- 嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え/ダイヤモンド社
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本文からの引用
「人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでおり、
自分の主観から逃れることはとても難しいことなのです。しかし、われわれが自分自身や世界の見方を変えれば、
今までは八方塞の暗闇のように感じられた世界だって、光に溢れ希望に満ちた世界に変えることができます。
人は変われます。のみならず、幸福になることもできます。わたしたちの力は計り知れないほど大きく、
わたしたちが変われば世界が変わってしまいます。世界とは、ただ、わたしたちによってしか変わりえないのです。」
サブタイトルに「アドラーの教え」とありますけれども、これはやはり教えではなく「哲学へのいざない」なのだと
思いました。ですから何度読み直しても、わたちたち一人一人のための答えを、この本の中から見つけ出すことは
出来ないのではないかと思います。答えが見つかるとしたら、今まで縦方向から見下ろしたり、見上げたりしか
できなかった人間関係を、横を見渡すようにすることによって、違った世界が見えるようになるかどうかだと思います。
さあ自分自身との対話を始めましょう。そして対話できる人間関係を構築しましょう。
難しいことを誰にでも解るように易しく説明することは難しい。ましてや自分自身が研究の途上にあればなおさらです。
大切なことは、人の考えを理解しようとすることよりも、自分自身で考えることなのでしょう。
私は、会社のイベントなどで同僚たちと飲食を共にしているという喧騒の中で、むしろ孤独を感じることが
少なくありませんでした。会社という組織は、利益を獲得し分配するシステムですが、その目的・目標を
達成しようとする結束が強固であればあるほど、逆に心理的な部分で理解し合おうという気持ちが
希薄になってしまうのではないでしょうか?
私が従業員の相互理解を妨げると思っているには、企業が達成しようとする目標(利益・存続・成長)に対する
結束なのです。それらの目標を特に短期的に達成しようと思う時、従業員相互の心理的な部分の理解が疎かに
なってしまうような気がするのだ。つまり、結局、思想や理念ではなく、金が目的で集まった組織は、個人を孤独に
してしまうということなのではないだろうか?私たちには、心を通い合わせることができるコミュニティへの貢献が
必要なのです。
繰り返しになりますが、重要なことは「人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけを
ほどこした主観的な世界に住んでおり、自分の主観から逃れることはとても難しい。」ということなのだと思います。
ということは、自分自身だけではなく、相手も相手の主観的な世界に住んでいるわけで、そこに「自分を変えることは
出来ても、相手を変えることはできない。」という言葉に通じる部分があるのではないかと思います。
言うまでもありませんが、相手の主観を満たすために生きることは、極めて効率の悪い行為ですよね。
自分が変われば世界が変わる…とは、哲学的な示唆だと思います。世界は、個々の人の意識でしか
感じられないことなので、私たちは、完全に客観的な世界を認識することはできないわけです。だから、
自分の主観が変われば、世界は変わってしまう(変わって見える)わけです。嫌な言い方をすると、
自分が変わることで、世界を自分の都合の良いように変えることすら可能なわけです。嫌なことに過剰に
反応せず、気持ちの良いことをより強く感じることもできるはず。但し、破壊的な行為ではなく、
創造的な行為を通して変わって行きたいものです。
いつまでも原因論に捕らわれていては、未来を明るく照らすことができないことは間違いありませんが、
だからといって目的を達成することに拘り過ぎても自己嫌悪に陥る可能性が考えられます。目的・目標の
方向を確認しながら、今ここでダンスを楽しむように精一杯生きることこそ、今を楽しみつつ、目的・目標に近づく
唯一の方法なのです。
教えるということは、ある意味、自分の価値観を押し付けることに繋がる。だとしたら、人を評価したりしては
いけないのかもしれませんね。その人の生き方を認めてあげることが大事なのかもしれません。
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