「環境破壊を止められない」人類の未来

先日、環境学の権威とされる小島覚元富山大学教授の講演を聴く機会をつくることができた。主たる対象はわが高校の3年生と、小島さんがかつて勤めていた札幌北斗高校の卒業生たち(もう60歳をはるかに超える元女子高生たち)。

これまで漠然と聞いたり読んだりしていたことを整理した形で知ることができた。項目的に記せば次のような事項が記憶に残る。

人口増大、二酸化炭素の急増、どんどん進む気候温暖化、減少し続ける熱帯林、増え続ける酸性雨や砂漠化現象、その他。

かつてなく問題は深刻化してきたが、それは18世紀以降の産業革命が要因だった。人間にとってそれ以前と比べてはるかに物質的に豊かな暮らしを生み出すことになった歴史的出来事は、同時に知らず知らずのうちに上の「環境破壊」につながる要因をつくることになる。豊かになることは急激な人口増をもたらした。今地球上の人間の数は73億人、それほど遠くない時期に100億人になるだろう。そして人間は皆平等に「先進国の水準」に近づこうとしている。

人間が生きるためには食糧が必要、そのためには森林をつぶして畑や田んぼを増やさなければならない。動物に(人間にも)保障してきた酸素を作り出し機構(気候)がどんどんつぶされていく。つまり光合成作用という自然の酸素供給機構のモトが壊されていく。

これらのマイナス要因が相互に作用し合って人類の生存条件を加速度的に破壊していくのではないだろうか。

小島さんのゲスト授業の終わりに生徒が質問した。「どういう解決策があるのでしょうか」と。小島さんは「皆さん一人一人が解決策を考えることです」と回答した。

生徒たちは未来に生きる。その未来が環境破壊のすすむことによって明るく見通すことができないとき「解決策」などは考えることができないのではないだろうか。

では私自身はどうだろう。問題の根本が調整不可能になった人間の増加であるなら、この人間の数を産業革命以前(例えば日本の江戸時代でいえば3000万人以下)、つまり今の4分の1以下にするなどなしえない。

だから人類の未来を切り開くためには、神のような独裁者が登場して大なたをふるう政治を全世界的に展開するしかないのではないか、とすら思った。

環境問題は、誰もが憂鬱になるテーマなのだろうか。

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