来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
韓国旅行2
韓国の歴史の町・慶州。ガイドの会社がレンタカーを使って慶州への往復を案内してくれた。朝鮮の三国時代(新羅、百済、高句麗)、最も栄えた新羅(しらぎ)の歴史遺産が詰まっている地域。古い時期の建造物を模して今の建物もつくられている。4~6世紀、日本でいえば古墳時代。この期の王の墓からの出土品に圧倒される。金製品の数々。そして石の彫像など。日本には石造文化の時代はなかったはず。(例えば神社の狛犬程度か)。大きな石の大仏像など。(甕棺など同じようなものが日本にもある)。
これらを見学しながら、ちょっと考えた。この朝鮮の三国時代、日本では大和朝廷という少なくとも西日本を「統一」していた王朝が本当にありえたのだろか。日本よりも小さい範囲の朝鮮でも新羅による「統一」が実現するのは7世紀で、日本では壬申の乱のころだ。それよりもはるかな昔(5世紀末)、日本の大王とされる「武」が朝鮮に行って各地を征服した、などという日本史が疑問になる。
5世紀ころ文化の面で日本(倭)よりはるかに進んでいた朝鮮に日本の大王が武力をもって行って朝鮮各地を征服した(と日本史の教科書にある)などどういうことだったのだろうか。
しかしいろいろな面(仏教や建築な工芸など)で日本は朝鮮から刺激を受け、影響を受けてきていたことを再確認した。いずれ機会をつくってあらためて再訪問して「歴史の学習」ができれがいいのだが…。
1590年代に豊臣秀吉が侵略軍を送り込んで朝鮮各地を荒らした。この時の被害の話とこの侵略軍を撃退した李舜臣の顕彰の資料もあった。これと、ちょうど100年前の「日韓併合」のことなど、特別の強調があったわけではないが、日本の行った犯罪行為を恥ずかしく感じる。
もちろんアイホンは通じない。多額の投資をすれば通じるのだろうが、そこまではしなかった。テレビなしインターネットなし、メールなしの数日間を久しぶりで体験したが、3日目に「ホテルのテレビにはNHKは入っているのですよ」というガイドさん。初めから言ってくれよ、と思っても、あとの祭り。
韓国のドライバーは、大胆というか乱暴というか、上手というか、日本よりも混んでいる道を実に強引に運転する。ひやっとしたことも何度もあったが、日本のようにこまかく規制している国情とは異なるのだろう。生存競争の一面を見ることができた。
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