珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

何を書いても賛否

2018-08-08 | 日記
以前、ある人気ブログををウォッチングするための裏サイト(危ういことを書く故に人気のブログには、ごくたまにこのようなロクでもないサイトができる)に、
退屈なんだよ。刺激!刺激が欲しい!!
誰かワンパターンじゃなくて、刺激的なことを投稿してくれよ!!

という、倦怠期の主婦みたいな投書があった。
これにつれられて、面白おかしい作り話まで投稿される始末だった。

これに象徴するように誰かがちょっとセンセーショナルなことを書くと、刺激に飢えている人たちがワッと集まるのは確かである。

刺激的=誰かが「爆弾発言」をすることによって、言い合い、論争、抗争が起こること。

世界平和がいい、北朝鮮の核弾頭ミサイルは許せない、チベットの殺戮は認めないと言いながら、人はこういうバーチャルの戦争ならば乗りたいのかな?と思う。

いろんな考え方の人がいる上、賛否があるのは当たり前。
何を書いても賛否。
今さらである。
こんなことに慣れてないから、闘ってしまうのかな?と思う。
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5 コメント

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Unknown (振り子)
2018-08-09 11:39:58
どちらかと言うと集団心理に流されやすく、誰が言ってるとか知識に頼ってきた人生・・・

せっかくカルトから離れたのだから、「違和感」「自分の感覚」をこれからはみがいていけたらと思います。
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Unknown ()
2018-08-08 19:08:21
ツルさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

別に、カルトものに限らず「違和感」「感覚」というものは大事にしたいですね。
これは私もすごく思います。

わかりやすくいうと、「カルトって悪だよね~」なんて評論している集団があったとしても、そこ垣間見る集団心理に、気持ち悪い違和感和感を感じる、なんてこともあるということです。
これがホンモノの「感覚」ってものでしょうね。

誰が言ってるとか、知識じゃなくて、純粋な自分の感覚。
ホントこれを育てたいです。
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カルトの見分け方 (ツル)
2018-08-08 18:28:17
はじめまして、カルトの見分け方と聞いてコメントさせてください。

私も友人に連れられて過去数回、カルトの集会に参加したことがあります。あと、ネズミ講の集会に参加したことも一度あります。それと、お年寄りをターゲットにした健康器具の販売ですね。それらを見て思った事はカルトやインチキ商法の集会というのはひたすら気持ち悪いと言う事です。

よく、自分の子供がカルトにはまってしまったらどうしようなんて言う親がいますが子供を馬鹿にしていますね。私は小学生の頃、近くのカルトのおばちゃんにカルトが作ったビデオを見せてもらったと言うか見させられた事があるのですが、子供心にとても違和感を感じた記憶があります。自分のその違和感を信じて生きていく事が出来る人間はカルトやカルトもどきの集団には決してハマらないと私は思っています。もの事はシンプルに、そして単純にわかりやすくというのが私の座右の銘ですがカルトの見分け方は気持ち悪いかどうか?それ一点です。自分の感覚を信じて生きていける子供に育てる事、それが親の役目であると私は思っております。

以上、失礼しました。
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Unknown ()
2018-08-08 14:28:25
違和感シリーズ。
Sがカルトたる理由。
「簡単にやめられないから」

は?
全然簡単にやめられましたけれど?

こんなふうに、簡単にやめた人はごまんといる。
いちいち言わないだけで。
だけど、そうじゃなかった人のみが言うことだけ「それが全て」のようにカウントされる。
S新聞の如く、アンチであれ、自分が有利にしたいこととなると誰でも「そこだけクローズアップ」にするのは同じですね。

被害者、可哀想、繊細、デリケート、腫れ物に触る…このような、いかにも立場の弱さを全面的に出されると、人は
「言えない…」
というバリアにはじかれてしまう。
力尽くよりてごわいのである。

「こんな人がいるというのに、よく言えますね!」
この絶対的な印籠の前に黙るしかない。

なので「かき消され、埋もれる意見」担当の私は、自分のブログを持ったことに安堵しつつ、今日もあっさり言います。

そんな大袈裟な人ばかりじゃない。
大袈裟な人ほどネットに書き込みしたがる傾向にある。
書き込みが全てではなーーーーーーい\(^▽^)/
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Unknown ()
2018-08-08 13:42:22
非公開でコメントを下さった方、ありがとうございます。
同感致します。

以下咀嚼して書きます。
Sの中でも、元K部など、特に非常識な部隊にいた人に言いたい。
自分が何十年も聞く耳をもたず、もたないどころか人を攻撃する専門の部署に選抜されて、相当な年月を、病まず元気で「のさばっていられたのは」、全部わかっていながらも、辛抱強く尊重してくれた多くの人のお蔭である。

その人たちは「慣れあいでのさばらせた」のではない。
「それは自分の問題」と見守ってくれていたからである。
あなたが気づいていないだけで。
今は全否定して見えないかもしれない、「あなたのよいところ」を見落とさず、広い心を持っていたからである。

そういう年月や愛情や尊重や体験がなければ、気づくことなど絶対できなかった。
気づいたのは「アンチのお蔭」としか思っていなかったらそれは大間違いで、シンパであれ、外部であれ、いろいろな人生経験があったればこそ、人は価値観を変えることができた。

私も全くそう思います。
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