江藤新平、島義勇のこと(道開拓の功労者が「梟首刑」になった)

 最近、ヒマだから読書にこっている。今日読み終えた本は、司馬遼太郎の長編小説「歳月」上下。文庫本450ページ2冊を読むのは、以前にも記したがなかなかエネルギーと知的耐久力が要る。

しかし「読書はいいものだ」と実感するが。

この書の主人公は明治維新の功労者の一人であった江藤新平という人。佐賀出身の彼が、維新事業に功績をあげ、政府内でも要職に就き、政治制度(法律を含めて)など整備する上で重要な仕事をしたが、「征韓論」を主張した彼は、大久保利通などと袂を分かつ。どうもこの対立には、薩長閥の維新政府の中で佐賀閥は居心地が悪かった面もあったようだ。

政府反対派と行動を共にし、いわゆる「佐賀の乱」をおこす(1874(M7)年2月)。このとき行動を共にしたのは島義勇(しまよしたけ。北海道開拓の功労者のひとりとされ、札幌市役所にこの人の像がある)。しかし周知のようにこの行動は抑えられ、即決裁判で両人とも死刑判決で即日執行された。(4月13日)。
この時の裁判官は江藤の後輩だった。判決でいう。「名を征韓に托して党与をつのり火器をあつめ官軍に抗敵し…」。「除族の上、梟首(きょうしゅ)」(当時の貴族などの地位を外す、そして首を切ってさらす)。

写真は札幌市役所ロビーにある島の像。

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