鏡海亭 Kagami-Tei ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石? | ||||
孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン) |
||||
![]() |
生成AIのHolara、ChatGPTと画像を合作しています。
第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29
拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、 ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら! |
|||
小説目次 | 最新(第59)話| あらすじ | 登場人物 | 15分で分かるアルフェリオン | ||||
『アルフェリオン』まとめ読み!―第23話・前編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
野蛮な者よ、人間は獣ではない。
だから時には憎しみを抑えて剣を引かねばならぬ。
偽善の者よ、人間は天使ではない。
だから時には痛みをこらえて剣を取らねばならぬ。
◇ 第23話 ◇
1 一瞬の安らぎ、平和な食卓を前に…
草原の地平に太陽が姿を隠し始めた頃、夫に代わって農園の監督に当たっていたシャノンの母が家に戻ってきた。
よく日に焼けた、逞しそうな黒髪の女性だった。シャノンやトビーの瞳は母親譲りなのだろう――明るく意志の強そうな、大きな濃褐色の瞳がルキアンを見つめている。彼女の発散する溌剌とした空気は、家の中の雰囲気を瞬く間に変えた。まるで子供みたいに元気な人だ、とルキアンは思った。
彼女が盛んに勧めたので、ルキアンはシャノンたち親子と一緒に食事をすることになった。戦いのことを考えれば、そう悠長なことをしている場合ではないのかもしれない。しかし恩人たちの好意を断れるだけの世慣れた振る舞いも、あるいは押しの強さも、ルキアンは持ち合わせていなかった。
彼は促されるまま食卓に着く。
シャノンとその母親が台所に向かった後、ルキアンは溜息か呼気か分からぬ曖昧な息を吐き出した。
――中央平原の人って、開放的だとか旅人に親切だとか言われているけど、シャノンもお母さんも、不用心なほどに親切だな。まぁ、いいか……。どのみち、夜がふけるまでアルフェリオンを動かすのはまずいし。まだ完全に暗くなっていないから、いま起動させればナッソス家の軍に見つかってしまうかも。
万が一、シャノンの父やカセリナと剣を交えることにでもなれば――という恐れが、ルキアンの小さな闘志を完全に押さえ込んでしまっていた。
これでは、たとえクレドールに無事に戻れたところで、その後もナッソス家と戦い抜けるのだろうか? 正直な話、ルキアンには自信がない。けれども、今、この瞬間にもギルドとナッソス家との戦いは続いているのだ。
――あれから艦隊戦の方はどうなったのかな? クレヴィスさんとレーイさん、ギルドの《三強》の2人までがいるんだから、ギルドが負けるはずはないと思うけど。でも他の人たちは無事だろうか。神様……。セラス女神よ、どうかみんなをお守り下さい。僕たちの仲間だけではなく、カセリナも公爵も、シャノンのお父さんも、ナッソス方の人々も……。
ルキアンはテーブルの上で手を合わせた。
が、その悲痛な願いは、本当に神のもとに届かぬ限り実現されはしないだろう。この世の理(ことわり)はそれを許さないだろう。
祈りの姿勢を保ったままうなだれる彼を、トビーが不思議そうに見ていた。
ルキアンがあれこれ思いをめぐらせている間に、素朴ながらも充実した夕食が運ばれてきた。付近の農園で栽培されたという春野菜を使ったスープ、同じく野菜の酢漬けの盛り合わせ、川魚の薫製、よく熟成された生ハム、色も形も多様なチーズ等々。
先日ナッソス城で目にした料理とは確かに比較になるまい。それでも貧しい零細貴族にすぎないルキアンの家では、これほどの食事は祝い事でもなければ口にできなかった。シャノンの父は、いわば農民と貴族との中間に当たる郷士のような人であろうが、そのへんの小貴族よりもよほど裕福かもしれない。
豆類や香草と一緒に淡水産の魚介類を煮込んだ雑炊が、食卓の中央を飾っている。後で知ったところでは、ミトーニア地方の郷土料理らしい。
2 戻るべき場所
「面白い形のエビですね。このあたりで穫れるんですか?」
雑炊の中に入っている人差し指大のエビに、ルキアンは目を留めた。ずんぐりとして、自分の頭部ほどもある不釣り合いなくらい大きなハサミを持っている。姿は不格好であれ、丸々と肉厚な身は見るからに美味しそうだ。
「うん。時々、裏の川に網でつかまえに行くよ。たくさん穫れるんだぞ!」
トビーが得意げに答えた。
中央平原の随所に見られる藻の多いゆったりした小川に、このエビは豊富に棲んでいるらしい。腕白盛りの男の子にとって、この手の小動物はちょうど良い遊び相手なのだろう。
「へぇ、すごいなぁ。僕はトビーと違って海の近くで暮らしていたから――こういう川や湖の生き物はあまり見たことがないんだ。だから珍しくて」
ルキアンはトビーを眩しそうな目で見つめていた。それからシャノンの母の方に向かい、改めて丁重に礼を言う。
「助けていただいたうえに、食事までごちそうになってしまって……。本当にありがとうございます」
「いやだよ、ルキアン君。そんなに気を使ってばかりいると、私がせっかく腕によりをかけて作った料理も味がしなくなっちまうだろ。でも奥ゆかしい若者だねぇ、ルキアン君は。素敵だよ。あっはっは」
シャノンの母は大きく口を開けて笑っている。それでも下品な感じはせず、屈託のない人懐っこい雰囲気が表情によく出ていた。
――笑顔のある食卓か……。
赤く茹で上がった川エビを、妙に穏やかな気分で口に運ぶルキアン。
シャノンたち姉弟は、子猫のように魚を取り合っている。
その様子を眺めているうちに、ルキアンは自然に口元を緩めていた。
よそ見をしている隙にトビーに料理を取られ、シャノンが子供のように負けん気になって取り返そうとしたときには、ルキアンもつい吹き出してしまった。
が、考えてみると、なぜか久しぶりに笑ったような気がする。
以前、こうして心から笑ったのは、いつの日のことだったろうか……。
ルキアンは感慨深げに目を閉じる。
明るい食事風景を前にしながらも、彼の心の中では――笑顔どころか会話すら稀な、孤独に冷え切った食卓や、そこに座ってうつむく自分の姿が、断片的に次々と浮かんでは流れ去った。
だがそれに続いて、ネレイの街でメイやバーンたちと昼食会を開いたときの光景が、彼の心の中に鮮明に甦った。
分厚い雲間から射し込む陽光のごとく、仲間たちとの新たな思い出は灰色の記憶をぬぐい去り、ルキアンの心に力をもたらした。
――早く帰らなきゃ。僕も自分の戻るべき場所に。クレドールに……。
3 降伏か、抗戦か!? 千古の都、決断のとき
◇ ◇
日没後まもなく、ミトーニアの要人たちが市庁舎に続々と集まってきた。
彼らが急ぎ足で消えていく先は、庁舎1階の奥に堂々と広がる《千古の間》だ。この由緒ある広間は、聖堂内部を思わせるドーム状の天井を備えている。しっとりと湿ったような薄明かりの中、シャンデリアの蝋燭が照らし出すのは見事なモザイクによって飾られた床面である。
色とりどりのタイルが敷き詰められたフロアには、獣や鳥に混じって人間の絵柄も見られる。
ただし、そこに表現されている人々は、今日とは異なる独特の出で立ちをしていた。幅広い布を身体に巻き付けたかのような衣装。薄衣のベールを頭から被った女性たち。一群の戦士らは、鶏冠さながらの飾りの付いた兜を被り、大きな丸楯と投げ槍で武装している。
彼らは、現世界の文明が始まった頃の――いわゆる《前新陽暦時代》の人々だ。その名の通り、当時まだ《新陽暦》は用いられていなかった。
つまり旧世界が滅亡して《旧陽暦》が終わった後、直ちに現世界の《新陽暦》が始まったわけではないのである。両者の間には空白の歴史が存在しているのだが、それがどの程度の年月に及ぶのかについては、専門家の間でも意見が分かれている。極端に短く見積もる説によればわずかに数十年、反対に長いところでは五百年前後とみる学者もいる。
ともかくイリュシオーネ有数の古都ミトーニアは、現世界の始まりと同程度に古い起源を持つとさえ言われる。そして非常に興味深いことだが、同市の庁舎は実は前新陽暦時代の遺跡の上に建てられており、《千古の間》の床も遺跡の床そのものなのだ。
自らの足元、果てしない歳月の重みが刻み込まれたモザイクを指し、一人の男が語り始める。広間は静まり、みな彼の言葉に聞き入った。
「諸君。耳を傾けたまえ、この古き遺跡に込められた思いに……。旧世界の過ちを繰り返さぬよう、誓いとともに再び歩き始めた人々の心に」
そう言って彼は胸に手を当てた。
見事な口髭・顎髭をたくわえ、大柄で恰幅の良い中年紳士。彼がシュリス市長である。穏和な容貌の中にも威厳を漂わせ、伝統ある大都市ミトーニアの長に相応しい品格を備えている。
「だが、人類の新たな歴史の証人であるミトーニアは――たった今、重大な岐路に立たされている。時間はない。諸君の誠実で思慮深い意見を切に願う」
続いて市長の傍らの秘書らしき青年が、細身の身体に緊張感をみなぎらせ、いささか強張った声で文書を読み上げる。
「ギルド側の要求は次の通りです。第一に、ミトーニア市は直ちに武装解除し、国王および議会に再び忠誠を誓うこと。第二に、軍事面・財政面その他においてナッソス家へのあらゆる支援を停止すること。第三に、正規軍およびギルドの部隊に対して宿営の場を提供し、必要に応じて補給に協力すること……」
細い黒縁の眼鏡、楕円型の扁平なレンズの中で、秘書は神経質そうな目をさらに細めた。
彼が読み終わるや否や、たちまち周囲から不満の声が噴出する。
市長の隣に副市長らしき2人が座っているが、そのうちの一方が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「武器を捨てて市門を開けなどとは……。ギルドは早くも勝ったようなつもりになっているのか。事実上、我々に降伏せよと? 馬鹿なことを!」
激高している彼をシュリス市長がなだめる。
「落ち着きたまえ、アール殿。確かに我々は戦わずして敗れることになる。だがそれはあくまで軍事上の敗北であって、ミトーニアが議会軍やエクター・ギルドの管理下に置かれたり、彼らに屈従させられたりするという意味ではない。ギルドの代表者はこう付け加えている――さきほどの条件以外の点では、ミトーニアの自治権は従来通り保証する、と。しかも今回に限り、反乱に荷担した者の罪を問うことは一切行わないそうだ」
要するにナッソス家への支援を中止し反乱から手を引くならば、ミトーニア市に対して何らお咎めはないということだ。有利な戦況にあるギルド側にしては随分と思い切った譲歩だが、それはむしろルティーニの計略なのである。
参事会員たちの間から低いざわめきが起こる。市長は続けた。
「もし戦闘になれば、ギルドの部隊が我々に勝利することなど目に見えているはず。だが敢えてその戦いに踏み切ろうとしないのは……。ギルド側の考えは分かっている。彼らには時間がないのだ。《帝国軍》が到着する前に《レンゲイルの壁》を奪還できなければ、それは彼らの敗北につながるのだから。ギルドとしては、1日、いや1時間たりとも無駄にはできぬというわけだ。仮に我々が最後まで抵抗したとすれば、ギルドの部隊はミトーニアに1日や2日は足止めされることになるだろう。それは避けたいという判断だろうが……」
このままミトーニア市が反乱を続け、帝国軍の到着前にナッソス城が落ちたなら、そのときには同市も公爵家と運命を共にしなければならないだろう。逆に帝国軍が到着するまでナッソス家が持ちこたえたならば、それは同時にミトーニアの勝利でもある。
時間との戦いが全てを決めるだろう。破滅か、勝利か、降伏か? いずれにせよ、ミトーニアは市の命運を賭けて決断しなければならない。
4 紛糾する議論! 我々は騎士ではない…
アール副市長が断固として首を振ったとき、その横に座っていたもう一方の副市長、ロランが切り出した。
「損な取り引きではありませんな。今の時点だからこそギルドは我々に譲歩し、こちら側に有利な条件を呈示してきたのです。もしもナッソス家が敗れた後になれば、ミトーニアは交渉のためのカードを一切失います。無条件降伏以外は認められなくなるばかりか、下手をすれば我々の首や市民たちの命も危なくなるでしょう」
「何をおっしゃる? そう簡単に敵の申し出を受け入れるのも……。えぇい、ナッソス軍は何をしているのか!!」
アール副市長が苛立ちのあまり立ち上がる。
痩せ形で長身のアールと小太りのロランとは全く対照的で、2人が睨み合う姿には、どことなくユーモラスな感さえ漂っている。
ロランは手振りでアールをなだめつつ、落ち着いた様子で語った。
「全兵力で城を死守しようとしているナッソス軍には、残念ながらミトーニアの救援に回せるだけの余力はありますまい。いや、そのナッソス家の全艦隊をもってしても、ギルド艦隊に敗れたのですからな。我々の力だけでは万にひとつも勝ち目はありませんぞ」
今度は市民軍の指揮官が、承伏しかねるといった顔をする。
「しかしロラン殿、一戦も交えることなくナッソス公を見捨てると仰せか?」
それに対して、市の有力者の銀行家が反論した。
「ロラン副市長の言う通りだ。ナッソス家に最後まで義理立てして、ミトーニアまで共倒れすることもなかろう? 事実上、公爵もミトーニアを見捨てているではないか。エクター・ギルドに街が包囲されても、ナッソス家からの援軍は来なかった」
「では、単に強い方に着けば良いと!?」
アール副市長が机を叩いてそう言った。
が、参事会員の中から開き直った声が飛ぶ。
「いかにも。我々は機装騎士(ナイト)ではない――商人だ。城を枕に討ち死にする道理などあるまい。名誉ある死よりも生きて事業に励むことこそ、我々の努め。そうであろう?」
「しかし……」
全員を見回した後、ロラン副市長が冷静に告げる。
「よろしいですか――敵は海賊や野武士と同様の無頼漢たちです。そんな輩たちに街を攻撃されれば、大変なことになりますぞ。現にカルダイン・バーシュは、《我々は軍隊ではない。それゆえ個々の兵員たちの振る舞いまでも統制することは困難だ》と言ったそうで」
「万一ギルドの荒くれ者たちが略奪に及ぼうとも、知ったことではないというわけか? 恐ろしいことを……」
街一番の貿易商が顔をしかめた。
彼と顔を見合わせ、同業者がまことしやかにささやく。
「元々あのカルダインというのは、表向きは旧ゼファイア王国お抱えの冒険商人でしたが、むしろ同国の私拿捕船(*1)団の長として知られていたのです。脆弱なゼファイア軍に代わってタロスの飛空艦を襲撃し、レマール海の南東一帯を荒らし回っていたとか。そんな、空の海賊に等しい男ですから、街のひとつやふたつが灰になったところで眉ひとつ動かしますまい」
さらに別の参事会員が遠慮がちに同意した。
「そ、その通りでしょう……。このまま包囲戦になれば、逃げ場のない我々はいずれ無頼の傭兵どもの餌食です。いや、最悪の場合、女性や子供たちまで犠牲になってしまう。やむを得ませぬ。彼らの申し出を呑みましょう」
だが彼が話し終える前から、背後では賛否様々な声が飛び交っている。
「そう簡単に言ってもらっては困る! こちらが条件を受け入れたところで、エクター・ギルドが約束を守る保証などあるのか? 街を開け放ったとたんに、やつらの思うがままに略奪や虐殺が行われるかもしれんのだぞ!!」
「いや、カルダインは仮にも《ゼファイアの英雄》だ。噂では義を重んじる男だと聞く。そんな卑劣なことはしないはず……」
「信じられませんな。むしろ、公爵との交渉にも関わったマッシア伯と話し合う方が良いのでは?」
戦うか、降伏するか。参事会員たちが口々に意見を戦わせ始めた。
シュリス市長は目を閉じたまま思案している。
――ギルド側は、夜明けまでに返答するよう求めてきたが……。
彼は懐から金時計を取り出し、それを見つめたまま長い息を吐いた。
【注】
(*1)国から委任を受け、敵国の艦船を攻撃または文字通り拿捕したりする民間船のこと。したがって正規の軍艦ではない。小国であるゼファイア王国は、軍用の飛空艦をほとんど保有していなかった。そのため革命戦争当時、タロス共和国の艦隊に対しては、軍に代わって民間の飛空艦がゲリラ的な攻撃を行っていたらしい。だが実際にはタロスの商船もしばしば攻撃の対象とされたため、私拿捕船の活動と海賊行為との区別が曖昧になっていた面も確かにある。それゆえカルダインも海賊呼ばわりされているのだろう。
5 黒いアルフェリオンは反乱軍の手に…
◇ ◇
その頃、ギルドの飛空艦隊――クレドール、ラプサー、アクスの3隻は、すでにミトーニア市を主砲の射程内にとらえ、空の高みに巨体を浮かべていた。
ナッソス軍は飛空艦隊を失い、飛行型アルマ・ヴィオにも多大な損失を出したせいか、もはやギルド艦隊の行く手を阻んでこない。
敵方の攻撃に備えて、ミトーニア市は照明を極力落としているようだ。そのため市街は闇に紛れ、上空から肉眼ではっきりと確認するのは難しい。ごくわずかに点々と灯りが見える程度だ。
けれども《複眼鏡》の魔法眼にかかれば、漆黒の原野ですら薄明るく映る。
「完了だね……。地上部隊はミトーニアを完全に包囲した。あれなら子犬1匹抜け出すことさえ難しいだろうね。味方のアルマ・ヴィオの数は、それほど減っているようには見えない。大して被害は出なかったのかな?」
地上の様子を報告するヴェンデイル。彼の口調にも余裕が戻っている。
艦橋のクルーたちの士気も、ナッソス艦隊に対する勝利によっていっそう高まっていた。
エクター・ギルドは、地上戦においてもナッソス軍に対して予想外の大勝を収めたようだ。もっとも、ナッソス軍の主力となる精鋭部隊は、城の防衛のために温存されたままである。今後も同様に勝ち続けられるとは限らない。
艦隊戦および陸上戦での圧勝にもかかわらず、カルダイン艦長は厳しい顔つきを崩していない。否、むしろ昼間の戦闘のときよりも、彼の表情は険しくなっているようにさえ思える。
その原因は――ナッソス艦隊との戦いの最中、ようやくクレドールに中継されてきた《ある知らせ》だった。
口数少なく沈思する艦長に対し、特に返事を期待していないような態度で、クレヴィスが告げる。
「議会陸軍の大部隊に、たった一撃でそれだけの被害を与えるとは……。帝国の浮遊城塞《エレオヴィンス》でもなければ不可能な攻撃です。こうなると、反乱軍もステリア兵器を有しているとしか考えられませんね。ただ、その正体については目星が付きます。現在の我々の技術水準では、ステリアの力を持つアルマ・ヴィオを生み出すことは困難。そうなると……」
微動だにせぬカルダインを見つめた後、クレヴィスはつぶやく。
寂しげな、それでいて何かに吹っ切れたような声で。
「運命とでも言うのでしょうか。残念なことですが、どうしてもルキアン君に戦いに加わってもらわねばならない《理由》ができてしまいました。カルバ・ディ・ラシィエン導師の研究所から奪われた《黒いアルフェリオン》は、恐らく反乱軍の手に渡りましたね。成り行きによっては、最悪の事態もあり得るかもしれません」
【続く】

※2001年9月~10月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第22話・後編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
9 泣きながら戦ってでも、僕は守りたい
◇
カセリナに憎まれてしまったこと自体は仕方がない、とルキアンは思っていた。そう簡単に割り切ってしまうのはあまりに投げやりかもしれないが、たいていの理不尽な出来事を《仕方がない》という一言で片付けてしまう習慣から、彼はまだ抜け出せていなかった。
だが今やルキアンがカセリナと直接に傷つけ合い、否、殺し合うことになるかもしれぬという、さらに残酷な現実が突きつけられたのである。
――そこまでして誰かと争うことに、僕にとってどれほどの価値があるというのだろうか。いや、そもそも争いに価値なんてあるのだろうか……。でも最初から、ネレイの街を発った時から覚悟はできていたはず。僕にはクレドール以外に帰るところがないんだ。そんなたったひとつの《居場所》を、クレドールや仲間のみんなを失うわけにはいかない。これまでの《日常》の全てを投げ捨てて手にした僕の《翼》を、ただ、今は守ろうと思う。そのために戦わねばならないのなら、たとえ泣きながら剣を取ってでも……。
ルキアンは無意識のうちにつぶやいてしまった。
「だから僕は、今さら引き返せないんだ」
「えっ?」
押し黙ったかと思えば、今度は急に独白し始めるルキアンを、娘は訝しげに眺めている。幸い、彼に対して露骨な不信感は抱いていないようだが。
「大丈夫? もう少し休めばどうかしら。疲れてるのよ。えっと……あの……」
「僕? ルキアンだよ。ルキアン・ディ・シーマー」
自分の顔を指差して言うルキアン。寝ぐせのついた銀色の髪を掻きながら、彼は娘の方を見た。
「命の恩人にまだ挨拶もしていなかったなんて。ごめんなさい」
「いいのよ。私はシャノン。よろしく、ディ・シーマー様……」
彼女は半ば冗談めかして、ぎこちない動作で宮廷風のお辞儀をする。
「る、ルキアンでいいよ。ルキアンで」
遠慮する彼の前に、例の男の子がいきなり飛び出してきた。
「お兄ちゃんって、機装騎士(ナイト)なのか? 格好いいなぁ!」
ルキアンは内心驚いた。少年は目を輝かせながら彼を見つめている。こんな眼差しを向けられたことは、これまで一度もなかったような気がする。
「こら。ちゃんと挨拶しなさい、トビー」
シャノンは男の子の頭を押さえ、仕方なさそうに笑っている。
「トビーだよっ。ルキアン、よろしくね!」
相変わらずルキアンに尊敬の念を感じてやまない少年。
彼の気持ちに水を差してしまうようで、申し訳ないと思ったが、ルキアンは静かに告げる。
「僕は、機装騎士じゃないよ……。コルダーユで魔道士の見習いをしていた」
「魔道士? じゃあ、ただの機装騎士じゃなくて魔道騎士なの? すごいな!」
ルキアンはトビーの頭にそっと手を置いた。
「僕は普通の、見習い魔法使いのルキアン。ただのルキアン」
「じゃあ、ルキアンはなんでアルマ・ヴィオに乗ってるの?」
不思議がる少年に対して、そして自分自身に対しても、ルキアンは言った。
「どうしてだろうね……」
◇ ◇
一瞬、虚空を切り裂く光が見えた。弧を描いてMTサーベルが繰り出される。
斜めに走る亀裂。そして炎。
空に浮かぶ城塞のごとき飛空戦艦は、たちまち火に包まれていく。
やがてその翼が折れ、急激に落下し始めた船体の向こう――数機のアルマ・ヴィオの姿が見え隠れする。
光の剣を手にしたカヴァリアン。
その背後にはファノミウル。そして一度は味方艦隊の救援のために戻りかけた、ラピオ・アヴィスとフルファーもいる。
「は、ははは……。残ったのは本艦だけか」
ナッソス艦隊の旗艦、バーラエン級飛空戦艦のブリッジでは、艦長が力の抜けた笑みを漏らしていた。こんな時に――いや、もはや彼は呆然と笑うしかなかったのである。
「たかが空の海賊どもに、ナッソス家の艦隊が敗北するだと? そんな馬鹿なことが! これはきっと夢だ。悪い夢に違いない」
艦長はがっくりと首を落とし、絶望的な表情でつぶやき続ける。
「そんなことがあっては、ナッソス家にとって末代までの恥……」
「艦長、間もなく敵戦闘母艦の方陣収束砲が、再発射の準備を終える可能性があります。艦長?」
顔色を失って呼びかける副官に、艦長は返事をしなかった。
クレヴィスの活躍によって危機を脱したギルド艦隊は、いまや激しく攻勢に転じている。クレドール、ラプサー、アクスの3隻は、自分たちの船よりも遙かに大きいバーラエン級戦艦めがけて集中砲火を浴びせる。
カルダインは力強く立ち上がった。真っ直ぐ伸びた右腕が敵艦を指差す。
「一気に沈めるぞ……。方陣収束砲、発射用意!! エネルギーの充填が不十分でもかまわん。速やかに離脱するよう、味方アルマ・ヴィオに連絡しろ」
10 少年の望んだ翼、たとえ歪んだ翼でも…
◇ ◇
中央《平原》と言っても、どこまでも草原や耕地ばかりが続くわけではない。特にナッソス領の一帯では、森も点々と広がっている。
緩やかに起伏を帯びた緑の野辺に、大小の木々がぽつぽつ立ち並ぶ様は、素朴な一枚の絵を思わせる。遠い昔どこかで目にしたことがあるような、胸の奥の何かが無性に揺さぶられる光景だった。
ルキアンは外を見ていた。
落ち着いている場合ではないのだが、不思議と心は静まっている。
窓のすぐ向こうには菜園らしきものがある。さきほどシャノンは、そこで良い香りのするハーブを摘んで戻ってきた。
その葉が1枚、ルキアンの手にしたティーカップに浮かんでいる。
「時々こうして空や雲を見ていると――どうして、これだけじゃダメなのかなって、そんな気がしてくる。あの空の下で心地よく風を感じていられたら、それだけで本当は十分じゃないかって。やっぱり変かな、僕は?」
唐突な質問に、シャノンは首を傾げた。困った彼女は軽い冗談で応じる。
「うぅん……。空と雲だけ? 私は、野いちごのケーキや美味しい紅茶もなければ困るかも」
彼女の答えを聞いているのか、いないのか、ルキアンは語り続ける。
「僕らは来る日も来る日も地面を這いずり回って、その煩わしさを忘れるために、些細なことに一喜一憂して、それで《傷ついた》だの、《癒された》だのといって大げさに騒いでいる。愛とか憎しみとか。幸せとか不幸せとか。運が良いとか悪いとか。誰かに必要とされているとかいないとか。でもそんなことは、本当はちっぽけなことなんじゃないかって……。そんなことに縛られず、ただこうして生きていられれば、それでいいんじゃないかって。人間は、本当はもっと自由なんじゃないかって……。でもね、もちろん僕も、細かい事に振り回されながら暮らしてるよ。だけどどんなに願って、あがいてみても、結局あの日々の中では、満足できる《何か》とか、《どこか》とか、《誰か》とか――そういう大切なものを得ることはできなかった。それでも僕はこうして生きている、という方がいいのかな?」
当惑か共感か、シャノンは何とも言えない表情でルキアンを見ている。
無言の彼女を前に、ルキアンは、妙に吹っ切れたような口調でこう言った。
「でも……。そうやって強がっているけどね、実際には――たったひとつだけでいいから、あのころ僕が満足できていたのなら、多分、僕もあの《日常》を大切なものだと感じたんだろうな。たったひとつ……。それ以上は望んでなんかいなかったのに」
目に涙をためながら、無理に微笑んでいるルキアン。
「ルキアン……」
何か慰めの声をかけようとシャノンだったが、彼女は言葉を飲み込んだ。
「今頃こんなことを言っても何にもならないけど。あの毎日の中でただひとり、もしも誰かが隣に居てくれさえしたら……。僕は、ありもしない《翼》が欲しいなんてことを、起こりもしない《奇跡》を信じるなんてことを、最初から考える必要もなかったかもしれない。いや、ごめん……。会ったばかりの人に、つまんない愚痴を言ったりして。こんなふうだから、ダメなんだよね」
白く反転した虚ろな世界の光景と共に、何故か――いや、むしろ必然的に――ルキアンの胸の内にソーナの姿が浮かんだ。今はもう帰れぬ過去の中、自ら飛び出してきた思い出の向こうに。
「ルキアンの気持ち、分かるような気がする。そういう孤独な記憶を、私も少しは持っているから……」
具体的なことは何も分からないにせよ、シャノンはルキアンの心中を察しているようだった。
そんなシャノンの言動が、ルキアンの方にしてみれば、彼女が無理に気を使ってくれているように見えたらしい。
ルキアンは大袈裟に首を振り、今にも壊れそうな作り笑顔で言った。
「いや、あの頃のことはもういいと思ってるよ。とにかくあの日常から、僕を取り巻いていた世界から離れたかったんだ。このままでは僕の心は窒息してしまうんじゃないかって。だから必要だった――本当の自分になるための《未来》が。そして未来を再び取り戻すために、《日常》の檻を破って飛び出すことのできる《翼》が……」
11 ルキアン、翼の代償!? 命の恩人の父は…
長い溜息を付いた後、ルキアンは今の苦しみをうち明けた。
「だけど僕は《翼》を手に入れるために、エクターになってしまった。戦うことになってしまった! 別に戦いたかったわけでもないし、戦う理由があったわけでもない。たまたま僕にとって、あの日常から抜け出るための道というのが、エクターになることだけだったから。戦うのは一番嫌いなことだけど、それでも……。未来が凍り付いてしまったあの日常の中にいるよりは――これからずっと溜息とともに生きていくよりは、まだ戦う方がましだと思ったから。だけど、だけど――そんな小さな自己満足と引き替えに、僕は、大切なもののために戦っている人たちの命を、沢山奪ってしまうことになるかもしれない。そう思うたびに、どうしようもないほど苦しくて……」
延々と語り続けてしまったルキアンは、そこでふと我に返った。気が付くと頬が紅潮し、息も荒くなっている。彼はきまりが悪そうにうつむいた。
「ごめん。いつもこうなんだ。僕、普段はおとなしいくせに、いったん話し始めると、相手のことが見えなくなっちゃうんだ。退屈だったよね?」
シャノンはルキアンの目を見つめ、ゆっくりと首を振った。
慈愛に満ち、落ち着いたその仕草には、ルキアンと同世代の娘とはとても思えぬほどの威厳があった。
「そんなに苦しまないで、ルキアン。争いが好きでたまらない獣みたいな人たちをのぞいたら――どんな戦士でも、大切な何かのために必死に戦ってるんだって、パパが言ってたわ。それは人間の世界から争いがなくならない限り、決して終わらない悲劇なんだ、って。だからルキアン1人がそんなに背負い込むことはないと思う」
「シャノンの、お父さん?」
「うん。パパは、今は農園をやってるんだけど、ずっと前は公爵様に仕えるエクターだったの。だから内乱が始まってからは、パパもミトーニアのお城を守りに行ってしまったんだけど……」
――そんな! そんなことって!! 嘘だろ? おかしいよ、そんなの……。
またもやルキアンの目の前が闇に閉ざされた。
カセリナだけではなく、シャノンの父もルキアンの敵なのだ。これほど親切にしてもらった彼女の、大切な家族と争わねばならないのだろうか。
あまりの衝撃に、かろうじて立っているだけでも精一杯のルキアン。
だがシャノンは彼の胸の内など知る由もない。
「私が小さい頃、時々パパが話してくれた。敵も味方も、どちらも大切なもののために正しいと信じて戦っている、と。今回の戦いに出かけるときにもパパは同じことを言っていた。私には戦争のことはよく分からないけど、何が正しいの悪いのか、それはもう、最後には理屈だけでは済まないと思うの。結局は勝った方の意見が正しいことになってしまうし。だから私は、こんなことしか言えないけど、その……」
まるで母が息子を諭すような様子で、シャノンはルキアンに告げる。
「とにかくルキアンが戦い抜けば、そうすれば誰かが笑顔になれるんでしょ? もちろん、あなたのせいで涙を流す人もいるかもしれない。だけどあなたが勝利を手にしたら、救われる人がいるんでしょ? その人たちがルキアンにとっての《守るべきもの》だと思う。もしそれを守って戦った結果、あなたの敵の戦士たちを倒してしまったとしても――それは絶対に良いことではないけれど、さっきも言ったように、この世界から争いがなくならない限り、仕方のないことだと思う。あなたの敵だって、剣を振るう者はまた相手の剣によって命を落とすこともあると、戦う前から覚悟している。パパもそう言って、公爵様のお城に行ったわ」
堂々とした、しかし悲しいほどに悟り切った部分のある――戦士の娘として生まれ育った者の言葉だった。
ルキアンは自分の甘さを恥じた。彼女の顔を正視できないほどに。
それから、どのくらい静寂が続いただろうか。
春の日が傾き、薄暗くなり始めた外の景色に目を向けながら、ルキアンはつぶやいた。
「シャノンは――すごいな。僕の尊敬する人が、同じようなことを言っている。その人は普段は本当に穏やかなんだけど……。でも戦うときになったら、軍神のように強くて、鋼の剣みたいに冷徹なんだ。どうしてそこまで、その人が心を鬼にして戦っているのか。それはね、1人でも多く《優しい人が優しいままで笑っていられるように》と願っているからなんだって」
「素敵だわ。ルキアンも、その人と一緒に戦っているんでしょ?」
「うん……」
「だったら、あなたも大切なもののために戦っているじゃない。優しい人が優しいままでいられるように――私は素晴らしいと思う。もっと自信を持って、ルキアン」
部屋の隅から広がりつつある夕刻の陰りが、ルキアンの涙を隠した。
――だからって、もし僕が君のお父さんを殺しても、シャノンはそうやって落ち着いていられるの? 悲しすぎる、戦いなんか。どうして人間は、争いが起こる前に、互いに譲り合おうとする気持ちを持てないの……。
《ダカラ神ハ、ソンナ人間タチヲ見捨テタ。ソシテ旧世界ハ滅ビタ》
不意にルキアンは、やるせない気持ちを旧世界の滅亡と結び付けた。
――僕たちは過ちを繰り返すしかないの? 人間は、自分たちが滅びるまでは永遠に争いを止めないの?
12 歴史的な勝利、ミトーニア市の反応は?
◇ ◇
その晩、ひとつのニュースが王国全土を駆けめぐった。
否、口伝えから始まった噂は、瞬く間に無数の《念信》を経て国境を越え、近隣のミルファーン王国やガノリス王国は勿論のこと、遠くタロス共和国やエスカリア帝国までも広がりつつある。
オーリウムにてギルドの艦隊がナッソス公爵家の艦隊に勝利す!――諸国の宮廷から路地裏の酒場まで、あらゆるところで人々の話題にのぼった。
単にそれは、無頼の傭兵団が圧倒的規模の大貴族の軍を殲滅したという事実にとどまらない。
何よりも《オーリウムのエクター・ギルド》という組織の特別な性格ゆえに、その勝利はなおさら人々の注目を浴びたのである。《ギルド》という、一見、封建的・閉鎖的な団体を思わせる呼び名にもかかわらず、この集団は、身分、国籍、宗教、性別等の違いを越えた新たな枠組みに立脚しているのだから。
そのことを反映し――ギルド艦隊も、もはや地図上に存在せぬゼファイア王国の伝説的英雄を筆頭に、オーリウム国内の元貧民から旧タロス王国の亡命貴族の姫君まで、多種多様な人々によって構成されている。
彼らは過去に背負ってきたそれぞれの利害やしがらみを越えて、ギルドの象徴である青紫のクラヴァットを等しく身に付け、勝利を得たのである。
特に諸国の平民たちはギルド艦隊の活躍を賞賛した。タロスの市民でさえ、今頃は、かつての大敵であったカルダインの勝利に乾杯していることだろう。
他方、少なからぬ貴族たちにとって、ナッソス艦隊の敗北は、日増しに衰退する自らの未来を暗示するかのような苦々しい出来事だった。中でも地元オーリウム王国においては、ナッソス家が保守派貴族の領袖と目されているだけに、その敗北の衝撃はなおさら大きい。
《この空戦をもって、王国の新たな時代が幕を開けた》
オーリウムの某文筆家は、当日の日記にこのように書き記したという。
◇
タロス革命の大乱の最中、あとわずかで歴史を書き換えるところであったカルダイン・バーシュは、この日に至って本当に歴史を塗り替えた――とは言い過ぎであろうか。
その彼は今、飛空艦クレドールの艦橋に立ち、前方の遙か眼下にミトーニア市を見つめている。節くれ立ち、がっしりとした手には、ある宣言の文書が握られていた。
カルダイン艦長の傍らには、クレヴィス副長だけではなく、ルティーニ財務長の姿も見受けられた。これから行われる宣言をめぐって、彼は艦長から相談を受けたのだ。以前は宮廷の顧問官であった彼にしてみれば、この手の儀式張った《取り引き》も得意分野のひとつなのだろう。
「たとえ追いつめられた者たちであっても、こちらが横暴な態度をとれば、最後の最後で頑強な抵抗に出るものです。ですが、本来は自分たちの立場をよく知っているはず。そこで相手の顔も立て、悪くない譲歩を示してやれば、結局のところは飛びついてくるでしょう」
広い額を光らせ、ルティーニが自信ありげに言った。
彼の言葉にクレヴィスが微笑む。
「さらに、一方の選択肢で譲歩すると同時に、別の選択肢の方には苛烈な結果を結び付けておく。《アメとムチ》ではなく《アメかムチか》ですか。なるほど。二重の意味で、常人ならば穏便な答えの方になびくでしょう。誰しも本音では自分たちの身が可愛い。しかし面子もある。その両方に上手く対処してやれば……。ふふふ。ルティーニ、あなたも見かけによらず怖い人ですね」
「時には冷徹な計算もできなければ、宮廷では生きていけませんよ。もっとも、そういう環境が嫌で飛び出してきた私が言ったところで、説得力に欠けますか」
声を抑えて語り合う2人。
カルダインは彼らのやり取りを黙って聞いている。
「いや、もし我々がミトーニア市を武力で開城させることになれば、必ず後でツケが回ってくるでしょう。そのぶんナッソス城の攻略が遅れ、ひいては《レンゲイルの壁》への総攻撃開始に間に合わなくなる可能性も出てきます。それに市街戦になれば、何よりも市民たちに犠牲が出てしまいます――ルティーニの案が功を奏するよう、祈りたいものです」
そうつぶやきながら、クレヴィスはセシエルに目配せした。
コンソールの上の水晶球に手を置き、じっと神経を研ぎ澄ませていた彼女は、落ち着いた声で言う。
「艦長、市当局とつながりました。準備は完了です」
カルダインは悠々と頷いた後、自ら念信を送り始める。
――名誉ある自由市ミトーニアの、市長はじめ参事会の紳士諸君。私はナッソス家討伐隊の総司令、エクター・ギルドの飛空艦クレドール艦長、カルダイン・バーシュだ。我々はナッソス家の艦隊をすでに撃破し、まもなくミトーニア上空に到着する。ギルドの地上部隊も大規模な包囲作戦を開始した。だが我々は決して争いを好んでいるわけではない。貴君たちが以下の条件を受け入れ、武装解除し、国王陛下と議会に再び忠誠を誓うのであれば、我々は攻撃を中止するとともに、ミトーニアの自治権を従来通り保証する……。
【第23話に続く】

※2001年9月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第22話・中編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
5 「巨人」を追う銀髪の将、次なる手は?
◇ ◇
王都エルハインの南方、広大な中央平原が途切れる北限付近に、議会軍のアムスブール基地がある。
その敷地内にひときわ大きな石造りの建物がそびえている。黒々とした岩山のごとき堅固な要塞。旧世界の《クリエトの塔》を思わせる角張った施設の四隅には、同じく石組みの尖塔が天高く伸びる。
この堂々たる建物が議会軍総司令部である。
輝く銀髪を肩まで豊かにたたえ、すらりとした長身を持つ将校が、薄暗い廊下を急いでいた。物静かで落ち着きのある40代前半の男は、時折、密林の奥から獲物を狙う豹のごとく、周囲に鋭い視線を走らせる。
扉の左右に立つ衛兵から最高度に改まった敬礼を受けた後、彼は部屋の中に通される。入口には《議会軍元帥》の名が掲げられていた。
彼の正面に座している大柄な老人が、そのエクセオ・ディ・ドラード元帥、つまり全議会軍の頂点に立つ人物に他ならない。見た目には背筋も真っ直ぐ伸び、体の動きも力強い。しかし元帥の頭髪はすっかり失われており、深い皺が顔中に刻まれていることからも考えて、実際には相当の高齢なのだろう。
例の銀髪の男、マクスロウ・ジューラ少将は恭しく一礼した。
マクスロウ少将は、いわば元帥の懐刀と言うべき立場にある。彼の任務は――軍の最重要機密に当たる問題について、ドラード元帥から直接の指示を受け、秘密裏に情報収集を行うことである。今回の《大地の巨人》の件も勿論そのひとつだ。
凛とした姿勢を崩さぬマクスロウを一瞥した後、元帥は暖炉の前に立った。ドラード家は将軍や大臣を代々輩出してきた名門貴族である。軍人というよりは宮廷の文官を思わせる物腰柔らかな態度で、元帥はつぶやく。
「これは何の冗談かね? マクスロウ少将……」
ドラード元帥は、少将から受け取ったばかりの文書に火を付けた。
赤々と燃える炎。黒い焦げが広がり、たちまち小さくしぼんでいく紙を、元帥は暖炉の中に捨てる。
さらに1枚、2枚……。
無言のまま微動だにせぬマクスロウに向かって、元帥は渋い顔をした。
「この報告書のことだ。昨日ラプルス地方でわが軍が交戦したという事実は、私の方には《一切伝えられていない》。反乱軍の勢力など無いに等しいあの地方に向けて、特務機装軍が2個大隊も出撃したなどと――君のような有能な男が、そんな馬鹿げた《誤報》を本当に信じたはずはなかろうが。はっはっは」
元帥の高笑いを耳にしながら、わずかに眉を動かしたマクスロウ。
「閣下……」
ファルマスが予測した通り、軍はあの一件を――つまりマクスロウの送った特務機装兵団がパラス騎士団と戦い、全滅したという事実を――闇に葬り去ったのだ。
もし表沙汰になれば、事は議会軍だけの問題ではなくなり、議会と宮廷、ひいては議会と王家との間にまで厄介な軋轢が生じかねない。宮廷の方としても、パラス騎士団をラプルスに派遣していたことが公になっては好ましくないので、互いに知らぬ存ぜぬというところだろうか。
「ともかく早急に手を打たねばなるまいな。《巨人》はすでにパラス騎士団の手に渡ってしまったのだろう?」
元帥は執務卓に着き、先程とは別の報告書を手にした。
「それだけは何としてでも阻止しようとしたのですが、申し訳ございません。昨夜遅く、《パルサス・オメガ》を収めたと思われる黒いコンテナを国王軍の大型輸送艦が運び去っていくところを、付近の住民たちが目撃しております。現在、その輸送艦の行方を全力をあげて探索させているところです」
「頼むぞ。それから、宮廷に潜む狸のことだが……」
6 英雄の反乱と宰相の陰謀、その背後に…
「ご無礼仕ります」
小声でそう言った後、マクスロウは元帥の耳元に近寄った。
「エルハインの都から新たな知らせが参りました。パルサス・オメガの発掘は、やはりメリギオス大師の命によるものです。さらに、反乱軍に忍ばせた密偵が思わぬ事実を探り出してきました。まだ確かだとは申せませんが、メリギオス大師はギヨット卿と密書を取り交わしている模様です」
「何と……。いや、それで合点がいった」
好々爺の雰囲気すら漂わせていたドラードの目が、不意に鋭い光を帯びる。うって変わった彼の表情は、軍を統べる元帥のそれだった。
「君も知っている通り、ギヨットとメリギオスの目標は互いに異なる。しかし議会を叩きつぶして国王に権力を集中させようとするところまでは、両者の利害は一致するのだ。おそらくギヨットが反乱を起こしたのは――貴族や神官、商人、地主たちの力が分立し、はっきりとした権力の中心のないオーリウムを、エスカリア帝国のように絶対的な君主によって統治される国に変えようという《理想》のためだ。そのためにはまず、様々な地域や諸身分の利害の牙城である王国議会を解体せねばならぬ。他方、メリギオスは自身の権力欲だけで動いているが、彼にしても――議会が倒され、自分の《操り人形》である王に権力が集まれば集まるほど、己の力もまた強まるというわけだ」
「ギヨット卿は熱狂的な愛国者でしたが、それが行き過ぎて反乱などということに……。オーリウムをエスカリアに劣らぬ強国にするためには、ゼノフォス皇帝が断行した中央集権策と同様、国の権力の在り方を根本から作り替えなければ何事も始まらないでしょう。常に前線でガノリスと戦ってきたギヨット卿にしてみれば、このままでは王国が生き残れぬという思いを人一倍強く感じていたのかもしれません。しかし……」
マクスロウの言葉は、一見するとギヨットに対して同情的だった。
だが彼はあくまでギヨットの立場を冷静に分析しただけでであって、個人的に共感を示す素振りは少しも見せていない。私情に流されることがないからこそ、冷たい鋼――文字通り元帥の《懐刀》であり得るのだ。
むしろ元帥の方が、互いに良く知った仲であるギヨットを思い出し、さながら若き日の戦友を回顧するような眼差しを浮かべていた。
「そうだな。オーリウムが他国に侵略されることを最も嫌っているのは、他ならぬギヨット自身であるはず。だからこそ分からなかったのだ、なにゆえ彼がこんな時に反乱を起こしたのか。いま内輪もめを起こせば、まさにエスカリア帝国の思うつぼではないかと……。他方、帝国軍と連合軍のいずれに味方するかをめぐって国内が真っ二つに割れている今は、確かに反乱にとって、またとない好機でもある。そこでギヨットはメリギオスと手を組んだのだろう。いや、多分メリギオスの方から話をもちかけられたのかもしれないが。これは私の憶測に過ぎないにせよ、メリギオスは帝国軍とも密約を結んでいる可能性があるからな」
宮廷内の事情にも詳しいドラードは、メリギオスの人物像をも見事に把握していた。メリギオスは手段を選ばない。己の権勢のためならば、自分の国や味方を欺くことも平気で行う男なのだ。
元帥はさらに続ける。
「つまり――議会軍を叩いた後、メリギオスとギヨットは、議会の決議に反してエスカリア軍と講和・同盟することにより、オーリウムの独立を維持する。抜け目のないメリギオスのことだ、機を見てガノリスやミルファーンの国土を奪い、エスカリアとオーリウムの2大国が支配する世界を作り上げようとしているのだろう。そして、いずれはエスカリア帝国の寝首を掻き、世界を手にしようと……。勿論その程度のことは、神帝ゼノフォスの方も見通しているだろう。結局は狐と狸の化かし合いだな」
マクスロウはしばらく考え込んでいた。だが、大筋のところでは元帥の見方に賛同しているらしい。
「従来ならば、その化かし合いの成立する余地すらなかったでしょう。しかし今や、メリギオス大師には《切り札》があります。帝国の浮遊城塞《エレオヴィンス》にも劣らぬ――いいえ、恐らくそれ以上、世界を滅ぼせるほどの力を持つパルサス・オメガという最終兵器が。この巨人の力を背景に、メリギオスは帝国との交渉を上手く進めるつもりなのでしょう。さすがはドラード閣下。そう考えれば話はつながります」
「一応はな。だが君自身、わしの推理に完全に納得しているわけではあるまい。果たしてゼノフォスがそんな小細工に応じるだろうか? また、そもそも疑問に思っておるのだよ――いかに旧世界の超兵器だとはいえ、ただ1体の《巨人》がそれほどの力を持っているとは、今ひとつ信じ難い」
ドラード元帥は、何か釈然としないという顔つきである。
やがてマクスロウは新たな密命を帯びて引き下がった。
7 墜落したルキアンが助けられたのは…
◇ ◇
目を開けると、茶色がぼんやりと見えた。
霞がかかったような視界。全ての輪郭線が徐々にはっきりしてくる。
頭の上に何か動くものがある。そしてもうひとつ。
2つの人影がこちらを覗き込んでいた。
「あ、気が付いたみたいだよ。目が開いてる!」
まだ幼さの残る少年の声がした。
ようやく意識を取り戻したルキアン。
柔らかなベッドの感触。
例によってシャリオやフィスカの顔が現れるのではないか――そう思ったが、ここは少なくともクレドールの医務室ではないらしい。
「あ、あれ。僕は一体? いや、戦いは……。そうだ、戦いは!?」
無意識のうちに声をあげ、ルキアンは布団を蹴り飛ばすように起き上がる。
ベッドの側から慌てて男の子が後ずさった。
「おかしいな。何でだろ。ここは? 君は?」
ルキアンは、自分でもよく考えないまま彼に話しかけていた。
男の子の方も、きょとんとした目でルキアンを見つめている。
ほとんど黒と表現してもよさそうな深い褐色の瞳が、警戒心と好奇心とをない交ぜに、ルキアンの体中を眺め回した。その視線は、彼の腰に吊り下げられた拳銃のところで止まった。
子供ながらに厳しい少年の目つきから、ルキアンも彼の気持ちを理解する。
「大丈夫。弾は入ってないよ……。ほらね、怖がらないで」
ルキアンは銃を手にすると、武器の構造も分からぬ子供に説明しようとする。
だが少年の方は、ルキアンが不用意に銃を抜いたおかげで身を凍らせた。
「ご、ごめん……。あの、こういうのって、慣れてなくって」
急いで銃を収め、両手を振って弁解しようとするルキアン。
彼自身も銃の扱いには不慣れである。過去に何度か試し撃ちしたことがあるくらいで、実際に生き物を撃ったことは――ましてや人間に銃を向けたことは一度もなかった。
そんな彼が、拳銃とは比較にならぬ大量破壊兵器《ステリアン・グローバー》の引き金を引いてしまったとは、まさに運命の皮肉としか言いようがない。
銃をホルスターに戻したとき、ルキアンは腰に下げてあった剣がないことにようやく気づいた。これまた素人の振る舞いだ。実際、戦士でも軍人でもないのだから仕方がないとはいえ。
「変だな。僕の剣がない。《ケーラ》の中に忘れてきたのかな?」
周囲や足元を見回した後、ルキアンは剣ではなく別の人影を見いだした。
男の子と同様にきれいな褐色の目をした娘が立っている。
ルキアンと同い年くらいだろうか。暖かそうな厚手の焦茶色の上着と、森の木々を映したような深い緑色のスカート。質素な農村風の出で立ちだが、農民の娘にしては身なりが多少良すぎる感じもする。
「気が付きましたか。ごめんなさい。剣は預からせてもらいました。だって、あなたが何者なのか分からないし……」
少女の顔を見つめたまま、ルキアンは黙って頷く。
程良くクセのある栗色の髪は、特に結ったりしていないにせよ、小綺麗に整っている。それほど痛んでいる様子もなく、大地に引かれて流れるように背中を包んでいた。ミトーニアの商人の娘が郊外に避難してきたのだろうか? ちょうどそのような外見だった。
指先もほっそりしており、その色も白く滑らかだ。やはり農民の娘ではあるまい。物腰からみて貴族でもないだろうが……。
ルキアンは若干の不審を覚えつつ色々考えている。
しかし彼の様子に危険はないと感じたのか――いや、実際、見るからに危険ではなさそうなのだが――娘は微かに目を細めた。こうして肩の力が抜けると、彼女は先程よりもあどけなく見える。
「怪我、してないですよね? 私はお医者さんじゃないから、よく分からないけど。とりあえず血は出てなかったです」
「え、えぇ。大丈夫です。僕はどうして、ここに?」
見知らぬ《来客》をまだ警戒しながらも、素朴な笑顔を見せる娘。
そんな彼女にルキアンはどこか親しみを覚えた。ちょうど2人が同じ年頃だったせいもある。
「それは……」
ルキアンに尋ねられた途端、娘は表情をこわばらせ、言葉を詰まらせた。彼女はルキアンの心を手探りするように、そっと視線を送る。
「いきなり大きな音がして、近くの森に落ちてきたんです。その――あなたの、あなたのアルマ・ヴィオが」
8 戦いの不条理―突きつけられる醜い現実
記憶の糸をたぐり寄せていくうち、次第に思い出し始めたルキアン。
――そうか。僕は、たしか敵のオルネイスに囲まれて、それから……。あのとき、避けきれずに墜落した?
にわかに口数の減ったルキアンに、今度は少女が尋ねる。
「あなたは兵隊さん? 私と同じくらいの歳なのに、アルマ・ヴィオに乗って戦ってるなんて……」
ルキアンは妙に力を込めて首を振る。
「じゃあ、公爵様の家来の人? そういえば何となく品がいい。機装騎士見習いの貴族の方?」
「え、あの、僕は、その……」
まず間違いなくここは敵地だ。いくら不器用なルキアンでも、自分がギルドの飛空艦に乗っているとは言わないだろう。かといって、いまさら《魔道士見習い》だと名乗るのもなぜか違和感がある。
彼は何度も言葉をどもらせ、いつまでたっても適当な答えを返すことができなかった。
娘の方もそれ以上の詮索をあきらめた。
溜息。そして苦笑い。彼女はあっさりした口調で言う。
「まぁ、何でもいいわ。どうせどこの軍隊でも、私たちにとっては同じだし」
「……同じって?」
彼女は男の子の方を気にしながら、ルキアンに耳打ちした。
「議会軍も、反乱軍も、公爵様の兵隊だって、みんな私たちの畑を踏み荒らしたり家を壊したりすることに変わりはないもの。でもまだましよ。敵なのか味方なのかよく分からない傭兵たちなんて、お金や食べ物を全部奪っていくもの。抵抗したらどんなひどい目に遭わされるか分からないし。楽しんで人間を殺すような人たちだから。私も何度か襲われそうになったことがある。いつも必死で逃げてばかり。怖い……」
何のための戦争であろうと、結局いつでも一番苦しむのは庶民だ――そんなお決まりの台詞をルキアンも幾度となく聞いているが、少女の怯えた顔は何百の言葉よりも彼の胸を揺るがした。また、傭兵たちの蛮行を目の当たりにしながらも、それでも自分を助けてくれた彼女にルキアンは心を打たれた。
――だから、戦いなんて終わらせなくちゃいけないんだ。戦争なんて全部なくなってしまえば、消えてしまえばいいのに!
だが争いを終わらせるためには、結局誰かが戦わねばならぬということを、今のルキアンは感じ始めている。
今後の戦争による惨禍を連想したのか、娘は身を震わせた。
「大変なの……。もうすぐエクター・ギルドの艦隊が攻めて来るんですって。飛空艦に乗ってるのはみんな空の海賊で、ならず者の集まりなんだって、公爵様の兵隊さんたちが言ってたわ。もしミトーニアが落ちたら、街の人は皆殺しになるだろうって」
――そんな馬鹿な!? ギルドは、少なくとも僕たちの船は違う!
ルキアンはそう叫ぼうとしたが、言えなかった。
――優しい人が優しいままでいられるように……。いや、でも僕らも。
戦う者はみな同じだという娘の言葉を、ルキアンは思い出す。
――どんな戦いも結局は《戦い》。優しい人が優しいままでいられるように、優しい微笑みを絶望の涙に変える人たちに立ち向かい、クレヴィスさんも……僕も?……必要とあれば剣をかざす。そして血を流し合い、戦い続ける。誰かの優しさのために自分の優しさを捨てて……。だけど、戦う相手の側に言わせれば、僕らのせいで大切なものを失っている。だったらなぜ戦うの? なぜ人は戦わなきゃいけない? 好んで戦ってなんかいないのに!
ルキアンは知らぬ間にシーツを握り締めていた。青い顔をして。
娘の口から出てきたのは、茫然自失の彼をさらに困惑させる言葉だった。
「きっとカセリナ様が助けに来てくれる。姫様は家来の人たちと一緒に町や村を回って、悪い人たちから守ってくださっているの。とにかく強いんだから。お城の機装騎士の誰よりもカセリナ様は強いって、みんな言ってるわ」
そういえばナッソス公の城に居たとき、カセリナもアルマ・ヴィオに乗るとランディが言っていた。お姫様の単なる戯れだろうと思っていたルキアンだが、違うのだ。カセリナは1人のエクターとして、実際に戦っている!
――僕はカセリナと戦えるのか? いや、僕が戦わなくても、仲間の誰かがカセリナと戦い、傷つけたり、傷つけられたり、もしかすると命まで。もしもそんなことになったら、僕は……。
恐ろしい想像。けれども近い将来、事実にならざるを得ない悪夢。
――私から大切なものを奪おうとする憎い敵なのね、あなたは……。
彼女の声が、残酷なほど鮮明によみがえる。
また今度も返す言葉が見つからなかった。
【続く】

※2001年9月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第22話・前編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
優しさのために、
優しさを捨てることができますか?
笑顔のために、
笑顔を忘れることができますか?
◇ 第22話 ◇
1 驚愕、平凡な敵にさえ苦戦する主人公!?
――体が、動きが重い?
今の自分の《身体》、つまりアルフェリオンの機体にルキアンは違和感を覚えた。覚悟を決めて出撃してみたものの、何か調子がおかしい。
クレドールの甲板から飛び立った途端、ルキアンは激しい空気抵抗の壁にぶつかった。吹き付ける突風に抗っているような、いや、これでは水の中に居るような。
早く次の行動に移らなければ。だが……。
――しまった! 回避できない!?
白熱した稲光が走った。正面から敵方の雷撃弾が飛来する。
ルキアンが気づいた瞬間、目の前は閃光に包まれ、何も見えなくなった。
――ルキアン、大丈夫か! ルキアン!!
呆然とした頭の中にバーンやベルセアの声が響く。
自分はどうなったのか?
まだ意識がある。いや、奇跡的にダメージは免れたようだ。
ルキアンが我に返ったとき、陽炎のごとく揺れる空気の幕のようなものが正面に浮かんでいた。以前と同様、彼に代わってアルフェリオン自らが《次元障壁》を張ったのである。
――いけない、動かなきゃ。動け、もっと、もっと速く!
必死に翼を羽ばたかせようとするが、思うように速度が上がらない。
一体どういうことなのか? 今までと比べて動きに全くキレがない……。
――ルキアン、今度は後ろだ!!
ベルセアがそう叫んだときには、新たなオルネイスが銀の天使めがけて襲いかかっていた。
鋼の鉤爪を持った2つの足が、アルフェリオンを鷲掴みにしようとする。甲冑の肩当てから火花が飛び散り、ルキアンは引きずられるような衝撃を感じた。
何とか飛行姿勢を立て直そうとするが、機体はにわかに失速し、その翼も勢いを奪われていた。
◇
敵の飛行部隊を相手にルキアンたちが防戦を続ける一方、ギルド側のアルマ・ヴィオもナッソス艦隊を激しく攻め立てていた。
中でもレーイの操る《カヴァリアン》の働きはめざましい。さすがにギルドのエースと称されるだけのことはある。
――この1発で沈める。
冷静にそう言った後、突然、レーイは心の中で雄叫びを上げる。
ついに来たな、とメイは思った。
レーイは徐々に闘志を燃え上がらせるタイプだ。普段のやや平凡な性格が災いしてか、火がつくまでに時間がかかる。が、ひとたび気合いが高まるや、彼の戦いぶりはもはや荒ぶる闘神のそれに等しい。
ギルド側のアルマ・ヴィオの息もつかせぬ波状攻撃により、目標となった敵巡洋艦は急激に戦闘力を失いつつある。それでも敵も最後まで諦めない。わずかに残った砲塔が、接近してくるカヴァリアンに向かって火を噴いた。
だがレーイは避けなかった! 敵の火炎弾の軌道を精確に見切ったうえで、なんと真正面からMTサーベルを振り下ろし、迫り来る炎の帯を切っ先で両断したのである。
カヴァリアンの正面で猛火がVの字型に分かたれ、後方に散っていく。ほんのコンマ数秒でもタイミングを誤れば、直撃を喰らうところだが。
炎はおろか、轟々と流れ落ちる滝をも切り裂く刃……。それはかつて、伝説の勇者と呼ばれた者たちが、強力な魔法使いと戦うときに使った奥義を思わせる。勿論、レーイ自身がそんなものを会得しているわけはないにせよ。
――か、神業よね……。今の見た?
さすがのメイも息を飲んだ。
2 ギルドの真の実力…戦慄するナッソス軍
もはや裸同然の敵艦の頭上に、カヴァリアンがひらりと舞い上がる。
今度は剣ではなく、MgSドラグーンの銃口が青白い閃光を吐き出した。ごく身軽に、狙いを定めず適当に発射したような動作だったが、実際には寸分狂わぬ完璧な射撃だ。
斜め上空からの雷撃弾は敵艦の船首から船尾まで貫通する。カヴァリアンのMgSドラグーンの威力は、パラス騎士団の《エルムス・アルビオレ》のそれにすら劣らぬと言われている。強烈だった。
瞬き。わずかな時が流れた。船体の各部で爆発が続いた後、ついに敵艦は火柱を立て、真っ二つに折れるように砕け散った。
予告通り、レーイは本当に一発で仕留めてしまったのだ。
彼がいよいよ真剣になり始めたのには理由があった。そう。味方艦隊に迫った危険のことを考えてである。
――メイ、お前の腕とラピオ・アヴィスの速さを見込んで頼む。ここは俺たち3人で何とかするから、味方艦隊のところに戻って敵の飛行型を叩いてくれ。クレヴィス副長が出ているから、まず大丈夫だと思うが。しかし、万一ということもある。
――何言ってんの!? レーイ、いくらなんでも、たった3機でこの艦隊を相手にする気? 無茶言わないで!! むしろクレヴィーの方に、早くこっちを援護に来てほしいぐらいだわ。
レーイの言葉に耳を疑うメイ。
――3機で足らないのなら、4機のままでも大して変わるまい。
――そ、それは……。でも。
――帰るべき船が沈んでしまっては、こちらで勝ったところで意味が無い。
厳かな威圧感を漂わせ、レーイは淡々と諭した。
彼の言葉を聞きつけたプレアーが、会話に割って入ってくる。
――早く助けに行かなきゃ、お兄ちゃんたちが!!
――だったらお前も行ってやれ、メイと一緒に。
レーイは静かに言い残すと、残る敵艦の方に怒号と共に突進していく。今度は戦艦を標的に定めたらしい。バーラエン級の巨艦の方ではないといえ、アルマ・ヴィオだけで戦艦に戦いを挑むなど正気の沙汰とは思えなかった。
いや、果たして本当に無謀なのだろうか? レーイという男は、我を忘れる熱血漢とは根本的に違っているはず……。自信が、勝算があるのだ。
カヴァリアンの周囲を球状の光が取り巻いた。砲撃の嵐の中を、金色に輝く火の玉が突き進んでいくように見える。カヴァリアンに搭載された旧世界の防御兵器、全方位からの攻撃を封じる《結界型MTシールド》である。
仲間たちのやり取りを黙って聞いていたサモンも、《ファノミウル》の翼を翻して彼に続いた。
ファノミウルの広角型MgSが目映い輝きを帯び、赤い竜巻さながらの炎が敵艦を飲み込もうとする。背中の多連式MgSも、休むことなくうなりをあげ続ける。
豪雨のように魔法弾を叩きつけられては、いくら戦艦の防御力をもってしても長くは持ちこたえられまい。堅固な要塞でさえも、飛行型重アルマ・ヴィオの《爆撃》を受ければ廃墟と化してしまうのだから。
「艦長、重巡洋艦ロスクが撃沈されました! 敵アルマ・ヴィオ2体、さらにこちらに向かって接近してきます!!」
敵艦隊の旗艦、バーラエン級飛空戦艦の艦橋で《鏡手》が叫んだ。
見るからに武人らしき、濃いもみあげに顎髭の指揮官は、たったいま窓外で起こった出来事に目を疑っていた。
「アルマ・ヴィオだけで、それもわずかな間に、たった4機で巡洋艦を沈めただと!? そんな馬鹿な話が……」
傍らに居た副官らしき男が、自らも驚愕を隠せない様子で答える。
「そ、それが、艦長。敵の汎用型のエクターは人間離れした腕の持ち主で、重飛行型の1機もアルマ・ヴィオとは思えぬ莫大な火力を有しており、このまま手を打たなければ、さらに被害が拡大する恐れがあります!」
「飛行隊をこちらの守備に回せと言うのか? あと少し、あと少しで敵艦を落とせるというのに……。もう1隻や2隻、こちらの船を失ってもやむを得ん! もとよりこの空戦で勝利せねば、我々に後はないのだからな」
「しかし敵艦隊の前にも、信じ難い強さのアルマ・ヴィオが1体立ちふさがっております! こちらのオルネイスは次々と撃墜され……」
「分かっている!!」
敵艦長は悲痛な面持ちで机を叩いた。
――単機のアルマ・ヴィオに、40機あまりの飛行型が追い詰められているというのか? 何ということだ、それがギルドのエクターたちの実力だというのか。戦いの中で生きる無頼の漢たち、まさかここまで手強い相手だとは。
怒りゆえか、恐れゆえか、艦長は肩を振るわせながら両手を合わせる。
――だがナッソス家のために、何よりもカセリナお嬢様の未来のために、我々は絶対に負けられぬ。神よ、どうか勝利を我らに……。
3 主人公、早々に墜落? 決意も空しく…
◇
「危ない!!」
セシエルは思わず姿勢を低くする。
突然、艦橋の前に銀色の何かが飛び出してきた。それはクレドールの船首すれすれをかすめた後、再び上昇し始めている。
姿勢を崩したアルフェリオンが落ちてきたのだ。
――何やってんだ、ルキアン! 寝ぼけてんのか!?
バーンの怒声。
――そんなこと言ったって……やってます、やってるけど、これが限界!!
ルキアン本人としては手を抜いてなどいないのだが、どうにも速度が出ない。時間を超えて瞬時に移動しているかのような、アルフェリオンのあの恐るべきスピードが全く発揮できないのだ。
それでもオルネイスの倍以上の速度が出ているのだが――訓練を積んだナッソス家のパイロットと素人同然のルキアンとの実力差を埋めるハンデとしては、まだ不足だった。
ルキアン自身には分かっていないにせよ、これがアルフェリオン・ノヴィーアの基本的な速度に他ならない。過去に2回の空中戦を行った際、あれほど速く飛べたのは、いずれの場合も《ステリア》の力が発動されていたためだった。
――落ち着け、落ち着くんだ。焦っちゃダメだ。
緊張のあまり、めまいを起こしそうになりながらも、ルキアンは自分に言い聞かせる。
が、それが彼の隙になった。
――ルキアン、囲まれてるぞ! 目ェ付いてんのか!? 死ぬぞ、おい!!
再びバーンの大声が聞こえたとき、ルキアンは、物凄い速さで暗闇に落ち込んでいくような気がしていた。
それ以降のことは、全く覚えていない……。
敵の集中攻撃を浴び、真っ逆さまに落下していくアルフェリオン。
戦場では一瞬の気のゆるみが命取りになる。
あっという間に鋼の怪鳥たちが殺到し、めった打ちにされた銀の天使は、いともあっけなく戦線を離脱してしまった。
――ルキアン君!?
クレヴィスはアルフェリオンの墜落に気づき、瞬間、助けに向かうような素振りを見せた。
だが、わずかに移動しかけた《デュナ》は、何故かその場にとどまる。
その間も、敵のアルマ・ヴィオが目の前を飛び交っていた。
――あなた方に勝ち目など無いですよ。名誉ある死が望みならば、私も戦士として、すみやかな最期を与えてあげましょう。
デュナとすれ違った後、数体の飛行型が木っ端微塵になった。
あまりに速い斬撃のため、光の剣のひと振りが流星のようにすら見える。
悠々と上昇していくデュナが、さらに1機、また1機と敵をとらえていく。小魚の群を思うがままに喰らう肉食魚のごとく……滑らかで、圧倒的で、そして容赦がなかった。
クレドールを取り巻く敵機の数が、次第に目に見えて減ってきている。
事態を冷静に把握しながら、クレヴィスはつぶやいた。自らに言い聞かせるかのように。
――ルキアン君、そういう結論を選びましたか。ステリアの力に対して……。あなたらしい、優しい思いです。でもルキアン君。もし本当にそれで済むのなら、呪われたステリアの魔力など、最初からこの世に現れていなかったかもしれません。
4 猛る精霊の群れ、魔道士クレヴィスの思い
他方、クレヴィスはデュナに新たな動きを命じる。
――ここまで敵機の数を減らしておけば……。後はまとめて片付けても、味方の艦が誘爆することはないでしょう。
深緑色の甲冑の背後から、いくつもの炎が尾を引いて飛び出していく。その光景は、まるで獲物を追い立てさせるために、デュナという狩人が猟犬の群れを放しているように見えた。
無数の鬼火が生き物同様に飛び回る。よく観察してみると、燃え盛る火焔の中で――蛇に似た動きでうねる何か、鳥を思わせるもの、人の顔のような影など、異様な存在が踊っている。
《ネビュラ》である。しかも物凄い数の……。
普通のエクターなら一度にひとつのネビュラを操るだけでも精一杯だ。
だがクレヴィスは、数10体のネビュラを同時に呼び出した。天才的な魔道士である彼の才能と、魔法戦特化型のアルマ・ヴィオ、デュナの能力とが組み合わさって初めて可能となる、文字通りの《魔法》だった。
炎のネビュラの数は、生き残っている敵のアルマ・ヴィオよりも多い。
――行きなさい、我がしもべたちよ。
クレヴィスが静かにささやく。
それを待ちかねていたように、猛火をまとった《猟犬》の群が獲物に襲いかかった。味方の飛空艦に当たらぬよう上手く軌道を修正しながら、炎の人工精霊たちはそれぞれの敵を狙って飛翔する。
――終わりましたね。できれば使いたくなかったのですが……。
早くもクレヴィスはそう言った。
実際、もはやナッソスの飛行隊に助かる術はない。たった1体のネビュラでさえ、特殊な魔法を使わぬ限り迎撃し難いものだ。それがこれだけの大群となって襲いかかれば、人間の力ではどうすることもできまい。
灼熱の炎が敵の翼に絡みつき、あるいは機体全体を舐めるように燃え広がる。
――もはやこれまでか。我々の同志が、必ずやナッソス家に勝利を!
――カセリナ様!!
多くの若いエクターたちが、敬愛する姫の名を叫んで死んでいった。
黒こげになった《鳥》が、溶けて形を失った鳥が、次々と地上に落ちていく。
その様子を見つめながらクレヴィスは寂しげにつぶやく。心の奥底で語られる言葉には、彼らしからぬ苦渋の匂いが漂っていた。
――ルキアン君。いつか貴方にも分かるでしょう。本当はみんな穏やかに笑っていたいのです。しかし、そんな優しい気持ちさえも踏みにじってしまう人々がいるから……自分や仲間の身勝手な都合のためならば、他人に犠牲を強いることなど当然に許されると思っているような人々がいるから……その結果、涙を流しながらも、そのような人々と《戦う》者が必要となってしまうのです。勇気を出して、優しい微笑みを誰かが守らなければ、この世はあまりに救われません。
《ケーラ》の暗闇に眠るクレヴィス。
その横顔に悲壮な影が浮かんでいた。
――そうでもしなければ……。他人の痛みを自分の痛みとして、何とか少しでも理解しようと迷い、思い悩み、その結果、己のエゴを人らしく和らげようとする……そういった、人間としてごく当たり前の理性や思いやりを持っていることが、そのような人間として育って《しまった》ことが、罪だとでも、愚かだとでも? 穏やかで慎ましい心など、《醜いあひるの子の烙印》だとでも言うのですか? そんな馬鹿なことが!!!
ギルド艦隊の周囲には爆煙だけが残された。
敵の飛行型アルマ・ヴィオは一機たりとも退却することなく、ナッソス家の乗り手たちは全て壮絶な討ち死にを遂げたのである。
クレヴィスは敵の最期を無言で見届けていた。
デュナの手に握られていた光の剣が、すぅっと消える。
肉の帯がほどけるようにして、デュナの《腕》が再び姿を消し、《骨》も本体に収納されていく。
アルフェリオンの落下した方角に目を向け、クレヴィスは言葉を付け加えた。
――たとえ己の優しさが血と涙にまみれることになろうとも、それでも苦しみに耐えて闘い抜くことのできる《戦士》に、誰かがならなければ仕方がないのです。《優しい人が優しいままでいられる》ように。残念ですが、人の世には、そういう救いようのない部分があるのかもしれません……。
【続く】

※2001年9月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第21話・後編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
8 旧世界の滅亡から何も学ばぬ現世界?
彼は我に返って、あの《声》に尋ねた。答えが返ってくるとは期待せず、独り言さながらに。
――ねぇ、どうして人は争わなきゃいけないの!? どうしてみんな、穏やかなままで暮らしていけないの?
――それは違う。人は、本当は穏やかな心のままでいたいのだと思う。
予想外に声は答えた。だがその言葉には、彼女らしからぬ激しい感情が、何者かに対する底知れない憎悪がみなぎっていた。
――しかし、人がそれぞれ大切にしている《小さな自由の庭》を、あたかも我が物のように踏み荒らす者たちがいるから。自分の身勝手のままに、他人にだけ犠牲を強いるような人間がいるから……だから、人は穏やかなままではいられなくなる。そのような者たちさえいなければ、《不本意な戦士たち》は剣を手に取る必要もなく、ずっと微笑んでいられた。平和の中で心静かに、けれども真摯に自分自身へと近づこうとする穏やかながらも懸命な生き方を、ただ、それを無法に乱されぬことを……そんな小さな願いを大切にして、彼らは生きていただけだった。
何か昔のことを回想しているかのような彼女の口振りが、ルキアンには少し気になった。が、そんな小さな疑問にとらわれている時ではない。
「僕には難しくて、ちょっと分からない。だけどこれだけは言えるかもしれない。戦うことは平和を乱す。でも戦わなければ平和そのものが壊されてしまう。だったら……」
ルキアンは哀しげにうつむいた。一瞬、諦めきったような笑みが口元に浮かぶ。それはひどく自虐的に見えた。
「本当はね、本当はね、分かってたんだ。戦うことは、すごく嫌だよ……。だけど、穏やかな思いが蝕まれていくのを、優しい人たちの微笑みが失われていくのを……この国がどんどん荒んでいくのを黙って傍観しているだけなんて、僕はもっと嫌だよ。こんな戦争なんて早く終わらせなきゃいけないんだ。そのために必要だというのなら、僕も反乱軍や帝国軍と戦う」
たった独りでつぶやくルキアンの姿は、病的で危なげだった。だがそこには、一種の悟りにも似た強固な決意が込められている。
ルキアンの心中に浮かんでいたのは、一昨日に彼が上空から初めて中央平原を見たときの、夕暮れに染まる果てしない世界の光景だった。
あのとき己の胸の内から自然にわき上がった願いを、祈りにも似た言葉を、彼は思い起こす。《再び世界に安らぎを取り戻すために。そして、僕とみんなのそれぞれの未来のために。そう、みんなが微笑んでいられるように……》。
だが一転して彼は現実に心を引き戻さざるを得なかった。
「悲しいよね。人間って。どうして気の遠くなるような時が過ぎても、人は分かり合えなかったのかな? 人はこの世界を一度終わらせてしまったのに……《旧世界》が滅びたのに、それでも僕たちは何も学べなかったのかな?」
長い吐息の後、窓辺に屈んでいたルキアンは立ち上がる。
彼は艦長の側に戻った。皮肉なほど晴れ晴れとした少年の顔つきは、異様でさえある。
真っすぐに伸びる華奢な背中。赤く潤んだ目に澄んだ輝きを漂わせ、ルキアンは落ち着いた声でカルダインに言った。
「艦長、僕も戦います。空を飛べるアルフェリオンなら、クレドールを守るために少しは役に立てると思います。出撃許可をください」
カルダインは煙草をもみ消し、重々しく頷いた。
「……好きにするがいい。それがこの船の流儀だ」
あまりにもあっさり告げた後、艦長は自分の仕事に専念する。隣でルキアンが語り始めたことなど、無視しているふうにも見える。
けれどもルキアンにはそれで構わなかった。
「僕のやろうとしていることが良いか悪いかは分かりません。だけど少なくとも間違ってはいないと思う……いや、そう《信じて》います。僕も僕なりの仕方で戦います。だけど僕は《ステリア》の闇に心を売り渡したりはしません」
唐突に駆け出すルキアンを、ヴェンデイルが呆気にとられた様子で見ている。わずかな間に、ルキアンの姿はたちまちブリッジから消えた。
「セシー。どうしたんだろうな、ルキアン君?」
怪訝そうな顔で振り向くヴェン。
セシエルは上品な含み笑いを浮かべて答える。
「さぁ、分からないわね。でも彼なりに何かを見つけたのかもしれない。それよりヴェン、よそ見せずに見張ってくれないと困るじゃないの! 真っ正面から弾が飛んできたら、どうするつもりよ!?」
「へぃへぃ……」
9 シャリオの推理、世界樹と天上の王…
◇
アルフェリオンの操縦席、すなわち《ケーラ》に身を横たえたルキアン。
彼は荒くなった呼吸を整え、心臓の鼓動が落ち着くのを待つ。もう一度深く息を吸い込み、それから呼気と共に身体の力を頭頂から指先まで自然に抜いていく。
カルバのもとで修行していたとき、ルキアンはアルマ・ヴィオに乗るのが嫌いだった。特に搭乗直後、ケーラの中で己の肉体から《離脱》する瞬間が気持ち悪くて仕方がなかったのである。
堅く閉ざされた金属の小部屋は、細身で中背の彼にとってさえ窮屈この上なく、真っ暗で、息苦しい。いかにも棺を連想させるケーラの中、自分の身体はこのまま二度と目を覚まさぬのではないかと、ルキアンはいつも心配に思ったものだ。
だが今は違う。どういうわけか、あの得体の知れない不安を感じていない自分に、彼は気づいた。
――奇妙だな。こうしていると気分が落ち着く感じさえする。他のアルマ・ヴィオに乗っているときとは全く違う……。まるで、ケーラが僕の身体を優しく包んでくれているようで、とても安心する。この不思議な安心感を、ずっと昔、僕はどこかで感じていたような気がするんだけど……。でも、おかしいな。子供の頃から、そんな暖かさなんて僕には無縁だったはずなのに。
彼はケーラの壁面に沿って指を滑らせてみた。金属の肌はひんやりと冷たい。精密に刻み込まれた魔法陣の呪文、異界の精霊たちや自然の諸力を象徴する様々な紋章。
◇
同じ頃、医務室にて。
シャリオは机の上で両手を組み、そこに額を寄せかけて沈思する。
《塔》の旧世界人の日記――クレヴィスが友人から得た新しい情報をもとに、彼女は頭の中を整理していた。
目を閉じたまま、シャリオは微かな声でつぶやく。
「《大きな樹》の昔話が、実は旧世界の……いや、《天上界》の滅亡について語る寓話であるということは、確実になってきたと言っても良いでしょう。あの日記に書かれている事実も、昔話の中身とある程度の整合性があります」
「あのぉ……。シャリオ先生、何をぶつぶつおっしゃってるんですぅ?」
とても交戦中とは思えぬとぼけた声は、言うまでもなくフィスカのものだ。彼女は包帯や軟膏などを、当座に必要な分だけ棚から下ろしている。
さきほど、クレドールの砲台ブロックで軽い負傷者が出たという話も伝わってきた。戦いがさらに激化するようであれば、じきにこの部屋へと運び込まれる者もいるだろう。
シャリオも万端の準備を整えて待機していたが、その間も旧世界のことが頭から離れない。
――わたくし、医師として失格ですわね。こんな大切なときに……。
彼女はフィスカに聞こえぬよう、そっと溜息をつき、目を伏せる。
が、次の瞬間には、シャリオの気持ちは再び伝説の中に埋没してしまった。錯綜する旧世界の謎の糸を、彼女は丹念にほどき、あるいは新たに結びつけていく。素早くペンを走らせ、シャリオは自分の推理をメモに書き付ける。
・大きな樹→世界樹 地上界と天上界とを結ぶ施設。巨大な塔か?
・地上の少年→地上人?
・雲の上の王→天空人 あるいは天空人の王か?
・雲の上の城→天空植民市群
返事をしてもらえぬフィスカが、寂しそうに、そのくせ興味津々といった目つきでシャリオの側を行き来している。
見かけによらず働き者の看護助手。その甲斐甲斐しい仕事ぶりを、ふわりとした金の巻き髪の少女が見つめていた。
メルカである。部屋の隅に置かれたソファーに腰を下ろし、彼女は両手を膝の上で可愛らしく揃えている。見慣れぬ器具や薬瓶などが次から次へと現れる様子を、彼女は小首を傾げて眺めていた。少しは元気になったようにも見えるが、相変わらず口を堅く閉ざしたままだった。
10 怒れる天の騎士は剣を振り下ろし…
◇
ルキアンは目を閉じ、アルフェリオン・ノヴィーアの心に語りかけ始めた。いわばそれは、アルマ・ヴィオに《鍵》を差し込んで起動する作業のようなものだ。
彼が瞑想を深め、思念を夢幻の世界へと解き放つにつれて、ケーラの壁面が青白い光を帯びていく。
静かな浮揚感に抱かれながらルキアンは思った。
――遠い昔、どんな人がアルフェリオンに乗っていたんだろう?
現在(いま)となっては答えられる者もない問い掛け。
――誰がアルフェリオンを作ったんだろうか? 何のために? いや、何のために……だなんて愚問かもしれない。結局、アルマ・ヴィオは兵器だから、戦うために作られたと言えばそれまでかもしれない。だけど、何のために? 何のための戦いだったのだろう?
ルキアンは、旧世界を滅亡させた戦争のことを想像する。
禁断の《ステリア》の力を与えられた兵器たちは、古代の魔法科学文明を結果的に崩壊させ、歴史をいったん振り出しに戻してしまった。三千年近くも続いた《旧陽暦》の終わりである。
大地を舐め尽くす火の海。揺らめく光焔の向こう、《クリエトの石》で作られた高き《塔》が無数に屹立する。天を貫く塔の数々は、黒く焦げ付き、傾いて、崩れ落ち、壮大な古代都市は灰燼に帰していく。
炎の中にそびえる影。
輝く6枚の翼を背負った《巨人》が、光の剣を高々と振りかざす。
怒れる天の騎士の剣は、彼方にまで連なる塔をひと振りでなぎ倒し、底知れぬ深さの地割れだけを跡に残す。北の神話にある大蛇のごとく、光の帯は獰猛にうねり狂い、立ちふさがるものを情け容赦なく切り裂いた。
ついに白銀色の鎧が不気味な音を立てて開き、終焉をもたらす閃光が解き放たれようとする。ステリアの滅びの力が、旧世界の頭上に致死的な呪いを投げかける瞬間……。
ルキアンは、あの悪夢を想起するよりほかなかった。ネレイの街を発つ日の朝、彼が見た暗示的な夢を。
全てが終わった世界。
寒々とした風だけが吹き抜け、何ら目の前を遮るものも無い。
がらんどうの青空。
流れ行くちぎれ雲が、荒涼感をいっそうかき立てていた。
天上の青の下にあるものはただひとつ。
真っ赤な鮮血の海が、ひたひたと音を立て、際限なく広がる。
あらゆる命が沈黙し、時の止まった国。
11 それが貴方の望んだ世界なのですか?
◇
クレヴィスに手渡されたメモを見据えながら、シャリオは思わず息を詰めていた。何度読んでも衝撃的な内容だ。
――この《エインザール博士》という人物が、《空の巨人》の生みの親にして、同時にその乗り手……。副長のお考えのように、空の巨人を昔話の《雲の巨人》と同じものだと仮定してみるのも面白い。確かに、そう考えてみると話が上手くつながりますね。
彼女はもう一度、日を追って天空人の日記を読み返す。天上界にとって戦況が次第に悪化していく様子が、簡潔な文章の中にもうかがえる。
――エインザールの《赤いアルマ・ヴィオ》、つまり《空の巨人》が地上軍に寝返った結果、それまで優位に戦いを進めていた天空軍は劣勢に追いやられていくことになった。恐らく従来は地上軍の手の届かなかった天空都市も、空の巨人の攻撃によって戦場に変わってしまった。その結果、天空軍は天上界と地上界の双方で敵の猛反撃を受けることに……。本来なら《世界樹》を通らない限り、天空植民市群に達することはできなかったのでしょうね。しかし、空の巨人にはそれが可能だった……まさにその《紅蓮の闇の翼》によって。
◇
ルキアンの心は、言いようもない空しさに満たされる。
――アルフェリオンを作り上げた、いにしえの科学魔道士よ。何もかもが息絶えた空っぽの世界が、あなたの望んだ新しい世界だったのですか? そんなことは……ないですよね。だって、もしそうだったなら、アルフェリオンは旧世界を滅ぼすために生まれてきた悪いアルマ・ヴィオだというのですか!?
古代の超兵器に対して、ルキアンはやはり不安を払拭し切れていない。
だが、他方でクレヴィスの言葉が思い出された。
――正直言って、このアルマ・ヴィオには何か良からぬ力を感じます。ある種の闇を……。しかしそれと同時に、この翼を持った騎士は、強い輝きをも内に秘めている。ステリアの巨大な力が光と闇のいずれに傾くのか……私には、ルキアン君がその鍵を握っているような気がするのです。
――でも僕はあのとき、怒りに我を忘れ、ステリアの力に心を奪われた。
ルキアンはパラミシオンでの戦いを振り返る。同時に意識にのぼったのは、例の《塔》で遭遇した残虐な人体実験の爪痕だった。
――あんなことを再び目にしたとき、僕は自分の怒りを抑えることができるだろうか?
自問する彼の脳裏に、できれば記憶から消し去ってしまいたい、地獄絵図さながらの光景が甦る。旧世界の繁栄の陰で行われていた悪魔のごとき試み……。
ひび割れたカプセルの中、白く濁った液体に浸って腐乱する標本。よく見るとそれは人の体に似た姿をしていたが、もはや崩れ落ちた肉塊からは、その原形は想像し難い。強烈な腐臭が周囲を支配している。吐き気どころではなかった。脳髄まで死のにおいが染みわたり、気がふれてしまいそうだ。
溶け出した臓物の塊としか言いようのない生き物が、むき出しの神経で床に触れ、血や粘液をこびり付かせながら這いずり回る。《それ》はすきま風に似た音を立て、声にならぬ声で何かを伝えようとしていた。
あるはずもない部分に腕や脚を移植され、いびつに腫れた顔をもつ生き物が、縫合された唇を歪ませて苦しげにつぶやく。助けてくれ、殺してくれ、と。それは、どれほど変わり果てていようとも、人の顔を持っていた。
――もう嫌だ! 思い出したくない!!
ルキアンは心の中で叫んだが、幻影は止まない。
馬と無理矢理に融合させられた中年男が、一切の光を失った虚ろな瞳を彼に向けた。灰色に濁り、もはや意思の力の全く感じられない目。
汚水にまみれた水槽の中、体中からチューブや配線を生やした人魚が、いや、下半身を魚に変えられた眼鏡の男がのたうち回っていた。分厚い強化ガラスの向こうから、彼はルキアンに向かって必死に手を伸ばそうとする。
殺してくれ、早く楽にしてくれ、という幻聴がルキアンの脳裏一杯にこだまする。
そして、凄まじい憎しみとそれ以上の哀しみに満ちた空気。《塔》の最上階を覆い尽くす冷え切った妖気の感触が、今なお肌を突き刺すかのごとく、ルキアンの記憶に染みついていた。
12 不気味に残された謎―悪い妖精の娘?
◇
シャリオの頭の中に、1人の旧世界人の名前がこびりついて離れなかった。
――エインザール。それにしても、この人物は不可解です……。
彼女は頭を抱えたまま、しばらく眠ったように動かなくなる。
――あの神をも恐れぬ《アストランサー計画》に対し、自らも関係者だったであろうエインザールは、たった独りで抗議した。しかし受け入れられず、最後には実験台となった者を逃がすという実力行使によって、計画を阻止しようとした。その結果、彼は反逆者の立場にまで追いつめられてしまった。わたくしが恐れていた通り、やはり他の天空人たちはこの計画を容認していたか、あるいは無関心だったのか、知ることができなかったのか……。ともかくエインザールは、異常であることが正常となってしまった天上界にあって、唯一、正常な神経の持ち主であったがために異常者の立場に置かれ、売国奴という烙印までも押されてしまった。エインザールは、本当は勇気ある良心の人だったのかもしれません。ただし、それは一方の顔であって……。
シャリオが頭を上げると、心配してのぞきこんでいるフィスカと視線がぶつかる。白衣の娘は丸い目をますます大きく開き、心配そうな表情で尋ねた。
「先生……大丈夫ですか? お疲れみたいですけどぉ」
「ありがとう。少し考え事をしていただけですよ」
シャリオは机に向かったまま、フィスカの背中を軽く叩き、柔和に微笑んだ。
それを真に受けて頷くと、鼻歌混じりに離れていくフィスカ。
他方、シャリオはすぐに難しい顔つきに戻った。
――エインザールのもうひとつの顔は、容赦なき破壊者・殺戮者でもあった、と言うべきなのでしょうか? この日記の叙述による限り、彼は空の巨人によって天空都市を次々と壊滅に追いやり、多数の同胞たちの命を無差別に奪ったことになります。なぜエインザールは、単にアストランサー計画を阻止するだけでは満足せず、地上軍に手を貸したのでしょうか? しかも地上人ではない彼が、ただ天空軍と戦うのみではなく、あたかも天上界を滅亡させることを望んでいるかのように、執拗に攻撃を試みたのは――あるいは、実際に滅亡させてしまったのかもしれない――何故だったのでしょう? まだまだ裏がありそうな話ですね。いいえ、わたくし、重大な何かを忘れているような気がしてならないのですが……。
シャリオは理由も分からぬまま寒気を感じた。近い将来に対し、漠然と嫌な胸騒ぎがする。
神官として年若い頃から修行で研ぎ澄まされてきた精神と、神聖魔法の使い手としての天性の霊感とを、見事に併せ持つシャリオ。そんな彼女の直感は、単なる思いつきや虫の知らせなどとは本質的に異なる。それを予言と呼んでも、あながち大袈裟ではなかろう。
――そういえば、《樹》の昔話の中に、ひとつだけ全く意味の分からない言葉がありました。雲の巨人を裏切りに走らせた《悪い妖精の娘》。雲の上の人たち、つまり天空人がみな死滅してしまえばよいのにと望んでいた、恐ろしい娘……。この《妖精》というのは、当時の何を、あるいは誰を暗に例えているのでしょう? 天上界の壊滅を望み、雲の巨人を動かしたと言っても、《娘》だというからには、エインザール自身を指すわけはあり得ない。エインザールの《博士》という肩書きが古典語の男性形になっていますから、間違いなく男性だったはず。それでは一体、誰のことを?
彼女は白い法衣の胸に手を当て、神々の聖なるシンボルを握り締めた。
「何も起こらなければよいのですが……」
13 ルキアン出撃、アルフェリオン立つ!
◇
――ひょっとすると、旧世界は神に見放されても仕方がなかったかもしれない。人々が滅びを迎えようとしていたとき、だから神は救いの手を差し伸べなかったのかもしれない。神の御慈悲がいかに深いものだとしても。人の罪はそれ以上に重すぎたのだろうか。
ルキアンはそうも思った。そして恐ろしい考えがふと頭によぎる。
――万が一、アルフェリオンが旧世界に破滅をもたらす死の天使であったのだとしても、それは……。でも仮に僕が、当時のアルフェリオンの乗り手の立場だったなら、旧世界に向かって剣を振り下ろしていただろうか? ステリアという終焉の剣を。でもそれは、人が手にしても良い力だったのだろうか? 旧世界は決して償えぬ罪を背負っていたかもしれないけれど、だからといって、人が人を裁き、自らの手で旧世界に滅びという罰を与えることなど、そこまでも果たして神がお許しになったのだろうか?
考えれば考えるほど、ただ妄想と憶測が深まっていくのみだ。今は旧世界に思いをはせている場合ではない。ルキアンは再び精神を集中し、クレヴィスがネレイで語った言葉を最後に反芻した。
――大いなる災いと呼ばれたステリアの力は、アルフェリオンと共にいま蘇りました。あなたは、その重大さをどれだけ理解していますか? ルキアン・ディ・シーマー君……。
心がアルフェリオンの身体と同化し始め、薄れゆく意識の中で、ルキアンは自答する。
――ステリアやアルフェリオンが、旧世界の人々にとって、本当に忌まわしい災いだったのかどうか、僕には分かりません。でも、たとえ本来のアルフェリオンが悪魔の権化であろうと神の御使いであろうと、このアルフェリオン・ノヴィーアがそのいずれになり得るのかを決めるのは、結局、僕……ということです。その計り知れない重さは理解しているつもりです。だからこそ、その重圧が怖くて、怖くて決意ができなかった。だけど……。
兜の下でアルフェリオンの目が赤く光る。
白銀の鎧をきらめかせ、甦った旧世界の騎士が立ち上がる。
少し念信に慣れてきたルキアンは、ブリッジに声を送った。
――こちら、ルキアン・ディ・シーマーです。あ、あの? セシエルさん、セシエルさんですか?
――了解。よく聞こえてるわ。甲板への上昇装置を動かします。規定の位置に移動して。仕組みは分かってるわね? 飛行甲板の上でアトレイオスとリュコスが戦ってるから、外に出たらぶつからないように気を付けて。頼んだわよ、ルキアン君。
――分かりました。いや、了解……。アルフェリオン、出撃します!!
自分の覚悟を確かめるかのように、ルキアンは生身の時よりも大きな《声》で叫んだ。
アルフェリオンの頭上にあるハッチが開き、眩しい光が降りてくる。
徐々に上昇していく機体。
青い空が見えた。このアルマ・ヴィオにとっては久しぶりの眺めだ。
白いアルフェリオンは、風を感じながら背中の翼を開き始める。折り畳まれている6枚の羽根が、複雑な上下動を経て精悍な姿を取り戻した。
性別を感じさせぬ、詩を吟ずるかのような口調のノヴィーアの声が、ルキアンの胸の内に浮かび上がる。
――機体各部のチェック終了。異常なし。パンタシア変換最大値、上昇中。ステリア系起動に必要な臨界値には達していません。通常の動力系を使用します。
――構わないよ。この戦いでは、ステリアの力は使わない。
ルキアンは静かに誓った。
【第22話に続く】

※2001年8月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第21話・前編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
自分自身になるための、果てしなき旅の始まり……。
◇ 第21話 ◇
1 第21話「ルキアンの決意」スタートです!
ギルド艦隊とナッソス艦隊との熾烈な戦いは、いつ終わるともなく続いていた。一進一退、ほぼ互角の様相で時間(とき)だけが流れていく。
大空の戦場でいっそう激しさを増す魔法弾の応酬を、ルキアンは息を飲んで見守っている。
白い雲までも焦がし尽くすかのごとき、灼熱の炎。凍て付く吹雪が氷片をまじえて荒れ狂う。いかずちが煌めき、宙を切り裂く。遙か下の地脈から呼び出された岩塊が、無数のつぶてとなって飛び交う。
敵方の砲撃がクレドールをかすめていくたびに、腹の底まで響くような重い振動が、ルキアンの身体を揺さぶった。戦場の鼓動だ。
――これが、飛空艦同士の戦いなのか……。
彼は不思議な震えを体中に覚えつつ、自分のすぐ側に座っているカルダイン艦長を見やった。
かつてタロスの革命軍をも震撼させ、あと一歩で歴史を変えるところまで戦い抜いたゼファイアの英雄、カルダイン・バーシュ。荒海を行くような大揺れにも動じることなく――いや、むしろ心地よさそうにすら見える艦長は、腕組みして低く唸った。
「敵ながらよく訓練された飛空艦乗りたちだ。ろくに実戦を経験していないはずだが、並みの軍隊よりもよほど上手く戦っている……」
相手方の戦いぶりに感心しているのか、それとも苦々しく感じているのか、いずれとも解しうるような艦長の口調。
彼は目を閉じ、セシエルに尋ねる。
「方陣収束砲の再発射まで、あとどのくらい必要だ?」
幾つもの念信を処理しながら、彼女は素早く答えた。
「さきほど砲座と連絡を取りました。砲身の冷却は済んだようですが、魔力の回復にはあと半時ほどかかるとのことです」
「半時? 100%の出力でなくても構わん。あと15分で次の砲撃に移れ」
「……はい。そう伝えます」
有無を言わせぬカルダインの言葉。それが終わるのと入れ替わりに、今度はメイの念信がセシエルに伝わってくる。かなり苛立っている様子だ。
――こちらメイ! セシー、クレヴィーはどうしたの!? 敵の守りが堅くて思うように攻撃できないんだってば。ここらで、クレヴィーにドカンと一発ぶちかましてもらわないと! あっちの戦艦や巡洋艦にもアルマ・ヴィオが積まれてたんだけど、コイツらがしつこいったら、ありゃしない!!
《早口》でまくし立てるメイ。交信している間にも、彼女のラピオ・アヴィスは宙返りし、敵弾を回避する。
――こちらも大変なことになってるの。メイ、もう少し待って! クレヴィーもすぐ援護に向かうはずよ。
――了解!!
ラピオ・アヴィスが、敵の飛行型の頭上を流れていくように飛ぶ。うまく背後を取ったメイが叫んだ。
――このっ、いい加減に落ちろ!
彼女の言葉と同時に愛機も猛々しい声で鳴く。翼の下に備えられた2門の速射型MgSと、長い砲身を持つ背中のMgSが一斉に火を噴いた。
間髪入れずに爆炎が上がる。だが休む間もなく、別の敵がメイを襲う。
2 レーイの戦い、ルキアンの祈り
そこでレーイの念信が割って入った。メイとは対照的に落ち着いている。
――セシエル、こっちの心配なら必要ない。俺たちで何とかする。
ラピオ・アヴィスとファノミウルに先導されながら、プレアーのフルファー、そしてレーイのカヴァリアンがナッソス艦隊との間合いを詰めていく。
上下左右、小刻みに機体の位置をずらして飛行し、レーイは相手に狙いを絞らせない。飛行型とは異なり、空中ではさほどの速度を出せないカヴァリアンだが、艦砲射撃の間をぬうようにして、見る見るうちに敵巡洋艦に接近する。
太陽を後ろに、紺とグレーの機体が逆光を背負って輝く。右手にMgSドラグーンを構えたまま、左手でMTサーベルを抜いた。鋭い一本角と長い顎を持つカヴァリアンの表情は、なかなかに精悍だ。
MgSドラグーンの銃口から発射された火炎弾が、見事に砲塔を撃ち抜く。
その間にもカヴァリアンは速度を緩めることなく敵艦に近づき、青白い光の剣を一閃させて舷側を切り裂いた。返す刀でさらに斬り付ける。分厚い装甲が裂け、火花が激しく散る。
その華麗な動きを《複眼境》で目にしたヴェンデイルが、口笛を吹く。
「ひょおっ、さすがレーイだ! あの船が沈むのも時間の問題かもな」
それを聞いてセシエルも多少は安心したような表情になる。つやのある黒髪をかき上げ、ほっと溜息を付いた後、彼女はルキアンを見て目を細めた。
「ほら、ルキアン君、あそこよ。遠いからほとんど分からないけれど」
セシエルが指さした方向を彼は注視する。肉眼でいくら目を凝らしても、味方のアルマ・ヴィオは胡麻粒のようにしか見えなかったが。
ふと、メイの笑顔が頭に浮かんだ。
――大丈夫かな? メイ、無事に帰ってきて……。
ルキアンは手を合わせて祈った。
――他のみんなも。いや、本当はナッソス家の人たちだって。できるだけ傷つかないで欲しい。死なないでほしい。
叶わぬ願いだと、甘い考えだと分かっていても、少年は胸の奥で繰り返す。
そんなルキアンの思いをよそに、善戦するレーイ。小さな虻が水牛を刺すように、カヴァリアンは一方的に敵艦にダメージを与えていく。
他方、メイとプレアーは彼の背後を手堅く守り、敵の飛行型をカヴァリアンに近寄せない。
カヴァリアンと入れ替わり立ち替わり、ファノミウルからも魔法弾を詰めた爆雷が投下される。ファノミウルが急降下して爆撃するたびに、敵艦の甲板が煙に包まれ、火の手が盛んに広がる。
4機のアルマ・ヴィオの巧みな連携により、敵巡洋艦の姿勢が崩れ、その艦砲も次第に沈黙していった。
飛空艦というのは主として対艦用の砲門を装備しているのみで、例えば機銃やミサイルのごとき対空用の火器を持っていない。それゆえ、いったんアルマ・ヴィオに懐に飛び込まれると、実は結構もろい。
3 魔剣の目覚め―デュナに「腕」が !?
だがそのような弱点は、対するギルド側の艦にとっても同様だ――ナッソス家の飛行型アルマ・ヴィオの奇襲を受け、クレドールも危機に陥っていた。運良くクレヴィスのデュナが助けに入ったものの、まだ難を逃れたとは言い難い。
瞬時にオルネイス4機を撃墜したクレヴィス。
数十機の飛行型アルマ・ヴィオが、わずか一体のデュナを前にして戦慄する。しかし敵の飛行隊の指揮官も非凡だった。
ナッソス家のアルマ・ヴィオの群れが、突然、蜘蛛の子を散らすかのごとく、それぞれ四方八方へと急発進する。
――あの《空飛ぶ鎧》には構うな。散開して各自で敵艦隊を攻撃せよ! 群れていると、あっという間に壊滅しかねないぞ。
そう命じることによって、敵の指揮官は賢明にも真正面からクレヴィスと戦うことを避けた。ほぼ40対1に近い戦いであるにもかかわらず、敢えて数に物を言わせないとは、普通ならまず不可能な判断だろう。
敵のアルマ・ヴィオ部隊は、ばらばらになってクレドールとアクスの側面に回り込み、やや後ろに陣取ったラプサーにも迫る。
ギルド艦隊のただ中に侵入したナッソス家の飛行隊は、3隻の飛空艦に猛攻をかける。側面から不意に衝撃を受け、クレドールの船体が傾いた。
外をちらりと見てカムレスが忌々しげに怒鳴った。
「張り付かれた!? 奴ら、クレヴィスの魔法に対して俺たちの船を楯にする気か!」
彼は急いで船を動かし、敵のアルマ・ヴィオから少しでも距離を取ろうとする。
他方、この修羅場の中でもカルダインは平然と頷いた。
「大したものだ。敵の指揮官も、クレヴィスの強さを瞬時に見抜ける程度には、手練れだということか……」
そこで艦長の目がかっと開かれ、不意に口調が厳しくなる。
「至急、バーンとベルセアは、アルマ・ヴィオを甲板に出して迎撃しろ!!」
味方の飛行型が出払っている現状では、それしか手がない。苦肉の策だ。
勿論クレヴィスも黙っていない。
――なるほど。確かに攻撃魔法を使えば、こちらの船にも当たってしまう。
敵方の動きに少しは呆気にとられたかもしれないが、彼は余裕の調子を崩さなかった。
――こういう原始的な戦い方は、私の美学に反するのですが……やむを得ません。1機ずつ、しらみつぶしにするだけのこと。
クレヴィスが念じると、デュナの機体に変化が生じ始めた。本来手足があるべき部分は、それぞれぽっかりと空洞になっている。だが両腕の付け根に当たる左右の穴から、何かがするすると這い出してきた。
それは魔法金属製の――恐らくは《骨》だ。続いて不気味に脈打つ筋や血管のようなものが、骨格に次々と絡み付く。《肉》は物凄い早さで肥大し、さらには表面部分が鋼のごとく硬化していく。
たちまちデュナは《両腕》を持つに至った。そのうち一方の手が腰からMTソードの柄を引き抜き、紫色に揺れる光の刃が形成される。
4 傍観する主人公に、迫る決断の時
剣を手にしたデュナは空を滑るように移動し、クレドールの傍らに回る。同時にMTソードの太刀筋がきらめき、刹那、宙空に弧を描いた。
――化け物か、あのアルマ・ヴィオは!?
敵の繰士が最後の言葉を残す。
光の刃によって翼を切り裂かれ、あるいは真っ二つにされ、オルネイスが1機、また1機と地上に落ちていく。
目にも留まらぬ速さの飛行型に比べ、デュナだけが全くスローに見える。が、寄せては返す波の動きにも似た、滑らかで変幻自在なクレヴィスの攻撃は、いとも簡単に敵をとらえていく。
――なぜ当たらないんだ!? 俺たちは幻でも見ているというのか?
ナッソス家のエクターも必死に反撃する。しかし、矢のごとく襲来するオルネイスの鈎爪やくちばしは、いつも紙一重のところでデュナの残像を突くに過ぎない。
もどかしい思いで睨んでいる敵部隊の指揮官。彼は心の中で叫んだ。
――だから構うな、散らばれと言っている! 速さの違いを生かして振り切り、敵艦に攻撃を集中しろ!!
なおも30機前後のオルネイスが乱舞し、クレドールに向けて至近距離からMgSが放たれる。
四方八方から敵弾が炸裂し、クルーたちの身体に伝わる揺れ具合がますます強くなっていく。
戦況を見守るヴェンデイルが、動揺した声で言った。
「くそっ、敵の数が多すぎる! クレドールの結界じゃなかったら、とても防ぎきれないところだよ。このままじゃヤバい、艦長!!」
「いくらクレヴィスでも、1人だけでは手が足りないわ。ねぇ、メイたちを呼び戻せば?」
セシエルが提案するも、その言葉が終わらぬうちに艦長が却下した。この程度の状況など恐れるに足らぬと言いたげに、彼は煙草をふかしている。
「うろたえるな……。そんなことをして守勢に回れば、敵に一気に挽回されてしまうぞ。こちらのアルマ・ヴィオには引き続き敵艦隊を攻撃させる。砲撃の手も緩めるな!」
他の乗組員たちの声も飛び交う。にわかに高まる危機感。
「バーンとベルセアはまだか!?」
「右舷の結界の一部が破られました! 船腹からも激しい攻撃!!」
まるで沢山の声が自分に突き刺さってくるかのように、ルキアンには思えた。彼は頭を抱えてうめいた。
「僕は……僕は、戦わなきゃいけない?」
この窮地の中で、いま新たに何かができるのは彼だけだ。メイたちは敵艦を相手に決死の戦いを続け、クレヴィスは艦隊を守って孤軍奮闘している。
バーンとベルセアも、空を飛べないアトレイオスとリュコスで無理に出撃したが、決定的な戦力にはなり得まい。
それなのに、天駆ける翼の騎士アルフェリオンは格納庫で眠り続けている。
――じっとしちゃいられない。それは分かってる! だけど、だけど怖いんだ、嫌なんだ。また僕が沢山の人を殺してしまったら……。
耐え難い焦燥、漠然とした不安、そして恐怖。
5 あなたをずっと見守っていたから
ルキアンには分かっていた。ごく単純に、彼が《ステリアン・グローバー》の引き金を引けば、敵艦隊は一瞬にして消滅するだろう。だが……。
――このまま戦いを繰り返せば、僕は《ステリア》の力を自然に受け入れてしまうんじゃないかって、もしかすると、あの恐ろしい力に魅入られて、自分が人間ではなくただの兵器になってしまうんじゃないかって……そんな気がして、気持ちが悪い、怖いんだ!!
――それでも、あなた自身が選んだのでしょう、この場所を。
思いもかけず、精神の奥底から語りかける何かがあった。あの《声》だ。
深く沈んだ彼女の一言は、少年の心を、核心を貫いた。
何も答えられぬルキアンに謎の声は告げる。
――そしてあのときも、あなたは自らの意志で《力》を望んだ。大切な人たちを守るために、自分の未来を取り戻すために。だから私は応えた……。
――応えた? それはどういう意味……。あなたは一体誰なんだ?
沈黙した彼女に対し、ルキアンは無気になって尋ねる。
――ぼ、僕には分かってる。あの黒い服の女の人なんだろ!? 僕に、僕に何をさせようというんだ?
謎の声は答える。
――あなたはもう、《むなしさ》も《闇》も恐れないのでしょう? 闇の中の光を自分の手でつかみ取るのだと、そう誓ったはず。
それは今朝、クレドールに乗り込む際にルキアンが人知れず決意したことだ。
――なぜそれを? 僕の心が読めるのか!?
――私は何でも知っている。ずっと見守っていたから。
――僕を、ずっと前から……?
ルキアンは言葉を失う。
そして不意に思い出した。何故か。あの暗い夜、うち捨てられた礼拝堂で、冷たい石像にすがりついていた自分の姿を。
その哀しい回想と彼女の声が重なる。
あなたがどんなに孤独なときも、私はそばにいる。
たとえこの世界で、あなたひとりが虚ろな存在になっても。
この世の全ての光が、あなたの傍らを通り過ぎようとも。
だから恐れずに心の目を開いて、私に気づいて。
6 翼と黒衣、主なきパラディーヴァ
「こんなことが……」
ルキアンは不信感すら忘れ、声を上げて嗚咽しそうになった。本能的な次元で、不思議な説得力が彼女の声にはあったのだ。
が、ここは戦場のただ中、必死にこらえる。歯を食いしばり震える唇の上を、涙が流れ落ちていく。
雫とともに。彼の脳裏で例の人影がはっきりした形を取り始めた。
その身を黒い衣に包み、風に長い髪を揺らす女。
哀しみに凍り付いた面差しの中、彼女は眠り込むように目を閉じた。
また羽根が、幻影の中でひらひらと揺れる。それらは次第に数を増し、雪のごとく舞い散る。いつの間にか彼女の背には白い翼があった。
――今のままでは、私にはただ見守ることしかできない……。
――分からないよ! どこにいるの? どうすればいいんだ!?
――それは……言えない。でもあなたには分かるはず。
呆然とするルキアンには、もはや砲撃の音も激しい揺れさえも届かなかった。
そんな彼の姿を艦橋の入口から密かに見つめている者がいた。
ほの暗い廊下の向こう、白いドレスの少女は歯をむき出して笑う。
「くすっ……」
乱れた前髪を垂らしたまま、硝子玉のような目を丸くして、エルヴィンがじっと立っている。
「知ぃらない、っと」
無邪気な子供のように彼女は言った。虚ろな表情で頬を緩めながら。
◇
黒衣の女の姿を、ルキアンが鮮明に思い描いた瞬間。
それに呼応して何かが起こっていた。
場所は何処か? いくつかの声が得体の知れない暗闇を揺るがす。
――感じる。かつて《あの男》に仕えし者が、いま再び目覚めるかもしれぬ。
異界からの呼び声か、あるいは亡者の歌を思わせる不気味なささやき。
――確かに感じる。あの男が死して遙かな時を経た今、なおも我らに仇なすつもりか。
代わる代わる言葉が交わされるにつれ、青白い炎が次々と宙に現れて、暗黒をかすかに照らし出していく。
薄暗い光に浮かび上がるのは、あの奇怪な黄金仮面たち。
彫りの深い女の仮面を被った者が、かすれた声で嘲笑う。
――人の造りし《パラディーヴァ》の分際で、思い上がったことを。
――しかしパラディーヴァの力を得て、万一、《あれ》が元通りに復活することにでもなれば……。
目以外には鼻も口もない、ひときわ異様なマスクの者がそう告げた。
長いくちばしを持つ鳥のような仮面が、冷ややかに応じる。
――もはや有り得ぬ。《主(マスター)》なきパラディーヴァなど、恐れるに足らない存在だ。
老人の仮面を付けた者が最後にこう言った。
――だが用心するに越したことはない。《覚醒》を急がねばなるまい……。
7 罪と偽善と…少年ルキアンの苦悩
◇ ◇
爆音すら切り裂くような遠吠えが、長く尾を引いて戦場を駆けめぐった。
鋼色の肌を持つ巨狼、リュコスがクレドールの甲板に姿を見せる。
――頼むぜ、相棒。落っこちるなよ!(*1)
己自身の心に語りかけるかのごとく、ベルセアが念じる。
だが精悍な狼のイメージに違わず、リュコスは無口だ。《彼》は思念による言葉を発することなく、第二の遠吠えによってベルセアに答えたのみ。
アルマ・ヴィオにとっては手狭な飛行甲板の上を、鋼の狼は器用に飛び回る。轟音を立てて飛来するオルネイスの群れに、リュコスの背中の砲塔から火炎弾が炸裂する。
数でまさる敵方の反撃も凄まじい。雨のように降り注ぐMgSをかわしつつ、リュコスは新たに装弾してチャンスをうかがう。
5、6機のオルネイスがクレドールに近づいては離れ、波状攻撃を繰り返す。
もどかしそうに牙をむき出して、リュコスがうなった。
――こっちは分が悪いんだ。落ち着け。
気の荒い愛機をなだめるベルセア。
――すまねェ! マギオ・グレネードの装着に手間取っちまった。
少し遅れてバーンのアトレイオスも現れた。
青色の分厚い甲冑をきしませ、慎重な足取りでリュコスの隣に並ぶ。その腰回りには手榴弾のようなものがいくつもぶら下がっている。
――それよりバーン、来たぞ!!
ベルセアが鋭く言った瞬間、敵の飛行型はすでにアトレイオスに向かって爪を立てていた。
かろうじて回避するバーン。だが彼の《蒼き騎士》は、すれ違いざまオルネイスに肩を蹴飛ばされ、後ろ向きに転がり落ちそうになる。
――くそっ! 半端じゃネェ速さだ!!
バーンは機体をリュコスに寄り掛からせ、何とかバランスを保つ。おかげでリュコスの足元まで危うくなったが。
――おい、気を付けろ! もう少しで2人とも真っ逆さまだったぞ。
ベルセアがどやしつけた。
――ンなこと言ったって、狭いんだからよ。くっ、また来やがった!!
アトレイオスが左腕をかざすと瞬時に光の幕が現れ、盾状に広がる。
敵の凍結弾がMTシールドに妨げられ、無数の氷の粒となって空に散った。
――ベルセア、これで借りはチャラだな。へへ。
――調子のいいヤツ……。ま、恩に着るぜ。
甲板の上で2体のアルマ・ヴィオが窮屈そうに戦っている様子は、傍目には滑稽でさえあった。が、空中戦に陸戦型まで動員せねばならぬ現状は、クレドールの苦境を物語っている。
艦橋の窓に食いつくようにして、ルキアンはバーンたちの様子を見つめる。
――あ、危ないっ!!
味方のアルマ・ヴィオが甲板から落ちそうになるたびに、彼は思わず目を閉じてしまう。まったく心臓に悪い。
「このままじゃ、このままじゃ……。でも、でも……」
絞り出すような声でわななくルキアン。
――僕は自分から戦場に飛び込んだんだ。クレヴィスさんは、僕に戦わなくてもいいって言ったけど……やっぱり、見ていられないよ。でも……。
彼は何度も首を振り、拳を握り締めた。
――コルダーユの沖で初めて戦ったとき、僕は自分の意思とは無関係に戦いに巻き込まれた。取り返しの付かないことをしてしまったけど、沢山の人たちの命を奪ってしまったけど……どうしようもなかった。身勝手だけど、仕方がなかったって、僕は自分に言い訳している。《パラミシオン》で二度目に戦ったときには、相手のアルマ・マキーナには人間が乗っていなかった。だから僕は誰も殺さずに済んだ。だけど今度は、そのどちらとも違う。
そう、ルキアンが恐れているのは……。
――いま出撃すれば、僕は《自分自身の意思で》人を傷つけに行く、いや、《殺しに行く》ことになってしまう。もう言い訳なんてできなくなる。それでも《優しいままでいたい》なんて言ったとしたら、僕は偽善者だ。僕は嫌だ! 偽善者は悪人より醜い!!
苦悩する少年の心。その青き硝子の刃は、かたくななまでの純粋さゆえに、自らをも容赦なく傷つけてしまう。
【注】
(*1) 「飛行」能力がないとされる通常の汎用型や陸戦型のアルマ・ヴィオであっても、風の精霊界の力を借りて空中で「浮遊」する程度のことは可能である(第2話参照)。従って、エクターが意識を失ったりしていない限り、リュコスが飛空艦の甲板から落ちても、真っ逆さまに地上に激突することはあり得ない。ただし、足場もなく単に空中に浮かんだ状態の汎用型や陸戦型など、飛行型に対しては単なる「的」でしかないのだが……。
【続く】

※2001年8月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
まとめ読み支援週間続く―キャラも伏線も大盛りの第16話~第20話

目次からお入りになると便利。
第16話の途中以降、各章に(少年コミック誌風の?)サブタイトルが付きます♪
このサブタイは初公開の頃にはなかったもので、このブログで再掲を始めたときに新たに付記したものです。
パラス騎士団を向こうに回して、主人公みたいな冒険を繰り広げるアレス君。
第14話から第16話までは、アレスの独壇場ですね。アレスとダンの戦い、ちょっと笑ってしまいますが…。
パラス騎士団のメンバー同士の微妙な人間関係も面白いです。セレナさん素敵です(笑)。いや、崩壊してる天才副団長ファルマス様、Sの女王様・むち使い(違)エーマ、黄金のシスコン騎士ラファール、KYな熱血バカ狙撃手ダン、寡黙すぎて居るのか居ないのか分からない剣士ダリオル、唯一まともそうで、実は美形で優しそうな顔して善悪なんて気にしない美の追究者エルシャルト、そしていかにも裏がありそうな(ラスボス化しそうな…しません)瞑想三昧の大魔道士アゾート。パラス騎士団って、最強の騎士団じゃなくてエリートネタキャラ集団では…。いや、違います。こんな集団の中、セレナさん、それは気苦労が多いでしょうね。
主人公ルキアンも、地味ながらじわじわとルキアンらしさを出して参ります。
第17話「ナッソスの娘」、カセリナとルキアンの出会い。
一応、(設定上の)主人公とヒロインが偶然に運命的な出会いをするシーン(苦笑)なのですが…。ひととき吹き抜けた春風の後、すれ違う二人、皮肉な運命。
最初から縁がなかったのでしょうか(;;)。
でも、このあたりからルキアンが精神的に強くなってゆくんですな。
ボクだって、ただ黙ってうつむいているだけじゃないぞ!という感じで。
ルキアンが変わり始めたおかげで、背後霊(違)、いや、リューさんとの関わりも強くなってゆく。この段階では、まだ謎の声または怪しい黒衣の女の幻のままですけど(^^;)。
今までずっと、孤独なくせに孤独からただ逃げていたルキアンが、己の孤独と向き合い、それを自分の一部として認め始める。孤独とか闇を恐れていたルキアンが、次第にそういう自らの負の側面まで含めて、自己肯定感を持ち始めます。って、最近では負の側面ばかりが肥大化してますけどね(苦笑)。
ルキアンのことを「要らない人間」、「誰にも必要とされない人間」と最も強く思っていたのは彼自身でした。まぁ、20話台のところでは、まだその点を克服できません。
他にも…。
ナッソス公爵とギルド側代表との交渉が始まります。戦いは避けられるのか?
何といっても、ついに「黒幕」らしき存在が動き始めます。
黒いアルマ・ヴィオの恐怖、あの人が再登場?
アレスに続いて、レーイさんやクロワなど、普通ならこいつが主人公だろ的なキャラが続々と投入されて(笑)ルキアンの主役の座を脅かし始めるのも、この頃。
相変わらず暗躍するマクスロウの配下とパラス騎士団御一行との暗闘。
微笑みのおにいさんクレヴィスの鬼モードも出てきますし。
旧世界の謎も次第にあきらかになってゆくわ(中でも第18話の旧世界人の日記は極めて重要)で、盛りだくさんすぎです(@@)。考察好きにはたまりません。
そうそう、このあたりの回では、シソーラ姐さんがいい仕事をしてます。
要所要所でアラサーまたはアラフォーのおねぇ様キャラが新たに出てきて、代打のヒロインみたいになって(笑)話をうまくリードするのが、この物語の一つの特徴ですね(^^;)。「塔」のあたりのシャリオさんとか、ミトーニアでのシェフィーアさんとか。
だから、本来のヒロイン的ポジションのキャラたちが空気になったりライバルと化したりするんですね(いいのか?)。
こうしてみてくると…作者の私が言うのも何ですが、『アルフェリオン』ってほんとに何でも詰め込んでありますね(^^;)。濃すぎる。ネタの宝庫。
なお、明晩の更新分、第24話でリューたんがいよいよ本性を現します。
第1話から延々と引っ張ってきて、かなりショッキングな内容の24話にて、ついにリューヌが姿を見せる。主人公を見守る守護霊か何かだと思っていたら、正体は闇の…。
かがみ
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第20話・後編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
8 スペシャル版1―激突!
ラプサーからもアルマ・ヴィオが発進する。
飛行甲板を持たない同艦だが、船腹にある降下口から2つの影が飛び出した。
どちらも飛行型ではない。人の姿をした、つまり汎用型のようだが……果たして空中戦をこなせるのだろうか?
一方は翼を持っており、飛行型顔負けの動きで宙を舞っている。
金と黒の甲冑をまとった胴体や、そこから伸びる腕には、通常の汎用型と何ら変わるところがない。
だがその頭部は、立派な枝振りの角を持つ牡鹿のそれである。背中にはコウモリのごとき黒い翼。ノコギリ状の鰭の付いた尻尾。足には鋭利な鉤爪が光っている。
魔族を彷彿とさせるアルマ・ヴィオ、《フルファー》だ。この異形の機体を乗りこなすエクターは、一見するとそれに不似合いな、男の子っぽい純朴な少女である。
――ボクだよ。お兄ちゃん、行ってくるね!
艦橋にそう伝えると、プレアーは精神を集中し、心の中で翼のイメージを強く思い描いた。そして……。
――《鳥》になれっ!
プレアーが念じると、何とフルファーが変形し始める。
両腕が縮み、本体の左右に固定される。両脚は折り畳まれるようにして胴部に引きつけられ、鋭い爪を持つ足がちょうど胸の部分にやってきた。人型のときよりも翼がさらに伸びる。最後に頭部が起き上がって完了。
鹿の頭を持ったコウモリというイメージだろうか。変形を終えたフルファーは、急加速して飛んでいった。
他方のアルマ・ヴィオが《カヴァリアン》だ。体表を覆う魔法金属の鎧は、全体的に角張っている感があり、光沢のあるメタリックな紺とグレーで彩られている。
その姿は生物的であるというよりも機械的であり、外観からすれば、むしろ旧世界の《アルマ・マキーナ》ではないかと思わせる。
カヴァリアンはギルドの最新鋭機のプロトタイプであり、各地で発掘された旧世界の《器官》を惜しげもなく用いて生み出されたものだ。頭頂部から真っ直ぐに伸びる一本角が、そのトレードマークとなっている。
――こちらレーイ。これよりクレドール隊と共に、敵アルマ・ヴィオの攻撃に備える。何かあったらまた連絡を頼む。
同機に搭乗しているのはレーイ・ヴァルハート。カヴァリアンの高性能を真に発揮させるためには、やはりエース級の繰士が必要なのである。
一瞬、地面に向かって落下し始めるカヴァリアン。だがその背中から青い光の幕が伸びた。それは細長い翼のような形をしている。そう言えば、セレナの《エルムス・アルビオレ》も同様の《翼》を持っていたが。
光の翼を生やしたカヴァリアンは、さりとて羽ばたくこともせず、風に乗って滑るように飛んでいく。
手にした小銃・MgSドラグーンを振り、カヴァリアンはフルファーに向かって何か合図した。
――プレアー、前に出過ぎだ。俺の近くから離れるな。
――そ、そうかな? 分かった。もっとスピードを落とすね。
素直に従ったプレアーだが、そこで念信を切ってつぶやく。
――また子供扱いして。ボクだって一人前のエクターなんだぞ。
実際、彼女は一人前どころか、並みのエクターより遙かに腕がいい。それでもレーイやカインにとっては心配でならないのだ。
――プレアーに万一のことがあったら、カインに合わせる顔がない。この子だけは絶対に守らないと……。
戦いの中、今までに何度この誓いを立てたことか。内心、苦笑いしながら、レーイはクレドールの繰士たちに念信を送る。
――メイ、サモン、聞こえるか? 打ち合わせ通り、敵の飛行型はお前たちに任せる。俺とプレアーが敵艦にとりつくことができるよう、援護してくれ。
――任せてちょうだいな! 方陣収束砲の発射を合図に出るから、遅れないように付いて来て。
――こちらも了解。地上からの敵は俺に任せてくれ。
4機のアルマ・ヴィオは、味方艦隊の両側に散開した。
◇
「敵アルマ・ヴィオ、出てきました! 飛行型が2機。あとの2機は形態が不明です。恐らく飛行型と思われるものと……もう一方は、汎用型!?」
ナッソス家の旗艦、バーラエン級大型戦艦のブリッジ。
敵影をとらえた《鏡手》が、いささか高ぶった声で報告する。
彼の頬が緊張に染まっているのは仕方ないことだ。戦いが商売のエクター・ギルドとは異なり、彼も含めてナッソス家のクルーには、ほとんど実戦経験がないのだから。
部下たちの動揺を鎮めるかのように、艦隊指揮官らしき男が落ち着いた声でつぶやく。
「ギルド艦隊は主砲の射程内にまだ入ってこないのか。所詮は空の海賊ども、わが方の軍艦と正面から撃ち合っては力負けすると考えているのか、あるいは……」
もみあげから顎まで髭に覆われた指揮官は、サーベルの柄を握りしめた。
「何しろ敵将はあのカルダイン・バーシュ。どんな策を弄してくるか分からんぞ。あちらが寡兵だからといって気を抜くな! 全艦、主砲発射用意。アルマ・ヴィオ部隊は敵機の掃討に出撃せよ」
が、その瞬間。
「方陣収束砲、急速充填! 直ちに発射!!」
カルダイン艦長が手を振り下ろした。
クレドールの船首の甲板が開き、黒々とした砲身が姿を現す。
その先端部の4つの水晶球がにわかに光を帯びた。見る見るうちに空中魔法陣が描かれ、宙に浮かぶ幾何学模様や文字が輝度を増していく。
「距離は十分だ……」
砲座部の司令室で、ウォーダン砲術長が言った。
「魔法力充填、70パーセント! 75、80……95……」
部下が秒読みを始める。
ウォーダンは口ひげに付いた汗を拭うと、黙って構えに入った。
当然、ナッソス家の艦隊も、クレドールの前部からせり上がった重砲に気がつく。しかし遅すぎる。
指揮官は慌てて命じた。
「ば、馬鹿な、方陣収束砲だと? ギルドの船ごときが、なぜそんな兵器を積んでいる!? 全艦、急速降下、方陣収束砲を回避せよ!!」
「艦長、間に合いません!」
戦慄した声。艦橋は刹那のうちに修羅場と化した。
「シールドを張れ! 全エネルギーを結界に回して構わん!!」
もはや指揮官も絶叫している。
その直後……。
天を揺るがさんばかりに雷鳴が轟き、付近の空域は閃光に飲み込まれる。
クレドールの艦橋から、1人の少年が呆然と見守っていた。
「……人が、ひとが、死んでいく」
青白い顔をしてルキアンはつぶやく。
「沢山の人が、命が、空に消えた。でも僕は、それを……」
急に吐き気を催した彼は、胸を押さえて床に崩れ落ちる。
ここは紛れもなく戦場なのだ。
9 スペシャル版2―クレドールの危機!
◇ ◇
ブーツの靴紐を締め、皮の胴着のボタンを掛け終える少年。
額の飾りに埋め込まれた赤い石がきらりと光った。炎のごとく。今の彼の思いを象徴するかのように。
「アレス、どうしても行くのかい?」
諦め顔で訪ねるヒルダに、彼は答える。
「うん。大丈夫だよ。イリスの姉ちゃんを助け出したら、すぐに戻ってくるさ」
そう言って拳を持ち上げ、アレスは笑ってみせる。
彼の笑顔が変に無邪気で子供っぽく見えたせいか、ヒルダは幼い頃のアレスを思い浮かべてしまった。小さな男の子の姿が今のアレスと重なる。女手ひとつで彼を育て上げてきた母親は、目頭を熱くした。
だが彼女は、心で泣きつつ、気丈にも呆れ笑いを浮かべている。
「すぐに戻ってくる、か。あまり期待せずに待っとくよ。お前の父さんもねぇ、似たようなことを言って故郷を離れたきり、二度と戻らなかったんだってさ」
「母ちゃん……」
申し訳なさそうに俯くアレスの肩に、ヒルダが手を置く。
「ま、血は争えないか。変なところばかり、あの人とそっくりで……。あたしが止めたところで、どうせ夜中にでも抜け出すんだろ?」
そうつぶやきながら、彼女は思い出したかのように奥の部屋へと入っていく。
アレスの背後には、イリスが無表情のまま突っ立っていた。母と子のやり取りを見つめる澄んだ青い目には、特に心を動かされている様子もない。
ヒルダはすぐに戻ってきた。
彼女はアレスに向かって一振りの剣を差し出す。
巻き貝を思わせる鍔と、見事な金の象嵌の施された鞘。もちろん美しいだけではない。重々しく長大な刀身を持つ、正真正銘の戦士が帯びる剣だ。
アレスはこれに見覚えがあった。
「この剣、父ちゃんの……」
「そうだよ。持って行きなさい。お前をきっと守ってくれる」
手渡された父の形見――アレスはそれを、しばらく黙って握りしめていた。素朴で単純な彼には、今の気持ちを上手く表現できる言葉が見つからない。
息子のそんな様子にうなずくと、ヒルダはイリスに近づき、繊細な黄金色の髪を撫でてやった。
「アレスったら、そそっかしくて間の抜けたところがあるから。イリスちゃん、あたしの代わりにしっかり注意してやっておくれ。頼んだよ」
その言葉をイリスが理解できたか否かは定かでない。旧世界の少女は、相変わらずの凍り付いた面差しで、ヒルダの方をただじっと見つめている。
旅立ちの時は来た。
何処へともなく運び去られた、《大地の巨人》とチエルの行方を追って。
竜の雄叫び――サイコ・イグニールの咆吼が、谷間の空気を振るわせ、山々の白い岩肌にこだまする。
◇ ◇
方陣収束砲の攻撃は、幾筋もの雷光となって空を走り抜けた。
白い輝きに視界が奪われた後、ナッソス家の艦隊から爆炎が上がる。何隻かの敵艦が地上へと落下し、あるいは火の手に包まれたように見えた。
ヴェンデイルの《複眼鏡》が煙の向こうの敵影を探る。
「方陣収束砲、敵艦隊に命中……いや、前方から砲撃だ!!」
彼が警告したのとほぼ同時に、クレドールの船体近くを魔法弾がかすめた。
敵方も黙ってはいない。素早く態勢を建て直しつつ、ギルド艦隊に負けじと砲火を浴びせかけてくる。
飛び交う火炎弾、凍気弾。たちまち激しい砲撃戦が始まった。
「ちっ! 艦長、敵バーラエン級戦艦はまだまだ健在だよ。翼と砲台に被弾したようだが、侮れないな。敵戦闘母艦と巡洋艦1隻もほぼ無傷!!」
これまで体験したこともない多数の魔法弾の応酬に、ヴェンデイルの声も上擦っている。船体が止めどなく揺れ、爆発音がすぐ近くで轟く。
「艦長!?」
黒髪を振り乱し、セシエルが振り返る。
だがカルダインは顔色ひとつ変えることもなく、堂々と腰掛けたままだ。
「慌てるな。敵はまだ混乱している。あちらからの砲撃など乱射にすぎん。下手によけるとかえって流れ弾をくらうぞ。カムレス、このまま前進だ……」
低くうなるような声。鋭い眼光。
常日頃、艦長の体に染みついている空虚な悲しみは、戦場の中でいつの間にかかき消えている。戦士の魂が目を覚ましつつあるのだ。
「この機を逃すな。セシエル、ラプサーとアクスに連絡。全艦、敵戦闘母艦に攻撃を集中!!」
敵軍の動揺に乗じて戦闘母艦を一気に落とし、相手方のアルマ・ヴィオを封じる――カルダインはそう考えたのだ。
旗艦クレドールからの連絡を受け、アクスのバーラー艦長も立ち上がる。
海賊あがりの艦長は荒々しい声で叫んだ。
「野郎ども、前進だ! マギオ・トルピーダの第一波は敵戦闘母艦に集中しろ。撃てェ!!」
船首部分の両側に刻まれた発射管から、呪文魚雷が次々と発射される。
翼を持つ円筒型の物体が、ナッソス家の戦闘母艦に殺到する。そのうち数発が命中、敵艦のあちこちで爆炎が上がった。
クレドールと同規模の敵戦闘母艦が、飛行姿勢を崩し始める。
バーラー艦長は、真顔でしゃくり上げるように笑うと、次なる怒声を発する。
「いい、いいぞ。敵艦隊が射程に入ったか!? 主砲、敵戦闘母艦を狙え。クレドールと協力して一気に沈める!」
鋼の要塞のごときアクスの甲板。階段状に並ぶ砲塔が、立て続けに火を噴く。
「艦長、敵の大まかな被害状況が分かったわ。敵の小型艦の大半と巡洋艦1隻を撃沈。巡洋艦2隻と戦艦1隻は被弾して戦闘能力低下、あるいは戦闘を続けることが難しい。そんなところね。これで五分の戦いに持ち込めるかしら……」
ラプサーの副長シソーラが、艦長ヴェルナード・ノックスに告げる。
「了解。クレドールとアクスの足を引っ張らぬよう、敵艦隊と少し距離を取って砲撃を開始せよ」
軍にいた頃と何ら変わらぬ謹厳さをもって、ノックス艦長は指揮を行う。
だが彼の真面目くさった表情の中にも、多くの戦いをくぐり抜けてきた自信がうかがえる。
ギルドの3隻の飛空艦と、方陣収束砲を免れたナッソス家の残存艦隊との間で、シソーラの言葉通りにほぼ互角の撃ち合いが続く。
集中砲火を浴びた結果、まず敵の戦闘母艦が轟沈した。ナッソス側にとっては手痛い損失だ。
しかし船の数においては、依然としてナッソス軍がギルドを上回っている。すぐに勝敗の行方が決しそうな気配はない。油断ならぬ状況……。
が、突然、クレドールは下方からの攻撃を受けた。突き上げるような衝撃。結界の弱い船腹部を狙われ、艦は大きく傾いた。
「奇襲だ!! 地上からのアルマ・ヴィオ部隊……すごい数だよ! 艦長!!」
平静を失ったヴェンデイルの声。いつもの冗談も口にできないほど、彼の唇は緊張している。
「メイ!? だめだわ、こっちの飛行型は出払ってるもの!」
なおも大揺れは続く。あまりの激しさに、セシエルは座席にしがみついた。
3、40体の飛行型アルマ・ヴィオが、翼をきらめかせて上昇してくる。
敵部隊はオルネイスを主力として編成されているが、中にはMgSすら持たない《丸腰》の機体や、極端に使い古された機体もみられる。とにかく、飛ぶことのできるアルマ・ヴィオは何でも使おうという総力戦らしい。
「後先考えない、無茶苦茶な戦い方しやがって! 奴ら、最初から飛行型全てを投入してきたか!?」
舵輪を右に左に操りながら、カムレスが舌打ちした。禿げ上がった額に汗が流れる。
側面から新たな攻撃。船体から受けた感触からして、今度はただ事ではない。
セシエルが船内の各ブロックと連絡を取り、被害の程度を確認している。
「敵の飛行型は、本艦と同じ高度に到達しています! 艦長、結界を突き抜けて船腹に被弾しました!!」
10 スペシャル版3―クレヴィスの非情
「うっ……」
気分を悪くしていたルキアンは、先程から床に這い蹲ったまま――今度は船酔いに襲われ、ついに吐いてしまった。
だが、誰にも彼を気遣っている暇などない。
「く、苦しい……気持ち悪いよ」
胃の中の物が、さらに喉元まで出てきている。彼は口を手で押さえながら、体を壁際に寄せた。
と、不意に敵の攻撃が緩んだ。
――何だ、あれは!?
――アルマ・ヴィオ……なのか?
ナッソス方のエクターたちが目を見張る。
クレドールの甲板から異様なものが現れたのだ。
手足も翼もない、甲冑のごとき機体が徐々に浮上し始める。螺旋状の角を左右に持つ兜。その下で真っ赤な目が輝く。
大空に忽然と浮かんだ深緑色の機神。それから発せられる異様な重圧感に、敵のアルマ・ヴィオたちがひるんだ。
――無闇な戦いは本意ではありませんが……。もし命が要らぬというのであれば、私が相手をして差し上げましょう。
クレヴィスの言葉が敵のエクターたちに伝わる。
冷たく感情のない、腹の底から怖気を覚えずにはいられない声だ。その雰囲気は、普段の彼を知っている人間には到底信じられないだろう。
――もう一度だけ聞きます。それでも戦いますか?
《デュナ》の目が不気味な輝きを増し、本体の周囲に、青白い光の玉のようなものが飛び交い始めた。
ルキアンは窓際に体を預け、《蛍》の飛翔を呆然と眺める。
――《ランブリウス》だ。クレヴィスさんの魔法がアルマ・ヴィオを媒介として放たれれば、その破壊力は計り知れない……。
◇
オルネイスの群とデュナが空中で睨み合う。その間にも、両者の距離は詰まっていく。
一瞬、クレヴィスの気迫に押された敵方だったが、もとより彼らも命がけで戦場に臨んでいる。躊躇はなかった。
――我らはナッソス家を守る。この一命を賭してでも!!
1機のオルネイスが、翼を広げて猛然と飛び出す。獲物を狙う鷹のごとく、鋭い鉤爪を広げて。
――恐れるな、敵はたかが1体だ!
さらに3羽の鋼の鳥が後を追う。急加速したオルネイスたちの速度は凄まじい。殺到。瞬きする間もおかずにデュナとすれ違う。
――何!?
敵のエクターが狼狽する。
オルネイスの初速はデュナの比ではなかったはず。しかし、その電光石化の猛襲は、何の手応えもなく空を切る。
デュナの機体が上下左右にゆらゆらと揺れたように見えた。が、それはまさに、敵の攻撃を紙一重で見切ったうえでの回避行動だったのである。クレヴィスはデュナを空中に制止させたまま、機体をひねる動作だけによって、全てをかわしたのだ!
――その程度の動きでは、私に触れることもできませんよ。
クレヴィスは冷ややかな声でつぶやく。
空中に漂う無数の《ランブリウス》が動き始めた。群をなしていた蛍が、別々に飛散していくかのように。
青白い発光体が、それぞれの輝く軌跡によって中空に魔法陣を描き上げる。
クレヴィスは恐るべき《力の言葉》を詠唱した。
――鋼をも断ち切る疾風の刃よ。我は呼ぶ、風の狩り人……。
彼の呪文に応じて魔法陣が光ったのと、デュナの遙か背後で爆発が起こったのは、ほぼ同時の出来事だった。
無数の真空の刃に切り裂かれ、4機のオルネイスの残骸が地上に落下した。
文字通り、露骨なまでの《瞬殺》である。何のためらいもなく、クレヴィスは予告通りに敵の命を奪った。
固唾を飲んで見守っていたルキアンは、あまりのことに嘔吐感さえも忘れそうになる。
クレヴィスの圧倒的な強さ、冷酷とすら思える戦いぶり。それらは、いつもの穏やかな彼の姿からは想像し難いことだ。
――あの優しいクレヴィスさんが、なぜ、あれほど?
目を細めて物静かに諭すクレヴィスの、柔和な笑顔が脳裏に浮かぶ。
ルキアンの複雑な表情から何かを察したのか、カルダイン艦長が言った。
「……あの《戦い》はクレヴィスの心の裏返しなのだ。あいつは、本当は誰も傷つけることなく、いつも穏やかに微笑んでいたいのだと思う。しかし、そうもいかないのが人の世というものだ」
艦長は、腕組みしながら戦況を見据えている。敵を射るような彼の目は、動揺も油断もない野獣を思わせる。相変わらず凄みのある彼の表情に、ルキアンはまだ慣れることができなかった。
それにしてもあの無口な艦長が、こともあろうに、こんな状況の中でお喋りしようとでもいうのだろうか。
「……えっ?」
ルキアンは身を起こし、危うい足取りで歩き始める。わずかな量ではあれ、自分の吐き戻した汚物が掌に付いたままだ。彼は慌ててハンカチを取り出すと、何度も手を拭い、その汚れた布をポケットにねじ込んだ。
己の不作法で情けない様子と、汚物の臭いとに恥じ入りつつも、ルキアンは艦長の傍らに立った。
艦長は彼の方を一瞥すると、何事もなかったかのように新たな砲撃を命じている。しかしその後、カルダインは話を再開した。
「おそらく君はよく知っているだろう。穏やかに生きたいと願う人間が、その優しい思いのままに身を処していれば……それをよいことに、彼を道端の雑草のように押しのけ、踏みつけ、それでも何の罪も遠慮も感じない者たちが、世間には居る。違うかね?」
ルキアンは肩をぴくりと震わせた。うつむき、目が大きく見開かれる。
――それでも僕は今まで耐えてきました。そうすることが当たり前なのだと思って。だけど、だけど……。
感情が高ぶりすぎたのか、この青白い少年には返す言葉もない。
カルダインの饒舌ぶりは全く意外だったが、それはさらに続いた。
「だから人は、時には声を大にして怒りを現すことも、しなければならなくなる。そうするたびに激しい自己嫌悪に陥ろうとも。また、だから人は、時には拳を振り上げねばならないことがある。耐え難い痛みを心に覚えながらも。哀しいことだが、仕方がないのだ。言葉では分かり合おうとしない人間がいる。他人の思いについて考えてみることなど、鼻で笑う人間がいる。その結果、たとえいかに罪深かろうとも、時には断固として《戦う》ことが必要になる……」
そこでカルダインの声が途切れた。
ルキアンは顔を上げ、神妙な調子で尋ねる。
「《優しいままでいられること》を、守るために……ですか?」
艦長はルキアンの問いには答えなかった。そのかわりに、辛そうな声をもらした。
「おせっかい焼きのクレヴィスときたら、自分のことだけではなく、せめて他の同類たちが拳を振り上げずに済むようにと……《優しい人間が優しいままで笑っていられるように》と……わざわざこんな船にまで乗り組んで、人々の言葉に耳を貸さぬ無法者たちとの戦いに、ずっと奔走してきた。まぁ、おせっかいというよりは、本物の馬鹿だな。だが、そこがあの男らしいのだ」
そう言って寂しげに口元を緩めた後、カルダイン艦長は、目の前の戦いへとますます没入していった。
ひとり、ルキアンは沈思する。
――優しい人が優しいままで笑っていられるような、そんな夢みたいな世界なんて、僕にはまだ信じられない。でもこれから先、この混沌状態の王国はどうなっていくのだろうか? 戦争が終わって、それからもっと後になって……僕には予想もできない。だけど、この現実、いま以上に酷くなってほしくない。少なくとも、優しい人が優しいゆえに苦しみ続けなきゃならないような国には、絶対になってほしくない。そうならないために、僕にも何かできることはないだろうか?
【第21話に続く】

※2001年6月~7月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第20話・前編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
守るべき現在のために、
取り戻すべき過去のために、
手に入れるべき未来のために。
◇ 第20話 ◇
1 ルキアン帰還、戦いのはじまり
翌朝、太陽も高く昇った頃、ルキアンたちはラシュトロス基地に帰還した。
昨日の荒れ模様から一転し、空は澄み渡っている。
嵐は雲までも流し去ったのだろうか、秋の日を思わせるほのかな寂寥感が頭上に広がる。
帽子を持った手をかざしつつ、ルキアンは眩しそうに天を仰いだ。
血で血を洗う戦いが始まる今、蒼々とした春空はひどく不似合いで――もしかすると神々が人の争いを皮肉っているのかもしれないと、彼には思えた。
《戦争》を目前に控えているわりに、基地の敷地内は意外なほどに静かである。昨晩、付近を埋め尽くしていたアルマ・ヴィオの群れは、今ではすっかり姿を消していた。夜明けと同時に、ナッソス領に向かって徐々に進軍し始めたらしい。
基地の守備隊として残る議会軍を除けば、飛行場に留まっているのはギルドの3隻の飛空艦のみ。すでに全艦とも《揚力陣》を起動し、何時でも浮上できる状態にある。
クレドールのタラップの前にはルキアンとランディが立っている。
「あぁ、眠い眠い。2日も続けて早起きなんて、健康に良くないねぇ……」
ランディは懐から銀のピューターを取り出す。その中に詰まった火酒を一口、彼は舐めるように吸い込んだ。昼間どころか朝から酒びたりなのだろうか。
「そ、そうですか?」
呆れて愛想笑いするルキアン。
目の前の自堕落な男があの文筆家マッシア伯であるとは、何となく信じ難くなってくる。もっとも、ランディのそんな体たらくもご愛敬だと思って、ルキアンは好意的に受け止めたのだが。
「お待たせ。やっぱりこの格好が楽だわね。お姫様ごっこは肩が凝ったわぁ」
いつものコート姿のシソーラが、ショールを引っ掛けながらやってくる。
細い黒縁の丸眼鏡、ウィッグを外して短くなった赤毛の髪、腰にぶら下げたサーベルと短銃。彼女の様子が昨日とあまりに違うので、ルキアンは不思議そうに何度も眺めていた。
「ほら、少年。行くよ」
剣をガチャガチャと鳴らしながら、足早にタラップを登っていく彼女。
その後ろ姿をぼんやりと見つめ、ルキアンは首を傾げた。
――なんか、女の人って元気だな。
シソーラに続いて、だらけた足取りのランディ。彼があくびをしながら艦内に消えた後、やっとルキアンも歩き始めた。
ルキアンは不意に階段の途中で立ち止まった。
そして振り返る。
背後に広がる空の向こうへと、心は漂う。
――カセリナ、本当に戦うつもりなのだろうか? そんなことって……。
ルキアンの目の前からはもう失われてしまったもの、初めて出会ったときの少女のあの笑顔が、浮かんでは消えた。
降りそそぐ春の光の中で、
闇に慣れ過ぎた この目をかばいながら、
僕は戸惑い、力無く震えている。
ナッソス城の中庭で手帳に書き付けた詩のことば。
ルキアンはその1ページを引きちぎり、小声で鋭く言い放った。
「闇に慣れた目は、光に憧れつつも闇に還ることを願ってしまう。結局、僕はいつもそうなんだ。なんで、こうなるんだろう?」
2 僕は、「むなしさ」をもう恐れない
それでも僕は、やがて歩き出すよ。
心の底に打ち捨てられていた 翼の欠片を拾い集めて、
優しく抱きしめてあげられる日が、もうすぐ来るから。
カセリナがルキアンの詩に書き加えた言葉。今となってみると、その優しさが逆に忌々しく滑稽でもあった。
情熱と自虐と、弱さと強さとが解け合った思いで、彼は心に独白を刻む。
――そうさ。歩くよ。歩いてゆくしかないんだから。君が言うような、そんな日が来るかどうかは知ったことじゃない。だけど今の僕みたいに、自分の惨めさをただ受け入れ、誰かの暖かさを求めること以外に何もしないのは、立ち向かわないのは、もう嫌なんだ。悔しいよ、悔しいよ、そんなの……。
ルキアンは虚空をにらみ付ける。
瞳の中で青が滲んだ。
――たとえ朝の来ない夜の中に置き去りにされても、僕は立ち上がって進んでいくだろう。その先がいっそうの暗闇であろうとも。光が見えなければ、僕自身が闇の中で輝けばいいんだ。それがどんなに微かなともしびにすぎないとしても! だからもう僕は《むなしさ》を恐れない。僕は《闇》を恐れない。
そう誓ったとき。
一瞬、ルキアンには何かが見えたような気がした。
心の裂け目の向こうに浮かび、秘やかに舞う夢幻のかけら。
ひらひらと。ひらひらと。
――羽根? 黒い、つばさ!?
それに続いてぼんやりとした人の姿が、イメージの中で振り返る。
ルキアンには見覚えがあった。コルダーユ沖での戦いの際に、アルフェリオンの《ステリアン・グローバー》を放った瞬間、あのとき彼の脳裏に浮かんだ懐かしい影と、それはあまりにも似ていた。
「あ、頭が……」
突然、頭部に激痛が走り、ルキアンはタラップの真ん中でうずくまる。
「何なのだろう。一体誰なんだ、あの影は……」
幻覚はそこで消え失せた。幸い、痛みも次第に和らいでいく。
彼は手すりに寄り掛かって階段を登り、シソーラたちの後を追う。
3 ギルド飛空艦隊、ついにナッソス領へ
◇
艦橋のクルーたちは、すぐにでも出撃できる態勢を維持したまま、数時間前から待機していた。かつてない緊張感がブリッジを包み込んでいる。
ランディが中に入ってきたとき、微かなざわめきが起こった。
「こういう雰囲気は得意ではないんだがねぇ……」
彼はそうつぶやくと、取り出しかけていた煙草を懐に戻す。
苦笑いして入口付近に立ち止まっているランディ。
彼の横をすり抜け、シソーラがカルダイン艦長のところに歩み寄る。
黙って頷いた艦長に代わって、クレヴィスがつぶやいた。
「お疲れさまでした」
特に急いているような素振りも見せず、クレヴィスはシソーラを眺めている。彼のにこやかな面持ちも普段と何ら変わるところがない。やはりこの男には、隠者めいた独特の落ち着きがある。
シソーラの方も堂々としたものだ。ギルドの《切り込み隊》という異名を持つラプサーで副長をしているだけのことはある。毅然とした剣士の風格と、眼鏡の似合う知性的な容貌、それでいて気さくな姉御肌。貫禄ではクレヴィスに勝るとも劣らない。
彼女は切れの良い口調で言う。
「分かっていたとは思うけど、話し合いの成果は何もなかったに等しいわ。それでこちらの方は?」
「あなた方が時間を稼いでくれたおかげで、ギルドの陸上部隊も余裕を持って展開を終えることができました。助かりましたよ。我々の飛空艦やアルマ・ヴィオの整備も万全です」
「じゃあ、あの腹立たしい親爺たちの中で私が我慢し続けたことも、全くの無駄ではなかったというわけかしら。時間、ないんでしょ? 後の詳しいことはランディから聞いてくれるかな」
彼女が急ぎ足で去っていこうとするとき、すれ違いざま、カルダインが低い声で告げた。
「頼むぞ、シソーラ……」
次いで艦長はクルーたちに命ずる。
「彼女がラプサーの艦橋に到着次第、全艦出撃する。本艦の《ラピオ・アヴィス》と《ファノミウル》、ラプサーの《フルファー》と《カヴァリアン》は、ただちに飛行甲板に移動せよ。他の汎用型と陸戦型のエクターも、自機に搭乗して待機!」
いつの間にか、存在感なく、ルキアンの姿も艦橋の隅にあった。先程の頭痛がまだ残っているせいか、具合の悪そうな表情で突っ立っている。
――あ、あの、僕はどうすれば……。
彼を目に留めたクレヴィスが、ゆっくりと首を振った。
「ルキアン君はこちらに来て、邪魔にならぬよう見ていなさい。ネレイで言ったはずです。とりあえずあなたは、我々と共に来てくれるだけでもよいのだと」
4 竜と共に――無事、アレスも帰還
◇ ◇
ラプルス山脈の稜線を越えて朝日が昇った頃、アシュボルの谷の人々は、上空から降り立つ巨大な影に度肝を抜かれた。
羊たちを連れて牧場に向かう若者、麓の町まで行商に出かけようと荷馬車に乗り込んだ一家、朝早くから機織りをする娘――村人たちはみな、固唾を飲んで空を見上げている。
大地を揺るがすような轟音と、嵐のごとき突風。恐ろしげなシルエット。
慌てて外に飛び出した者たちが大騒ぎしている。
「何だあれは!?」
「まさか……ドラゴンか!? みんな隠れろ、食われちまうぞ!!」
肉食恐竜を思わせる強靱な深紫の体。
赤い翼はコウモリのそれに似ていた。その翼がひと振りされるたびに、強風が地表に吹きつける。
ラプルス山脈の辺境には、本物の竜がなおも棲むと言われるが――いま人々が目にしているのは、魔法金属の鱗に包まれ、ステリアの力によって空を飛ぶ旧世界の人工竜であった。
そう、アレスたちの乗った《サイコ・イグニール》だ。
何しろ翼を広げたイグニールは、飛行型の重アルマ・ヴィオと同等のサイズである。ラプルスの寒村の人々は、今まで見たこともないほど大きいアルマ・ヴィオの出現に、ただただ驚愕していた。
守備隊はおろか衛兵すらいるはずもない小さな村。何の障害もなく、イグニールは村のすぐ近くに舞い降りる。
ふわり、という言葉で表現しても無理がないほどに、予想外に静かな着地だった。旧世界末期のアルマ・ヴィオにとっては、重力を自由に操ることなど造作もない。
村を取り囲む丸太造りの防壁の上から、猟銃や石弓を持った村人たちが、恐る恐る見守っている。やがてその1人が素っ頓狂な声を上げた。
「おぉっ? あれはヒルダさんのところのアレスじゃないか!」
イグニールが姿勢を低くし、ハッチが開いて2人と1匹が降りてくる。
「本当だ。どこであんな物を手に入れやがったんだ? 相変わらずとんでもないことをやってくれるぜ。まったく」
弓を構えたひげ面の狩人が、ほっと胸をなで下ろす。
安心した人々は大笑いし始めた。
やんちゃな少年たちが村の門から飛び出してくる。
「アレス兄ちゃーん!」
「格好いいなぁ、僕も乗せてよーっ!!」
人気者のアレスはたちまち男の子たちに取り囲まれ、もみくちゃにされる。
アレス自身も彼らと同様の澄んだ目をしている。一緒になっておどけている姿は、ただの子供だ。そんな彼を見てイリスが目を微かに細めた。
5 母と子…
◇
「い、いててっ! 何すんだよ、母ちゃん」
ヒルダがアレスの頬をつねった。それから反対側の頬にキスをして、母は彼を強く抱きしめる。
彼女の目は少し赤く濁っていた。昨日の晩、アレスたちが帰ってこなかったので、気になって寝付けなかったのかもしれない。
「アレス……あたしゃ心配してたんだから。イリスちゃんも無事で良かったよ。よりによってこんな時に」
「こんな時って?」
意味ありげな母の言葉にアレスは興味を示した。
ヒルダは眉をひそめる。
「実はね、昨日……山の方で変なものを見たって人がいるんだよ。夜に飛空艦が何隻もやって来て、途方もない大きさの黒い箱をぶら下げて、どこかに飛んでいったんだってさ。何があったんだろうね。こんな田舎でも、もしかして反乱軍が何かたくらんでるのかねぇ?」
その話を聞いた途端、アレスはイリスと顔を見合わせた。
――きっと、パラス・テンプルナイツのやつらだ。
彼の脳裏に《エルムス・アルビオレ》の姿がありありと蘇る。
アレスの心が分かるのか、レッケも低いうなり声を上げた。カールフは犬と違って大きな声では滅多に吠えない。
玄関に立ちすくんだまま、アレスは何事か思案し始める。隠し立てをするということは、彼には到底できないことらしい。
息子のそんな様子を気にせぬかのように、ヒルダは優しく言った。
「お腹減ったろ? 朝ご飯、用意してあるから」
だがアレスは返事をしない。
「どうしたんだい、アレス?」
「あのさ……」
彼は真剣な目でイリスの方を見た。
一瞬、彼女は首を横に振りかけたが、黙って頷く。
「実は、母さん……。誰にも言わないでほしいんだけど」
アレスは悩みながらもうち明け始めた。昨日のことを。
6 微笑みの裏側? クレヴィス出陣す
◇ ◇
ついにラシュトロス基地を発ったクレドール、ラプサー、アクスの3隻は、抜けるような青の空間を進んでいた。周囲には雲ひとつない。
雲を上手く利用して姿を隠し、敵を攪乱するのが、飛空艦同士の戦いの基本である。だが今日の澄み切った空では、そういった策を弄することもできない。普通に考えれば、火力勝負の正面切った砲撃戦になるだろう。
「カルダイン艦長、まもなくナッソス領上空に入ります」
セシエルが告げた。彼女の声はいつもと同様に冷静だった。しかしその手は微かに震えている。緊張ゆえか、恐れゆえか。
《鏡手》のヴェンデイルが早くも敵影を発見する。
「ナッソス艦隊の姿を確認。飛空戦艦が2隻、そのうち1隻は《バーラエン》級の大型艦! でかいな……。それから戦闘母艦が1隻、巡洋艦が4隻、駆逐艦と飛空艇があわせて5隻。艦長!?」
バーラエン級の艦は武装や動力機関等の面ではやや旧式だが、飛空戦艦の中でも大型の部類に入る。鯨を思わせる黒い船体に数多くの大口径MgSを装備し、現在、議会軍でも第一線で用いられている。
相手は12隻、これほどの兵力を抱えているとは、さすがに王国随一の大貴族ナッソス家だ。対するギルドの艦隊は、戦闘母艦1隻に、高速巡洋艦1隻、対艦戦闘にはやや不向きな強襲降下艦が1隻。戦力を単純に比較した場合、勝負にならないほど、圧倒的に不利である。
だがカルダインは悠然と命じた。彼は腕組みしたまま、眠るように目を閉じている。
「敵戦艦の射程に入る前に方陣収束砲を叩き込む。気取られぬようにして速度を落とせ。アクスも《マギオ・トルピーダ(*1)》の発射準備だ!」
この先制攻撃によって敵艦を1隻でも多く戦闘不能に陥れることが、艦長の狙いだ。次に方陣収束砲を発射するまでには、チャージの時間が相当にかかるが――その間はなるべく距離を取って敵艦隊を砲撃するとともに、アルマ・ヴィオ部隊を使って敵を消耗させる。恐らくそういう作戦なのだろう。
クレヴィスがおもむろに立ち上がる。
隣で見ているルキアンに、彼は穏やかにウィンクした。これから戦いに望む戦士とは思えぬほど優しい目だ。
「君はここにいなさい。では、カル、私もそろそろ出撃することにします……」
無言のうちにカルダイン艦長は手を挙げた。それが了解の返事である。
クレヴィスは、落ち着いた足取りで出口の方に向かう。ルキアンには副長の目が微笑んでいるように見えた。あくまで柔和なクレヴィスの表情に、彼はかえって怖さすら覚えてしまう。
【注】
(*1)マギオ・トルピーダ、別名は呪文魚雷。弾頭部分には、MgSと同様に呪文が封じ込まれており、目標に命中するとその魔法が発動される。この魚雷自体が、いわば超小型の無人飛行型アルマ・ヴィオである。ただし自分の意思で動くことはできず、通常は外部からの誘導もできない。
7 新たな力を得たラピオ・アヴィス!
クルーの1人が感慨深げにつぶやく。
「副長が、あのアルマ・ヴィオで出るのか……」
別の声がひそやかに答えた。
「あぁ。副長の《デュナ》と、レーイの《カヴァリアン》があれば、戦艦の1隻や2隻、たちまち沈めちまうだろうぜ」
クレヴィスのデュナ、旧世界の魔法戦特化型アルマ・ヴィオ――方陣収束砲にも劣らぬ破壊力を持つ兵器を、クレドールはもうひとつ有していたのである。
彼がブリッジを離れたのと時を同じくして、カルダイン艦長が次なる命令を発する。戦いの時は来た……。
「アルマ・ヴィオ部隊、全機発進せよ!!」
◇
クレドール後部の飛行甲板に、紅の猛禽、ラピオ・アヴィスが姿を現した。
名匠の鍛えた刃のごとき、機能美溢れる曲線を持つ翼。その裏側には、軽量の速射型MgSが左右1門ずつ新たに装備されている。
――武装が増えたのに重さを感じない……。さすがネレイの技術陣ね。
ギルド本部で改良されていた愛機から、メイは十分な手応えを感じ取る。敵飛行型との激しい空中戦を想定し、攻撃力の強化と旋回性能の向上とが図られたのである。
メイの胸の内に、不意にラピオ・アヴィスの思念が浮かぶ。女の声だ。
――今回は《お荷物》を乗せていないから、思う存分戦える。
猛々しいその雰囲気は、例えば蛮族の女戦士を想起させるだろう。気性の激しいメイにはお似合いの相棒だ。
皮肉たっぷりにメイが応える。
――そんなこと言うもんじゃないの。大体ねぇ、あの子のおかげであたしは助かったんだから。あんたもよ、あんたも。
――なかなか気に入っているようだな、ルキアンという少年のこと。お前の心は単純だからすぐに読める。
――焼き鳥にされたくなかったら黙ってなさい! もしもし、ブリッジ……?ラピオ・アヴィス、出るわよ!!
艦橋に念信を送った後、メイは発進した。
鋭い鳴き声とともに真っ赤な翼が羽ばたく。
――了解。メイ、作戦通りにクレドールの側面に展開して。こちらから指示があるまで前に出てはだめよ。
対するセシエルの返事は、普段と変わらぬ冷静なものだった。だが彼女の瞳の奥にはやはり不安感が漂っている。その表情自体は、もちろんメイには伝わらないが。
――分かってる。方陣収束砲に巻き込まれちゃ、たまんないし。
――えぇ。気を付けてね。あまり無茶をしないで。
続いてサモン・シドーからブリッジへの念信だ。
彼は例によって言葉少なに告げる。
――サモンだ。出撃する……。
ファノミウルがずんぐりした体を振るわせ、悠然と翼を広げた。
重アルマ・ヴィオに相応しい地鳴りのような声で鳴くと、予想外に軽やかな動きで甲板を離れ、そのまま滑空してラピオ・アヴィスを追う。
見事な動きだ。さすがに、音もなく闇の中を舞う狩人――フクロウを模した機体だけのことはある。
【続く】

※2001年6月~7月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第19話・後編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
7 月明かりに映える、王家の巨大飛空艦
◇ ◇
ラプルス山脈でも重大な出来事が起こっていた。ただし秘密裏に……。
山麓を照らす月明かりを遮ってしまうかと思われるほど、途方もない規模の物体が4つ、上空に浮かんでいる。天に築かれた要塞のごときそれらの影は、全て飛空艦である。
遠目には黒々とした浮島のようにしか見えないが、実際の船体はみな深い赤色に染め上げられている。真紅の下地に描かれたオーリウム王家の紋章が、うっすらと白く光る。
その装いからして、すべて王室直属の飛空艦隊に属する船だ。
巡洋艦クラスの高速艦が2隻。
さらに1隻――ひときわ目立つのは、国王軍が保有する《ポエニクス》級の大型戦艦である。その全長は優にクレドールの2倍はある。本体部分と一体化している三角形の翼に、すらりと伸びた流麗な船首。敢えて例えれば翼竜のような姿をしている。
ポエニクスは国王軍のみが数隻保有しており、単体での火力の高さでこれに勝る艦は議会軍にさえ存在しない。何段にもわたって舷側に並ぶMgS、甲板には方陣収束砲が数門。ただしその火力と図体は、実戦に用いるためのものというよりは、むしろ王家の威光を誇示するためのものだと言えよう。
残る1隻はポエニクス級にも劣らぬ重量級の輸送艦である。
地上付近まで高度を下げた同艦からは、無数の頑強なケーブルが降ろされていた。全てのケーブルは、あたかも生きているかのように、地表にそびえる正体不明の物体に絡み付いている。
実際それらは《生きて》いるのだ――しばしば大型輸送艦が備えている作業用の《触手》である。樹木の根を思わせる触手全体が、実はとてつもないサイズの植物型アルマ・ヴィオだということになる(*1)。
問題はむしろ輸送艦が持ち上げようとしている物体の方だった。外観的には、金属でできた黒いコンテナとでも形容すればよいのだろうか。ただしその大きさが普通ではない。一辺が数十メートルの巨大な立方体である。
空高くそびえ立つ真っ黒な箱……。国王家の艦隊はこの異様な物体を吊り上げ、どこかに運ぼうとしているように見える。
コンテナの周囲には4体の《エルムス・アルビオレ》がいた。それぞれの装備から考えて、セレナ、ラファール、ダン、ダリオルの操る機体である。特務機装隊との戦いの後、麓まで降りてきたのだろう。
他にも《シルバー・レクサー》が10体前後、国王軍に属する白いティグラーが20体ほど、コンテナを警備するかのごとく配置されている。
「予定外の騒ぎはあったけど、まぁ、退屈しのぎにはちょうど良かったよ。議会軍はともかく、あの変な少年……思ったよりも楽しませてくれたことだし」
謎の物体が輸送艦によって引き上げられていく様子を、ファルマスが地上から満足げに眺めていた。何がそんなに嬉しいのか、小憎らしいほどの笑みをたたえて、彼はチエルの顔を覗き込む。
「《大地の巨人》を例の場所に運び終えたら、さっそく起動できるように準備を始めないとね。だから君には協力してもらわないと困るんだなぁ」
チエルが汚物でも見たように顔を背けると、ファルマスは素早く反対側に回り込み、無邪気に声を上げて笑った。
「あはは。そんなに嫌がる必要はないじゃないか。旧世界のお嬢さん」
無言のまま再び逆方向に顔を向けようとするチエル。
ファルマスと一緒にいたエーマが、彼女の首を乱暴に押さえる。
「勝手に強がっているがいいさ。でも後で簡単に音を上げたりして、あたしをがっかりさせるんじゃないよ。ふふふふ……」
エーマの真っ赤な爪が怪しげな動きでチエルの唇を這う。
縛られたままのチエルは、怒ってエーマの指に噛み付こうとする。本当に気丈な娘だ。実際には極度の疲れのため、チエルはもはや立っているだけで精一杯であったが。
生あくびをした後、ファルマスは何の罪の意識もなく平然と告げる。
「あまり酷いことをしてはだめだよ、エーマさん。もし彼女に万一のことがあったら、《巨人》を目覚めさせられなくなっちゃうからね」
この言葉にチエルへの同情心の欠片もないことは言うまでもない。
だがチエルには微かな希望が残されていた。それは……。
【注】
(*1) 植物型のアルマ・ヴィオもいくつか存在する。比較的よく知られているのは、MgSの《枝》を数多く生やした砲台型の重アルマ・ヴィオ、《トレント》である。エクター個人の適性にもよるが、一般に植物型アルマ・ヴィオは昆虫型や魔獣型と並んで最も操作が難しいとされる。
8 残された希望―旧世界の姉妹の秘密 ?!
彼女は心の奥でファルマスたちを嘲弄する。
――バカな奴ら。《パルサス・オメガ》を起動するためには、あの子が私と一緒にいないと駄目なのに。だから上手く逃げ延びて、イリス……。
チエルは妹の顔を思い浮かべようとしたが、それさえもかなわなかった。
彼女の首ががっくりと崩れ落ち、黒髪が力なく垂れ下がる。
すると、次第に薄れゆく意識の中、美しい竪琴の音が遠くの方で聞こえた。
チエルの空虚な心のうちに、物悲しく澄み切った高貴なパヴァーヌだけが響く。旧世界人である彼女にとっても、どこか郷愁を感じさせずにはいない音色だった。
実際にはその旋律はすぐ近くで奏でられている。
大切なものを愛しむかのごとく、優しく弦を爪弾く指先。
弾き手のエルシャルトは木の根元に腰掛け、黙って星空を見つめている。
その長い髪を夜風が揺らす。ひんやりと冷えてきた空気を頬に受けて、彼は涼しげな横顔をみせた。
彼の曲を耳にしているうちに、なぜかチエルは次第に安らかさに似たものすら感じていた。怒りと苦しみに満ちた今の自分の意志とは無関係に、彼女は不思議な平穏に包まれ、ほどなく意識を失った。
◇ ◇
「これ以上ここにいても無意味だと思うわ。いや、むしろ有害だわね……」
腕組みしたシソーラが行ったり来たりしている。
あまり広くはない部屋の中で、彼女は奥に向かって歩き出したかと思うと、立ち止まってはヒールで床をカツカツと鳴らし、また手前に戻ってくる。
落ち着きのない立ち振る舞いからみて、相当に苛立っているようだ。
「この一刻を争うときに、呑気に夕食なんか食べてる暇はないでしょ!?」
彼女の突き刺すような声に、ルキアンは思わず背中をびくりとさせる。
彼とランディは黙って椅子に座っていた。
公爵とのお茶会が終わった後、今度は夕食会の準備が整うまで、3人はしばらく客室で待たされることになったのである。
ラプサーの副長という立場にあるシソーラとは異なり、しょせんは居候ゆえの気楽さか、ランディは太平楽を並べる。
「ま、そうは言っても……。そんなに焦らず、旨いモノをたらふく食わせてもらうのもいいさ。ここのところ飛空艦暮らしが長くて、美食とは縁がないからな。海の物から山の物まで、ミトーニアには何でもあるよ」
「あのねぇ……」
神経を逆撫でするような彼の言葉にシソーラは眉を吊り上げたが、年の功というのか、怒りを喉元に押しとどめる。彼女はヒステリックに声をうわずらせた後、一息置いてから、無理に落ち着いて話を続けた。
「予定では、ギルドの陸上部隊はもうすぐラシュトロスに到着し終わるわ。場合によっては、今晩中に夜戦を仕掛ける手もあるというのに。とにかく、こんな城はさっさと落として《レンゲイルの壁》に向かわないと、帝国軍の侵攻を食い止められなくなるわよ。この国がなくなっちゃってもいいワケ?」
本当なら《貴方には、国を追われた者の苦しみなんて分からないでしょうけど。あの革命を賛美する貴方には!》と言いたかったシソーラだが、さすがに私怨をぶつけるのは良くない。
彼女のそのあたりの気持ちについては、ランディも勿論分かっている。彼は複雑な表情で苦笑いすると、シソーラをなだめ始めた。
「しかしな。そもそも俺たちには、クレドールまで帰る手段がないんだから。親爺殿が帰還を認めてくれない限り、どうにもならない。それを忘れちゃいまいな?」
「あのオヤジ、初めから私たちの《足》を奪うつもりで、迎えをよこしたのね。きーっ、憎らしい!」
いささか冗談めいた口調で言いつつ、シソーラが拳を握りしめる。確かに、いま慌てても仕方がない。彼女も少しは頭を冷やしたようである。
9 この手で必ず守る! シソーラの覚悟
シソーラとランディは、お互いに納得した様子でしばらく黙っていた。
その沈黙を遠慮がちに揺るがせたのは、ルキアンの言葉だった。
「あ、あの……。やっぱり、駄目なんでしょうか。ナッソス公と戦うしか、どうしても戦うしかないのでしょうか?」
すぐには答えが返ってこない。
シソーラが正面からルキアンを見据える。
戦士としての厳格さと、落ち着いた年齢の女性の優しさとを併せ持った空色の目に、ルキアンは気後れを、あるいは気恥ずかしさを感じて黙ってしまう。
突然、シソーラはぷっと吹き出す。一転して下世話な笑みを浮かべ、彼女はルキアンを冷やかした。
「当ててみようか。ナッソスのお嬢ちゃんが心配なのよねぇ、ルキアン君」
「そ、そんな、ぼ、ぼ、ぼ、僕は……」
出し抜けに胸中を言い当てられ、ルキアンは言葉をどもらせた。
だがそうやって指摘されてみると、確かに彼女のことが頭からずっと離れていない。いつの間にか必死になって弁解している自分に気づき、彼は余計に恥ずかしくなった。
シソーラは意味ありげに何度も頷いている。
「ふふふ。お茶会の時にすぐ分かったわ。キミの変な態度。ねぇ、カセリナとの間に何があったの? おねぇさんにも詳しく聞かせてみなさいよ」
「な、なんでもないです! あの、その、だって、彼女が戦いで家や家族を失ったら可愛そうじゃないですか。それだけです。ただ、それだけです!」
「かわいい。気にしちゃって」
しかしシソーラは、笑顔を殺して低い声でこう付け加える。
「戦争なんて薄情なものよ。あの娘(こ)もそのぐらいは覚悟しているはず。大体、私たちの方だって、生き延びられるかどうか分かんないじゃない」
「だから、だから戦いなんて避けられないかと……」
シソーラは溜息をつく。彼女は曖昧な視線で、哀れむようにルキアンを見た。
「でもねぇ。結局のところ、戦うのが私たちの商売なワケよ。それに今回はただの《仕事》じゃないわ。ルキアン君もよく知っているだろうけど、この王国の全てが、未来がかかっているの」
シソーラは外の闇に視線を転じ、中央平原の彼方へと、さらにその果てにあるレマール海の向こう、ふるさとのタロスへと思いの翼を羽ばたかせた。
遠い目をしながらも、彼女の口からは毅然とした言葉が流れ出る。
「昔、私は故郷の《王国》を失ったけど……その代わり、オーリウムに自分の《居場所》を再び見つけることができた。それをまた失うのは、絶対に嫌なの。だから今度は私も戦う。自分の居場所を守るために」
「シソーラさん……」
ルキアンが何か言おうとしたとき、静かに扉がノックされる。
部屋に入ってきたのは片眼鏡をした上品な老人である。身なりも良く、堂々としていながらもにこやかで丁重な態度。この家の執事か何かだろうか。
「晩餐の準備が整いました。お部屋までご案内いたします」
「よぉー、ベルク、久しぶりだな!」
不意に親しげな様子でランディが言った。
「お久しゅうございます。ランドリューク様」
ベルクと呼ばれた老人は恭しく一礼する。
10 もし大切なものがあったなら、僕は…
「……すまないな。こんな事になってしまって」
ランディがそっと彼の肩に手を置いた。
珍しく真面目なランディの姿を、ルキアンとシソーラは怪訝そうに見つめる。
老人は身体を振るわせ、微かに涙ぐんでいるようだった。
「その件については何もおっしゃいますな。私も元は武人でございます。人の世にこうした不幸な戦いが多々あることは、よく承知しておりますよ。ですが、気がかりなことは……」
ベルク老はそこで言葉を詰まらせ、枯れた声でつぶやく。
「ただひとつ、お嬢様が不憫でなりません。どこで間違ってあのようになってしまわれたのか。危険な戦場に尊い御身を投じるなどと……」
口惜しそうに俯く彼の姿を見て、ルキアンも同様にうなだれるしかなかった。
久々の再会にすっかり気を取られていたランディが、思い出したかのように紹介する。
「彼は親爺殿の重臣のベルクだ。子供の頃から世話になってる」
ベルクはルキアンに目を留め、穏やかに尋ねた。
「お若い方。貴君もギルドの戦士なのか?」
「え、あの……その、僕は……えっと……」
言葉に困っているルキアン。その返答を待たず、老人は寂しげにうなずいた。
「貴君はとても優しい目をしている。きっと他人を傷つけることを、誰よりも苦痛に思っているに違いない。貴君がそれでも敢えて戦うということは、よほど大切な何かのためなのだろうな。さぞ辛い思いをしていることだろう」
「えっ?」
「覚えておきなさい。貴君のように優しい人間にとって、人を殴った自分の手は、むしろ殴られた相手の頬よりも痛むものだ。しかしその胸の痛みをこらえて戦わねばならぬこともある。そういうときには臆せず戦わねばならぬ。だがそこで、自分の拳の痛みを忘れて戦うようになってしまってはいけない。怒りや憎しみに心を委ねてしまってはいけない……」
ベルクの言葉はルキアンに衝撃を与えた。
少年の脳裏にあのときのことが生々しく蘇る――パラミシオンでアルマ・マキーナと戦ったとき、自分でも理解できぬまま旧世界への憎悪を爆発させ、呪われた《ステリア》の力を思うがままに解放した自分のことが。
それにあの戦いは、本当に《大切なもの》のためだったのだろうか?
――大切なもののために?……貴方は僕のことを勘違いしています。僕にはそれが見つかりません。今の僕は《理由なき抜き身の剣》なのです。いや、たとえ《剣》としてでも僕が仲間たちの役に立てるなら、それでいいのかもしれません。《大切なもの》とは次元が違うかもしれないけれど、僕が《居てもよい場所》はクレドール以外にないのだから。
穏やかに諭すベルク老人の顔を見ていると、勿論そんなことは口に出せない。
――もし《大切なもの》があったなら、初めから僕は《剣》になんかならなかった。なりたいとは思わなかった。
ルキアンの唇がそっと動いた。
暗い目の中に不可思議な光を浮かべて、身震いしながら痛みを吐き出した。
ベルク老人が、きっと残念そうな、悲しい面持ちでこちらを見ているだろうとルキアンは思った。
「分かりません。でも僕はこの道を選び取ったのです。それを行ったのは他の誰でもない、僕自身です。風の中に揺れる木の葉のように、こんなにも希薄な存在の《僕》が、それでも向かい風の中で歩き続け、生き続けていくために。僕が僕であることができるように……そのことを僕にとっての《大切なもの》と呼ぶのは空しいでしょうか、罪なのでしょうか?」
――僕は、そうは思いません。だって、それが今の自分にできる、精一杯生きるということなのだから。
11 風を友とするもの・最速の獅子レオネス
◇ ◇
夜の荒野を駆け抜ける6体のレオネス。クロワ・ギャリオンと彼の率いる部隊は、例の巨大な光の落ちた方角に向かっていた。
平坦な場所であれば、レオネスは飛行型なみの速さで《走る》ことが可能だ。しかし周囲への影響や万一の事故等を考えれば、街道沿いでそのような速度を出すのは避けねばならない。
クロワたちは《王の道》を外れて野原を行くことにした。
――これで思う存分飛ばせるぜ。《アエリアル・コート》!!
そう念じるが早いか、クロワのレオネスが前傾姿勢をとり、オーロラのような光に包まれる。刹那、砲弾のごとく飛び出した鋼のライオンの姿は、遠く豆粒のように小さくなった。
他のレオネスも同様に一瞬で加速し、たちまち視界から消える。
レオネスたちが疾走する様は、滑らかに、あたかも風をまとっているかのごとく感じられる。本来なら途方もない空気抵抗が生ずるはずなのだが、巨大な獅子はむしろ空気と戯れ、これを友としているようにも見えた。
それもそのはず、この機体は高速移動のための《アエリアル・コート》という能力を持っているのだ。風の精霊界の力を借り、巧みに気流を逃す風防状の結界で自らを覆うことによって、レオネスは空気抵抗を極端に減少させることができる。無論それは旧世界の技術らしい。
超高速を誇るレオネスが本気で駆け出しさえすれば、問題の地点へと至るまでに大した時間はかからなかった。
だがそこでは、想像を絶する状況がクロワたちを待ち受けていた。
目の前一帯が半径数キロに渡ってすり鉢のように陥没している。
夜気を覆い尽くし、白く立ちこめる煙。
木も草も全てが灰になっていた。
――こ、これは……。何が起こったのかしら!? ともかく近くに人家がなくてよかったわね。
途方に暮れるエリカからの念信。
それを聞いたクロワは、先日のガノリス王都の惨事を思い起こした。そう、ルキアンの師・カルバも巻き込まれたという、神帝ゼノフォスによるあの暴挙である。
――バンネスクは、街ごと全体、こんな大穴に変わってしまったという話だ。噂じゃ、あのデカい宮城も住民たちも、何もかも跡形なく消えたらしいぜ。ガノリス人はどうも気にくわないが、さすがに哀れだ。ゼノフォスの野郎、とんでもねぇことしやがって。
――じゃあ、クロワ……もしかしてこれも、エレオヴィンスの《天帝の火》と似たような兵器のせい?
――どうだか。それより見ろよ、向こうの方。凄まじいな……生きてるヤツなんて居るのか?
クロワたちが進むに連れて、辺りの様子が次第に明らかになってきた。
おびただしい数の黒い影が地面に転がる。見渡す限り、それらはみなアルマ・ヴィオの残骸だった。個々の機体の区別も付かないほど破片が入り乱れ、いたるところに脚や胴体が散らばる。
うち砕かれ、剥がれ落ちた装甲の下では、焼け焦げた生体器官が異臭を放つ。装甲板の皮膚をまとっていても、アルマ・ヴィオの中身はれっきとした《生き物》のそれである。その内蔵や骨がそこかしこにぶちまけられている光景は、はっきり言って気持ちの良いものではない。
――ひどいな。反撃する間もなく焼き払われたようだが。どうすればこんな芸当ができるんだ? これだけの数を、恐らく一瞬で。とりあえず生存者の捜索と救助にあたる。エリカ、本隊に連絡してくれ。
幾多の戦いを経験しているクロワだが、そんな彼でさえ息を飲むほどの惨状だった。ここまで酷い敗れ方は見たことがない。あまりにも一方的だ。あたかも人が神に対して戦いを挑んだかのように……。
12 動き出す闇? 勝利に笑う黄金の仮面
◇ ◇
薄暗い広間の中に、人の背丈ほどの燭台が立ち並んでいる。
入口から伸びる赤い絨毯。その両側に列をなす燈火が、闇の向こうへと続く夢幻のごとき道を形づくっていた。
赤々と揺れる炎に照らされ、周囲の金色の壁が鈍い光りを放つ。
「猊下、事は予定通りに運んでおりますぞ……」
喉の奥から絞り出すような、枯れた不気味な声が響いた。
いつの間にそこに居たのだろうか、赤紫の長衣に全身を包んだ者たちが部屋の真ん中に立っている。フードを深く被り、裾が爪先近くにまで達する外套を着込んでいるため、彼らの正体は全く分からない。
香の匂いの立ちこめる闇の奥、黄金造りの玉座から腰を上げたのは、黒い法衣をまとった大柄な男だ。
彼は口元を微かに弛め、堂々たる様子で頷いた。
それに応えて亡霊のような声が漂う。
「議会陸軍の主力部隊は、兵力の3分の1近くを失った様子……。《ステリア》の力をもってすれば、そのようなことなど造作もありませぬ」
誰かがそうつぶやいた後、赤紫の長衣の一群がおもむろに顔を上げる。
だが現れたのは彼らの素顔ではない。それぞれ、奇怪な金色のマスクだった。
老人のようなもの、女のようなもの、鳥のようなもの、のっぺりとして鼻も口も持たぬもの――表情のない異様な黄金仮面たち。
彼らのうちのひとりが、木々が風に鳴るような、微かな声で言った。
「何も知らずに、いにしえの呪われし力に溺れる愚かな人間どもよ」
それとはまた別の声。今度は呪文の詠唱を思わせる奇妙な節が付いている。
「互いに傷つけ合い、押しのけ合い、滅びの時へと転がり落ちていく……」
暗がりの中、密やかに行われる仮面劇。
厳粛さと妖美さとが融和したその光景を、法衣の男は黙って見ている。
彼は何段にも重なった背の高い冠を被っていた。紅や碧の果実の粒のような、現実味のないほど巨大な宝石をちりばめ、オーリウム国王の頭上を飾る冠よりも豪奢なそれは、最高位の神官である《大法司》の位を示すものだ。
イリュシオーネの世界において、大法司の位を持つ者はわずか4人。そのうちオーリウムに身を置く者はただ1人。
しわがれた声がその名を告げる。
「メリギオス猊下……。後は《パルサス・オメガ》さえ覚醒させれば、全ては猊下の思うがまま」
この言葉が最後まで述べられたとき、黄金仮面たちの姿はすでに広間にはなかった。
「万事、我らにお任せあれ」
誰もいない空間から発せられた幾つもの声が、薄気味悪く宙に霧散していく。
そして、最初から彼らなどいなかったかのように、湿った空気と静謐だけが残された。
この部屋の主――聖俗両界においてオーリウムを牛耳る者、宰相にして王国の全神殿を統べるメリギオス大法司は、満足げにつぶやいた。
「すでに《神帝》との話も片が付いておる。王国は間もなく我が前にひれ伏すことになろう。それまで議会軍も反乱軍も、そして王家の者どもも、この手のひらの上でせいぜい踊っているがよい」
暗闇の中にメリギオスの高笑いがこだまする。
【第20話に続く】

※2001年4月~6月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第19話・前編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
本当の闇は、光と影のさらに向こう側にある。
汝の真の敵を見誤ることなかれ。
◇ 第19話 ◇
1 19話「序曲」スタート 黒幕、動く?
厚く垂れ込める雲の下、中央平原に普段より早い日没が訪れた。
風はいくらか和らぎ、雷鳴も遠くに過ぎ去ったものの、降り続く雨は相変わらず激しい。
クレドールをはじめとする3隻の飛空艦は、議会軍ラシュトロス基地に停泊し、嵐の中でランディたちの帰りを待ち続けていた。
その間にも、風雨を突いてギルドの飛空艇が続々と到着する。ラシュトロスの手狭な飛行場がたちまち収容力の限界に達したため、付近の草原一帯にまで沢山の飛空艇が着陸している。
それらの多くは、《仕事》を求めて各地を点々とするエクターたちが、移動及び輸送の手段としている小型船である。多少の武装も施されているとはいえ、基本的には飛空艦を相手にできるほどの火力を持ち合わせていないため、ナッソス家の艦隊との戦いには参加しない。実際に戦闘の主役となるのは、飛空艇で運ばれてきたアルマ・ヴィオの方だ。
基地付近の平野を、同じくギルドの陸戦型や汎用型のアルマ・ヴィオが群をなして通り過ぎていく。各地の支部から集結したギルドの繰士――腕自慢の賞金稼ぎ、世界の戦場を渡り歩く傭兵、そして命知らずの冒険者たちである。
軍とは異なり、種類も色も大きさも不揃いな機体が集団を形づくっているが、それだけに壮観な光景でもあった。闇の中で鋼の魔獣たちが織りなす、一種異様な百鬼夜行というところか。
ギルドの陸戦部隊が本格的に布陣を始めたのに応じて、クレドールの艦橋もすでに臨戦態勢に入っていた。
クルーたちの一挙一動にも、いつになく緊迫した雰囲気が漂う。それも当然と言えば当然だろう。恐らく明日、あるいは早ければ今晩中にも、ナッソス軍との戦いの火蓋が切って落とされようとしているのだから……。
「《パンタシア変換》が規定値以上の効率を維持しているか、特に《触媒嚢》の状態を念入りにチェックしろ。それから各《動脈弁》に魔力の逆流が生じていないか? 目盛りのわずかな変化も見逃すな!」
操舵長カムレスの謹厳な声は、あたかも叩き上げの軍士官を思わせる。彼は部下たちと共に計器類を注視し、船体の調子の最終的なチェックを行う。
カムレスの指示に続き、部下たちによって様々な数値が読み上げられ、そのつど《○○に異常なし》と連呼される。
「点検終了! 各自、持ち場につき、今後も確認を怠らぬこと!!」
大きな刀傷のある額から、カムレスは汗を拭った。まだ春先であり、さほど気温が高いわけでもないのだが、それでも汗だくになるほど彼は真剣なのだ。
そんな彼をねぎらうように、クレヴィスが静かに告げる。
「カムレス、ちょうど一段落付いたようですし……今のうちに夕食を取ってきたらどうです? この調子だと、少なくともあと数時間ほどは、船を動かす必要はなさそうですからね」
「いいのか? そうか……そうだな」
カムレスは今さらながら空腹に気づいた。部下たちには交代で食事をとらせていたのだが、彼自身は、ごく軽い早めの昼食の後、今まで何も口にしていなかったのである。
ネレイのギルド本部に立ち寄ったとき、クレドールは十二分に整備を受けた。それでも点検を微塵も怠ろうとしない点は、いかにも堅物のカムレスらしい。
乗組員のうち、最も長くギルドの暮らしに浸かっている人間の1人でありながらも、最もギルドの人間らしくない――つまりは馬鹿が付くほどの実直さや堅実さが、カムレスの面白いところだ。
真面目人間というのも、ここまで徹底されると、ひとつの強烈な個性である。
2 カルダイン艦長の読み…公爵家の誤算 !?
「カムレス、肩に力が入りすぎて、変に気疲れしなきゃいいけど……」
操舵長が艦橋から出ていった後、ヴェンディルが苦笑いした。
「大丈夫ですよ。あんなふうに几帳面に振る舞うのが、かえって彼にとっては一番《楽》で自然な行動なのですから。好きなようにさせてあげましょう」
夜の闇が草原を塗りつぶしていくのを見守りつつ、クレヴィスがそう答える。
「そうだね。手を抜けって言ったら、カムレス、かえって悩んじゃうかもしれないな。《怠けるのって、一体どうやればいいんだ?》……なんてさ」
「えぇ。アンタにも少しは見習わせたいところだわ」
「まったく……って、おい、それはひどいじゃないか、メイ」
カムレスとほぼ入れ替わりに、メイがブリッジに入ってきた。
手のひらサイズの扁平なチーズを、彼女は小さくちぎって差し出す。
「ヴェン、これ食べる? 晩ご飯のついでに台所からかっぱらってきたのよ。あと2、3個あるから、セシーにもあげようか?」
「要らない」
間髪入れずに、セシエルは素っ気なく断った。彼女は机の上にミトーニア付近の《宙海図》を広げ、等圧線状に描かれた霊気濃度の偏差を丹念に調べている。
「ねぇ、セシーってば。もしかしてダイエット中とか? それ以上キレイになってどうすんのよぉ。えへへ」
そう言って茶化しながら、メイはセシエルに軽く抱きつこうとする。
だがクレヴィスが首を振って止めたので、メイは後ろに一歩スキップすると、大人しくあきらめた。
「なんか手持ちぶさたなんだな。ルキアンでもいたら、からかって遊ぶのに」
今度はクレヴィスの隣に立ち、子供じみた表情で笑うメイ。こうしていると、彼女には随分あどけない部分が残っているようにも見える。
「この調子だと、夜遅くまで帰ってきませんよ。会談の方が長引いているようですね。いや、そもそも話になっていないのでしょうが……。ルキアン君たちが戻るのは、もしかすると明日になるかもしれません」
クレヴィスは溜息をつく。彼の手元にも何枚かの宙海図が置かれ、コンパスやディバイダなどに似た製図用具や、方位磁石らしきものがその傍らに並べられている。
ラシュトロスからミトーニアに至る空路を図面の上で追いながら、彼は相変わらず呑気な声でつぶやく。
「ギルドの陸戦部隊が全て到着するまでの、《最低限》の時間稼ぎは必要なのですが……その反面、時間が経過すればするほど、こちらにとって不都合なことにもなるのです。我々がこうやって待機している間にも、《帝国軍》は刻一刻とオーリウムに近づいているわけですからね」
「うん。シソーラ姐さんも言ってたわ。和平に興味のないナッソス公爵が、わざわざ話し合いに応じたのは……結局、向こうにとっても帝国軍到着までの時間稼ぎになるからだって」
「その通り。ナッソス公にしてみれば、こちらの兵力が完全に集結する前に、先手を打ってラシュトロスを叩くという選択もあったわけです。それを棒に振って会談を行ったからには、時間を引き延ばす方向に出てくるのは間違いありません」
そのときブリッジ入口の扉が開き、カルダイン艦長が姿を見せた。
「公爵にしてみれば、時間稼ぎ云々には関わりなく、最初から籠城戦に持ち込む腹づもりだったろうがな……」
艦長の枯れた声が、低く心地よく周囲に伝わる。
「特に高低差もなく遮蔽物もないミトーニア平原。その中にあって唯一の小高い丘に位置するナッソス城は、地形的に有利だ。その地の利を生かしつつ、城の近辺に堅固な陣地や砲台を築き、我々を引きつけて迎え撃つ方が、下手に動くよりも得策だと考えていることだろう。だが公爵は、ひとつ重要なことを軽視している……」
海賊風の荒くれた外見にはよらず、意外に戦略家でもあるカルダイン。それはそうだろう――単なる気迫やカリスマだけでは、あのタロスの大艦隊相手に五分の戦いを繰り広げることなど、到底できなかったはずだろうから。
クレヴィスが言葉を継ぐ。彼は穏やかな口調ながらも、唇に冷ややかな笑みを浮かべて言い放った。
「それは……地上戦では攻守両面について有利なナッソス城も、空からの攻撃に対してはあまり意味をなさないということですね。もちろん公爵とて、その点を見落としているはずはないでしょうが……まぁ、自らの飛空艦隊の規模を頼みに、制空権を我々に奪われることなどあり得ないとでも考えているのでしょう。そうだとすれば、甘いですね……」
3 繰士たちは、再びの集いを信じて…
◇ ◇
夕刻、同じくクレドールの艦内にて。
《赤椅子のサロン》の天井で輝くシャンデリア。
蝋燭と硝子とが作り上げる柔らかな光は、旧世界の照明器具とは異なり、広間の全てを煌々と照らし出すような無粋なことをしない。家具の背後や部屋の隅、そこかしこに影が息づいている。
ほのかな明かりが窓に映り込む。その向こうには霧雨。
意外に早く小降りになってきたらしい。
「すっかり日が落ちたか。ついつい長居してしまったな……」
レーイ・ヴァルハートの淡々とした声が、静かな室内に漂って消えた。
端正に刈り上げられた象牙色の髪と、勇ましくもどこか優しげな横顔。天井の燈火から多少離れた位置にある彼の身体が、薄闇の中に浮かび上がる。
彼は腕組みして外を見ていた。真っ暗な原野を行き交う光は、ラシュトロス基地に発着するギルドの飛空艇である。
他の面々は昼間よりも言葉少なげだった。
プレアーに至っては、カインの肩に寄り掛かってすやすやと居眠りしている。
「ふにゃ。お兄ちゃん……」
夢でも見ているのか、彼女は満足そうな表情で寝言を並べる。
金色に染めたおかっぱの髪に、無造作な太めの眉。桜色の小さな唇。
女らしい匂いがなく、かといって男の子とはやはり違う不思議な容貌。
性別を感じさせない愛らしさには、どこか天使の姿に通ずるものがあった。
「プレアーったら。この寝顔を見ていると、まだまだ子供よね。ほれっ」
少女の張りの良い頬を、メイが指先でそっと押した。
昼間の騒々しさとは対照的に、重苦しい空気が彼らを取り巻き始めていたが、一瞬、雰囲気が和んだ。
低い笑みがこぼれる。
そんな中、不意にベルセアが真顔になった。
「……今度の戦い、勝てると思うか?」
空っぽのティーカップを見つめながら、彼は誰にともなく尋ねる。
「当然じゃネェか。オレたちが負けるわけないだろ」
椅子にふんぞり返ってあくびをしていたバーンが、面倒くさそうに答える。
「いや、そういう意味ではなくて……さ」
珍しく弱気を見せたベルセアの前で、バーンは訳が分からず首を傾げている。
「そういう意味って、何だよ? 要するに勝ちゃいいんだろ、どーんと!」
「あぁ。勝つさ。俺たち、日頃の行いが良いからな。日々これ精進……運も向いてくるというものだ」
ブロンズ色のカフス・ボタンの向きを指で整えつつ、カインが呑気に相づちを打つ。紳士然とした顔つきで力説する彼だが、肝心の言葉の中身はやや意味不明だ。
「何であんたたちって、そんなに分かり易いワケ……?」
メイが溜息をついた。
「戦いに勝ち、俺たちがこうして再び無事に集うことができれば。そう言いたいわけか、ベルセア?」
微かな声で、けれども変に凄みのある調子でレーイがつぶやく。
ベルセアは他人事のように言った。
「まぁな。そんな感じだ。甘ちゃんだよな、俺はさ。ところでレーイ……」
恐らく照れ隠しなのだろう、彼は思い出したかのように話題を変える。
「議会陸軍の主力が、この2、3日中にも《レンゲイルの壁》に到着しそうなんだって? 頼もしいことだぜ」
「あぁ。王国の西部、北部、そしてエルハインの都周辺の各師団から選抜された大軍だということだが。その中でも王都の郊外に駐屯する《皇獅子機装騎士団》は、知っての通り、ギヨットの配下たちとも互角に戦える精鋭だ」
王家から《皇》の文字の使用を許された、都の守護にあたる誉れ高き機装騎士団。その名を聞いた途端、ベルセアが手を打った。
「お前の旧友の《レオネス》乗り。ほら、クロワ……クロワ・ギャリオン。あいつがいる部隊だったな」
「クロワか。元気だろうか。長らく顔を合わす機会がないんだが……」
永遠のライバルとでも言うべき男の名を、レーイが口にする。
遠く王都の方へと思いをはせたとき、彼の瞳は戦士のそれに変わっていた。
4 皇獅子機装騎士団、荒ぶる鋼の獣たち!
◇ ◇
エルハインの都から南へと下る大きな街道――通称《王の道》は、普段であれば、日暮れの後もなお行き交う隊商や旅人たちで賑わう。
だが、ここ数日間、夕方以降になると路上には人影ひとつ見られない。軍の部隊を速やかに移動させるため、早朝および夜間には一般の通行が禁じられているからである。
人気のない道の彼方、夕闇の奥から伝わってくる地響き。
ねぐらに戻り遅れた鳥たちが付近の並木から慌てて飛び去る。
地震のごとき揺れは、たちまちすぐそこまで迫っていた。
小山のようにそびえる影が、数を連ね、轟音を立てて疾走してくる。筆舌に尽くし難い、空恐ろしいほどの迫力だ。
古くから整備されてきた街道は、アルマ・ヴィオが余裕を持ってすれ違えるほどの広さを誇っていた。整然と隊列を組んで、2、30体ほどの陸戦型の群が南へ向かってひた走る。
先頭を切っているのは、白、黒、スカイブルーの3色で塗られた機体を持つ、精悍な鋼の獅子たちだ。議会軍の量産型陸戦アルマ・ヴィオとしては、《ハイパー・ティグラー》と並んで最強の《レオネス》である。
雄々しいたてがみと、背中の二連装MgSが目立つ。
ハイパー・ティグラーが局地戦用に開発された要撃タイプだとすれば、レオネスは電撃戦を得意とする高機動タイプだ。そのスピードは陸戦型の中でも群を抜いている。
――まったく、人使いが荒いったらありゃしないぜ。ここんところ毎晩、反乱軍を追いかけて転戦してたってのに。少しは眠らせてくれよ。
レオネスの繰士の一人が念信で愚痴っていた。もしこれが普通の会話であったなら、ついでに彼のあくびも聞こえてきたことだろう。
――あぁ、もう、うるさいっ! さっきから眠い眠いって……大体ねぇ、ケーラに入っている間は、眠気なんて感じるはずないじゃないの。
女性のエクターが、呆れ返って返答した。彼女もいずれかのレオネスに乗っているらしい。
――そんなこと言われても、眠いもんは眠いっつーの。
軍のお堅い機装騎士とは思えないような、とぼけた男である。
――我々が忙しいのは、それだけ頼りにされているということだ。まぁ、そう愚痴るな、クロワ。
別のエクターが落ち着いた様子で告げる。
――あ、あはは。シュタール団長、聞こえてましたか……。
このお気楽な男がクロワ・ギャリオン。元々はギルドの人間だったため、その関係でレーイとも親しいのだが、今では皇獅子機装騎士団に移籍している。軍からギルドに移ってくる者は後を絶たないが、彼のように逆のパターンは比較的珍しい。
彼と念信を交わしている女は、相棒のエリカ・ハイディ。
団長と呼ばれたのが、皇獅子機装騎士団のシュタール団長だ。
本来なら、同機装騎士団も陸軍主力部隊に加わってレンゲイルの壁に向かうはずであった。しかし、ここ数日間、王都近郊で生じた反乱に振り回されていたために、半日ほど遅れて本隊を追うことになったのである。
この遅刻が、結果的には彼らの強運ぶりを物語っている。
なぜなら……。
5 悪夢の閃光、黒いアルマ・ヴィオ襲来!
◇ ◇
――雑魚が群れても所詮は無駄だということを、思い知るがいい。
遙か天上、深海のごとき濃紺色の夕空を従え、地表を見下ろす者がいた。
刺々しく、節くれ立った不気味な甲冑。
夜の闇よりもさらに濃い、漆黒の翼。
まさしく、あの黒いアルマ・ヴィオである。
音もなく宙を舞う死の天使は、地に這う獲物たちを見つけ、にわかに空中で停止する。
そこは、エルハインから伸びる《王の道》が、ミトーニアに至る街道とレンゲイルの壁方面に至るそれとに分かれる場所だった。
やがて途方もない数の軍勢が、都の方角から分岐点に近づいてきた。
まだ日没直後であるため、アルマ・ヴィオの魔法眼をもってすれば、空の上からでもその大部隊の位置程度は確認できる。
延々と続くアリの行列のようにしか見えないが、その実態は、数百に及ぶアルマ・ヴィオである。件の議会軍主力部隊に他ならない。
隊列の先頭がますます近づくのを見計らい、黒いアルマ・ヴィオは静かに高度を下げていく。
左右の肩当てが軋みながらスライドし、腹部のカバーが両脇に開く。
同時に双方の翼が、扇さながらに徐々に幅を広げ、暗黒の騎士は半月を2つ背負ったような姿になった。
その翼が月の光を浴びて異様な輝きを見せる。いや、現に青白い光を次第に強く帯びてきている。
ボゥッという音と共に、白熱する巨大な光の玉が機体の前に現れた。
――この国の未来のために、悪いが消えてくれ。
紫のフロックの男は、心の中でゆっくりと引き金を引く。
次の瞬間、光が満ちた。全てを飲み込み、無に帰す恐怖の光が……。
閃光が空を切り裂き、地平に向かって走り抜ける。
見る見るうちに火に包まれ、黒こげになり、そして消えていく木々。
無数のアルマ・ヴィオが枯れ葉のように吹き飛ばされ、粉々に四散し、付近を残骸で埋め尽くす。
光の中心に近い場所にいた機体は、原形をとどめぬほど溶解し、金属の塊となって転がっている。
大地震が襲来したかのごとく、地面は崩れ落ち、おそらく半径数キロに及ぶクレーターが忽然と姿を現した。
原野は火の海に変わり、炎がすさまじい勢いで四方へと広がっていく。
◇
――シールドを張れ、早く!!
突然、クロワが叫んだ。
稲妻のような光に彼が視界を奪われたのと、ほぼ同時のことだった。
物凄い音が耳をつんざき、足元が揺れた。
街道沿いに点在する建物や樹木を根こそぎにしながら、前方から爆風が迫ってくる。
レオネスたちは懸命に足を踏ん張り、MTシールドを張って衝撃波に耐える。
6 混乱の中、救援に向かうクロワだが…
荒れ狂う嵐の中、皇獅子機装騎士団はかろうじて隊列を維持し続けた。
あと何キロか前方にいたとしたら、ただでは済まなかっただろう。
――今のは一体……。敵襲かしら? それにしては随分遠いわね。
状況が全く把握できないにせよ、とりあえずエリカは周囲の警戒を怠らない。
――さぁな。目の前が真っ白になって、眩しくて何も見えなかった。寿命が縮まるぜェ、くわばらくわばら。
物事に動じないというのか、呑気だというのか、ごく平然としているクロワ。彼の脳裏では、仲間たちの念信が飛び交っている。
――不覚だ。今ので脚の関節を痛めちまった。修理が必要かもな……。
――ティグラー2体が爆風で飛ばされ、軽い損傷を受けた模様!
――おい、早くどいてくれ! お前のアルマ・ヴィオが邪魔で動けん。
幸い、大破した機体はないようだが、皇獅子機装騎士団も無傷ではなかった。
――うろたえるな。速やかに隊列を建て直し、各隊の長は被害状況の報告。
レオネスの咆吼で一喝しつつ、シュタール団長が命じた。
そのとき。
――助けてくれ! 化け物だ、殺される!!
狂乱したも同然の念信が飛び込んできた。
――こちら、議会軍……師団の……。退却、退却だ! 付近の議会軍部隊に、救援を願う!!
絶叫を残してそれらの声はかき消えた。
敵軍と交戦中らしい。念信が届くということからして、それほど遠いところではない。
――見て、クロワ。あそこに炎が!
エリカのレオネスが顎で前方を指した。
街道の先、闇の中で地表が赤々と燃え、こうしている間にも爆炎や火柱が立ち上っている。
――団長!?
問いかけるクロワにシュタールは告げる。
――そうだな。お前たちの隊で偵察に向かえ。くれぐれも注意しろよ。
【続く】

※2001年4月~6月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第18話・後編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
7 魔獣の咆吼 ギルド随一、カリオス!
◇ ◇
――こちらカリオス。なおも交戦中の1体を除き、友軍機は全て大破。これより援護に入ります。
眼下で展開される修羅場を見つめながら、カリオスは母艦に念信を送った。
象牙色の鋼の虎と、ひとまわり大きい4匹の黒き猛虎。
議会軍のティグラーが反乱軍のハイパー・ティグラーに囲まれている。
すでに10体ほどのティグラーやペゾンが倒され、灌木の茂る荒野に転がっていた。
最後に残った隊長機も風前の灯火。
魔法金属の爪と牙が、漆黒の獣たちから繰り出されようとしたその時……。
異様な形の影が宙を駆け抜けた。
わずかに間をおいて、ハイパー・ティグラーの1体が膝を折って崩れ落ちる。
遠く《レンゲイルの壁》を背景に、新たなアルマ・ヴィオがそこにいた。
野生の山羊に似て引き締まった体、獅子の頭、野牛さながらの2本の角。背には翼竜を思わせる羽根。そして尻尾は、本体とは別の生き物であるかのように揺れ動く1匹の蛇。
荒々しい動物たちを組み合わせたその体には、他のアルマ・ヴィオよりもいっそう獰猛な性格が宿っている。
ギルド最強の繰士、カリオス・ティエントの操る魔獣《キマイロス》だ。
悪夢の中からさまよい出たかのごとき、妖しくも美しい姿……。それは幻かと目を疑ったとき、もうキマイロスは同じ場所には居なかった。
気が付くと、また1体のハイパー・ティグラーが腹部を貫かれ、地に伏している。
目にも留まらぬ早業であったが、相手も並みのエクターではない。
残りの黒き虎たちが疾風のように襲いかかり、その強靱な前足の一撃が、異形のアルマ・ヴィオに肉薄する。反撃に出る暇を与えぬまま、ハイパー・ティグラーはバネのような動きで右に左に飛びかかる。
巧みな連携で背後を取った別のハイパー・ティグラーが、同時に食らい付こうとする。これを回避することは不可能なはずだが……。
刹那、キマイロスの尻尾の蛇が鎌首をもたげたかと思うと、ループを描いて空に伸びた。それはハイパー・ティグラーの首に絡み付き、恐ろしい力で地面に引きずり倒す。
背中に目が付いているかのような、信じ難い動きだった。
だが息をつく余裕もなく、頭上からの閃光がキマイロスの周囲に突き刺さる。
――飛行型か!?
空中からの新たな攻撃に、キマイロスは素早く舞い上がった。
激しく飛び交う雷撃のビーム。新手の敵も複数だ。
カリオスは前面にシールドを張る。
側面、背後、また前面、と巧みに光の幕を張り替えながら、彼は敵の動きを探った。見事に全弾受け止めている。
ハイパー・ティグラーも背中のMgSを放ち、キマイロスを落とそうとする。
――下の敵を一気に片づける。
カリオスの思念に応え、キマイロスは宙返りして攻撃をかわすと急降下し、今度は地を蹴って駆ける。
地表を滑るように飛んでくる魔法弾も、この魔獣の残像をかすめて通り過ぎていくにすぎない。
たちまち距離を詰めたキマイロス。その口から凄まじい火焔が吐き出された。鋼鉄をも瞬時に溶かす炎がハイパー・ティグラー2体を飲み込む。
8 妖しくも美しい黒の貴公子、再び戦場に…
キマイロスは再び飛翔し、空の敵を求めて上昇する。
そのときカリオスは、いくつかの光が遠くで揺れ動くのを察知した。
――《蛍》か。呪文が来るぞ!!
キマイロスが雄叫びをあげ、その周囲を球状の結界が覆う。
瞬きひとつほど遅れて、機体の周囲で極低温の凍気が荒れ狂った。
キマイロスを襲ったブリザードは、そのまま吹き降りて地表をも氷結させる。MgSから打ち出された凍結弾とは比較にならぬ、強力な魔法攻撃だ。
――あれを正面から受けたにもかかわらず、無傷か。面白い……。
呪文を放った主が心の中でつぶやく。
黒と赤の2色に彩られたアルマ・ヴィオが3体、悠然と姿を現した。
キマイロスと同様に、こちらも人間のイマジネーションによって作り出された合成魔獣である。《アートル・メラン》、獅子の体に鷲の頭と翼とを持ったアルマ・ヴィオ。
それらのうちの1体は、他機にはない鶏冠を持ち、ちらちらと飛び交う光球を周囲に幾つも伴っている。通称《蛍》――空中魔法陣描画素子――すなわち《ランブリウス》を装備した魔法戦仕様、マギウスタイプの機体である。
乗り手は《黒の貴公子》、ミシュアス・ディ・ローベンダイン……。
――キマイロス、久々に手応えのある相手のようだ。嬉しいか?
カリオスの言葉に応えて、キマイロスが咆吼した。
アートル・メランも鷲のような声で鳴き、鋭く威嚇する。
ついに衝突か……と思わせた矢先、ミシュアスが部下たちに告げた。
――引き返すぞ。邪魔が入った。
雲のむこうから10機近くの飛行型アルマ・ヴィオが向かってくる。
グレーの数機は、飛空艦ミンストラから飛び立ったアサール・アヴィスだ。別の一群は、まさに鳥そのもののようなシルエットで一目瞭然、議会軍の要撃機アラノスである。
不意に、カリオスは敵からの念信を受け取った。
――私はミシュアス・ディ・ローベンダイン。そちらの名を聞こう。
――君が、黒の貴公子ミシュアス……。ただ者ではないと思ったら。私はカリオス・ティエント。ギルドのエクターだ。
――やはりそうか。ギルド随一のエクター、カリオス。ハイパー・ティグラー4体が手も足も出ぬとは、噂通りの凄腕だな。また会える日を楽しみにしているぞ。
冷ややかな微笑を残し、ミシュアスのアートル・メランは飛び去っていく。
9 高みに立つ者―パラス騎士団、神の剣閃!
◇ ◇
――そんな、ウソだろ……!?
一面に横たわるアルマ・ヴィオの残骸を前にして、アレスは絶句した。
黒こげになり、細々とした煙の筋を虚しく立ち上らせる、人の身ならぬ肉塊。
うち砕かれ、いとも容易く切り裂かれた巨大な甲冑。散乱する鉄片。
これらの夥しい鋼と肉の山は、たった今、ほんの一刻の間に作られたものなのだ。それは瞬時の出来事であった。
機先を制したはずの特務機装隊の上に、音もなく死神が舞い降りる。
3体のエルムス・アルビオレから剣閃がきらめき、雷光のごとき斬撃が、姿無き敵軍を精確にとらえていた。
インシディスの群れが完璧な動作でMgSに装弾した瞬間……引き金を引く間も与えられることなく、全ては終わっていたのである。
あまりにあっけない幕切れだった。当の特務機装隊士たちは勿論、彼らを送り出したマクスロウ少将ですら、これほど無様な敗北は想像していなかったに違いない。
――こいつら、とんでもない化けもんだ……。
アレスは生まれて初めて、自分の手の届かない相手を知った。すぐそこに死を意識した。
《最強》とは、こういうことなのだ。鷹のような目を持つ野生の少年も、聖騎士たちの剣を見切ることはできなかった。
剣士ダリオルは言うに及ばず、《音霊使い(おとだまつかい)》らしきエルシャルトでさえ(*1)――アレス自身よりも速く、否、これまでにアレスが見たどんな使い手よりも速く、MTソードを振るったのである。
30体近くのインシディスの集団は、元々何体いたのか数えることが不可能なほどに、散り散りの部品と化して雪原にぶちまけられていた。微動だにせぬガラクタに囲まれて、アレスのサイコ・イグニールだけがぽつんと取り残されている。
――なぁ! 何も本当にやっちまうことは、なかったんじゃないか!?
不満を示すダン。確かに彼は勇猛果敢な戦士だが、決して好戦的ではない。
――できれば戦わずに引き下がらせたかったのですが……こうなることは、彼らも基地を発った時から覚悟していたはず。一方が勝ち、他方が敗れる。それが戦士の定めというものです。
冷徹に語ったエルシャルトだが、その念信の響きには若干の哀れみがこもっていた。
唯一ダリオルは沈黙を守る。
思い出したかのように、エルシャルトがアレスに告げる。
――別に手品を使ったわけではありません。私にとっては、むしろ目を閉じている方が、敵の動きがよく分かるのです。ですから彼らのように精霊迷彩で姿を消したところで、無意味なこと……。さぁ、君はどうしますか?
弦をつま弾き、詩句を吟ずるエルシャルトだけあって、彼の念信の声も、思わず聞き惚れてしまいそうになるほど心地よいものだった。
だがアレスは、その柔らかな声に戦慄を覚えた。
――これが、パラス騎士団の力……。
もしあのままダンと戦っていたとすれば、サイコ・イグニールも瞬時に鉄くずに変わっていたかもしれない。
――こんなすげぇヤツら、初めて見た。燃えてきたぜ!
――嘘。馬鹿なこと言わないで。取りあえず逃げるの。
アレスの強がりをイリスは的確に見抜いていた。
――嫌だ!! 敵に背を向けて逃げるなんて。それにイリスの姉ちゃんだって、もう少しで助けられるじゃないか!
――無理よ。
冷ややかな響き。熱いアレスとは対照的に、情熱の迸りなどみじんも感じられぬ、悟りきった声だった。
――いいや、勝つ! オレは絶対に勝つ。絶対に絶対に勝つんだ!!
【注】
(*1)《音霊使い》は、不思議な力を秘めた呪歌を演奏し、あるいは歌うことによって、魔法の呪文と同様の効果を発生させる。ゲーム等では《吟遊詩人》というクラス名で呼ばれることが多い。一般的に言って、このクラスのキャラはしばしば弓が得意だとされる。
10 イリス、芽生え始めたこころ
だがイリスは、アレスを無視してイグニールに命じる。
――《メタ霊子曲面》で防御しながら、その間に最大出力で離脱して。
――了解した。だが今の状態では、メタ霊子曲面の維持は最大12秒が限度。
――構わない。それだけあれば上等でしょう?
――当然だ。
そう答えるが早いか、サイコ・イグニールの周囲に揺らめく靄のようなものが立ちこめた。
イグニールがわずかに浮上したのを感じて、アレスが反発する。
――おい、イグニール、逃げるのか!? こら、言うこと聞けよ!!
――アレスよ、その命令は受け入れられない。私にとってイリスの言葉は絶対なのだ。
アレスはたまらずイリスに食ってかかる。
――イリス、姉さんのことはいいのかよ! おい!!
――行って、イグニール……。
――行くな、イグニール! なぜ戦おうとしないんだ?
旧世界の竜に代わって、うら若き竜使いの娘が応える。
――あなたが死んでしまうから……。
イリスの言葉に、初めて感情の匂いがした。それがどんなに希薄なものであろうとも。
――アレスが死ぬのは、哀しい。
一瞬、返事に詰まったアレス。
そして彼の戸惑いを忘れさせるほどの、機体の急激な上昇。
旧世界の時代、星の世界を旅する船に追い風を与えていたという、神秘の動力機関《ステリアン・ヴォーリアー》がうなりをあげる。
そのとき地下遺跡から新たに現れたのは、セレナの乗ったエルムス・アルビオレである。
――待ちなさい!
セレナの機体も光の翼を開き、全速力で飛び立とうとする。
と、アレスの姿が不意に彼女の脳裏に蘇った。
彼と剣を向け合ったとき、セレナの瞳に焼きつけられたもの。正義の炎を宿した少年の目。真っ直ぐに未来を見つめる、汚れのない眼差し。
――それは、かつて私が持っていたもの……。
突然、彼女のアルマ・ヴィオの動きが止まった。大地からわずかに飛翔した後、再び翼は閉じられた。
――いけない、私、何をしてる!?
セレナは慌てて機体の姿勢を整えた。一体、自分は何を血迷ったのか。
――どうした、故障か? セレナさん、大丈夫かよ!?
ダンが叫ぶ。
その間、彼のエルムス・アルビオレは、小銃型の呪文砲――《MgS・ドラグーン》を宙に向け、凄まじい光芒と共に発射した。
空を切り裂く青白い光線が、雲間を貫き天空にまで突き抜ける。
ダンの操るエルムス・アルビオレは、他のパラス・ナイトのそれよりも、いっそう強力なMgS・ドラグーンを装備しているのだ。
飛空戦艦の《方陣収束砲》にも匹敵するというその魔法弾が、サイコ・イグニールをかすめて消えた。
的を外したのではない。ダンはわざと本体への直撃を避け、翼を狙ったのだ。それだけでも、アルマ・ヴィオの動きを止めるには十分すぎる威力である。
だが……。
――無傷!? そんな馬鹿な。
ダンの放った攻撃は、確かにイグニールをとらえたはず。しかし傷ひとつ与えることはできなかった。
――《メタ霊子曲面》は、あらゆる物理的攻撃・魔法攻撃を無効化する……。
イリスがつぶやく。
メタ霊子曲面に囲まれた機体は、理論的には《この世界に存在しつつ、この世界を含めたどこの世界にも存在していない》ことになるのだという。ただし、あまりに膨大なエネルギーを消費するため、ステリアの力を借りようとも、数十秒程度しか使用できない。
ダンが次の弾を込めようとしときには、サイコ・イグニールの姿は、恐るべき速さで視界から消えていた。ちょうどルキアンがアルフェリオン・ドゥーオと対峙した、あのときと同様に……。
11 古都ミトーニアに降る雨、すれ違う二人…
◇ ◇
ミトーニアもすでに黒雲の下にあった。
草原の古都を包む霧雨は、やがて横なぐりの風雨となり、時と共にその強さを増していく。
ひとたび動き始めた雲足は速く、昼頃の晴天が今では嘘のように感じられる。
強風に煽られるようにして、暗い空から降ってくる大粒の雫が、丘の上の城館に吹き寄せていた。
激しい雨をなぜか懐かしげに見つめながら、ランディが言った。
「思ったより強く降ってきましたな。春先にこれほどの雨とは、この辺りでは珍しいことです。いや、そういえば……」
茶を一口含んだ後、彼はカセリナの方を見て頷いた。
「貴女が幼い頃、私や兄たちと共に、この近くの小川に釣りに出かけたことがありました。覚えていますか?」
「そういうことも……ありましたかしら?」
カセリナは素っ気ない口調で答えた。恐らく彼女の記憶にも残っているのであろうが、どのみち、当人は敢えて話に取り上げる気もなかった。
無言のカセリナを前にして、ランディは苦笑いする。
「えぇ。その時も瞬く間に天気が悪くなって、今のような大雨になりましてね。我々は手近な木陰に駆け込み、慌てて難を逃れたのですよ。風は強まるばかり、雷も間近で鳴り響き、生きた心地がしなかった。それなのに貴女ときたら大喜びで、ずぶ濡れになりながらも、ますますはしゃぎ回っていた。考えてみれば、貴女はあの頃から活発な方だった……」
カセリナは適当に相づちを打ちながら、興味なさそうにうつむいている。
彼女のそんな様子を、斜め向かいに座っているルキアンがそれとなく見ていた。時々、横目で曖昧に視線を走らせて。
だがカセリナの横顔は冷たかった。彼女はルキアンの方からわざと目を背けるようにして、首を正面向きから動かそうとしない。
どこか不自然な2人の素振りに気付き、シソーラは目元を微かに緩めた。
沈黙がちな場の中で、ランディだけが独りで喋り続けている。
「しかし、お転婆が過ぎて、アルマ・ヴィオまで乗り回すのは……」
彼がからかうような口調で告げると、今まで無視を決め込んでいたカセリナが、にわかに眉をつり上げた。そして無意識のうちに、いかにも負けず嫌いな彼女本来の表情に戻る。
「女がアルマ・ヴィオに乗って、悪いとでもおっしゃりたいのですか? ランドリューク様も、お父様と同じですわね」
「いや、そういったことでは……。ギルドにも女性のエクターは山ほどいますからな。しかしエクターというのは、実際のところは野蛮な人殺しでもあるのです。それを貴女のような方が……」
カセリナは目を閉じて、気位の高そうな、反抗的な調子で言う。
「そういえば、そこのシーマー殿とかいう方も、エクターなのですね? あんなに優しげな顔をしていらっしゃるわりに、人は見かけでは分からないものですわ」
いかにもルキアンが《人殺し》だとでも言いたげな、棘のある口振りだ。相変わらず彼女は、ルキアン本人の方を見てはいない。
「そんな、ぼ、僕は……僕は……」
口ごもるルキアンに、今まで黙っていたナッソス公が尋ねる。
「君のような将来ある若い貴族が、ギルドなどに関わっているとは残念な話だ。一体、なぜ君はギルドに? 何のために戦う?」
公爵の眼差しが、獲物を捕らえようとする鷹のごとく、ルキアンを鋭く見据えた。
「そ、それは……」
ルキアンは答えに詰まってしまう。
12 理由なき抜き身の剣 揺れる存在意義
公爵は、半ば小馬鹿にしたような、半ば同情するような態度で告げる。
「若い人間の情熱は素晴らしいものだ。しかし若さゆえの勢いが、逆に過ちにつながることもある。頭を冷やしてよく考えてみることだ……。大方、ギルドの《人買い》たちの口車に、まんまと乗せられたんだろう? 《君には見どころがある。自分たちと共にこの世界を変えよう》などと……」
公爵は珍しく表情を和らげ、ルキアンに諭した。
「何かを《成し遂げ》、それによって己の《存在意義》を確かめようとするのは、立派なことだ。だがな、そんな思いを簡単に形にできるほど、世の中は甘くないのだよ。もし君が……ほんの少しぐらいならば、今日明日中にでも、自分の力で何かこの世界を変えられると考えているのなら……それは誤りだ。理想だけではなく、地位や人脈や金や、様々な《力》が必要なのだ。それらを度外視して、一足飛びに何かいっぱしのことを成し遂げたいとは、虫が良すぎる。理想や情熱だけでは大きな人物にはなれぬ」
ナッソス公の言葉にも一理あると思いつつ、いや、公爵の言ったことが現実には正しいのだろうとも考えつつ、ルキアンは恐る恐る反論し始めた。
「そ、そうですね。そうかもしれません。でもそういった世の中の必要悪を、それを仕方がないことだと言っているだけでは、あの……何も変わりません」
最初は遠慮がちだった彼の言葉が、次第に熱を帯びる。
「変わらないどころか、せっかく世の中を《変えよう》と思っている人たちに、やる気を失わせてしまうことにもなりかねません」
公爵はわざわざ綺麗事を並べようとはせず、躊躇せずにこう言い切る。
「それが世の習いというものだ。言葉を慎みたまえ、必要《悪》ではないよ。そもそも、どうして今の世を変えねばならんのかね? 君は何が不満だ?」
「僕は……」
うつむき加減で手を組んだルキアン。
「不満は色々と有ります。でも、それは構わないんです。だって不満は、人間なら誰にだってあるものだから。我慢するときはしなくちゃいけないです。でも、ただ、嫌なんです……。いつもいつも受け身で自分の考えを殺してばかりで、いくつもの不満を《どうせ変えられないよ》と思い続け、言い続けて、自分をごまかすための材料にしてきた僕自身が。《何も変わらない》と思い込んで、何もしようとしないこと、それ自体が……」
にわかに熱弁を振るい出したルキアンに、ナッソス公は顔をしかめ、カセリナは複雑な面持ちで眼を見開いた。
シソーラは意味ありげに、ニヤニヤと目を細めている。
――まぁ。ルキアン君がこんなに熱く語る人だったとはね。意外だわ。青臭いけど、その真剣さが可愛いじゃないの。ふふ、頑張れ男の子……。
ランディも、気のない素振りを装いながら、少年と公爵のやり取りを愉快そうに見守っていた。
――煮え切らないヤツだと思っていたが、彼もなかなか言うもんだねぇ。親爺殿を前にして一歩も引かないとは、大したもんじゃないか……。さすがはクレヴィス、目の付けどころが違うな。もしかすると、これはなかなかの拾い物をしたかもしれん。
ルキアンはさらに話し続ける。己に酔い始めた少年の舌は、もはや留まることを知らなかった。
「何かを変えられるかどうかなんて問題じゃありません。まず勇気を出して自分の思いを行動に示してみることが、それ自体として大切なのだと思います。そして、その行動が持ち得る《意味》によって、僕は自分の《存在意義》を少しでも取り戻すことができるかもしれません。その一筋の希望の光を、僕は信じてみたいのです。僕が僕であることができるように……」
何かに憑かれたかのごとく、そう語り終えたルキアンは、額にうっすらと汗を滲ませている。
「ふん……。だから無頼の漢たちと徒党を組んで、一花咲かせようというわけか? 全く支離滅裂な話だ」
ナッソス公は冷淡に鼻で笑った。情熱を生真面目に吐露した少年に対し、公爵が示した答えはそれだけである。
「要するに君というのは、具体的な目的もなく……ただ自分が必要とされたからといって、それに喜びを感じて暴徒どもに力を貸す、いわば《理由を持たぬ抜き身の剣》のような人間だな。戦う理由を、いや、自分の存在意義とやらさえ、結局は他人に預けている……」
相手をするのも馬鹿馬鹿しいという顔つきで、公爵は溜息をつく。
だがルキアンは動揺を見せなかった。ある意味、開き直ったのか、変に落ち着いた様子で彼は黙っている。その瞳には不思議な意志の力が浮かんでいた。
――分かってる。そんなこと、言われなくても分かってるよ。でも何かが見えてきたような気がするんだ。僕はもう少し時間が欲しいんだ。そうすれば、そうすればきっと……。
心の中でつぶやきながら、少年は、窓を打つ激しい雨音に耳を傾けた。
【第19話に続く】

※2001年3月~4月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第18話・前編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
迫り来る嵐を前にして、僕はまだ戸惑っている。
――理由をください。守るべきものさえない惨めな自分に。
それでもこの手はすでに剣を握っていた。僕は理由なき戦士になる。
◇ 第18話 ◇
1 旧世界の日記―天空植民市、崩壊の真相?
《塔》の天空人の日記より
某月某日
……《アストランサー》の試作体が《処置》の直前に逃亡したのは、ど
うやらエインザール博士の仕業だと思われる。事件の直後、博士もアルマ・
ヴィオを使って地上界に逃走。彼が《アストランサー計画》に反対してい
たのは知っているが、なぜこんな暴挙に出たのだろうか?
某月某日
……逃亡した試作体《ミリュウス》の行方がようやく判明。地上に降下
したアストランサーが、ミリュウスらしきものによって倒されたというの
だ……。エインザールは自ら地上人に手を貸し、かつて地上に追放された
ルウム教授とも接触したもよう。
某月某日
……エインザールのアルマ・ヴィオによって、地上討伐軍が甚大な被害
を受けている。《全身が燃え盛る炎のように赤い、翼を持った悪魔》……。
売国奴エインザールは、最初から天上界に反逆するつもりで、あのアルマ・
ヴィオを開発していたのかもしれない。一部では、《教会》関係の地下組
織から彼に資金が流れていたという噂もある。
某月某日
……天空都市《ピスケオス》の大惨事。非戦闘員まで含め、犠牲者は膨
大な数に及ぶ。恐れていたことが現実になってしまった。《紅蓮の闇の翼》
は、とうとう天にまで達したのだ。他方、地上人たちによって討伐軍は次
第に追いつめられている。このままでは《世界樹》が奪取されるのも時間
の問題かもしれない。最後の切り札だったアストランサーさえも、あの忌
まわしいミリュウスに次々と倒されている。
某月某日
……ピスケオスに続き、天空都市《トーラ》も、エインザールの赤いア
ルマ・ヴィオの餌食になった。我々の《ゲミニア》もいつ滅ぼされるか分
からない。このような状況の中、《教会》は国に反旗を翻したに等しい。
教会を支持する天空都市《ヴィエルゴ》も独立を宣言し、地上人との単独
和平交渉を開始し始めた。
◇
「この日記も、例の友人が解読して私に知らせてくれたものです。これを書いたのは、パラミシオンの《塔》で仕事をしていた研究員あたりでしょうか……。おや、降り出したようですね」
水滴がぽつりと窓に当たったかと思うと、たちまちのうちに激しい雨が外の景色をにじませた。低くたれ込めた雲の向こう、草原の地平線はもう見えない。
小さく伝わってくる雷鳴を聞きながら、クレヴィスは言った。
「日記を納めた《ディスク》……どこにあったものだと思います? 塔の2階に並んでいた、あの何の変哲もない研究室のひとつです。無駄だと言いつつも、少しは調査しておいて良かったですね。資料室に大切に保管されていた文書よりも、机の上に転がされていた個人的雑文の方が役に立つとは、いささか皮肉なものですが」
クレヴィスの静かな声だけが部屋に漂う。
2 隠された予言 !? 終焉を呼ぶ紅蓮の闇の翼
言葉を発することもできず、じっと紙の束を見つめるシャリオ。
継ぎ目の無いのっぺりとした白壁と、その内側に埋もれて見えない柱。装飾をほとんど廃した、あたかも箱の中にいるような四角い空間――いわゆる《旧世界風》の様式である。
この単純極まるラウンジは、現世界人であるクルーたちには人気がない。機能性や合理性を崇拝する旧世界人とは、審美眼も違えば、《居心地の良さ》の感覚も相当に異なるのだ。
室内にはクレヴィスとシャリオ以外に誰もいない。もっとも、ここならば空いているだろうと考えて、わざわざ2人はこの退屈なラウンジにやってきたのだが。
「人間の思い込みというのは、怖いものですわ……」
しばらくしてシャリオも、伏し目がちの表情で話し始めた。
「《平和で豊かな旧世界》の中で、あのように残酷な実験をしてまで人々が得たかったものは何か? 私たちはそんな疑問を感じていました。でもそれは全くの勘違いでした。旧世界のうち、ごく一部の平和で豊かなところ……つまり《天上界》の人間たちが、《地上界》との戦いに用いる兵器として、人体を改造し、何か恐ろしいものを作り出そうとしていたのでしょうか? わたくしにはそんなふうに思われますの」
「旧世界の真の姿と、あの塔で行われていた実験の意味。おぼろげながらも見えてきましたね。シャリオさんのおっしゃる通り……《アストランサー》というのは、追い込まれつつあった天上軍がなりふり構わず開発した、本来《禁じ手》であるような類の生体兵器ではないかと考えられます。しかし我々の現世界にとって深刻な問題は、むしろ……」
そうですね、と頷いたシャリオは、クレヴィスの書いたメモを見た。そこには《沈黙の詩》に出てくる《紅蓮の翼》という箇所が記されている。
暗き淵に、すなわちその蒼き深みに宿りし光が
憎しみの炎となりて、真紅の翼はばたくとき、
終末を告げる三つの門は開かれん。
「日記の叙述にある《紅蓮の闇の翼》や、《全身が燃え盛る炎のように赤い、翼を持った悪魔》という表現は、たしかにこの一節を連想させますわ。旧世界の滅亡を伝えるとともに、その惨禍の再現を暗示する《詩》のことばを……」
現世界の終焉をほのめかす予言詩――シャリオの心の中で、その謎歌がにわかに現実味を帯び始める。
彼女はおもむろに顔を上げ、深刻な視線をクレヴィスに向けるが、彼の方はいつも通り落ち着いていた。
「おっしゃる通りです。かつて天上界に恐怖をもたらした《紅蓮の闇の翼》が、つまりエインザールという人物の生み出した赤いアルマ・ヴィオが、現世界に再び蘇るとき……。いささか早計である気もしますが、そんなふうに置き換えてみるとどうでしょう」
「赤い、アルマ・ヴィオ……」
「えぇ。ところでシャリオさんは、《空の巨人》という言葉をご存じですか?」
「《大きな木》の昔話に出てくる《雲の巨人》とは、また違うのですね?」
3 光と闇、アルフェリオン、そして少年
首を傾げた彼女にクレヴィスが説明する。
「難しいところです。両者が同じものを指しているという見方も、できなくはないのですよ。それはともかく、《空の巨人》というのは古文書にも実際に登場するのですが、どうやらこの《巨人》が旧世界滅亡の引き金になったらしいのです」
太古の昔を幻視するかのような、遠い目をしてクレヴィスは語り続ける。
「私はこれまで、《沈黙の詩》に含まれる《紅蓮の翼》の一節は、実は《空の巨人》について述べているのではないかと考えていました。そして《炎》や《真紅》というのは、《憎しみ》を強調するための比喩だと理解していたのです。しかし友人から先程の《日記》のことを伝え聞くに及んで……《紅蓮の翼》とは文字通りの赤色だったのだと、自然に解釈する方がよいと思ったのです。ならば……あの件は、私の取り越し苦労だったのかもしれません」
《取り越し苦労》と言った後、クレヴィスが微笑んだのを見て、シャリオにも感ずるところがあった。
「それは、ひょっとしてルキアン君とアルフェリオンのことですか?」
「察しがいいですね。アルフェリオンの持つ想像を絶する破壊力と、6枚の翼とを目にしたとき……私はあの旧世界のアルマ・ヴィオこそ、蘇った《空の巨人》ではないかと危惧し始めたのです。勿論、まだその可能性が否定されたわけではありませんが」
「副長のお考えでは、《空の巨人》、《紅蓮の翼》、《エインザールの赤いアルマ・ヴィオ》は、全て同じものだということになりますわね。もしそうだとすれば、白銀色のアルフェリオンは……」
微かに浮かぶ安堵の表情。やはりシャリオにも、これまで不安感があったようだ。あまりに凄まじい力を秘めたアルフェリオンが、現世界に大いなる災いをもたらしかねないと。
溜息とともに、シャリオも笑みを浮かべた。
「するとクレヴィス副長は、アルフェリオンが《空の巨人》かもしれないと思いつつ、それでもルキアン君を信じて賭けたのですね」
「さぁ、どうでしょうか。とりあえず私は、彼の心が闇にとらわれてしまわぬように……私にできる手助けをしてあげたかっただけなのかもしれません。不遇の中でもルキアン君が決して失わなかった優しい心、《暗き淵に宿る光》が《憎しみの炎》となってしまう前に、彼に自分の生きる意味を見いだしてほしかったのです。その《意味》を彼が探し出せるに違いないという点では、彼を信じていたことになりますね。大丈夫ですよ、ルキアン君なら……」
クレヴィスは気楽な口調で、他人事のように物語る。
「昔、1人の男がいました。彼はこの世界を憎んでいた。それでも世界をどこかで信じていた。そんな彼をこの世界としっかり結びつけた細い光の糸……彼が本当に信じ、心から愛した人間。そのたった独りの大切な人と道を違えたときから、彼は虚無の中で戦いに身を投じ、修羅の日々をさまよい、憎しみの炎の命ずるまま多くの血をすすった。そんな男でも、変わることができたのですからね……」
いつも淡々と笑っている彼の目が、一瞬、寂しげに曇った。
4 精霊迷彩! 姿無き死神インシディス
◇ ◇
切り立つ断崖を舐めるようにして、麓の方から風が吹き上げてくる。
凍て付いた空気の中で、季節に取り残された雪が舞い散った。
一陣の風と共に、突然降ってわいたかのごとく、不気味なアルマ・ヴィオが次々と姿を見せる。議会軍・特務機装隊の用いる《インシディス》だ。
暗灰色の機体が辺りを埋め尽くし、細長い腕をカタカタと揺らしながら、赤い独眼を光らせるその様子は、あたかも霧の中に浮かび上がる死霊の群を思わせた。
――何だ、新手か!? 卑怯だぞ、機装騎士なら一対一で堂々と勝負しろ!
アレスはダンに見当違いの念信を送る。サイコ・イグニールとエルムス・アルビオレが、まさに斬り結ぼうとしていた時のことだった。
――ち、違う……オレは名誉あるパラス・ナイトだぞ! そんな汚い手なんか使ってたまるか。関係ない、こいつら議会軍が勝手に出てきたんだ。
勝負を邪魔されたダンは、腹立たしげに答える。
――議会軍? そうか。お前たち悪者を退治するために、軍もアルマ・ヴィオを差し向けてきたんだな。へっへっへ。ざまーみろ。
全く状況を理解していないアレス。
彼やパラス騎士団のアルマ・ヴィオは、《精霊迷彩》で姿を隠しつつ接近した特務機装隊によって、今や完全に包囲されていた。うごめくインシディスは20数体にも及ぶ。
元よりパラス騎士団側には、話し合いに応ずる意思はない。その点についてはファルマスがすでに指示した通りだ。
エルシャルトは不敵な調子で念信を発する。上品だが冷ややかな心の声が、議会軍のエクターたちに伝えられた。
――わざわざこんな山奥までお出ましとは、ご苦労なことです。しかし事前に何の連絡もないどころか、多数のアルマ・ヴィオを送ってよこすなどとは、穏やかではないですね。一体何のご用です?
しばらくにらみ合いが続いた後、議会軍側から返答があった。
――知れたこと。貴殿たちがここで行っている作業を、ひとつ拝見させていただきたい。
――残念ですが、それはかなわぬことです。そもそも私たちは陛下にお仕えする者。議会軍から口を出される筋合いなどありません。
――ならば聞こう。《大地の巨人》の復活は、この世界全体の行く末に関わる問題……それでも我々には無関係であると?
エルシャルトと特務機装隊の長との間でやりとりが続く。
――確かに無関係とは言えません。しかし世の中には、敢えて関わらない方がよいこともあるのです。
――あくまで拒否するというのなら、こちらも強硬手段を取る他はあるまい。
隊長がそう伝えた瞬間、再びインシディス各機の姿がかき消えた。そして目に見えぬ包囲陣の間から、MgSに装弾する音が微かに響く。
5 フィスカの純真、凍てついたメルカの心…
◇ ◇
「さぁさぁ、お立ち会いですぅ。ここに取り出しましたる、未来を占う22枚のカード。知りたいことが何でも分かる、不思議なカードなのですぅ」
怪しげな能書きを並べて、フィスカはテーブルの上にカードの山を作る。鈍そうに見える彼女だが、札を切る手つきは予想外に滑らかだった。
フィスカの正面にはメルカが退屈そうに座っていた。ご機嫌斜めのメルカは、むっつりとした顔つきで目をこすっている。
クレドールの医務室――フィスカとメルカの2人しか居ないと、がらんとして随分広く感じられる。薬草の香りが漂う閑静な部屋に、フィスカのとぼけた声だけが響く。
「まず、こうしてカードをかき混ぜます。それでぇ、あの……メルカちゃん、聞こえてますかぁ?」
フィスカはメルカの前で手を振った。
黙って首だけを大きく動かし、うなずくメルカ。
カードを山から1枚、2枚……全部で5枚手に取ると、フィスカはそれらを裏返しにして、卓上で十文字型に並べた。
カードの裏に描かれている絵は2種類。
揺れる炎のたてがみを生やした、二重瞼の太陽。
寂しそうに涙をひとしずく垂らしている、横顔の三日月。
フィスカはカードの山を手に取り、もう一度ていねいに切り直すと、メルカの前に差し出した。
「ほいっ。メルカちゃんもカードを1枚引いて下さいねぇ」
だがメルカは両手を膝の上に置いたまま、動こうとしない。
彼女の小さな手は何かを握りしめていた。1枚の便箋、それはルキアンが書き綴ったあの手紙だった。インクが点々と青黒く滲んでいる。
俯いたメルカは、頭の上にそっと手が触れるのを感じた。
ふんわりとした金色の髪が寝癖で乱れている。フィスカは少女の髪に手ぐしを入れて、軽く整えてやった。
「お姉ちゃん……」
か細い声でつぶやき、フィスカを見上げるメルカ。
「喋りたくないときには、無理して口を動かすのじゃなくって……とりあえず手を動かしたりするのが一番ですぅ。さぁさぁ、カードを引いてください」
フィスカの笑顔は、どことなく間が抜けた感じがするものの、真夏の花のように明るく純真だ。その暖かさは、少女の凍り付いた心にわずかでも届いたのだろうか?
6 「僕は、僕でしかあり得ないのだから」
◇ ◇
カセリナとの間の悪い再会に、ルキアンは力なく肩を落とした。
少年の胸を吹き抜けた春風は、ほんの一瞬でどこかに去ってしまった。
虚ろな目に漂う自嘲、唇には歪んだ微笑。
――あはは。そうなんだよね。そうさ……いつもの通りだ。こんなことだと思ってたんだ……。
「親爺殿、彼がルキアン・ディ・シーマー君です」
ルキアンの背中をランディが両手で軽く押した。
「えっ? あ、あの……その、公爵、は、拝謁できましたことを、光栄、に、存じます」
突然のことだったため、ルキアンは自分が何と言って挨拶したのか分からなかった。頭の中が真っ白のまま、ろくにお辞儀もせずに固まっている。
彼の無様で不作法な態度にナッソス公は眉をひそめた。もっともランディと相対するときと比べれば、公爵は遙かに機嫌良く思われるが。
ルキアンの肩をぽんと叩きながら、ランディが言った。
「彼は私たちを二度も危機から救ってくれましてね。これでなかなか頼もしい仲間なのですよ。《銀の天使》と共に、彼は私たちに奇跡(マジック)を見せてくれたのです。まぁ、この少年は本物の魔術師ですな」
「ほぅ。ランドリューク、お前からそんな素直な言葉を聞くとは珍しい」
公爵はいかにも疑わしげにルキアンを見やった。この陰気で軟弱な青二才が、果たしてそれほどの人間なのだろうか? 公爵の瞳はそう語っている。
他方、ルキアンの顔つきもわずかに変化した。
――頼もしい、仲間? マッシア伯は僕のことを《仲間》だと思ってくれているのだろうか。僕なんかのことを。どうしてこの人たちは、僕にもこんなに自然に接してくれるのだろう?
そう、《いつもの通り》ではない。貧乏くじを引いて傷ついたところまでは、確かにこれまでと何ら変わる点がなかった。だがそんな自分を支えてくれる人たちがいる。今は……。
ルキアンの目から涙が流れ出た。
こんな場面が来ることは永久にないのだろうと――予め失われた瞬間を空しく待っていた心の雫だ。
慌ててそれを拭い、姿勢を正す彼。
ふと見ると、冷たくそっぽを向いているカセリナが涙のむこうに映った。
しかし。彼は《怯え》なかった。体の中で何かがこれまでとは違っていた。
今までずっと、誰かに認めて欲しいと、おぼれる子供のごとく誰かに必死ですがろうとしていた。そうすることを止めてしまったなら、自分が人間だという証がなくなるような気がして。怖くて、怖くて。
そして他人に拒否されるたびに、背中に負っている影が膨らんで、なおさらの重荷となって自身を苛んだ。
自分を責めた。衆人とは違う己の性格は、要するに《心の奇形》なのだと。僕だけがおかしいのだと。
しかし。今なら心の目を開くことができるかもしれない。
――逃げるな。ここで立ち止まれルキアン。ひとりの人間として……世界と孤独に向かい合うときの、この巨大な重荷を恐れるな。潰されちゃダメだ! たった一歩でもいいから、前に、前に出るんだ!! そうすれば、いつか誰かが分かってくれる。いや、分かってくれた。やっと本当に僕を受け入れてくれる人たちに出会えたんだ!! だから……。
ルキアンは何度も念じる。
自分の体に、一点、小さな亀裂が走ったような気がした。
――恐れないで。勇気を出すんだ。許してあげようよ! 自分を許してあげようよ! 僕は僕を許そう。そうしなくっちゃ、だって、だって……。
《僕は、僕でしかあり得ないのだから》
投げやりではあれ、生まれて初めてそう思えた。彼にとっては奇跡だった。
◇
そのとき……。
格納庫に眠るアルフェリオン。
鋼の体の下、動力筋と液流組織に覆われた暗闇の奥。
あの黒い珠が微かに光った。
――今のあなたになら、できるはず。私を見つけて。早く、私を……。
【続く】

※2001年3月~4月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第17話・後編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
11 嵐の前…ギルドの繰士、ひとときの休息
◇ ◇
「だからさぁ、あたしは……。アンタねぇ……おい、人の話聞けよっ!」
市場のおかみさん連中にも負けない気っ風の良い声が、部屋の向こうから廊下にまで響いている。声も大きいが、言葉遣いもやや乱暴だ。
クレドールの乗組員であれば、メイが喋っているのだとすぐ分かるだろう。
《赤椅子のサロン》の近くを歩いていた人影が、苦笑いしながら立ち止まる。
「おやおや。先客がいましたか。これはまた賑やかなお茶会のようですね」
ラウンジをそっと覗き込んだのはクレヴィスだ。
中にいる者たちは話に夢中で、彼には全然気づいていない。メイが相変わらず、手厳しい言葉でバーンをやり込めているらしい。
喧嘩するほど仲が良いとも言われるではないか……放っておけばよいものを、わざわざバーンに助け船を出しているのが、クレメント兄妹のカインだ。彼のとぼけた声は聞き取りにくいのだが、例によって何か意味不明の発言をしたらしく、メイが今度はカインにかみついている。
するとカインの隣に座っていた妹のプレアーが、メイに向かって盛んに文句をぶつけ始めた。これまたよく聞こえないが、《お兄ちゃん》という言葉がやたらと連発されていることだけは分かる。
メイとプレアーのやり取りにベルセアが横槍を入れ、面白半分に煽る。彼だけはクレヴィスに気づいて、力の抜けた笑みを浮かべつつ手を振っていた。
この大騒ぎの中で、ひとり涼しい顔で座っている金髪の青年が、ギルドでも指折りのエクター、レーイ・ヴァルハートである。彼の容貌自体は凛々しく、そして逞しく、あたかも古代の英雄像が動き出したかのような勇士ぶりだ。しかし見かけの姿が立派であればあるほど、隅の方で地味にお茶をすすっている彼の振る舞いは、あまりに不似合いで滑稽なのだが……。
戦士たちの束の間の休息――それを眺めていたクレヴィスが、微笑ましそうにうなずく。
目の前の小さな安逸は、風に漂う木の葉のようにはかない。明日、明後日……いまここで笑っている者たちが、全てまた顔を揃えるとは限るまい。結局、歯に衣着せぬ表現をすれば、戦争とは《殺し合い》なのだから。
彼らの大切な時間を邪魔をしたら悪いと考えたのか、クレヴィスはラウンジからこっそり離れた。
「エクター同士の親睦会……いや、打ち合わせですか。私たちは場所を移した方が良さそうですね」
「えぇ。それがよろしいですわ。隣で小難しい話をされては、せっかくお楽しみ中の彼らも気が滅入ってしまうでしょうから」
普段着の白い法衣の上に、長いケープを掛けているシャリオ。彼女は華奢な指先を口元に当てて、目だけを細めて笑っている。
再び歩き始めた2人。
「ところでクレヴィス副長、軍との会議の方はもうよろしいのですか? 昨晩は徹夜の討議が続いたと聞きましたが……どうか、あまりご無理をなさらないでくださいね」
「お心遣い感謝します。幸い、私が顔を出すべき要件はもう片づきましたので、今はカルとノックス艦長に交代しましたよ。ヴェルナード(=ノックス)は、元々が軍人ですからね。ああいう肩の凝りそうな話の席にも慣れているようで。私はどうも苦手ですよ。やはり古文書のことでも論じている方が、ずっと楽しいのかもしれません。それで、シャリオさん……」
クレヴィスはポケットから数枚のメモを取り出す。見慣れぬ言語で何か走り書きがしてある。魔道士や神官の使う筆記体で綴られた、古典語の文章だ。
「急にお呼び立てして申し訳ありませんでしたが、実は、この件について貴女のご意見をお伺いしたいのです」
12 翼の謎、いにしえの『沈黙の詩』は語る
彼に手渡された紙切れを見た途端、シャリオの表情がにわかに真剣味を帯びた。いや、興味津々に瞳を輝かせたと言った方がよいかもしれない。
「パラミシオンの《塔》で発見した沢山の《ディスク》ですが……例の《知恵の箱》を管理している友人に、ネレイの街から急ぎの荷で送ったところ、早くも念信が帰ってきましてね。その要点をメモしたものです」
クレヴィスに告げられるまでもなく、シャリオは紙に書かれていた文のひとつに目を留め、それを心の中で繰り返した。
――すなわち……が、憎しみの炎となりて、真紅の翼羽ばたくとき……。これは《沈黙の詩》の一節、《紅蓮の翼》と称される不可解な箇所!?
高揚した面持ちで、シャリオはクレヴィスを仰ぎ見る。
眼鏡の奥に意味深な微笑をたたえ、彼は黙って頷くのだった。
◇ ◇
薄雲のヴェールの向こう、かすかに青を透かしていた空。
それがいつの間にか灰色に濁り始めていた。
見上げるような白い城館が、迷路を仕切る壁さながらに広がる。
その谷間にひっそりと作られた、時に忘れられた小さな中庭。
野の草茂る湿った地面を踏みしめながら、
暗い目をした少年が、じっと見上げていた……
ただひとつ、外の世界に向かって開けた空の天井を。
――夕方には、降り出すかもしれないな。
流れ着き始めた雨雲を見つめながら、ルキアンは思った。
風も心持ち強くなり、生暖かい空気を肌が感じ取りつつある。
あらしが……春の嵐がやって来るのだ。
――嫌だな。雨か。
彼は頭を垂れ、足元に横たわる蔓草(つるくさ)を眺める。
そのとき、背後で密やかな声がした。
「何を悩んでるのかなぁ? 少年」
「シソーラさん!!」
耳に息を吹きかけられ、ルキアンは慌てて身をすくめた。
「ふふ、可愛いっ。どうもお待たせ。あなたを呼びに来たのよ」
そのままシソーラに手を取られるルキアン。彼は困った顔で尋ねる。
「呼びにって、どういうことですか? 妙に早いですけど、まさか会談がもう終わったわけじゃ……」
「その会談が問題なのよねぇ。予想されていたことだとはいえ、全く進展なし。お互い、慇懃無礼な悪口の応酬って感じ。疲れる疲れる。公爵もさすがに嫌気がさしたのか、いったん話し合いを休止してお茶会でも開こうということになってね。それで、ルキアン君も一緒にどうかと思ってさ」
「え、あの、困ります。僕なんか……場違いです」
ルキアンは即座に首を振った。
彼の背中をぽんと叩いた後、シソーラは強引に引っ張っていこうとする。
「遠慮しなくていいってば。大体ねぇ、今どき家柄なんてそんなに気にする必要ないワケよ。あなたも知ってるでしょ……由緒正しい大貴族が、成り上がりの商人のご機嫌をさんざん取って、借金の期限を伸ばしてもらっているようなご時世なんだからさ」
「で、でも僕……」
「もぅ。困った子ねぇ。公爵自身もぜひ来てくれと言ってるんだから」
13 ルキアンもお茶会に招かれ…
シソーラは彼に身を寄せると、今度はハスキーな作り声でつぶやき始める。どうやら愚痴で泣き落とす作戦に出たらしい。彼女が《ルキアン》と呼ぶたびに、その名前の語尾のところが変に鼻にかかっていた。
「ルキアン君。あなたが来てくれた方が、雰囲気が和らぐと思うのよ。ランディのバカと公爵が元々あんまり仲良くないから……場の空気が息苦しくて、倒れてしまいそうだわ。私までとばっちりを食らって、棘のある言葉でさんざん虐められるのよ。ひどいと思わない? ねぇ、お願い……」
どこまで真面目に言っているのか、よく分からない言葉だが。
「ほら、ルキアン君。早くっ、早くっ!」
やんわりとしているようでも、シソーラの押しの強さは半端ではない。ぐずるルキアンだが――かといって誘いを断るだけの気力もなかったので、結局、彼女の勢いに負けて引き立てられていく。
ルキアンの力ない足取りは、これから売られていこうとする子牛を連想させる。他方、してやったりという顔つきのシソーラ。
そんな彼らの様子を見て、屋敷の警護をしている兵士が首を傾げていた。
◇
淡い青と白とに囲まれた、薄暗い空間――窓から差し込む光と、ひんやりとした空気に包まれて、漆喰で作られた唐草が壁から天井に向けて這い上がっている。
十分に余裕を持った広さの、贅沢な踊り場の設けられた階段。
壮麗な城館の内部を眺めつつ、ルキアンとシソーラは登っていく。
「あの、シソーラさん……」
「うん。何?」
「ちょっと、聞いても、いいですか……」
遠慮がちなルキアンの声が、天井にか細くこだまし、壁や柱の奥に張り付いた影に吸い込まれていく。
「シソーラさんも、こんな立派なお屋敷に住んでいたのですか?」
彼女がしばらく黙っていたので、ルキアンは気がねし始めた。
「あ、あの、お気を悪くなさらないで下さい。ごめんなさい……」
過去を思い起こすということは、シソーラにとって、取りも直さずあの革命の悪夢と向かい合うことでもあるのだ。何故にそんなことを尋ねてしまったのだろうかと、ルキアンは自分の浅はかさを悔やむ。
ようやくシソーラの声がした。彼女は静かに語り始める。
「あたしの家は町の中にあったから、館をここまで大きくするのはさすがに無理よ。いくら大貴族でも、普通はナッソス家ほどの財力なんてあるわけないし。ま、中身の派手さは似たようなものだったけど。でも、がらんと広い屋敷の中に大人ばかり。そんな世界、子供の頃には寂しかったな……」
「シソーラさん、ご兄弟は?」
「兄がいたらしいんだけど、小さいときに流行りの病で亡くなったんだって。あたしが生まれる前のこと。ずっと後になって、弟が生まれたんだけどね。だから随分長い間、兄弟はいなかったのよ。ルキアン君は?」
ルキアンの表情が不意に曇った。うつむいたまま、彼は黙って階段を上っていく。偶然とはいえ、それはシソーラの心を乱したことゆえの天罰なのかもしれない。
「僕は……」
――僕は、両親の本当の子ではないのです。
と、彼は言おうとした。しかし、その言葉を口にするのを避けてきた過去の習慣から、無意識のうちに適当にごまかしてしまう。
「兄がいました」
それは確かに事実だ。シーマー家の兄たちが。
14 孤独と向き合え、精神の淵に潜むもの
◇ ◆ ◇
――どうして、お兄ちゃんたちはみんな綺麗な服で、僕だけこんな服なの?
――兄さんたちは、今日は馬で森に駆けに行ったんだ。でも僕は行かないの。いいんだ。どうせ連れていってもらえないから。どうせ僕は……。
――ねえ、あなた……あんな子なんてもらわなければ良かったわ。
――声が高いぞ。あの子が聞いていたらどうするんだ。
――いいの。だって僕は……。
――僕は、いらない人間。誰にも必要とされない……。
僕は、いらない人間。
僕は、いらない人間。
いらない人間。
いらない人間。
いらない。
いらない!
昔の自分の姿が、ルキアンの脳裏に不意に蘇る。
忘れておきたかった記憶。もう永久に鍵を掛けておきたかった灰色の思い出。
だが、幼い頃の出来事を心の中から消し去ってしまおうとも、結局は同じだった。彼が《いらない人間》であることに変わりはなかったから。その後も。別のどんな世界に行っても。
そして苦しみに満ちた回想が……。凍り付いた日々の闇。
ただひとり、冷たく、音のない晩に。
ルキアンはいつものように、野ざらしになった小さな礼拝堂に駆け込んだ。
蜘蛛の巣と、ひび割れた石壁と。
月明かり。暗闇の中で、それは白く微かに光っていた。
女神セラスの彫像が、あくまで柔和な微笑をたたえて彼を見守っている。
滑らかな象牙色の石の肌に、月の光が照り映えては、深い闇の奥へと吸い込まれるように消えていく。
「僕は……こんなところで自分を見失ってしまうのは嫌です」
「でも、どうしても止められない怒りが……怒りが次第に僕の中に満ちあふれていくことが……心が荒んでいくことが、自分自身、耐えられないのです。穏やかなままでいたい。いつも静かに笑っていたい。それだけなのに!」
流れるように美しく彫られたセラスの裳裾に、彼はすがりついた。
涙とともに。ルキアンの上体が像の胸から足下へと、絶望を背負って崩れ落ちる。
「ここには、僕の探している未来はありません……」
――独りだ。この暗闇だけが、僕を優しく包んでくれる。この夜の……。
――あなたは孤独を恐れている。独りでいるときには、ただ寂しいとか、そこから逃げ出そうとか、そんなことばかり考えている。
突然、エルヴィンの謎めいた言葉が思い出された。何の脈絡もなく?
過去と今とが互いに絡み合う。
――勇気を出して……目を閉じて、静寂とひとつになるの。そうすれば気づくはず。あなたは何も感じない?
――静寂と、ひとつに?
天鵞絨(ビロード)のように柔らかな闇の中で、無音の空間に浮かんだセラス像が、かつての孤独な夜のことが、浮かんでは消える。
――静寂と、ひとつに。この心を投げ込む……僕の暗闇の果てに?
何かが、彼の心の中に。
それは精神の奥底にある深き淵に、その暗い水面(みなも)の下に。
何かが沈んでいる。己の無意識はそれに気づいている。
声が。そして姿が……。
15 カセリナ、憎しみの視線! 最悪の再開…
◇ ◆ ◇
「ルキアン君!?」
遠くでシソーラの声が聞こえた。
「ほら、何をぼんやり歩いてるの?」
階段の最後の一段でつまずきかけて、ルキアンは我に返った。
壁で赤々と燃えるいくつもの燭台。落ち着いた深緑の絨毯を敷き詰めた廊下。
「急に黙っちゃうんだから。変な子っ。さぁ、この部屋よ」
シソーラはにっこり笑って目の前の扉を指し示す。
ドアが開かれた。
正面には広い窓。天気が崩れかけてきたとはいえ、外の世界からの光は強い。
木の肌合いを生かした自然な壁と床。それらを彩る同じく木の彫刻の数々が、繊細な職人芸と重厚な飴色の光を誇らしげに見せている。
灰色のフロックをまとうランディの姿があった。
彼の奥に居る厳粛な雰囲気の男が、おそらくナッソス公爵だろう。
そして……。
ルキアンともうひとつの人影が、同時に立ちすくんだ。
気まずい表情で、ゆっくりと顔を背けたルキアン。
彼と相対して目を見開き、怒りとも驚きともつかぬ眼差しを向けるのが――ナッソス公爵の娘、あのカセリナだった。
部屋の中の空気が、たちどころに張りつめたような気がした。
非難に満ちたカセリナの視線がルキアンに突き刺さる。
――ち、違うんだ。僕は、僕はただ……。
彼は言葉にならない弁解を繰り返す。
――あなたも私の敵だったの。ギルドの艦隊の人間だったのね。
カセリナの表情はそう語っていた。
――私から大切なものを奪おうとする憎い敵なのね、あなたは……。
【第18話に続く】

※2001年2月~3月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
『アルフェリオン』まとめ読み!―第17話・中編

【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
6 運命の出会い? あるいは運命の皮肉?
「うわぁ! な、何!?」
庭の奥の通路から、小さな白い犬が、いきなり脱兎のごとく駆けてきた。
一瞬、何だか分からないほど速かった。
木々や噴水を器用にすり抜けると、犬はルキアンめがけて飛び上がる!
「い、犬?」
真っ白なむく犬は、勢い余って彼にぶつかった。
革張りの手帳がはね飛ばされ、地面に投げ出される。
驚いて立ちすくむルキアン。
犬の方は妙に彼をお気に召したらしく、彼の膝に前足を掛け、舌を出して息を弾ませている。
すると、この犬がやってきた方向から今度は少女の声がした。そして足音。
「アルブ、アルブったら。どこ行ったの!? もう、待ちなさいよ!」
ルキアンは背中をびくりと振るわせた。
彼がふと頭を上げたとき、その言葉の主と目が合った。
金の髪を丸く結った娘が怪訝そうに首を傾げている。
瞬間、ルキアンはわけもなく身震いを感じた。本能的な直感がもたらした、極めて抽象的な暗示だった。いかなる予感なのか、具体的なことは彼自身にも全く分からない。
彼女の姿は鮮烈だった。
わずかな緩みすらなく、凛と張りつめた1本の弦のようだ。
触れれば指先が切れてしまいそうな、それでいて彼女自身も壊れてなくなってしまいそうな、硝子の刃のようだ。
瞳の中の少女は彼の心の奥底にまで焼き付いた。
周囲に何のはばかりもない態度や、非常に上等な仕立ての衣装からして、彼女は恐らくナッソス家の人間だろう。
「ごめんなさい。アルブが迷惑かけてしまって」
呆然としているルキアンに近寄ると、少女は姿勢をかがめ、例の小さな犬を抱き取った。
「見かけない人ね。お客様? 私はカセリナ。この家の娘です」
――ナッソス公爵の娘。この子が!?
彼女のひとことは、ルキアンの頭の中をかき乱した。目の前が真っ暗になり、すぐには返事ができなかった。
――彼女とその家族が、僕たちの敵……? 僕らは、彼女の大切なものを全て灰にしてしまおうとしている。そんなことが! もしそうなったら、この子は……。
清楚に研ぎ澄まされながらも、極めて危うい少女の姿が、ルキアンの脳裏で砕け散った。自分が猛悪な人間であるような気がして、彼は言葉を失う。
「あら。これ、あなたのでしょ?」
カセリナは彼の足下に転がる手帳を拾い上げ、土を払う。
富裕なナッソス家の人間だけあって、贅沢な手袋が汚れるのを毛筋ほども気にしていないようだ。
むしろ気になったのはルキアンの方である。純白のレースに包まれた彼女の指先に、湿った黒土が粘り付いている――なぜか、彼はそれを見て胸が重くなった。さきほど自分の中で壊れたカセリナの姿が、その光景と重なる。
彼のそんな思いなど知らぬカセリナは、開いたままになっていた手帳のページに、何気なく目を留めた。
7 春の光の中で震える、闇に慣れすぎた心
「あ、読まないで! こ、困る……困ります!!」
真っ赤になったルキアンは、こわばっている舌を必死に動かす。
恥じ入る彼を尻目に、カセリナは、ルキアンのか細い文字を辿っている。
愛らしい桜色の唇が、微かに弛んだような気がした。
カセリナはペンを取り出し、同じページに何やら書き付けている。
彼女はルキアンに向かって手帳を差し出した。
生真面目に澄んだ少女の瞳が、今までの清冽さを和らげ、心なしか無邪気に光る。
「はい、どうぞ。それで、あなたのお名前は?」
「あ、あ……あの、ぼ、僕は……ルキ、ルキアン……ディ・シーマー……です。実は、その……コルダーユの街で、魔道士の、見習いをしています」
しどろもどろになった彼が、《お会いできて光栄です、お嬢様》と最後に付け加えようとしたときには、カセリナの姿はもう遠くにあった。彼女は屋敷の奥へと、犬と一緒に上品に歩き去っていく。
ルキアンは、自分がギルドの関係者であるとは恐ろしくて言えなかった。
そう告げることが、まるで彼女を傷つけてしまうことに等しく思えて、決して本当のことを言えなかった。
赤く染まった頬の熱さすら忘れ、彼は返された手帳を見る。
降りそそぐ春の光の中で、
闇に慣れ過ぎた この目をかばいながら、
僕は戸惑い、力無く震えている。
今しがたルキアンが書きかけて、途中で終わっていた詩である。
白紙のままだったはずの続きの部分に、別の筆跡が優美に並んでいた。
それでも僕は、やがて歩き出すよ。
心の底に打ち捨てられていた 翼の欠片を拾い集めて、
優しく抱きしめてあげられる日が、もうすぐ来るから。
カセリナの粋な気遣いに調子よく高揚しながらも……ルキアンの喜びはたちまち消え去っていく。
もし誰かが見たら寒気を催しそうな陰湿な目つきになって、ルキアンは去りゆくカセリナの背中を追った。
――だけど、その《翼》のために、僕は君の大切な人たちに血を流させ、君にも涙を流させることになる。それでもいいの? 僕は、君を壊すかもしれない。それでもいいの?
あくまで明るい日差しの中で、ルキアンの心はいつしか闇に落ちていく。
――罪深い僕をお許し下さい。神よ。セラス女神よ……。
8 重騎士の群れを圧倒、目覚める超竜の力!
◇ ◇
冷気を震わせ、轟く咆吼。それと同時に険しい稜線が崩れ落ちる。
剣のごとき峰をなす岩盤がたやすく掘り抜かれ、雪原を切り裂く地割れの下から異様な影が姿を見せた。
2本の角を生やした蛇のような頭が覗いた後、思いもよらぬほどの敏捷さで、地面に空いた大穴から巨体がするすると這い上がる。強靱な四肢に支えられ、分厚い装甲に包まれた胴。本体と同程度の長さをもつ尻尾が、鈍い金属音を響かせ、しなやかにうねる。
旧世界の超アルマ・ヴィオ、深紫の竜王、サイコ・イグニールだ。
――陛下を守る機装騎士(ナイト)のくせに悪者に手を貸すなんて、とんでもないヤツらだぜ。このアレス様がまとめてぶっ潰してやるから覚悟しろ!
遺跡を見張っていたシルバー・レクサーの一群。イグニールはそのただ中に、しかも突然、相手の足下から出現したのだった。現状を把握する余裕さえ敵に与えず、無鉄砲なアレスはいきなり猛攻を仕掛ける。
地震さながらに大地が粉々になったため、レクサーのうち何体かは、すでに姿勢を崩して倒れたり、下の方に転がり落ちたりしている。
かろうじて立っていた機体も、不意を付かれ、次々となぎ倒されていく。さすがの《重騎士》シルバー・レクサーも、さらに数倍の重量とパワーを有するイグニールに体当たりされては、ひとたまりもない。その突進をかわしたところで、今度は強靱な尻尾の一撃が襲ってくるのだ。
――おい、ウソだろ!? あのシルバー・レクサーが軽く飛んでったぞ!
その圧倒的なパワーには、アレス本人も驚きを隠せなかった。
もちろん彼自身、まだ機体に慣れていないため、イグニールの有り余る性能を上手く使いこなせていない。仕方がないので力任せにぶつかり、敵をはね飛ばし、押し倒しているだけなのだが……それだけでも面白いように戦えてしまうのだ。あの名機シルバー・レクサーの群を相手に、たった1体で。
――すごいぞ、すごい、凄すぎる! これが旧世界のアルマ・ヴィオなのか?わけわかんないけど、メッチャクチャ強いじゃないか!!
調子に乗ったアレスは、そのまま力技で押し切ってしまおうとする。
彼の意識と同調してイグニールが上体を起こし、2本の後ろ足で立ち上がった。前足あるいは腕の先端では、曲刀を寄せ集めたような鉤爪が鋭く光る。背中の翼が悠然と開かれ、堂々たる姿がいっそう強調された。
――ば、馬鹿な。シルバー・レクサーが完全に力負けするなんて!? 化け物か、あのアルマ・ヴィオは……。
――わずか1体の敵に、我々近衛隊が手も足も出ないなどとは! 何てことだ!!
予想外の旗色の悪さに、機装騎士たちは思わず戦慄する。
けた違いの相手を前にして慎重になったのか、残ったシルバー・レクサーは密集隊形を取ると、分厚い楯を構え、自慢のMTランスを突き出して槍ぶすまを作る。派手な動きこそないが、巨人の騎士たちが一糸乱れず列を作る様は、重厚な迫力に満ちていた。
こうなると、困ったのはアレスの方だ。重装甲を誇るシルバー・レクサーに本格的な守備の態勢を取られては、どんなアルマ・ヴィオでも簡単には踏み込めない。まともにぶつかっていけば、手痛い反撃を受けて串刺しにされてしまうだろう。楯の中央に装備された大口径のMgS(=マギオ・スクロープ)も、その狙いをイグニールに定めている。
9 エルムス・アルビオレ―頂点に立つ機体
冷静さや秩序だった動きに関する限り、アレスよりも近衛隊の方に軍配が上がった。《お坊っちゃん機装兵団》という情けない俗称に反して、その整然とした動きはやはり素人とは違う。
――くそっ! こっちが仕掛けるのを待つ気かよ。そういえばイグニール……俺、お前の武器を何も知らなかったな。つい勢いで暴れちゃって。なぁ、何か良い手はあるか? 飛び道具とかないの?
アレスがそう念じると、すぐにイグニールから返事が返ってきた。
――まったく呑気な奴だな。よく聞け、速射型MgS2門と多連装MgSが1門、イリスの《サイキック・コア》と連動した遠隔操作兵器《ネビュラⅡ》、それから竜王の炎――《ハイパー・ステリア・キャノン》。そして、わが最強の兵器……。
――ハイパー・ステルス、何? そんなにいっぺんに喋んないでくれよ!
よくもこれだけと思えるほどの、質・量ともに半端ではない武装だ。おまけにネビュラⅡやステリア・キャノンは、旧世界の《解放戦争》の後半になって現れた超兵器である。いくらアレスでもそんな名前は聞いたこともない。
意外に知的なイグニールは、アレスには分かりそうもない理屈を事細かに並べ立てる。
――違う。ハイパー・ステリア・キャノンだ。《霊子素(アスタロン)》を物質界へと強制的に実体化させ、その際の霊的対消滅によって生じる莫大なエネルギーを利用した、超高出力の……。
――何だよ、そのアスタロンって? 要するに、どのぐらいすげぇんだ? 早くしないと敵のMgSが飛んでくるぞ!!
――そういう感覚的な質問は苦手だが。そうだな……いま我々が立っている山脈程度なら、簡単に消滅させることができる。
ラプルスの山々を一瞬で無に帰するような力。もしそれが本当なら、アルフェリオンの《ステリアン・グローバー》以上の破壊力かもしれない。イグニールはごく平然と言ってのけたのだが。
――な、何? 待て、そんな危ない武器使えるかよ! 俺の家までなくなっちまうじゃないか。もっとマジメに答えろよな。
――今の発言は理解不可能だ。意味が分からない。私は真剣……。
どこか間の抜けたやり取りを聞きながら、イリスは呆れていた。
――アレス、急がないと敵が向かってくる。
――あ……あれ、誰? 今の女の子の声は!?
聞き慣れぬ言葉に、彼は耳を奪われそうになった。
――早く。イグニール、ネビュラⅡを射出して!
――まさか、イリス?
今頃になって気付くアレス。先程までにも何度か耳にしていたはずなのだが。
――イリス、ちゃんと話せるじゃないか。どうして今まで黙ってたんだ?
――違うの。あたしは、心の中でしか……私は声を出せない……。
そのとき、2人の話を遮って別の人間からの念信が割り込んできた。
――そこのアルマ・ヴィオ、お前は何者だ!? 俺たちをなぜ攻撃する?
シルバー・レクサーとは異なる、白と金の甲冑をまとった華麗なアルマ・ヴィオが目の前に立ちはだかっていた。
イグニールと張り合うかのごとく、龍の頭部を形取った兜。手に構えた小銃型の呪文砲、MgS・ドラグーン。優美で繊細な造形とは裏腹に、飛空艦の砲撃すら弾くと噂される甲冑。その全てが頂点に立つ者に相応しい……パラス・ナイトのみが操る機体、エルムス・アルビオレだ。
アレスも話には聞いていたが、実際に見たのは始めてである。したがって彼の目には、正体不明の手強いアルマ・ヴィオとしか映らなかった。
10 アレスとダン 激突、熱血vs熱血 !?
相手はいかにも熱い口調で怒鳴っている。アレスよりは年上だろうが、随分若いように感じられる。
――俺はパラス・テンプルナイツのダン・シュテュルマー! 名を名乗れ、そこの狼藉者!!
――ろーぜき者? お前こそ、よくそんなことが言えるな。悪者のクセに! 俺はアレス。人呼んで正義の勇者、アレス・ロシュトラムだ!!
勢いづいて勝手に勇者を名乗るアレス。
ダンという若者の方も、負けじとばかりに反撃した。
――ふざけるな! 正義の勇者が聞いて呆れるぜ。仮にも正義を名乗る者が、なぜこんな不埒な振る舞いをする? 俺たちを国王陛下の聖騎士団と知ってのことか!?
――あぁ、そうだ。聖騎士だか何だか知らないけど、悪者の手先になんかなりやがって! 正々堂々と勝負しろ、この悪党!
――何だと? 名誉ある騎士に言いがかりを付け、あまつさえ悪人呼ばわりする気か! 許さないぞ、正義をかたる悪のドラゴン。この俺が退治してやる!
2人の話は全くかみ合っていない。双方とも単細胞極まりない熱血漢で、しかも自分こそが正義の戦士だと思って譲らないだけに、始末に負えない。
このダンという男、恐らくチエルたちの一件について事情をよく理解していないようだが……。ともかく、ファルマスが彼を敢えて地上に置いたままにしていた理由が、何となく想像されるというものだ。
迸る熱血をたぎらせ、対峙する2人のエクター、2体のアルマ・ヴィオ。
現世界で最強の汎用型、白と金の騎士エルムス・アルビオレと、旧世界の残した遺産、深紫の超竜サイコ・イグニール。
気合いが高まり、両者がまさに攻撃に移ろうとした瞬間……側面の崖下から、別のエルムス・アルビオレが2体現れた。
――ダン、この大変なときに何を遊んでいるのです?
柔らかな声が念信を通じて伝わってくる。
――エルシャルト! これは一体どういうことだ? 俺の方が聞きたいぜ。
ますます状況を理解できなくなるダン。
新手のエルムス・アルビオレは、ファルマスの命を受けて出撃してきたダリオルとエルシャルトのものだった。
同じアルマ・ヴィオであっても、パラス・ナイト各人の個性に合わせて改良が施されている。ダリオルの機体は全体的に装甲が軽量化され、贅肉のない精悍なイメージである。剣の鞘を思わせる円筒形の装備を背負っている点も、特徴的だ。
他方、エルシャルトのそれには、ネビュラやランブリウスの発射管・制御装置など……明らかにマギウスタイプ(魔法戦仕様)と分かる武装が取り付けられていた。
――そんな奴にかまっている暇などない。エルシャルト、ダン、回りによく気を付けてみろ。いや、すでに気づいているな?
ダリオルの心を映してか、冷淡な口調の念信が響く。
目には見えないが、確かにいる。
雪面が揺れ、強風が所々で何かに遮られつつ流れているような気がする。
1体、2体……いや、すぐには数え切れないほどの数だ。何もないはずの場所に幾つもの気配がする。しかも相当大きな物体らしい。
これらの姿無き者たちによって、遺跡の周囲は完全に包囲されていた。
だが、エルシャルトは冷静につぶやく。
――《精霊迷彩》ですか、なるほど。そうだとすれば相手は議会軍の特務機装隊、彼らの《インシディス》に違いないでしょう。それで、どうします? ファルマスはあんなことを言っていましたが……。
【続く】

※2001年2月~3月に鏡海庵にて初公開
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ | 次ページ » |