遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『悪玉伝』   朝井まかて   角川文庫

2024-03-13 18:40:55 | 朝井まかて
 「行くで。どこまでも、漕ぎ続けたる」が本作末尾の文。その少し手前に、「わしこそが亡家の悪玉やった。欲を転がして転がして、周りの欲もどんどん巻き込んで、江戸まで転がったわ。けど、これこの通り、生き残った。しかも船出するのや。惨めな、みっともない船出やけど、船には弁財天が乗る。悪玉の神さんや」(p436-437)という箇所がある。「悪玉伝」というタイトルは、この箇所に由来するようだ。
 わしこそ悪玉と述懐するのは、大坂の炭問屋に養子に入って、炭問屋の主となった木津屋吉兵衛である。なぜ、こんな述懐をしたのかがこのストーリー。
 大坂で名の知られた吉兵衛が、実家の辰巳屋を継いだ兄の急逝と事情により、正式に辰巳屋の跡目相続人となる。だが謀計による家督横領と訴えられたことが因となり、捕らえられて江戸送りの身に。伝馬町の牢暮らしと取り調べの日々を耐え抜いて、サバイバルして出獄する・・・・・その顛末の半生が描き出される。
 
 「悪玉」という言葉は経験的に考え、文脈により様々な意味づけやニュアンスで使われると思う。吉兵衛が己を悪玉と述懐する他に、視点を変えて本作を見直すと、様々な悪玉が登場しているストーリーと見ることもできる。真の悪玉は誰かと問いかけているストーリーという側面を内包しているようにも思う。そこがおもしろい。

 本書は2018年7月に単行本が刊行され、第22回司馬遼太郎賞を受賞。令和2年(2020)12月に文庫化されている。

 本作はその構成が実に巧みである。
 メイン・ストーリーは木津屋吉兵衛の半生物語である。そこには、大坂商人の慣習、思考、行動がベースになっている。商人の目で押し通す。
 吉兵衛は大坂の有数の炭問屋木津屋に養子になる。その商売面においてではなく、長年遊蕩と学問の方に走ったことで世間にその名を知られる。それが因で、三万両あった木津屋の身代が潰える寸前までに立ち至る。そこからこのストーリーが始まる。読者は吉兵衛のプロフィールをまず鮮やかにイメージできる。ここがいわば「起」と言えようか。

 実家辰巳屋の当主である兄の急死が吉兵衛に伝えられる。大坂の豪商「御薪 辰巳屋」に吉兵衛は駆けつけ、兄の通夜と葬儀に弟として采配を振るい、兄の娘・伊波を助けて、辰巳屋の家格・体裁を示そうとはかる。が、そこに大番頭の与兵衛が横槍を入れてきて、吉兵衛を排除しようと試みる。徐々に吉兵衛は長年離れていた実家辰巳屋の内情を知って行くことになる。吉兵衛は一旦、おのれが跡目相続人となる正式な手続きを推し進める。その背景の一因は、吉兵衛の兄が泉州の海商である唐金屋から養子に迎え、いずれ伊波と娶すつもりだった乙之助にあった。この通夜から跡目相続人になるまでが、ストーリーの最初の山場になっていく。「承」にあたる。

 パラレルにサブ・ストーリーが「第二章 甘藷と桜」から始まっていく。こちらの舞台は江戸。寺社奉行ほかの役職を担う大岡忠相が登場する。こちらは政治・行政の目という位置づけになり、大岡忠相の視点からストーリーが織り込まれていく。
 公方吉宗公に敬服する忠相は吉宗公に見込まれて行政手腕を発揮してきた。江戸町奉行から寺社奉行に栄進したのだが、内心は一種の左遷ではという思いを抱いている。そんな忠相が、吉兵衛の事案に関わっていくことになる。それは、なぜか。
 吉宗は将軍となり抜本的な財政立て直しに乗り出した最中の享保6年に、「御箱」を設置する仕組みを創設した。投函された「目安」(訴状)に自ら目を通し、吟味を要すると判断した訴状内容には、問題解決担当者を決めて吟味させるのだ。大坂商人の跡目出入の一件を吉宗は問題事象に取り上げた。大坂での裁きに対する不服を江戸で出訴した目安だった。この目安の内容の吟味・解決に対する御用懸4名の一人として忠相は関与する立場になう。この時点から、忠相が吉兵衛の事案に関わっていく。
 このサブ・ストーリーの興味深さは、まず、忠相の子飼いの役人である、薩摩芋御用掛の任に就いている青木文蔵(号は昆陽)と「公事方御定書」の編纂を任とする加藤又左衛門枝直を忠相の自宅に登場させる場面から始まる。さらに、忠相が染井村の霧島屋を玉川に桜の木を植樹する事案で訪れる場面、吉宗公から呼び出され吹上御庭に参上する場面が重ねられていく。これらの場面は、御用懸の任を担当することになる忠相にとっての伏線となっていく。

 江戸で投函された目安を吉宗が取り上げることになり、その当事者として吉兵衛が捕らえられて江戸送りとなる。この辺りからが、いわば「転」だろう。捕らえられた時の吉兵衛の思惑と行動、江戸送りの道中での入牢についての付きそう役人から教えられる知識、伝馬町での入牢生活が、吉兵衛の視点から描き出されていく。
 読者にとって、このプロセスは吉兵衛の観察力としたたかさ、彼の思考を眺めていくことになる。
 一方、副産物として、江戸時代の伝馬町の牢屋の仕組みと実態を具体的に知ることになる。このあたり、当時の状況を著者はかなりリアルに描き込んでいるのではないかと思う。
 
 遂に、具体的に「辰巳屋一件」の取り調べが始まる。ここからは一気に読み進めてしまう大きな山場となっていく。「結」のプロセスである。
 吉兵衛は入牢生活に絶え抜いていく。その中で智謀を巡らし、己がなぜその窮地に陥れられたかに思いを巡らす。取り調べへの対応策を練る。大坂での遊び仲間である升屋三郎太や大和屋惣右衛門が吉兵衛を支援する。だが、彼等もまた吉兵衛の取り調べに巻き込まれていき、己のことで精一杯になっていく。辰巳屋の番頭で吉兵衛を子供時代から知る嘉助もまた吉兵衛の居る牢屋に入牢させられる羽目に・・・・。
 牢内では牢内役人の辰三との関係が深まり、辰三は吉兵衛に情報を提供してくれるようになっていく。
 吉兵衛は己の立場を堅持する。奉行所側の取り調べの結果の請証文に対し爪印を捺すことを拒絶する。
 疫病がはやり牢名主が死ぬ。その直前に吉兵衛は思わぬものを入手した。吉兵衛は己の戦略で奉行所側と交渉をするタフさを発揮していく。
 さて、具体的にどのような展開になるかは、本書で楽しんでいただくとよい。

 江戸時代の政治経済状況について、ストーリーの背景に事実情報を数多く盛り込みながら、木津屋吉兵衛のしたたかさと行動に、読ませどころを盛り込んでいく。
 大坂と江戸の文化差も盛り込まれている。その中で、大坂の商人の目と江戸の政治・行政者の目の対比が興味深い。その底流に「民を動かす根本は美辞麗句でも脅しでもなく、『欲』だ」(p109)が潜んでいる。政治・行政の目の裏側にもまた、己の利が働いている側面が垣間見える。
 将軍吉宗もまた多面性を持つ人であることを大岡忠相の目を通して描写している。この点もおもしろい解釈だと思った。吉宗は「米将軍」「野暮将軍」と陰で呼ばれていたという。このストーリーの中では、大岡忠相もまた、政治の目で、吉宗の思考を忖度してこの御用懸の任を務め、判断している印象を私はもった。

 エンターテインメント性もたっぷり盛り込まれている。特におもしろいと思うのは、吉兵衛とお瑠璃の関係である。島原の遊郭で禿だったお瑠璃を身請けして女房にした。そのお瑠璃は吉兵衛を嫌う一方で、寒牡丹の育成を趣味にしている。この二人の関係性である。
 本書の表紙には、牡丹がデザインされている。ストーリーの底流では、牡丹が江戸の吹上御庭、木津屋と辰巳屋の庭、牡丹の連仲間、泉州の荒金屋へとつながっている。趣味の世界はそれぞれが無意識の内に輪環しているのだ。「寒牡丹が売れたんどす」(p434)とお瑠璃が吉兵衛に告げる一言にリンクする。

 全体の構成のおもしろさ。さすが受賞作だけのことはある。

 ご一読ありがとうございます。
 
 こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ボタニカ』   祥伝社
『朝星夜星』   PHP
「遊心逍遙記」に掲載した<朝日まかて>作品の読後印象記一覧 最終版
                 2022年12月現在  8冊
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『特異家出人 警視庁捜査一課特殊犯捜査係堂園晶彦』 笹本稜平 小学館文庫

2024-03-10 00:23:41 | 笹本稜平
 読み継いでいる愛読作家の一人。残念なことに2021年11月に逝去された。享年70歳。
 本書は2010年8月に単行本が刊行され、2014年9月に文庫化された。末尾の「本書のプロフィール」によると、完全改稿しての文庫化とのこと。
 シリーズ化されそうなタイトルづけなのだが、出版時期を考えると単発の作品にとどまったようである。

 さて、本作は有村礼次郎という84歳の老人の行方がわからなくなったということに端を発する。葛飾区在住、一人暮らしの老人の行方不明。いなくなったのは6日前から5日前にかけてで、通報してきたのは、その老人と親しい近所の加藤奈々美という小学校5年生の子だった。警察が動くまで、幾度も交番に訴えてきたという。
 無差別連続殺人事件の特別捜査本部が店仕舞いして、事件捜査に借り出されていた特殊犯捜査係の堂園は、待機番で一休みしていた。午前8時に特殊犯捜査第二係長・高平から電話でたたき起こされる。奈々美という少女の訴えてきた事案について語り、高平は堂園にその状況をあたってみろと指示をした。高平が「いまのところ特異家出人と通常の家出人の境界線上というところだな」と判断しているレベルの事案だった。亀有警察署刑事課主任の浜中良二がこの事案を高平係長に連絡してきたのだ。
 このストーリー、堂園が亀有警察署の浜中に堂園がコンタクトするところから始まって行く。
 有村礼次郎は大正13年、鹿児島県曽於郡志布志町生まれ、終戦の年の昭和20年、21歳のときに東京に籍を移し、その後も何度か戸籍所在地を東京都内で移している。現在地には20年以上も暮らしながら、近所との付き合いは殆ど無し。中古の家を即金で購入して移り住み、修繕をする程度で住み続けている。周辺の人々は有村は相当な資産家であると噂しているという。奈々美の話では、小学校3年の時に、学校帰りに公園のベンチに座り苦しそうな老人を見かけたので、119番に通報し、救急車の到着まで、老人の側で胸を擦ってあげていた。それがきっかけで奈々美は有村と親しくなり、お爺ちゃんと呼び仲良しになり、有村の家に出入りするようになった。有村から家の合鍵を託されるようになっていた。少女が有村を心配する様子と状況を考え、有村の捜査を堂園は約束する。
 堂園から電話で報告を受けた高平は、所轄が了解ならこのヤマを特殊犯捜査第二係で仕切ろうと判断する。
 令状を取り、有村宅に鑑識課員を入れ、家宅捜査から始まる。捜査結果からみて、有村が何者かに拉致された可能性が高くなる。
 有村の周辺を調べると、彼が骨董品の根付コレクターとして有名で、時価2億円のコレクションを有することと、相当の資産を保有することが分かる。預金通帳や有価証券の類をしまっていると担当の銀行員が聞いていた自宅の金庫は空の状態だった。
 犯人が有村の身柄を必要とするのは、彼の資産を金に換えるために有村が必要だというだけである。用が済めば殺される・・・・。まさに、特殊犯捜査係の出番といえる事案だった。殺人犯捜査なら、有村が遺体で発見されてから捜査が始まる。
 奈々美の熱心な捜査願いがなければ、有村の失踪は誰にも知られず事件にもならないで、闇から闇に消えたかもしれないのだ。

 殺人事件の捜査とは異なり、有村が拉致されたこの事件は、時間との勝負となっていく。有村の資産が引き出される操作が始まってしまえば、有村は即座に消される可能性が高くなる。
 有村を救出し、事件を解決するためには、事件を捜査していることを犯人たちに気づかせないために、マスコミの注目を浴びない形で極力隠密裡に捜査を進行させる必要がある。
 捜査は、近隣周辺、金融機関や骨董店等への聞き込み捜査と拉致された目撃者探しから始まって行く。鑑識の結果と目撃者の発見から、元暴力団員・中俣勇夫が拉致に関わっていること、逃走に使われた車が鹿児島ナンバーであることなどが分かってくる。

 一方、そんな最中に堂園は父親からの着信があり、実家に電話を入れると、鹿児島に住む祖父の弟の長男、堂園多喜男の死、それも自殺を知らされる。事件を抱えていることと年齢が亡くなった祖父と同じで、鹿児島県出身で名前が有村礼次郎と問われるままに告げると、父親は思い当たることがあるという。父親が調べて有村は祖父と同級生だったようだと言う。思わぬことから、有村は堂園の祖父とのつながりが出て来た。父親から送信されてきた祖父と写る有村の写真を見て、子供の頃の古い記憶を堂園は思い出した。
 有村の拉致された可能性の高いこの事案に、どこかで祖父との関わりもある因縁が堂園の心をよぎる。
 
 このストーリーの展開で面白い点がいくつかある。
*有村を救出するための捜査の過程で、祖父と有村が友人関係という過去の接点、その因縁が、堂園の心に引き起こす心理。それが堂園の捜査行動の底流に織り込まれていく。堂園はどう対処していくのかへの関心が読者に生まれる。
*捜査の実質的な舞台が鹿児島に移る。鹿児島県警の捜査を主体に、鹿児島に飛んだ堂島と浜中は、県警の捜査に協力するという立場で当初は事件に関わることになる。鹿児島県警と警視庁との組織関係の問題が関わってくる。堂園がどのように対応していくかに関心が高まっていかざるをえない。
*堂園の視点を介して、鹿児島県警という地方警察組織と警視庁の組織とが対比的に描き込まれる。その類似点、相違点の描写が興味深い。フィクションであるが、たぶんかなり実態を活写している面があるように思われる。
*事件の進展過程で、捜査を取り仕切る主体が誰かという点が、ストーリーにリアル感を加えている。
*有村はまだ生きているか? その緊迫感が徐々に高まっていく経緯は、読ませどころになっている。
*そして、遂に、奈々美が誘拐されるという事件までもが発生することに・・・・・。
 ストーリーの構成がやはりうまい。
*終戦の直前直後の九州の状況が織り込まれていくことにより、当時の社会情勢の一端が想像しやすくなる。当時の現実が巧みに織り込まれているように感じる。日本史の教科書には出て来ないような現実の一端がフィクションの中にリアルに織り込まれているように思う。
*最後に、有村礼次郎の過去が明らかになる。このクライマックスへの導入がこのストーリーであるとも言える。読者を引きこんでいくストーリー構成はさすがである。

 有村老人が堂園に語る言葉をご紹介しておこう。
 「どんな草木にも花が咲くように、誰の人生にも花の咲く時期があるらしい。私の場合は枯れ木に花が咲いたようなもんだが、それでも花は花だ。たくさんの温かい心が私を魂の牢獄から救い出してくれた。棺桶に片足を突っ込んでいるが、これから私もわずかな余生を、誰かの人生に花を咲かせることに使って死にたいもんだよ」(p493)

 ご一読ありがとうございます。


補遺
一般家出人と特異行方不明者  :「相談サポート」
行方不明者届(旧捜索願)について :「家出人相談センター」
特異行方不明者とは大至急捜索すべき人 | 主な特徴と捜索方法まとめ:「人探しの窓口」
日本行方不明者捜索・地域安全支援協会 ホームページ

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『卑劣犯 素行調査官』   光文社文庫
『流転 越境捜査』   双葉社
「遊心逍遙記」に掲載した<笹本稜平>作品の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 29冊
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『城の科学 個性豊かな天守の「超」技術』 萩原さちこ  BLUE BACKS 講談社

2024-03-08 14:38:39 | 歴史関連
 近江国(現滋賀県)には、観音寺城、安土城、大溝城をはじめ城跡・山城跡が沢山ある。一時期は、ウォーキングの同好会や近江の山城跡探訪の講座などに参加して、山城跡等を巡っていた。近江には、彦根城が現存する。彦根城は学生時代から幾度か探訪してきているが、天守まで昇ったもののその天守の構造を深く考えたことはなかった。いままでは、山城を含め、城の縄張りの方に関心があった。
 山城跡は単独での探訪はなかなか難しい。若い頃は考えもしなかったが、もはやそれは蛮行と思う年齢になっている。現存する近世城郭を主体に探訪するなら、一人旅も可能。そういう意味でも、山城跡から現存する城、平城跡に意識が移ってきている。そんなタイミングで本書を知った。
 本書は2017年11月に刊行された。

 「城の科学」というタイトルに惹かれたことと、裏表紙の案内文中「姫路城、松本城、松江城、彦根城、犬山城を中心に、その構造や素材、装飾を解説していきます」という末尾の文に彦根城と姫路城が入っているので関心を持った。訪れた城名が入っているので城自体をイメージしやすくなる。姫路城を訪れた時は、平成の大修理の最終段階だったので、城内を巡ったが天守探訪とは縁がなかった。再訪したいと思っているので、ストレートに取りあげられているなら役に立つ。そんな思いが読む動機となった。

 本書は副題にもある通り、天守に焦点を当てる形で城を築造する技術と城の建築構造を科学的な視点で解説している。城郭の縄張り図という側面はほぼ対象外である。城のレイアウトということでは、天守の構成という視点で、複合式・連結式・独立式・連立式という構成の違いに触れて、天守を説明する範囲に留まる。
 天守についての知識は、本書でかなり詳しく学ぶことができて、役立つと思う。
 
 まず、本書の構成をご紹介しておこう。
  第1章 城と天守の歴史
  第2章 天守のつくり方 ~木造建築としての特徴~
  第3章 天守の発展 ~形式と構造の変化~
  第4章 天守の美と工夫
  第5章 姫路城の漆喰 ~よみがえった純白の輝き~
  第6章 松本城天守の漆の秘密 ~日本で唯一の漆黒の天守~
  第7章 丸岡城の最新調査・研究事例 ~科学的調査で国宝をめざす~
  第8章 松江城の新知見 ~明らかになった独自のメカニズム~
  第9章 松本城・犬山城・彦根城天守の謎 ~天守に隠された変遷~

 城の築造・構造を科学するという観点では、この章立てでお解りいただけるとおり、第2章~第4章が基礎知識を学ぶ中核になる。木造建築に関わる専門用語を使っての解説なので、用語を学び身近なものにできる反面、初めて読むには読みづらさがあるとも言える。図版が数多く使われているので、本文の通読にはかなり役に立つ。
 私は章順に読み進めたのだが、第2章~第4章の途中で、他のジャンルの本に気移りしてしばし中断してしまった。本書に戻ってきてからあとは一気に読み進めたのだが。
 第5章以下は、お城の事例紹介でもあり、トピックスになる内容が盛り込まれているので、楽しみながら読める。それぞれの城の特徴がわかっておもしろい。

 第1章の「城と天守の歴史」を読んでから、第5章以下のお城の事例を通読して、第2章~第4章の基礎知識を読み進めるというのも、一つの読み方かもしれないと思う。

 本書への誘いとして、幾つかの特徴にふれておきたい。
*全国各地に現存する天守、再建天守のある城、城跡等の全景や部分写真を数多く解説の流れに沿い掲載している。章毎にその掲載写真の城名を抽出すると次の通り。章ごとでの重複はその城への言及の広がりを意味する。
 第1章:岡山城、広島城、会津若松城、盛岡城、姫路城、彦根城、松江城、丸亀城、
     弘前城、松山城、白河小峰城、備中松山城、犬山城、松本城、名古屋城、
     大阪城、洲本城、大洲城、掛川城
 第2章:安土城、松江城、松本城、姫路城、丸亀城、犬山城、彦根城、丸岡城
 第3章:丸岡城、丸亀城、松本城、熊本城、姫路城、松本城、高知城、犬山城
 第4章:姫路城、彦根城、松本城、松山城、弘前城、犬山城、岡山城、金沢城
     備中松山城、丸亀城、松江城、熊本城、丸岡城、
*第1章に「金箔瓦が出土した、豊臣政権下の城一覧」および「天下普請の城と大坂包囲網」の両地図が掲載されている。
*木造建築の建物の様式、建築構造の部位名のイラストが掲載されていてわかりやすい。 併せて、4城の断面図が掲載されている(松本城、丸岡城、犬山城、姫路城)
*本書の末尾に、「現存12天守ガイド」が掲載されている。天守全景写真とともに、プロフィールと見どころの解説が見開きの2ページでまとめられている。
 現存天守のある城を列挙しておこう。私は本書で初めて12天守ということを知った。(*)を付けた城は国宝に指定されている。
   姫路城(*)、松本城(*)、彦根城(*)、松江城(*)、犬山城(*)
   弘前城、丸岡城、備中松山城、松山城、丸亀城、宇和島城、高知城

 これからは近世の城郭に重点を移して、城探訪をしてみたいと思っている。

 ご一読ありがとうございます。
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『奇想の図譜 からくり・若冲・かざり』  辻 惟雄   ちくま学芸文庫

2024-03-07 22:18:55 | アート関連
 先日、『奇想の系譜』(以下、系譜と略す)を半世紀遅れで読み終えた。その続きに一気に「奇想」つながりで本書も読むことにした。本書『奇想の図譜』(以下、図譜と略す)の出版は1989年。『系譜』が2004年9月に文庫化されたのに対し、『図譜』は2005年4月に文庫化された。『系譜』の翌年に『図譜』が文庫化されている。手許の本は2019年10月の第12刷。本書もロングセラーとして読み継がれているようである。
 
 遡ってみるとちょっとおもしろい、『系譜』の最初の出版(1970年)と『図譜』の最初の出版(1989年)との間には、20年の歳月を経ている。その間に「奇想」の画家に対する著者の研究は広がりと深化をみせている。一方、『系譜』が「奇想」の画家たちに光をあてる先駆けとなって、社会に一つの衝撃を与えて以降、「奇想」の画家に対する研究者並びに人々の評価や受け止め方は大きく変化した。伊藤若冲への関心の高まりはその典型だろう。
 1988年6月に『系譜』が新版という形でぺりかん社から出版された。『図譜』の「あとがき」にはこれが「復刊」であると明記されている。『系譜』の復刊とタイミングが合う形で、その翌年に、著者が1985年~1988年に各種雑誌等に発表していた論考がまとめられて『図譜』が出版された。文庫版出版もまた、1年ずらせて出版されている。
 著者は、『図譜』出版の「あとがき」に、「最近復刊されたのをしおに、これとの姉妹編を意図した」(p295)と記す。そして、「文庫版あとがき」にて、姉妹版の意図は、「ところが著者の期待にたがい読者の反応はさっぱりで、同じ柳の下にドジョウはいないことを痛感させられた」(p298)と苦笑している。
 それは、そうだろうと思う。『系譜』は、いわば人々が今まで見過ごしていたか軽視していた画家たちを「奇想」という共通項でハイライトすることによって、ブームを引き起こす先駆けの書となった。光が当てられた目新しさは人々を惹きつけるはずである。その後の20年の時の流れの中で、「奇想」の画家たちの展覧会が少しずつ取り上げられていき、鑑賞する機会が生まれて行ったはずだ。ちょっと知りたいという人々の欲求は、『系譜』発刊後に企画された展覧会で絵そのものを見ることにより、当初の好奇心はある程度満たされて行ったはずだ。「奇想」の画家たちに対する様々なレベルでの情報は当然増殖して流布されてきていることだろう。
 その先は、画家・作品そのものについて、一歩踏み込んで知りたいと思う美術愛好家の欲求との相関関係になっていく。いわば各論を扱っている『図譜』を読もうという欲求は低減してもそれは自然かもしれない。評判と好奇心の先に、一歩踏み出してさらに知りたい理解を深めたいと思う人の比率は下がるのが普通だろうと思うから。

 さらにその後の30年の時の経過の中で、葛飾北斎、伊藤若冲は飛び抜けて人気があるように感じる。画家名と作品は浸透してきている。私にとっても好きな画家たちである。
 伊藤若冲を例にとると、本書『図譜』の出版の後、現在までの間に、私が伊藤若冲の作品に触れた展覧会だけでも、手許に次の購入図録がある。
『京都文化博物館十周年記念特別展 京の絵師は百花繚乱』 1998年 京都文化博物館
『特別展覧会 没後200年 若冲』 2000年 京都国立博物館 
『若冲と琳派-きらめく日本の美-細見美術館コレクションより』 2003-2004年
『プライスコレクション 若冲と江戸絵画』2006年 東京国立博物館・日本経済新聞社
『開基足利義満六百年忌記念若冲展』 2007年 大本山相国寺・日本経済新聞社
『特集陳列 生誕300年 伊藤若冲』  2016年 京都国立博物館
『若冲の京都 KYOTOの若冲』 2016年 京都市美術館
『没後220年 京都の若冲とゆかりの寺』 2020年 京都高島屋7階グランドホール

 脇道をつき進んでしまった。本筋に戻る。
 本書『図譜』は、いわば『系譜』以降20年弱の著者の研究の進展過程における各論を編纂した書である。
 <Ⅰ 自在なる趣向>、<Ⅱ アマチュアリズムの創造力>、<Ⅲ 「かざり」の奇想>という三部構成になっている。それぞれ独立した論考である。今読んでも、なるほどと学ぶところが多い。各論ゆえに、一歩踏み込んで画家と作品を知るあるいは、鑑賞したことのある作品を新たな視点で見直す機会になった。
 三部構成のそれぞれについて、私が論考の要所と思う内容の一部を感想を交えご紹介したい。

<Ⅰ 自在なる趣向>
 著者は、『系譜』の「おくがき」では、「この大物(=北斎、付記)と取組むための準備が、まだ私自身に不足なため」(p241)との理由を記し、奇想の画家と認識しつつ『系譜』の一項に北斎を取り上げていなかった。
 この『図譜』では、この第Ⅰ部の冒頭に葛飾北斎について論じている。北斎が読本挿絵に描いたワニザメ、大蜘蛛、爆発のシーン、「富獄三十六景」の中でも特に有名な「神奈川沖浪裏」の大浪と読本の挿絵の波、北斎漫画を対象に分析し鑑賞する。これらの作品事例を介して、北斎の想像力・創作力の源泉がどこにあるかを究明する。
 著者は、当時輸入された蘭書に印刷された銅版画、その洋風手法から北斎が学び、それをヒントに換骨奪胎して独自の描法に取り入れていることと、北斎が自然の観察と凝視に卓越していた点を具体的に論じている。「北斎の眼は、対象を瞬時にキャッチする高性能のカメラ」と喩え、一方北斎の心性には「すべての物に魂が宿ると信じるアニミズムが巣くっている」(p49)と言う。「神奈川沖浪裏」は、北斎の眼と心性の合作として生み出されたイリュージョンなのだと指摘する。北斎が、西洋美術でいうメタモルフォシス(変容)に通じる手法を独自に習得して駆使していた点を論じている、
 北斎の浪から、曽我簫白が描いた「群仙図屏風」の波、イギリス画家ウォルター・クレイン画「海神の馬」やマックス・クリンガー画「手袋」、さらには伝伊達綱村所用の単衣の図柄を取り上げ、変容についての解説を展開するところがおもしろい。

 洛中洛外図屏風(六曲一双)の全体の構成原理は現存する60点のうち1点を除き一貫しているという。東から眺めた目線での一隻と西から眺めた目線での一隻を組み合わせて、六曲一双で洛中洛外の全体を構成するという構成原理である。
 この定型に従わず異色なのは、舟木家本「洛中洛外図」だけだとか。この屏風絵の奇想な点を取り上げて分析的に論じていく。洛中洛外図もいろいろ鑑賞してきているので、興味深くこの論考を読んだ。また、改めて洛中洛外図の細部の鑑賞の仕方、目のつけどころを具体的に学ぶ機会にもなった。
 著者は、「舟木屏風」が浮世絵の母体になるとし、「『舟木屏風』の人物の特徴は、『又兵衛風』に通じるものをもっている」(p98)と論じている。

 第Ⅰ部の最後に、<「からくり」のからくり>という題で、中国と日本の文献を話題にする。世界に冠たる中国の美術を日本は受け入れた。だが、それに圧倒され萎縮せずに、中国の原典から借用転化していく才を発揮し、柔軟な応用力を日本美術は発揮したと著者は言う。それを「見立て」の妙と表現している。それが、文献の中でも同様に起こっているとして、日本の説話文学に見られる中国書の原典からの内容の変容、すり替えを指摘する。それを「自在な遊戯の態度」として、ポジティブに評価している。

<アマチュアリズムの創造力>
 第Ⅱ部では、若冲・白隠・写楽が取り上げられている。
   1.若冲という「不思議の国」--「動植綵絵」を巡って
   2.稚拙の迫力--白隠の禅画
   3,写楽は見つかるか? --ある架空の問答
という3つの論考で構成されている。あの時代の大半の絵師は、○○派に入門し、絵と描画法の基礎を修練して、絵画力を修得し、その○○派の中で絵師として力を蓄え発揮して名を成していく。流派の看板を背負った職業絵師である。流派という埓の中に生きている。それに対して、たとえ一時期どこかの流派で描法等を学んだことがあったとしても、流派の看板を背負うことなく、独習で技法を身につけ自己流で絵の道を歩んだ画家を、ここではアマチュアリズムという共通項で括っていると理解した。
 著者は、「一言で片付けるならば、応挙はプロ、若冲はアマということになるだろう」(p138)と例示している。
 若冲の「技法の基礎は明・清花鳥画の独習によってつくられ、それは本質的に自己流のものであった。もっとも若冲の場合、それは本格的な自己流であり本格的な素人絵なのである。矛盾しているようだが、こういう以外に仕様がない。かれは、応挙のように三人称の普遍的形態を追わず、中国花鳥画のかたちの迷宮のなかから、自己に訴えかける形態をみつけ、呪術をかけるようにしてそれを画面の外に誘い出して、自己のものにしてしまう」(p139-140)と評している。
 若冲の「動植綵絵」の世界を分析的に鑑賞し、そこから若冲の絵を読み解くキーワードとして<無重力>と<正面凝視>、さらに<増殖>を抽出している。若冲は、「いつも『物』の質感を捉えることに関心を払った」(p152)と論じる。若冲の描いた絵の世界に、「現実を同化させてしまう強烈なリアリティを、『動植綵絵』は持ち合わせているのだ」(p149)と語る。

 白隠の生涯を簡略に解説しながら、白隠の禅画の特質を論じていく。著者はそのルーツは中世禅僧の書画に求められるとする。その上で、白隠の禅画は「自己の強烈な個性をなかだちとして、江戸時代民衆の感情に即した土着的な表現に再生させた」(p161)ものと読み解いている。白隠の禅画をあまり見る機会がなかったので、白隠の人生に沿った形で絵の変遷を眺められる点が有益だった。67歳作の「達磨図」を含め3点の達磨図が併載されているが、見応えのある図だ、何ともいえないギョロ目に迫力が漲っている。「円相内自画像」(永青文庫蔵)とは実に対照的である。白隠はこの自画像を残し、遺偈は残さなかったという。
 著者はこの一文の最後に、禅画家仙厓にも少し触れている。「亡くなるまでの15年間、かれの書画は、技巧の衣装を捨てた<無法の法>を目標に円熟していった」(p190)と言う。

 3つめは、話し手Aが年齢不詳の美術史家、聞き手BがAの友人の美術ジャーナリストという設定で、写楽とは誰かについて、架空の問答をするという設定の対話録になっている。奥書に、初出は1985年の『浮世絵八華 4 北斎』(平凡社)とある。この時点までに世間で談論風発していた様々な写楽探しの仮説論議の状況が網羅され、要点が語られていく。当時の様子がうかがえておもしろい。
 文庫版には、追記が2つあり、2つめの追記でどうもこの論議は終焉しそうな雲行きと思われる。ふと、振り返ると最近は写楽論議を見聞した記憶がない。

<Ⅲ 「かざり」の奇想>
 本文は、ダーウィンの『ピーグル号航海記』に記述されているというフェゴ島住民の観察から始め、著者はホイジンガの有名な言葉をもじって、”「文化は<かざり>の形をとって生まれた。文化はその初めから飾られていた」ともいうことはできないだろうか”(p234)という仮説を設定する。
 『万葉集』に載る挿頭(カザシ)の歌を皮切りに、縄文土器に遡り、中国における事情にも触れながら、各時代における様々な<かざり>を例示し、江戸時代の宗達による「見立て」まで論じて行く。「かざり」の母体は「風流」にあると捉え、「飾り立てる風流」(p250)の側面に関心を寄せていく。「風流」の窓から日本美術を通覧し、日本人の創造には「見立て」があるという特質を抽出する。それはヨーロッパ文化に於ける創造性とはかなりちがうものがあると論じている。
 「この『見立て』の思想方法こそは、日本民族の活性の素で、文芸・美術などの芸術の構造をはじめ、形造る働き、美学の基本をなすのだといってよい」(p268)と、郡司正勝氏の文を引用しつつ、論じている。
 「美術における見立てとは、かたちや主題の連想・変換を楽しむ一種の知的遊戯とみなすことができるだろう」(p286)とも述べている。

 <かざり>という視点で日本文化を通覧しているところがおもしろい。学際的な試みが必要な領域だと言う。著者はこの第Ⅲ部の論考で、「日本かざり学」とでもいった学際的な研究の場、「かざり」学を提案している。そういう場や研究は本書の出版後、現在までに進展しているのだろうか・・・・。読後印象として気になる。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
椿説弓張月 前編第一  31コマ :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
新編 水滸画伝 巻一 39コマ  :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
冨嶽三十六景《神奈川沖浪裏》  :「文化遺産オンライン」
おしをくりはとうつうせんのづ  :「文化遺産オンライン」
椿説弓張月 続編より 23コマ  :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
洛中洛外図屏風(舟木本)   :「文化遺産オンライン」
伊藤若冲の《動植綵絵》など皇室ゆかりの5件、国宝指定へ  :「美術手帖」
絹本著色動植綵絵〈伊藤若冲筆/〉  :「文化遺産オンライン」
白隠慧鶴  :ウィキペディア
出山釈迦:白隠の禅画   :「日本の美術」
七福神合同船:白隠の漫画 :「日本の美術」
達磨図(白隠慧覚筆)  :「MIHO MUSEUM」 
「達磨図」をはじめ、白隠・仙厓が描いた禅画 およそ20点が展示  YouTube
仙厓義梵   :ウィキペディア

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『若冲の花』   辻 惟雄 編  朝日新聞出版
『奇想の系譜 又兵衛--国芳』  辻 惟雄   ちくま学芸文庫
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎
「遊心逍遙記」に掲載した<アート>関連の本の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 34冊
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『レンブラントをとり返せ ロンドン警視庁美術骨董捜査班』ジェフリー・アーチャー 新潮文庫

2024-03-05 16:14:40 | 海外の作家
 『レンブラントをとり返せ』という翻訳書の題名に目が留まった。手に取ると、「ロンドン警視庁美術骨董捜査班」と続く。この題名に惹かれて買って、しばらくそのままになっていた。
 本書の原題は至ってシンプル。NOTHING VENTURED である。辞書を引いてみてわかった。Nothing ventured, nothing gained. と例文が載っていた。<ことわざ>の前半がタイトルになっているようだ。「危険を冒さないと何も得られない」。その続きに「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と説明されている。「虎穴に入らずんば」と提示されると、どんなリスクを負いながらどんな貴重なものを手に入れようと狙っているのか・・・・とつい想像を広げたくなる。そんなネーミングなのかもしれない。
 
 文庫の奥書を見ると、原書の著作権表示は2019年。文庫の刊行は、令和2年(2020)12月。手許の文庫本は令和4年2月、4刷である。

 この小説を読了して、改めて本書とそれに関連した全体の構図、本書のポジショニングを改めて明瞭に理解することになった。そこから始めよう。

 まず最初にこの小説に限定した全体の構成について。
 翻訳のタイトルにある通り、本書は、ロンドンにあるフィッツモリーン美術館からレンブラントの傑作、「アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち」が7年前に盗難に遭っていて、その捜査と奪還をテーマにしている。ロンドン警視庁の美術骨董品捜査班に配属された新米捜査員ウィリアム・ウォーウィック(以下、ウィリアムと呼ぶ)が盗難作品の追跡捜査で活躍する美術ミステリーである。それがメイン・ストーリーになることに間違いはない。しかし、その美術ミステリーは、いわば本書の構成の中では、コインの一側面に位置付けられている。
 この追跡捜査の過程で、ウィリアムはフィッツモリーン美術館の調査助手、ベス・レインズフォードと知り合い、彼女に惹きつけられて恋に陥る。ベスとの結婚を考えるに至るのだが、ベスは家族のことを殆ど語らなかった。だが、その家族の秘密について、ある時点でウィリアムが気づく。それはいわば大きな障壁にもなりかねない問題だった。その課題に対するチャレンジが、コインのもう一つの側面として浮上していく。
 この小説の中盤から、2つのパラレル・ストーリーが展開していくという構成になっていく。それ故に、このストーリーはウィリアムの仕事としての「レンブラントをとり返せ」とウィリアムの恋の成就物語への重要な障壁突破の二側面が進展していく。翻訳書のタイトルはその一側面を少し強調しているとも言える。
 原題の NOTHING VENTURED は、確実に二側面をカバーしたタイトルだと思う。
 
 ここで、本書の最初に戻らねばならない。内表紙の後に、「親愛なる読者諸氏に」という著者からのメッセージが収録されている。
 文庫本を買い揃えながら、未読で書架に眠っている「クリフトン年代記」シリーズのことが冒頭に出てくる。この小説シリーズの主人公ハリー・クリフトンはベストセラー作家となることで、「クリフトン年代記」が最終巻を迎えるようである。ハリー・クリフトンをベストセラー作家に押し上げた連作小説の主人公がウィリアム・ウォーイックだという。読者から、「ウィリアム・ウォーイックについてもっと知りたいとの手紙を頂戴しました」と記す。そして、熟慮の末、この執筆に取りかかったのだという設定になっている。
 さらに、著者は最初からこの執筆がシリーズになる構図を設定しているのだ。
 「彼が平巡査から警視総監へ昇り詰める過程を共に歩んでもらうことになるはずです」と。つまり、本書はその第1巻。連作小説がここに始まった!!
 また、この文の前に、本書について著者自身が触れている。「この作品はウィリアムが大学を卒業し、自分の法律事務所の見習い弁護士になればいいではないかとうろたえる父親を説得して、ロンドン警視庁に奉職するところから始まります」と。

 つまり、ジェエフリー・アーチャーが、ベストセラー作家となったハリー・クリフトンの立場になって、ウィリアム・ウォーイックの連作小説を発表し始めるという構図が基盤に設定されている。
 そして、本書がその第1巻であり、「第1巻である本書では、彼(=ウィリアム:付記)の人生をたどりながら、併せて登場人物を紹介していことになります」と記す。この第1巻は、ウィリアムがロンドン警視庁に奉職して、レンブラントの作品奪還に成功するまでの第1ステージの時代が描き出される。
 このメッセージ文の次のページに、「これは警察の物語ではない、これは警察官の物語である」と付記されている。つまり、ウィリアムの物語ということになる。

 第1巻の時代をイメージしやすいように、少し周辺情報をご紹介しておこう。
 このストーリーは、1979年7月14日から始まる。この日に、ウィリアムは父親に己の人生の進路選択を告げる。
 ウィリアムは、8歳の時に探偵になりたいと思った。ロンドン大学キングズ・カレッジに進学し、美術史を学んだ。1982年9月5日、ヘンドン警察学校に入学。警察学校を卒業後、大卒者として首都警察の一員になる。だが、ウィリアムは、大卒は昇進が早くなるという有利な条件を行使しないという選択をする。警察官人生を普通の新人と同じ条件でスタートさせる。ランベス署に見習いとして配属され、平巡査からのスタートだなのだ。フレッド・イェーツ巡査がウィリアムの教育係として、彼の面倒を見てくれた。ウィリアムはフレッドから、警察官としての貴重な助言を数多く学んでいく。そのイェーツ巡査が悲劇に遭遇することに・・・・・。

 ウィリアムは1年後に刑事昇進試験を受け、合格する。ジャック・ホークスビー警視長からの呼び出しを受けて首都警察本部ビルに行く。本部ビル6階にあるホークスビー警視長のオフィスに行く途中、あるドアが薄く開いていたのでその奥の壁に立てかけてある絵に目が留まり、それをウィリアムは眺めていた。それで室内の人物から声を掛けらることになる。思わず、ウィリアムはその絵が贋作だと指摘した。それがウィリアムのその後の警察官人生を変える。美術骨董捜査班に捜査巡査として異動を命じられることになる。ここから具体的な追跡捜査の仕事が始まり、担当者として第一線で行動していくことになる。それが、フィッツモリーン美術館の調査助手、ベス・レインズフォードと出会うきっかけにもなっていく。本作の実質的な始まりである。

 美術骨董捜査班はレンブラントの盗難作品の件以外にも様々な案件を抱えている。それらの案件についての捜査活動に、勿論ウィリアムも関わっていく。そこでそれらの捜査がサブ・ストーリーとして織り込まれ、絡み合いながら状況が進展していく。さらにウィリアムとベスの恋の進展と障壁のストーリーがパラレルに進展していく形になる。この恋と障壁の側面は、言わぬが花ということで、このストーリーをお読み願いたい。

 ウィリアムの父、サー・ジュリアン・ウォーイックは、一流で辣腕の勅選法廷弁護士である。父としては、ウィリアムに弁護士への道を歩んで欲しかったのだが、息子の選択を認め、見守る立場になる。
 姉のグレイス・ウォーイックは進歩的な女性弁護士となっている。
 父と姉は、あることが契機で、ウィリアムが抱える重要な問題に関与していく立場になる。
 ブルース・ラモント警部を筆頭とする美術骨董捜査班は、レンブラントの作品が、マイルズ・フォークナーという美術品の大物窃盗詐欺師の一味の仕業と目星をつけてはいるのだが、その尻尾をつかめず、盗まれた作品の所在を全くつかめないのだ。本物を回収できたと喜びかけていたのを、ウィリアムに贋作と一蹴されてしまったわけである。その代わり、思わぬきっかけでウィリアムを美術骨董捜査班にスカウトした。彼は強力な戦力になる。

 ウィリアムの警察官人生の第一ステージを、本書で多いに楽しめる。著者はメイン・ストーリーに幾つものサブ・ストーリーを巧みに織り込み、ウィリアムの警察官人生の第一ステージを描いていく。やはり、著者はストーリー・テラーとして卓越していると思う。
 読み終えて、ネット検索してみたら、現時点で第4作まで出版されていることを知った。読み継ぎたい目標がまた一つ増えた。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
布地商組合の見本調査官たち   :ウィキペディア 
アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち 1661年  :「Salvastyle.com」
ロンドン警視庁の組織と機構   :ウィキペディア
イギリスの警察階級  :「Soifia and Freya @goo」
[美術解説]100万ドル以上の高額窃盗美術作品:「Artpedia(世界の近現代美術百科事典)」
「モナリザ」や「叫び」も被害に 過去の美術品盗難事件 :「AFP BB News」
20年間で数十億円相当を盗んだアート窃盗団が罪を認める。1人は逃走中:「ARTnews JAPAN」
盗まれた世界の名画 フェルメール「合奏」  :「IMS」

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