞬間を辛抱強く待つことでもある。思い起こせば、目細谷の伊藤塾の欄林先生はよく問い、よく待ってくれた師だった。  p45
*書物を読んで知を得、その知を深く識るためには己の足で探索し、己の目と手、いや、持てるものすべてを使って観察することだ。するとなにかしらに気づく。  p148
*植物にかかわる学者であるなら、やはり大学の外を歩くべきだ。山に登り、渓流に入ってこそ得られる景色と植物があるのであって、研究室に籠って欧米の学会誌や専門書を読み漁るテーブル・ボタニーだけでは日本の植物学者は自前で屹立できない。 p352
*だが、周囲の誰も彼もが、「教授を立てよ」「気を兼ねよ」と、足を引っ張りにかかる。そんな情実を挟んでおったら、日本の植物学はいつまで経っても進歩できんじゃないか。  p361
*不遜傲岸と退けられようと、最初から世界を見ていたのだ。好きなこと、信じることのみに誠実に生きてきた。   p468
*人生は、誰と出逢うかだ。 p415

 ご一読ありがとうございます。

補遺
練馬区立牧野記念庭園 ホームページ
  牧野富太郎について
高知県立牧野植物園  ホームページ
  牧野富太郎
東京都立大学 牧野標本館 ホームぺージ
  牧野富太郎博士
小石川植物園で活躍した研究者:牧野富太郎  :「Science Gallery」(東京大学)
牧野富太郎  :ウィキペディア
牧野富太郎、日本初の植物学雑誌創刊のため、石版印刷の技術を身に付けた熱意|植物学者・牧野富太郎の生涯(3)  :「JBpress オートグラフ」
牧野富太郎が歩いた「国有林」 :「四国森林管理局」
牧野富太郎特設サイト  :「報知新聞」
なぜ研究室を出禁に? 牧野富太郎を絶望させた「恩師・矢田部良吉との確執」 歴史街道                  :「YAHOO! ニュース」
神戸を知る 牧野富太郎  :「KOBE」
牧野富太郎ってどんな人?  :「絵本ナビ」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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 こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『朝星夜星』   PHP
「遊心逍遙記」に掲載した<朝日まかて>作品の読後印象記一覧 最終版
                 2022年12月現在  8冊

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『天神さんが晴れなら』   澤田瞳子   徳間書店

2023-08-02 15:14:29 | 澤田瞳子
 小説かと思って手に取ってみたら、エッセイ集だった。2023年4月の刊行である。

 冒頭のエッセイの見出しが「天神さんが晴れなら」である。この一文に、「天神さんが晴れなら弘法さんは雨。弘法さんが晴れなら天神さんは雨」との諺があると記されている。京都市の南部で生まれ育ったので、弘法さんと天神さんの縁日のことは知っていたが、こんな諺があるなんて知らなかった。冒頭から知らなかったことに出くわした。それも京都がらみなので、興味深い。
 このエッセイ集、京都に絡んだ場所や内容が多いので、楽しく読めるとともに、京都に関わっていて知らないことがいくつもあった。そこで関心を惹き寄せられることにもなった。

 本書に収録されたエッセイは大半が著者自身の周辺の事柄を題材にして記されている。京都で育ち、学び、小説家になるに至った著者自身による回顧やそれにまつわる思いがエッセイの大半となっている。読みやすい文章でかつ控えめなスタンスで書かれた文章なので、すんなりと楽しみながら読み進められた。このエッセイ集に収録された文の端々に著者の人物像をイメージする上での様々な要素・様相がちらりと記述されている。つまり、個々のエッセイを楽しみながら読み進めている内に、著者のプロフィールを徐々にイメージしやすくなっていく。インターネットで公開されている肖像写真と本書に織り込まれた諸要素の断片を総合していくと、著者像が何となく浮かびあがってくる。それが読後の副産物となった。一言でいえば、親しみを感じる一歩控えめでちょっと変わったところもある市井のおばさん作家というところ。偉ぶらない、受賞を鼻にかけない、「普通」ではないことを自認しているところがいい。ここで記した「普通」という語句にまつわるエッセイが、「『普通』とは何か」という見出しで載っているのでお読みいただきたい。

 エッセイの末尾に初出が付記されている。それを通覧してみると、「カレーライスを食べながら」(小説現代 2013年3月号)が一番古いエッセイのようだ。このエッセイ集の主体は、2016年から2021年にかけて日本経済新聞に掲載または連載されたエッセイである。他に朝日新聞、西日本新聞、産経新聞、京都新聞、公明新聞、西日本新聞、毎日新聞、オール讀物が初出となるエッセイが載っている。
 一般雑誌に載ったエッセイもある。媒体は、小説現代、小説すばる、週刊新潮、ジェイ・ノベル、文藝春秋、婦人画報、小説宝石である。
 また専門の機関誌と思えるものに載ったエッセイもある。あまから手帖、JA全農、たべるのがおそい、ひととき、銀座百点、なごみ、同志社大学博物館学年報、能、国立能楽堂、本郷、近鉄ニュース、日販通信、泉鏡花研究会会報、淡交、波、共同通信である。
 ちょっと列挙してみたのは、これら掲載媒体の広がりから、著者が幅広く受け入れられていると感じられるからだ。一方で、「終わった旅から再びの旅へ」の冒頭に、「エッセイを書くのが好きで、ご依頼を受けると毎回いそいそと取りかかる」とある。著者はエッセイを気軽に引き受ける作家でもあるようだ。それが媒体の広がりと相応しているということか。
 エッセイの一文を断片的にいずれかの媒体で読むだけだと、著者の周辺での一事象一局面が数ページの文章にまとめられているだけである。ワンポイントに絞ってキラリと、あるいはさらりとまとめられた文の内容を知り、楽しみ、余韻にひたるにとどまる。これだけエッセイが集められるとエッセイ間の相乗効果が出てくる。そこに著者の思考が重なったり、形を変えて書き込まれていることも分かる。上記したが、著者像が浮かび上がることに繋がって行く。
 
 本エッセイ集では、これまでのエッセイ文が、内容に応じて分類編集されている。その分類名称を目次から抽出しておこう。
 「京都に暮らす」「日々の糧」「まだ見ぬ空を追いかけて」「出会いの時」「きらめきへの誘い」「歴史の旅へ」「ただ、書く」 である。

 著者澤田瞳子さんは私にとって愛読作家の一人。最初に『満ちる月の如し 仏師・定朝』を読んだことがきっかけで、その後アットランダムに作品を読み継いで来ている。エッセイ集を読むのはこれが初めて。本書を読み、印象深い点を箇条書きにしてみる。
*エッセイ文の内容を理解して楽しむということとは別に、著者自身のプロフィールイメージを膨らませることに役立った。
*「オシフィエンチム駅」という名称を知ったこと。「アウシュヴィッツ」というドイツ名は知っていたし、幾つか本も読んでいるのに、ポーランド駅名を今まで意識していなかった!
*著者は『若冲』を書いている。伊藤若冲について、著者のエッセイ文が二篇掲載されていて、舞台裏と著者の視点が読めて興味深い。『京都錦小路青物市場記録』に関連して伊藤若冲評価が変転しているという解説箇所が特におもしろい。
 さらに、山本兼一、山岸凉子の作品を例に引いた上で、「伊藤若冲を妻を自死させた人物として設定しても、それがフィクションである以上、なんの問題もないと考えてであった」(p171)と明記していること。その設定に一部の研究者からは批判を受けたらしい。
*京都市内の通りを歩いていて、「京都神田明神」という祠の表示に出会ったことがある。なぜここに、神田明神? その疑問が「平将門と能」というエッセイで氷解したこと。*愛読作家の一人に葉室麟さんがいる。これからますますとその活躍を期待する時期、2017年に逝去された。その葉室麟さんとの交流に関連して、著者がエッセイを書いていて、本書に収録されていた。葉室麟さんの素顔の一面を知ることができた。さらに澤田瞳子さんを一歩身近に感じる愛読作家になった。

 最後に、本書から印象に残る箇所を引用・ご紹介しておこう。
*世の中には、歴史とは客観的事実に限るべきと定義する方もいらっしゃるだろうが、そんな歴史は人の思いを捨象しているがゆえに、いささか面白みに欠ける。・・・・実に歴史とは無数の人々によって形作られた大いなる流れそのものだと見なしうるのだ。  p200
*そう、人間は生きていく中で、イメージというものに大なり小なり束縛を受ける。p236
*読書とはただ、知識を取り入れるだけの行為ではない。いつ、何を読み、どう感じたか、自らの内外の変化とその時々の風景の記憶は、読書体験には欠かせないと私は思う。・・・・・・私にとって本を読むとは、本を取り巻く環境と不可分であり、どんな経緯をへてその本を手に取ったかという記憶も欠かすべきではない。  p240
*わたしは自分自身がクローズアップされることよりも、読者の方々が純粋に物語世界を---そこに登場する歴史や文化を楽しんでいただくことを望みたい。  p251
*小説は一人でも書ける。だが、書籍は小説家一人で完成するものではない。 p263
 作家に出来る務めとは、結局ただ粛々と書き続けることでしかない。  p266
*文学とは、本来、平等であるべきだ。物語を紡ぐこと、読むこと、そしてそれらを楽しむこと。それは誰にも奪われるべきではなく、すべての人が平等に手にできてしかるべき権利だ。当然、男子高校生と四十代女性作家が同じ賞の候補になったとて、なんの不思議でもない。性差も年齢差も国籍の違いも、そこにはありはしないのだから。  p268
*顧みれば紆余曲折あった二十代は私にとって、群れなくてもいいのだ、違うことをしてもいいのだ、ともう一度認識するための時間だった。  p277

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『漆花ひとつ』  講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版
                  2022年12月現在 22冊

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