ずう~っと書いていなかった 僕のロックな話芽生え編 その13 前回は高校2年の時まででした。
高校3年=来年は大学進学??微妙な雰囲気のまま3年に突入。

来年大学に?でもギターでプロになりたいと漠然と心の隅で思い始めました。
自分はギタリストになれるのだろうか??
気持ちがすごく揺れましたね。自分はどういう道に進みたいのだろう???と。
学校で同級のギターやっていた友達と学校帰りに喫茶店でよく語り合っていました。
でもそんな事言ったら親がさぞかし悲しむだろうな~。
先輩にも相談しましたが、「そんな事、自分で決めろ!」と一喝。(笑)
レッドツエッペリンは5枚目「聖なる館」をリリース。ツエッペリンの好きなアルバムはこの5枚目までです。
ジェフベックがR&B好きという影響で、ソウル・ミュージックを聴き始めたのもこの頃だったような気がします。
ステイービー・ワンダーの「トーキング・ブック」(1972年)にジェフがレコーデイングに参加したのがきっかけです。

ジェフ・ベックは1971年、1972年に第2期ジェフベックグループでR&Bを取り入れた先進的なサウンドのアルバムを2枚リリースしています。


当時、ロックとは別にクール&ギャング、コモドアーズのようなソウル・グループが日本で人気沸騰。
R&B、というかソウル、ファンクですね。
僕が好きだったのはスライ&ファミリーストーンです。

【スライ&ファミリーストーン/暴動 1971年】
ただ、ソウルは 硬派のツッパリ兄ちゃんの音楽、ロックは軟派の長髪兄ちゃんの音楽と相場が決まっていました。(笑)
僕はツッパリ系とも仲が良かったので、「DISCOに行こうぜ」と誘われて初めて行ったのもこの年だったかな??
渋谷、新宿のブラック・シープ、六本木はプラス・ワン、赤坂はムゲン・・・。
沢山ありました。全部バンドが入っているんです。
DISCOの客層・客筋:男の客は僕らのような長髪はいかず、渋谷・新宿あたりの店はリーゼントのツッパリ兄ちゃんみたいなのががほとんど。結構危なかったです。
女性客からは珍しがられたかも。(笑)
踊りに行くというよりは、バンドを聴きに行っていたのですが。
もちろん高校生ですから頻繁に行ってませんよ。(笑)
1974年、というのはロックにとって微妙な年だったように記憶しています。
それまで主流だったツエッペリン、パープルみたいなブリティッシュロックから、アメリカン・ロックにブームが移行していった年ではなかったか。
エリッククラプトンがアルバム「461オーシャン・ブールバード」をリリースしたのが1974年。

アメリカ南部のルーツミュージックを取り入れたアーシーでのんびりしたサウンドは「レイドバック・サウンド」と呼ばれました。そしてジャマイカのボブ・マーレーの名曲「I Shot The Sheriff」をカバーし、それを通じてロックファンは初めて「レゲエ」というのを知った年でもありました。
ニューミュージックマガジンでも「レゲエ」とは何ぞや?みたいな特集組んだり。
クラプトンがDEREK & THE DOMINOSで「いとしのレイラ」をリリースしたのが1970年。

完全にアメリカン・ミュージック志向のこのアルバムは名盤中の名盤ですが、それから4年後の「461オーシャン・ブールバード」で一気に持ってかれた感じでした。
僕自身は今でもクラプトンがアメリカに渡る前のCream時代の尖ったギタープレイが好きですが。(笑)
1970年~1974年。70年代初期のこの4年は本当に素晴らしい作品が多い。
さかのぼって、1965年から1974年までの10年間。
ロックの流れが最高峰まで達したのは1974年ではなかったか?と僕は結論つけています。
もっと言うならば、ジャズ、ソウル、ロックなど全てのジャンルはこの1965年から1974年が黄金期ではなかったか?(ジャズはクロス・オーバー、フュージョンに移行する前の ジャズとジャズ・ロックと呼ばれていた頃です)




学習院高等科1974年10月文化祭
バンド名:Crush (ベース弾いているのは、今でも付き合いがあり大親友の 李君)
ベック・ボガード&アピス、デレク&ドミノス、日本のブルースクリエイションなどなどの曲を演奏した記憶があります。
文化祭出演後、ロックからジャズに興味が移行していきました。
大学に進学するか(というか出来るのか)という気持ちの揺れと、ロックから落ち着いたジャズギターの世界へ音楽の興味が変化・・・微妙な面持ちで卒業を迎えます。
(このシリーズ、不定期に続く)
高校3年=来年は大学進学??微妙な雰囲気のまま3年に突入。

来年大学に?でもギターでプロになりたいと漠然と心の隅で思い始めました。
自分はギタリストになれるのだろうか??
気持ちがすごく揺れましたね。自分はどういう道に進みたいのだろう???と。
学校で同級のギターやっていた友達と学校帰りに喫茶店でよく語り合っていました。
でもそんな事言ったら親がさぞかし悲しむだろうな~。
先輩にも相談しましたが、「そんな事、自分で決めろ!」と一喝。(笑)
レッドツエッペリンは5枚目「聖なる館」をリリース。ツエッペリンの好きなアルバムはこの5枚目までです。
ジェフベックがR&B好きという影響で、ソウル・ミュージックを聴き始めたのもこの頃だったような気がします。
ステイービー・ワンダーの「トーキング・ブック」(1972年)にジェフがレコーデイングに参加したのがきっかけです。

ジェフ・ベックは1971年、1972年に第2期ジェフベックグループでR&Bを取り入れた先進的なサウンドのアルバムを2枚リリースしています。


当時、ロックとは別にクール&ギャング、コモドアーズのようなソウル・グループが日本で人気沸騰。
R&B、というかソウル、ファンクですね。
僕が好きだったのはスライ&ファミリーストーンです。

【スライ&ファミリーストーン/暴動 1971年】
ただ、ソウルは 硬派のツッパリ兄ちゃんの音楽、ロックは軟派の長髪兄ちゃんの音楽と相場が決まっていました。(笑)
僕はツッパリ系とも仲が良かったので、「DISCOに行こうぜ」と誘われて初めて行ったのもこの年だったかな??
渋谷、新宿のブラック・シープ、六本木はプラス・ワン、赤坂はムゲン・・・。
沢山ありました。全部バンドが入っているんです。
DISCOの客層・客筋:男の客は僕らのような長髪はいかず、渋谷・新宿あたりの店はリーゼントのツッパリ兄ちゃんみたいなのががほとんど。結構危なかったです。
女性客からは珍しがられたかも。(笑)
踊りに行くというよりは、バンドを聴きに行っていたのですが。
もちろん高校生ですから頻繁に行ってませんよ。(笑)
1974年、というのはロックにとって微妙な年だったように記憶しています。
それまで主流だったツエッペリン、パープルみたいなブリティッシュロックから、アメリカン・ロックにブームが移行していった年ではなかったか。
エリッククラプトンがアルバム「461オーシャン・ブールバード」をリリースしたのが1974年。

アメリカ南部のルーツミュージックを取り入れたアーシーでのんびりしたサウンドは「レイドバック・サウンド」と呼ばれました。そしてジャマイカのボブ・マーレーの名曲「I Shot The Sheriff」をカバーし、それを通じてロックファンは初めて「レゲエ」というのを知った年でもありました。
ニューミュージックマガジンでも「レゲエ」とは何ぞや?みたいな特集組んだり。
クラプトンがDEREK & THE DOMINOSで「いとしのレイラ」をリリースしたのが1970年。

完全にアメリカン・ミュージック志向のこのアルバムは名盤中の名盤ですが、それから4年後の「461オーシャン・ブールバード」で一気に持ってかれた感じでした。
僕自身は今でもクラプトンがアメリカに渡る前のCream時代の尖ったギタープレイが好きですが。(笑)
1970年~1974年。70年代初期のこの4年は本当に素晴らしい作品が多い。
さかのぼって、1965年から1974年までの10年間。
ロックの流れが最高峰まで達したのは1974年ではなかったか?と僕は結論つけています。
もっと言うならば、ジャズ、ソウル、ロックなど全てのジャンルはこの1965年から1974年が黄金期ではなかったか?(ジャズはクロス・オーバー、フュージョンに移行する前の ジャズとジャズ・ロックと呼ばれていた頃です)




学習院高等科1974年10月文化祭
バンド名:Crush (ベース弾いているのは、今でも付き合いがあり大親友の 李君)
ベック・ボガード&アピス、デレク&ドミノス、日本のブルースクリエイションなどなどの曲を演奏した記憶があります。
文化祭出演後、ロックからジャズに興味が移行していきました。
大学に進学するか(というか出来るのか)という気持ちの揺れと、ロックから落ち着いたジャズギターの世界へ音楽の興味が変化・・・微妙な面持ちで卒業を迎えます。
(このシリーズ、不定期に続く)