通信制高校とスクーリング等

ある高校が校長名で、そのホームページ上で「通信制高校は『集団の中で人間は育つ』という点が不十分である」ことを強調している。その集団性がない学校では社会性を育てることが難しいから「引きこもり」等が生まれているという。

この種の見解が長く日本の積極的な教師の中にあった。たしかに人はさまざまな人とのふれ合いの中で自分らしさをつくっていく。しかし、この「集団性」の呪縛が子どもを逆に人間関係を拒否している要因になっていることも確かである。

私は教育実践で、一定の公式的な理解とその強調は逆効果になるケースが多いことを体験的に知っている。私たちは、「無理はしなくてもいい。しかし今一歩の挑戦を」と生徒たちに呼びかけ続けている。人間不信、自己肯定意識の脆弱さなどは、それこそ集団からの扱いがまずかったことによる面でもあった。「人は集団の中ではじかれ、人とのふれ合いによって自分を取り戻す」ことがある。
だからといって「集団の中でこそ人間は育つ」などと肩肘張って言ったり、通信制高校はこういう実践をしないから不適格であるなどということに反発せざるを得ない。今の社会、また今の子どもの成長環境は実に多様であり、「これでなければダメ」とか「わが方が最も正しい」などという考えは、それぞれの自信の表明であることを別にすれば正しく見ていない。

明日から本部校で4泊5日の「スクーリング」を行う。あまり人とのつきあいが得意でない生徒たちも、時には「自分の心にむち打って」参加し、「参加して良かった」という感想をもつ。
夏と冬2回のスクーリングで、社会体験の活動をしたり、地域のベテランたちと交流したりして勉強する。
これは通信制高校の特性である。だから「通信制高校は人ざわりのいい言葉で生徒を集めて社会性をもたない人間をつくっている」というような指摘には全く与(くみ)することはできない。少なくとも私たちの学園は、先の校長の指摘は当たっていない。

※ 私も「極寒フェスティバル」なども含めた冬期スクーリング(和寒町)に参加するので、このブログは欠けるかも知れない。なお興味のある方は、こちらの「学園ブログ」を覗いてみてください。
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