「新型コロナウイルスとの共生を」とは?

こういう言葉が言われる。この「共生」という語は最近ときどき聞く。人間が自然環境を破壊して自分たちの「住みよい街」をつくってきたことが例えばこれまで以上の洪水をもたらすことになったり、というときにこの「共生の思想」が言われる。俗に言えば、いろいろ自然のあれこれに手をかけることはほどほどにしなければ逆効果になるよ、といったようなことだろう。

この問題について考える必要があるかも、と思い、山本太郎という学者の書いた「感染症と文明 ー共生への道 」という岩波新書を買った。
山本さんはこの書の「エピローグ」(「まとめ」とか「あとがき」の意)で次のように記している。

21世紀には、「共生」に基づく医学や感染症学の構築が求められていると考えられている。しかし共生とは、そのためのコスト、「共生のコスト」を必要とする。

このことについて山本さんは例をあげて説明する。中国で、その昔黄河流域で堤防を築き洪水を防ごうとした。しかし大きな堤防を築こうとしたらこれを上回る大洪水が起こった。だから破壊的な悲劇をもたらすことのないようなしくみを考えることが大事だとのこと。共生の思想だという。

被害を最小限に食い止めるための医学などの進化を促すことが重要だが、この感染とのたたかいの中で人々はこの感染前とは異なる社会的なあり方とかしくみを前進させることができるかも知れないという。

ウイルスを我々の社会の中に取り込んで社会全体が免疫を持つことによって、社会自体が強固になっていく。かつてヨーロッパでのペストの流行が封建制度をこわし近代をつくりだす人々の動きをもたらしたことを思い出そう。

この共生というテーマはどうも「こういう語で言えることなのだろうか」といつも疑問だ。たとえば野生動物との共生など。わかったようなわからないような、学者の独りよがりの語句なのではとケチをつけたくなるのだが…。

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