来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
サピエンス全史(4)
これまで何度か記してきたが、2度通読(2回目は精読したと言える)して、さらにもう一度読んでみたいと思い、この大部の書を最初からページをめくっている。
これまでの歴史書と、その観点など全く異なる。サピエンスという最後に勝ち残ったわれわれが、環境破壊等に示される人類の未来への危うさをある種自覚しながら、抜本的な打開策を講じることができず過ごしている。
この書の視点は(前述したが)「私たちは幸福になったのか」という問いである。歴史書を、これまで読んできたが、こういうきわめてありきたりでしかも基本的なテーマを論述の視点にしている書はなかったのではないか。そして、サピエンスの幸福が他の無数の大型動物にとって全く逆の運命を強制してきた。
例えば、ネアンデルタール人の歴史とその滅亡は、サピエンスの仕業によるものなのか、など歴史の書のどこにもなかった。この4,5年で科学者はネアンデルタールのゲノム(遺伝情報というような意味)の解析に成功した。その結果ネアンデルタール人の4%はヨーロッパ、アジア人に受け継がれているという。しかしホモサピエンスはこのネアンデルタール人を滅ぼした(約3万年前)と想像できる。
そして近い未来、サピエンスはどうなるか。作者のハラリさんはこう言っている(「『サピエンス全史』をどう読むか」)。
「今後1,2世紀以内に人類は消滅します。でも、それは私たちが自身を変えるからではなく、バイオテクノジーと人工知能を使って私たち自身を変えるからです。… 私たちはバイオテクノロジーやコンピューター技術を使って、体や脳や心の造り方を学んでいるのです。… 少なくとも一部の人たち、裕福な人たちは死ぬことはなくなります。彼らは神々のように永遠に生き続けるのです。… 人工知能の方がうまくやってしまう(ことが多くなる)。」
人間がつくった人工知能は一人歩きしてそれ自体の子孫を生み出すことができるようになるかも知れない。そういうことになったらどうなるか。想像するだけでも恐ろしいというか、愉快というか。
すでも囲碁などの世界では人工知能は囲碁の名人のレベルにまでなっているというではないか。
今の小中学生が40,50歳の世代になったころ、どういう仕事をしているだろうか。
そんなことも含めて、サピエンスの過去から未来までいろいろ想像させてくれる書である。
これまでの歴史書と、その観点など全く異なる。サピエンスという最後に勝ち残ったわれわれが、環境破壊等に示される人類の未来への危うさをある種自覚しながら、抜本的な打開策を講じることができず過ごしている。
この書の視点は(前述したが)「私たちは幸福になったのか」という問いである。歴史書を、これまで読んできたが、こういうきわめてありきたりでしかも基本的なテーマを論述の視点にしている書はなかったのではないか。そして、サピエンスの幸福が他の無数の大型動物にとって全く逆の運命を強制してきた。
例えば、ネアンデルタール人の歴史とその滅亡は、サピエンスの仕業によるものなのか、など歴史の書のどこにもなかった。この4,5年で科学者はネアンデルタールのゲノム(遺伝情報というような意味)の解析に成功した。その結果ネアンデルタール人の4%はヨーロッパ、アジア人に受け継がれているという。しかしホモサピエンスはこのネアンデルタール人を滅ぼした(約3万年前)と想像できる。
そして近い未来、サピエンスはどうなるか。作者のハラリさんはこう言っている(「『サピエンス全史』をどう読むか」)。
「今後1,2世紀以内に人類は消滅します。でも、それは私たちが自身を変えるからではなく、バイオテクノジーと人工知能を使って私たち自身を変えるからです。… 私たちはバイオテクノロジーやコンピューター技術を使って、体や脳や心の造り方を学んでいるのです。… 少なくとも一部の人たち、裕福な人たちは死ぬことはなくなります。彼らは神々のように永遠に生き続けるのです。… 人工知能の方がうまくやってしまう(ことが多くなる)。」
人間がつくった人工知能は一人歩きしてそれ自体の子孫を生み出すことができるようになるかも知れない。そういうことになったらどうなるか。想像するだけでも恐ろしいというか、愉快というか。
すでも囲碁などの世界では人工知能は囲碁の名人のレベルにまでなっているというではないか。
今の小中学生が40,50歳の世代になったころ、どういう仕事をしているだろうか。
そんなことも含めて、サピエンスの過去から未来までいろいろ想像させてくれる書である。
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