土曜から強烈な寒気を感じて、仕事には行ったけど、その後はひたすら寝て過ごした。
喉が腫れた時の痛さだけはガマンできないので、その処方箋薬は持っている。
フリースにホカロンを3枚貼って、毛布2枚に布団3枚で安静にしていたら、発熱することなく無事に回復した。
「本体さん、頼むわ」と、信頼してお願いすると「よっしゃ、任せとき!」となるもんだと、少なくとも私は本気でそう思っている。
何しろ私の本体さんは脳幹から出血しても、意識も運動能力も活舌も失わなかった超人であるからして全幅の信頼を寄せているのだ。
同時に以降、どんな身体のサインも聞き漏らすまいと、常に全身をストーカーしている。
よく「お天道様が見ている」というけど、私はそのまま「本体さんが見ている」と思っている。
どうやら神というものがあるなら、それは「神経」という神の径をネットケーブルのように走っているらしいので、自分が神の目を逃れてコソコソなどはできないと確信している。
「私とどんな時も常に一緒にいて、365日、私の95%をやってくれている」と知ってしまった今、「本体さんにこんなことをやらせたくない」が私の一分一秒の規範になった。
これを知らないがゆえ、バレなきゃいい、揉み消せればいい、カネで消せないことはないという発想が生まれるんだろうけど、知る知らないでこれほど人生が変わるものは、他にはないのではないだろうか?
そしてそれは「神経」の中をめぐっていた。
この心強さ、安心感、温かさを感じることができたら人は孤独ではない。
「神経」という言葉は誰がつけたのか、やはり日本語というのは別格だ。
言葉はただのラベルという人もいるけど、日本語だけ違うんじゃないかと私は思っている。
言語化するなら日本語。
日本語にする限り罪はない。
日本語だけに許された神に近い芸術性。
日本語のみ、言語化は生き生きとした本質をつくと思っているくらいよ。