珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

自由を思う

2018-08-06 | 日記
近所に、ジュースやビールで有名なメーカーの会社の社宅がある。
そこの奥さんがボヤいていた。
「建て前上、うちのメーカー以外のドリンクは飲んじゃいけないの。飲みたくなるけどね。
 でもゴミ出しの時見られてるかもしれないと思うと、なかなか飲めないわ」

大変だなあと思う。

うちも夫の仕事柄、見た方がいい(本当は見なければいけないんだと思うけど)ドラマなどがあるが、私は夫が強制しないことをいいことに、興味がないものは見ない。
私には、自由はしがらみより大事なのである。

かつて、甲子園や駅伝やオリンピックで応援する人や、タレントでひいきに見る人や、政党に投票する人なのが、やんわりとあてがわれたことがあった。

別に嫌々じゃない。
言われると、本当に素敵に見えたりするんだけどさ。
これって感性を鈍らせる。

ちょっと離れてみると、ああ「シンパ同士」ってのは知らないうちに鈍くなってるんだなあ、と思う。
無意識の、そんなつもりのない不自由。

 根っからの自由人にしかわからないかもしれないが。
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3 コメント

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Unknown (振り子)
2018-08-06 18:46:09
「シンパ同志」も「アンチ同志」も無意識に不自由になってないか、本心をたまには確認する作業も必要ですね。

私も前ブログより、こちらのが好きです(*^^*)
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Unknown ()
2018-08-06 19:07:43
>私も前ブログより、こちらのが好きです(*^^*)

振り子さん、ホントですか!!
やったーーーー\(^▽^)/
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Unknown ()
2018-08-06 20:08:07
仲間だから、仲良しだからって、いつの間にか決まりきった拍手、賛成、賞賛、それが当たり前になってた時があった。
拍手って本来は「すごいなー!!」とびっくりして、思わずするものなのに。
それとも好きになると、下手なピアノも美しく聞こえるのだろうか。

ある時、「私でさえ」めちゃくちゃ言いにくい空気の中、モノ申したことがあった。
「あの、今回の話、さっぱりわかりません…きっと私が頭わるいせいだと思うんです…」
一生懸命へりくだって、相手の機嫌を損ねないように必死だった。
シンパ同士ってここまでやらなきゃダメなのか。あーシンド~!!やっぱり私は自由がいいわーーーー!!
と思った瞬間だった。
こんなの適当に拍手しときゃいいんだろうけどね。
私には無理。
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