亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

国産マッチに祖 清水誠

2013-02-01 | 歴史

             卯辰山の清水誠碑

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ふらりと卯辰山へ登ったら「清水誠先生顕彰碑碑」という立派な石碑にお目にかかった。

どこかで聞いたような名前だぞと、帰ってから調べて見た。

平成23年6月23日の新聞記事に、「清水誠 無縁仏の危機」と言うのがあった。

加賀藩士の家に生まれた清水は1869(明治2)年、フランスに留学し、マッチの製造技術を学んだ。帰国後、製造会社を設立し、マッチの国内に普及させた。(記事の一部抜粋)

その清水誠の墓が金沢市野町にある、玉泉寺(加賀藩第二代藩主前田利長の奥方玉泉院の菩提寺)の一角にあり、無縁仏の危機になっていると言う。

一寸訪れて見た。

                 清水誠の墓

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昔の玉泉寺はものずごく大きなお寺だったらしいが今はすっかり廃れてしまって住職も居ない。

裏の墓地には持ち主をを探す為多くの墓にタスキが掛けられている。

清水誠の墓もその一つになりそう。

子孫の方は地元にはおらず、墓はほったらかしになっているらしい。

すぐ隣に「清水家代々の墓」と書かれている立派な墓があるが、どうやら関係がないらしい。

清水誠は日本で製造会社を設立したが、マッチの製造技術を広めすぎて、マッチの偽物が出てまわって日本のマッチの信用を失って倒産してしまった。

清水誠は日本人初の「金星の太陽面通過」の写真撮影に成功した。

          玉泉寺の入り口にある清水誠碑

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ケイタイのカメラで撮ったので頭の部分が写らなかった。

後ろには立派なお地蔵さんがあるが説明が無いにで謂れが分からない。


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