来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
アメリカの青年、「核は要らない」意見が多くなっているとのこと
テレビをしっかりと見たわけでもないのだが、さっき(3日の22時前後)のテレビニュースでアメリカの青年の中で「核不要論」が増えてきた、という報道があった。
かつては、「核はあり得る。必要」という声が多かったとのこと。特に先の大戦でアメリカが日本の広島・長崎を核で攻撃したことを「戦争勝利のためには当然」視する意見が多かったと言うがこれが少数意見になりかかってきたという内容だったと思う。
素人目でいえば、ロシアや中国が核で身動きできないほど武装しているときに、核兵器がないとすればこれらの国にどういう対処をするのだろう、という疑問を持つ人が少なくないだろう。このあたりの問題はどういう意見になるのか分からないが、いかなる事態でも核に対しては核で、という世界情勢ではないことはたしかだ。核などもたなくとも、世界の正義の世論を背景に毅然として平和主義の立場でどういう国に対しても迫ること、これが必要なのではないだろうか。
例えば、中国が尖閣を盗りにきたらどうするのか、は差し迫った状況ではないか。日本は核兵器をもっていないから、中国が核をもって日本に迫ったら勝ち目はない、という気持ちになってはダメだ。断固として毅然として対応する姿勢が絶対に必要だろう。
日本国憲法の前文が高らかに宣言している。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と。この理想と目的とは、この文章の前に記されている。世界の平和と民主主義の理想だ。
この憲法を制定して70余年、この理想と目的を達成する政治上の姿勢を断固として示した宰相はいただろうか。
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