ワクチン被害の集団訴訟が、やっと表のメディアに取り上げられました~パチパチ✨は、相変わらず「感染症が猛威をふるった背景」とセットである。
「こんな異次元のパンデミックがあったから、切り札として現れたワクチンの失態」とする詐欺に、大衆をポーッとさせたいメディア。
自分の正当化に、しめしめとほくそ笑む医者。
(防護服で消毒している映像なんてのが効くのかな?)
感染症は本当だけどワクチンがデタラメ、ではないのだ。
感染症がデタラメだからワクチンもデタラメなのだ。
人は感染症が猛威をふるったから現れたワクチンの弊害、ミステイク、詰めの甘さ(と認知して)でここまで怒るんだから、
感染症自体が、計画された100%のつくり話で、毒注射を打たせるための大掛かりなお芝居だったと知ったら、いったいどうなるのやら?
どうなるかというと認知的不協和に耐えきれず、そういう人を黙らせようとするか、心に蓋をするか、見て見ぬふりをするか(要するにショックを引き延ばす)、戸惑いながら「ちょとづつちょっとづつ」慣らしていくかだよね。
どのパターンも見てきているので知っているけど、これは性格によるかな。
ゴールは同じであれ、プロセスは大事。
自分に合ったテンポ、ツボが合わないと気持ち悪いよね。
なので自分に合った過程を踏んで辿り着いてくださいとしか言えない。
私もそうしました。
効果抜群の防護服で消毒とか、感染を防ごうと街から人が消えたとか、
— 愛野めぐみ (@T5v7T8YXkD15gL3) April 20, 2024
つまりニュースって大きい小さいで報道されるんじゃくて、更にいうと事実かウソで報道されるんじゃなくて、権力者に都合よく発信されているだけ。
平和でないと起こらないネセラ・ゲサラなんてこれ以上ない不都合だからおくびにも出さない。
つくづく凄いよね。
電車に監視カメラをつけたいから「電車内で刃物をもった男が暴れる」という芝居を打ったら、それは見抜ける。
でもワクチンを打たせたいから「世界中がパンデミックになった」という芝居を打つとなったら、規模がちがう。
計画も年月も仕込みも役者も、かけるお金も桁違い。
でもパターンは何も変わらないんですよ。
一桁の掛け算ができたら桁が増えてもできます。
まー殆どは理屈より「雰囲気」「空気」にやられちゃったんでしょうけど、これって理屈より強いんだなあと改めて勉強になりました。