頭の声が聞こえなくなるって体感的にどういうことかというと、私の場合は、部屋の掃除と非常に似ていた。
今まで夢中になっていたものが、ふいにつまらなくなり、急激に冷めていった(女にはよくある?)不要なもの、無駄なもの、意味はないし趣味でもないけどなんとなく置いてあるものが、きれいさっぱり消えた感じ。
何もない部屋にきれいな空気が通り抜ける感じ。
そうなると、部屋でわざわざパーティーをしなくても、今までと同じようにただ部屋でくつろいでいるだけのことが、ただただ愛しく、快適に感じる。
そんな感覚。
実際「あーストーブが温かい」とかそんなことに、今までにない強い感謝がわいてきたり。
捨てたものは「自分」ではなくて、自分の欠点を一生懸命直したわけでもなくて、私は全くそのままで、私とは別の「ただの不用品」を捨てた感じ。
これに私が夢中にならないはずがなく。
水面下に行ってもらって、言語化する時だけフルに使っている左脳さんの形容詞によると、そういうことになる。
私言ったのよ。「これからも忙しくさせるしミッションを与えるから栄養の心配はしなくていい。その代わりしょーもない妄想やら反芻やらはやめて。あともっとこう、忘れ物チェックとかクオリティ上げて」と。
私の左脳さんは私に似てチンタラが嫌いらしくて、話が速かった🤣
ここは間違いなく、気があったことの一つ。
この歳で全く初めてのことをイチからやって「できた」ってあまりないじゃない?
自信がつくよね。
まして私はスピチュアル的なことって何も知らなかったし、やったこともなかったから。
感想としては、筋トレよりダイエットよりカンタンだった。全然つらくないし。
これが実生活に何の役に立つかというと、単純に心がいつも軽くてすっきりしていること。
「先の不安」も「過去の後悔」も確かに出てこないし、それだけで機嫌よくいられる。
それから本体さんを心から信じられることと、私自身を一緒に生きていると感じることで、いつも安心感を感じていられる。
そういう精神状態が未来をつくると言われれば「あー今日もいい一日だった」と思えば、未来がそうなるわけでしょ?そしたら楽しみしかない。
世の中の狂いっぷりすら、これをかわしてやろうと遊び感覚で楽しめる。
一言でいえば毎日、ニコニコして過ごせるんですよ。
これって最高じゃないですか?
生命力を高めて困難にうち勝とうとか、免疫力を高めて病気をやっつけようとか、筋トレして誰々を倒そうみたいな、何か戦闘モードで自力で勝負しようみたいのじゃなくて、「勝手にそうなっていく」「力を抜いて流れに乗る」という感覚に近い。
大声を出してアドレナリンを出すんじゃなくて、逆に静かに耳をすますというか。
外じゃなくて、ひたすら中へ。
人じゃなくて、ひたすら自分へ。
喧騒じゃなくて、静寂へ。
これを刺激がないとかつまらないと思っているうちは、それこそ何も知ることができなくて退屈です。
私は嫌というほど退屈な日々だったので、これを知ってからもう面白くて面白くて🤣
電車も乗り継ぎできるし買い物も料理もできるし、むしろ余計なことが浮かばないので集中できる。
私が一日のうちで好きな時間は、仕事と筋トレとシャワーの時。
完全にゾーンですね、座禅を組んでないだけで無我夢中(笑)
ホントはもっと人と関わって何か活動した方がいい気がするけど、それもタイミングで、時期が来たら何か起こるでしょう。
その時まで神経を太く鋭敏に育てます。