珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

覚醒を伝えたいだとか2

2024-12-09 | 精神世界
一般に「目覚めた」という人は、「自分の頭で考える」ことがそれだと言っている。
権威やメディアの言うことはもちろん、思考停止になって鵜呑みを求められた宗教のドグマを、華麗にブン投げることが覚醒。
(これホントに何度も聞いたわ)

そんな中で、マインドフルネスというのは「思考をとめなさい」と言うので、
「ええ?また~?せっかく停止していた思考が動き出したのに?どっちやねん?」みたいに思うかもしれないけど、この場合の思考を止めるとは理由が予想外で、その思考は自分じゃないから。

どういうことかというと、頭の中であーでもないこうでもないと自分っぽく語っている声を、客観的に聞いてみるとわかる。
てっきり自分と思っていた頭に浮かぶ声が、他人ごとのように観察できる。
その客観的に観察している存在が、本当の自分であると。

本当の自分が、「自分っぽく思考していたソレ」を観察を続けていくと、やがて「ぽいジブン」はパワーを失って、本当の自分の下部(しもべ)になってくれる。
(バビル二世でいう、ロプロスとかロデムのようなものか)

なんで「ぽいジブン」を黙らせて下部にした方がいいかというと、これは体験した方が速い。
とにかく心に平和が訪れる。
無駄な不安とか恐怖とか、過去の後悔からくるイジイジが消えてくる。
そして感覚が冴えてくる。
更にこれが人の本来の「当たり前」で、上限がなく、そのうちひたひたと喜びまで勝手に湧き上がってくるというから驚きだ。

この思考を止める方法は複数あって(唯一正しいはない)、呼吸法とか「今この瞬間を意識する」(思考は今が嫌い)もあるけど、私は全部試した結果、この「思考を客観的に見る」がいちばん好きかな。
難しく考えないで、からかったりツッコんだりして遊ぶんだよね。
私の場合はこれがかなり効いたらしく、めちゃくちゃおとなしくなったはいいけど、働いてほしい時までヘタレているので、ミッションを与えて励ましているくらい😅 

思考が消えると自動的に自分は「今」にいる。
今にいると、「多いなるもの」(神)と繋がることができる。
本当の自分が、実際に神と繋がるというダイレクトにくらべたら、「それっぽいジブン」が何かの宗教を信じだところで、多少の慰めにはなっても、お粗末な代用品でしかないとはよく言ったもんだ。
だって単純におカネはかるし、組織に入らなくちゃいけないし、勤行や活動も求められるし。

ネドじゅんさんの出現もあって、今やブームになった『悟り』は、並み居る宗教ビジネスを木端微塵にするんじゃないだろうか?
そして何度目よ?っていう「覚醒した!!」が始まるんじゃないかな😅 


参照👇 
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1 コメント

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Unknown ()
2024-12-09 20:42:15
大いなるものとは、自分の思考などはるか超越した叡智なので、思考がへたれても大丈夫なのです。
思考の代わりに大いなる叡智が来て、それは見誤るとか後悔するようなことはない。
その叡智とつがるんだからイコール自分も神。

そうなっては困る、そんなことを知られては困るという勢力が、あらゆる手段で目覚めないようにしてきたんでしょうが。

私が最後まで理解が難しかったのが、今を肯定すること。何があっても抵抗せず受け入れるという意味がよくわからなかった。

それは今「起きてしまったこと」は変えられないから、それに抵抗してもしょうがないということ。
「今起きてしまって変えられないこと」を受け入れられずに抵抗して未来に絶望したら、未来が本当にそうなってしまうだけ。
そういう時は、まず起きた状況を判定せず「意識が今にありながら」「ありのままを見る」
今ここにある意識は、どんな状況もそのまま受け入れる。例えば赤ちゃんがそうであるように。
そして「今この瞬間」実現したいことを思う。
意識が過去や未来でなく、今に開いていれば天は助ける。
これは思考で考えてもわからないことで、「私」が理解するしかなかった。
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