わが戦死した父親のこと

短歌教室に属して月に2回の勉強をしているのだが、20人近い教室メンバーのほとんどは女性で、男は私を含めて3人。それはともかくとして、例会に出す自製の歌を一首提出するのだが、前回私が出したのは、次の歌。

「遠い地の野戦病院で死せる父 その遺言をまだ知ることできず」

先生から、地名を入れたらどうだろう、と示唆があったが、父が死んだ地は中国大陸の北の方だった。戦病死ということで、野戦病院か一般の病院か分からないが、多分前者だったのではないか、と思っている。詳しいことは、母は聞いていたかもしれないが、私たちは全く知ることができなかった。だから正確には、「戦死」ではなく「戦病死」。
まだ幼い息子2人と結婚して3年ほどしかたっていない妻(私の母)を、病床で思いながら死んだと思うと言葉が出ない。そういうことを想像しての一首だった。自分ではなかなかいいのでは、と思っているがどうだろう。

今ウクライナで戦争が行われているが、同国の兵隊も、ロシアの侵略軍の兵士たちも妻や子どもがいる人が多いだろう。戦で死ななければならないとき、何を思うだろうか。多分ほとんどは国に残した妻や子ども、家族のことだろう。その遺族たちは死んだ夫や父が何を考えて死んだか、想像するだけだが、悲しみと戦への怒りがこみ上げてくるのだ。

短歌のテーマにしながら、上のことを改めて想像する。何十年経っても悲しみと怒りがこみあげる。
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