スピチュアルの理解しにくいところの二つ目は、これではないかと思う。
「今に抗わず肯定しなさい」「今は完璧なんです」「思考(エゴ、左脳)はNOを喜ぶのよ」
私も最初は「え?じゃあ例えば詐欺でやってるマスクやワクチンや、ばかばかしい自粛に反発するなっていうの?だってこれって正当な理屈じゃん?」と思った。
この単細胞を、鮮やかにぶった斬るのが「キレスピ」というべきか。
まずもって「こんなバカバカしい詐欺に騙されないでマスクなんかしないワタシ」とか言ってるのは幻のワタシであって、幻の作ったドラマである。
人間の中には「思考」よりもはるかに深淵な意識が存在しており、そんな思考を「ふうん、そんなふうに思ってるんだ~」と観察できたらそれがホンモノの私。
ホンモノの私は、怒っても悲しいんでもおらず、恐れても退屈もしていない。
それらの感情は「私」には属しておらず、やってきては過ぎ去る存在なだけ。
にも関わらず、殆どの人は自分と思考(自分のナリスマシ)と同一化してしまう。
人間の中には「思考」よりもはるかに深淵な意識が存在しており、そんな思考を「ふうん、そんなふうに思ってるんだ~」と観察できたらそれがホンモノの私。
ホンモノの私は、怒っても悲しいんでもおらず、恐れても退屈もしていない。
それらの感情は「私」には属しておらず、やってきては過ぎ去る存在なだけ。
にも関わらず、殆どの人は自分と思考(自分のナリスマシ)と同一化してしまう。
今一瞬に集中すると過去も未来もないわけで、今のありのまましか見ない。
それができるのがホンモノの私で、時間とセットじゃないと起こりようがない否定や批判や比較をして「わかった」と言いたがるのが、思考の成す技である。
「あの人はあんな人」と評価するのも、その人の真の姿じゃなくて「固定観念」という、人を観念のレベルにまで下げて見ていることになり、的外れで失礼も甚だしい。
純粋な意識に根差して無いこのような状態が機能不全であり、この自分=思考と勘違いしている夢から覚めることが覚醒。
余談だけど「刺激、刺激がほしいんだ!!」と思ったら、誰かの書き込みに刺激を求めるんじゃなくて、「刺激がほしい」と感じている自分の感覚を観察してみてください。
「あ、それワタシじゃないし~💦」と気づいて、退屈まで消えていきますよ😆
誰の何を読んだんだろうか?
私はこの全く知らなかった分野を勉強して、衝撃がいろいろあった。
エックハルトもネドじゅんさんも凄すぎなんだけど…
本気で「これのどこが、何がブッとんでるの?」と思うんだけど、それがブッとんでるのか。
何にせよ、これからの時代は自分に合っている気がする。