鏡海亭 Kagami-Tei ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石? | ||||
孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン) |
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第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29
拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、 ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら! |
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小説目次 | 最新(第59)話| あらすじ | 登場人物 | 15分で分かるアルフェリオン | ||||
いったん仮眠に入ります。アルフェリオンまとめ版第26話~27話。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/3d/1603826e7cfabf452030a2f5bf990d3b_s.jpg)
連載小説『アルフェリオン』まとめ版、いったん、第26話と第27話の分を追加しておきますね。今から長いめの仮眠をします。
第28話~第30話分は、可能であれば今晩深夜か明日早朝に追加します☆。
QBと契約して、疲れを知らないであろうソウルジェムになりたいです(^^;)。
でも多分、永遠なんてないんだよね…。
かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み―第27話・後編
![](http://www.mediawars.ne.jp/~ntad01/alph/t27.jpg)
【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
12 魔法が効かない! 旧世界の黒き竜の謎
先頭を走っていた陸戦型が爆発し、地に伏した。
敵の魔法弾の直撃を受け、たった一発で大破してしまったのだ。
――新手か? 今度の攻撃は段違いだぞ。
――長射程MgSだ。注意しろ!!
シールドを張りつつ、敵の位置を見抜こうとするギルド部隊だが、今度は先ほどのようにはいかなかった。
そうこうしている間にも、痛烈な威力の雷撃弾が打ち込まれ、次々と味方機が倒されていく。砲撃の破壊力もさることながら、夜間にもかかわらず、恐るべき精度で狙ってくる。
ギルド側も必死の反撃に出るが、こちらのMgSは一向に命中する気配がない。ベテランのギルド戦士たちが的を外しているわけではなかった。相手の方が、魔法弾を上回る速さで回避しているのだ。
――なんてスピードだ!! 着弾するときにはもうその位置にいない。
――高速型のリュコスを前に出せ! 汎用型はシールドを張って後退しろ!
――散らばれ、このままじゃ次々と狙い撃ちにされるぞ! 聞いてるのか!?
ギルド部隊から大型の照明弾が発射される。
はるか遠く、漆黒の野に浮かび上がった2つの黒い影。
それらはギルドの者たちですら目にしたことのないアルマ・ヴィオであった。
得体の知れない生き物の――いや、恐竜の声を思わせる甲高い雄叫びが、冷え込んだ深夜の空気を揺るがせ、繰士たちをも震撼させる。
その姿を確認できた瞬間を逃がさず、2体の敵めがけてMgSが殺到した。
今度は外れていなかった。一面の魔法弾の雨。どれほどのスピードをもってしようとも、全弾かわすことなど不可能だ。
だが……。
手応えはなく、爆炎はあがらなかった。
――そんな、馬鹿な。
――弾が……弾が、奴らの機体の手前で向きを変えたぞ?
目を疑うような事態に、ギルドの強者たちも戦慄を隠しきれない。
命中するはずの魔法弾がすべて軌道を歪められ、寸前のところで脇に外れてしまうのだ。魔法の力が打ち消されているわけではないため、強力なMTシールドや結界によるものではなかろう。砲弾の軌道が最後まで確認できる点からして、次元障壁の作用でもない。
間違いなく、コルダーユ沖でアルフェリオンが起こしたのと同じ、《霊気濃度差による屈折現象》が起こっている。
いくら正確に狙おうとも、MgSによる攻撃は意味をなさないことになる。
打撃を与えられるとすれば、それは爪や牙、あるいはMT兵器などによる直接の打撃だけだ。
――何が起こっているのかよく分からないが、こちらの砲撃は全て外され、向こうからは強烈な長射程MgSをくらわされるというわけか。
――そんなアルマ・ヴィオ、聞いたこともないぜ……。
ギルド側の汎用型アルマ・ヴィオは、MgSによる攻撃を中止し、楯を構え、MT兵器を――光の剣や槍を手にした。
13 苦戦するギルドの部隊、ルキアンは…
――さすがにギルドの連中だな。魔法弾が当たらないとすぐに気づいたか。
遠くに群れをなすアルマ・ヴィオを見ながら、パリスが心の中でほくそ笑む。
レプトリアは、自分の周囲に例の屈折現象を擬似的に発生させることができ、それによって大抵のMgSを弾いてしまうのだ。この種の防御方法は、旧世界の機体の中でも比較的珍しい。
たった2人でギルドの部隊を相手にしようとしながらも、ナッソス家の精鋭たちには少しも恐れがみえない。
ザックスは念信の波長を相手方に合わせ、ギルド部隊を挑発する。
――無駄なことだ。このレプトリアに追い着くことなど、果たして諸君にできるかな? 恐らく剣で触れることすらかなうまい。
パリスとザックスは再び動いた。
レプトリア2体の姿が瞬時に闇の中に消え、それと入れ替わりにMgSがうなり、雷撃弾が発射される。
次第に傷つき、倒れていくギルドのアルマ・ヴィオ。
だが今度は、レプトリアの雷撃だけではなく、別の場所からの一斉射撃が出し抜けに行われた。
――後ろ? まさか、ミトーニアからだと!?
――間違いなく市壁からだ! 馬鹿な、ミトーニア市が勧告を拒否したのか。
ギルドのエクターたちはさらなる苦境に追い込まれる。
そう、ミトーニア市からも攻撃が始まったのだ。
市庁舎を占拠し、和平派のシュリス市長らを拘束した抗戦派は、市民軍をも掌握していたのであろうか……。
◇
――街の近くで爆発? しかもあんなに次々と。まさか、戦いが始まった?
今しもミトーニア上空に到着しようとしていたルキアンは、地上で激しい砲火が交えられているのを見た。
――何で? 何で、どうして戦うの……。
野を赤々と染める炎や立ち昇る白煙。
その背後に広がるミトーニアの街。
ぼんやりと見つめるルキアンの胸の内は、驚きと同時に悲嘆で一杯になる。
――街の人たち、分かってるのか? いま戦ったら、自分たちはもちろん、子供だってみんな死んじゃうかもしれないんだよ! それなのにどうして戦おうとするの? どうして。
呆然とするルキアンの目に、アルフェリオンの魔法眼を通して地上の光景がさらに細かく映る。闇の向こうから飛んでくる雷撃弾に対し、一方的に苦戦する味方のアルマ・ヴィオたち。熾烈な戦場の有様を見て、彼は我に返った。
――大変だ! ギルドの部隊が……。でもどうして圧倒的だったはずのギルドが、何でこんなに追い詰められているの? あのままじゃ、持たないよ。どうする? どうしよう!?
14 悪魔と聖母
ルキアンは困惑したが、ともかく慌ててクレドールに報告する。
――こちらルキアンです。ミトーニアで戦闘が起こっています!! ギルドの部隊が、ミトーニア市からの砲撃と、それから……暗くてよく分からないんですけど、背後からも何者かの攻撃を受け、苦戦しています! 僕は、どうすれば?
だがクレドールの念信士も予想外の返答をしてきた。
――それがこちらも交戦中なんだ、ルキアン君!
――え、何です? そっちも交戦中って、一体、何がどうなって……。
――詳しいことは後だ。ナッソス家のアルマ・ヴィオの奇襲を受け、レーイたちが応戦している。それで、クレヴィス副長が、ルキアン君は予定通りミトーニアの状況を確かめてくるようにと。聞こえるか!?
――そんなこと言ったって。あの、味方がやられそうなんですよ! どうしましょう、僕……あの、ちょっと、あれ。聞こえませんか?
クレドールからの念信が途絶えた。
――ど、ど、ど、どうしよう!! 戻らなきゃ、クレドールが! でも、でも、こっちでも味方がやられてる。何とかしないと……。
理性が霞み始めたルキアン。どう動くべきか全く分からない。
――うわぁっ、何!?
アルフェリオンの機体が激しく揺れる。ルキアンはますます正気を失い、パニック寸前となる。
なおも立て続けに、下から突き上げるような衝撃が走った。
――地上からの攻撃に対し結界を張ります。
アルフェリオン・ノヴィーアがルキアンに告げる。
この緊迫した状況にもかかわらず、滑稽なほど機械的で冷静な口調だった。
恐慌状態のルキアンをよそに、アルフェリオンは自らの周囲を青白い光で包み、防御体制に入る。
真っ白になった頭の中に――何でもよい、必死に何か言葉を思い浮かべようとルキアンはあがいた。
――お、お、落ち着け。落ち着くんだ、焦っちゃダメだ。落ち着け!
だがそんな彼の脳裏に、地上のギルド部隊の交わす念信が次々と浮かび上がってくる。その悲壮な声がルキアンをますます狼狽させた。
――艦隊からの援護はまだか? このままでは撤退するしかないぞ!!
――駄目だ、クレドールも敵と交戦中だと! 万事休すか……。
ルキアンの虚ろな意識の中を、多数の叫びが駆け巡る。
彼はつい弱腰になり、あてもなくつぶやいてしまった。
――駄目だ、分からないよ、誰か助けて……。
するとそれに応えるかのように、心の向こうに黒衣の女のイメージが現れる。
そういえば、今までも時折こうして助けてくれていたのだが。
――わが主よ、心を鎮めるのです。大丈夫。私の言う通りに。
マスターであるはずのルキアンが、《パラディーヴァ》のリューヌに諭されることになった。だが今の状況下では、それを恥ずかしいと思う余裕など彼にありはしない。
リューヌは静かな表情のまま、翼を閉じて穏やかに立っていた。
その姿は遠い日にどこかで見た聖母像のようであった。あのときの冷徹な《黒い翼の悪魔》の印象とは全く違う。
ルキアンの心に少しずつ、少しずつ平静が戻ると同時に、リューヌの伝えたある一節が刻み込まれた。その《言葉》とは……。
――分かった。ありがとう、リューヌ。ギルドの人たちも僕らの仲間だ。それを見捨てて逃げるなんてできない。
15 超高速の敵、手も足も出ない主人公 !?
アルフェリオンが空をすべるように滑空し、夜の荒れ野に舞い降りていこうとする。
――見えた! あれが敵なのか?
電光さながらの速度で駆け回る2体のアルマ・ヴィオを、ルキアンの目がとらえる。
アルフェリオンは地上に降り、刻々と変わっていく敵の位置を探った。
――次は右から来る。
リューヌがそう告げ、ルキアンの心の中に雷撃弾の閃光のイメージが現れる。
――次元障壁!!
少年の声に答えて、斜め前方に陽炎のごとき光の幕が形成される。
アルフェリオンの次元障壁は、エクターの意思次第で、機体から離れた場所にも発生できるのだ。
レプトリアからギルド部隊に向けて雷撃弾が放たれたのは、それとほぼ同じ瞬間だった。
刹那、あたりが真昼さながらに輝き、宙を走る稲妻。
だがその電光は、平原のただ中で何処かに吸い込まれるようにして消滅する。
――何だと!?
奇怪な出来事にパリスは思わず口を開いた。
――空間兵器か? そうか。ギルド側の、旧世界のアルマ・ヴィオだな。
ルキアンはレプトリアの攻撃から味方を守ろうとしている。だが今の一撃は防ぐことができたものの、たちまち敵機の位置を見失ってしまう。
――分からない! 姿が見えたと思ったら、もうその辺りにはいなくなる。何てスピードなんだ。うわっ!!
白銀の鎧を雷撃弾が揺るがした。
幸い命中したのではない。直前のところで、今度はアルフェリオンが自らの意思で次元障壁を張ったのだ。
――昨日のティグラーなんかとは全然スピードが違う。せめて姿を追うことだけでもできれば……。今度は反対側からか!?
レプトリアは、まず邪魔なアルフェリオンに牙をむいた。
完璧な連携のもと、2体が交互に別の場所からMgSを発射してくるため、ルキアンは防戦一方となってしまう。いや、本当は彼には敵の動きが全くつかめておらず、実際にはアルフェリオン自らが防いでいるのだ。
しかし相手の方も、今までのギルドの機体を上回る防御力をもつアルフェリオンに、少なからず驚いている。
――お嬢様のイーヴァと同じ次元障壁だ。このアルマ・ヴィオ、手ごわいぞ。
ザックスがパリスにそう告げた。
――いや、敵の繰士は俺たちの動きに着いてこれていない。勝てる。
――普通にMgSを撃っても防がれるだけだ。俺がまず突っ込む!!
そう言うが早いか、ザックスは強い思念を機体に送る。
爆風が草を巻き上げ、荒野を切り裂く。
ルキアンが叫ぶ。
体の平衡が失われ、気がついた時にはアルフェリオンが大地に伏していた。
――体当たり……されたのか? どうなったんだ。
それは、瞬時に距離を詰めたレプトリアの一撃だった。
無様に地面に横たわる銀の天使。
ルキアンは懸命に機体を起こそうとするが、そうはさせまいと、続いて側面からパリスの魔法弾が直撃する。
あの速さで2体が連続攻撃をしたために、さすがのアルフェリオンも動きについていけなかったのだ。頑強な装甲はかろうじて損傷を防いだが、本体にさらに何度も直撃を受ければ持ちこたえられないだろう。
立ち直る余裕を与えず、隙だらけのルキアンをザックスが再び襲う。
レプトリアの鉤爪がアルフェリオンの背中に突き立てられた。
引き裂かれた羽根が飛び散る。
16 召喚、融合、そして再生
――何て硬い装甲だ!?
秒間に間合いを詰めたパリスのレプトリアが、直近から弾を打ち込む。
がら空きどころか姿勢の制御すらままならないアルフェリオンは、銀の甲冑の腹部に被弾し、煙を上げて後ろに倒れた。
いかに旧世界の魔法合金の鎧といえども、これほどの至近距離からMgSを叩き込まれては無事なはずがない。
――このままじゃ本当にやられる!!
けれどもアルフェリオンは起き上がることさえ困難な状態だ。
――動いて! 起きろ、どうして立てないんだ?
無我夢中で体勢を立て直そうとするルキアンだが、機体は思うように反応しなかった。
今のアルフェリオンの手足の感覚は――生身の身体で疲労し切ったときと、微妙に似ている。重い。繰士のルキアンが精神力を消耗しすぎたためか、それとも先ほど受けたダメージの影響なのだろうか。
細長い首をもたげ、獲物を狙う低いうなり声を上げて、威圧的な姿で歩み寄る2体のレプトリア。
とどめの一撃とばかりに、アルフェリオンの首筋に牙を立てようとする。
だが、ほんのわずかに攻撃の手が緩められたことが、ルキアンに起死回生のチャンスを与えた。
――今だ!!
彼はとっさに、先ほどリューヌから教えられた《言葉》を念じる。
我は汝の名を呼ぶ。
いにしえの契約に従い、冥王の門より我がもとに出でよ。
闇を司りしパラディーヴァ、漆黒の翼……。
最後に、ルキアンはリューヌの名を力の限り叫んだ。
彼の意識の中で、無数の黒い羽根が舞い散る。
それらが視界を覆い尽くすと同時に、羽ばたきの音と気配がした。
外部でも急激な変化が起こっている。
閃光とともに、何か得体の知れない力が天空から降臨し、傷だらけの銀の装甲を包み込む。
大気が揺らぐ。
冷たく重々しい妖気の渦――異様な力場のごときものが付近一帯を飲み込む。
夜の荒野がいっそう闇の色を濃くしたような気がする。
異変が起こったのはそのときだった。
アルフェリオンが物凄い速さで再生していく!
内部に仕込まれた旧世界のナノマシンが活動を始めたのだ。装甲に空いた穴がみるみるうちに塞がるとともに、機体の表面がうっすらと光を帯び、開放された《ステリア》の力が満ち溢れる。
――すごい、これが……。あの極微粒子機械《マキーナ・パルティクス》の力なんだ!? それにこの暖かく抱かれるような感じは。
ルキアンの心の中で、彼の声にリューヌの言葉が重なり、共鳴する。
――これがパラディーヴァとの融合? いや、そんな場合じゃない。立てるか? 立てる……。まだ僕は、僕は負けたわけじゃないぞ!!
【第28話に続く】
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※2002年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み―第27話・中編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
7 闇の月の名を持つもの
思わぬ珍騒動を起こしてしまったルキアンは、迷惑をかけたと感じているのか、恥ずかしそうに肩をすくめている。
そんな彼ににこやかな眼差しを向けると、クレヴィスは話をあっさり打ち切り、クルーたちに持ち場に戻るよう促した。
「どうしました、皆さん、そんなに青い顔をして。ふふ、心配しなくても――別に天変地異が起こるなどということは、学者たちの通説による限り、まずあり得ないそうですよ。さぁ、夜明けまでもう少し時間があります。警戒を続けてください」
「そんなこと言ったってねぇ……。なんてったって、お月様が2つだよ?」
ヴェンデイルもすっかりお手上げの様子で、再びスコープ・ギアを装着する。
ルキアンだけが艦橋の真ん中に取り残された。何度かまばたきした後、彼はこそこそと窓際に移動する。
改めて月を眺めながらルキアンは考える。
――歓迎されないもうひとつの月、薄暗い闇の月《ルーノ》。昔は《ルーヌ》と呼ばれていたらしい。そして《ルーヌ》は、同じように《月》を意味する古典語に、つまり旧世界の言葉に由来する。先生がそう話してくれたっけ。
この程度の古典語の知識は、ルキアンもかろうじて持ち合わせていた。仮にも魔道士の卵である。
――その旧世界の言葉というのが、《リューヌ》……。彼女の名前。闇の月の名を持つパラディーヴァ。ずっと気になってたんだけど、偶然かな?
だが勿論、ここでリューヌ自身を呼び出し、尋ねてみるわけにもいかない。艦内は大混乱になるだろう。
――当分、みんなには言わない方がいいかな。時機を見てクレヴィスさんから話してもらう方がいいかもしれない。僕だけが知ってる、僕だけの《剣》になるよう、大昔に定められたパラディーヴァ……か。
何か自分が普通ではないものになってしまったような、人々から遠く分かたれてしまったような気分に襲われ、ルキアンは黙って艦橋を見渡した。
そのとき、張り詰めた様子で1人の若者が叫んだ。
「副長!!」
言葉の雰囲気や物腰がどことなく軍人あがりを思わせる、二十代半ばの男。
その声にはルキアンも聞き覚えがあった。
何時間か前――仮眠中のセシエルの代わりに、ルキアンからの《念信》に応対したあのクルーのものだ。
別段取り乱すこともなく、クレヴィスは悠々と頷いた。
対照的に、若い念信士は傍目にも分かるほど武者震いしている。
「ただ今、ミトーニアから念信が送られて参りました! 市当局の返答は……」
8 奇襲、ナッソスの精鋭が空と陸に迫る!
◇ ◇
夜更けの空を駆けめぐる心の声は、それだけではなかった。
――皆の者! 段取りはよく分かっていますね?
カセリナの声が――否、念信を通じた言葉が――彼女の声質にふさわしい気高く毅然としたイメージとなって、家臣たちの脳裏に浮かび上がる。
彼らの汎用型アルマ・ヴィオの多くは、バーンの《アトレイオス》同様、議会軍から流出した機体を改造したタイプらしい。陸軍の主力の《ペゾン》を母体とするものが多いようだが、中には《ブラック・レクサー》に改良を施したとみられる強力なタイプも混じっている。さすがにナッソス家だ。
城を飛び立った《空中竜機兵団》は、奇妙なことにギルドの艦隊とおよそかけ離れた方角に飛び去り、そればかりか敵艦隊と東西方向の座標が一致したにもかかわらず、いったん南へと通り過ぎていた。
一般には速度が遅めだといわれる重アルマ・ヴィオだが、飛竜《ディノプトラス》は並々ならぬ速さで飛んでいた。その上に乗ったカセリナの《イーヴァ》は、風圧で飛ばされぬよう脚部を《竜》の背に固定し、姿勢をかがめ、さらにMTシールドを風防代わりにしている。
目にも留まらぬ速度で闇を切り裂き、地表すれすれを飛行するディノプトラスとイーヴァ。
その後に2騎が並んで続き、さらに後ろに3騎が一列の横隊で続く。
イーヴァを先頭とし、1-2-3のピラミッド型に並んだ楔形隊形だ。カセリナたちの覚悟を象徴するかのごとき、強行突破を目論む陣形である。
低空飛行しているのは、できる限り複眼鏡の死角にあたる位置を飛ぶためだ。
しかも敵から敢えて距離を取ることにより、複眼鏡の探索可能範囲外を進んでいる。夜間であるため複眼鏡の視界が相当に制限されることも、カセリナたちにとって有利だろう。
――お嬢様! 別働隊が城を出たと連絡が入りました。
家臣の一人が告げる。
――分かりました。手はず通り、こちらの別働隊にギルド艦隊が近づいたところを攻撃します。チャンスは一瞬です。私が指示したら方向を転換し、敵艦隊に背後から接近……遅れないよう、続け!!
カセリナはエクターとしても一流だが、利発でカリスマのある彼女は、年若くして将の器をも兼ね備えていた。もしカセリナが男であったなら、将来は王国の将軍にすら相応しいものをと、公爵がどれほど嘆いたことか……。
◇
ナッソス家の作戦はそれだけではなかった。
ミトーニアを包囲するギルドの陸戦隊めがけて、同家の部隊が今まさに出撃したのである。昼間の戦いに敗れたとはいえ、城を守る主力部隊は健在だ。むしろその《敗北》は、戦略的な撤退であったとさえ考えられなくもない。
ナッソス軍は地の利を生かしてゲリラ的な揺さ振りをかけるつもりだろう。地形の把握し難い夜戦であることも、付近一帯を知り尽くしたナッソス側にとってプラスに働く。
本隊よりも一足先にナッソス城を発ち、大地を飛ぶような速さで駆ける2つの陸戦型があった。轟音と共に現れ、瞬時に視界から遠ざかるその速度、もはやアルマ・ヴィオとは思えない。
いにしえの黒き光弾の竜、レプトリアだ。
――凄い。これならたとえ複眼鏡に発見されても、相手の鏡手はたちまち見失うだろう。
自らの速さに酔いしれるかのように語ったのは、ナッソス家四人衆の一人、パリスだ。
――まったくだな。それでいて機体の《ぶれ》がここまで抑えられているのも驚くべきことだ。これほどの安定性があれば、今の速度を落とさずに戦うことも十分可能だぞ。
そう答えたのは、ザックス。引退後はシャノンの父として農園を経営していたが、かつては四人衆を束ねるリーダーであった。不意に搭乗することになったレプトリアを完璧に操っている点からも理解される通り、彼の腕前は今も鈍っていない。
まさに飛ぶがごとく。
実際、並みの飛行型を上回る速度が出ている可能性もある。
レプトリアの2つの翼は、このような超高速での移動の際に、機体を安定させる役割を果たす。このまま本当に空高く舞い上がろうと、何の違和感もない。
だが旧世界のアルマ・ヴィオの常として、レプトリアはさらに恐るべき能力を備えていたのだった……。
9 偵察に向かうルキアンだが…
◇ ◇
「王国の未来のため、自由都市ミトーニアはナッソス家と共に断固戦う。だがエクター・ギルドが予告通りに当市を攻撃するならば、一般市民まで戦闘に巻き込まれることになるだろう。我々はギルドの暴虐な作戦に強く抗議する――そう返答がありました」
抑揚を落とし、念信士の緊張した声が告げる。
ほとんど角刈りに近い短い金髪の下、彼は額にうっすらと汗を浮かべた。
その報告を静かに聴いていたクレヴィス。
「そうですか。あり得ない答えではないと思ってはいましたが、しかし……」
何故か時計を睨みながら、彼は訝しげな顔をする。
「それにしても、かなり早い返事でしたね」
「……と、言いますと?」
「情報によれば、ミトーニア市は降伏に傾きかけていたはずです。それが急に態度を一変させたにしては――つまり、それほど重大な決断を市当局が行ったにしては、妙にあっさりと結論が出すぎていませんか? 期限の夜明けまで、時間はまだ十分にあるというのに」
不思議がる念信士にクレヴィスが言った。その穏やかな語りは、どこか独りごとのように聞こえなくもなかったが。
若干の間をおいてヴェンデイルも同意する。
「そう言えば変だよ。どうせ降伏しないと決めているにしても、夜明けぎりぎりまで態度を保留しておく方が、あちらさんにとっては得なはずじゃない? 少しでも時間稼ぎできるんだから」
「えぇ。私の杞憂に過ぎないかもしれませんが、あの街で何か起こった可能性があります。至急、バーンとベルセアをブリッジに呼び出してください。それから、私が指示したら直ちにカルを起こせるよう、準備を」
クルーたちに手際よく命じたクレヴィスは、ルキアンにも何やら目配せする。
結局、皆の邪魔にならぬよう、艦橋の隅で遠慮がちに月を見ていた少年。彼は自分を指差して首をかしげた。
「ルキアン君、実はあなたにもお願いができてしまいました……。突然で申しわけありませんが、急を要しますので単刀直入に言いましょう。今からアルフェリオンを出していただけませんか? 現状では、他のアルマ・ヴィオを行かせることができないのです。特に空を飛べる機体となると」
「……出撃、ですか?」
《戦い》という文字が反射的に頭に浮かび、ルキアンの表情が曇る。
だがクレヴィスは首を左右に振った。不安を隠し切れない少年に視線を合わせ、彼は優しげに目を細める。
「いや、戦ってもらおうというわけではありませんよ。今からミトーニアまで偵察に飛んでほしいのです。街の様子が気にかかるものですから。アルフェリオンの魔法眼なら、上空から市内の様子を事細かに把握することもできますね」
「は、はい。それはまぁ、見えると思います、けど……」
敵と遭遇すれば戦闘になる可能性もあろうが、少なくとも名目上は《偵察》が自分の任務だと知り、ルキアンはひとまず胸を撫で下ろす。
「《客》であるはずのあなたに、突拍子もないことを頼んでしまって。非礼をお詫びします。しかし明日のことを考えると、メイとサモンを少しでも休ませておく必要があるのですよ。ですから今晩中は、《ラピオ・アヴィス》も《ファノミウル》もできるだけ出動させたくないのです」
事情を説明し始めた副長に、ヴェンデイルが口を挟んだ。
「クレヴィー、だったらラプサーに頼んで、あっちの船からアルマ・ヴィオを出してもらえば? 《カヴァリアン》も《フルファー》も飛べるのに」
「いや。万一の敵襲に備えて、レーイには待機しておいてもらわねばなりません。それからプレアーも――彼女の腕は普通の大人以上に頼りになりますが、独りで出動させるのはどうかと思います。まだ若すぎますよ」
そう言って穏やかに打ち消したクレヴィス。
さりとてクレドールの《複眼鏡》を使うにしても、もう少し接近しなければミトーニア市内の様子までは視認できない。だが船を不用意に近づけるのは危険なばかりでなく、相手を必要以上に刺激することにもなりかねないだろう。
10 風の力を宿した飛燕の騎士?
深く息を吸い込んだ後、ルキアンはいつもより大きめの声を出した。
「分かりました。僕が行ってきます。僕はギルドのエクターではありませんけど、自分の意思でこの船に乗っている人間です。お役に立てるのなら喜んで。それに、メイもゆっくり眠らせてあげたいですし」
「ありがとうございます……。万一、敵方と戦闘になりそうな場合には、あなた自身の判断で、戦っても退いても構いませんから。ルキアン君はギルドの人間でも軍の人間でもなく、1人の独立したエクターです。だから自分の信じるところに従って行動すればよいのです。やや荷が重いかもしれませんが、今のあなたにならできると私は信じています」
「え、えっと。正直な話、大変です。でも僕もやれるだけやってみます」
クレヴィスと目礼を交わし、やにわにブリッジの外へと走り出すルキアン。
深夜の廊下に足音が響く。
気のせいか昼間よりも冷たく乾いた音がする。
彼はわずかに躊躇したが、駆け足で格納庫へと急いだ。
◇
格納庫のある下層部へと続く階段の手前で、ルキアンは思わず立ち止まる。
背筋を震えが走った。その異様な感触が薄れぬまま、廊下の冷たさが徐々につま先から体に染み込んでくるような気がする。
目の前に現れた白いもの。ルキアンは本能的に幽霊を連想する。
それは人だ。
しかし他の人間にはない、刺すようなあやかしの気をまとっている。
「き、君だったのか……。びっくりするじゃないか!」
彼女にこうして驚かされるのは何度目だろう。呆れているのか、恐れているのか、ルキアンは複雑な視線をエルヴィンに向ける。
あるいは興味――かたちの見えない感情。この不思議な美少女に、彼は無意識のうちに関心を持ち始めていた。
階下から吹き上げる生暖かい風。
スカートの裾がふわりと揺れ、限りなく黒に近い繊細な青の髪がそよぐ。
長い髪を頬に張りつかせたまま、エルヴィンは夜の猫さながらに目を大きく見開き、顎を上の方に向けた。
中空に漂う何かの香りを嗅いでいるようにもみえる。
2人の頭上に輝く旧世界の照明灯。
その青みを帯びた光を受け、いっそう白く透き通る彼女の首筋に、ルキアンの鼓動がわけもなく早まった。
戸惑い。さらにそれ以外の何か?
――困ったな。行こう、急がなきゃ。
無視して階段を下りようとする彼に、すれ違いざま、神託の娘はささやく。
「大地を走る疾風(はやて)が扉を開く」
「えっ?」
「あなたには見えないの? とらえることのできないものを狩る者の姿が。風の力を宿した、飛燕の騎士の姿が」
一瞬、歩みを止めたものの、ルキアンはいつものことだと思って通り過ぎた。
それでも構わずエルヴィンは語り続ける。
「強く願えば必ず応えてくれる。あれは、そういうものだから……」
11 襲撃、夜の荒野から飛来する火炎弾!
◇ ◇
ミトーニアを取り巻く分厚い防壁の背後で、市民軍のアルマ・ヴィオが警戒体制をとり続けている。
現在の位置から見えるのは10体弱の汎用型である。市の紋章の描かれた楯を持ち、高価なため軍のエリート部隊以外では滅多に使われていないMgS・ドラグーンまでも装備している。
武器商人はもとより、アルマ・ヴィオの工廠すら存在するミトーニア市のこと、市民軍の機体もおそらく自前で開発したものだろう。オーリウムで最も富裕な街のひとつである同市は、その潤沢な資金にものを言わせ、質・量ともに並みの領主など足元にも及ばぬほどのアルマ・ヴィオを有していた。
上空から見たミトーニア市は、外壁沿いに多くの稜堡や砲台を有し、複雑な多角形が組み合わさった星のような形をしている。オーリウムの有力な自由都市は、多かれ少なかれこの手の縄張りを採用しているのだが。
特にミトーニアの場合、中央平原が古くからたびたび戦場となってきたため、市民たちは過去に幾度となく市壁を拡張し、周囲に堀まで造るという念の入れようだ。
深く水を湛える堀をやや遠巻きにして、ミトーニアの厳重な防衛陣と対峙するのは、エクター・ギルドのアルマ・ヴィオ部隊である。
陸戦型と汎用型が半々程度、合計6、70体が街を包囲している。議会軍でいえば2個大隊前後の軍勢にすぎないが、何しろ繰士の一人一人が手練の傭兵や賞金稼ぎであるため、実質的には数倍の戦力にも匹敵するだろう。
そのうちの1体、鋼色の狼リュコスが、にわかにうなり声をあげた。
それを皮切りにして他のアルマ・ヴィオも異変に気づき始める。とりわけ陸戦型は、野獣を模しているだけあってか、汎用型よりも感覚が鋭敏なのだ。
背後の闇の彼方に向かい、威嚇するように吠えたてる巨大な猛獣たち。
ミトーニアの街は轟音のごとき咆哮に揺さぶられ、緊張に包まれる。
突然、暗い平原から尾を引いて焔の玉が飛来する。
ギルド部隊の頭上に降り注ぐ炎は、地面に落ちた瞬間に辺りに燃え広がり、付近は火の海と化した。
――爆裂弾か!?
――甘い甘い。ギルドのエクターを議会軍と一緒にしてもらっちゃ困るぜ!
すかさず反撃に出る繰士たち。
百戦錬磨の戦士たちだけあって、今の不意打ちにも落ち着いて対処している。ほとんどの機体はMTシールドを張って爆風や炎をかわした。
なおも次々と襲来する炎。
その威力自体はさほどではないが、相手が暗闇の中に潜んでいるのに対し、猛火に照らされて丸見えのギルド部隊は不利だ。
――魔法弾の軌道からして、敵はあのあたりだな!
相手側の位置を巧みに判断し、正確に狙い打つギルドのアルマ・ヴィオ。
荒野の中で爆発が起こり、火の手が上がる。
さらに上空に向けて発射された魔法弾。それは目映い閃光を放ち、敵が隠れていると思われる場所を照らし出す。光の呪文を封じた照明弾だ。
リュコスやティグラーその他、高機動タイプの陸戦型が駆け出す。
同時に汎用型が援護射撃を行い、その進撃を支援する。
ギルド側の見事な反撃が成功するかに見えたそのとき……。
【続く】
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※2002年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み―第27話・前編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
地上に降りた天の騎士は
ゼフィロスの姿を得て、
大地を駆ける疾風(はやて)とならん。
◇ 第27話 ◇
1 「風のゼフィロス (一)」開始!
日付が変わり、その後さらに時計の針が朝に近づきつつある今も、ミトーニアの市庁舎では街の命運をかけた議論が交わされていた。
ただし出席者の大方は既にギルドとの和睦に傾いており、それに対して抗戦派が頑強な反論を続けているというのが実情であったが。
「目先のことばかりにとらわれていては、将来取り返しの付かぬ結果を招くということが、まだ分かっておらぬようですな! 冷静に考えてみられよ。仮にナッソス家がギルドに敗れたとしても――その後、反乱軍が議会軍に勝利したらどうなる? いや、反乱軍に勝ったところで、あのガノリス連合軍ですら敵わなかった帝国軍に、オーリウムが勝てると思うのか?」
徹底抗戦を主張するアール副市長は、もはや苛立ちを隠そうとはしなかった。長い顎と、その先で細く刈り込まれた髭。鷲鼻。白目の部分が大きく、鋭い目。日頃から厳格そのもののアールが、いつにも増して表情を険しくする。
彼の発言が終わったとき、出席者の間に微妙な空気が流れ、低いざわめきが生じた。あからさまな批判はすぐには飛び出さず、そのくせ皆が、承服しかねるといった顔で口を濁しているのだ。
というのも、アール副市長の意見自体は正しいからだった。ナッソス家が倒れても反乱軍が議会軍に立ちはだかり、さらに反乱軍が敗れてもいずれ帝国軍が議会軍を破る――それが自明のことだからこそ、ミトーニアはナッソス家に味方したのだ。いや、味方せざるを得なかったのである。
しかしエクター・ギルドがナッソス家を攻めることや、その攻撃をあれほど迅速かつ整然と行う能力がギルド側にあったということ、ましてギルドが勝利する可能性もあることなど、ミトーニア市にとっては計算外であったろう。
所詮ギルドも、議会軍と共にいずれ帝国軍に敗れる公算が大きい。しかし問題はもっと間近な状況のことなのだ。夜明けまでに《降伏》しなければ、街に対して攻撃が加えられることになる。そしてギルドの《無頼の漢》たちとの戦いになったとすれば、容赦ない殺戮や略奪が行われるであろうと、市民たちは本気で信じている。いくら帝国軍の未来の勝利が確実でも、明日に自分たちの命を奪われてしまっては意味が無い。
苦渋する市の有力者たちに、アール副市長は追い討ちをかける。
「いずれにせよ議会軍に最終的な勝利はあり得ない。そのとき議会軍に《寝返った》ミトーニア市はどうなる。それこそ何もかも終わりではないか?」
言われずとも分かっていることを、歯に衣着せぬ言葉で突きつけられるのは、決して心地良いものではない。不機嫌そうに腕組みしたり、溜息を付いたりして、その場をやり過ごす面々。
息苦しい沈黙を破り、開き直った――あるいは現実的な――発言を始めたのはもう1人の副市長ロランであった。
「ですからアール殿。貴殿のおっしゃることはもっともだが、ここで街が壊滅しては、それこそ全てが終わってしまいます。我々とて耐え難きを耐えているのです。たとえ節操無く強い者に従うようであっても、この戦乱の時代、そういう立ち回り方も必要なのだとお解かりでしょうに……」
ふっくらした顔に落ち着いた気色を浮かべ、彼はアールをなだめる。
温厚で柔軟な発想をもつロランと情熱的で毅然とした行動力をもつアールという2人の副市長が、それぞれの個性を生かして市長を助け、ミトーニアを支えてきたのだ。
アールは謹厳実直な法律家として知られていたせいか、商人のロランのごとき処世術的な態度を毛嫌いし、理屈の上で筋を通すことに重きを置く傾向をもっていた。それにもかかわらず2人が衝突しなかったのは、ひとえに温和かつ世渡りにも長けたロランの妥協のおかげであった。
2 抗戦派の反逆! 内紛が新たな内紛を…
そのとき、これまで議論にじっと耳を傾けていたシュリス市長が、強引とも思われるかたちで口を開いた。
「時に諸君、ほぼ全体の意見も固まってきているとみえる……。このままでは埒が明かない。もう半時ほどしたら採決を行うべきだと私は考えるが」
「何を無茶な? 市長、まだ時間はありますぞ!」
露骨に顔をしかめたアールが、机を叩いて立ち上がった。
「いや、そうとは言い切れまい……」
重々しい声で市長が答える。
他の者たちも、多くは賛同を示すような目線で市長を見ている。
日が昇るまでにまだ時間はあるはずなのだが、冷静な市長がこれほど結論を急ぐことには理由があった。彼を含め、市の要人たちの大半は、ギルド側が攻撃開始の時刻を守ると必ずしも信じていないためだ。
「残念だが戦争というのは、建て前通りに行われるとは限らない。結局のところ勝つか負けるかの殺し合いなのだからな。しかも相手は――カルダイン自らが言ったように、仕来たりや秩序に縛られた正規の軍隊ではない」
市長は切々と述べながら、皆の表情を見渡した。
実際、この手の攻囲戦は攻守両方の化かし合いでもある。かつての騎士同士の戦いならともかく、嘘の停戦期限を設けて相手を油断させ、その隙に奇襲をかけることも最近ではあり得るという。さすがに正規軍がそんなことをするはずはなかろうが、ミトーニアを包囲するエクター・ギルドは、言ってみれば金で雇われ、勝つことを商売として追求する私的な傭兵集団なのだ。
「やむを得ませんな」
ロランも市長の言葉にうなずく。それどころか、今すぐ採決をという声が出席者の間で飛び交い始めた。
高々と《講和》の声が上がる中、市長がその場を鎮めようとしたとき……。
隣に居たアール副市長がシュリスの背後に回り、懐から何かを取り出した。
「やむを得ない? それはこちらの台詞だ、ロラン」
それを合図にしたかのごとく、議場の扉が押し開かれ、十数名の兵士たちがなだれ込んでくる。彼らは小銃を構えて市の要人たちを取り囲んだ。
「諸君、お静かに願おう! 一歩でも動くと怪我をすることになるぞ」
市長に拳銃を突きつけ、アールが叫んだ。
「アール君、何の真似だ? 君は自分のしていることが分かっているのか!」
身動きを封じられたシュリスは、首だけを動かし、痛恨の眼差しで副市長を見据える。
「えぇ。全てはミトーニアのためです。あなた方の日和見主義にはうんざりしました。我々はギルドと最後まで戦います」
勝ち誇ったように、あるいは半ば投げやりにも聞こえるアールの返事。
何人かの出席者も彼と通じていたようだ。その1人、市民軍の指揮官も銃を抜き、周囲を威嚇しつつ市長に告げる。
「こちらの徹底抗戦の姿勢を知れば、ナッソス軍も我々に同調するはずです。油断しているギルドの飛空艦に夜襲をかけ、混乱に乗じて地上の敵も一気に叩く……。市長、どうか考え直してください。帝国軍も数日中には到着するでしょう。その間だけでも持ちこたえられれば、我々の勝利です」
だがシュリス市長は、普段は表に出さぬ怒りもあらわに言った。
「神帝ゼノフォスの侵略にさらされ、力を合わせねばならぬときに、王国では内乱――そして今度はミトーニアの中でも、暴力で自分たちの言い分を押し通そうとする者たちがいたとはな。全く愚かな……」
3 ナッソス家の秘密兵器? 黒き光弾の竜
◇ ◇
ナッソス城の地下――カンテラの明かりに照らされ、奇妙な姿のアルマ・ヴィオが浮かび上がる。
闇に溶け込む漆黒の機体……。さらに同型のものが1体。
すらりと流れるような、それでいて圧倒的な強靭さを見せつける4本の脚から察するに、恐らく高機動タイプの陸戦型には違いない。
だが、その種のアルマ・ヴィオの大半が獣の姿(狼や獅子、あるいは鹿や馬など)を模しているのに対し、目の前にそびえる2体の外貌は爬虫類を連想させる。強いて言えば、首の長い肉食恐竜という印象だ。
体側には翼らしきものまで生えている。ただ、空を飛ぶには小さすぎる感があった。だとすれば、一体何のための器官なのだろうか。
背中に装備されたMgSが鈍い光を放っている。通常の倍近くある長大な砲身からして、対地用の長射程タイプであろう。これほどの代物ならば、当たりどころによっては重アルマ・ヴィオを一撃で仕留めることさえあり得る。
この不思議な機体に向かって灯火をかざす、2人の中年紳士がいた。
両名とも暗色系のフロックの上にエクターケープを羽織っている。片やナッソス家の精鋭《四人衆》の一人、シャノンの父・ザックス。他方は同じく四人衆のパリスである。
「旧世界のアルマ・ヴィオ、《レプトリア》……。こいつの活躍にうってつけの場面が与えられたというわけか。しかも思ったより早い段階で」
ザックスの言葉、特に《旧世界の》という部分には、ある種の感慨が込められていた。エクターなら誰しも、いにしえの世の優れたアルマ・ヴィオで一度は戦ってみたいと思うものだ。
鋭い切れ長の目でレプトリアを見上げながら、パリスもつぶやく。
「そうだな。タロス共和国で発掘されたこの機体を、わざわざ裏のルートを使って持ち込ませたかいがあった。その点ではミトーニアの商人たちの口利きに感謝せねばならん。だが彼らは、今頃になってギルドに降伏しようなどと。市長のシュリスを筆頭に――臆病風にでも吹かれたか」
「仕方あるまい。アルマ・ヴィオといえども、商人たちにとっては単なる商品だ。肉や酒と同じようにな……。兵器の調達までは手を貸してくれるだろうが、そこから先は彼らの領分ではない。戦うのは俺たちの仕事だ。それにしても、アール副市長のような男がいて我々には幸いだった。これでギルドの裏をかくことができるというものだ」
苦笑いするザックス。
彼の言葉に頷きながら、パリスはアルマ・ヴィオの外装を軽く叩いた。
「それで乗り心地は――感触は上々だったろう、ザックス兄貴? 最高速度においては《レオネス》に一歩譲るものの、敏捷性や瞬発力ではこの機体の方が明らかに上回っている」
「その話、あながち間違いでもなさそうだな。実際、以前にレオネスに乗ったこともあるが、こいつほど機敏な反応速度は感じなかった。このスピードなら、普通の陸戦型などは追い着くことすらできんだろう」
「いや、速さだけではなく、さらに凄い装備もある。旧世界の技術というのはまったく我々の常識を超えるものだ。ギルドの奴ら、きっと震え上がるぞ」
パリスは意味ありげに笑った。
4 闇夜に舞う竜騎士、空中竜機兵団
「そうだな。この難局をうまく乗り切り、《帝国軍》の到着まで持ちこたえられればよいのだが。ではそろそろ俺たちも出るか、パリス。しかし……」
「しかし、何だ?」
そう尋ねるパリスは、ザックスの思いを既に理解しているようだったが。
ザックスもそれを知りつつ敢えて答えた。
「そう。カセリナお嬢様のことだ。このような危険な作戦にお嬢様を関わらせるとは――誰もお引止めすることができなかったのか?」
「そいつは無理な相談だ。殿のおっしゃることにさえカセリナ様は従おうとしないのだから。それにカセリナ様は、この数年の間に恐ろしいほど上達された。正直な話、もう俺もお嬢様には勝てない。しかもお嬢様の機体は《イーヴァ》だからな。旧世界のアルマ・ヴィオの中でもあれは別格だ。皮肉なことだが、カセリナお嬢様とイーヴァは今やナッソス家で最強の戦力なのだ」
最初は半信半疑で聞いていたザックスも、パリスがあまりに真顔なので最後には納得したらしい。溜息まじりにザックスは頷く。
「そうか。お前の腕は俺が一番良く知っている。それ以上とは――まるで戦いの女神のようだな。まったく、困ったお嬢様だよ。俺たちはせいぜいカセリナ様の楯となって、力の限りお守りするしかあるまい。しかし殿も複雑なお気持ちでいらっしゃることだろう。娘を持つ親として、俺にも少しは分かる……」
カセリナの姿に己の娘を重ねあわせ、彼の気持ちは家族のもとへと向かっていた。
――シャノン、待っていろよ。この戦いさえ終われば、俺も本当にエクター引退だ。今度こそお前たちとずっと一緒にいられるからな。
最愛の娘の顔を思い浮かべて、彼は心の中でつぶやく。
自分の家族に降りかかった惨劇のことを、ザックスがまだ知る由もなかった。
◇ ◇
同じ頃、真っ暗な夜空を流星のように横切る一群があった。
巨大な鳥のごとき、翼を持った何かが整然と隊列を組んで飛行する。
否、《鳥》ではない。《飛竜》だ。
その上には、鎧に身を固めた《騎士》が――アルマ・ヴィオが乗っていた。魔法金属の甲冑をまとい、MTシールドを張り、MTランスを構えて。その勇壮たる光景は、伝説の竜騎士(ドラゴン・ライダー)たちを髣髴とさせる。
火を吐く大空の竜は、飛行型重アルマ・ヴィオ《ディノプトラス》。
そして《竜騎士》たちの中でも、ひときわ凛々しい機体は……。
戦乙女を思わせる、美しくも勇ましい聖戦士。
その姿を体現した伝説のアルマ・ヴィオ――カセリナの《イーヴァ》だ。
ミトーニアにおける抗戦派の蜂起。その好機を得て、ナッソス軍はギルド側の隙を突く大規模な奇襲作戦に出た。
夜の闇の中、ナッソス家の切り札《空中竜機兵団》がギルド飛空艦隊に迫る。
そして時を同じくして、超高速陸戦型アルマ・ヴィオ《レプトリア》の恐るべき牙が、ギルドの地上部隊の背後に忍び寄っていた。
だがルキアンたちは、まだその事実を知らない。
5 飛空艦の「目」、鏡手・ヴェンデイル
◇ ◇
まもなく午前3時になろうとしていた。窓の外では、やがて日が昇るであろう地平の彼方までも、まだ全てを闇が包んでいる。
対照的に煌々と明るい灯火の下。
懐中時計の蓋を開け閉めする音が、おもむろに二、三回。
それに続いて品の良いささやき声が聞こえた。
「おや、まだ起きていたのですか……。今日は本当に疲れたでしょうに」
艦橋の隅にルキアンの姿を見て取り、クレヴィスは仕方なさそうに微笑んだ。
「あ、いえ、その」
向こうの方から少年の言葉が途切れ途切れに伝わってくる。
深夜の静寂に戦場の緊張感が加わり、いつになく静まり返ったブリッジだが、それでもルキアンのか細い声は必ずしも聞き取りやすくはなかった。
「ぼ、僕のことは。それよりクレヴィスさん――それに皆さんも、全然お休みになってないんじゃないですか? 僕は昨日もおとといも沢山寝ていますから、徹夜しても平気です。だから何かお手伝いできないかと、その――思って」
呆れたような笑顔のまま、クレヴィスはルキアンを眺めている。
副長の代わりにヴェンデイルが応えた。
「大丈夫。そんなに気を使わなくていいよ。戦いに夜も昼もないし、夜更かしなんか慣れっこさ。俺たち、一応、これでメシ食ってるわけだから」
だが威勢良くそう言った途端、ヴェンデイルは生あくびしそうになり、慌てて眠気を噛み殺す。
その様子に見て見ぬふりをしようにも、すでに口元を緩めてしまっているルキアン。彼とヴェンデイルの視線がぶつかる。お互いに苦笑いしているのが分かった。さらに吹き出す2人。
クレヴィスがルキアンに歩み寄り、彼の華奢な肩に手を置いた。
「いくら《戦士》であろうと、眠気にはなかなか勝てないものですよ。特にネレイの本部を発ってからというもの、ヴェンはろくに眠っていないのです。私たちの場合とは違って、特殊な技能を要する《鏡手》には代役が立て難いですからね。昼間ならともかく夜間の暗視は素人には無理です。まぁ、玄人でも――彼の代理を務められるほど腕の良い鏡手など、議会軍や国王軍にも滅多にいないでしょうが」
「でもって、今晩も徹夜だよ。戦いが終わったら一週間ぐらいゴロ寝してやるからな」
愚痴を言いながらもヴェンデイルは機嫌が良さそうであった。あのクレヴィスに当てにされているということが、彼なりに少し嬉しかったのかもしれない。
ヴェンデイルは複眼鏡の《スコープ・ギア》――ヘルメットのように頭から被って装着するモニタ機材――を脱ぐと、ほっと溜息を付いた。
鉄兜のごとき、旧世界の不可思議な装備がサイドテーブルに転がされる。沢山のケーブルがそこから床に向けて垂れ下がっている。
「ここ数日ずっと《普通の月》のままだし、しかも今晩は満月だから見張りもいくらか楽なんだけどさ。でも少し疲れたよ。一瞬、休んでいいかい?」
ヴェンデイルは後ろで束ねた髪をいったん解き、黒い細帯で小器用に結え直した。こうしてみると、小柄だがなかなか垢抜けた雰囲気のある優男だ。
6 凶兆?――二つの月が輝く伝説の日
「あの。やっぱり《青い月》の晩は、暗いから視界が狭くなるんですか?」
興味深げに尋ねるルキアンに、ヴェンディルはさも当然だと言わんばかりの表情で、何度も大げさに頷いた。
「そりゃそうさ。この前にコルダーユからネレイに飛んだときは、もう最悪。よりによって真っ暗な青い月の夜にさぁ、難所のパルジナス山脈を越えようだなんて、誰かさんが言い出すもんだから」
その強引な航路を選ばせた張本人・クレヴィスは、申し訳なさそうに笑っている。
「まぁ、私は何とかなると思っていましたよ。あなたの《目》とカムレスの舵捌きを信じていましたからね。もしあのとき無難にパルジナスを迂回していたなら、今頃になってやっとネレイに着いていたと思います。あるいは道すがら、そこかしこの反乱軍に邪魔されて、まだ到着できてさえいなかったかもしれません。それでは遅すぎたでしょう」
「分かってる、分かってる。だけどあのときは生きた心地がしなかった。クレヴィーってさ、慎重そうな顔してときどき大博打を打つから怖いよ。今度はもう、俺は絶対お断り!」
ヴェンデイルとクレヴィスのやり取りに、クルーたちの笑い声が漂う。
――月か……。
ルキアンはあることを思い出した。
分厚い防弾硝子の向こうに浮かぶ、いつもの黄色い月。
それを独りで見つめていた少年は、振り返ってクレヴィスに言う。
「そういえば、占星術の講義のときに先生から習ったんですけど――今年はあれですよね、その、2つの月が一緒に出る日」
「その通り。よく知っていますね、ルキアン君。さすがはラシィエン導師のお弟子さんです。まだ厳密な日時は分からないのですが、天文学者たちの計算によれば、今年中に起こるのは間違いありません。現し世の月《セレス》と、青い月――この世ならぬ世界を象徴する月《ルーノ》とが同時に空に浮かぶ……」
「え? ちょっと待って。冗談だろ!? 月が2つも出るなんてバカな話が」
占星術師や天文学者の間では比較的知られていることだが、門外漢のヴェンデイルにとっては、いわばそれは太陽が西から昇るようなものだ。
勿論、驚いたのは彼だけではない。艦橋の至る所からざわめきが生じる。
「おや、どなたもご存じないとは意外ですね」
クレヴィスは皆をなだめるように説明し始める。彼は上着の内ポケットから分厚い手帳を取り出し、革表紙の留め金を外した。
大呪文を使うときには、自然の精霊の力だけではなく天体の位置の影響も考慮に入れなければならない。そのため魔道士の中には、クレヴィスの手帳に書き込まれているような――精密な星の運行表を持ち歩いている者もみられる。もっとも、それほど高度な呪文を操ることのできる魔道士に限られるが……。
「まぁ、無理もありませんか。過去に一度だけ起こったことがあるらしいのですが、何ぶんにも《前新陽暦時代》のことだったようですからね。正確な記録が残っていないのです。少なくともこの百年ほどの間は起こっていない現象ですよ」
呆気にとられた乗組員たちは、外の月を恐る恐る見つめていたかと思うと、今度は仲間と顔をつき合わせて首を傾げたりしている。
イリュシオーネの人々にとって、月や星などの天体は畏怖すべき神秘的存在である。したがって天体の異常な動きというのも――例えば月食や彗星の出現などがそうだが――世間ではただらぬ凶兆として受け止められることが少なくない。
【続く】
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※2002年1月~2月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み―第26話・後編
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10 旧世界人たちが救いを求めたものは…
「己のいたらない点を厳しく見つめ直し、素直に自分を変えていくことができるというのは、ルキアン君のとても優れた資質です。ただ、あなたはとても若いのですから、そんなに自分の過ちを責め過ぎるのもどうかと思いますよ。失敗するからこそ、人はそこから学ぶことができるのです。どうか、気づくのが遅すぎたなどとは考えないでくださいね」
シャリオは不意に笑ってみせた。
「ルキアン君にそんなことを言われては、わたくしなど立つ瀬がないですわ。偉そうに大神官の位をかかげていながらも、この歳になってやっと、自分を変えられることに気づき始めた程度なのですから」
こうしてシャリオが冗談混じりに微笑むたびに――そんなときの彼女の表情に、ルキアンはいつにも増して好感を覚える。謹厳な神官と落ち着いた大人の女性の雰囲気に混じって、どこか少女のような純朴さと可憐さが漂うのだ。崇高で、それでいて親しみやすい、アンバランスな表情……。
慈母のような暖かさでシャリオは告げる。
「少し文脈は違いますが、ネレイの街でも似たようなことをあなたと話しましたね。ルキアン君は、こう言いました――本当は《答え》など最初からどこにも《ない》かもしれないのに、自分たちはそれを認めるのが怖いのではないか、と。覚えていますね?」
あの晩、ネレイの街でシャリオと語り合ったのは、ほんの数日前のことだ。
にもかかわらず、毎日があまりに目まぐるしく移ろいすぎて……。ルキアンにとっては、遠い過去の出来事のように感じられた。
「そうです。シャリオさんのあのときの言葉、もっとちゃんと心に刻んでおくべきでした。《答え》が《ない》とは言い切れないけれど、《ある》とも言い切れない。というか、人生の真理みたいなものを明らかにすることは、それ自体、僕らの力を越えた行いなんだと……。だから結局は答えを《見つける》のではなく、自分で《考え出す》しかない。そして、ただ主観で思いついただけのものを信じるなんて難しいから、人はそれに自分なりの《意味》を与えることによって、信じ抜こうと試みるのだと。でも、それは旧世界人のような振る舞いだと、シャリオさんはおっしゃいましたね。僕にはその意味が分かりませんでした。ですが……」
「そう。私のちょっとした謎かけの答えが、あなたには分かってきたようですね。正しい《答え》が分からないということは、私たちの行動に付きまとう大前提なのです。そして、この不条理な前提にもかかわらず、人は生きるために決断していかなければなりません。それは、明かりも持たずに暗い道を行くがごときものです。だからこそ――この世の理を完全には見極められないからこそ、人は信仰に救いを求めるのです。これはあくまで、神に仕える者としての見解ですが。しかし旧世界人の多くは、本心では神を信じていなかったといいます。それゆえ《信仰》の対象を何か別のものに求めるしかなかったのです。ある人にとってそれは愛であり、また違う人にとっては思想であり、あるいは富であり、力でした。しかし、果たして彼らは救われたのでしょうか?」
《救われたのだろうか?》
ルキアンの脳裏をよぎったのは、あの破滅的な戦争の幻だった。
大地に降り注ぐいかずちの雨。
――天空人による衛星軌道上からの無差別攻撃は、地上界を死の世界
に変え、数え切れないほどの地上人を殺戮した。
輝く炎の翼を持った真紅の巨人。
――地上人の反撃、エインザールの赤いアルマ・ヴィオは、天空植民
市を次々と破壊し、無数の天空人たちを果てしない闇の空間に葬った。
ルキアン自身は、あれが天空人と地上人の最終戦争、後に地上人たちの言う《解放戦争》であることを知らない。そしてあの無限に続く、星をちりばめた《闇の空》と、そこに浮かぶ巨大な《青い球体》が何なのかも、彼の理解を超えている。
――救われてなんかない! もし救われたというのなら、ただひとつ、旧世界は自分たちの歴史を終わらせることでしか、苦しみから解放されなかったのかもしれない。でも、そんなの悲しすぎるよ……。
11 主観的な「正義」が争い合う世界…
シャリオの声がルキアンを現実に連れ戻した。
「地を這う虫の見ている世界は、私たち人間の見ている世界よりもずっと単純で狭い。しかしそのことが分かるのは、私たちが虫ではなく人間だからです。きっと虫たちには分からないでしょう。彼らにとっては自分たちの見ている世界が全てなのですから。それと同じです。人間のすることなど、人間の尺度では完全に測れるものではありません。私たちの行いが本当に正しいか否かは、さらなる高みから世界を見ることのできる存在のみが、ただ神のみがご存知なのです」
神――ルキアンが当然のように思い浮かべたのはあの女神だった。
翼を持った魔法神、そして月の女神、闇の中の光、セラス。
イリュシオーネの神々のうち、どのような神をどの程度まで信じるかは人それぞれだが、ルキアンも常人並みの信仰は持っていた。
信じている。しかし神は答えないようにみえる。
あの記憶。
夜の暗闇の中でセラスの石像にすがりついたとき、ルキアンの現実の中にあったのは、象牙色をした石の肌の、酷薄なまでの冷たさだけだった。
「それでも僕たちは生きるために、正しいと思うことを選び取っていかなきゃならないですよね。辛いです。自分が正しいと確信できないのに、それでも疑心暗鬼のまま、少しでも間違っていなさそうな方へと進んでいかなければならない。でもわかんないんですよね、分かれ道に立っている時には、まだ。その先が行き止まりかもしれないし、迷路かもしれないのに。それでも道を信じるしかないなんて。でも自分が正しいって信じなきゃ、やりきれないかも」
「そう。やりきれない。人はそんなに強くはありませんから。そんなやりきれなさ、不安定で寄る辺のない生の苦痛を少しでも和らげるためには、ただ、自分のした選択が正しいのだと信じるしかありません……。しかし往々にして人は、己の心の苦痛を少しでも軽くしようとするあまり、自分の選んだ答えが絶対に正しいのだと盲信し、極端な自己正当化を行いがちになるものです。その結果は、どうでしょうか?」
突然、ルキアンの顔から血の気が引いた。
それを前にしてシャリオはうなずく。
「例えば、いかに正しい動機から出た行動であろうとも、自らの正義が絶対だと盲信してしまったとき、それは歯止めを失って暴走する危険があります。そのとき人は、自らの正義の名の下に別の正義を否定するため、あらゆる手段を用いることを正当化して疑わないようになってしまいます。善対悪の戦場であるというよりは、むしろ無数の主観的な《善》が――それぞれの信じるものがぶつかり合うのがこの世界だから、それゆえ人間の争いはいっそう激しく、残酷で、終わりがない……」
12 紅蓮の闇の翼とエインザールの願い?
シャリオの言葉はルキアンの心を貫き、その奥底にまで響き渡った。
――僕はあのならず者たちと戦ったとき、たとえ一瞬であろうと、彼らを全て殺すべきなのは当然だと思ってしまった。優しい人が優しいままでいられる世界のためなら、それを妨げる悪い奴らをすべてこの世から消してしまうことも許される、と恐ろしいことを考えてしまった。でもおかしいよ。シャリオさんの言う通りだ……。
赤いアルマ・ヴィオの幻夢が鮮明に蘇る。
鳳凰の翼のごとく空に広がる、あの鮮血のような毒々しい炎を背負い、真紅の甲冑をまとった巨人が――クレヴィスの話によって知ることになった、恐らくは《紅蓮の闇の翼》、エインザールの赤いアルマ・ヴィオの姿が。
理由も分からず、虚無のこもった涙が目に溜まる。
ルキアンは呆然と言う。
「何となく、でも確かに感じたんです。古の時代にアルフェリオンで戦った人だって――多分それがエインザールという人なのだとは、後でクレヴィスさんに聞いて知ったのですが――そのエインザール博士だって、本当は優しい人が優しいままでいられる世界を作りたかっただけなんだと思います。小さな安らぎを守りたかっただけなんだ、って。でも憎しみに心を奪われて……」
今までの苦悩の表情を必死に拭い去ろうとするように、ルキアンは顔を歪め、引きつらせ、それでも渾身の笑みを浮かべた。
「だけど僕は信じることにしました。僕は最初、あの赤いアルマ・ヴィオの幻から、単に凄まじい憎悪しか感じませんでした。でも次第に、戦いが終わってから気づき始めたんです。憎しみ以上に深い哀しみに。あの獰猛さと残酷さの背後に隠れた、痛々しいほどの諦めの気持ちに……。そして《願い》にも」
「願い――ですか?」
「えぇ。ただ、僕お得意の思い込みかもしれませんが。でも思い込みでもいい、信じたいんです。エインザールは、自分の犯してしまった過ちが二度と繰り返されることがないようにと、最後に祈ったんじゃないかって。そして今度こそ、自分が真に望んでいたようなかたちで、アルフェリオンの力を役立てて欲しいと――その思いを僕たちの時代に託したんじゃないかと思うんです。もしかしたらアルフェリオンは、旧世界を滅ぼした邪悪なアルマ・ヴィオかもしれません。だけど世界を終わらせたいなんて、本当は誰も望んではいなかったはずです!」
長い沈黙の後、シャリオはポットを手に取り、おもむろに立ち上がった。
「よろしかったらもう一杯いかがですか? それにしても、あなたは不思議なことを言いますね。まるでエインザールという人のことをよく知っているみたいに」
ルキアンは顎を押さえ、具合が悪そうにうつむく。そして苦笑した。
「変――ですよね。でも直感というか、どう説明したらいいのかよく分からないんですけど、確かに感じることがあるんです。何ていうのかな、僕と似たような《におい》がするというか……」
「そうですか。エインザール博士がどんな思いで天空人と戦ったのか、私には分からないにせよ、あなたの信じていることが本当であるよう願いたいものですね。いいえ、結局のところ全てはあなた次第かもしれません、ルキアン君」
大切なものを慈しむように、シャリオは少年の肩に優しく手を置いた。
「たとえどれほど邪悪なものと戦うためであろうと、憎しみの心で剣を振るえば、その刃は沢山の罪無き人々を巻き込み、最後には自分自身をも傷つけるでしょう。だからルキアン君、決して憎悪に負けないで――そう、自分に負けないでください……」
13 戦いの果て―予言詩の暗示する結末?
◇ ◇
昼なお暗い底無しの樹海。
目の前を霧が流れていくたびに、妙な震えを感じる。
異様なまでの静寂の中、霊的な力を帯びた森の気が、ひんやりと肌に絡み付いてくる。
この世であってこの世でないような、外界全てから隔絶された世界。
一面に漂う濃い緑の匂いは、肺臓にまで染み渡るかのようだ。
かき分けるのも困難なほど繁茂した木々の間、忽然と開けた空間があった。
下草と落葉に埋もれた地面の至るところに、微かな水流が走っている。地表の所々に濡れて光るものも見える。明らかに人の手によって磨かれたであろう、平らな大理石の床面が露出していた。
虫食い状に並ぶ石碑の群のごときものは、すでに崩壊して久しい壁の跡だ。場所によっては相当な高さでそびえている。
折り重なって倒れている巨大な石柱。おびただしいツタがその上を覆う。
散らばる白い石の破片。
時の止まったような空間の奥に、いくぶん倒壊を免れた壁がぽつんと残っていた。長い年月を経て色褪せた壁画が見える。そこに表現されているのは、意味不明であると同時に、いかにも何かを暗示するかのような様相だ。
よく似た2人の若い女性が描かれている。
どちらも真っ直ぐに立ち、胸元で両手を重ね、天上を仰ぎ見ていた。全く同じ格好だが、鏡に写った像のごとく左右反対だった。一方は純白の長衣を身に着けており、太陽を模した紋章を頭上に従える。他方は三日月の紋章を伴い、漆黒の長衣をまとう。
他にも4人の人物の姿があった。色落ちが激しく、皆、顔つきはおろか性別すら判別し難いが。彼らもまた、それぞれ不可思議な紋章と共に描かれている――燃え盛る炎、サラサラと流れ落ちる砂、水滴、そして竜巻のような渦。
以上の6人は規則的に並んでいた。よく見ると、消えかかった線で六角形が印されており、その6つの頂点に各人が位置する構図である。
最初の2人の女が見上げている先には、雲間に漂う人のようなものが居る。その数は4人。翼を持っているわけではないにせよ、どことなく天使を思わせる一群だった。
さらに上の方にも何か描かれていたようだが、壁面が剥げ落ちているため、もはや確かめることはできない。
壁画の下に古典語で次のように書かれている。神官か魔道士の手によるものか、あるいは旧世界の人間によるものだろうか。
最も恐るべき真の敵が、
我らの手の及ばぬところに居るかもしれぬ。
それゆえ、恐らく我々の勝利は虚しく、
むしろ破滅を意味するであろう。
続きの文章は消えてしまっている。数行下に至って、再び読むことのできる文章が現れた。
光の……をもつ御子が戒めを解き放つとき、
御使いたちは星を一所に導き始めるであろう。
だが人馬は目覚め……たとえ業火がその身を焼き尽くそうとも、
勝利は一時のものでしかない。
やがて日は落ち、力を欠いた御使いたちの苦しみが続く。
痛ましき戦いの果てに、彼らは真の敵の姿に恐怖するであろう。
そのとき世界は無に帰し、新たな偽りの時代が幕を開ける。
心せよ。我々の最後の救いは、閉ざされた……の並びにある。
すなわち……。
14 遠き過去に届け、風の少年の思い
それ以降の部分、最後の一行は、壁面の風化によって全く判読できない。
歴史に忘れ去られ、時の止まったような場所。
この建物がこうしてうち捨てられてから、どれほどの時間が流れたのであろうか。そもそも何のために建てられたのだろうか。
不意に木々の間を風が吹き抜けた。
降ってわいたかのごとく、廃墟の中央に何者かが姿を現す。
淡い空色の髪をもつ、神々しいまでに美しい少年。
あのテュフォンだ。
彼が優雅に歩むと、後に続いてそよ風が巻き起こり、周囲の草花を揺らす。その様子は、植物までもが彼の秀麗な姿を讃えているように見える。
「久しぶりだね。また来たよ」
話す相手など居ないはずなのに、彼は穏やかにつぶやいた。
声は幼げだが、話し方は落ち着き払っており、ある種の威厳すら感じさせる。
次の瞬間、テュフォンは奥の壁の手前に立っていた。
彼は例の壁画に手を触れ、撫でるように指を動かす。
「信じられなかったけれど、本当だった……」
今まで微かな笑みを浮かべていたテュフォンが、表情を曇らせた。
「あのとき僕たちは負けたんだね。負けたということさえ、僕には分からなかった。目が覚めたら誰も居ないし――地上の何もかもが全く違うものに変わっていて、状況を把握するのにずいぶん時間がかかった」
彼は壁に頬を寄せ、目を閉じる。
「みんな待っていたんだよ。あなたが絶対に勝つと信じて。いや、確かに勝ったはずだよね。それなのに、どうして?」
しばし静寂の時が流れた。
壁に溜まった埃を静かに払い落とすと、テュフォンは元のように柔和な笑みをたたえた。
「悪いことばかりでもないよ。カリオスは前と比べ物にならないくらい、強くなってきたし。今も過去の中で生きているようだけど、そのうち元気になってくれると信じている。もう少し、気が済むまで好きなようにやらせてみるよ。それで、実は僕、楽しみにしているんだ。カリオスがいつ笑顔を取り戻してくれるか……。結構近い将来かもしれないね。僕が手を貸すのは、それからでも十分かな」
テュフォンは一輪の花を壁に添える。鬱蒼とした森に違和感なく溶け込みそうな、神秘的な青の花だ。
「問題は他のマスターのことだね。特にリューヌの――早く《あなたの代わりのマスター》が見つかればいいのに。でもあなたの代わりになれる人間なんて、どこにも居ないと思う……。じゃあ、また来るから。さよなら、《博士》」
一陣の風と共に落ち葉が舞い散った。
気が付いたときには、テュフォンの姿はもうどこにも見当たらない。
いにしえの遺跡は再び静寂に包まれる。
【第27話に続く】
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※2001年12月~2002年1月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み―第26話・中編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
5 心の奥で光と同居する、行き場のない闇
◇ ◆ ◇
腹の底まで響く遠吠えとともに、切り裂かれる焔。
あたかも火炎をまとっているかのごとく、角を持った獅子が姿を現す。爆炎をものともせず、凄まじい形相で猛り狂うキマイロスだ。
魔法合金の装甲をも噛み砕くその顎には、首だけになったアラノスがくわえられている。牙の間から、鋼の潰れる音がなおも生々しく聞こえてくる。
一般に魔獣型のアルマ・ヴィオは気が荒いと言われるが、キマイロスは群を抜いて獰猛なのだ。戦いの中でも恐れなど微塵も表さず、むしろ狩りを楽しんでいるようにすらみえる。
それに比べてカリオス自身は平静だった。
一流のエクターは、ほとんど無我の境地でアルマ・ヴィオを操る。わずかな空気の動きすら逃さずに映し出す、澄み切った湖面のような心で……。
が、そんなカリオスの心の鏡に映ったものは、遠くて近い過去の光景だった。
彼の手の中に残っていた最後の安らぎが、消え去った日のこと。
その絶望が呼び起した哀しい奇跡――あの少年と出会った日のこと。
――償い切れないのは解っている。そんな俺が永久に癒されないことも承知している。しかし、俺がこうして生きている限り……生きて戦い、この世界を少しでも変えていくことができる限り……それは俺たちの勝利だ。そうだろう、キマイロス?
彼の思いを感じ取り、キマイロスも答えた。
夜の天上を揺るがし、大地の果てにまで届くような遠吠えで。
◇ ◆ ◇
「僕を憎まないの? 僕がもっと早く姿を現していたら、あなたは大切なものを失わずに済んだはずだから」
穏やかな口調で少年は言った。
しばらく押し黙った後、カリオスは忌々しげに首を振る。
「気休めなんていらない。何者かは知らないが、神でもあるまいし、思い上がるんじゃない。それに俺が君を恨むのは筋違いだろう。関係ない、君には関係ない。これは俺の問題、いや、戦いなんだ」
「関係、なくはないよ……。いつか分かる」
少年はいつの間にかカリオスの目の前にいた。時間を飛び越えたかのごとく。あるいはふわりと風に舞うように。
彼はカリオスの瞳を正面から見据えた。
全身を何か霊的なものが通り抜けていったような、異様な感覚がカリオスを襲う。
「本当は、あなたの心は闇に満たされている。でもあなたは優しいから、口では何と言おうと、現実には憎しみを誰かにぶつけたりはしない。だから行き場のない闇が、心の中で光と同居している……。その闇を僕にくれればいい。僕はずっと待っていたんだ。あなたのような人を。このアルマ・ヴィオにふさわしい人をね」
少年はにっこり笑って右手を高々と掲げた。
「戦うんでしょ? だったら、剣をあげる。全てを貫く天の獅子の牙を」
大気が揺らぎ、にわかに吹き始めた風に木々がざわめく。
いまだかつて感じたことの無い巨大な魔力のエネルギーに、カリオスは本能的に寒気を覚えた。
少年の周囲は白熱する光に包まれ、彼の姿はもはや見えない。
声だけが聞こえた。
「そして鎧をあげる。あなたの心は傷つき、血に染まっているから……。だけど誰もその声に答えてくれないから、苦しいけれど、自分で守るしかないものね。だから鎧をあげる……誰にも傷つけることのできない、あなたにふさわしい無敵の鎧をあげる」
閃光の渦の中で少年はささやいた。
「目覚めよ、キマイロス。そしてわが主のために戦え。僕はもう少し《外》から眺めていることにする」
少年の背後で得体の知れない獣の声が轟きわたった。
突然、大地が裂け、翼を持った巨獣が堂々とした威容を現す。
6 哀しみすら追いつけないほど、高く…
◇ ◆ ◇
無謀な抜け駆けを行ったアラノスを撃墜し、キマイロスは次の獲物に狙いを定めている。操るカリオスとも完全に同調しており、もはやどこにも隙がない。
残った2機のアラノスは思うように手出しすることができず、遠巻きに周囲を旋回しはじめる。
――君たちの動きなど、手に取るように分かる。キマイロスの耳が、目が……風の囁きさえも逃さない。俺自身の感覚として。
カリオスはキマイロスとの融合に心地良さすら覚えている。
己の体の一部のように……。
まるでカリオスのために作られたのではないかと思わせるほどに、完璧という言葉すら超えた一体感。
あの日の少年の言葉が、さらにカリオスの心に浮かんだ。
――翼が欲しいんだね。だったら、大空を鳥よりも速く飛ぶことのでき
る翼をあげる。哀しみすら追いつけないほど、高く高く飛べる翼をあなた
にあげる……。
アラノスの前からキマイロスが《消えた》。いや、そのように見えたのだ。
――何!?
瞬時にして敵の姿が視界から失せ、アラノスの操士は目を疑う。
一瞬、遥か頭上に影がちらつく。
さすがに最新鋭機アラノスのエクターだけあって、彼も少なくとも並大抵の腕前ではないのだ。
キマイロスの機影を察知して鋭くかわす。
間一髪のところで、アラノスの鼻先をキマイロスが突っ切る。
しかし、それはカリオスも読んでいた。わざと回避させたのだ。
地表に激突しそうな速度で降下したキマイロスが、鋭角的に反転して翼を広げた。強靭な山羊の脚があたかも空を蹴るように動く。重々しい機体が意外なほど素早く一回転し、急上昇する。宙を駆け登るかのように。
さきほどのアラノスを襲うかと見せて、カリオスはもう1機の背後を取った。
が、アラノスも驚異的な旋回性能を生かし、即座にキマイロスに向き直ると、至近距離からMgSを叩き込む。
風の精霊界の力によって、大気の渦がキマイロスを取り巻いた。目に見えない刃が無数に襲い掛かる。
――鎧をあげる。何者にも傷つけることのできない鎧をあげる……。
――無駄だ!!
カリオスの叫びに呼応して、キマイロスが鋭く吠えた。その声に吹き飛ばされるように、機体を取り巻いていた竜巻は一瞬でかき消される。
瞬間、付近一帯を膨大な魔力が走る。
まばゆい光が夜空に満ち、その輝きを宿らせたキマイロスの翼がアラノスを両断する。
――強すぎる。こんな恐ろしい奴が本当にいるとは!
最後の1機が不利を悟って逃げ出したとき、キマイロスの背中のMgSが火を噴いた。
勿論カリオスが狙いを外すはずはない。敵機は炎の尾を引いて落ちていく。
7 勇者三人! 主人公の出番がピンチ !?
――負けられないんだ。俺は常に勝たねばならない。そうすることでしか、俺は、俺は……。
カリオスは心の中でそう繰り返した後、いつもの平凡な声で念信を送った。
眼下で戦っているもうひとつの獅子、レオネスに向けて。
――久しぶりだな、クロワ。上の敵は私が片付けた。君の腕なら後は簡単だろう。
反乱軍の部隊と交戦を続けるクロワたち。彼ら皇獅子機装騎士団の活躍により、さしもの強力な重アルマ・ヴィオ《スクラベス》もひとまず撤退を始めている。
思わぬ相手からの念信に、クロワは声を弾ませた。
――カ、カリオス? 久しぶり、もうこっちに着いてたのか!! それより恩にきるぜ。アラノスは速いからな。下から落とすのはまず無理だ。
――やはり気づいていたか。さすがだな、クロワ。
カリオスとクロワ、そしてレーイ・ヴァルハートの3人は、実力を認め合う友であると同時に、競い合うライバルでもあるのだった。
――いや、なぁに、上から焼き鳥が落ちてきたから。それで分かったというワケさ。お前じゃあるまいし、背中や頭の上にまで目は付いてねぇよ。
――ご謙遜を。じゃあ、またな。どうせすぐ会えるだろう。
カリオスは静かに応えると、キマイロスの翼を羽ばたかせ、母艦ミンストラへと帰還していく。
◇ ◇
トビーの容体が気がかりで、ルキアンは夜半前に医務室を見舞った。
困難な手術を――正確には神聖魔法の儀式を――終えたばかりのシャリオが、部屋の隅の机で書類に目を通している。恐らくカルテのようなものだろうか。紙面に並ぶ丁寧で柔らかな文字に、彼女の人柄がよく現れている。
傍らの書棚には旧世界の書物が詰め込まれていた。古典語で書かれたそれらの文献は、つい先日までシャリオの机の上を埋め尽くしていたのだが、今は彼女も船医としての役目を果たさねばならない。古文書の解読はひとまず後回しというわけだ。
「あ、あの。もう、いいですか?」
邪魔をしないようにと遠慮しながら、ルキアンは小声で尋ねた。
彼に手を引かれ、メルカも一緒に入っていく。眠気も手伝ってか、むすっとした顔で彼女は熊のぬいぐるみを抱いていた。
――そうだね、いつもはもう寝てる時間だもんね。でも……。
メルカがこうして不機嫌な顔を見せているのは、ルキアンにとって、ある意味で嬉しいことだった。ネレイの街を発って以来、メルカは虚ろな目でふさぎこんだまま、喜怒哀楽の表情らしきものを持たなかったのだから。
――怒ってても泣いててもいい、感情が戻っているのなら。笑顔だって、いつかきっと。
反応が無いのを知りつつ、ルキアンはメルカの髪を撫でる。夜気を吸い込んだかのように、少しひんやりと冷たい感触だった。
白衣のフィスカがそっと駆け寄ってくる。本当は彼女も疲れているのだろうが、そんな様子は微塵も見せず、いつもの呑気な口調で言う。
「メールーカーちゃーん、今日はこっちの部屋で一緒に寝ましょうねぇ」
少しずつではあれ、フィスカには心を許しているのだろう――メルカは黙ってうなずいた。
「ほぉら、お人形がいっぱい。わたしの部屋ですぅ!」
向こうの方で調子外れなフィスカの声がする。それを耳にしながら、ルキアンはシャリオに一礼した。
「大丈夫。2人とも奥の病室で眠っていますわ。いま、お茶を入れますからね」
「あ、そんな、お構いなく」
「遠慮しないで。ささやかなお礼です。眠気が覚めるものと、眠気を妨げないものと、どちらがいいかしら」
そう言いながらもハーブの入った小瓶をいくつか開けて、シャリオは手早くポットに湯を注いでいた。
8 理想と犠牲―戦わないこと、戦うこと
ルキアンは、どちらかと言えば居心地の悪そうな様子で椅子に掛けている。
彼の気持ちを察してシャリオが告げた。
「あなたも、さぞや辛いことでしょう。でもルキアン君が手早い対応をしてくれたおかげで、トビー君の身体は元通りに回復しそうです。はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます。いい、香りですね……」
茶を一口含んだ後、ルキアンは答え難そうに応じる。
普段よりも妙にがらんとした雰囲気の医務室。
淡々としたシャリオの声だけが、部屋の空気を静かに揺るがせた。
「自分がギルドの船に乗っている人間だということが――つまりシャノンさんたちの敵だということが明らかになってしまうのも構わず、もしかしたら、ずっと憎まれることになるかもしれないのに、あなたは彼女たちをここに連れて来てくれましたね。誠実で堂々とした振る舞いだと、わたくしは思います」
「いえ、そんな。その……」
沈鬱な表情のまま、頬を朱に染めるルキアン。
何とも複雑な顔つきだ。彼は二の句が継げずに口ごもっている。
ルキアンを褒めるかのようにシャリオは優しくうなずく。だがその微笑みも長くは続かず、彼女は悲しげに目を伏せた。
「ただ、残念ですが――今のシャノンさんたちには、ルキアン君のことを冷静に受け入れるのは難しいと思います。それは分かってあげてください」
「そうですね。僕のことはいいんです。シャノンとトビーが早く元気になってくれさえすれば、僕はそれだけで……」
以前に朝食を取ったことのある簡素なテーブルに、ルキアンはティーカップを置いた。しばらく黙っていた後、空になった手を握り締める。
拳が震えた。いかなる心持ちによるものだろうか。
「仕方がなかったなんて、言いたくないのですが――あのとき僕は戦うしかありませんでした。でもどうせ戦うより他になかったのなら、なぜもっと早く戦わなかったのかと後悔しています。そうすればシャノンたちはあんな目に遭わずにすんだかもしれません。なのに、僕の決断が遅かったために……」
「そんなに自分を責めないで。ルキアン君は、最後まで暴力や流血を避けたかったのでしょう? 無闇に力に訴えることは、必ずしも勇敢な行為や正しい行為ではありません」
大げさに首を振って、ルキアンはシャリオの言葉を遮った。
「でも……。僕、今までの自分の考え方に疑問を感じています。分からなくなってきました。暴力によって争い、血を流し合うことは勿論いけないことです。だけど、どんなときにも最後まで戦いを拒否し続けるとしたら、誰かが犠牲になるのを黙って見過ごさなきゃいけない場合もあるんじゃないかって。ちょうど、僕がシャノンとトビーを守れなかったように」
ルキアンは自分が声のトーンを上げすぎたことに気づき、慌てて声をひそめる。そしてまた続けた。
「誰かの犠牲に見て見ぬふりをしてでも、それでも戦いは避けられれば避けた方が良いものでしょうか? さらなる争いを招かないために……。理不尽な暴力を野放しにしておくことになっても、それでも非暴力を貫いて穏便に済ます方が正しいんでしょうか? 多少の道理を曲げてでも。だけど、それが本当の《平和》だと言えるのかって、僕には――僕には分からなくなってきたんです。戦うのも戦わないのも、どっちも正しくて、どっちも正しくないような。どうなんでしょう?」
9 紋切り型の善悪観の限界と思考停止?
カップを手に、しばらく宙の一点を見つめていたシャリオ。
「そうですね、私自身の答えにはならないかもしれませんが……。イリュシオーネの神々は、人間たちが争うことを決して望んではおられません。しかし何の罪もない人が傷つけられ、不当に暴力によって虐げられているにもかかわらず、その横暴を行っている者たちが話し合いには全く耳を貸そうとしないとき、それを放置しておくことが神の御意志にかなうのか? これもまた私には肯定できません。それでは一体どうすれば、どちらを選べば……」
シャリオは襟を正して言った。
「ルキアン君。この世の中には、単純に是非や善悪の区別が付く選択など、私たちが思っているよりもずっと少ないのではないでしょうか。実際には、《どれも正しいとは言えない選択肢》の中から《よりわずかにしか誤っていない答え》を選ばねばならなかったり、逆に《どれも間違ってはいない選択肢》の中から《より正しそうな答え》を探さなければならない――そのような、判断に困る場面の方がむしろ多いのではないでしょうか」
「そうですね。たぶん僕はそのことを理解していなかったんです。今まで僕の目に映っていた現実は、何て言うのか、もっと紋切り型で、何でも白黒はっきりしているはずの世界だったんです。だから、単純に善悪の区別の付かない選択を迫られたとき、僕の思考はいつもそこで停止してしまっていたんです。もしも自分が間違った答えを選んでしまったら、それが途方もない過ちになるような気がして」
ルキアンの話しぶりが以前よりも力強くなったことに、シャリオは複雑な思いを感じた。
声を落としつつも、しっかりとした調子でルキアンは語る。
「でも、さっきクレヴィスさんに言われて目が覚めました。正しい答えを選ぶことができないからといって、それは決断しなくてよい理由にはならないと。無責任だ、って……。そうですよね、僕らが生きていく毎日の中では、正しい答えが分かる場合の方がずっと少ないかも。それなのに、正しい答えが選べない限りは決断しなくて構わないとしたら、僕らはほとんどの場合に自分自身の判断を下すことなく、あやふやな態度でその場をやり過ごしていればよいことになってしまいます。確かに、無責任――いや、僕の今までの生き方は、まさにそうでした。本当のところは、ただ流されてただけ。そのくせ自分が流されているということを認めたくないから、色々と言い訳を考えて、さも慎重に答えを《探している》ような顔をしていました。他人に対しても、自分自身に対しても、ごまかすっていうか、面目をとりつくろうことに躍起になっていました。あんなに弱い心なのに、自意識だけは過剰だというのか」
赤裸々に己の本心をえぐり出すような独白。
それが終わって急に恥ずかしくなったのか、ルキアンは頬を紅潮させ、シャリオに背を向ける。そして長いため息の後、振り向いて言った。背筋を伸ばし、懸命に顔を上げて。
「こういう言い方ってイヤですけど、はっきり言えば、要するに甘えてたんですよね……」
シャリオは敢えて言葉を差しはさまず、少年の語るに任せた。
「平穏な毎日の中では、それでもどうにかやってこれました。だけど、その甘えが極限状態で通用するはずなんてなく、僕の甘えのせいでシャノンたちが犠牲になってしまったんです」
ルキアンは語り続けた。
痛々しいほどに、容赦なく、今までの自分にメスを入れていく。
それでもこうして話を聞いてくれる人間の存在が、ルキアンにとっていかに尊かったか。もちろん、苦しみ迷う者の声に耳を傾けることは、神官としてのシャリオの仕事でもあるのだが。
【続く】
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『アルフェリオン』まとめ読み―第26話・前編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
過ぎ去った日々を――過去を変えることは不可能である。
だが未来を変えることによって、
失ったものを取り戻すことはできる。
人という非力な存在も、
そうすることで運命という化け物に立ち向かえる。
◇ 第26話 ◇
1 第26話「孤軍」スタートです!
夜の闇に濛々と立ち込める土煙。
風に煽られて燃え広がる野火。赤々と空を染めて。
炎と煙の間から、節くれ立った脚のようなものが伸びてくる。
途方もない大きさだ。さらにもう1本、また1本……。
その様子を遠巻きに睨みつつ、じわじわと後退するアルマ・ヴィオの列。議会軍の火力支援型ティグラーの群れである。通常のティグラーとは異なり、沢山の砲身を備えた多連式MgSを背負っている点が特徴的だ。
――駄目です、びくともしません!!
エクターの一人が声を震わせる。
彼らが強力な魔法弾の雨を降らせたにもかかわらず、爆煙の向こうにいる敵は何のダメージも受けていない。
鋼の虎たちの警戒するような唸り声。
突如、巨大な3本角が突き出され、数体のティグラーをひと振りでなぎ払う。凄まじい力で跳ね上げられ、弾き飛ばされ、議会軍の部隊はたちまち総崩れとなる。
その角に続いて、視界を遮る山のごとき物体が現れた。
金属的な光沢を放つ赤黒い表面。動く要塞とでも言うべき巨体だが、紛れもなくアルマ・ヴィオに相違ない。
《スクラベス》――議会陸軍の誇る強力な陸戦型重アルマ・ヴィオだ。カブトムシを模した昆虫型の機体である。
この特殊なアルマ・ヴィオが配備されている数少ない場所のひとつ、それが《レンゲイルの壁》だった。スクラベスの背後に遠く点々と連なって見える光が、まさにその要塞線である。
レンゲイル軍団の切り札として、スクラベスはこれまでガノリス軍の侵攻を幾度となく食い止めてきた。だがギヨットが反乱を起こして以来、その力は皮肉にも議会軍に向けられることになってしまった。
激しい砲火を物ともせず、スクラべスは敵陣地に平然と突き進んでいく。
重々しい地響き、魔法金属の分厚い外骨格が軋む音。
――これ以上戦線を押し戻されてはならん! 第2中隊、前へ!!
指揮官の命を受けて、白とブルーの汎用型アルマ・ヴィオ、ペゾンが横隊を組む。すらりとしたボディに胸当てを付け、背丈の倍近い長さのMTランスを装備している。軽装で機動性に富む槍兵というところだろうか。
――横列密集隊形、敵の進撃に対して構え!!
方陣から横隊へと移行する各機の動きは、整然としてしかも素早い。
槍の石突きの部分を地面に突き立て、そのまま腰を落とし、斜めに構えて槍ぶすまを作る。騎馬隊の突撃に対して歩兵が取る構えのひとつである。アルマ・ヴィオによる戦闘も、そのスタイルにおいては人間同士の戦いとさほど変わらない。
だがスクラべスはペゾンの槍先など恐れることなく、悠々と前進してくる。
――駄目です。隊長、支え切れません!!
――何て馬力だ。こちらは10機以上なのに押し戻されているぞ!
必死に立ち向かおうとすればするほど、繰士たちは力の違いを思い知らされるだけだった。
2 皇獅子機装騎士団、決戦の場に到着
スクラべスが敵の前衛を突破したのを見て取り、背後から反乱軍の部隊が突撃してくる。
そこにも多数のペゾンの姿があった。同じ機体同士、以前の仲間同士が刃を交えねばならぬという現状を、その光景は露骨なまでに示している。
反乱軍の機体には敵味方の識別のための旗印が描かれていた。黄色い下地に、オーリウム王国の紋章である孔雀。正規軍・反乱軍ともに祖国の旗を掲げて殺し合うという、悲惨な戦場……。
敵部隊の激しい攻撃を受け、議会軍はあっけなく敗走し始めた。
昨晩以来、レンゲイルの壁一帯で同様の事態が繰り返されている。これまで要塞線に立てこもっていた反乱軍だが――《黒いアルマ・ヴィオ》の攻撃により、正規軍の増援部隊が壊滅的な被害を受けたのをきっかけに、にわかに攻勢に転じたのだ。
知将ギヨットの用兵は巧みであり、配下の部隊も付近の地理を知り尽くしている。反乱軍の神出鬼没の戦法に、《壁》を包囲する議会軍は右往左往し、次第に数を削られていくばかりであった。
――もはや引くしかないのか……。
スクラベスの圧倒的なパワーと敵軍の猛攻の前に、議会軍側の指揮官が断念しかけたそのとき。
突如として、反乱軍の側面に魔法弾が次々と炸裂した。
夜気を揺るがすような猛々しい雄叫びが聞こえる。暗闇の向こうから、陸戦型アルマ・ヴィオの群れが物凄い速さで近づいてくる。
その間、まさに一瞬だった。
不意を付かれた反乱軍。新手のアルマ・ヴィオが野獣のごとく襲いかかる。
――レオネスだ。助かった、皇獅子機装騎士団が来てくれたぞ!!
ライオンの姿をしたアルマ・ヴィオを見て、議会軍の繰士が歓声を上げた。
王都近郊を守護する皇獅子機装騎士団は、レンゲイル軍団と並んで議会陸軍最強の部隊だ。名にし負う獅子の軍勢は怒涛のごとく敵方を打ち倒していく。
中でも見事な活躍を見せるレオネスが1体。
疾風さながらの速さで敵陣に突入し、その鋭い爪を振るい、輝く光の牙――MTファングを突き立てる。獅子というよりはむしろ豹を思わせる俊敏な動き。敵のMgSをひらりと回避し、寸分たがわぬ反撃によって瞬時に仕留めてしまう。
だがそのレオネスは決して敵にとどめを刺さなかった。神業ともいえる腕前で相手の脚や武器のみを破壊し、戦闘不能に陥れている。
――お前ら、いい加減に目を覚ませ! どうして同じオーリウム人のオレたちが、争い合わなきゃいけないんだ!?
反乱軍の繰士たちに向かって、レオネスのエクターは熱く叫んだ。
――オレたちの本当の敵は帝国軍だろ? なぜ分かろうとしない!?
そう。あの噂のレオネス使い、クロワ・ギャリオンの声だった。
――勝手なことを! わが王国を連合軍と心中させるつもりか? オーリウムは帝国と共に生き残るのだ!!
クロワの言葉に耳を傾けることなく、敵方のペゾンが突きかかる。
レオネスは背中のMgSを素早く放つと、ペゾンの槍を弾き飛ばす。
自らの槍が宙を舞うのを敵エクターが目にしたとき、すでにレオネスの牙は彼の機体に喰らい付いていた。
――ば、馬鹿な!?
一瞬にして崩れ落ちるペゾン。
3 緑翠の孤剣
クロワのレオネスの姿を、はるか上空から捉えている者があった。
反乱軍の飛行型アルマ・ヴィオが彼を狙っていたのだ。鷲をモデルにした最新鋭の機体、アラノスである。元々は対飛行型用の要撃タイプだが、その鋭い鉤爪は陸戦型アルマ・ヴィオにとっても脅威となる。
――まんまと誘き出されたな。しかもレオネスの群れとは大した獲物じゃないか。
アラノスのエクターがほくそ笑む。
他にも同じくアラノスが2機。ちなみに飛行型の場合、基本的に3機で一個小隊となる。
地上では向かうところ敵無しのレオネスだが、陸戦型アルマ・ヴィオの常として、空からの攻撃には苦戦を強いられる。クロワたちを狙って猛禽たちが今まさに急降下しようとする。
が……。降ってわいたかのごとく、アラノスの行く手を黒い影が遮った。
アラノスは並みの飛行型など足元にも及ばぬ速さを誇る。にもかかわらず、黒い影は軽々と追いつき、抜き去ったのである。
レオネスと同様、それは獅子の咆哮を轟かせた。
《鳥》ではない。《獣》だ。
大空を舞うための翼。それと併せて、空に生きる物には無いはずの4本の脚。
しかし獅子でもない。頭部には鋭い2本の角。
長い尾は蛇のごとく鎌首をもたげ――否、舌をちらつかせるそれは、本物の蛇だ。
その異様な姿を目の当たりにして、アラノスの繰士たちは背筋を凍らせた。
イリュシオーネの人々にとって、夜というのは《人の時間》ではなく《魔が支配する時間》に他ならない。漆黒の夜空に浮かんだ異形の影は、パラミシオンからさ迷い出た妖魔であろうか。
いや、アラノスの乗り手が震え上がったのは、もっと別の理由による。目の前の相手が仮に異界の妖魔ならば、まだましだったろう。
エクターにとって遥かに恐ろしい存在。
反乱軍の繰士たちは戦慄した。
――まさかあれが、魔獣キマイロスなのか?
――ギルド最強の繰士。《緑翠の孤剣》カリオス……。
3機のアラノスが威嚇するように鳴く。明らかに怯えていた。アルマ・ヴィオも生き物である。キマイロスの放つ凄まじい重圧感に、アラノスの群れは本能的に生命の危険を感じているのだ。
――分かっているのなら、話は早い。貴君たちの相手はこの私です。
そう伝えたのは意外なほどに平凡な声だった。
最強のエクター、カリオス。果たしてどんな荒々しい声が聞こえてくるのか、あるいはどれほど不気味な声なのかと恐れていた敵は、思わず耳を疑っている。
拍子抜けしたのか、相手のエクターたちはわずかに勇気を取り戻した。
――いくらヤツが強いといっても、ここは空の上だ。飛行型でもないアルマ・ヴィオがアラノスに勝てるわけがない。
――そ、そうだ。こっちは3機だ。一斉にかかれば。
アラノスが1機、突然、抜け駆けしてキマイロスに襲い掛かった。
――こいつを倒せば昇進も褒賞も……。もしかしたら勲章モノだぜ!!
刹那、夜空を染めてかき消える炎。爆発。そして飛び散る破片。
4 風の記憶―悲劇とパラディーヴァ
◇ ◆ ◇
「もう、失うものが無くなってしまったね……」
《彼》は哀しい夢を見るような目でつぶやいた。
金の縁取りをあしらった純白の長衣と、その上に羽織った淡い水色のクロークが、そよそよと風に揺れている。
涙……。霞の向こうに立つ不思議な少年を、カリオスは呆然と見つめた。
「僕を呼んだね? はじめまして、僕の名は《テュフォン》」
見知らぬ少年。そして不可解な言葉。
だがカリオスは地面に両膝を付き、絶望に身を震わせるのみ。
彼に同情するように、少年は恭しく一礼する。その恐ろしいほどの崇高さたるや、神の御前に立つ天の使徒を思わせる。
「あなたは僕を見ても驚かないんだ。それとも驚く気力すらない、ということなのか……」
少年からは、奇妙なことに人間の匂いが全く感じられない。一種の不気味さすら覚えるほど、超然として神々しかった。
彼の周りには微かな風が渦を巻いている。風の精――だろうか? 中性的な外見は、どことなく精霊の類を髣髴とさせる。
その揺れる髪は、宵はじめの空のごとき、どこまでも透き通った淡い空の色。
「どうする? あとひとつだけ残っているものも捨ててしまえば、いますぐ苦しみから解放されるよ」
桜色の唇は、少年の外貌よりもずっと幼い声をもらす。そんな罪の無い声とは裏腹に、彼は冷酷な台詞を平気で口にした。
「そうすれば、悲しみのない国で家族が暖かく迎えてくれるのに。もう、十分頑張ったじゃない。誰も責めたりなんかしないさ」
カリオスは拳を大地に叩き付ける。血のにじむ手を握り締め、彼は独り言のように吐き捨てた。
「馬鹿なことを。俺はあきらめない。生き続ける、たとえ憎しみを糧にしてでも……。そうしなければ、みんなの気持ちが全て無駄になる!!」
「聞こえてるんだね。だったら、ちゃんと返事をしてほしいな……。最初から分かってる。もし自分の生や未来への執着を捨て去っていたなら、あなたの声は僕に届かなかっただろうから」
物憂げに目を細める少年。
カリオスは徐々に我に返っていく。だが、表情を失ったままの彼の顔には、なおも涙が伝う。
「君は……何者だ?」
黒目がちの少年は、不意に無邪気に微笑む。
「変わった人だね、今頃驚くなんて。さぁ、何だと思う? 案外、天使かもしれないよ。考えようによっては悪魔かな……。でも、どちらでも構わないよね? あなたの力になれるのなら」
すべてを超越したような落ち着きの中に、どこかあどけなさの抜けきらぬ、子供じみた気色が時おり見え隠れする。
それでいて永劫の時を生きた仙人を思わせる、深い理知に溢れた漆黒の瞳。
《古の契約》――そんな言葉が聞こえたような気がした。
【続く】
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※2001年12月~2002年1月に鏡海庵にて初公開
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漆黒の翼、リューヌが本性を現す、第21話~第25話まとめ版!
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今晩は第21話~第25話のまとめ版をアップしました。
ついにリューヌが本性を現した第24話。これまでの計49話の中で、最も暴力的な描写に満ちてしまった回です。「勇気をもって敢えて戦わないこと」が、むしろ「勇気をもって戦うこと」よりもいかに難しいかを、問いたかった回です。そこで敢えて陰惨な展開にしました。
「相手が悪人といえども戦いたくない」ルキアンが、戦いを戸惑ったばかりに…。
とことん非暴力・不戦を貫くのなら、自分の大切な人がたとえ目の前で殺されても、それを受け入れるくらいの超人的な覚悟が必要だということです。それは、もはや普通の人間には不可能です。戦わない英雄は、戦う英雄よりも強い心の持ち主でなければ…。
しかし、そんなに強い人間が果たしてどのくらい居るのでしょうか。
少なくともルキアンはそこまで強くない。
この時の後悔は、以後もルキアンをずっと苦しめます。
あのとき撃たなかったばかりに…。助けてくれたシャノンの一家が悲惨な目に。
そこで狙いすましたように、ルキアンを誘惑して復活を遂げようとするリューさん、凶悪すぎます。狡猾に契約を迫るQBも真っ青な凶悪ぶりです。…って、すいません、関係ないですね。最近はまってるんです。でも、だまされたと思って、ホントにまどか☆マギカ観てくださいよ(^^;)。
それはともかく、これは現時点ではもうバラしてもいいと思いますが、ならず者たちに対して怒り狂ったルキアンに呼応して、アルフェリオンが暴走したかのような描写がありましたよね。あれは機体が部分的にテュラヌス・モードに切り替わったんです。あの場面でも、実質的には半ば「逆同調」してしまっていたんでしょうね。
テュラヌス形態は、飛行能力を犠牲にしている点と引き替えに、アルフェリオンの全モード中、陸上での戦いでは圧倒的に強いです(もちろん、問題のアポカリュプシス形態は除く。当然ですな)。ゼフィロス・モードに近い速さと、(まだ登場してないですが)アダマス・モードに近い防御力を兼ね備え、しかもパワーは最大。なおかつ物質の状態や形状を自在に操るアレ(「○○の××」)を使えるので。文句なしに最強。しかし、その代償として、乗り手の意志を無視して暴走しやすいという欠陥があるのでした…。
ルキアンがクレドールに戻った後の、クレヴィスのセリフは実に重たいです。
正しい答えを出せないからと言って、それが答えを出さなくてよい理由にはならない、という話です。たとえ誤ってしまうリスクがあるにせよ、どれも決定的な間違いではないとはいえ正解でもない複数の選択肢の中から、できるだけマシな答えを選ばないといけない責任が、一人一人の生きる人間にあるというクレヴィスの言葉。
都合良く価値判断の相対性に逃げ込まずに、どうしても自分のすべてを賭けて決断しないといけない場面が人にはあるんですね。そこで思考停止しては、結局、自分や他人を犠牲にしてしまうという話です。
それでも、ルキアンは戦うのが本当に嫌いです。
あんなことがあったにもかかわらず、今後も、もうしばらくは戸惑い、戦いを避けようとします。そんな彼が戦士として、エクターとして覚悟を決めるのは、明後日あたりにまとめ版をアップ予定の第35話「パンタシア」まで待たないといけません。
いわゆる「巻き込まれ型」主人公が戦いに身を投じることを決意するまでに、『アルフェリオン』は本当に多くの時間を、贅沢に割いています。でも平凡な一般人が明日から急に戦士になって、活躍するなんて、そんな都合の良いこと普通は有り得ないですよね。
第35話で、延々と続く鬱回想と妄想・独白を経て、怒濤の超覚醒。あそこでルキアンが変わります。
しかも、そのきっかけが、準主役級キャラやヒロイン的なキャラではなく、通りすがりの敵キャラみたいだった当時のシェフィーアさんのおかげだなんて、そんなのありかの『アルフェリオン』の本領発揮です。お楽しみに。
かがみ
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第25話・後編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
10 悲しみの少女
◇
ルキアンもまた、己自身の戦いを続けていた。
シャノンとトビーを医務室に託し、後は祈ることしかできない彼だったが、哀しみに打ちひしがれている場合ではない。
現実には戦争の最中なのだ。その戦争を、少なくとも内乱を終わらせない限り、かりそめの安らぎすら王国にはあり得ない。明日にもナッソス家との決戦が始まるかもしれない今、ルキアンが為すべきことは……。
クレドールの格納庫でルキアンはアルフェリオンを見上げていた。
他にもデュナ、ラピオ・アヴィス、アトレイオス、リュコス、ファノミウルの姿がある。幸い、いや、奇跡的にも――昼間の艦隊戦で大きな損傷を受けたアルマ・ヴィオはひとつもないため、ガダックをはじめとする技師たちもいくらか手が空いている様子だった。
むしろ《墜落》したアルフェリオン・ノヴィーアの点検の方が、クレドールの技術陣にとっての急務である。銀色の機体に作業台が据え付けられ、沢山の整備士たちが行き交う。
今ではルキアンも、自らの手足となるアルフェリオンのことを少しでもよく知ろうと考えている。エクターとして……。
アルフェリオンのことを人殺しの道具だと思い、内心では嫌い、避け続けてきた彼であったが、少しずつ変わり始めていた。
ルキアンの隣には、薄桃色の可愛らしいドレスを着た娘が居た。もう1人の哀しみの少女、メルカである。
凄惨なトビーの姿を幼い彼女に見せるべきではない、というシャリオの配慮により、メルカはしばらく医務室から離れることになった。
トビーを医務室に運び込んだルキアンは、自らメルカを連れ出した。彼女との間にできてしまった心の溝を少しでも埋める機会になれば、と思ったのだ。
相変わらずルキアンに口をきこうとしないメルカ。
けれども――彼女の片方の腕は熊のぬいぐるみを抱きしめていたが、もう一方の手はルキアンの手を大人しく握っていた。許したわけではないが、許さないわけでもないという、微妙な意思表示かもしれない。幼い彼女なりにも、きっと他人との距離を複雑に考えていることだろう。
メルカの小さな指をそっと握りながら、ルキアンは思った。
――差し伸べた手を途中で引っ込めることが、どれだけ酷いことかって……それはよく知っているよ。僕自身、今までずっと傷つけられる役ばかりだったから。だからメルカに許してもらおうなんて思っていない。だけど、メルカとの距離を少しでも引き戻すことができれば、僕はこの子の力になれるかもしれない。力に、なりたいんだ……。
ルキアンの隣――メルカと反対の側には、ガダック技師長と1人の若手の技師が立っている。
広い庫内に向かって大声で指示を飛ばすガダック。巨体と太鼓腹によって繰り出される声は、人間離れした音量をもつ。破れ鐘か、さもなくば砲声のようだ。隣にいたルキアンは耳が痛くなりそうだった。
技師長とは対照的に、甲高く神経質な声で若い技師が言う。
「化け物ですねぇ、ほとんど……。あの高さから地上に激突したのに、へこんだ跡すらない。普通のアルマ・ヴィオなら木っ端微塵だったところですよ」
ガダックが技師の背中を叩き、アルフェリオンのことを褒めちぎった。
「あたぼうよ。コイツはただのアルマ・ヴィオじゃないんだ。旧世界の――それも旧陽暦末期の機体を復元したんだからな。こんなすごい機体、滅多にお目にかかれるもんじゃない。お前らは運がいい。しっかり見ておけよ!」
あたかも自分自身のことのように、ガダック技師長は妙に嬉しそうである。芸術家にとっての名画や名曲と同じく、優れたアルマ・ヴィオはガダックの技術者魂を揺さぶるのだろうか。
しかし若い技師の方は、ガダックのいかつい腕で何度も背を叩かれ、迷惑そうな顔をしている。彼は手慣れた様子でそそくさと距離を取った。
11 アルフェリオンの内部に異変が…
2人の様子を苦笑いしながら見ていたルキアン。
と、今度は、ガダックの出っ張ったお腹が彼の背中に当たった。
「よぉ、ルキアン君。とんでもないことになってるぞ! わしのガキの頃からの技術者生活でも、こんなことは初めてだ」
人懐っこいガダックは、さほど面識のないルキアンにも屈託なく話しかける。見た目には荒っぽそうな親爺だが、性格はとにかく陽気だ。
最初のうちはメルカも、見上げるような巨漢のガダックを怖がっていた。
ルキアンの背後に隠れる神経質な少女を、ガダック技師長は無骨な態度で懐柔しようとする。逆効果である気もしないではないが……。
「おいおい、これでもわしは女の子には優しいんだ。はっはっは。そんな顔するなって。で、あぁ、そうだ――ルキアン君、驚かないでくれよ。さっき少し調べたんだが、実はアルフェリオンの内部に異変が起こっている。中に乗っていて何も感じなかったか?」
突然、不可解なことを言い出す技師長。そのわりに彼は、鼻歌を歌いながら点検表を眺めている。
「と、特には……」
ルキアンには彼の言葉の意図がつかめなかった。
「コイツの中の様子、前と全然違うんだってば。ルキアン兄ちゃん!」
ぱっちりとした大きな目の少年が、いきなり飛び出してきた。技師見習いのノエルである。
やんちゃな少年の姿がルキアンの瞳に映る――人見知りしないノエルの明るさが、元気だったときのトビーと重なって見え、ルキアンの心は痛んだ。
年齢的にもノエルはトビーより2、3歳年上という程度なので、余計に2人が似ているように感じられる。
不意に表情を曇らせたルキアンに、ノエルは怪訝そうに尋ねる。
「どうかしたの?」
「うぅん。なんでもないよ……。そう、アルフェリオンに、何?」
「なんか顔が暗いよ。どうした?」
「そ、そうかな? 大丈夫、僕が暗いのは今日に始まったことじゃないし……。だからね、元気なときでもこんな顔なんだって。本当だよ。それよりアルフェリオンが?」
苦し紛れに、ルキアンは冗談のような本当のような意味不明の理屈をこねる。
すると、ぼんやりと宙に視線を走らせていたメルカが、その場の誰にも分からぬほど小さな変化を見せた。一瞬ではあれ、目つきが微かに和らいだ。
――ルキアン、笑ってる……。あんなに辛そうな顔ばかりしていたルキアンが笑ってる。こんな顔、初めて見た。どうしたのかな……。
勿論そんなメルカの心境は、ルキアンには届いていないにせよ。
折良くガダックが説明を始める。
「詳しく調べないとよく分からんが、見たままを言うとだな。機体の中心部にある《黒い珠》から、極めて細い糸状の組織が内部全体にくまなく伸び――まるで各器官が黒い玉っころに《乗っ取っられた》も同然の状態なんだ。クモの巣みたいなものは、今も物凄い速さで成長している。わしがこんなことを言うのも無責任な話だが、もはや除去するのは不可能だ。そのクモの糸は、伝達系や動力筋の繊維1本1本にまでも絡み付き、自分の組織と融合してしまう力を持っているらしい。ともかくエラいことになっちまってるのに、中に乗っていた君が特に変化を感じなかったなんて、にわかに信じろという方が無理な話だ。あの真っ黒な謎の器官について、お師匠は何か言ってなかったかい?」
「多分、その黒い珠のことだと思うのですが、カルバ先生は正体不明の器官をこの機体に移植したとおっしゃっていました。アルマ・ヴィオの能力を増強するためのものらしいとか、何とか。でも先生も十分にご存じではなかったようです。そもそも、というか、その《謎の器官》がどんな機能を持っているのかを解明するために、僕がテスト操縦をすることになっていたんです。あの事件が起きなければ……」
師・カルバの名前は、近くて遠い記憶を否応なく呼び戻した。
今では幻だったようにすら思えるコルダーユでの日々。その情景がルキアンの脳裏を足早に通り過ぎる。
カルバは本当に死んでしまったのだろうか? そして彼の娘・ソーナは、ルキアンが儚い思いを寄せていた美しき人は、今、どこでどうしているのだろうか? さらに、ここにいるメルカの未来は?
さしあたり自分の力ではどうしようもない心配だけが残った。
どうしようもない? 空虚なイメージ。
冷たい自分。そんなものか、所詮? いや、違う……。違うのか?
12 成長するアルマ・ヴィオ?
だが中途半端な妄想は一気にかき消されてしまった。
《黒い珠》の話からリューヌの姿が連想され、否応なく、彼女の謎のことでルキアンの心の中が一杯になってしまったからである。
――あのときリューヌは、アルフェリオンと一時的に《融合》すると言った。そういえば、ならず者たちと戦っている間、ノヴィーア本来の声は全く聞こえなかったな。ノヴィーアはリューヌに乗っ取られていた? いや、最初の融合の時点で完全に乗っ取られた?
何故か他人に教えるのがはばかられ、ルキアンは、現段階ではリューヌのことを技師長に告げなかった。クレヴィスだけには先ほど話したのだが。
黙り込んでしまった彼をしげしげと眺めながらも、ガダックは話を続ける。
「いや、内部だけじゃないぞ。アルフェリオンの両手付近の装甲に至っては、昼間のときと外形そのものが変化している。少しゴツくなったような感じだ」
「それは……。僕が今晩、暴漢たちと戦ったときに変化したんです。本当です。すごく腹が立って、むちゃくちゃな話ですが――この手であいつらを引き裂いてやりたいと思ってしまったときに、変わったんです。腕全体の形が今よりもっと刺々しい形に。爪も刃物みたいになって」
ルキアンは自分の手を握り締め、じっと見つめた。
ガダックは意味ありげに苦笑いしている。よく観察してみると、以外にも的を射たりという表情だ。
「腹が立ったら、アルマ・ヴィオの姿が少し変わっただって? ふぅむ。それから、後でおおむね元の形に戻った? そいつは突拍子もないことだ。しかしまぁ、分からんでもない。たまにではあれ、《変形》するアルマ・ヴィオを見かけるだろ? ほれ、飛空艦ラプサーのあの子――プレアーちゃんの乗っている《フルファー》な。それからルキアン君も戦っただろ、あの《アートル・メラン》もだ。これらのアルマ・ヴィオは、飛行モードと人型モードを持っている。その他に陸戦型と人型の姿を使い分ける機体も、世の中にはあるぞ」
「……なるほど。そ、そう言えばそうですね。プレアーさんって、よく知りませんけど」
ルキアンは曖昧に同意した。
すると謎解きの糸口を披露し始めたはずのガダックが、今度は難しい顔で溜息をつく。先程の自分自身の発言に対して、大いに疑問が残ると言わんばかりに。
「しかしだ、ルキアン君。予め決められている別形態への《変形》ならともかく、あのクモの糸のことは説明がつかん。勝手に《成長》するアルマ・ヴィオなんて聞いたことがないぞ……。例のプレアーの愛機も旧世界のものらしいが、変形前の基本形態は、以前からずっとどこも変わっていないらしい」
と、技師長の立派なお腹を押しのけるようにして、ノエルが急に横から顔を出した。
「知ってる、ルキアン兄ちゃん? プレアーって、めっちゃ可愛いだろ。でもアイツ、いーっつも兄貴にべったりくっついてんだぜ。なんかヤバくない? 兄妹なのに。あ? 痛いってば! 何すんだよ、おっちゃん!」
ませた口調で得意げになって語る少年を、ガダックが小突いた。
「無駄口たたく暇があったら、こいつの腕の1本でも調べてろ」
技師長は呆れ顔でアルフェリオンの方を指す。
ルキアンは適当な言葉が見つからず、白々しい作り笑いを浮かべてごまかしている。
13 「僕、ここに居てもいいんだよね?」
それにしてもガダックとノエルは、まるで賑やかな親子のようだ。
「え、えっと。プレアーさんはともかく。いいじゃないですか、まぁ。それで、少なくとも、どうにかすればアルフェリオンがもっと別の姿に変形したり、新しい能力を発揮したりできるということですか?」
強引に話を元に戻したルキアン。
彼の必死な様子が可笑しかったので、ガダックは笑いをこらえながら答える。この技師長も相当に呑気な男、いや、楽天家だ。
「はっはっは。すまん。歳取ると口元の締まりが緩くなってしまっていかんな。あぁ、その可能性もあり得る。なんだ、その――さっきの、腕にトゲが生えたり、ブレードが出てきたりするというワザは、少なくとも使えるはずだろ? だが今の段階では何とも言えんよ。わしは基本的に修理屋だからな。その手のややこしい理屈は、クレヴィス副長にでもに聞いた方が早いと思うぞ。それより、アルフェリオンの内部をもう少し調査させてもらって構わんかね?」
「はい。よろしくお願いします。僕もご一緒して構いませんか。邪魔しないように見てますから……」
途中まで話しかけて、急にルキアンは、恥ずかしそうにぺろっと舌を出した。遠慮がちに照れ笑いしつつ彼は言い換える。
「じゃなくって、僕もお手伝いしますから――ですよね。すいません。いつも言われるんです。気が利かないって」
「いや、気にすんな。ルキアン君は、お宝の天使様を世界でただ1人扱うことのできる、いわば一騎当千のエクターだ。もしここで君がケガでもして動けなくなったら、わしのせいで王国が滅んだ――なんてことにもなりかねんからな。はっはっは。ここで黙って見ててくれ。何かあったら質問するから!」
ガダックはおどけた調子で肩をすくめると、大きな体を揺らしながら、側の階段を下に向かって降りていく。
格納庫の壁から突き出たバルコニーのようなところに、ルキアンはメルカと共に残された。恐らくここは、格納庫での作業全体を監督するための場所なのだろう。
「ほら、メルカちゃん。メイやクレヴィスさんの乗っているアルマ・ヴィオだよ。沢山あるね……」
気まずい沈黙を破って、階下を指差すルキアン。
それに気づいた1人の技師が手を振った。
しばらくして、この技師に向かってガダックが指示を飛ばし始める。そうかと思うと、ノエルがまた何か騒いでいる。
仲間たちの働く様子を眺めるうちに、ルキアンは自然とつぶやいていた。深い感謝の念を込めて。
「僕、ここに居てもいいんだよね? ありがとう……」
その答えはルキアン自身にも分かっている。
「もう迷わない。僕の帰るべき場所は他のどこでもない、この船なんだもの。みんな、ありがとう。僕を受け入れてくれて」
ルキアンのつぶやきを、メルカは黙って聞いていた。微かにその小さな体が震えているような気がする。
やりきれない心持ちで、ルキアンの口から言葉が溢れ出た。こんな台詞を吐いても何も変わらないと彼は思ったが、言わずにはいられなかったのだ。
「ごめん、メルカちゃん――この船に乗るために、僕は君を置き去りにしようとした。すごくショックだったよね。もう、僕の顔なんか二度と見たくないと思ったかもしれないよね……。謝りようもない。僕はひどいヤツだ。何と言ったらいいのか分からない、分からないけど――だけど、この船は僕にとってそれほど大切なんだ。わがままで、すまない。でも僕の未来は、この船に……。僕は全てを賭けたんだ、クレドールに!!」
様々な思いを心に秘め、ルキアンは指先に力を込めた。
メルカの華奢な掌も、心持ち、それに答えてくれたような――そんな気がした。ルキアンの身勝手な空想かもしれないが、それでも確かに……。
【第26話に続く】
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※2001年11月月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第25話・中編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
5 過去と未来―交わり始める時間
◇ ◇
「そんなことがあったのですか……」
この短い言葉の背後に込められた底知れぬ思い。ルキアンの口から語られる今日の出来事を、クレヴィスはひとまず聞き終えた。
クレドールに帰還したルキアンは、シャノンとトビーを医務室のシャリオのところへ連れていった。その後、彼はクレヴィスに呼ばれて艦橋付近の回廊に出向いたのである。
丸い窓からは、エクター・ギルドの部隊に包囲されたミトーニア市が確認できる。同市では今、ギルドの要求を受け入れるか否か、まさに市民全ての命運をかけた議論が行われているはずだ。
市内の家々の多くは、おそらく爆撃を恐れて明かりを最小限に絞っているのだろう。それでも漆黒の中央平原の真ん中では、街は蛍の群のごとく点々と輝いて見える。
ルキアン自身は感情を露わにすることなく、なぜか淡々と話す。
「僕もクレヴィスさんのお話を聞いて納得がいきました。ずっと心に引っ掛かっていたんです。あの《真っ赤なアルマ・ヴィオ》のことが……」
彼が幻の中で見た獰猛な赤い影。それはクレヴィスにも衝撃を与えないはずがなかった。そう、まさしくあの赤い巨人は――《沈黙の詩》に記され、さらに《塔》で発見された日記により実在のものと判明した――《紅蓮の闇の翼》、伝説の《空の巨人》、つまり《エインザールの赤いアルマ・ヴィオ》かもしれないからだ。
アルフェリオンがエインザール博士によって作られた《空の巨人》であると、まだ完全に決まったわけではない。けれども何も知らないはずのルキアンが、翼を持った赤いアルマ・ヴィオの幻影を目にするなどとは、偶然にしてはあまりに話が出来過ぎていよう。
ルキアンの方は予想外に落ち着いていた。
彼が苦しんだり恐れたりすることを避けるために、クレヴィスたちは《赤いアルマ・ヴィオ》の話をルキアンに敢えて今まで告げていなかったのだが。
「それでは、エインザール博士というのは――敵であるはずの《地上人》を守るために、自分と同じ《天空人》に立ち向かった人なんですね。でもその結果、紅蓮の闇の翼と呼ばれるあのアルマ・ヴィオが、天上界の人々の命を数え切れないほど奪うことになってしまった……」
ルキアンは無念そうに首を振る。だが彼の面持ち自体は冷静だ。
「博士は、天上界の何がそんなに許せなかったのでしょう? 何がそんなに憎かったのでしょう? でも僕には分かるような気がするんです。エインザール博士だって最初は本当に辛い気持ちで、大切な何かのために戦い始めたんじゃないでしょうか。それに、できることならステリアの力にも頼りたくなかったのかもしれません。だけど結局は憎悪に心を奪われてしまった。そしてステリアの暗黒の力に魅入られ、あの赤いアルマ・ヴィオによって旧世界を破滅に導いてしまった。そんな気がする。なぜか僕は感じるんです」
多分に想像あるいは妄想を交えたルキアンの推理。興味深げに聞き入るクレヴィスに彼は言った。
「でも、あくまで直感です。本当のところはよく分かりません。他にも色々。あまりにも突然だったから、僕自身、まだ気持ちの整理ができていません。シャノンとトビーのこと、おばさんのこと、あのならず者たちのこと。そしてアルフェリオンとリューヌのこと……」
6 正しい答えが出せないからといって…
小さめの声で、いつもの頼りなげな表情を見せるルキアン。
だが彼はおもむろに顔を上げると、今度は明確な調子で語った。
「だけど、ひとつだけ決めたことがあります。これからは――何かの問題にぶつかったときには、まず、ともかく正面から見つめてみようと思うんです。そして諦めずにしつこく食い下がってみて、その時々に、僕なりの《答え》をできる限り出せるように頑張ろうと思うんです。そんなの当たり前だって、笑われるかもしれませんけど」
クレヴィスは深く頷いた。
「たとえ何が正しくて何が悪いのか、私たちの限られた力では分からないとしても――つまり、人間に正しい答えなど出せないからといっても、そのことが《答えを出さなくてよい理由》になるわけではありません。現実と向き合って生きていく中では、無理にでも自分自身の答えを選び取らねばならない場面が出てきます。そこで自分なりに《決断》することは、己自身に対しての――同時にこの世界に対しての、私たち一人一人の《責任》です」
夜が更けるにつれて、次第に消え始めたミトーニアの街明かり。それを見つめたままクレヴィスはしばらく黙っていた。
彼はルキアンの肩に手を置くと、厳かな口振りで話を再開する。
「その責任を自覚しなければ、人は己を見失い、自分勝手に放埒や横暴を行ったり、あるいは日和見的な偽善や欺瞞に流れてしまい、真に《自由》ではいられなくなります……」
クレヴィスの面差しは普段と同様に穏やかだが、それと裏腹に言葉は厳しかった。柔和さの中にも断固とした熱意が満ちている。
「たしかに私たちは、他人の様々な考え方に対して寛容であるべきですし、常に自らを戒めて偏見を廃し、即断を避け慎重でありたいものです。しかし自分自身の取るべき決断に関する限り、《終わりなき相対性の迷路》の中にいつまでも心地よく居座り続けるなら、それは結果的に無責任だと私は思います」
目を丸くしたまま聞き入っていたルキアン。彼はつばを飲み込むような仕草をみせた後、どういうわけか茶目っ気のある様子で反応した。
「厳しい――ですね」
奇妙な表情。少年は幼げな微笑を口元に浮かべている。だが彼の言葉は、落ち着いた雰囲気で紡ぎ出された。
「厳しいけど、そうなんでしょうね。《答え》が見つからない。だけど心の底では、完璧な答えなんて見つかりそうにないと感じている。それでも開き直って、ずっと答えを《探すふり》をし続ける。よく分かります、だって僕自身がそうですから。怠け者が求道者ぶって。そうすれば、現実からうまく逃げられたみたいな錯覚――都合のいい夢を見られるから。不条理な現実とぶつからずに済むし、それでいて自分にも他人にも理屈の上では顔向けできるから……」
ルキアンは恥ずかしそうにうなずく。今までの自分の弱さを認め、クレヴィスにも同意を求めているように見えた。
「僕は怖かったんだと思います。甘えていたんだと思います。ずっと、そうしていたら楽だったかもしれない。《幸せ》だったかもしれません。だけど今は――答えというのは《向こうから現れてくるもの》ではなく、《自分の手で決めるべきもの》だと考えています」
「ルキアン君……」
「なんて、偉そうなこと言っちゃいましたけど……。僕、口で言うだけなら得意なんです」
――笑顔、ですか?
初めてルキアンの笑顔を見たクレヴィスは、冷静沈着の権化のような彼には珍しいことだが、唖然として口を半開きのままにしていた。
ルキアン自身、シャノンとトビーの件で深い心痛を抱えているはずなのに、自然と微笑んでしまっていたのだ。辛いからこそ、なのだろうか?
7 変わってゆくルキアン、メイの戸惑い
悲しげに同情するような、それでいてどこか嬉しそうな微妙な顔つきで、クレヴィスは言った。
「今日の出来事は、永遠に抜けない棘を心に突き刺されたかのごとき、そんな酷い体験だったことでしょう。その結果、などと言うと随分冷たい表現かもしれませんが、ルキアン君は何かをつかんだようですね。今日の日のあなたの気持ち、忘れてはいけませんよ……」
全くの偶然にせよ、クレヴィスの締めくくりの言葉は、あのときリューヌが口にしたそれと同じものだった。
「また後であなたに色々と聞きたいことがあります。申し訳ありませんが、私はそろそろカルと指揮を交代しなければいけませんので、これで……。あの頑丈な男にも少しは仮眠を取ってもらわないと、明日からの戦いに差し支えます」
立ち去ろうとするクレヴィスに、ルキアンは一礼した。
「お忙しいところ、ありがとうございました。それでは僕も……。本当はシャノンやトビーと一緒にいてあげたいのですが、診察中に入ってきてはダメだと、シャリオさんがおっしゃってましたから」
再びお辞儀すると、くるりと身を翻して駆け出すルキアン。
「僕、アルフェリオンのところに行ってきます。もっとあのアルマ・ヴィオのことを知りたいですから。中の仕組みとか、ガダック技師長に色々と教えてもらわなきゃ」
少年のほっそりした背中を見つめ、クレヴィスは微笑をたたえている。
艦橋に戻ろうと歩き始めたクレヴィス。
すると彼に後ろから追い付き、並んで話しかける者がいた。
その素っ頓狂な声はメイだった。彼女はルキアンの方を顎でしゃくる。
「何、あれ?」
「さぁ……。どうしたのでしょうね」
クレヴィスは意味ありげに笑っている。
「全然違う人みたい。変だと思わない?」
メイは自分の頭を小突きつつ、大げさな身振りで言った。
「墜落したときに頭でも打ったのかな?」
「ふふ。それはいけませんね。では彼もシャリオさんに診てもらわないと」
「何だかなぁ……。妙にハキハキしてるし。ルキアンのくせに!」
悠然としたクレヴィスとは対照的に、メイは盛んに喋り立てる。
クレヴィスはにこやかに同意するのみ。
と、メイが急に真顔になった。歩幅の違うクレヴィスをせわしく追いかけ、彼女は腕を引っ張って止める。あの彼に対してこんな乱暴な振る舞いをするのは、たぶん世界中でもメイぐらいのものだろう。
立ち止まって小首を傾げるクレヴィス。
メイは彼を見上げて懇願するような目をしている。
「正直、ちょっと不安なの。あの子が物凄い早さで変わっていくのを見ていると……。だって、あたしたちがコルダーユでルキアンと初めて出会ってから、まだ1週間もたってないんだよ!?」
メイはさらに続ける。
「最初に会ったとき、なんて分かりやすい子だろうと思った。真面目で、引っ込み思案で、神経過敏で、思い込みが強くて。でも今じゃ、あたし分からない――これからのルキアンの姿が」
べそをかいているような顔つきで、メイは態度に困ってうつむく。
クレヴィスが優しく告げた。
「彼自身にも、誰にも分かりませんよ。未来のことなど……。ルキアン君を心配してくれてありがとうございます。これからも彼をよろしく頼みましたよ」
彼は少し姿勢をかがめ、目を細めてメイを見た。
「それにメイ、あなたもそろそろ休んでおかないと。こんなところで油を売っていてはいけません。今日もよく頑張ってくれましたから、疲れたでしょう?」
どことなく、ふてくされた子供を思わせるメイの様子。
彼女は心の中でクレヴィスに向かって問いかける。
――どうしていつも誰にでもそんなに優しいの? だけどあなた自身は、この世界の中でひとり、舞い降りた天使のように超然として透明な存在……。
離れていくクレヴィスを一瞥し、メイはうつむく。
震える肩先。彼女は小さな声でつぶやいた。
「でもあなただって、心に深い傷を抱えているのに……」
8 シャリオの戦い(前)
◇ ◇
薬品臭の漂う白壁の空間を――痛みが静かに支配していた。
重々しい空気が医務室に垂れ込め、圧倒的なまでの悲壮感は、中にいる者たちの心を押し潰そうとする。
だが、その重圧と必死に対峙する2人の女性がいた。ここはまさしく彼女たちにとっての戦場だ。
白衣がわりの簡素な僧衣をまとったシャリオが、目を見開いたまま立ちすくんでいる。見事な黒髪を結い上げ、露わになった首筋や横顔からは、多分に血の気が失われていた。
フィスカの声も今ばかりは重く沈んでいる。看護助手の彼女は、シャリオの傍らで薬や器具の準備に忙しい。
診察台に寝かされた血だらけの少年は、ぐったりとして身動きひとつしない。半死半生の状態でクレドールに収容されたトビーであった。
明るい室内で見ると、少年の無惨な姿は、練達の戦士でも目を覆いたくなるような変わり果てたものだった。
獣が人間を襲うときには、獲物の息の根を少しでも早く止めるために、致命的な箇所を狙って襲いかかるという。だが、あのならず者たちは正反対だった。逆に獲物の死の苦しみを長引かせることこそ、彼らにとっては楽しみを長持ちさせることに他ならないのだから。
時に人間は野獣よりも遥かに冷酷な生き物となる。あの傭兵たちも、自らの残忍な喜びを満足させるため――たったそれだけのために――人の皮を被った魔獣の群れと化したのである。
トビーをここまで運び込んできたルキアンは、もちろん彼の酷たらしい有り様を直視できなかっただろう。だがシャリオは医師として、あるいは神聖魔法の施術師として、その地獄と向き合わねばならないのだ。
沈鬱な雰囲気の中、シャノンのすすり泣く声が背後から聞こえてくる。
時折、フィスカが心配そうになぐさめるが、効き目は無に等しかった……。
虚ろに怯えたシャノンの目には、ルキアンに見せたあの生き生きとした光はもう戻らないのだろうか? 悪漢たちからの陵辱によって受けた心の傷は、底知れぬほど深く、癒え始める気配すらなかった。
長い溜息の後、不覚にもシャリオは目まいを感じ、がっくりと肩を落とす。
そのまま倒れかねない様子だったため、フィスカが慌てて支えた。
「シャリオ先生、お顔の色が……」
「大丈夫です。すみません、フィスカ。弱気なところを見せてしまって」
シャリオは悔しそうに首を振った。彼女はフィスカに耳打ちする。
「わたくし、神殿にいた頃には、主に病気にかかった人の治療を担当していたものですから。暴力によってこれほど酷たらしい姿にされた身体を目にしたことは、あまり……。でも、いけませんね。仮にも飛空艦の医師が、こんなに情けないありさまでは」
シャリオの指先はなおも震えている。長衣の胸元が上下するのが分かるほど、彼女の息も荒い。正直な話、驚きと怖気で頭の中が真っ白になっているのだ。
――まだ若いフィスカのような子でさえ、必死に冷静さを保っているのに。いい年をした神官の私が取り乱してしまって。情けない!
いかに神殿で施療に携わった経験があるとはいえ、シャリオは、ずっと聖域の中で書物に埋もれて過ごしてきた純粋培養の人間である。何の因果かクレドールに乗り込むことになるまで、彼女自身は俗世の汚れとは無縁の存在だったろう。
そんな彼女にとって、ならず者たちがトビーやシャノンに行った暴虐の数々は、おぞましさのあまり口にもできないものだった。
9 シャリオの戦い(後)
「でも負けられません。これは私の戦いですもの。争い事をあれほど避けていたルキアン君だって、どんなに心を痛め、悲しい思いをしながら悪人たちと戦ったことか……」
決意の表情。両手を胸に当て、シャリオは大きくうなずいた。
「頑張りましょう、フィスカ。私たちは私たちにできる方法で、信じるもののために手を尽くさなければ」
シャリオは首から下げた聖なる護符を握り締める。いついかなる時も彼女が慣れ親しんできた、その冷たい金属の肌が、半ば条件反射的に正気を取り戻させた。
ささやくような祈りの後、彼女は毅然とした声で言う。
「少し手の込んだ儀式魔法を使います。フィスカ、私の指示に従って下さい」
「ま、マホウですかぁ? 手術じゃなくて……」
「ほらほら、早く。遊びではありませんよ」
気を取り直して聖杖を構えると、そのまま目を閉じるシャリオ。
「まずは下準備として、この部屋の中を清め直します」
シャリオは杖の先で床に円を描く仕草をした。その輪の中にフィスカを押し込むような身振りをした後、彼女は小瓶を手に取り、聖別された水を何度か振り撒いた。
「わたくしが合図するまで、このサークルの中から決して出てはいけません。しばらく辛抱してください」
「はい?」
フィスカは興味津々でシャリオに近づこうとするが、鋭くたしなめられてしまった。当然と言えば当然だ。素人が魔法の儀式に関わる場合、何事にも慎重に振る舞うに越したことはない。
シャリオの使う術は神聖魔法なので、滅多な危険はないはずだが――ある種の系統の呪文を用いる場合であれば、術の最中に魔法陣から一歩でも出てしまったが最後、召喚された霊的存在に魂を持っていかれてしまうこともあり得る。
精神を集中し、呪文の詠唱に入り始めたシャリオは、普段とうって変わって恐ろしいほどの威厳に満ちている。やはり《準首座大神官》の位は伊達ではない。その神々しさには身震いしそうだ。
「あ、あのぉ、今の先生、何だか怖いですぅ。いつもと違うんですけど……」
あのフィスカでさえもシャリオの崇高なオーラに圧倒されてしまい、息を飲んで突っ立っている。
トビーの吐息が苦しげに聞こえてくる。その弱々しい呼吸さえ、今にも途絶えそうな姿……。
シャリオは眉間に皺を寄せ――おぞましき虐待の跡も生々しい少年の身体を、いまだに目を反らしそうになりつつも、必死に見つめようとする。トビーの傷に自らも痛みを覚えるような気持ちで。
――どうしてこんな酷いことを? 人間を、他人を馬鹿にしないでください。このように自分勝手な横暴がまかり通る、現在のオーリウムを変えるために、そして穏やかな毎日や秩序を取り戻すために、私も私なりのやり方で全力を尽くします。それが無意味で孤独な試みではないということを、思い出させてくれたのが……あきらめを熱意に変えてくれたのが、このクレドールです。今、船のみんなも精一杯に頑張り、自分自身の戦いを貫いている。
「だから、私も――負けません!」
シャリオが決意を込めて手をかざすと、膨大な魔力が光となって集まり、さながら黄金色に輝く霧のようにトビーに降り注いだ。
凄惨な状況とは裏腹に、神聖魔法の慈悲深き恵みは、あくまで穏やかだった。
聖なる癒しの光。シャリオの静かな戦い……。
【続く】
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※2001年11月月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第25話・前編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
憎しみや怒りに惑わされることなく、
内なる闇と永遠の静寂の果てに、
冷徹な心の目を開いて時代(とき)を見よ。
◇ 第25話 ◇
1 爪痕
多数のティグラーの残骸が、暗がりの中で燻り続けている。
その光景を見下ろすように悠然と立つアルフェリオン。
機体のハッチが開き、シャノンの手を引いてルキアンが降りてきた。
春とはいえまだ冷たい夜風が、2人に向けて無慈悲に吹きつける。
たったいま戦場となり、荒れ果てた農園が満月の光に照らし出されていた。
幸せに満ちていたあの家も崩れ落ち、黒く焼け焦げている。
シャノンは無言で震えたままだった。
否、アルフェリオンの凄まじい戦いを目の当たりにしたことにより、彼女は新たな恐怖感に追い打ちされているようにもみえる。
何とかして励ましてやりたいと思ったルキアンだが、今の時点では自分に何もできないことを認めざるを得なかった。
呆然と、無感情に、自らの涙を流れるままに任せているシャノン。
その表情を目にしていると、ルキアンは不意にメルカのことを思い出した。あの打ちひしがれたメルカの様子が、脳裏によみがえる。虚ろな目をしたあどけない少女の姿が、今のシャノンと重なって見えた。
――いつもそうだ。僕は何もしてあげられない。誰かの心を動かす言葉も持っていない。誰かの気持ちを和らげるような暖かな腕のぬくもりも、僕にはないらしい。ごめん、シャノン、僕がこんな人間で……。でもそれが僕だから。
自責の念に打ちひしがれつつも、他方でルキアンは、どうしようもなく投げやりな気分になった。自分自身にすら不可解な感情。
「トビーを探さなくちゃ!」
彼は何かを取り繕うように、わざと大きな声で口にする。
トビーを巻き込む危険を事実上忘れ、アルフェリオンをここで暴れ狂わせてしまったことに、ルキアンは今さらのように苛まれ始めた。
――僕は本当に勝手で、呑気で、鈍感な人間だ。もしトビーを踏みつぶしてしまっていたら、何と言ってシャノンに詫びれば……。
この期に及んで言い訳がましいのは承知の上だった。祈るような気持ちで、ルキアンは周囲に視線を走らせる。
どこを見ても、徹底的に叩きつぶされたアルマ・ヴィオの装甲や、生体兵器特有の生々しい体内器官の残骸ばかり。それらが焼けた異臭もひどい。
だが、よく目を凝らしてみると、崩壊した家の脇に何かが横たわっている。
ゴツゴツした金属片とは違う。人間の影だ。
「トビー!!」
少年の体を抱き起こしたルキアンは、一瞬、思わぬ感覚にその身を震わせた。布地の手触りではなく、肌と肌とが接する感触が伝わる。
言葉を失うほど酷い有り様だった。ならず者たちは面白半分にトビーの服をはぎ取り、何ひとつ守ってくれるもののない彼の身体に、よってたかって暴力を加えたのだ。
それでも生きてくれていて本当によかった。幼い少年の体温が伝わってくる。
ルキアンは複雑な気持ちで胸をなで下ろす。
気が付くと――ルキアンの右手に生暖かいものが、べっとりとこびり付いていた。懐から新しいチーフを取り出し、ルキアンは少年の額を拭う。
トビーの顔。黒く見えるのは血だ。血塗れだった。
「酷すぎる。どうしてこんなことを……」
あまりの悲惨さに、ルキアンはただうつむくしかない。
無垢な少年は、生きているのが不思議なほどの暴力を受けていたのである。
むき出しにされた背中には、鞭や棒で打たれた傷痕が数え切れないほど残されている。
顔も痣だらけで、半開きで血を流す唇。歯も何本か折れていた。
何度持ち上げても力なく垂れ下がる腕には、ならず者たちに煙草を押しつけられた跡がある。
さらに悲惨な仕打ちの爪痕も見つかるかもしれないが――これ以上のことを知るのが恐ろしくて、ルキアンは目をそらしてしまう。
2 ギルドの船
今のところ生きているとはいえ、トビーは虫の息だ。
素人のルキアンには全く容態が分からない。もしかしたらトビーがこのまま息絶えてしまうのではないかと、ルキアンは危惧する。
――多分、骨も折れているだろう。内蔵は大丈夫だろうか。血が出すぎて死んでしまうかもしれない……。どうしよう。どうしよう。
動転しかけたルキアンだったが、そのときシャリオの顔が頭に浮かんだ。
――そうだ。シャリオさんに診てもらえば……。あの人は大神官だから、いざとなれば瀕死の人間を蘇生させる魔法も使えるかもしれない。トビーが生きている限り、シャリオさんなら何とかしてくれる!
闇の中に灯る光のごとき、何ものにも代え難い希望。
しかしシャリオにトビーの治療を頼むとすれば、新たな困難がルキアンに降りかかる結果となる。取りも直さず、それは――シャノンやトビーを、彼らの憎むべき敵であるギルドの船に乗せることを意味するのだ。そしてルキアンが自分たちの大切なものを奪う敵であるということも、彼らに公然と明らかになってしまうのだから。
今までわざと隠していたわけではない。だがその事実が露呈することは、ルキアンにとってシャノンたちを裏切ることのように思えた。
――だけど、このままではトビーが……。
ルキアンの腕の中で、少年の命の炎は次第に尽き果てていく。
迷っている暇はない。
――僕がギルドの船に乗っていることは事実なんだ。理由はどうあれ、ギルドがナッソス家と戦っていることも、紛れもない現実なんだ。そして何よりも、今こうして、可哀想な1人の男の子が死んでしまうかもしれない……それは本当に起こっていることなんだから!
ルキアンは覚悟を決めて、トビーを抱えたまま歩き出した。
少女のように華奢なルキアンの体は、頼りなくふらついている。それでもルキアンは懸命に両手で支える。
「トビー……」
あれ以来、初めてシャノンが口を開いた。聞き取り難いほど細い声で。
「大丈夫、生きている。だけどこの傷では……。シャノン、突然ごめん――あの、こんな酷い傷でも治してくれそうなお医者さんを知っているんだ。その人に診てもらえば、きっと……」
猜疑の眼差し。シャノンはルキアンに頷かなかった。
まだショックから到底抜け出すことができず、彼女には何もかも不審に思えるのかもしれない。今のシャノンには、目に映るもの全てが恐ろしいのだ。
「心配ない。本当だよ。そのお医者さんはとても優しい女の人で、おまけに偉い神官なんだから。僕もよく知っている。信じて! お願い、僕を信じて」
《信じて》と言う自分が、実はもっと大きな裏切りを隠し持っていることに、ルキアンの胸は張り裂けそうになった。
それからしばらく、ルキアンはシャノンを怯えさせないよう細心の注意を払いつつ、クレドールまでトビーと一緒に来てほしいと懇願した。
ただし場所が《ギルドの船》であるとは、どうしても言えなかったが。
3 無性に懐かしく感じられた声…
シャノンたちをアルフェリオンの乗用室に乗せたあと、ルキアンは重苦しい心持ちで《ケーラ》の扉を開く。
一刻を争う時であるにもかかわらず、ルキアンの動作はためらいがちだった。ケーラの底に敷かれた赤いクッションに、彼は悲壮な顔で横になる。
「結局、これで何度目だろう。このアルマ・ヴィオに乗るのは……」
ルキアンは生身の《口》でその声を発した後、アルフェリオンの機体へと意識を乗り移らせた。
そう言えば、何処へ去ってしまったのか、リューヌの声はもう聞こえない。
呼べばいつでも現れる――そう告げた彼女。しかし今、敢えて呼び出してみる気にはなれなかった。
――念信、クレドールに届くだろうか? とりあえず呼びかけてみよう。
昼間の戦いの最中、アルフェリオンがどこに墜落したのかは定かでない。現在、クレドールが何処に移動しているのかも不明だ。いや、クレドールがあの戦いで沈み、もはやこの世に存在しない可能性も(少なくともその後の経過を知らないルキアンにとっては)あり得る。
電波による通信に比べ、念信の届く範囲は非常に限られている。遠距離から連絡を行う場合は、いくつもの受信地点を介してリレーのように中継しなければならない。
――ミトーニア付近にいるのなら、なんとか連絡できるはずなんだけど。
ルキアンは、クレドールの白い船体を心細げに思い浮かべた。
――やっぱり無理なのかな。もしかして……。
何かというと最悪の状況を連想してしまう自分に、彼は辟易する。
だがそのとき、心の中に言葉が湧いて出た。
――こちらクレドール。そちらの所属と名前は?
自らが還るべき船の名前を耳にして、ルキアンはひとまず安堵した。だが落ち着いて考えてみると、念信に出たのは全く聞き慣れぬ声である。
セシエルのそれではない――初対面のときには冷たい事務的な口調に聞こえるのだが、それも慣れるとかえって彼女らしいと微笑ましく思えるような、あのセシエルの声音ではない。
――こちら、アルフェリオン・ノヴィーアのルキアンです。えっと、ギルドの正式なメンバーではありませんが。その、セシエルさんは……?
相手は若い男らしい。今の状況が状況だけに、彼の声も険しい印象だった。だがルキアンの名を聞いた途端、堅苦しい口振りが不意に柔らかくなる。
――ルキアン君? 君が、あの噂のルキアン君かい?
ルキアン自身が返事をする間もなく、相手の男は続けた。
――《実物》、いや、失礼……《本人》と話ができるなんて嬉しいぜ! セシエルはいま、明日の戦いに備えて仮眠中だ。今晩は俺が代わりに念信を担当している。よろしくな。
男はブリッジクルーの1人だったようだ。何某とかいう名前を告げられたが、早口でよく聞こえなかった。
しばらく沈黙があった後、別の人間が――ルキアンのよく知っている声が応対に出た。
――ルキアン君、無事で良かったです。いや、あなたなら大丈夫だと信じていた、という方が適切でしょうか。すぐに救援を差し向けることができず、申し訳ありませんでしたね。
――クレヴィスさん! はい、大丈夫です。いま僕はミトーニア郊外の……座標は、えっと……。
クレヴィスの声が無性に懐かしく思えた。ルキアンは少し涙ぐんでしまう。
――我々の艦隊は、ミトーニア市より少し南の上空にいます。そのまま接近して来てくれれば、改めて誘導しますよ。まぁアルフェリオンは良く目立ちますから、こちらの《複眼鏡》からもすぐ視認できることでしょう。
――ありがとうございます。急ぎます! それで、あの……。
ルキアンは躊躇したが、シャノンとトビーのことをクレヴィスに伝えた。
4 もう「仕方がない」とは言わない
◇
ルキアンは、仲間たちの待つミトーニア近郊へと早速向かうことにした。アルフェリオンのステリア系器官を起動すれば、ものの数分で到着できるだろう。
そう、ステリアの力を使ったならば……。ルキアンは不意に考え込む。
――感じる。こうしていると、ステリアの力を感じる。闇の向こうで煮えたぎっているのが分かる。まるでステリアが待っているみたいだ。僕が憎しみに駆り立てられ、地獄の蓋を開けてしまうのを。そうなったら一気に溢れ出て、全てを飲み込もうと待ちかまえている。
何気なく、それでいて重大な試みが彼の頭にひらめいた。
偶然の思いつきのようであっても、それは、ある意味で必然の成り行きだったのかもしれないが。
――今までは僕が激しく感情を爆発させたとき、ステリアの力が発動した。コルダーユでも、パラミシオンでも、そしてさっきの戦いでも。だけど怒りに心を奪われちゃだめだ。
気持ちを静めようと、何度も念じるルキアン。
――冷静に、冷静になるんだ。
瞑想。カルバのもとで魔法の修行をしていた場面を思い出し、精神統一する。
――そうだ。いい感じ。もしかして、この自然体の心のままでも、ステリアの力を起動することができるんじゃないだろうか?
紅蓮の甲冑をまといし巨人。輝く炎の翼を背負った死の天使。あの真っ赤なアルマ・ヴィオの獰猛な影が、脳裏によぎった。
怒りと憎しみの象徴。おそらくそれはステリアの力の化身?
――いけない。ステリアの力に心を奪われれば、いつか僕もアルフェリオンも、あの《赤い巨人》のようになってしまうかもしれない。この世界に災いをもたらし、破滅に導く者に変わってしまうかもしれない。旧世界を滅ぼしたステリアの呪いに、僕らはもう魅入られてはダメなんだ。
ルキアンは、精神の淵の奥底に怒りを封じようとする。
けれどもそれは限りなく困難な業だった。
――闇を恐れるのでもなく、闇に身を委ねるのでもなく、暗黒と静寂の中へと冷静に自分を投げ入れ、僕の心の闇を飼い慣らすんだ。ひとつになるんだ。静かに、もっと静かに……。
すると、アルフェリオンの機体がうっすらと光を帯び始めた。
月光を浴びてきらめく銀色の鎧。
その凍てついた輝きだけではなく、機体自体が淡い黄金色の光を放っている。
――その調子。もしかして、上手くいく? 落ち着け。焦っちゃ駄目だ。心の中を無に。憎しみを忘れ、だけど決意を胸に刻み……。
ステリアの膨大な魔力が白銀色の装甲に満ちる。
あまりに強い魔法力は、暗闇の中で火花を散らしそうなほどに高まっていく。
――今まで僕は、この世界が自分の理想とあまりに食い違っているために、現実をありのままに見つめることから逃げてきた。そして、ついに目を背けることができなくなったとき、僕はやり場のない怒りに身を委ねることによって、恐怖や困惑を押さえ付けようとした。だけど、それではダメなんだ。どんなに《あってはならないはず》のことであろうとも、目の前で実際に起こっている出来事ならば、それを現実として見据えていかなければ。
ルキアンは自分に言い聞かせる。意外に気持ちは激昂しなかった。
むしろ心地よい高揚感のようなものはあっても……。
――でも《現実を直視すること》と《現実を肯定すること》は、似ているようで全く違う。僕はもう、《仕方がない》なんて言って何もせずに逃げたりはしない。この現実が《それが現実だから》ということ自体で、それだけで正当化されるのなら、僕はおかしいと思う。だから……どんなに絶望的でも、どんなに怖くても、泣きながらでもぶつかってみせる!
今までにステリア系が起動した時とは、機体の様子が明らかに異なる。
どこまでも静かなのだ。
強大な力を全身に漲らせ、恐ろしいほどの霊気の波をまといながらも、さながら静まり返った夜の海のように、神々しく穏やかそのものである。
――なぜなら僕にもクレヴィスさんの言うことが、ほんの少し分かったような気がするから。いつか……穏やかでありたいと望む人みんなが、ずっと優しく微笑んでいられるようになったら、どんなに素敵だろう。せめて、そんな小さな安らぎだけは誰にも奪われないような……そういう心ある時代が来てほしいと思うから。ただの夢でも、永久に絵空事でも構わない。結果なんて関係ない。その理想のために自分も何かすることができたという、一瞬一瞬の、単純な事実の積み重ねが僕には大切なんだ。だって僕自身、永遠じゃないんだから。そう、僕が戦うのは……。
悠々と夜空に向かい、羽ばたき始める6枚の翼。
最後に兜のバイザーが下に降り、アルフェリオンの顔を覆い隠す。
――優しい人が優しいままでいられる世界のためなんだ!!
ルキアンの決意と共に、銀の天使の目に光が灯る。
青白く……。
憎悪に燃えるあの赤い眼光ではなく、それは透き通った青い輝きだった。
【続く】
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第24話・後編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
9 解き放たれた闇、暴走するステリアの力
◇
アルフェリオンは野獣のような動きで飛び回り、敵を引き裂き、踏みつけ、暴れ狂った。今やその姿は恐怖の対象でしかない。
光に満ちた天の騎士ではなかった。
いや、地上に遣わされた御使い、死の天使かもしれぬ。
――よくもシャノンに酷いことを。よくもおばさんを、あんなに良い人だったのに……。許さない。絶対に、許さない!!
ルキアンの凄まじい憎悪。
攻撃を続けるにつれ、彼の怒りが沸々と煮えたぎった。
清冽な義憤というのは、純粋であるが故にかえって人を残酷にもする。
アルフェリオンも、もはや《暴走》の域に入っている。
敵を殲滅するまで戦い続ける、文字通りの生体兵器だ。
機体に漲るステリアの力は、そうした《兵器》としてのアルフェリオン本来の能力を呼び覚まし始めている。
アルフェリオンの手が変形し、5本の爪が刃物さながらに伸びる。
おそらくパラディーヴァと融合したせいであろう、旧世界のナノテクノロジーの結晶たる《マキーナ・パルティクス》の力が開放されているのだ。その働きにより、アルフェリオンは機体の組織を自在に変化させ、乗り手の意思や周囲の状況に応じて刻々と変形することが可能なのだ。
鉤爪、いや、5本のブレードを生やした手がティグラーの頭を掴み、首を引きちぎった。横になぎ払った腕が、さらに飛びかかってくる相手を両断する。
――思い知れ! お前たちが苦しめた人々の痛み!!
ルキアンは心の中の闇を解き放つ。リューヌに言われたように……。
コルダーユの海戦の後に感じた悔悟の念も、ステリアの力を二度と使わぬというあの誓いも、何もかも負の感情に押し流されていく。
アルフェリオンが竜のような雄叫びを上げ、兜の前方部分が開く。
牙だ。兜の下に隠されていたのは、恐竜を思わせる禍々しい口だった。
恐るべきことに、今のアルフェリオンは猛獣に等しい戦い方をしている。
魔法や剣など必要なかった。その爪で敵を切り裂き、その超硬質の牙で喰らっていると言ってもよい。これでは魔物そのものだ。
――いなくなってしまえ! 消えてしまえっ! 消えろ!!
ルキアンは常軌を逸していた。もはや獣の本能に捕らわれた狂戦士だ。
このような殺戮など、彼は決して望んでいなかったはず。
それでも目の前の敵を残らず血祭りに上げるまで、彼自身にも止めることはできないだろう。戦いの意思を。破壊への衝動を。
だが、その激情が最高度にまで達したとき、ルキアンは奇妙なものを見た。
10 幻の意味は? 大地に降り注ぐ破壊の光
リューヌを呼び出したときと同様に、あまりにも鮮明な幻が脳裏に浮かぶ。
しかしそれは、彼にとって全く見覚えのないものだった。
折れ曲がり、半ば崩れ落ちた高き塔――あの四角い《クリエトの塔》が
無数に立ち並ぶ廃墟。
突然、廃墟は閃光に包まれ、次の瞬間には炎が一面に広がっていた。
何かが空の彼方から降り注いでくる。
天から大地までを貫く光の柱が、無数に屹立しているかのように見えた。
雲間から投げ落とされる雷光の槍が、瞬く間に廃墟を荒野に変えていく。
この情景はどこから来た悪夢? それとも幻視?――世界の終わりを。
少年の胸の奥で、地獄を描き出す絵巻はさらに続いていく。
地平線が見えた。
赤茶けた大地。吹き抜ける風が土埃を巻き上げ、視界を遮る。
ひび割れた地表に転がる獣の遺骸。
半ば砂に埋もれた山羊の頭蓋。
不毛の荒野の向こうに、点々と建物が見えた。
煉瓦を積んだだけの粗末な家々が、小さな集落を形づくっている。
日焼けした男が、細い棒を手に牛の群れを追い立てていた。
赤ん坊を背負った母親が、井戸から水を組み上げている。
そこには人々の生活があった。この苛酷な状況の中でも。
小さな男の子がやせこけた子犬を腕に抱いて、納屋の横から姿を見せた。
彼はぼんやり突っ立ったまま、果てしなく広がる砂と岩だけの世界を
見つめていた。
幼い少年は遠い目でルキアンの方を見た。
表情のない顔。心の光を失った瞳。
骨と皮だけになった腕の中、子犬が弱々しく鳴いた。
そのとき……。
あの破壊の光がここにも降り注いだ。
赤く乾いた大地が、無数の《雷》によって引き裂かれる。
極限にまで荒廃した砂漠が、さらに酷く、いびつな凹凸に変容していく。
巨大な光の柱のひとつが、小さな村の真上にも落ちた。
少年と子犬は、死の恐怖を感じる余裕すらなく一瞬で消し飛んだ。
また場面が変転し、今度は星空が開けている。
どこまでも続く暗黒の空間。
宝石の粒をばらまいたかのように、無数に光り輝く星屑。
不思議なものが眼下に見えた。
途方もない大きさの水色と緑色の球体。
何故か、その水色が海を、緑色が大地を表していると直感した。
だが緑の大地は、枯れた茶色に食い尽くされつつある。
再び視線を周囲に戻すと、鋼の城塞のごときものが幾つも浮かんでいた。
闇の空に漂うそれらは、どうやら砲台に似た役割をしているらしい。
あの水と緑の球体に向かって、何百、何千という砲列が火を吹く。
雷撃弾と似ているが、それとは比較にならぬほどの電光が発射される。
さきほどの《いかずちの雨》の正体は……。
そう気づいたとき、ルキアンは心の底から憤怒を感じた。
――どうしてそんなことをする? みんな死んでしまうじゃないか! 人だけじゃない。動物や草や木だって。海も森も山も、全て……。
なぜ見知らぬ世界の光景に、ここまでの憤りを覚えるのだろうか。彼自身にもその理由は分からなかった。
――止めるんだ。止めろ。何なんだ、何なんだ、お前たちは!?
11 憎悪の果て…禁断の赤いアルマ・ヴィオ!
だがこの本能的な憎しみの感情を、ルキアンはすでに知っていた。
今のようなやり場のない怒りを前に一度感じたことがある。
あのときと似ている……。
《パラミシオン》の《塔》で、忌まわしい人体実験の秘密を知ったとき。
《塔》を護る《アルマ・マキーナ》を相手に戦ったとき。
全ては旧世界に対する、漠然とした、それにもかかわらず果てしなく深い憎悪と同質のものだ。彼がそう気づいたとき、夢幻の風景が揺らぎ、闇の果てに真っ赤なものが見えた。
煉獄? その深淵に燃えるそれは――業火?
炎は自らの意思を有しているかのごとく、燃え盛り、激しくうねった。
あたかも怒りの情を体中で表現するように。
火の勢いがさらに強くなり、それは閃光と化して視界全てを飲み込んだ。
と、轟々と燃える火焔の向こうに何かがいた。
巨大な人影のような。
人の形をした――純粋な紅、鮮血の色、おぞましい赤の闇。
地獄の魔物? そうではない。
信じがたいことに、それはアルマ・ヴィオだった。
真紅の甲冑で全身を覆った巨人。
流れ行く凶星のごとく、その背後に広がる紅蓮の光。
真っ赤に尾を引く火焔を従え――翼のように。
この異様な幻の意味することは、ルキアンには理解できなかった。
だが彼は理由もなく確信した。
――あれは何か恐ろしい、災いをもたらす、あってはならない存在だ。正直言って怖い。怖かった。だけど、どこか抗し難い力も感じた。僕の心は、あの巨人に惹かれていたのかもしれない。赤いアルマ・ヴィオに。憎悪を象徴するかのような、炎のごとき、紅蓮の翼を持つものに。
――はっ!?
ルキアンは我に返った。
――僕は、つい今まで、怒りのあまり……。
アルフェリオンの手から、ティグラーの頭部が転がり落ちる。
それが最後の1体であったようだ。今さらながらルキアン本人は気づいた。
再び静まり返った夜の農園。
周囲を見て愕然とするルキアン。
――これは、これは……僕が1人でやってしまったのか?
アルマ・ヴィオ9体分の残骸が辺りを埋め尽くしている。
しかも個々の機体の破損状況が尋常ではない。森の獣が獲物を食い散らかした後のようだった。
凄絶な戦いの跡地には、ただ夜風が吹き抜けていくばかり。
残り火が点々とくすぶっていた。
12 はじめての世界―アレスの旅の始まり
◇ ◇
風のない星空のもと、あたかも時が止まったかのように、夜の大地は音という音全てを失っていた。その静けさは神秘的ですらある。
闇と静寂とが完全にひとつになる。そこに自らの身を置くとき、人は大自然の懐の深さを肌で感じることだろう。
果てしなく続く、音も色もない漆黒の世界。
そのただ中に小さな明かりがぽつんと灯っている。
立ち枯れた木の下で、赤々と燃える焚き火。その炎を囲み、ヤマアラシのような髪型の少年と、彼と同じ年頃の金髪の少女が座っていた。少年の傍らには狼に似た動物の影も見える。
灌木まじりの荒野が、彼らの周囲にうっすら浮かび上がる。
ここは中央平原の北端付近――緑豊かな平原中部・南部とは様相が幾分異なり、まばらな草地の間で茶色い地肌がむき出しになっていた。
「寒いのか? 分かる? さ・む・い・か?」
肩をすぼめてじっとしているイリスに、アレスが尋ねる。
返事が戻ってこないのは仕方がない。だがイリスは微かな反応すら見せなかった。もし言葉が話せたとしても、彼女はどのみち無口で無機質なのかもしれない。
「ちぇっ。変なヤツ……。まぁ、ちっとは慣れてきたけどな」
隣に寝そべっている相棒・レッケの毛皮をなでながら、アレスは苦笑いする。
荒々しい肉食獣の姿に、鋭い一本角を持つ魔獣《カールフ》だが、こうして丸くなって居眠りしているところを見ていると、犬にそっくりだ。
アレス自身にしてみれば、むしろ暖かな夜だった。ラプルスの峰々に囲まれた寒冷な高山地帯に比べれば、平野部の気温は相当に高い。何しろ彼の村の付近では、真夏でさえ雪がちらつく日もあるのだから。
「妙な感じだな。こう、だだっ広いと……。右も左もずーっと、どこまでも目線を遮るものがない。真っ平らで、山も丘もなくて、なんかスカスカして気になる。山の上から見ていた平野も広かったけど、こうして実際に来てみると、やっぱりデカい。でも海って、この平地よりもっと大きいんだろ。信じられないぜ」
今日、広大な平野というものを、アレスは生まれて初めて体験した。
彼は細い枯れ枝を手に、落ち着きのない様子で薪を突っついている。枝の先端が焦げ、じわりと火が滲んで消える。
「イリスの姉ちゃんを、チエルさんを早く助けなくっちゃな。パラス騎士団の奴らが連れ去ったんだから、もしかしてチエルさんはエルハインの都に捕らわれているんだろうか? 急がないと、あの意地悪な《革女》が、チエルさんに酷いことをするに決まってる!」
真っ暗な平野の彼方を睨むアレス。
決してあるとは言えない知恵を絞って、彼はチエル救出の手だてを考える。
「でもいきなり王様の城に出かけたところで、取り合ってくれないだろうし。駄目だ駄目だ! 逆にパラス騎士団に見つかってしまう。それにしても、パラス騎士団が出てきたってことは、あれは王様の命令だったんだろうか? まさか、そんなワケないよな」
13 血塗られた手で救いをもたらしたもの
イリスは、立ち枯れ木に背中を寄せかけ、目を閉じたまま黙っている。
そんな彼女の姿をちらりと見た後、アレスは懐から紙切れを取り出した。
「母ちゃんが教えてくれた、ジャンク・ハンターのブロントンか……。このブロントンって人に会うために、どっちみち、まずエルハインに行ってみないと始まらないってことだ」
旧世界の遺産を発掘し、売りさばくことを生業とする《ジャンク・ハンター》も、エクターと同様に自分たちのギルド(=《ハンター・ギルド》と呼ばれる)を作っている。ブロントンという男は、エルハインのギルドに属する腕利きの発掘人らしい。
アルマ・ヴィオやそのパーツ(器官)の売買をめぐって、エクターとジャンク・ハンターが深い関わりを持っているのは周知の事実だ。アレスの父もブロントンと頻繁に取引をしており、2人は単なる商売相手を超えた親しい仲であったという。
「小さい頃、俺も何度か会ったことがあるはずなんだけど……。よく覚えてないな。なんか、ひげ面のごっついオヤジじゃなかったか?」
亡夫の友であり、裏表の世界についての情報通でもあるブロントンなら、何らかのかたちでアレスの助けになってくれるのではないか――そう思い、母のヒルダは息子にブロントンの家を教えたのだ。
「ともかく眠い。そろそろ寝よっと。明日も頼むぜ、イグニール」
背後にそびえ立つ深紫のアルマ・ヴィオに、アレスはVサインをしてみせた。もちろんエクターが乗っていない今、旧世界の超竜《サイコ・イグニール》からの返事はない。
そのときだった。
イリスが不意に身を起こし、青い目をかっと見開いたのだ。
遠くを――見えるはずもない荒野の果てを眺めたきり、彼女は身じろぎもしない。
「どうした、イリス? いきなりそんな顔して」
彼女の指先が震えている。怯えた眼差しはアレスを通り越し、どこか離れた場所に向けられたままだった。
少女は何かに恐怖を感じている。しかし肝心の恐怖の対象となり得るものが、周囲には全く存在しない。万が一、野獣や盗賊が付近の闇に潜んでいるのなら、真っ先にレッケが気配を嗅ぎ付けるはずだ。
「大丈夫だってば。俺たちにはイグニールがあるんだぜ。無敵、無敵!」
アレスは脳天気にそう言うと、呑気にイリスの肩を叩く。
だが彼女は本能的な不安を御することができず、心の中で叫んでいた。
――確かに鼓動を感じた。まさか、あり得ない!! でもあれは……。
「イリス、落ちつけよ。もし悪者が出てきたら俺が守ってやるから」
心強い台詞を口にしながらも、事情を全く理解していないアレス。
――いつかまた、あの赤い翼が空を駆け、憎しみの炎が全てを焼き尽くす!?
イリスは愕然と空を見上げる。感情とは無縁だったはずの彼女の表情に、露骨なまでの動揺、恐怖の思いが浮かんでいた。
――血塗られた手で救いをもたらしたもの。悪魔にして救世主。《空》を落とした死の天使! もう、あなたの力は必要ないのに。あのとき永遠に眠ってくれればよかったのに……。なぜ!?
【第25話に続く】
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※2001年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第24話・中編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
5 古の契約、黒き翼のパラディーヴァ
極悪非道の暴漢一味も、あまりに残虐な出来事に吐き気を覚えた。
しかも、何があったのかも分からないまま、彼らの仲間は殺されていたのだ。こんなことができるのは魔法しかあり得ないが、呪文を唱えた様子もない。
「あ、悪魔か!? そんな馬鹿な、助けてくれ!! お願いだ!」
人間が太刀打ちできる相手ではなかった。あの大男が必死に助けを請う。
だが《彼女》は無表情に、緩やかな動作で右手を掲げた。
「私は悪魔ではない。《パラディーヴァ》だよ……」
どこまでも静かな――それでいて、魂の底から恐怖を感じさせる声で彼女は言った。
その言葉が終わるや否や、何の前触れもなく大男は激しい炎に包まれる。
奇妙なことに火は決して周囲に燃え移らず、彼だけを焼き尽くす。
断末魔の叫びが聞こえた直後、そこには黒こげの骨のみが転がっていた。
残りの者たちはひたすら逃げまどう。
太々しい悪人づらなど、もはや見られなかった。野獣に襲われた羊の群のように、彼らはただ慌てふためき、青い顔で右往左往するだけである。
◇
その光景はルキアンの目にも映った。
――何? 何が……。
彼はようやく気が付き、凄まじい殺戮のただ中に投げ込まれた。
壁や床、辺り一面が血に染まり、どぎつい死臭が渦巻く。
だが、この修羅場よりもさらにルキアンを驚かせたものは――目の前にいる、見覚えのある人影だった。
「翼を持った、あの黒い服の……」
様々な思いが胸の奥で一度に去来する。愕然と座り込むルキアン。
黒衣の女は人間めいた雰囲気を露わにし、感慨深く告げた。
「ようやく私を呼び出してくれたのですね。わが新たな主よ。永劫にも等しい時を経て、こうして出会うことができるとは」
「呼んだ? 僕は、何も……」
彼らが言葉を交わしたとき、ならず者たちが隙を見て逃亡しようとした。
しかしパラディーヴァというものは、どこまでも冷徹なようだ。
幻か? 無数の黒い羽根が、吹雪のように周囲の空間を埋め尽くす。
ルキアンが目を凝らしてみたときには、おぞましい現実だけが残されていた。
悪漢たちの姿は跡形もなく、切り刻まれ、赤く染まった肉の山が……。
床を埋め尽くしていたのは、もはや人の身体ではなかった。
「な、何をするんだ!? 酷いじゃないか!!」
思わず怒りの目で睨むルキアン。
黒衣の女は不思議そうな顔をすると、ルキアンを見つめたまま首を傾けた。
「わが主よ、全てはご命令に従ったまで。こうするために私を召喚したのも、あなた自身です」
「そんな、知らないよ!? 何を言う? 僕は殺せなんて、殺せなんて……」
ルキアンは急に口を閉ざした。
あの幻は、夢などではなく本当のことだったのだ。
――やつらを殺したいと僕は願ってしまった。それは確かだ。何てことを、何という取り返しのつかないことを、僕は!!
「そう。それが私を呼び出すための鍵だったのです。さきほど本気で誰かを殺したい、と生まれて初めて思いましたね? それが古の契約に定められた条件でした。私があなたのもとに、こうして姿を現すための……。中途半端な気持ちでパラディーヴァを使う者は、いずれその力に溺れて滅びます」
霞のように漂いながら、黒衣のパラディーヴァは言う。
「今日の日のこと、深く心に刻まれよ……。私の名は《リューヌ》。名前を呼ばれれば、私は直ちに主のもとに姿を現し、ご命令に従います」
6 理想と目の前の人間…守るべきは?
ならず者たちが消え去った後、残された血の海。
そこに横たわる人の姿に、ルキアンは胸が張り裂けそうな思いで目を向けた。
「シャノン? そんな……。シャノン!!」
無惨に辱められた彼女の姿を、ルキアンは直視することができなかった。
愛らしい顔はひどく殴られ、腫れ上がっていた。
あの生き生きとした輝きを失い、宙を見つめる虚ろな目。
力を失い、だらりと伸びきった手足。
繊細な白い肌に血の跡がこびり付いている。
彼女は動くこともなく、仰向けになったまま転がされていた。
悲しくて、悔しくて、可哀想で、ただ涙が止まらず……。
もはやルキアンには感情を言葉にすることさえ叶わなかった。
発狂したかと思われるほど、異様な叫びをルキアンが上げた瞬間。
壊れそうになる彼の心を、背後に立つリューヌが支えた。
リューヌが側に居ると、何故か理由もなく、本能的な安堵感に包まれる。
彼の感じやすい心は破れずに済んだ。
突如、強烈な揺れが彼らを襲った。
窓ガラスが割れ、壁土がパラパラと崩れる。すぐそこで耳をつんざくような爆発音が轟いた。
「さきほどの者たちの仲間です。外にアルマ・ヴィオが9体」
リューヌが機械的に告げる。
「このままじゃ崩れる! 早く逃げなければ。でも外に出たら、あいつらのアルマ・ヴィオにやられてしまう!!」
パニックになりかけたルキアンに、リューヌが冷静に言う。
「心配は要りません。あのようなアルマ・ヴィオなど、すぐ片づきます……」
さらなる砲撃が加えられた。屋根を支える柱や壁は、悲鳴を上げている。
「ともかく、このままでは下敷きになる!」
ルキアンはシャノンに駆け寄り、抱き起こす。彼は自分のフロックを脱ぐと、彼女に肩から掛けた。
「このままじゃ死んじゃうよ! 今は動いて、生きて、シャノン!!」
人形のように固まった彼女の手を取り、ルキアンは戸口に近づいた。
「せめて、アルフェリオンがあれば……」
壊れた扉の向こうに、うなり声を上げるティグラーの群が見える。
「もうそこまで来ています。わが主よ」
夜の大地をリューヌが指差す。
「そんな馬鹿な。アルマ・ヴィオが勝手に動くなんて」
ルキアンは信じ難いといった様子で目を凝らしてみる。
暗くてよく分からない。リューヌには見えているのだろうか。
「今から私たちはアルマ・ヴィオの中に転移します。ただし、わが主よ。私と《融合》した時点で、アルマ・ヴィオの《ステリア》の力は自動的に開放されてしまいます。それでも構いませんか?」
「それは……」
一瞬、躊躇したルキアンだが、彼はもう迷わなかった。
――あのならず者たちが押し掛けてきたときだって、僕が本当に撃っていたら、シャノンやトビーだけでも逃げられたかもしれなかったんだ。今、その過ちは繰り返したくない。
彼は目を見開き、痛々しい諦念のこもった声でつぶやく。
「僕は、甘かったかもしれない……。もちろん、人はいつか分かり合えるという、僕の理想を捨てるわけじゃない。でも、少なくとも《理想》という命を持たぬものを守り通すために、《生身の人間》の犠牲に見て見ぬ振りをするなんて、僕には正しいとは思えない。だから、これからの僕は――時には笑顔や穏やかな気持ちを捨てて、時には理想に背いても剣を取る。結局、人間は不完全な存在なんだ。言葉だけでも、剣だけでも、《優しい人が優しいままでいられる世界》を築くことなんてできない」
ルキアンは真に決意を固めた。
「構わないよ、リューヌ。ステリアの力を開放して」
「分かりました。それでは《転送陣》を描きます」
「リューヌ、全くの直感なんだけど――旧世界でアルフェリオンを創造した人だって、本当はステリアの力なんかに頼らずにいたかったんだと、僕は思う。だけどやっぱり、みんなが優しく穏やかに暮らしていけるように、必要だったから、ステリアの力をアルフェリオンに組み込んだのだと思う……」
ルキアンはシャノンを安心させようと、そっと抱きしめた。
彼女は無言で体を小刻みに震わせている。
瞬く間に、2人の足元に光の魔法陣が描き出される。
見たこともない呪文が、細かく書き込まれたサークル。旧世界の魔法だ。
リューヌがルキアンたちを翼で包むと、3人は光となって消えた。
直後、獣のような、いや、竜を思わせる咆吼が夜の平原に響き渡る。
アルフェリオンだ。
パラディーヴァと融合し、真のステリアの力を覚醒させた銀の天使。
――よくもシャノンを……。もう、お前たちの悪行は繰り返させない!
ケーラに横たわるルキアンは、断固として言った。
7 人の争いを見つめる、人にあらざる存在
◇ ◇
「見るがいい……。これは紛れもない事実だ」
陰鬱な声が響くと同時に、闇の中にアルフェリオン・ノヴィーアの姿が映し出される。6枚の翼を背負った外見自体は普段と変わらない。だが白銀色の甲冑の上に異様な妖気をまとうアルフェリオンは、これまでと同じ機体には到底思えなかった。
鬼火が青く揺れる――輝きながらも、どす黒い影が宙の裂け目から湧き出しているかのような、魔性の炎。翁を模した黄金色の面が、妖しい灯火の向こうで鈍く光っている。
この《老人》のマスクは、どこか道化師と似た雰囲気も合わせ持つ。笑い顔のまま表情を変えることのない仮面は、それだけにいっそう薄気味悪い。
「感じるであろう? 今にも荒れ狂わんばかりの《ステリア》の鼓動を」
生者をあの世に誘うという、死霊の歌を彷彿とさせる声色。どうやら《老人》の黄金仮面の口から出たものらしい。
別の誰かが軽い感嘆の念を込めて答えた。
「有り得ぬことだ、と言いたいところだが……。確かにこのアルマ・ヴィオは、忌々しい《黒き翼のパラディーヴァ》と融合している。一体、何故に?」
奇妙に長いくちばし――あるいは鼻にも見えるが――を持つ、《鳥》の黄金仮面だ。機械的な口調の《老人》とは対照的に、こちらは他人を嘲笑うような冷淡な含み笑いを伴っている。
《鳥》の仮面は続けた。
「《マスター》に命じられない限り、パラディーヴァはアルマ・ヴィオと融合できぬもの。だが《彼女》のマスターはすでに死んでいる……。それも遙か昔、人間どもの言う《旧世界》が崩壊した際に」
「では、新たなマスターが現れたと?」
そう尋ねたのは、両目の穴以外には何の造作も施されていない仮面――それは強いて言えば、剣技の訓練の際に被る防具を連想させる。また鎧の騎士のように見えなくもない。《兜》の黄金仮面と呼ぶのが適当だろうか。
と、枯れ木の鳴るような声で《兜》の言葉を否定する者がいた。
「第二のマスターか? 冗談が過ぎる……。同一の《霊気周波》をもつ人間が2人も存在することは、およそ考えられまい。ましてや、ちょうど今の時点にその者が現れるなどと」
《魔女》の仮面の台詞だ。
その面相は美しいと言えなくもないのだが、男のように彫りの深い顔と極端に突き出した顎からは、やや不自然な印象を受ける。本来は若い女を表現したマスクであるにもかかわらず、眺めれば眺めるほど老婆に見えてくるのも空恐ろしい。
暗黒の空間に浮かぶ映像に変化が起こる。
睨み合いを破り、2、3体のティグラーがアルフェリオンに猛然と突撃した。
黄金仮面たちは興味深げに見入っている。
◇
量産タイプに過ぎないティグラーも、さすがに陸戦型だけあって足は速い。
疾風のごとく三方に散り、連携して攻めてくる鋼の猛虎たち。
一対一ならともかく、多くの陸戦型を相手にすると汎用型は分が悪い。基本的にスピードが違いすぎるのだ。
ならず者たちのティグラーは軽装の突撃タイプなので、なおさら素早い。
遠巻きにし、飛びかかったかと思うとまた離れ、魔法金属の牙と爪がアルフェリオンに襲いかかる。
――大体、たった1体で9体の敵に戦いを挑もうなんて、頭がおかしいんじゃないか?
――俺たちゃ傭兵だ。素人が手を出すと怪我するぜ!
最初はアルフェリオンの放つ威圧感に押されていた悪漢たちだが、たちまち余裕を見せ始める。
しかし、それは途方もない勘違いだった。
今まで微動だにしなかったアルフェリオンが、電光のごとく飛び出す。
ほとんど同時に爆発が起こった。
腕を突き出したままの銀の天使。その前には炎を上げるティグラーの残骸。
――み、見えなかったぞ? 今のは……。まさか魔法か!?
すぐ隣で爆炎が上がるのを目にして、敵のエクターが戦慄する。
彼のティグラーが回避の姿勢を取ろうと足を踏み出したとき、白銀色の腕が目の前に迫り、その掌が機体に接した瞬間――またも爆発が起こった。
MTソードも持たず、MgSも発射せず、わずか一撃で破壊。
どのような攻撃をしているのか、相手方には見当も付かない。
8 「審判の日」―仮面たちの予言?
◇
「あのアルマ・ヴィオ、ステリアの力を体表から直接に放射している」
《兜》の黄金仮面が言った。
半ば楽しげに《老人》の仮面が応じる。
「さよう。あれが触れた途端、ステリアの波動が敵の機体に浸透し、物質界の次元で破壊するのは勿論のこと、その背後にある霊的結合すら寸断する。強力な《次元障壁》を張るか、あるいは《屈曲空間》に包まれていない限り、防御は困難……」
「銀のアルマ・ヴィオの乗り手がステリアの力を相当使いこなしている、と言わざるを得まい。今のうちに手を打たねば、先々、禍根を残すことになろう?」
アルフェリオンが1体、また1体とティグラーを片付けていくのを睨みながら、《魔女》が告げた。
大方の黄金仮面たちも、その言葉に同意したように見えた。
だが《老人》はおもむろに首を振る。
「いや。今、我らには他にしなければならぬことがある。無駄な時間を割く必要はない。あのパラディーヴァ、《封印》のおかげでかなり無理をしておる。我々が手をくださずとも、今のままでは遅かれ早かれ自滅するだろう」
「そうだな。もし他のパラディーヴァであったなら、封印から抜け出るだけでもエネルギーを使い尽くし、消滅しているところだろうが」
漆黒の広間に、《鳥》の黄金仮面の冷ややかな笑い声が響いた。
「やはり恐るべし、黒き翼のパラディーヴァ……」
《兜》の仮面がそう付け加えると、他の者たちも頷く。
わずかな間、沈黙が周囲を支配した。静寂に包まれると闇はなおさら深く感じられる。
やがて《魔女》の枯れた笑い声がこだました。
「だが所詮は無駄なあがき。あの封印が解かれぬ限り、時の流れは誰にも変えられはしない。今の世界の人間たちには決してできぬだろう。封印を解き、あの《災厄》を再び招くかもしれぬという危険を、敢えて冒すことは……」
首領格らしい《老人》が言葉を継ぐ。
「その通り。彼らは――たとえ他人の苦しみや世の危機を見過ごしてでも、ともかく自分と仲間に災いが飛び火せぬよう腐心する。人間どものそのような習性から考える限り、封印が破られることはおそらく有り得ず、従ってこの世に我々を止める手だてもありはしない。愚かな人間どもは、自分たちに重大な選択が突き付けられていることすら自覚せぬまま、今度こそ《審判の日》を迎えるであろう」
残りの黄金仮面たちも低い声で何事かささやき、賛同の意を示す。
彼らはみな、裾が床に着くほど長い赤紫のローブで全身を覆っている。そのうえ頭からフードを被っているため、素顔どころか体の一部たりとも露出されていない。長衣の下は実は空っぽではないかとさえ思わせるような、とにかく不気味という言葉に尽きる連中だ。
「そのためにも《大地の巨人》の覚醒を急がねばならん。メリギオスという男、いましばらくは好きなように泳がせておけ……」
《老人》の言葉が終わるや否や、闇を飛び交っていた鬼火が一斉に消え、仮面の存在たちも何処へともなく去った。
【続く】
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※2001年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第24話・前編
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【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
暗き淵に、すなわちその蒼き深みに宿りし光が
憎しみの炎となりて、真紅の翼はばたくとき、
終末を告げる三つの門は開かれん。(「沈黙の詩」より)
◇ 第24話 ◇
1 守りたい、それでも戦いを避けたい…
ルキアンの心中では怒りが恐怖を上回り始めていた。
生まれて初めて、鋼の切っ先を人間に向ける。
「どうして……。どうして、こんな酷いことをするんですか?」
沢山のならず者たちと対峙するルキアン。
足元には、シャノンの母の哀れな亡骸が横たわっている。
だが野獣同然の男たちは、この凄惨な状況にも何ら罪悪感を覚えていないどころか、むしろ心底楽しそうに、歪んだ笑い顔を見せる。
「どうしてかって、そりゃ楽しいからに決まってるだろうが!」
ならず者の1人がそう答えると、他の仲間たちがゲラゲラと笑った。
下品な笑いが部屋中に響き渡る。
ルキアンは思わず《やめろ》と叫びたくなった。だが彼は、反対に低く押し殺した声で言う。
「楽しい? 楽しい、ですか? 人が苦しむのを見てどこが面白いんですか。人が死んだんですよ! おばさんが、おばさんが――何をしたというんです? 何の罪もない人を殺すなんて……」
拳を握り締め、生気を失った声でつぶやくルキアン。
賊たちは、そんな彼の目の前でからかうように剣を振り回したり、口笛を吹いたりしている。そして誰かがわざと強調するように言った。
「罪もない? だから面白いんだよ。バーカ! ついさっきまで平和に暮らしていたヤツが《どうして?》という顔で死んでいくのが――あれを見てると、やめられないってーの」
「おかしいよ……。あんたたちは狂ってる」
静かな声の下に、ルキアンは爆発しそうな怒りを押しとどめている。
ならず者たちがそんな彼の様子を茶化した。
「そんなへっぴり腰で剣を突き付けられても、怖くも何ともねぇんだよ!」
「まったくだ。ごちゃごちゃ言ってる暇があったら、ちっとは自分のことを心配した方がいいんじゃないか? てめぇらだって、今からさんざんなぶり者にされるんだよ。何の罪もねぇのにな。あぁ、可哀想。ギャハハハハ」
彼らのリーダーらしき男が、下卑た笑みと共にシャノンを指差す。
「ここのお嬢ちゃんには前から目を付けてたのさ。なんでも、心の優しい純真な娘で、おまけに結構な美人だと評判らしいじゃねぇか。そんな素敵な噂を、この俺様たちが放っておくわけないだろうが」
そう言ってリーダーが目配せすると、悪漢たちは武器を手にしてルキアンたちの方へとにじり寄る。
「ル、ルキアンさん!」
ならず者たちから欲望でぎらつく視線を浴びせられ、シャノンは鳥肌を立てた。彼女は嫌悪感のあまり顔を強張らせ、表情を失っている。
今やルキアンのか細い肩だけが、彼女を守る唯一の楯だ。
――守らなきゃ。僕が絶対にシャノンを守らなきゃ!
シャノンの暖かな心遣いの数々が、ルキアンの脳裏によぎった。
ルキアンは硬直して動かない足を懸命に踏み出し、暴漢たちの前に立ちはだかる。
肩に力が入りすぎて震えている。剣の刃がカタカタと鳴るほどだった。
彼は怯えていた。敵を怖がる以上に、凶暴な鉄の塊を生きた人間に突き立てるという行為に対し、とてつもない戦慄を感じているのだ。
喉が渇いて声も出ない。立っているだけで精一杯だ。
ならず者たちは罵声を上げ、荒っぽく武器を振り回し、じわじわと距離を詰めてくる。ルキアンたちの恐れおののく様子を楽しむために、わざとゆっくり迫っているらしい。
――戦うしか、戦うしかない!? で、でも……。
憎しみに身を任せることが、こんなにも難しいものか――ルキアンは己を呪わずにはいられなかった。この期に及んで、彼の本心はまだ流血を避けようと考えているようだ。
――なぜ分からないんだ! 戦わなきゃいけないのに。それでもまだ、戦いはダメだって、どうして、どうして僕は……。
なおも戸惑うルキアン。
とうとう破れかぶれになり、彼は絶叫して剣を振り上げた。
だが……。
その直後、体中に火傷のような感触が走り、彼は激痛にまみれて床に倒れた。
手足が胴に付いているのが不思議なくらい、凄まじい痛みだ。
体中から血が流れている。銃弾によるものか刃物によるものか、そんなことは分からない。とにかく多数の攻撃がルキアンに襲いかかったのである。
血塗れになって伏した彼を見て、シャノンはショックのあまり言葉を発することすらできず、ただ口を開けて座り込んでしまった。
ならず者たちがニタニタと薄ら笑いを浮かべて近づく。
2 シャノンの危機、ルキアンの後悔…
「姉ちゃんに手を出すな!!」
今まで隅で震えていたトビーが、リーダー格の男に力一杯ぶつかった。
幼く非力な少年はたちまち投げ倒されてしまったが、ならず者たちとシャノンとの間に倒れたトビーは、なおも賊たちの足に組み付いてわめき立てる。
「出て行け! 人殺し!!」
あまりに頑強なトビーの抵抗に、悪漢たちは彼の髪の毛をつかんで引きずり起こした。彼らの目は、食事を邪魔された猛獣さながらに血走っている。
「このクソガキが!」
何発も殴りつけた後、リーダーが腹立たしそうに吐き捨てる。
「おい、お前ら。遊んでやれ」
隅の方にいた下っ端らしき者たちが数名、ぐったりしているトビーを外に放り出す。その後、しばらく彼の悲鳴が続いたが、やがて何も聞こえなくなった。
「やめろ……。やめるんだ……」
ルキアンは、かすれた声でうわごとのように繰り返す。だが血を流したまま床に転がっている以外、彼には為す術がなかった。
――僕に、僕に戦うための呪文が使えたら……。
彼は今頃になって後悔する。たとえ身体が動かなくても、呪文ひとつで敵を倒すことは十分可能なのだ。
他人を傷つける攻撃呪文を嫌い、わざわざルキアンは、実験専門の魔道士カルバのところに弟子入りしたのだが。それが裏目に出てしまった。
ならず者数人がシャノンを取り押さえようとする。
恐怖のせいで開き直ったのか、シャノンは一転して気の強さを見せた。
彼女は食卓の上にあったナイフを手にする。
父から多少は剣術を仕込まれたのだろう――ただ闇雲にナイフを振り回すのではなく、近寄ろうとする相手に対して意外なほど鋭く突きかかる。その動きはルキアンよりもよほど巧みだ。
最初はシャノンの抵抗を面白がっていた暴漢たちだが、そのうち1人が彼女に切り付けられ、大げさな悲鳴を上げた。
だが、彼女の決死の反撃は、かえって彼らを凶暴化させてしまった。
「ねぇちゃん、そこまでだ。得物を捨てな!」
手強いとみた暴漢たちがシャノンに銃を向ける。
彼女は、肩で息をしながら武器を構え続けていた。
「いやよ! どっちみち、後で私を殺す気なんでしょ。馬鹿にしないで」
シャノンは勇敢で誇り高かった。
彼女を無傷で捕らえようと思っていたならず者たちだが、脅しは通用しないと分かったのか、ついに本気で襲いかかる。
シャノンに剣の心得があろうと、短いナイフだけを武器に沢山の荒くれ男と戦うのは難しい。しかも運悪く、動きづらいスカートを履いている。
壁際まで追いつめられた彼女に、次々と刃が突きつけられた。実際には身も凍るほどの恐怖を感じているのだろうが、彼女は震えながらも敵を睨み付ける。しかし、こうなっては万事休すか……。
「あっ!」
わずかな隙にナイフを叩き落とされ、シャノンは丸腰になってしまう。
男たちの中には、彼女に傷を負わされた者も何人かいた。その結果、彼らは手負いの獣さながらにますます凶悪な態度を取る。
「見かけによらず、とんでもないじゃじゃ馬だぜ」
「俺たちに血を流させるとはいい度胸だ。たっぷり可愛がってやるから、覚悟はいいか」
3 「心を解き放ちなさい、闇を私に…」
「やめろ! シャノンに手を触れるな!!」
ルキアンは幽霊のようにふらふらと立ち上がる。
自分のどこにこんな力が眠っていたのか、彼自身にも分からない……。
しかし何もできぬまま、いとも簡単に鈍器で殴られ、再び倒れてしまう。
「シャノン……」
霞んでいくルキアンの視界の中、シャノンは最後まで抵抗している。
「いや! 触らないでよ! 放して!!」
ルキアンはなおもシャノンの名を呼んだが、その声はあまりに弱々しく、音にならなかった。
意識が無くなっていく。
彼は沢山の血を流しすぎた。全身の痛みも耐え難い。
シャノンの無垢な笑顔が目に浮かんだ。
その笑顔を護ってやれない自分。絶望、いや、それ以上の憎しみ。
――本当は、みんな優しいままで笑っていたいんだ。だけど、お前たちのような奴がいるから……。
ルキアンの理性が薄れていくにつれ、逆に憎悪の炎が激しく燃え始めた。
すると突然、幻が見えた。
長い黒髪を垂らし、うつむいたままの女がいる。
光の届かぬ暗闇の中。亡霊のように。
しかしシャノンの悲鳴が、ルキアンを再び現実に連れ戻した。
「やめて!! ルキアン、助けて! ルキアン!!」
卑劣にも大勢の男たちがシャノンに飛びかかる。
彼女は逃れようとして必死に暴れるが、何人もの屈強な暴漢たちに腕や脚を押さえられ、身動きできない。
シャノンが暴行されようとしているところを目の当たりにして、ルキアンの怒りと憎しみは頂点に達する。
それに応じるかのように、また幻覚が浮かんだ。
しっとりと濡れた髪が、蛇さながらにうねり、宙に舞う。
幻の中の女が顔を上げた。
彼女は何とも言えぬ不思議な表情をしていた。
子供を思わせるあどけなさ。聖者のごとき崇高さ。
そして、悪魔のような冷酷さ。
それら全てがひとつに解け合ったかのような……。
彼女の目がルキアンを見据えたとき。
否、ルキアンが彼女の眼差しに心を奪われたとき、あの《声》が聞こえた。
――憎いのですか?
――もちろんだ。
――殺したいと思いますか?
――殺してやりた……。いや、僕は、僕は……。
ルキアンは寸前のところで《殺したい》と言わずに留まった。
瞬間、シャノンの絶叫が響き渡った。
ならず者たちの毒牙にかけられ、狂ったように泣き叫ぶシャノン。
罵声や嘲笑が飛び交う。
我を忘れたルキアンに、《声》がもう一度尋ねる。
――殺してやりたい?
無言のままのルキアン。
今度は彼自身が幻影の世界に取り込まれたようだ。
何かが舞い降りる気配がした。
大きな鳥を思わせる翼の音。
ひんやりとした手がルキアンの手を握る。氷のように冷たい感触。
《人ではない》――ルキアンはそう直感した。
しかし、どういうわけか、得も言われぬほど心が落ち着く気もした。
柔らかな両の翼でルキアンを抱くように、不思議な存在は背後に立った。
――この感じは? なんだろう、安らかな……。
一瞬、全てを忘れて身を委ねかけたルキアン。
あの《声》が耳元で聞こえた。
――心を、解き放ちなさい。
忘我のルキアンは、機械仕掛けのようにうなずいた。
――そう。あなたの闇を……。私に……。
4 降臨 闇の守護者
ルキアンの肩に手が置かれる。
黒髪が頬に触れた。それもまた不気味なほどに冷たかったが。
――本当は、穏やかなままでいたいのでしょう?
――うん。
幼子のような口調で即答したルキアン。
――可哀想に。でも、もう泣かなくていいのよ。
声の主は、ルキアンの頭を丁寧になでた。
――ねぇ。どうすれば、みんなが穏やかに笑っていられるのかしら?
――僕、知ってるよ。
いつの間にか、ルキアンは子供に還っていた。
――あのね、いなくなればいいんだ。
――誰が?
――悪いやつだよ。そうすれば、みんな笑っていられる。
透き通るような指先が、ルキアンの腕に沿って動いた。
傷が癒え、体の痛みが消えていく……。
幻の中であるにもかかわらず、身体の感覚に現実味があった。
――もう痛くないでしょう?
――うん。ありがとう。
彼女の手がルキアンの体に触れていくにつれて、全身の傷痕が無くなり、
苦痛も嘘のように和らいでいった。
――あなたにこんなに酷いことをした人たちも、悪い人なのね。
――そうだよ。悪いやつだと思う。
――いなくなってしまえばいい?
――うん。みんなを苦しめるやつは、消えてしまえばいい。
ルキアンは抗しがたい力に取り巻かれ、恍惚としている。
狙い澄ましたように、彼女はあの質問を再び繰り返した。
――殺してやりたい?
――《うん》。
迷うことなく、ルキアンは認めてしまった。
◇
血だらけになって床に倒れていたルキアンが、ふらりと起き上がる。
ならず者たちが異様な気配に気づき、振り返った。
ルキアンは涙を流したまま、ぼんやり突っ立っている。
その目は正気の光を失っているように見える。
悪党たちは、ルキアンのことなどほとんど意にも介さなかったが……。
「まだ起き上がる力が残ってたのか? お前なんかお呼びじゃないぜ」
「こっちはお楽しみ中なんだ。邪魔するな!」
何者かに憑依されているかのごとく、危うい足取りで歩き出したルキアン。
「なんだ、まだやる気か!?」
熊のような大男がしわがれ声で怒鳴った。
だがルキアンは何の反応も示さず、黙って彼らに近づく。
その不気味な雰囲気に気後れしたのか、別のならず者が慌てて言う。
「へ、へへ。お嬢ちゃんを助けるっていうんなら、ちょっと手遅れかな。な、なんとか言えよ。聞こえねぇのか?」
その間にも、ルキアンは剣の届く間合いにまで入っていた。
大男が棍棒を手に威嚇する。
「懲りないヤツだな。またぶちのめされたいのか……。な、何だ、あれは!?」
信じがたい光景を前にして、図太い悪人も顔色を失った。
ルキアンの背後に人影のようなものが浮かんでいる。
翼の生えた背の高い女だ。あの黒衣の……。
「ゆ、幽霊だ! 化け物!!」
大男の声があまりに真に迫っていたため、ならず者たちは一斉に振り向いた。
黒衣の女は、あたかも映像のように、目には見えても実体を持っていない。
ふわりとルキアンの前に降り立った彼女は、抑揚のない声でつぶやく。
「わが新たな《主(マスター)》よ。お待ちしていました。私は《古の契約》に従い、あなたの手足となり、剣となるよう定められていた者」
「お、お、お前は何者だ!?」
突然、恐怖に駆られたならず者が銃の引き金を引く。
だが信じられない事が起こった。
黒衣の女の手前で銃弾が停止したかと思うと、瞬時に霜が付いたように凍結し、硝子玉も同然に砕け散る。
「愚かな……」
彼女は微かに目を細める。
ならず者の手にした銃が同様に凍り付き、彼の右手ごと木っ端微塵になった。
「い、いてぇよ! 兄貴、助けてくれ!! 痛い!」
右腕を失った男がのたうち回る。
黒衣の女は口元を緩める。
その冷酷極まりない笑みを目にした者たちは、恐怖のあまり、金縛りにあったように動けなくなる。
「痛い? そうか。楽にしてやる……」
彼女がそう言った途端、足元に転がってわめいている男は、体内から破裂して弾け飛んだ。
その跡には人の形すら残っていない。血と肉片が散らばるのみ。
【続く】
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※2001年10月~11月に鏡海庵にて初公開
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『アルフェリオン』まとめ読み!―第23話・後編
![](http://www.mediawars.ne.jp/~ntad01/alph/t23.jpg)
【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
6 セレナの怒り! 卑劣なメリギオス大師
◇ ◇
何処とも分からぬ薄暗い城の中に、高い靴音が響いていた。
黴びたような、湿っぽい匂いのする石造りの廊下。
急いた歩みに合わせて甲冑や剣も鳴っている。
「お待ち下さい!! ここから先は何びとも通すなと……」
「困ります、どうかご容赦を!」
何人もの男たちの声がした。
暗がりの中、ランプの明かりに白い胸甲が光った。
ざわめきの最中、凛とした女の声が響く。
「通して下さい。私はパラス・ナイツの1人として彼女に用があります!」
「ですから、ライエンティルス様のご命令なのです。たとえパラス騎士団の方であっても、と……」
10数名の兵士たちと、鎧をまとった女が押し問答している。
肩口で切りそろえた金色の髪と、青いイヤリング、気高い面差し。このような陰鬱な場所には似合わぬ美しい女性だが、他方で沢山の兵士たちを圧倒するほどの気迫を放っている。
彼女、セレナ・ディ・ゾナンブルームの姿は、あたかも冷たい闇の中に投げ込まれた松明(たいまつ)のようであった。
「愚かなことを。元々パラス騎士団には序列などありません。私はファルマスの部下ではないのですよ。無礼な!」
清楚で知性的な、それでいて高雅な哀しみを漂わせる彼女の表情に、今や怒りが露わになる。
兵士たちは思わず後ずさった。セレナがひとたび剣を抜けば――いや、魔道騎士である彼女は、ただ一言の呪文で彼らを永久に黙らせてしまうことさえできるのだから。
隊長らしき男が進み出て、丁重な様子でセレナにささやく。
「我々の方も、この首がかかっているのでございます。どうかお引き取りを。これはファルマス・ディ・ライエンティルス様のご命令だけではなく……」
彼はそこでセレナに耳打ちした。
「ご存じではありましょうが、メリギオス猊下のご命令でもあるのです」
その名前を耳にしては、セレナもひとまず足を止めるよりほかなかった。
と、廊下の奥から女の高笑いが聞こえてくる。
「あら。誰かと思えばセレナじゃないの。私のせっかくのお楽しみを、いや、大事な任務を邪魔しないでほしいわね」
相変わらずの高慢な物言いとともに、黒い皮の衣装を身につけたエーマが姿を現した。
「帝国軍も国境にかなり迫ってきたようだし、あの旧世界の娘から《大地の巨人》の起動方法を早く聞き出さないと、大変なことになるわよ。あんた、今の状況が分かってるの?」
真っ赤な前髪をかき上げ、粘り着くような眼差しで見つめるエーマ。
セレナの厳しい視線がそれとぶつかった。
「だからチエルさんに会わせて。もう一度、私が彼女を説得してみるから!」
「せっかくだけど、それは無理な相談よ。特にセレナとダンはここから先に決して入れてはならないと、誰かさんも言ってたことだし……。確かに、ご高潔なお嬢様や単純な熱血馬鹿には見せない方が良い場面もあり得るからね」
嫌悪感のあまり、セレナは声を震わせる。
「は、恥を知りなさい! パラス・テンプルナイツの名に泥を塗る気なの!? もしもチエルさんに酷いことをしたら、私が許しませんから」
「酷いこと? 別にあたしは、あの娘に一滴の血も流させていないよ。まぁ、世の中には、単純な痛みよりもっと耐え難いものがあるんだけど……。じきに観念して吐く気になるだろうさ」
エーマは唇を舐め、意味ありげな微笑を浮かべる。度を超しすぎて胸が悪くなるような妖艶さだ。
汚物でも見るように、セレナは不快感をむき出しにして睨み付けている。
それでもエーマは機嫌を損ねることなく、セレナの肩を軽くなでようとした。
「ふふふ。随分と嫌われてしまったもんだねぇ。貴女とあたしは仲間、もっと仲良くしたいのに……」
――何が仲間なもんですか。パラス騎士団の名誉を汚す最低の人間のくせに!
エーマの手を払いのけるセレナ。
憤然と立ちすくむセレナに、兵士たちが懇願し始める。
「どうか、お帰りのほどを……」
だが彼女は、手段を選ばぬメリギオスのやり方に言葉を失っている。
7 月光のもと、切々と響く弦の音色
◇ ◇
昼間の晴天を承け、煌々と輝く夜の月。
たとえ一瞬でも戦乱を忘れさせてくれそうな、柔和な光に抱かれた晩。
そよ風に乗って弦の音が響いてくる。
奇妙な比喩ではあろうが――硝子細工の音符を組み上げたかのような、あくまでも澄み渡り、精巧で、一種魔法じみた演奏だった。
向こうから歩いてくる4人の男が、そのメロディに気づいて足を止めた。
それはバルコニーに面した小さな部屋から聞こえてくる。
扉は開かれ、月明かりの射し込む薄暗い室内の様子が見える。
燈火と月光との神秘的な調和によって、ほのかな黄金色の小世界が醸し出されていた。幻灯さながらに、ほっそりとした少女の影が浮かび上がる。
真っ直ぐに伸びた背。彼女は薄い肩にヴァイオリンを乗せ、繊細な手つきで弓を操る。
見事な弓使いは、少女自身のもつ特異な雰囲気をそのまま音に変えるという、類い希なる表現を可能にしていた。
哀切さに満ちた音色は、空恐ろしいほどに映し出すのだ――どこか残酷でさえあるような、あまりに張りつめ、透徹した彼女の霊光を。ある種のオーラを。
今のカセリナの姿は、神々しさを一身にまとい、冒し難く崇高であった。
開きかけた花の命が明日にも散るかもしれぬという極限的な状況が、そうさせていたのだろうか。
彼女をよく見知っているはずの4人も、思わず息を飲んだ。
しばらくして、彼らに気づいたカセリナの方が演奏の手を止める。
「そんなところに立っていないで、お入りなさい」
「ご無礼を。お嬢様」
軽めの甲冑の上にエクター・ケープをまとった男が、恭しく一礼する。
形良く刈り込まれた口髭が印象的だった。彼は40代ながらも若々しく、武人の雄々しさを漂わせながらも、伊達男のように粋なイメージも同時に持ち合わせている。
「レムロス……」
彼の名を呼んだ後、カセリナは沈黙した。
そんな彼女に向けて穏やかに微笑むと、髭の男はよく通る声で告げた。
「ご心配なく。確かにギルドの強さは侮れません。しかし、あと少し……。帝国軍が到着するまで持ちこたえることは、我々にとって十分に可能です。それまでの間、我らが命に代えてもこの城を死守します」
重苦しい雰囲気を払いのけるように、別の若い男も言う。
「その通り! 俺たちは、永遠に戦い続けなきゃいけないワケじゃない。ほんの4、5日。長くても1週間ぐらいだろ。持ちこたえてみせるさ」
銀色のリング状のピアスをした若者が、力強くうなずいて見せた。
おそらく東部丘陵の出身だろう。何本かの腕輪と赤い民族衣装――ある部族の戦士の正装だ――で着飾り、大きく湾曲した刀を腰に下げている。
「俺たちを信じてくれよ、お嬢様」
彼の明るい表情に、カセリナの頬が微かに揺るんだ。複雑な面持ちのまま、彼女は無理に笑顔になろうと目を細める。
「ありがとう、ムート。これまでたった一度だって、貴方は嘘を付いたことがないものね。もちろん信じてる。だけど……」
カセリナの目が陰りを帯びる。
「あなたにまで戦ってもらうことになるなんて、ザックス」
彼女に名を呼ばれたのは、筋骨逞しい中年の男だ。毛むくじゃらの太い腕で、彼は頭を掻いた。
「とんでもございません。しかし照れますな、お嬢様。しばらくお会いしないうちに、ますます美しくなられて」
ザックスは豪快に笑った。
だがカセリナはうつむき気味のまま、申し訳なさそうに答える。
「あなたには、奥さんやお嬢さん、息子さんたちと一緒に楽しく暮らしていてほしかった。ザックスが本当に守るべきは、大切な家族だわ。それなのにこんなことになってしまって、何と言って詫びればよいのか……」
「カセリナ様、勿体ないお言葉です。たとえエクターを引退していても、私はいざとなれば殿やお嬢様のために、真っ先に駆けつける覚悟で暮らしてきました。妻や子供たちも分かっているはずです。戦士の家に生まれた者の定めを。あいつらが、私が居ない間もしっかり家を守っていてくれるからこそ、私も安心して戦えるのです」
8 迫る野獣たち、田園は無法の地と化し…
言葉を飲み込んだカセリナに代わって、4人目の男がザックスの肩を叩いた。
「シャノンちゃんたちには本当に申し訳ないが、こうしてまた共に戦えるとは。ザックス兄貴……。いや、今は親爺と呼んだ方がいいか。はっはっは」
彼はザックスとは対照的にすらりとした体格で、見た目も宮廷風に洗練されている。はっきりとした切れ長の二重瞼と骨張った顔が特徴的だ。
「何が親爺だ。まだまだお前のような若造に遅れはとらんさ。いや、そういうお前もちょっと老けたか、パリス」
ザックスが笑って拳をかざすと、パリスも自分の拳を軽くぶつけた。
「まぁな。ともかく、デュベールが抜けた代わりに兄貴が来てくれたから、ナッソス家の4人衆が新たに揃った。あいつが居なくて、マギウスタイプ(魔法戦仕様)の機体を欠いてしまったのは痛いが、しかし我ら4人揃えば魔法など必要あるまい」
「デュベールのことは責めないで……」
カセリナが細い声で言う。ほの暗い照明のもとではよく分からないが、彼女は瞼の下で涙を押さえている。
カセリナを慰めるかのように、レムロスが優しくうなずく。
「勿論です。我々がナッソス家のエクターとして、殿やお嬢様に忠誠を誓っているように、デュベールもギルドのエクターとして己の信念に従っただけです」
「ありがとうレムロス。そして、みんな」
貴族の姫として毅然と告げるカセリナだが、心の底では嗚咽していた。
再び楽器を手にする彼女。
――デュベール、会いたい……。
◇ ◇
ミトーニアから数十キロほど離れた田園地帯。
夜の平原を忍び行くアルマ・ヴィオの群があった。
全て突撃仕様のティグラーだ。どの機体も黒く塗られている。合計で9体。1個中隊ほどの規模だが、正規軍でも反乱軍でもないらしい。
月の光に照らし出され、稲妻を模した黄色い紋章がティグラーの機体の上に浮かび上がった。
この紋章を付けた集団は――ナッソス軍の治安部隊が議会軍との戦闘に振り回されているのをよいことに、最近、領内を荒らし回っているならず者たちである。表向きは傭兵団ということになっているのだが、実際には夜な夜な中央平原に出没し、悪の限りを尽くしている。
噂によれば、彼らの頭目は、あたかも盗賊騎士のごとく堕落した某貴族だという。ナッソス領の全てが同家の土地であるわけではなく、中には小領主の支配する地域も飛び地状に点在する。そのうちのひとつを有する放蕩領主のなれの果てらしい。
黒いティグラーが走り抜けていく道筋で、赤々と火の手が上がる。彼らは面白半分に村々を襲い、強盗、放火、殺人、強姦、誘拐等々、あらゆる悪事に明け暮れているのだ。
平時であれば、ナッソス領でそのような行為が許されるはずもない。しかし今となっては、ナッソス城及びミトーニア市の付近を除いては、治安を維持するための力など存在しないに等しい。
まして今日の昼間以降――ギルドの陸戦部隊がナッソス軍を駆逐してしまったために、この地を守る者はもはや存在しないのである。ナッソス領の大部分は、今や凄まじい無法状態と化していた。
雄叫びをあげる鋼の猛虎たち。
ある村を襲った彼らがさらに突き進もうとしている方角には、良く手入れされた農場が広がっていた。広大な畑は、夜間には暗闇の支配する世界となる。その中にぽつんと光る明かりは一軒の家だ。
この豊かな農園主の住まいを、ならず者たちが見過ごすはずもない……。
9 悪夢の始まり
◇
「美味しかったです。僕、こんなに楽しい夕食は久しぶりでした」
ルキアンは満足げに言った。
珍しく平穏さにあふれた彼の表情。それを見てシャノンが笑っている。
「大げさなんだから、ルキアンさんは。でも良かった。一生懸命作った料理を気に入ってくれたみたいで」
「ルキアン君。もしよかったら、当分はここに居てもいいんだよ。遠慮しないで。そりゃまぁ、畑仕事くらいは少し手伝ってもらうかもしれないけど。あはは、いや、畑仕事は冗談だよ――貴族のお坊っちゃんが泥まみれになるなんて、ちょっと困るからね」
シャノンの母も屈託なく微笑んでそう言った。
一瞬、ルキアンの心は揺れる。
――こんなに楽しくて穏やかな日を、僕は今まで知らなかった。今日みたいに幸せな日々が続くのなら……。
輝きに満ちた澄んだ目で、シャノンがうなずいている。彼女はルキアンに対してそれなりに――あくまで《それなり》に過ぎないが――好感を抱いているようだ。
「ルキアンお兄ちゃん、魔法使いなんだろ。ねぇ、もうちょっと、この家に居たらいいじゃないか。僕にも魔法教えてよ!」
姉以上に、トビーの方がルキアンを慕っていた。ちょうど悪ガキが兄貴分を欲しがる年頃なのだ。
「それは、その、できれば僕だって……」
ルキアンは後ろ髪を引かれながらも、言葉を濁した。
戦いは嫌だ。誰かと争うのは嫌だ。しかし《あそこ》に居る限り、自分は戦わざるを得なくなる――けれども、心は《そこ》に帰れと命じているのだ。
心を閉ざし続けるしかなかった故郷とは違う。かりそめの居場所はあっても、人の輪の中で孤独を感じざるを得なかったコルダーユの街とも違う。そして、素朴で穏やかな温もりに包まれたシャノンたちの家とも違う。
――あの人たちだけが、本当に僕を分かってくれた。
クレドールの仲間たちの顔が浮かんでは消える。
姉貴風を吹かせながらも面倒見の良い、いつも心配してくれていたメイ。
粗野な中にも良心あふれる、裏表なく本音で接してくれるバーン。
強面でぶっきらぼうだが、心の底では温かく見守るカルダイン艦長。
ぞっとするような不気味さの中に、深い悲しみを秘めた美少女エルヴィン。
キザで気取り屋、でも本当はとても良い男ではないかと思わせるベルセア。
偽悪ぶって斜に構えながらも、決して憎めないランディことマッシア伯爵。
感情表現が下手なために冷たい美女に見えるが、本心は優しいセシエル。
脳天気で何も考えていないようでも、明るく親近感のあるフィスカ。
一見すると堅苦しい無骨漢だが、隠れた情熱や人間味に溢れたルティーニ。
恥ずかしがり屋で内気な少女に見えて、大人よりも心遣いのあるレーナ。
気まぐれな優男だが、実は周囲に気を配るムードメーカーのヴェンデイル。
まだ他にも。カムレス、ガダック、ノエル、マイエ、ウォーダン……。
そして敬虔な聖職者として振る舞いながらも、時には優しい姉のように、時には母親のような包容力で、時には魅力のある女性として、ルキアンを導いてくれたシャリオ。
否、他の誰より――ルキアンが初めて心の底から尊敬できると思った人間、知略を誇る参謀、天才的な魔道士、勇猛なエクター、誰よりも優しく、誰よりも深くルキアンを理解してくれたクレヴィス。
短い日々を共に過ごしただけであるのに、クレドールのクルーたちとの思い出は、ルキアンの気持ちの中に深く刻み込まれていた。
――やっぱり僕の帰るところは、クレドールしかないんだ。ここに留まってひとときの安らぎに触れたとしても、それは本当に一瞬のものでしかない。僕の居るべき場所はここじゃない。
ルキアンは悲しさと満足感とが入り混じった目で、悟ったように言う。
「ありがとう。見ず知らずの僕に、こんなに優しくしてくれたこと、僕は一生忘れない。でも、僕、やっぱり帰らなきゃ」
静寂。賑やかだった食卓が沈黙に包まれる。
彼の答えを予想していたのだろうか、シャノンの母親がうなずいた。
「そうだね。お帰り、ルキアン君。大切な人たちのところへ」
「おばさん……」
「気にしないでおくれ。でも、またいつか遊びに来てよ。平和になったら」
彼女の差し出した手を、ルキアンはしっかりと握る。
今度はシャノンが彼の服の裾を引っ張った。
「あの、これ……」
彼女はポケットから何かを取り出し、ルキアンに手渡そうとする。
だがそのとき、不意に地震のごとき揺れが伝わってきた。
「これはもしかして。いや、間違いない」
ルキアンの身体を緊張が突き抜ける。一気に現実に引き戻されたような!
「アルマ・ヴィオがすぐそこまで来ている? それもかなりの数だ」
――ナッソス軍が僕を捕まえに来たのだろうか? まさか。それじゃあ、ギルドの人たちが僕を助けに来てくれた? それも話がうますぎる……。
戸惑う間もなく、家のドアが荒っぽくノックされた。いや、扉をぶち破ろうとしている。これはただ事ではない。
10 引けなかった引き金、救えなかった命
「気を付けて。奥に隠れて下さい。僕、ちょっと見てみます」
ルキアンはピストルを抜くと火薬と弾を装填した。不慣れな手つきのため、もう少しで火薬入れを落とすところだったが。
「誰ですか? 返事をしてください」
しかし答えは返ってこなかった。そうする代わりに、破城鎚かハンマーのようなものが扉を強打し、掛け金が弾け飛ぶ。
ドアが押し倒され、その向こうで獣のような奇声がいくつも上がった。
「な、何ですか、あなたたちは? やめて、やめてください!!」
ルキアンは壊れた扉で入口を再び塞ごうとする。意味がない。全く落ち着きを失った行動だ。どうすればよいのか彼にも分からなかった。
「静かにしやがれ! ぶっ殺されてぇのか?」
やくざ者丸出しの口調で誰かが叫んだ。
ルキアンはその声に思わず後ずさりしかけたが、後ろにいるシャノンたちを守ろうと勇気を振り絞る。
「人の家に勝手に押し入って、そんな無茶苦茶な! 撃ちますよ、無理に中に入ろうというのなら、ほ、本当に撃ちます!!」
ルキアンは見知らぬ人間の胸元に銃を突きつける。
だが、こんな時に……。彼はあの光景をまた思い返してしまった。
《ステリアン・グローバー》が海を引き裂き、ガライア戦艦2隻を跡形もなく轟沈させた忌まわしい光景を。ルキアンが引き金を引いてしまったことにより、数え切れぬほどの人間が海の藻屑と消えた、コルダーユ沖での戦いを。
――嫌だ! やっぱり目の前の人を殺すことなんてできない。頼むからあっちに行ってくれ!
その隙を突いて、ならず者がルキアンの銃を叩き落とした。
戸惑った瞬間、いきなり頬を殴られて吹っ飛ぶルキアン。
それを合図にしたかのように、5、6人が家の中になだれ込んでくる。
彼らは手に手に武器を持ち、大声でわめき立てた。
「動くな! 死にたくなけりゃ、大人しくしていろ!!」
ルキアンはフラフラと立ち上がり、シャノンたちをかばおうとする。容赦なく拳をぶつけられ、その後に床で頭と背中を強く打ったため、脳震とう気味になっているらしい。不安定な身体はすぐに崩れ落ちかけたが、ルキアンは片膝を突いて懸命に支えた。
「早く、早く逃げて!」
剣を抜く。もはや必死だ。
普段なら決して出さないような大声で叫ぶルキアン。だが、重い一撃を腹に喰らって崩れ落ちる。ヒグマのごとき大男が、棍棒で力任せにルキアンを突いたのだ。
「邪魔なんだよ、生っちろい兄ちゃんはネンネしてな……」
吐き気を催しながらうずくまるルキアンを、別の男たちが取り押さえる。
立ちすくむシャノンたちに、何本もの銃身が向けられる。
「へへへ。なかなか上玉じゃネェか」
頬に傷のある若い男がシャノンの頬をなでた。背後でならず者たちが下卑た笑みを漏らす。
男は短剣を抜いてシャノンの胸元に突きつける。
「待ちなさい! うちの娘に何するんだ!!」
シャノンの母親が彼の手首をつかみ、激しい怒りの表情で抗議する。
だが次の瞬間、信じられないことが起きた。
「おばさん!!」
ルキアンが渾身の力を込めて身を乗り出したが……。
眼鏡のレンズに赤い飛沫が降りかかる。鮮血が床や壁を染めた。
あまりのことに、ルキアンはしばらく呆然と身を固くしていた。
「な、何てことを。何てことをするんだ……」
「ママ、ママ!!」
シャノンが狂ったように叫び続ける。だが血の海の中に倒れている母親の身体はもう動かない。
あまりにも不条理に、何の脈絡もなく降りかかった惨劇。
だがそれは現実なのだ。
怒りか、恐怖か、ルキアンは身体を振るわせながら剣を構え、シャノンとトビーの前に立った。
「逃げて、早く!!」
【第24話に続く】
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※2001年9月~10月に鏡海庵にて初公開
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